Sonar Members Club No.1

月別: 2017年1月

トランプのメディア革命を評価する

2017 JAN 12 12:12:36 pm by 東 賢太郎

政治に関する本音はソナー・アドバイザーズのHPに書いておりますのでこちらの「ブログ」というところをクリックしてお入りください。

sonaradvisers.co.jp

昨日は夜中のトランプ記者会見を息子と見ておりましたがやはりライブで表情が見えると文字情報よりわかることがずっと多いのです。報道機関の記事は主観が入りますが自分の眼でウイットネスすることですね、そこに嘘ははいりませんから。こちらです。

面白かったトランプ記者会見

ロシア(プーチン)とは水面下で何かある印象を持ちました。サイバー攻撃で2200万人の情報が流失したのは事実とトランプは認めているし、攻撃者はロシアだけでない、中国もいるだろうと矛先をそらし、アメリカがそれに脆弱なのが問題だ、それは民主党が重視しなかったからだと責任をオバマに向けました。就任9日後にレポートを出すが見ものです。

これに関する機密を漏らしたとCNNを名指しで敵視し、ほかのメディアには敬意を持つと持ち上げましたが、これは我が国でも石原都知事や橋下知事でおなじみのシーンと言えないこともありません。しかし口撃だけでなくメディアをすっ飛ばしてツイッターで有権者と直接会話する米国大統領の登場は史上初であり、それがメディアにいかに衝撃を与えているかという図こそ、僕が最も印象的だったことであります。

それがスマホ普及による時流であるし、こうしてブログを書いている実感としてこれほど「生の声」「実像」を簡単に、しかも誤解なく世界に発信できるツールは他にあり得ないと確信します。他人の眼が一切介入しないから情報操作されるリスクはゼロであり、そうしたい人間はこれから全部ネットを使うことになりますね。米国大統領もたまたまそう思う一人だったということです。政治家が、まして米国大統領がそれはご無体な、という常識論をぶち壊したのはトランプ革命と評しても良い大事件であります。

ヒラリーは学校でいうなら成績トップで弁も立つPTA会長のお嬢、対してトランプは先生は殴るがいじめには体を張る番長という図式でしょう。学校はPTAに受けようとヒラリーを生徒会長に推したところ、お嬢が気に食わんアンチ・ブルジョア派やいじめられっ子にカリスマ人気の番長がなっちゃった。おい、新聞部は何をやってるんだ!そこで校内新聞に「トランプくん、他校の極道と親交」という記事がドンと出る。番長が「おめえら、ただで済むと思うなよ」という絵でしょうね。

しかし番長の力を借りずとも、メディアのネット化現象は自動的に進みます。もう神の手に委ねられたといってよい。先日のジョルジュ・プレートルのブログに花ごよみさんから頂いたコメントにそう返信したのですが、僕は貧乏人の倅なんで反ブルジョア、アンシャンレジームに徹底アンチの性向があって、フランス革命や明治なら間違いなく薩長倒幕派に加担したと思います。それが人生の原動力であって、心の問題なんで原因不明ですが、トランプは大金持ちですが安住せずにぶっ壊し屋をやるのに共感があるんです。見てるだけで元気が出ます。

 
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ノイの大戦果

2017 JAN 11 2:02:00 am by 東 賢太郎

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「ねこじゃらし」という植物は本名をエノコログサというが、猫をじゃらすことにおいて抜群の効能をもつ。猫に遊んでもらって種子を拡散しようという進化をしたかというと、地面に生えているままでは猫はこないのだからそうではないだろう。人間が摘み取って猫の面前にちらつかせての効能だが、そこまで見越しての進化だとすると大変な戦略家ということになる。

 

 

およそ動物というのは食えないものを追って無駄に疲れたりはしないものだが、猫ばかりはちがう。食えないもので大いに遊んでくれるし、犬のようにそれでご主人様とコミュニケーションをとったり気に入られたりという打算はない。ひたすら我が事として、自分の喜びとして全身全霊をかけて遊ぶのだ。

だから、それに対峙する人間の側も遊び半分ではいけない。そこには猫との間の一定のエチケットというものが存在する。あらゆる猫玩具のうちでも「ねこじゃらし」は最もクラシックであり、そうなったのも猫が喜ぶことにかけては最右翼だからなのだが、この遊びをとり行うに当たっては大事なポイントがある。

それは、猫につかまえられないことなのである。

噛みつけば食えないことがわかってしまう。あたかも生き物らしく動かしておいて、ひょっとしてという期待を裏切らなければ気迫が鈍ることはない。この点うちの家族はまだ素人であって、すぐ捕えられ、はたまた遊び終わって床に放っておいたりするものだから正体がばれてしまう。これでは猫はつまらない。一抹の神秘感を残してやることこそエチケットの要諦なのである。

僕は長年それを鍛えたプロであり、まず捕まるなどということはない。だから、いざねこじゃらしを始めると、猫が疲れるか僕が疲れるかの決死の大一番となるのである。

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我が家のノイにおいて、先日入手した超大型ねこじゃらしをうわまわるものは当面考え難いだろう。先端に本物の鳥の羽を装備したハイエンド・モデルである。バネによる高度な機動性能と風を切るサウンドのリアルな質感に加え、羽のかもしだす「食えるかも感」は極上と思われる名品だ。

 

 

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超高速で行われる戦闘をスマホで追うとピントが合わなかったりする。捕まりそうで捕まらない。上下左右にぶんぶんと逃げ隠れする羽を両手で何度も空振りする。やっとキャッチしかかって身を挺して噛みつこうとするとスルリと逃げる。この日はそれが30分をこえる激闘におよぶこととなったものである。

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しかし、ノイは若い。なめてはいけなかった。先に疲れたのはこっちだった。仕方なく左手に持ち替えたところ、虚を突かれ、ついに捕獲されてしまった瞬間である。

 

 

 

 

「老人と海」をもほうふつとさせる感動の大戦果を得たノイ。隕石が落ちてきてもワタシ放しません!という決然とした表情。なんと、この仁王立ちの姿勢で目が飛んだまんま、銅像みたいにかたまって動かなくなってしまったのだ。疲れがにじむが、踏ん張った足がどこか誇らしげでもある。

 

 

 

のい隊長の事件簿

ネコ三昧のいちにち(愛媛県・青島探訪記)

