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クラシック徒然草-ベートーベンと男性ホルモン-

2015 JAN 14 1:01:35 am by 東 賢太郎

またベートーベンですいません。年末から仕事が攻めモードにあるのです。こういうときは、どういうわけかベートーベン漬けになるのが僕の常です。理屈じゃありません、今日はカレーが食いたい、そういうノリです。

もともと彼の音楽に波長が合うというのはあります。ただ聴かないときはまったくご無沙汰にもなります。音楽のバイオリズムといいますか「**期」(ばっかりの時)というのがあって、モーツァルト期、バッハ期、ブラームス期、ラヴェル期など、今ははっきりとベートーベン期がきています。

ロンドン時代は車通勤だったので早朝から「運命」などのカセットを大音量で鳴らしながらの出社でした。証券営業というのは毎日が戦闘モードでしたから軍艦マーチのかわりですね。相乗りされていた先輩がびっくりし、その洗礼のせいでしょうかいまや大変なクラシック通になっておられる。ベートーベン・パワーです。

2010年に会社を作るとき、ロンドンまで資金集めにすっとんで行ったりの大変な日々でしたが、毎日ピアノでエロイカの始めのところをガンガン弾いてました。あれでどれだけ勇気が出たか。スコアを眺めてるだけで元気になるから漢方薬より不思議です。ベートーベン・パワーさまさまです。

モーツァルトは精神をにぎやかに、軽やかに、しなやかにはしてくれますが背中を押してくれる音楽ではありません。ブラームスはいいんですがちょっと女々しいところがまだるっこしい。バッハはああいうときは逆効果ですね、ブルックナーもそうですが敬虔な気持ちになって精神が落ち着いてしまう。チャイコフスキーは禁止です。悲愴なんかきいた日にゃロンドン?飛行機落ちたらどうすんのみたいになっちゃう。

気分を明るくしてほしいならヘンデルでもきいた方がずっといい。ワーグナーも効果あります。でも「背中押し効果」はないんです。これは古今東西、ベートーベンしかない。あくまでこれは僕の感じ方ですが、なんといっても作曲家で一番「男」を感じるのはベートーベンだからです。

それも一度どん底に落ちた男です。そこから意志の力で這い上がる。彼の人生そのものがハイリゲンシュタットの遺書からの復活だし、音楽も暗い楽章からの歓喜の爆発へ、これは株なら「底打ち」ですね。今に見てろの忠臣蔵、健さんのヤクザ物、今なら半沢直樹。倍返し、10倍返しのカタルシス解消エネルギーこそ背中押しの原動力です。

音楽語法がまたごつごつして推進力に満ちて男っぽい。悲愴ソナタ第1楽章のテーマの左手、あのオクターヴでタカタカタカの律動の興奮、ダダダダダダと歩兵の進軍みたいなワルトシュタインの出だし、凱旋将軍の帰還みたいなハンマークラヴィールの出だし。男性ホルモン、テストステロンの勢いで書いたみたいなフレーズ満載です。

冬空のような澄んだ静けさはあってもなよなよ、うじうじはかけらもなし。竹を割ったように直線的で論理的で明快でストレート。中期だけじゃない、枯れたと思われている後期だって大フーガ変ロ長調作品133、あれは女性的とはかけ離れた極北の世界で、女性作曲家が書くかもしれない作品リストの堂々最下位に位置するものでしょう。

だからベートーベンは硬派でダサくて女にモテず薄幸というイメージが強いですがあれは後世の学者の嘘でしょう。「不滅の恋人」って誰?といってすぐ10人も候補名があがってくるわけです。同時期に10人ですよ!われわれのような並の男は羨望こそあれ想像すら及ぶところでございませんこれは。実は女にもてたし完全にプレイボーイの部類です。

ピアノがうまかったのだから当然だろうとよくいわれますが、うまいというのも並みじゃない、書いたハンマークラヴィール・ソナタはその当初は彼以外の誰も弾けなかったというレベルのうまさです。ついにそれを弾けるフランツ・リストというハンガリーの男が現れ、彼はコンサートでたくさんの女性を失神させました。

テレビも映画もない時代のヴィルチュオーゾ・ピアニストは今ならロックスターです。それも彼らはビートルズ、ストーンズ級でしょう。ダサかったというのは、学者や文人が彼を神格化したいがゆえの虚構が多分にあると思います。モーツァルトに続いてこっちの神様までプレイボーじゃまずかったのです。僕はリアリストなんで、そういう嘘は徹底的にぶち壊したくなります。

だけど実際のところ、彼はどの女性とも最後はうまくいかなかった。これもダサかった派の証拠とされます。秀吉と一緒で成り上がり者の貴族女性好きでした。だからいつも身分違いの恋だった。耳のせいで会話もうまくいかなかった。でもそういうことは初めからわかっていますから、それが理由ならカノジョが10人もできるはずないんです。

あんな規格外の音楽を書く人間です。むしろ相当な「変人」でないはずはありません。それも癇癪持ちだ引っ越し魔だ程度の変人ぶりじゃぜんぜん普通すぎます。音楽から見た超人ぶりとはとてもバランスがとれない。ジョン・レノンはヨーコと素っ裸ベッドイン記者会見までするぶっ飛び男でしたがそのぐらい、それでも足りない感じすらします。

