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ドヴォルザーク 弦楽セレナード ホ長調 Op.22

2026 AUG 19 6:06:30 am by 東 賢太郎

専門性を持った人が同時代の同業をどう評価するかはなかなか難しい。モーツァルトはほとんど褒めない。ベンダやプレイエルを持ち上げているが、それを後世の耳は共有していないのだから音楽の技量だけでない評価もあったかもしれない。注目すべきは不遇のパリ旅行からの帰路で寄ったストラスブール大聖堂の楽長、フランツ・クサヴァー・リヒターの宗教曲を「悪くない」とした父への手紙だ。僕は同意できるが皆様はいかがだろうか。

ブラームスはというと、是々非々の人だ。ワーグナー、ブルックナーと対立したことになっているがそれは取り巻きの政治が混在した話であって、彼自身はマイスタージンガーを高評価しており、Sym7、8、テ・デウムのスコアを持っていたし、ヨハン・シュトラウス2世も買っていた。中でもドヴォルザークは格別で、遺産の相続人にしようと考えたほどの推し活ぶりであった。その背景はここに詳しいが、ブラームス 「ドイツ・レクイエム」作品45 (その5)、「民族、宗教の厚い障壁を越え、両人が根源的共感に至ったことと切り離して考えられないことは、ヨハネスと芸術観を共有する中産階級出身のクララ・シューマン、ヨーゼフ・ヨアヒムが、ヨハネスの激賞にさっぱり反応しなかったことに見て取れる」という点に彼の是々非々ぶりを見る。

Antonín Leopold Dvořák

2人の馴れ初めは「1874年、ウィーンに出てきてオーストリア政府の国家奨学金に応募した33歳のスラブ人を、ウイーン楽友協会の音楽監督で審査員だったブラームスは楽界に紹介し激賞する」ことで始まったが、今回注目したいのは申請作品の一つ「弦楽セレナード ホ長調 Op.22(B.52)」の扱いだ。ドヴォルザーク本人も自信満々なうえ、審査員ブラームスはドヴォルザーク推しであり、作品としても客観的に優れている証拠に、現代でこれを知らないクラシック好きはいない。ところが、非常に不思議なことに、ブラームスはOp.22につき一言もコメントを発しても残してもいないのだ。同じく応募作の「モラヴィア二重唱曲B.60・B.62」を激賞してジムロック社に出版を推薦する手紙が残っている事実から、審査員としての立場上控えたわけではない。謎としか言いようがないではないか。

僕は謎は解きたくなる習性がある。そこで長年、暇を見ては英語の文献を読みあさってみたが、コメントはない。チェコ語ではあるのかと思っていたが、昨今はAIがそれも解決してくれる。やはりないのである。「言わなかった」という不作為に故意はなく偶然だという謎解きが「悪魔の証明」という理屈で正当化され得る。誰もそれは崩せないので論文にはならない。モーツァルトのジュピターとハイドン98番の問題を論じた時も、ハイドンはそれにつき何も語っていないので「偶然の相似だろう」という反論を論破できない。だから僕はプレトークの舞台で「素人だからできるんです」と申しあげた。素人だから論稿が浅いとは思わないが、状況証拠で容疑者を死刑にすることもできないのだ。

Op.22の謎を解きたい動機は、僕はこの曲が大好きだからだ。はち切れるような春の喜びと希望に満ち、生きる力を与えてくれる曲である。大管弦楽の爆発やファンファーレで鼓舞するのではなく、ストリングスだけでふんわりと柔らかく、内側から徐々に温めてくれるので幸せの持ちがいい。どうしてOp.22がそういうオーラをまとったかというと、作曲家自身がそういう心持ちにあったからだろう。1873年に結婚し、1875年に第1回奨学金400グルデン(200万円ぐらい)を受けた直後の作品である。貧しかった彼に天恵だったことは5月3~14日のわずか12日間で Op.22を完成したことで分かる。結局彼は5年連続で総額2,300グルデン(1,200万円ほど)を得て人生が変わったが、その転機になった曲なのだから格別の気に満ちていても不思議ではないだろう。

一方のブラームスは1876年に難産だった交響曲第1番をついに完成、初演する。ウィーンには10年住みすでに地位を確立していた。ドヴォルザークを発見したことで自分の楽界デビューにおけるシューマンの役を演じたのではないか。シューマンにはクララという理解者はいたが、作曲家としての真の後継者の出現に歓喜し激賞した。同じ思いを抱ける若者がついに現れた喜びはいかばかりだったろう。ジムロック社に出版推薦をした作品は「モラヴィア二重唱曲B.60・B.62」である(1877年12月12日)。出版譜(写真が表紙)は好評であり、同社は後に更なる成功作「スラヴ舞曲」Op.46も出版しており、新進作曲家のオリジナリティーを生かすチェコ路線であること、家庭で演奏もでき実用性があること、という商業性を重んじたブラームスの推薦は筋の通ったもので、これがOp.22でなかったことに不合理はない。