 

 

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クラシック徒然草 《ルガノの名演奏家たち》

2017 JAN 10 1:01:07 am by 東 賢太郎

luganoルガノ(Lugano)はイタリア国境に近く、コモ湖の北、ルガノ湖のほとりに静かにたたずむスイスのイタリア語圏の中心都市である。チューリヒから車でルツェルンを経由して、長いゴッタルド・トンネルを抜けるとすぐだ。飛ばして1時間半で着いたこともある。

人口は5万かそこらしかない保養地だが、ミラノまで1時間ほどの距離だからスイスだけでなくリタイアしたイタリアの大金持ちの豪邸も建ちならび野村スイスの支店があった。本店のあるチューリヒも湖とアルプスの光景が絵のように美しいが、珠玉のようなジュネーヴ、ルガノも配下あったのだからスイスの2年半はいま思えば至福の時だった。

自分で言ってしまうのもあさましいがもう嫉妬されようが何だろうがどうでもいいので事実を書こう、当時の野村スイスの社長ポストは垂涎の的だった。日系ダントツの銀行であり1兆円近かったスイスフラン建て起債市場での王者野村の引受母店でありスイスでの販売力も他社とは比較にもならない。日本物シンジケートに入れて欲しいUBS、SBC、クレディスイスをアウエイのスイスで上から目線で見ている唯一の日本企業であった。なにより、大音楽家がこぞってスイスに来たほどの風景の中の一軒家に住めて、金持ちしかいない国だから治安、教育、文化、食、インフラはすべて一級品なうえに、観光立国だから生活は英語でOKで外人にフレンドリーときている。

唯一の短所は夜の遊び場がカラオケぐらいしかないことだが、ルガノはさすがで対岸イタリア側に立派なカジノはあるは崖の上にはパラディソという高級ナイトクラブもあってイタリア、ロシア系のきれいな女性がたくさんいた。妙な場所ではない。客が客だからばかはおらずそれなりに賢いわけで、ここは珍しく会話になるから行った。私ウクライナよ、いいとこよ行ったことある?とたどたどしい英語でいうので、ないよ、キエフの大門しか知らん、ポルタマジョーレとかいい加減なイタリア語?でピアノの仕草をしたら、彼女はなんと弾いたことあるわよとあれを歌ったのだ。

こういう人がいて面白いのだが、でもどうして君みたいな若い美人でムソルグスキー弾ける人がここにいるのなんて驚いてはいけない。人生いろいろある。本でみたんだぐらいでお茶を濁した。男はこういう所でしたたかな女にシビアに値踏みされているのである。彼女の存在は不思議でも何でもない。007のシーンを思い出してもらえばいい、カネがあるところ万物の一級品が集まるのは人間の悲しいさがの故なのだ。世界のいつでもどこでも働く一般原理なのだと思えばいい。社会主義者が何をほざこうが彼女たちには関係ない、原理の前には無力ということなのである。

名前は失念したがルガノ湖畔に支店長行きつけのパスタ屋があってペンネアラビアータが絶品であった。店主がシシリーのいいおやじでそれとワインの好みを覚えていつも勝手にそれがでてきた。初めてのときだったか、タバスコはないかというと旦那あれは人の食うもんじゃねえと辛めのオーリオ・ピカンテがどかんときた。あとで知ったがもっと許せないのはケチャップだそうであれはイタリア人にとって神聖なトマトの冒涜であるうえにパスタを甘くするなど犯罪だそうだ。そうだよなアメリカに食文化ねえよなと意気投合しながら、好物であるナポリタンは味も命名も二重の犯罪と知って笑えなくなった。香港に転勤が決まって最後に行ったら、店を閉めるんだこれもってけよとあのアラビアータソースをでっかい瓶ごと持たせてくれたのにはほろっときた。

apollo上記のカジノのなかにテアトロ・アポロがあり、1935年の風景はこうであった。1804年に作られテアトロ・クアザールと呼ばれた。ドイツ語のKurは自然や温泉によって体調を整えることである。ケーニヒシュタインの我が家の隣だったクアバートはクレンペラーが湯治していたし、フルトヴェングラーやシューリヒトが愛したヴィースバーデンのそれは巨大、ブラームスで有名なバーデンバーデンは街ごとKurhausみたいなものだ。バーデンは温泉の意味だが、金持ちの保養地として娯楽も大事であって、カジノと歌劇場はほぼあるといってよい。カジノはパチンコの同類に思われているが実はオペラハウスとワンセットなんで、東京は世界一流の文化都市だ、歌舞伎とオペラがあるのにおかしいだろうと自民党はいえばいいのだ。

moz20ルガノのクアであるアポロ劇場での録音で最も有名なのはイヴォンヌ・ルフェビュールがフルトヴェングラー/ベルリンフィルと1954年5月15日に行ったモーツァルトの K.466 だろう(   モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466)。彼のモーツァルトはあまり好まないがこれとドン・ジョバンニ(ザルツブルグ音楽祭の53年盤でほぼ同じ時期だ)だけは別格で、暗く重いものを引き出すことに傾注していて、何が彼をそこまで駆り立てたのかと思う。聴覚の変調かもしれないと思うと悲痛だ。彼はこの年11月30日に亡くなったがそれはバーデンバーデンだった。

 

lugano1もうひとつ面白いCDが、チェリビダッケが1963年6月14日にここでスイスイタリア放送響を振ったシューベルト未完成とチャイコフスキーのくるみ割り組曲だ。オケは弱いがピアニッシモの発する磁力が凄く、彼一流の濃い未完成である。くるみ割りも一発勝負の客演と思えぬ精気と活力が漲り、ホールトーンに包まれるコクのある音も臨場感があり、この手のCDに珍しくまた聴こうと思う。彼はイタリアの放送オケを渡り歩いて悲愴とシェラザードの稿に書いたように非常にユニークなライブ演奏を残しており全部聴いてみたいと思わせる何かがある。そういうオーラの人だった。

lugano3最後にミラノ出張のおりにスカラ座前のリコルディで買ったCDで、この録音はほとんど出回っておらず入手困難のようだからメーカーは復刻してほしい。バックハウスがシューリヒト/スイスイタリア放送響と1958年5月23日にやったブラームスの第2協奏曲で、これが大層な名演なのである。僕はどっちのベーム盤より、VPOのシューリヒト盤よりもピアノだけは74才のこっちをとる。ミスなどものともせぬ絶対王者の風格は圧倒的で、こういう千両役者の芸がはまる様を知ってしまうとほかのは小姓の芸だ。大家は生きてるうちに聴いておかないと一生後悔するのだが、はて今は誰なんだっけとさびしい。ついでだが、ルガノと関係ないがシューリヒトの正規盤がないウィーンフィルとのブルックナー5番もこれを買った昔から気にいっている。テンポは変幻自在でついていけない人もいようが、この融通無碍こそシューリヒトの醸し出す味のエッセンスである。