そんな、キミ、天才に向かって不敬罪だそれはなんていわれそうですね。僕は逆にそういう人こそ彼の音楽に対する不敬罪に問いたいのです。あれは普通の人間が書く曲じゃありません。だったらその人間性の方も、とてつもなく世の中の平均値からの標準偏差が大きかったと考えることこそ平均的な結論だと思うのです。

モーツァルトはその作品偏差値の高さを「スケベだった」という俗人的エピソードでうまいこと中和して平均値の人々の間で市民権を得るという複雑な回路を経て後世の人気を得ました。ところがベートーベンは中和剤の迫力がない。難聴はむしろ偏差値を高める方向に働いたのは佐村河内事件の示した通りです。

作品偏差値が90もあって中和剤なし。だったらいっそ神様にしてしまおう。そうやって「楽聖」になっちゃった。本人も唖然でしょう。あのモーツァルトが神でも聖人でも父でも母でもありません。でもそれがある意味良かった。モーツァルトは作品の方にもちゃんとしたスポットライトが当たっているように思われるからです。

ところが楽聖のほうはちょっと変なんです。三大ピアノソナタで悲愴、月光、熱情なんてくくりがあります。32のソナタでこの3つが代表だなんて思ってる音楽通はたぶん誰もいないでしょう。ハンマークラヴィールという名称も「作品101以降をそう呼べ」と出版社に指示したから最後の5曲は全部そう呼ぶべきなのになぜか作品106の名前になってる。

第14番、「月光の波に揺らぐ小舟のよう」と、この曲の千分の一も有名でない誰かが言ったというくだらない命名はもちろん作曲者の知る所でありません。マクベスの魔女の宴会の音楽だったとか幽霊が出そうだとかで「幽霊」にされちゃった不幸なピアノ三重奏曲第5番。こんな低次元の「名曲認定JISマーク」に基づいてセンセイはおろか聖人に祭り上げっている。「楽聖」はいらんから曲をちゃんと聞いてくれという彼の声が聞こえてきそうです。

つまり、神になっちゃったベートーベンにいっとき俗人界に降りていただくのはいいとして、それを作品の次元でやるのはやめてくれということがいいたい。そんなことをせずとも、「超人」であった生身の彼は間違いなく「大変人」でもあったはずなので、学者の思い入れや美学は排して素直にそれを認めてあげればいいだけです。

かれは女にモテた、だけど結婚はできなかった。どうしてでしょう。ホモだったかとんでもない性癖があったか。わかりませんが、文科省公認皇室御用達の教条主義でなく、超人にして何でもアリと包容力のあるスタンスで見るべきでしょう。そういう可能性はチャイコフスキー、ブラームス、ブルックナーなどにもあります。

僕はベートーベンの場合はそうではないと思う。なにせジョン・レノンですからね、そんなことで女が逃げるでしょうか。むしろ、だからこそ剛腕の姉さん女房あたりが押さえつけて一気に解決でしょう。ジョンはベッド記者会見につきあってくれて剛腕で賢いヨーコ・オノという女性がいたからのびのびと「超人」でいられたと思います。

女の親が反対したとか女の方がふったとかびっくりして逃げたとか、大変人ですからそういうこともあったでしょうが、あのソナタを書くパワーと情熱で押し切ればどうにでもなったと思うのです。モーツァルトみたいに庶民の娘を選べば何の問題もなかったでしょう。でも結果としてそういうことは起きなかった。

僕の空想は、彼の超絶的な「超人」ぶりにつきあえる女性がいなかったということです。意中の人はたくさんいたんですが、あとで胸に手を当てて考えるとこりゃ成田離婚だな、やっぱりやめとこうと。彼は幸せな結婚より超人であることを選んだ、というよりも、そうでなくては自殺せずに生きてきた意味がないということだったんじゃないでしょうか。

ここで思い浮かぶのはクララ・シューマンです。彼女はすごいですね。シューマンとブラームス、超人二人が参っていたんですから美貌とかそんな程度のもんじゃない。当時ハンマークラヴィール・ソナタが弾けたのはリストと彼女しかいなかったそうです。シューマンは相手の親父と裁判までして娘を勝ち取っています。

ベートーベンにはクララやヨーコが現れなかった。そういうことではないでしょうか。特にどうということもない二番手三番手だったイメージのコンスタンツェも、滅茶苦茶なモーツァルトから離れなかったというのは天才を守ったという意味で天賦の才能ですし、それに彼も満足してた。でもベートーベンはそういう男にもなれなかった。

たしかに一市民としては気の毒ですが、そのおかげで彼はいつも男性ホルモンがドライブする戦闘モードにあってああいう男気質の音楽ができたと僕は思っています。しかも聴覚の喪失でどん底の精神状態を味わってこそ、十倍返しのインパクトの曲が書けた。まさしく「人間万事塞翁が馬」だったのではないでしょうか。

「エリーゼのために」のエリーゼさんと仲睦まじい家庭でも持っていたら?

我々の知る渋面のベートーベンはいなかったのでしょう。甥っ子の面倒は熱心に見ましたからね、子育てにめざめて保育士資格とったかも。よき夫、父親という言葉は彼のバイオグラフィーに加わったでしょうがハンマークラヴィール・ソナタは書かれなかったかもしれません。リストもクララも違う運命になっていたかもしれませんね。

 

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