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諸法無我

2017 JUL 16 20:20:29 pm by 東 賢太郎

四十九日の法要が昨日無事に終わりました。それまでは飲酒、歌舞音曲は無用と決め、ナパ・バレーのテースティングだけ許してもらいましたが仏前で決めたことを守りました。折悪しくその前日になった大学のクラス会も出席はしましたがここで飲んだら意味ないので二次会は失礼しました。

法要後に会食をさせてもらった国立駅前のいとこの店、バー&グリル 「マギーメイ」は40年以上になるから老舗でしょう。ここでやっと禁酒を解き、妹の孫のちびちゃんたち入れて親族21名とがやがや気持ちよく酔わせてもらいました。

皆さんにブログ「うまくやってね」のプリントと家系図を配布。伊那、長崎、諫早へ足を運んで調べたファミリーヒストリーをいとこ世代で共有しました。この結束こそ母が強く望んでいたことで、それを果たして喪主の役目を終えました。

お坊様が言われた「諸法無我」、一切のものは刻々変化していて「私」という存在も常に変化する。感心したのは仏教は相対性理論でもあり、観察するものが世の中だという量子力学でもあるようだということです。玉のように転がっている人生が曲線を描いて変化しても、私の視点ではいつも直線だ。深いですね。

この49日で私という絶対のものは消えました。人生は因果というどうしようもない力が働いて右に左に動いている視点から見た日々の景色にすぎず、いささかも観察者である私の意志で直線的に進んでいるものではない。親がいなくなるなんてことはそう解釈しないと納得できません。仏教の出発点は「一切皆苦(人生は思い通りにならない)」だそうで、そう考えてもはずれてはいないでしょう。

僕は人生で「強く願えばなんとかなる」という実体験を比較的多く積んできた気がします。願わないとやらないのだからそこに一応の因果はあるのですが、うまくいったのはたまたま別の因果でそうなっただけかもしれない。ということは次もそうなるかどうかはわからないしただの慢心かもしれない。私を消すとは、そう思うことです。

そういう心持になると、あらゆる現象に一喜一憂することなく心が安定するそうです。いわゆる泰然自若の大人(たいじん)に近づけるということかな。しかし僕は大人になりたいわけではなく、スポーツの経験から、結果を願ったり力を入れたりしないほうが結果が良いことを学んだので人生もそうかもしれないというコンテクストでお坊様の説法をうかがったのです。

しかしです、メリットを考えるようじゃあ無我とはいえない。まだ欲があります。修業がいりますね。スポーツはフォームが良ければ勝手にうまくいく、これは真実です。では人生で良いフォームとは何だろう?

 

やさしいおじさんになったつもり

 

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