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クラシック徒然草-チェリビダッケと古澤巌-

 

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ジョルジュ・プレートルの訃報

2017 JAN 9 3:03:39 am by 東 賢太郎

img_4cc4a846a588e0814797b713984c1063151842ジョルジュ・プレートルは大正13年うまれだ。親父と同い年だからどこかで聴いていたかなと記憶をたぐるが出てこない。僕はフランス語圏にはあんまりいなかったし、すれ違いだったようだ。

どういうわけか僕の世代では「おフランスもの」はクリュイタンス、ミュンシュ、マルティノンの御三家ということになっていて、ドビッシー、ラヴェルはこの3人以外をほめると素人か趣味が悪いと下に見る空気があった。「おフランス」は"中華思想"なのである。今だって、「ラヴェルはやっぱりクリュイタンスですね」の一言であなたはクラシック通だ。

「おフランス原理主義者」にいわせれば、ピエルネ、アンゲルブレシュト、デゾルミエール、ツィピーヌ、ロザンタルは保守本流だけど音が悪いよね、パレ―、モントゥーの方が良いものもあるけど英米のオケだからだめ、アンセルメ、デュトワはスイス人でしょとなってしまう。ブーレーズは異星人であり、フルネ、ブール、ボド、デルヴォー、フレモー、プラッソン、クリヴィヌ、ロンバールはセカンドライナーである。

ところがクリュイタンスはベルギー人、ミュンシュはドイツ人、マルティノンもドイツの血を引くのだが、そんなことは関係ない。最初の二人はパリ音楽院管弦楽団の、マルティノンはコンセール・ラムルーのシェフ。JISマーク認証すみだ。おそらくだが、パテ・マルコニを買収してフランスに地盤を持ったEMIがうまく3人をフランス・ブランドで売りこんだことと関係があるだろう。同じ英国のライバルであるDECCAはウィーン・フィルはものにしたがフランスは弱く、スイス人のアンセルメを起用するしかなかったから独壇場だった。

プレートルはそのEMIのアーティストであり、同社内に3人の強力な先輩がいてフランスのメジャーオケによるドビッシー、ラヴェル録音のおはちが回ってこなかったのか、その印象が僕にはまったくない。後に浮気はしたがクラシックはドイツ、イタリアのレパートリーが大黒柱なのだからそっちで勝負となればフランス人であることはあんまりメリットはなかっただろう。晩年にウィーンフィルを振ってドイツ物への適性を天下に見せたが、第一印象とはこわいものだ。

pretre高校3年の5月に大枚2千円を払ってラフマニノフの第3協奏曲のLP(左)を買ったがその指揮者がプレートルだった。ピアノのワイセンベルクは後にバーンスタインと同曲を再録するが、この若々しい演奏は今でも大好きでときどき聴いている。ブルガリアンとフレンチのラフマニノフ、なんて素敵だろう、ピアノが微細な音までクリアに粒だってべたべたせずオケ(CSO)もカラッと薄味なのだが、第3楽章の第2主題なんかすごくロマンティックだ。プレートルの名前はこれで一気に頭に刻み込まれた。

 

106彼を有名にした功績を最もたたえられるべきはマリア・カラスだろう。不世出のソプラノ歌手唯一のカルメンを共にした栄誉は永遠だがこの歴史的録音が発散するはちきれるような音楽の存在感も永遠だ。プレートルが並みの伴奏者ではなくビゼーのこめたパッションやエキゾティズムをえぐり出して歌手を乗せているのがわかる。バルツァ好きの僕だがカラス様はカラス様だ、よくぞここまでやる気にさせてくれたと感謝である。気に入って真珠とりも買ったがこれもいい味だ。

pretre1サン・サーンスの第3交響曲にはまっていた時期があるが、どういうわけかすっかり飽きてしまった。フランス人に交響曲は向いていないという思いを強くするのみで、ピアノスコアまであるし音源は22枚も買ってしまっているがもはや食指が動くのはプレートルの旧盤(64年)、クリヴィ―ヌ、バティスぐらいだ。モーリス・デュリュフレ(オルガン)とパリ音楽院管弦楽団なんて泣かせるぜ、このテの音は絶滅危惧種トキのようなものだ。こういうあやしくあぶないアンサンブルを録音する趣味はもう絶滅済みという意味でも懐古趣味をくすぐるし、サンテティエンヌ・デュ・モン教会の空間の音響がなんともいいのだ。第2楽章の敬虔な深みある残響は音楽の安物風情を忘れさせる。終わってみると立派な曲を聞いたと満足している演奏はこれだけだ。

dindyこちらもつまらない曲だがダンディの「海辺の詩」、「地中海の二部作」である。モンテカルロの田舎のオケからこんな鄙びたいい味を出す。オケをコントロールして振り回すのではなくふわっと宙に舞わせてほんのり色あいを出す。そうだね地中海の香りがする。この音でドビッシーを全部やってほしかった。

「おフランス」ものはその「いい味」というのがどうしても欲しい。というよりもそれがないのはクズだ。香水やワインのアロマのように五感に作用してなんらかの感情や夢想や情欲さえも喚起する、御三家のうちドビッシーでそれができた人はマルティノンだけだ。ドビッシーの管弦楽というのは意外にもいいものがないのである。

poulenqプレートルだったらというのはない物ねだりだが、その分、プーランクを残してくれた。このEMIの5枚組は主な声楽曲が入っている宝物だ。「人間の声」はデニス・デュヴァルとプレートルによってパリのオぺラ・コミークで初演されたが、それがプーランクを喜ばせたのがもっともだという感涙ものの名演である。

