自分の血について
2018 NOV 16 23:23:44 pm by 東 賢太郎
従兄が亡くなった。68才は早すぎだ。母方のいとこは12人で男は4人しかいなかったのに・・・。彼は建築士で、高校はサッカー、大学はボートの好男子だった。子供の時遊んでもらったし、昨年母の四十九日で献杯の辞を頂いたばかりだ。ショックというかまだぴんと来ていない。安らかにお眠りください。
こうして親戚一同で故人をしのぶたびに、血縁ってなんなのだろうと感じ入る。
僕が自分のルーツに興味を持ったのは、従兄の父上が家族史を私家本に書き残してくれたからだ。それがなければわからなくなっていた。未完だったそれを伊那と長崎まで行って完成する旅は探偵になったようにエキサイティングで、叔父の遺志を継いでそれを今度は子孫に残そうと考えたのがSMCを始める動機にもなった。
まあ先祖がどうあれ人生には何ら関係ない。幸せは自分で切り開くしかないし。
告別式の会食ではそう思いながら、従姉が幼少に住んでいた、とんでもなく大きかったらしい大森の洋館の回想をきいていた。やはりそこに居たお袋が婚礼の日に花嫁衣裳を着て式場へ向かった様子も生き生きと語られて嬉しかった。
姉さんは幼稚園で箸の使い方も弁当の食べ方もわからず親が呼ばれた人だ。母にいたっては嫁に出るまでそうだった。そういえば自分も弁当がだめで苦手だったなあと思い当たる節がある。今でもはっきり覚えてる。炒り玉子と鶏肉のそぼろとインゲンのきれいな3色弁当で、それなのに食べるのがあまりに遅くてタイムオーバーになり、半分も残して持ち帰って母に渡すのが苦痛だった。
みな夜型で朝がダメで猫好きでやさしくて病気の傾向も似ている。やっぱり遺伝子はあると納得するしかない。そしてこの母方の話を聞くと、どこが父方から来たかまでわかる。商人系の母方に大学教授や学者はいない。しかも地域でいうと東京、京都、能登半島、信州伊那谷そして長崎の混合だ。だから僕はどれがルーツというより、ヨーロッパ人みたいに混血したブレンド種であることに個性とプライドを感じている。
そう開き直ると、自分の趣味がどう変わっていようと変な人に見られようと、そりゃあそのどっかから来たんだ、こんなに色んなところなんだよ、ひとつにまとまるわけないじゃん、だから仕方ないでしょという口実になる。あんまりいないから相手はわけわからないし、言ってる本人だってそうだからどんな馬鹿なことをしでかしても仕方ないですむというご利益があるのである。でも最近は京都、能登、長崎の血が濃いのかなという気がしてきてもいる。美意識は京都、オタクは能登、情熱は長崎とすると僕という人間の8割は説明できるからだ。
実際に行ってみて、びびっと何やら電気が走ったのはやはりその3つだ。東京は日常だし、先祖の石碑なんかがある伊那は意外にそうでもなかった。そういう直感に僕は忠実に生きてきて今があるのだからそう思うしかない。先祖を大切にする、親族は仲良くする。これは血に忠実に生きるということだ。従兄の年ぐらいは生きたいが何が起こるかは誰もわからない。だから血の命じるものに無理して逆らっていまさら良いことがあるとも思えない。無理は若いころ10人分もしたし、もう毎日を楽しんで自然と体、心が赴くままに生きていこうと従兄の前で誓った。
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