日中韓米の相克と歴史教育
2013 DEC 5 0:00:10 am by 東 賢太郎
4国とも独裁国家でも絶対王政国家でもない。実質的に中国はそれに近いように見える局面があるが、少なくとも、何らかの外部からは知り得ない意図によるものであるにせよ、政府が民意に敏感に反応することがあるという一点においてはそうではないと思われる。従って、4国とも国民の総意という、目には見えないが擬制として存在することになっている多数意見というものを採択または少なくとも忖度する方法で意思決定がなされているはずである。
国民の多数意見は、各人の自由な意思形成に起因するものと仮定されてはいるものの、実質的には各種のマクロ的要因の影響下で集合的に形成されることが多い(科学的証明は困難だが)。その要因の中でも決定力の大きいと推察されるものに歴史教育があろう。この推察が正しいことは中韓両国がそれを怠っていると我が国に対し強く主張してきている事実からも裏付けられる。筆者の受けた日本史教育においても、確かに大正時代以後の史観においては旗色の鮮明ならざる感を抱かざるを得なかったことは否定できない。
この1年にわかに高まる日中韓米の国益の複雑な相克は各々主権国家としての立ち位置を決めるパラメーターがこの10年で大きく変化した結末として、決して不測の事態ではなかったように思う。特に中国の経済力の急速な振興が最も決定的な要因のひとつであったことはブログで過去3度指摘した。国民の多数意見形成は経済力、つまり国民個々人の生活力と無縁ではない。明日の食費を心配する国民は海のかなたの領土の確保よりも自分の職の確保を優先して考えるからだ。職が足りなければ負の民意が蓄積して暴発するし、10億を超える民が明日を心配しなくなれば正の民意が海の彼方に向かいだすことは人間の集団の性向として時代、国籍を問う現象ではない。
この人間の集団の性向という厄介な相手は、どんな賢王、どんなに強力な軍事政権をもってしても長期にわたって制御できるものではないことは、世界史における枚挙にいとまがない政権交代が証明している。相手国の政権に求めうるコモンセンスというものは存在しない。なぜならその政権もコモンセンスでは自国を統治できないからだ。今のわが国政府は人間の集団の性向を歴史観を持って冷静に見据え、性急に行動することは控え、100年先を見た外交に徹するべきと思料する。そして100年先を見るためには100年前から学ばなくてはならない。
日中韓米は各々の軍事力と経済力という、「国力」というものを規定する2つの大きなパラメーターを国益拡大に少しでも有利に働かせることで競っている。世界史上、それを怠った国はないし、励行しても国は滅ぶものであった。「国力」を磨くのは主権国家として当然のことである。軍事力は経済力なくして成り立たず、経済力は人材確保すなわち国民の教育なくして成り立たない。ゆとり教育という文科省主導による人材劣化促進がどれほどの歴史的愚策であり、わが国の国益を損なったかは自明である。国益拡大にコモンセンスはない以上、国益は相手の行動からではなく自助努力によって得なくてはならない。
軍事力と経済力とを天秤にかけることは無益である。前者の規模は後者に依存するとしても、両者は国益を競う将棋盤においては独立した駒である。後者にリソースを傾斜配分したカルタゴは20万いた人口の15万人がローマ軍に殺され、生き残った5万人は全員が奴隷に売られて国が消滅した。前者をどう考えるか。どこまでの駒にするか。日米安保条約のもとでの米国とのバランスはどうするか。これは歴史教育を経て我々の次の世代が憲法問題として決めていくことだ。そして経済力。これがありすぎて困ることはないし、盤石であることは国益の大前提中の大前提である。それがバブルと呼ばれようがなんだろうが、1990年当時の、ロックフェラーセンターを買い、株式時価総額が世界一であった経済力が今あれば景色はまったく違っていたであろう。
歴史教育とはわが国と他国の関わりの事実を「冷徹な事実(Fact)]として徹底的に、いわば科学的に究明してその結果が心情に添わずとも尊重することである。コップに半分ある水を「もう」と見るか「まだ」と見るかは歴史解釈であってFactを究明する行為とは違う次元の行為である。究明とはその水位をミクロン単位まで正確に測定することである。そしてそれを国民に知らしめる、つまり教育を行うことである。それにより未来の日本国民は中韓の主張する通り「歴史認識をもった国民」として民意を形成し、適切なる国策を決定する準備ができるだろう。
21世紀、米とは継続強化された同盟関係、中韓とはFactを了解したうえで「未来志向」の関係を築くことになるのだろうか。
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中村 順一
12/5/2013 | 4:55 PM Permalink
このテーマは奥が深く極めて難しい。確かに中国の反日が高まったのは、某指導者が国を挙げての反日歴史教育を実行した1990年代以降だし、韓国の凄い反日の高まりも、1990年代初頭の日本の某新聞の記事と河野談話以降の教育である。民意の形成にとって、教育が如何に重要か、ということに尽きる。日本の戦後の学校での歴史教育は、昭和の歴史を教えていない。大学入試に決して出題されないからである。そればかりか、日本の領土がどこまでか、ということも学校では教えてくれなかった。あまりにもあの戦争の痛手が大きかったということか。日本と中国、韓国との民意の温度差は、教育の方針の差から来ている面が大きいのです。
東 賢太郎
12/6/2013 | 11:26 AM Permalink
積極的には教えないということはそれがタブーであるという負の教育、すなわち消極的な反日教育にならないかということが論点と思う。我々はそうかもしれないという疑念を抱いても有効に反論するだけの事実を知らない。