Sonar Members Club No.1

日: 2015年5月23日

株式道場-ROEが低い株は上がらない-

2015 MAY 23 20:20:41 pm by 東 賢太郎

日本株の時価総額がバブル時のピークをぬき最高値を更新しました。こうなってくると、結果論ではありますが株式を持っているいないで資産格差が出てくるのは致し方ないところです。

資本市場をよく知らないフランス人のトマ・ピケティが見当違いな形で指摘したディバイドですが、彼の言った結論だけはたまたま当たってるという結末になってくるので、何度もブログで主張したとおり投資教育の欠落は大問題ということになるでしょう。

この株高はアベノミクスの金融政策が火をつけたのは事実ですが、外国人の保有が増えているのは企業の株主還元姿勢が欧米型に転化したことが寄与しています。銀行の資本政策が変化して株式持ち合いというサイレントマジョリティーが不在となりつつあり、かたや機関投資家はスチュワートシップコードの徹底によって物言う株主になりつつあるという大変革が日本市場では進んでいるのです。

したがって企業経営は持続的、安定的な株価上昇によって株主を長期的に満足させる方向に舵を切りつつあります。社外取締役による経営の透明性の担保、自社株買い、配当性向の増加、、海外IRの徹底などがその方策となり、どれもが外人投資家にはウェルカムで理解しやすいグローバルな手法で日本株投資への安心感を高めていますから、一時はGDP比以下に落としていた運用資産の日本への配分比率を戻しているということです。

アベノミクスはリフレ政策だと批判的な経済学者がフェイクの株高だと主張しますが、おためごかしで時価総額を過去最高にできるほど市場というのは甘くありません。彼らの言っている市場音痴の批判など僕の英国人のパートナーらは歯牙にもかけていませんし、日本の経済学者で海外の真に頭の良い投資家たちがどういう情報で何を考え何をやっているか知っている人などまずいません。

これまで日本市場は米欧の市場動向にひきずられる形でしたが、米欧中が不調でも日本は別だという評価がグローバルのトップ・オブ・トップの投資家の間にできつつあります。かなり潮目が変わってきているのです。その核心は、これは古典的な指標にすぎませんが、ROE経営ということに他なりません。ROEはreturn on equityの略で、投資家の持ち分に対しどのぐらいの利益を上げているかという指標です。

日本企業は伝統的に海外の同業と比べてROEが低いのです。企業経営者がこれに気づきつつある。ROEが低い企業の株が持続的に上がるなどということは、絶対にありません。ROEが低いのに解散価値や配当利回りで買われるというのは株式としては邪道であって、企業の生体反応の良さ(成長力)ではなく、逆に反応が鈍ってきた動物の死肉をむさぼろうというハイエナがつけている株価なのです。

それを逆手に見れば、ROEが低くて低迷していた会社が経営改革して生体反応がヴィヴィッドになれば、株価は上がるのです。それも、ものすごく。伝統的にROEを軽視した経営姿勢だった日本企業が気持ちをいれかえてそれを高めようという機運が出てきた、それが上記の施策に現れていると外人投資家は判断しているのです。だから日本株が上がっている。株というのは、売る人より買う人の方が多ければ上がるのです。学者はわからないらしいが子供は分かることと思います。

 
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ドビッシー 交響詩「海」再考

2015 MAY 23 0:00:49 am by 東 賢太郎

自然の風景というと我々日本人には山、川、海は定番でしょう。なかでも海は、「海は広いな大きいな」「我は海の子」なんて懐かしい唱歌もあれば(僕は嫌いでしたが)、我が世代には加山雄三やサザンもありました。男のロマンをかきたてるものを感じるという文化ですね。

