読響のマーラー6番にぎりぎり間に合った日
2026 SEP 16 1:01:25 am by 東 賢太郎
第661回定期演奏会
2026 9. 8〈火〉 19:00 サントリーホール
指揮=ユライ・ヴァルチュハ
マーラー:交響曲第6番 イ短調「悲劇的」
韓国から帰ってきた次の日のことだ。 4日も不在だったツケが回ってきて午後に重たいオンライン・ミーティングが2つ入り、ついで神山先生の予約も入っていたものだから急いで鍼を打ってもらってサントリーホールに向かった。時間がきわどい。途中で地下鉄を断念したのは、六本木1丁目という南北線の駅がメトロでは孤島のようなものであり、どう行っても大回りになるからタクシーを拾ったからだ。残念ながら救いにならず、インターコンチの入り口に着くとちょうど開演の7時になっていた。ついてないな、諦めよう。思えば昨日も成田エクスプレスは発車ベル寸前に飛び乗ったのであり、悪いことは続くものだとうらめしかった。せっかく着いたのでいちおうホールのゲートまで階段を登ってみると7時2分である。すると、やや遠くから僕を見とめた係員の男性が「オーケストラが入場中です、大丈夫です」と傘をスタンドに収めて手際よく鍵をくれ、小走りに先導してくれすんでのところで着席することができた。
プログラムを開くとマーラー6番だ。この曲、意図してチケットを買ったことはたぶん初回の一度しかないが、何度かは実演を聞いておりこのオケは2度目だ。今の席は音響が良く第1楽章は文句無しに楽しめた。オケは気合が入っており名の知らない指揮者もなかなかのようである。しかしこの曲において毎度のことなのだが、だんだん何を聞いているのかわからなくなってくる。右脳に切り替わらず左脳で聞いてしまうらしい。音楽であれアートであれこうした文章であれ、何かを生み出すという作業はそこに伝えたい思いがある。マーラーの場合、交響曲第1番という作品は 20代の青年のそれが痛いほどわかっていつも胸打たれる真の愛好曲だ。ちなみにリヒャルト・シュトラウスは僕にとってそれがわかりにくい最右翼のひとりで、ゴージャスな音響と見事に計算された起承転結に説きふせられ、薔薇騎士など何度聞いても世にも素晴らしいものに接したという感動は残るのだが、しかし何が彼のメッセージだったかはいつも迷う。
ツァラトストラは例外的に思想を描いたものだからましだが、アルプス交響曲を比較的好きなのは僕がスイスに2年半住み、しこたまアルプスの山々を歩いたからであり、おそらく彼はそうしたヨーロッパ人だけが聞く前提で書いたのであって、そうでない今時の世になって観光旅行以上の何を意味するのだろう。彼は英雄の生き様だろうが家庭争議だろうが、もしもしその気になればカブトムシの喧嘩や明日の天気予報だって音楽でリアルに描くことができたろうという天才だ。だから彼なくして映画音楽やディズニー・ミュージックは違うものになっていたと確信するし、ブラームスのドイツレクイエムが終わったときのような心の有りようが訪れてくる事は千回体験してもないことも確信できる。ディズニーはどんなに巧妙精緻なオーケストレーションで書かれてもディズニーなのだ。
マーラーの伝記など読めるものは読んでいるからどんな人物だったかということについて一応の想像はついている(ただしすべての伝記というものは少なからずその人物のひとかどのファンが書いているので、最小限のディスカウントファクターを置かなくてはいけないことは心得るべきだろう)。マーラーが描こうとしているものはRシュトラウスと違い、常に自分自身だ。シュトラウスは対象物に自己を投入して見せたり没入してしまったりすることはない真のエンジニアであり、ドイツの職業的親方を意味するマイスターだ。彼らは修理を依頼されたポルシェのエンジンの性能に自己を投入して感動したりはしない。かたやマーラーの対象物はその時々の局面において変容していく愛しい自分自身だ。投入、没入どころかどろどろにそれそのものである。彼は究極のナルシストであり、それも人間、生活者としての自分ではなく、故郷がない人間として生まれながら野心をもって音楽界で地位も富も女性も望むなりに得てウィーン国立歌劇場の音楽監督まで出世を遂げ、作曲技法においても天賦の才の命ずるがままに熟達していく自分を第三者目線で描いたという絵に描いたようなドッペルゲンガー的人物である。したがって「マーラーを聴く」ということは彼が比定して見せた第三者なるものに大真面目に自らを化体してなりきることにほかならず、残念ながら僕にはその能力が乏しく、サントリーホールにはそれのある人が溢れかえっているのを目にして畏敬しかない。