ガブリエル・タッキーノとのオーバード、P協、2台のP協(CD左)、オーセンティックとはこのことだ。作曲当時の息吹が伝わる。管弦楽曲集(CD右)は録音も鮮明でまったくもって素晴らしい演奏が楽しめる。プルチネルラみたいな「牝鹿(可愛い子ちゃん)」の軽妙、「フランス組曲」のブルゴーニュの空気(パリ管がどうしたんだというくらいうまい)、 「典型的動物」のけだるい夜気。あげればきりがない耳の愉悦の連続である。プレートルのプーランクは世界遺産級の至宝だ、知らない方はぜひ聴いていただきたい。

聴くことは能わなかったし意識したわけでもないがプレートルは僕のレコード棚のけっこう要所なところに陣取って存在感を発揮してしていた。知らず知らず影響を頂いた方であった。心からご冥福をお祈りしたい。

 

(こちらへどうぞ)

プーランク オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち (ヒルデガルト・ベーレンス)

2017 JAN 7 16:16:17 pm by 東 賢太郎

2009年8月に草津音楽祭でベーレンスが来日して倒れ、そのまま日本で亡くなってしまったショックは忘れません。バーンスタインのイゾルデでぞっこんになってしまい、一度だけ目にした彼女の歌姫姿が目に焼きついて離れず、それから時をみては数々のオペラCDで偲んでいただけに・・・。

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女神であるベーレンスを聴く幸運はドイツ時代のフランクフルトで訪れました。1995年5月13日土曜日、アルテ・オーパーのプロアルテ・コンツェルトで、フランス人のミシェル・プラッソンの指揮、ドレスデン・フィルハーモニーで「ヴェーゼンドンク歌曲集」、「トリスタンとイゾルデから前奏曲と愛の死」です。これにどれだけ興奮してのぞんだかは前稿からご想像いただけましょうか。

 

 

この5月に会社から辞令が出て僕は野村スイスの社長就任が決まっていました。チューリヒに赴任する寸前だったのです。欧州でロンドンに次ぐ大店ですから当時の社内的な客観的風景でいうとまあご栄転です。サラリーマンの出世は運が半分ですが、この時「なんて俺はついてるんだ」と思ったのはそっちではなくて引越しまでにこの演奏会がぎりぎり間に合ったほうでした。

behrens1ベーレンスのイゾルデ!!男の本懐ですね(なんのこっちゃ)、ドイツ赴任を感謝するベスト5にはいります。声は軽い発声なのによくとおってました。バーンスタイン盤のあの高音の輝きとデリカシーが思ったより暖かみある声とbehrens2いう印象も残っていて、前稿で姿勢と書きましたが、彼女の表情や人となりの良さが音楽的なんだとしか表現が見当たりません。

イゾルデだけでないのはもちろんでサロメ(カラヤン盤)、エレクトラ(小澤盤)が有名ですが、あまり知られていないサヴァリッシュ/バイエルン放送Oとのリング(ブリュンヒルデ、下のビデオ)は絶品です。そしてアバド/VPOのヴォツェックも大変に素晴らしい。この人が歌うとマリーのあばずれ感やおどろおどろしさが薄いのが好みを分かつでしょうが、オケを評価しているブーレーズ盤のイザベル・シュトラウスより好みで愛聴盤です。

 

 

もうひとつ、これも忘れられている感がありますがドホナーニ/VPOとの「さまよえるオランダ人」も素晴らしい。54才の録音ですが声の輝きも強さも健在で、ボーイソプラノ的でもある彼女の高音が生きてます。ビルギット・二ルソンのワーグナーが好きな方には評価されないでしょうが、ゼンタはやはりこの声でしょう、引き締まって筋肉質のドホナーニとVPOの美音もDECCの腕でよく録れておりおすすめです。

ゼンタ、待ってくれ!ちょっとだけ、待ってくれ!

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

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ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」

2017 JAN 7 3:03:30 am by 東 賢太郎

ロンドンで日々東洋の若僧を感化してくれたお客さまがたの平均像は年のころでふた回りうえ、オックスブリッジ卒のアッパー、保守でした。シティは決してそんな人ばかりではないですが、僕が6年間担当して自宅に呼んだり呼ばれたりの深いおつきあいしたのはそういう方々が多かったようです。人生を処世術をずいぶん教わりました。なんたって大英帝国の精神を継ぐ保守本流の人達だから影響は受けました。

そのせいか、最近コンサーバティズム、トラディショナリズムでかたまった英国のおっさんみたいになってきたな、まずいなと自分で思うこともあります。夏目漱石はロンドンに2年半いて神経衰弱になって帰ってきましたが、それでも彼も影響を受けたのだろう、英国経験者だなあというのは猫に語らせた日本を見る冷めた視線なんかに感じます。ひょんな処で共感を覚えるのは面白いものです。

中でも親しくしていただいた大人の趣味人Cさん。「英国のゴルフクラブは女人禁制だ、なんでかわかるか?」「は?」「女には教えない方がいいものがあるんだ」。クラシック通の彼とは共に夫人同伴でロイヤル・フェスティバルホールに何度も行きましたが「オーケストラに女が多いと台所に見える」と言った指揮者の支持者であることを奥方の前で開陳することは禁じられていました。

2d0477ff96c1bbf98703b5dd9316d38c21970dc1女には教えない方がいいもの。今は何事も女性の方が知っていたりしてそんな言葉は化石になりましたが、ワーグナーの音楽、とりわけトリスタンはどうなのか?そう自問すると、これはまだ難しいだろう、やれやれ男の砦が残っていたわいと安心などするのです。この楽劇への僕の見解はCさんも、もうひとりケンブリッジ首席卒業のPさんも「そうだそうだ」とオトナの男納得のものがあったのです。

ワーグナーで好きなものというと、規格対象外のリングは置くとして、トリスタンなのかなあという気がします。解決しない和声は基音なしという意味でドデカフォニー(12音技法)と同じ思想で、それをあの時代に想起したというのも驚きですが、そのグランドデザインで全曲を一貫してしまおうという発想はさらに凄すぎます。

この音楽を聞いてどう感じるかは人それぞれでしょう。僕にとって基音(トニック)回帰なしというのは主なき王国、あてのない旅であります。あるべきものがない、来るべきものが来ない。道すがらどんな美しい景色や人間ドラマがあろうが、それに至らないと満ち足りず、そこまでの道のりが長ければ長いほど渇望はいや増しに増して、どうしようもなく満ち足りません。

