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本当の友達とは何か?

2018 JUN 6 8:08:38 am by 東 賢太郎

こだわるということについて、ある人と話をした。

こだわっているものとそうでないものとの間の落差が自分より大きいという性質の人は今のところあまり知らない。僕の御三家は野球、クラシック音楽、猫であるが、例えば猫好きにおいて、猫はなんでもいい子猫はかわいいということはまったくない訳で、品評会に出る手のものは全部嫌いであり、なんでもジャレつく子猫はつまらない。こちらから相手をお願いしたいという猫であるのはけっこうナローパス(narrow path、道が狭い、難しい)であって、普通の猫好きとネコ愛を語り合うのは稀だ。

野球はバッテリー間で起こることだけに興味があるので、内外野の守備がどうしたとか走塁がうまいへたとかスライディングの技術がどうのとかはアメフトの話に近い。だから投手を見に行くわけだが、これまた好みはナローパスだ。体格やフォームではなくストレートの球質、スピード、変化球の質、コントロール、性格、攻め口、スタミナという部分に細かいクライテリアをもって観ているのであり、なかなか普通の野球ファンに説明するのは難しい。

クラシックはこだわりの音源で著作権クレームがなかったものをyoutubeにupしてみた。ブーレーズのダフニスに米国人の方からコメントが入って、この演奏への深い愛情が語られた。ディヴィスの戴冠ミサ、アンセルメの火の鳥もしかりだ。とてもうれしいが、アクセス数の少なさから本家本元の欧米でも予想以上にニッチな趣味ということも分かった。つまり人生の時間のかなりを占めた御三家において世の中との関心や交流の共有がナローパスということは、僕は変なことに傾注して生きてきた、地球上でかなり孤独な種族に属した人間であることに他ならない。

だから普通には「ご趣味は?」となれば「音楽鑑賞です」「野球観戦です」でお茶を濁すだろうし「猫と遊ぶことです」などはそれ自体が危なく聞こえるから言わないに越したことはない。それ以上語るということは99.9%の初対面の人にとっては宇宙人ですと懺悔されたに等しく、長いものに巻かれ少数派をいじめる日本では秘匿されるべき性癖みたいにさえ思えていた。長らく自分の趣味が他人とは一切交錯しないことを変だと思ってきたし、一介のサラリーマンとして宴会芸などを強いられる立場だったころにそういうことをカミングアウトする勇気など到底持ち得なかった。

たぶんほとんどの人は同じように心の中で自分はあそこがちょっと変だとか劣っているとか思っていて、絶対に他人に見せたくない部分を持っている。しかし本当に変だし劣るものであったとしてもそれはそれであって、世界に同じ人は二人といない。その不安やもやもやは他人と比べるから生じるのであって、誰であれ世界でオンリーワンという価値においては他人など関係ないのだから、それを自分が認めてあげて堂々と生きればよい。

そう考えるようになったのは、こだわり御三家において、これはかなり変だ、こんなので絶対に友達はできないと諦めてからだが、幸か不幸か僕は他人と色覚が違うという素地があった。これはもう科学的に決定的に見えている世界が世間様と違うのだから、どんな変なものにこだわって生きようが誤差みたいなものである。それで社会生活で困ったことも競争に負けたこともないから色覚異常と差別されている方は自信を持ってほしいし、趣味ぐらいがどうあろうと、もっとどうでもいいことなのである。

しかしでは友達が作れるのかという本題に入るとなると、もう少し語るべき重要なことがある。友達とは何か?である。結論を先に書こう、困ったときに助けてくれる人が友達に他ならないと僕は確信している。それ以外は趣味が合おうといい奴だろうと、実はなんでもないし、友達であるならば普通とか親友というグレードもない。助けてくれる人は、それ以外の部分がどうあろうと、性格がどんなに合わなくても、友達なのだ。日本だけのことではない、遠い英国でもそう考える人生の達人がいたからA friend in need is a friend indeedという諺ができた。

助けるというのは何がしかの愛情がないとできない。もちろんそれが人類愛かもしれないし、何らかの打算も含まれたものかもしれない。しかしでは愛情とは何かというと、100%ピュアなものは母親が子にそそぐものしかない。母はこの世に一人しかいないのだから、それ以外の場合、ピューリタンになること自体がナンセンスなのである。つまり、助けなくてもいいのに助けてもらったことは愛情表現なのであり、それは真摯に受け止めて、なんとかお返ししようと真剣に考えるに足る、いやむしろそうしていかないと人生は何のためにあったかわからないという結末に至ってしまうような性質のものなのだ。

ということは、こだわり御三家で分かり合う人を探す必要など毛頭ないのである。見も知らぬ他人との一瞬の心のふれあいで、自分は孤独でなかったのだと魂を慰めるのはけっして悪いことではないが、その安寧は誠に一過性のものである。そういう交わりはマイナスに落ち込んだ人生をゼロに戻す力はあっても、プラスにはしてくれない。ゼロが毎日続いたとしても、何年たってもあなたは人生の原点からテークオフすることはないのである。

むしろ、こっちが心底困ってみないとその人が友達かどうかは実はわからないという「深淵なる事実」に突き当たることこそが重要だ。まるで良くできたミステリーの結末であるかのごとく予想外の真犯人が浮かび上がったりもする、そういう経験をしていくと英語の諺の涙ぐましいほど人生の本質を突いた含意がじわっと体にしみてくる。そう言う僕だって、これを悟ったのは本当に困ることだらけだった、ほんのここ10年足らずの事なのだ。そして、それを悟った今、僕はそれの忠実なしもべとなって生きている。

短い人生、友達以外の人とつきあう時間はあまり残っていない。それは社交であって、定年後の夫婦が参加する紅葉狩りやら秘湯巡りやらで親睦を深めましょうとか、そういう困ってしまうことのまずない表面的おつきあいの場で友達が見つかる可能性は限りなくゼロに近いだろう。ただの何でもないサラリーマンだった僕がホテル・ニューオータニにオフィスを構えられたのも、ひとえに真の友達が何人かいたからだ。この人達が困ったときは今度は僕がどんなに骨を折っても助けるということになる。

こういう関係を築こうという人にとってfacebookで何万人のオトモダチができようとおそらく助けにはならないはことはご想像いただけるだろうか。拙ブログさえ毎日5千、総計184万の人の訪問があったことになってるがそんな実感はまるでないし、これが1億人になったところで困ったときの救い手が現れるアラジンの魔法のランプになる保証はない。友達というのはネット空間のフェイクではない、恋人と同じほどすぐれて生々しくリアルなものなのであって、フェイクに課金してあたかもリアルかのような錯覚を売るビジネスに洗脳されるとますます友達はできなくなる。

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Categories:自分について, 若者に教えたいこと

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