マーラーにおける自身の描写は微に入り細を穿ち、和声、対位法のみならずイマジネーションを喚起する打楽器の使用や原色的なオーケストレーションも駆使される。それは解像度を上げるためというよりも、その刹那にそれを選択した彼をも解像度高く描きだそうという重層的な試みなのである。 6番においてカウベルはもとより、専門用語で何と呼ぶのかうんうんうんコントラバスがバルトークピッチカードではなく弓で指板をひっぱたいたり、バスドラの皮面を摩ったりと特異な音響が聞こえ、ハンマーをドカンと振り下ろすという類のない指示がなされているのは周知の通り。それらが作曲当時の彼の心象風景を描写するに必須だったことに何の異論もないが、僕にとって問題はその描く対象の方なのだ。チャイコフスキーは悲愴交響曲を書いて自死してしまったのだから遺書としての重みは無限大だ。スコアを冷静にひも解くとそうとしか思えない符帳が散りばめられており(それは初期のブログに書いてある)、自殺説を採る故にそう見えるのではなく、仮に死ぬ気はなく結果としてそうなってしまったにせよ(その可能性はある)、どうだわかるか、だから俺はこれを書いたのだと気づかせたい、死を迫られた同性愛者の倒錯した心の傷跡は見られるのであり、彼が元は葬式の楽器だったトロンボーンを弱音で吹かせ、最後にそっと鳴らす不吉な銅鑼をさすがにあざといと感じながらも、あのすさまじいG線のヴァイオリンが一斉にすすり泣きを始めると、もう心を鷲づかみにされてしまう。申し訳ないがトーブラッハでハイキングを楽しみながら書いたマーラー6番は、職業作曲家としての産みの苦しみと、与えられてしまった才能が突き上げる旺盛な創作意欲との葛藤を近くで目撃していた奥方アルマがなんと回想しようがそんな深みはない。アンダンテとスケルツォの順や、当初は5発だったハンマーが2発か3発かはまったく些末なことで、初演ないしはリハーサルを聴いたリヒャルト・シュトラウスが「初めがいちばん強く、終わりがいちばん弱い。逆にした方が効果的なのに、なぜでしょうな」とアルマに語ったと伝わるが、これはエンジニアとしての素朴な疑問であったか、僕はこっちの可能性の方が高いと思うが、僕同様にハンマーは阿保らしいと思った皮肉のコーテシーを込めた表現であったと思う。
ちなみにハンマーは何を叩いているのか知らないがアイデアほど大した音はしないので銅鑼をグワーン!でよかったのではないかと思わないでもないが、悲愴交響曲のようにピアニシモで叩いて死を暗示するならともかく全力でいってしまうとチャイナを連想させるので忌避したのだろうか。この日のハンマーはいつになくスリムであり、かつて見た巨大なものでも聴衆に衝撃を与えるほどは聞こえないのだから、マーラーという自己評価の高い男に運命の一撃(2回だが)を与えるにしては打撃音は甚だ頼りない。しかしマーラーにとって、音はどうあれ運命を打ち砕く物体はハンマーでなくてはならず、この日の演奏は作曲家の意図をアイコン化し、奏者が立ち上がって聴衆に見えるように振り上げて身構え、さあ皆さんいきますよと物体の姿かたちを背景にくっきりと浮かび上がらせ、しばし静止までして印象づけるという工夫をしていたように見えた。
それやこれやで終楽章は没入できぬ和声の金管合奏を経て(これも悲愴と一緒)取ってつけたようなイ短調のコードで終わるが、以上を書いたことすべてを踏まえながら、どう努力しても彼が大真面目に意図したであろう悲しみに共感するに至る能力が僕には与えられていないことを痛感するしかない。読響定期が再度これをやらない限り二度と聞くことはないだろう。マーラーはニューヨークフィルで1909年に悲愴交響曲を指揮している。6番を書いた1904年には、1893年に初演され作曲家の死と共に楽界の話題をさらったそれを研究していたと考えるのが証明する文献はないものの大人の常識だろう。チャイコフスキーが自作をニューヨークで演奏するための楽旅の途中に着想した(いったんはピアノ協奏曲第3番になってしまうが)言い伝えが、同じく大西洋を渡ることになった自らの身の上にダブルフォーカスされ、ニューヨークでの演目に加えたに違いないと僕は思っている。しかし彼がその域に接近することに成功したのは6番ではなく、まさに悲愴を指揮したその1909年、「9番目の交響曲」のアナロジーに怯えつつ書き、結局自分で演奏することなくあの世へ旅だった交響曲第9番ニ長調だった。
今年は我が母校でもある成城管弦楽団のトランペット奏者だったK君と終演後に食事しながら音楽談議に花を咲かせている。オケ団員の話は勉強になる。マーラーは大嫌いだったが、昨今は年をとり見方が変わってきた気がするなんて他愛ない話をするわけだがやっぱり今もって好きというには至らない。マーラーの能力と知性には敬意しかないが、どうしても6番はだめだということがわかったのがこの日だった。 7時2分に入場させてくださった係の方に心より御礼を申し上げたい。
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