そう、この音楽はワーグナーが聴き手に課す4時間にわたる過酷な「おあずけ」のドラマです。西洋音楽のカデンツになれ親しんだ者にほど、つまり教会で日課のようにそれを聞いたり歌ったりして育った当時の歌劇場の聴衆のような人々にとってこれは未知なる彷徨であり、伝統を知っている者ほどつらい。つらい分だけ最後にそれから解放される天国の花園ような光景は忘れ難く、また訪れたくなる。今日的にいうなら、耳の肥えた人にほど常習性があるのです。

あたかも曲全体がトリスタンが飲んだ媚薬であって、この無間地獄に曳きずりこまれようものなら永遠にぬけられません。

ワーグナーがこれを、ジークフリートを中断してまで書きたくなったのはマティルデ・ヴェーゼンドンクとの関係があったからとされますが、W不倫という今なら格好の文春ネタをやらかしたワーグナーにとって「愛」は追っても逃げる幻であり、こう書いてます。

「憧れるものを一度手に入れたとしても、それは再び新たな憧れを呼び起こす」(R・ワーグナー、ヴェーゼンドンクへの手紙より)

正に彼は憑りつかれたようにそういう音楽、無限旋律を延々と書きつらね、

「愛の憧憬や欲求がとどまるところを知らず、死によってしか解決しない」 (同上)

と、音楽の最後の最後に至って、その通りにトリスタンを死なせておいて和声を初めて解決するのです。G#m、Em、Em6、Bと静かにそれはやってきて、楽譜Aのuna cordaからのg#、a、a#、b、c#のオーボエが旋律線として聞こえますが、

楽譜(A)tristan2

この旋律は前奏曲冒頭(楽譜B)のトリスタン和音のソプラノ声部であって、音名まで合致させているのですね(青枠内)。頑として溶けまいと拒んでいたこの4小節がついに陥落して究極の安寧のなかに溶け入る様は何度聴いても僕を陶酔させてくれます。

楽譜(B)tristan1

そしてここが重要です。エンディングがあまりに素晴らしいので「初めて解決」と書いてしまいましたが、実はuna cordaの7小節前に、つまりイゾルデの「愛の死」の歌の最後にE、Em、Em6、Bという楽譜(A)の疑似的和声連結が出てきています。

つまり解決はイゾルデという女性によってなされている

楽譜(A)でたどり着いたロ長調。トリスタンの死によって彼の追い求めた愛は憧憬でも欲求でもなくなり、天空に姿を結ぶのです。800px-tizian_041

この筆舌に尽くし難いほど感動的なエンディングは不倫がバレてチューリヒを追われ行き着いたヴェネチアのフラーリ聖堂の祭壇画、「アスンタは聖母ではない。愛の清めを受けたイゾルデだ」と言ったティツィアーノの『聖母被昇天』(左)のイメージだったのではないでしょうか。

ロ長調の終結について、僕は以前ブログにしており、ご覧いただいた方もおられると思います。

バーンスタイン「ウエストサイド・ストーリー」再論

そこに書きましたようにハ長調は自然、ロ長調は人間界をあらわし、ウエストサイドとツァラトストゥラにその隠喩があることを指摘しましたが、実はその元祖は第1幕がハ長調、第3幕がロ長調で終わるトリスタンなのです(注)。この2つの終結は、彼の言葉通り、天界の聖母を人間界のイゾルデに引き下ろしたのだと解しております。

(注)ちなみに第2幕終結は傷を負ったトリスタンの死を暗示するニ短調

さて、この楽劇がなぜ男の牙城なのか。それは男なら言葉は不要、しかし女性に教えようとすると言葉で表わすしかなく、お下品なポルノまがいになってしまうからなのです。

それは前奏曲のエンディングから29小節前で何がおきているか?から始まる長い長い物語(時間)で、ワーグナー自身が媚薬にうなされマティルデとの逢瀬のうちに見た白昼夢だったのではないか?そこには船に乗ってやってくるイゾルデを待つワーグナーがいたのではないか??「愛の二重唱」はクライマックス寸前で待ったがかかり、運命の「おあずけ」にあって苦悶する彼をとうとう解き放ってくれたのはイゾルデだった、そこで何がおきたのか?

男性諸賢はわかっていただけると信じますが、これは只の悲しい男のさがの描写ではない(かなり写実的ではあるが)、後に現実に他人の妻を寝取ってしまった男の書いたものなのだということです。トリスタンを初演したのがコジマを寝取られたハンス・フォン・ビューローであり、ワーグナー自身が昇天したのがかつて『聖母被昇天』に心を吸い寄せられたヴェネチアであったというのも因縁を感じさせますね。

女には教えない方がいいものは僕にはありませんが、しかれども、この楽劇の男の体感目線をエレガントに女性に説明する筆力は僕にはございません。イゾルデはプリマではなく女神、観音様に見えるのであって、トリスタンは多少へぼでもよし、イゾルデがどうか?で僕のこの楽劇への評価は決まるのです。

私はあなたに、このオペラがこれまでの音楽全般の頂点に位置しているということを断言いたします。(ハンス・フォン・ビューロー、雑誌編集長あて書簡)

Tristan  was the “central work of all music history”.(Leonard Bernstein)

まったく同感であります。これを聴いて、ドビッシーのペレアスがどうこの世に生を受けたかがわかるのです。そこで男たちの、王国の運命をひきずりまわすメリザンドはイゾルデの末裔とうつります。

イゾルデ歌手の好みですが、これは趣味の問題なので自分で選ぶしかありません。代表的なところで個人的には、フルトヴェングラー盤のフラグスタートは可、カラヤン盤のデルネシュは重くて不可、ベーム盤、ショルティ盤の二ルソンは霊長類最強は認めるが剛腕すぎ、クライバー盤のM・プライスは好みなんですがこの役にはきれい・かわいいすぎ、ですね。

Singer as Brunnhilde

 

結論です。バーンスタイン盤のヒルデガルト・ベーレンス。僕のイゾルデはこの人をおいてありません。どこといって抜群ではないのですが、まず立ち姿がいいんでね、そのままの声が出てます。ドラマティコにはどうも感じない知性と品格がありますね、この人、その世界でまったくきいたことない法学部卒ですから親近感も覚えてしまいますね。そしてなにより声ですね、高音が澄んで強いけれどもピュアで伸びがいい。オケとぴたっと音程が合う瞬間は恍惚感を覚えるほどだ。

