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モーツァルト都市伝説

2017 APR 13 13:13:09 pm by 東 賢太郎

モーツァルトが三大交響曲を生前に演奏した確実な記録はなく、しかしされなかったと断定する根拠もない。一般に、なかったという不存在証明は困難とされ、だから犯罪の立件は被疑者が自らやってないと証明するのでなく、やったという客観的証拠を必要とするのである。彼の音楽は人を惹きつける、ゆえに、存在証明がないが不存在証明もないという理由で多くの「都市伝説」を生んでいる。サリエリによる暗殺説が、絶対になかったと証明できない安全地帯において大輪の花を咲かせてしまうのである。

モーツァルトは父との手紙の頻繁なやり取りで作品の作曲時期、動機、演奏時期などに信頼性の高い存在証明が豊富な作曲家であり、そのためウィーンに出てきてから1787年までは種々の推論が比較的容易といえる。ところがその年に父が亡くなって手紙は途絶え、存在証明が一気に枯渇するのである。そこから死ぬまでの4年間にまつわるモーツァルト・ストーリーは、論拠が状況証拠という脆弱さから完全に自由なものはひとつもない。

彼の人生はシンプルに言えば「フィガロ」を初演した1786年までが上り坂、それ以降が下り坂である。幸福度と作品の質をY軸としX軸を年次とする二本のグラフを作れば、そこまでの順相関が急に逆相関になる。そして質のグラフが頂点となる「魔笛」の直後に若死にして幸福度のグラフはゼロに着地するさまは異様ですらある。ところがその原因を探る論拠である存在証明はほぼ幸福度のピークから激減するのであり、そこまできれいに見えていた映画に急にモザイクを入れられた様相を呈するのである。

このパラドックスは、簡単に見える難しい代数の問題の如しだ。最後の4年の謎を解く鍵がない以上、万人が不存在の論拠を何らかで補完している。例えば88年から始まるプフベルク書簡で借金を嘆願しているから彼は貧乏だったと推論するわけだ。

しかしその年に始まったトルコ戦争の戦費調達でハプスブルグが乱発したグルデンという紙幣は金や外貨との交換価値が大幅に下落した。グルデンは1785年の紙幣発行許可で発行された7種類の札があるウィーン市銀行券である。銀兌換券であったが銀の金への交換比率は銀の生産量増加とメキシコ銀貨の流入で下がっていた。それを輪転機で刷りまくったのだからインフレになるのは自明であり、その通貨で借金するのはむしろ賢明である。

彼はフィガロハウスに住んだ幸福度ピーク時の消費生活は終生変えられなかったが出費は多額でも多くはグルデン紙幣建てだ。それをグルデンの借入れで回せばインフレ禍は避けられ、資産は現物(動産)で持てば紙幣建ての価値は暴騰する。共産時代のソ連ではマルボロのほうが紙幣より信用があった。僕が訪問したインフレ300%時代のブラジルでは小金持ちは小型トラックをインフレヘッジのため争って買っていた。これと似た「二重経済」状態が当時のウィーンでは発生していたのである。

彼が高級家具、銀器、高級な衣装、馬車、ビリヤード台などを所有していたのはハプスブルグ域外で交換価値があり、従ってローカルな戦時インフレへの耐性がある動産に換えて資産保有するという二重経済下での合理的な行動である。15回も借金に応じたプフベルクはフリーメーソンの「兄弟」でロッジの会計係をしていた富裕な織物商で、貿易用のハードカレンシー(マリア・テレジア銀貨=タラー銀貨)の銀含有率に対し国内決済用のクロイツァー貨(=1/60グルデン)のそれが戦費調達で着々と減っているのを当然知っていた。