ところがクラシック音楽は川(ライン、ドナウ、モルダウ、ヴォルガetc)の音楽はあっても意外に海は少ないですね。ユーラシア大陸の北辺は氷結した海であり、南辺の地中海はカルタゴやイスラムと闘う辺境だった。ロマンをかきたてる存在ではなかったのではないでしょうか。海岸線の長さランキングで日本は世界第6位なのに対し、イタリア15位、フランス33位、ドイツ51位というのも関係あるかもしれません。

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ドビッシーが「海」を書いたのは、ですから西洋音楽の視点からはやや特異と思います。彼は8才の頃にカンヌに住んで海を見たはずですが、この交響詩は単にその印象を描写したものではありません。彼は「音楽の本質は形式にあるのではなく色とリズムを持った時間なのだ」という哲学をもっていました。この曲における海は変化する時空に色とリズムを与える画材であり、それはあたかもクロード・モネが時々刻々と光彩の変化する様をルーアン大聖堂を画材に33点の絵画として描いたのを想起させます。この連作が発表されたのは1895年、海の作曲が1905年。ドビッシーはこれを見たのではないでしょうか。左が朝、左下が昼、右下が夕です。

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これをご覧になった上でこのブログをぜひご覧ください。2年半前のものですが特に加えることはありません。

 ドビッシー 「3つの夜想曲」(Trois Nocturnes)

色とリズムを持った時間」!モネの絵画というメディアが33の静止画像だったのに比べ、ドビッシーの音楽は25分の動画です。それも情景の変化を印象派風に描くのではなく、音楽の主題を時々刻々変転させて時間を造形していく。それによりほんの25分に朝から夕までの時間が凝縮されます。第1楽章コーダの旋律が第3楽章コーダで再起し、音楽の時間は円環系に閉じていますが、それはモネの絵のように同じ情景を見ているという感情をも生起させるのです。

交響詩「海」はどの1音をとっても信じ難い感性と完成度で選び置かれた奇跡の名品です。全クラシック音楽の中でも好きなものトップ10にはいる曲であり、これが完成された英国のイースト・ボーンの海岸にいつか行ってみたいと望んでいる者であります。

ブログに書きました、僕のアイドルであり当曲の原点であるピエール・ブーレーズの旧盤(ニュー・フィルハーモニア管弦楽団)です。

ウォルター・ピストン著「管弦楽法」にはこの曲からの引用が14カ所もあり、その幾つかはドビッシーのオーケストレーションの革新性を理解させてくれます。たとえば、第1楽章、イングリッシュホルンとチェロ・ソロのユニゾンブーレーズの6分52秒から)が「1つのもののように混り合い、どの瞬間においてもいずれか一方の方が目立つということがない」(同著)ことをMIDI録音した際に確認(シンセの音でも!)しましたが、その効果は驚くべきものでした。

これまた予想外に溶け合うイングリッシュホルンと弱音器付トランペットのユニゾンもあり、不思議な色彩を生み出している。まさに「時間に色をつけている」のです。第2楽章のリズムの緻密な分化と変化、それに加わる微細な色彩の変化と調和!音楽史上の事件といっていいこの革命的な筆致の楽章に「色とリズム」が時間関数の「変数」としていかに有効に機能しているか、僕はこのブーレーズ盤で学んだのです。

ブーレーズはyoutubeにあるニューヨーク・フィルのライブ映像で細かい指揮はしてないように見えるのですが鳴っている音は実に精密に彫琢され、それでいて生命力も感じる。そして魔法のような管弦楽法による色とリズムの調合がいかに音楽の欠くべからざる要素として存立しているか。オケのプレーヤー全員が指揮から学習した結果なのでしょう。極上の音楽性と集中力を引き出している指揮者の存在感。凄いの一言です。

他のものは譜読みが甘くほとんど心に響くものを感じませんが、これはいいですね。ポール・パレー/ デトロイト交響楽団の演奏です。指揮者の常識とセンスと耳の良さを如実に表しております

(こちらへどうぞ)

 

ドビッシー映像第1集(Images,Book 1)

 

 

 

 

 

 

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