41nhjw9nhmlバーンスタイン盤は日本では不人気の部類でしょう。テンポが遅くてついていけないという。僕も始めは驚き、そう思っていたのですがだんだんわかってきました。この音楽に絶対のテンポはないのです。なにせ白昼夢ですからね、解決しない和音は移行への磁力がないですし、歌手陣、劇場、オケージョンという上演現場の条件によって可変的と思います。これとペレアスだけは音楽全般において異例の存在なのです。

これは1981年にミュンヘンで演奏会形式で3幕を別々の晩に上演した記録で、そこにバーンスタインの深い思い入れを感じます。トリスタンは全ての音楽の中心にあると看破し、ハ長調ーロ長調の対立をウエストサイド・ストーリーに持ち込んだ作曲家の眼からの指揮であり、だからこそ、この作品への全身全霊をかけた敬意と愛情を感じずにはいられません。同じものを共有する僕として、ひょんな処で共感を覚え、そうか、なるほど、だからこのテンポなのかと膝を打つことしきりです。

このトシになってわかったことですね。ベーレンスの絶対の女神、観音様ぶりにバーンスタインも心服した感動の「愛の死」は必聴です。遅いのではなく、これは時が止まっているのです。死をもって愛が成就する、それを感じることがトリスタンを心に取り込むことで、ビデオを見ると最後の「解決」で指揮台で小さくジャンプまでしているバーンスタインの発するオーラがそれを容易に感じさせてくれます。

僕が聴いた名演奏家たち (ヒルデガルト・ベーレンス)

ドビッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」

見事なトリスタンとイゾルデ!(読響定期)

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち(ピエール・ブーレーズ追悼)

2017 JAN 5 0:00:22 am by 東 賢太郎

Pierre Boulez (1968)かつて経験したオーケストラ演奏会で最も完成度が高かったのは、群を抜いてこれであります。今後もこれに類するものに接することはよもや望めないだろうという確信はその日からあり、23年たった今もかわることはありません。

1994年初めのことです。このコンサートを知るや、空路フランクフルトからベルリンに直行するという決断は一瞬の迷いもなく電光石火のごとく訪れました。この奇跡のような経験の記録を、かつてダフニスの稿でもふれましたが、昨年の1月5日に逝去したピエール・ブーレーズの思い出として、そして心からの追悼として、あらためて本タイトルのもとに書いておきたいと思います。

ラヴェル バレエ音楽「ダフニスとクロエ」

ブーレーズは晩年にウィーンフィルとブルックナーを演奏しました。そうして欧州のキリスト教文化の深い精神世界に分け入っていることを聴衆に伝えましたが、その彼がル・マルトー・サン・メートルの作曲家でもあること、この連立方程式に解があるというのが感性ではいかようにも量り難く、それでもそれは事実としてあるのだから、西洋音楽には僕の理解できていないディメンションが在ることを認めねばならないという思いに長く駈られてまいりました。

僕はキリスト教徒ではないですが、神の存在は信じます。合理的精神から、そうでなくては宇宙の森羅万象が説明できないように思うからです。聖書の言葉を介さずともそれをshould、sollenと解し思考を突き動かす磁力が心に働くのでキリスト教世界観は漠然と感知できているつもりなのですが、畢竟そんな安易なものではなく、これを知るには理性の力ばかりでは足らず経験をともなった悟り(enlightment)が必要なのだと解釈をしております。

250px-helianthus_whorlブーレーズの音楽に合理的精神を読み取るのは容易でしょう。それが音楽の干物にならないことに先の「解」が存在するのであって、あたかもFn + 2 = Fn + Fn + 1 (n ≧ 0)というフィボナッチ数列が螺旋状に並んでいるヒマワリの種(右)の螺旋の数の中に潜んでいるがごとき自然の調和が干物への堕落から救っているというように思えるのです。

彼は自作に潜む「調和の数列」を開示せず、それを詮索されることも嫌いました。それが神の意志として聞く人間に美の作用をもたらすことを信じ、その作曲プロセスにおいて徹底的に合理的であったわけです。その意味で神、それは僕が存在を信じる神であるわけですが、その使徒として存在した彼の意識がブルックナーに共振しても不可思議ではない、むしろブルックナーというのはそういう音楽なのであろうと僕は理解しております。

そのブーレーズのラヴェルがあれほど劇的に美しい、あの日あの時、ベルリンのフィルハーモニーに満ちた空気の中で奇跡のような完璧さとエロスが神々しい光を放って僕の眼前に広々と存在したというのは、「ダフニスとクロエ」のスコアにはラヴェルが渾身の力で封じ込めた神性のようなものが宿っておって、それを空間に解き放つ秘法を彼が知得していたということに他ならないのではないかと思えるのです。51euu90shnl-_sx318_bo1204203200_

そんなことを考えるのは、ハーバード・メディカル・スクールの脳神経外科医エベン・アレグザンダー医師の興味深い著書(右)に、彼自身の臨死体験として『言葉や地上的概念を超越して、「あなたは完全に愛されている」という“事実”が伝わってくる』とあったのにどきっとして、というのはおもわずあの時のダフニスに陶然として意識が宙を彷徨っていた経験をなぜか反射的に思い浮かべたからなのです。完全に愛されている不安のない自分?これが僕の知らなかった、経験をともなった悟り(enlightment)なんじゃないかと。

弘法大師が洞窟で祈祷していると海の向こうから火の玉が飛んできて口に入った、と大師様は自らの神性の由来を述べたと伝わっている、そんな馬鹿げた空想をと笑う前に、空海にしてもモーゼにしてもイエスにしてもブッダにしてもアラーにしても、超人的感性と理性を具有した彼らは「何か」を見てしまい、悟ってしまい、それを凡俗の民に教え伝えるために予言や聖書や経典を方便としたのではないか。アダムとイヴや林檎や蛇は無知凡俗の経験的理解の及ぶ比喩であり、喩え話こそが彼らの悟りを自分と同じ姿かたちをした登場人物によるわかりやすいストーリーとして人間世界に具象化する最善のツールだったのではないか。