《モラヴィア二重唱曲B.60・B.62》

では弦楽セレナードはどう扱われたのか。 1875年(第1回目)の受給後に作曲されたのだから楽譜が提出されたのは第2~4回であり、第2回は証拠資料がなく、第3に含まれていないことは確証があり、以下の行政記録から第4回であったことがわかる。

① ドヴォルザーク本人の申請(1877年7月26日)
→ ② 添付作品にOp. 22
→ ③ ウィーンの音楽部門による審査(1877年11月30日)
→ ④ 600グルデン支給決定

ここで重要な事実がある。ドヴォルザークは1875年の時点でOp. 22をウィーン楽友協会へ提出していることだ。奨学金申請ではなく友人のヴィオラ奏者アロイス・ブフタを介して楽譜を送り、ハンス・リヒターも好意的に評価したがウィーン初演は実現しなかったという経緯があったのだ。シューベルトもハ長調交響曲(ザ・グレート)を楽友協会に献呈・受理されており、自身の中ではそれに匹敵する、コンクールを回避するほどの自信作であったゆえの行動だ。そこで、「ドヴォルザークはこのセレナードを非常に高く評価していた(筆者注・が楽友協会に受理されなかったので)1877年、4回目の国家奨学金申請にそれを “添付” した」(Anton Dvorak National Musium)という顛末になったのである。つまり、Op. 22は1877年の奨学金のために作曲されたものではない。ブラームスがコメントを残していない事情はここにあるという主張は一理あるだろう。

パーヴォ・ヤルヴィ/ チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

なぜ提出時期にこだわるかというと、ブラームスがOp. 22を見たことと、自身の交響曲第2番ニ長調Op.73の作曲とに関連があるのではないかと考えているからだ。Op.73は1877年6月から10月ごろまでの約4か月間で成立したと考えられている。個人的な感想を述べさせて頂けば、Op. 22はブラームスを驚嘆させてしかるべき作品である。以下、そう考える理由を、楽譜に基づき実証的に述べてみたい。すぐれて是々非々の人であるブラームスの思考と判断を推察するにはそれが最も説得力を持つと考えるからである。

Op. 22を作曲した1975年時点でドヴォルザークは交響曲4番まで書いていた。そのどれもがブラームス作品と比較するに及ばないことは衆目の一致するところだろう。そこで彼は賢明な判断としてセレナードを選ぶ。ブラームス自身の管弦楽での出世作がそれであったことも意識にあったかもしれないが、頑強なソナタ形式による楽章のロジカルな構築、主題の彫琢と展開というブラームスのお家芸は避け、溢れ出る魅力的な楽想をおおよそA-B-Aのシンプルな形式で5つの楽章として提示し、トータルな充足感において弦5部だけでシンフォニーに勝るとも劣らぬ傑作を産み出したのである。 19世紀からドヴォルザークの作品に対しては深みに欠ける、哲学的論理的思考が欠如するとの批判が繰り返しなされてきた。僕もどちらかといえばそちら側の人間であった時間が長い。しかし何度鑑賞しても飽きることのないOp. 22を知るにつけ、余人を寄せつけぬ楽想の泉はベートーベンもブラームスも、これができぬゆえにあの道を行くしかなかったと思わされる異能であることに気づいた。いみじくもブラームスはアイロニーを込めて語った、あいつが屑籠に捨てた楽譜から交響曲が書ける。

第1楽章 ホ長調

ドレミファの4音だけで心が和むVn2とVaの主題(もうここから天才だ)。ところが、Vn1がオクターブ高く乗ると(下の譜面の2小節目)やおら和声の迷宮に入り込む。

迷宮をコードで記述するとこうなる。

E-C#m-B-G#m-Em-Gdim-G#m-C#7-F#m-B7-E7-A7-F#-E-Em-F#-F#7-|B7-G#dim-B7-G#dim-|A/b-G#m-A/b-G#m-|B7—–

この驚くべきプログレッションをブラームスが無感情で見逃したなどという意見があればそれこそ屑籠に捨てるべきだ。耳が慣れぬ人にとっては一瞬の陽の翳りからまた陽光が戻る感じがするかもしれない。迷宮が最後B7に落ち着いてから2小節がEに回帰するブリッジになるところ、もうため息が出るほど美しい。ドレミファだけでできているジュピター主題。そして異形であるのはドン、ドンと大砲2弾に発する主役の主題があれよあれよとしぼんで暗雲たちこめるエロイカだ。序奏ならいざ知らず、明快に確保されたアレグロ・コン・ブリオの長調主題が直ちに減和音に陥る例は古典派には極めて異例で、音の表面づらは全く違うがドヴォルザークも第1楽章第1主題で同じことをしている。すなわちモーツァルトもベートーベンもここにいる。ラファエル・クーベリックだけがB7-E7-A7のバスをmfで弾かせるのは奥義を心得ている。途中でエグモントov.が聞こえるのもベートーベンを印象づける。

