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ストラヴィンスキー「春の祭典」の聴き比べ(その2)

2018 JUN 8 1:01:48 am by 東 賢太郎

ネコは解毒なのか時々雑草を食べて悪いものを吐き出すが、僕にとって「春の祭典」はそういうものだ。精神の解毒にこれほど手軽な薬はない。高3で野球を辞めてさあ受験だとなったが、運動ロスになりしっくりこない。そこで勉強に向けて気分高揚させてくれた向精神薬がこの曲だった。

後にアメリカへ行ってみてウォール・ストリートは、とくに切った張ったの勝負に明け暮れるトレーダー系の人間は、けっこう薬漬けでヤバいらしいことを知った。頭をシャープに保つためらしいが、幸いそんな危ない橋を渡らずとも僕には春の祭典がある。朝にこれをガンガン聴く。30分ちょっと。じわじわと脳に血流が増す。それで臨戦態勢オッケーである。

ロンドン時代は早朝出勤なので車で通ったが、朝のカセットは祭典とベートーベンの運命だった。大音量でドドーンと鳴らし、同乗者はのけぞったが戦闘準備だからやめるわけにいかない。英国での生活はストラヴィンスキーとベートーベンが支えていたといえる。

高校時代に戻る。何度も書いたが、この曲の初体験はブーレーズだ。あれにあのタイミングで出会わなかったらその後の人生はきっと違っていた。しかし彼のアプローチは怜悧でミクロ視点型で、脳トレにはいいが受験の軍艦マーチ役には不適である。そこでそれを務めたのが小澤征爾とシカゴ交響楽団のいけてるバージョンだった。

小澤盤は購入した4枚目の祭典のレコードだ。マルケヴィッチ、メータの次である。メータはちょっと軽いと思ったがこれは一発で気に入った。まるでロックじゃないか。いけいけどんどんの気分になって受験は全部受かると思ったが東大はあっさり落ちた。

いま聴きなおすと、そんなこんなの甘酸っぱいものがこみあげてくる青春のアルバムだ。青春といったって野球部だ、長髪のフォークの皆さんの仲間入りする柄じゃない。そこで一気にこんな変な曲に行っちゃったら女の子との話題なんか皆無。もてた記憶はぜんぜんなしだ。

その先が駿台だ。女っ気はさらになく、むしろ競争相手としてどうしても勝てなかったある女性(駿台で有名人)を意識していた。唯一のチャンスは公開模試で数学が満点で全国7番の時だったがあちらは2番だった。某省に入られたのでそれが理由で官僚にリスペクトを持つようになったという絶大な方だ

その頃のとりとめもない記憶が小澤盤から蘇る。当時日本人がシカゴ交響楽団を振るなど事件だ。それなのにオケが本気になってるばかりかティンパニが聞きなれぬ版で小澤色全開である。後に留学して思い知ったことだが、駿台の彼女もそうだが、人の凄さは自分が戦った経験を通じてわかる。

当時、ステレオ録音のテクノロジー進化が目覚ましく、大編成の近代音楽やマーラーは高解像かつ高ダイナミックレンジ再生のプレゼンの素材として制作側にも顧客側にも人気が出つつある時期だった。エスニックものである春の祭典はRCAの小澤(東洋人、CSO)で1968年、Deccaのメータ(インド人、LAPO)で69年8月、それに対抗してCBSは69年にクリーヴランド管の首席客演指揮者で本丸のフランス人であるブーレーズを満を持してぶつけることになったのだろう。

それにしてもブーレーズ以前にこの手の内に入った快演は凄い。批判的に見れば変拍子がわかりやすく整理されすぎ、玄人の耳を捉える細部もないが、小澤の意図は一貫してストラヴィンスキーの革命的なリズムとビートを生命力をもって描ききることにある。原始の宗教儀式にリズムの数的秩序があることをブーレーズは論文で明らかにしたが、小澤は彼より早く、より分かりやすい方法でそれを音で体感させた。第1部の終曲、第2部いけにえの踊りがこんな形でハイドンやベートーベンのアレグロみたいに鳴ったケースはないだろう。

この演奏がブーレーズCBS盤の地位をおびやかすことはないだろう。しかしこれを書いたストラヴィンスキーも30才前後であり、この曲だけは大家が振ればいいというものではない。海千山千のシカゴ響メンバーが33才の若い「気」に当たって、もぎたてのレモンのような感性に戻って成し遂げてしまった一期一会の記録である。

 

 

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Categories:______ストラヴィンスキー

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