それは、とりもなおさず、宗教の開祖として彼らが超人であったというあまねく敷衍されている主張としてではなく、宗教と定義されている布教行為の本質こそ実はそういうものであって、この世にはのちに教祖と呼ばれることになった彼らを人生を通して駆り立てつづけたもの、つまり、その「何か」が存在するのだという主張において意味を成す考えだと僕は理解しております。

boulez

 

ブーレーズが悟ったもの。それがダフニスのスコアという具象を通じて心に入ってくるという感覚。それはひそやかに打ち震える弦の囁きだったり、エマニュエル・パユの金粉をまき散らすようなフルートの飛翔だったりするのですが、僕の知っているあのクールに理知的なラヴェルというよりも、それはすべての人類を愛で包みこむオブラートのような、光のエーテルのような未知のものであったのです。

 

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前半のストラヴィンスキー「管楽器のための交響曲」がドビッシーの追悼であり、交響詩「ナイチンゲールの歌」は作曲時期が三大バレエ作曲の前後にまたがるという意味でR・コルサコフからドビッシーへとモデルが変転する中で作風も変わるという、彼の脳内で時々刻々新しい大爆発が起きていた、しかもそれを猛烈な勢いでアウトプットできる才に恵まれたことを刻印した曲です。これもそういう風に朧に響き渡りました。

 

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僕がブーレーズに負う種々のものは実に大きく多彩であって、空海の火の玉みたいに口から突き抜けて脳髄を直撃してくれたのであって、それによって僕は高校時代にクラシック音楽にひかれ、経験的悟りの端緒を得ることができたと信じて今に至っております。精神の波長を共有できた気がしており、駿台予備校の数学教師であられた根岸世雄先生と世の中で只の二人だけ、精神的負債を感じる偉人であります。

 

 

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クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

______僕が聴いた名演奏家たち (27)

 

 

 

 

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僕が聴いた名演奏家たち(ユーディ・メニューイン)

2017 JAN 4 12:12:25 pm by 東 賢太郎

menuhin2前々稿にユーディ・メニューイン(Yehudi Menuhin, 1916- 1999)の名を書きませんでした。なぜかというと、彼のリサイタルを聴いたのですが、このブログに書いたとおり(クラシック徒然草-ダボス会議とメニューイン-)、「84年の2,3月はMBAが取れるかどうかの期末試験で心ここに在らず」という事態。音楽についてほとんど覚えておらず、探しましたが日記も残っていないからです。

menuhin1悲しい自己弁護になりますが、MBAというのは詐称するには最もおすすめできない学歴で、Mというのはマスター(修士)のMなんで、気絶するほど難しい期末試験に卒論も必要なんで、2年修了のこの頃は言葉のハンディのない米国人でも死に物狂いで、僕ごときなど「心ここに在らず」どころか失神寸前だったのです。

メニューインが「オール・スター・フォーラム」でフィラデルフィアに来たのが運悪く1984年2月8日水曜日、ちょうどその時期でした。平日の夜8時からというのも学生にはまずかったですね。

menuhinプログラムです。ヘンデルのソナタ、ブラームスのソナタ3番、バッハのパルティータ3番、休憩、ドビッシーのソナタ、ブロッホのバール・シェムから第2曲(即興)、ドビッシー亜麻色の髪の乙女、ブラームスのハンガリー舞曲第5,10番でした(ピア二ストはPaul Coker)。ちなみによくご覧になるとわかりますがドビッシーはSonata No.3となっていて、まあケアレスミスなんですがね、欧州ではこんなの考えられないんで。聞いてる方も大概にソナタは1曲しかないなんて知らないだろうということを前提としてのアバウトな精神に起因するチョンボなのか、ひょっとして書いた方も思いっきり知らないのか、いずれにしろ校正ぐらいしろよですね演奏家に失礼だし。こういうところで僕は米国の文化的教養レベルを思いっきりなめてましたね、当時。

しかしこっちだってヴァイオリン・リサイタルはこれが初めてで、ここにある曲は、今思うとこんなのアンコールピースだろ、そんなの書くなよという亜麻色とハンガリー舞曲以外は当時どれひとつとして耳では知らなかったでしょう。バッハだけいい曲だなと思ってほっとしたのですが、それも何か書けるほどの記憶はありません。つまり、メニューインという名前で買っただけで偉そうなこと言えない場違いな観客だったわけですね。

ということで本稿は「僕が聴いた」じゃなくて、「行った」ですね正確には、せっかくお読みいただいてるのにすいませんが行ったことだけ覚えてる。しかしもし家で勉強なんかしていたら33年前のあの日に何をしたかなんて確実に消えてますからメニューインのおかげで一日だけ思い出が増えて良かった、そういうことでした。

Bruno Walter und Yehudin Menuhinその時の彼の姿と顔だけは記憶にあって、それがダボスで蘇ったのです。教室で彼は演壇の横の椅子に座ったままスピーチして、僕は真ん前の最前列で3mぐらいのところで聞いてましたが、まったくポエムのような不思議な気分でした。それは20世紀を代表するヴァイオリニストとしてのメニューインじゃなく、左の写真ようにブルーノ・ワルターだったりフルトヴェングラーだったりと時代を共有した人としてで、なにか歴史上の人物に会ったような感じ、なにせあのバルトークに無伴奏ヴァイオリン・ソナタを書かせた人物なんだということでした。

 

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

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心斎橋「鶴林 よしだ」のお節

2017 JAN 4 0:00:02 am by 東 賢太郎

海外で証券会社の拠点長というと接待が仕事のようなもので、それを3つもやってますから洋物と中華はとにかくうまいとされるものは食いつくしています。おかげで腹が出ましたが、僕の星は「食神」でその職は大いに向いていたといえるでしょう。

しかし好みというのは仕方ないもので、「うまいとされるもの」がうまいかどうかはものによるんですね。高きゃいいってもんでもないのです。ワインがそうですが、怖くて書けないようなのをたくさん飲んでますが「うまいとされるもの」はこういう味だと知っていれば世間で恥はかかないということですね、個人的にはもっと安くてうまいものを探すのが休日の楽しみでした。

海外16年ですから、その間は和食のいいのは望めません。飢えてる分だけ舌が敏感だったんでしょうか、お客さんと日本の企業訪問トリップや一時帰国などで和食の奥深さを知ったところがあります。とくに魚の味をです。こんな贅沢なものはないと思ったし、いまでもそれは変わってません。