父の遺産の競売で相続した千グルデンは姉のナンネルにプフベルクに送れと指示しており、彼によって一任勘定で運用されていたとすると辻褄が合う。プフベルクは預託資産を担保に金を貸すことができる。しかも借金の礼としてピアノ三重奏曲K542、ディベルティメントK563を書いてもらっており、持っていても大幅減価が確定のグルデンを高いうちに貸して恩を売り、仮に返済されなくても価値ある楽曲という動産に替えた(買った)ことになるという計算が成り立っ。プフベルクはモーツァルトの音楽を愛したメーソンの「兄弟」ではあったが、特別に寛大ないい人であったと解釈するいわれはない。

モーツァルトはケチで細かく金に厳しいウルトラ現実派の父親との長年にわたる演奏旅行で、そこに為替差益と金融収益が生まれることを少年時代から実学で学んでいた人だ。貴族や出版社からグルデン紙幣で代金前借りや低利の借金を重ねて負債によりバランスシートを膨らませ、海外に演奏旅行してハードカレンシーを稼ぎそれを動産に替えて資産形成するメカニズムは完璧に理解していた。作品目録を作ったのは自作の盗用に対抗するという著作権なき時代の資産防衛という側面もあろう。財産形成と管理に関して非常に執着のあるしっかり者であった。

プフベルク書簡の借金嘆願の文面はたしかに痛々しいが、担保金融とはいえ借金には違いない。それはグルデン建ての生活資金(運転資金)を回すのに動産やハードカレンシーを取り崩さないための短期負債でインフレ防衛策でもあり、その利得を熟知していながら飲んでくれる(貸し手は損)プフベルクに頭を下げるのは当然のことだ。1790年のフランクフルト旅行費用を「5%の金利」で富豪ラッケンバッヒャーからの千グルデン(約1千万円)の借金でまかなっているが、これがタラー銀貨建てであった記録が残っているのは注目だ。

グルデン(クロイツァー)は外国である当地で通用しないか交換レートの大幅割引になったからそれは当然に必要だった。しかし当時のウィーンの市中金利は預金4%、貸出5%である。年収を25%も上回る額のタラー建て借入がその5%で得られたのは銀食器の担保力だけでなくプフベルクの信用供与があった可能性を示唆する。預託資産という絶対の担保力がありながら書いた「痛々しい手紙」はプフベルクが融資斡旋をする場面で債務者の窮状を説明するプレゼンの道具立てだったと考える。

彼はプフベルクから受けた1415フローリン(=グルデン)の借金を返済せずに死んだが、父の遺産千帝国グルデンは紙幣でなく銀貨であり利子を入れてほぼ同額だからプフベルクに損はなく、だから未亡人コンスタンツェを助ける融資までできたのである。しかもモーツァルトはクラリネット奏者のシュタードラーに500グルデンの債権が未回収で残っていた。借金嘆願は彼に資産がなく貧乏だったからでも何でもないのである。

「モーツァルトの最後の4年の謎を解く鍵がない以上、万人が不存在の論拠を何らかで補完している」と書いたが、経済や為替の市場原理に疎い人が「不存在の論拠」を誤った所に見出し「彼は貧乏だった」と推論する。そしてそれが面白おかしいモーツァルト都市伝説の巨大なジャングルを育ててしまうのである。そのほとんどは腑に落ちない。音楽の天才だからお金に疎かったというならブラジルで小型トラックを買った賢明な主婦を浪費家と呼ばなくてはならないだろう。

金融で生きてきた僕の目で見てモーツァルトの金銭感覚は鋭敏で合理的だった。彼が唯一見誤ったのは、ロンドンへ楽旅をしてポンドという最強のハードカレンシーを得ることの甚大な経済的マグニチュードだ。ロンドンでハイドンは宮仕え30年分を上回る報酬をもらい、帰国して大邸宅を建てた。彼の対抗馬で弟子でもあったプレイエルはストラスブールに帰るとお城を買い、パリに出て後にショパンが愛用することになるプレイエルピアノ製造会社を起業するのである。

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルトの父親であるということ

 

 
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