和の食文化というと東西あって、もちろん細かく言えば各地方や県でまたあるのですが、こと正月のお節料理でいうと関西の方がうまいと思うのです。出汁のとりかたなのか醤油のちがいなのか塩分の具合なのか、そういう塩梅を総合した繊細な旨みや食感のセンスという点で一日の長がある気がいたします。

それは大阪に2年半いた若いころから感じていて、もちろん当時の安月給でいいものなどほとんど食してないのですが、味のセンスというのはどんなものでも光るものがあって、食い倒れですからね、そうでないと生きられないという職人魂を見てました。京都もいいが大阪もいい。

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そういうことで、心斎橋の割烹・小料理「鶴林 よしだ」さんのお節は今年で4年目でしょうか、いままでのどれよりも満足度が高くリピーターとなっておる次第です。

 

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31品とも個性と主張があるのに味が出しゃばらない。写真右下、一乃重の「筋子海鮮漬柚子釜盛」などどうしてこうなるのかというほど絶品で、味のハーモニーは芸術品と評したいものです。全品そのレベルですが。

 

ただ、唯一関西の弱みは小肌がないことなのですね。これは僕には甚だ遺憾である。ないことはないが、弱いのです。そこで親父も来るし今年は銀座の新太郎さんにお願いして寿司ネタを頂いて、蛸、鮑、車海老、玉子も適度にあえてもらって、これまたけっこうなもので、まさにありがたい正月でございました。両店とも機会あれば足を運ばれることをおすすめいたします。

 
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僕が聴いた名演奏家たち(ルドルフ・ゼルキン)

2017 JAN 3 2:02:25 am by 東 賢太郎

rudolf_serkin_1962c敬愛するルドルフ・ゼルキン(Rudolf Serkin, 1903 – 1991)を聴けたのはたった一度だけ、1983年12月4日にフィラデルフィアのアカデミー・オブ・ミュージックで大家を呼んでやるリサイタルシリーズ「オール・スター・フォーラム」に彼が登場したときでした。

寒い日でした。この東海岸の街は冷え込むと零下20度なんてこともあり、自宅のアパートから教室まで歩いてたった5分の道のりなのに顔も手も凍えて固まってしまい、しゃべれないわ鉛筆は持てないわで往生したこともあります。

serkin1ゼルキンが20世紀を代表するドイツ音楽の大家であることは周知でしょう。ボヘミア生まれのユダヤ系ロシア人で、12歳でウィーン・フィルと共演した天才少年であり作曲ではアーノルド・シェーンベルクの弟子でした。

個人的にはとりわけ楽友だったジョージ・セルとのブラームスのあの素晴らしい2つの協奏曲のレコードの演奏家としてすでに「神」の存在でした。LPを浪人中の74年に買って何度くり返し聴いたことか!特に大好きな2番は彼のピアノで曲を覚えたのであって、これに励まされて勉強したものでした。

「彼のレコードで曲(チャイコの5番)を覚えたんです」と楽屋の警護を突破してオーマンディーと会った話を書きましたが、この日曜日もその勢いでした。寒空の下をどれほど興奮して妻とホールに向かったかご想像いただけるでしょうか。

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これが当日のプログラムです。ハイドンのソナタ50番、ベートーベンの月光ソナタ、休憩、シューベルトの楽興の時、ベートーベンの熱情です。舞台に現れた80才のゼルキンはブラームスの剛毅な打鍵から想像していたよりも細身のおじいちゃんでした。背中はまっすぐで杖もついておらず、やはり80と少しだったカラヤンやヨッフムやヴァントやペルルミュテールは歩くのも危ない感じでしたから体躯はしっかりしていました。

 

そしていよいよ始まった演奏。スタインウエイのクリアで透明でクリスタルのようなタッチが美しいハイドンに耳がくぎ付けになります。ルバートを交えながらの自家薬籠中の月光はレコードでおなじみの旋律を際立たせる強いタッチも健在で堪能させてくれました。ただ終楽章の指の回りはやや乱れがあったのです。シューベルトはあまり覚えてません。

そしていよいよ熱情ソナタです。これが全身全霊のパッションに満ちた力演となります。第1楽章後半で少々ミスタッチもあり指が疲れてきたようにもみえました。第2楽章を経て終楽章に至るまでにその感じはますます強くなりますがテンポを落とすことなく突入。しかし展開部で指は回らず僕はいよいよ危ないなと思い、最後まで行けるかとはらはらしだしたのです。

ご案内の通りコーダでテンポは一段とギアアップしますが、驚いたことにここをお約束通りの快速で突入!指はもうついてこず、ミスタッチなどものともせず鍵盤をなでるように高速ですっ飛ばして無事に最後の和音に終結しました。ベートーベンとの壮絶な格闘です。手は衰えようと、彼は心の耳に従ったのです。満場が熱狂し大拍手で讃えたのは言うまでもありません。この演奏は僕の数ある鑑賞歴の中でも一つの事件となりました。

アンコールはもちろん無し。我々聴衆ができることといえば、お疲れ様、早くお休みくださいと感動と感謝に満ちた暖かい拍手を老ゼルキンに懸命に送り続けることしかなかったのです。あんな雰囲気というのは今に至るまで経験がありません。ゼルキンもそれを察したのでしょう、満足した笑顔で深い礼をして静かに舞台を去りました。それが彼を見た最後になりました。

ベートーベンへの敬意なくしてあのような演奏は考えられませんし、それあって彼は20世紀を代表するベートーベン弾きとして敬意をもたれたのだということを知りました。これ以来、僕は表面だけ綺麗に整える演奏に共感することは一切なくなりました。頭を殴られたような衝撃で、音楽を演奏する行為というものの凄みを教わってアカデミーをあとにしました。聴き手として大人にしていただきましたね、楽屋に行くことは控えましたがゼルキンのベートーベンとブラームスは今も「神」であり続けている、これで十分。感謝あるのみです。

(補遺、13 June17)

米国でFM放送からエアチェックしたもので、本稿のベートーベンの3か月前のニューヨークでのライブ演奏です。テクニックという意味では本文に書いたことを裏づけるようで、それをふまえたクーベリックの遅めのテンポ設定だったかも知れません。

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

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