第2楽章 嬰ハ短調

自身のSym8 Mov3を予見する楽章だ。中間部は変ニ長調(嬰ハ長調の異名同音音階)。主題が長調で10度でハモって進行するところはブラームス風である。ふっとホ長調の木漏れ日がさす転調も魔法のような強烈な個性。

第3楽章 ヘ長調

冒頭のタンタラタンタンはハイドンSym104 Mov1から(それはジュピターMov4結尾から)。Bar5のミーレドーシラーソファーミはブラームスSym1 Mov3(注)。Bar120からはJ.Sバッハ3声のインヴェンションNo.5変ホ長調(わかる方は上級者。ブラームスは当然わかった)。

(注)ブラームスSym1初演はカールスルーエで1876年に行われドヴォルザークがそれを聴いていない事は確実だ。従って4回目申請の1877年7月26日までにSym1のスコアを閲覧し、1975年原典版にはなかったBar5を付加した可能性を指摘したい。

第4楽章 イ長調

モーツァルトのクラリネット五重奏Mov1の和声を思わせる(Ⅵで体言止め)。ラフマニノフPC3番Mov2の開始部が酷似。中間部BからAに回帰するブリッジはMov1冒頭のそれ(B7)である。

第5楽章 嬰ヘ短調

弱起の開始はトリッチ・トラッチ・ポルカなど。そのタターが導くBar87からは明らかに「ウィーンの森の物語」の第1ワルツ(タターはMov3のA部分の背景に印象的に登場している)。全楽章に対位法によるコントラスト、リズム分割が駆使され技法的にエロイカMov1を意識か。この曲をウィーン楽友協会へ提出し、気に入ってもらうべく意趣が凝らされている。終盤で第4楽章が回想され、さらに第1楽章冒頭が回想され、幸福感が円環形に保持される。ソナタ形式でない形式論理のインテリジェントな試行である。

結論

以上の第1~5楽章での指摘事項のいくつか、特に第1楽章の迷宮はブラームスを驚嘆させた。同時にOp. 22のウィーン楽友協会への抜け駆け的な献呈はオーストリア政府の国家奨学金制度の権威と意義を損ないかねず、体制側の重鎮であるブラームスにとって認め難い行為であった。ボヘミア出身の貧しい青年に体制側のコンプライアンス意識はなく、自信と経済的焦燥感ゆえの勇み足であった。自身も貧しい出自であるブラームスは、そのことをもって青年のエントリーを却下することはできず、むしろ譜面を調べることによりその才能に惹かれることになり、詭弁として「Op. 22は献呈を目的としたもので申請作品とは認めない」スタンスを取った。エントリーされていない添付作品だから、コメントは必然としてないのである。

ただ、仮にそうした事情がないとしても、彼がコメントを避けた(Op. 22を無視して見せた)可能性を僕は否定しない。というより、むしろこちらの可能性の方が高いかもしれないと思っている。彼はシューマンのようにストレートに良いものを良いと言わない性格の人だ(ある意味、ひねくれ者)。父親と裁判で戦って好きな女性を奪い取るような勇気はなく、むしろ本当に好きな女性に言い寄って拒絶されて傷つくのを恐れるため、あえて冷たい態度をとって突き放してみせるような人だ(だからアガーテにばっさりとふられたのである)。はっきり言ってしまうと彼女に女々しい男と思われたのである。その性格であるから、調べれば調べるほど気になってしまったOp. 22にあえて冷たい態度をとって興味がないように装ったのではないかという仮説には一定の信憑性を感じてしまう。あくまで直感であり、Op. 22のスコアを調べた実証的アプローチの結論ではある。

彼はドヴォルザークの才能に惚れたに違いない。なぜならドイツにおいて彼の後継者たりうる才能の持ち主には出会わなかったからだ。ドヴォルザークは元来はワーグナー信奉者だった。それがブラームスに感化されたことによりシンフォニストの道を目指すようになった。ただ彼はブラームスと違いオペラも書ける人だ。旋律の才があるからどんな音楽でも書ける。ブラームスのドイツ保守本流の流儀で、おそらく彼の書いた交響曲の中でベストである7番を書くと、彼はスラブ魂を失わぬまま、自分流儀でインターナショナルなセンスの音楽を作るようになった。やっぱりブラームスは孤独だった。

最後にOp. 22の推薦盤だ。ハンス・シュミット・イッセルシュテット / NDR交響楽団の演奏。室内オケでなく常設で気心知れた管弦楽団の弦セクション。ドイツ色丸出しだが指揮が緩急強弱の勘所をとらえていて懐が深い。

万人にお勧めできるのがこれ。ネヴィル・マリナー / アカデミー室内管弦楽団にとってこれは十八番であり間然する所無し。素晴らしくうまいことはユーチューブに数多あるほかの演奏と聞き比べれば誰もが納得だろう。指揮は余計なことをせずスコアのあるべき姿を過不足なく淡々と描き出す。英国の良心。それだけで幸せになれるこの説得力。いかに良く書けているかとスコアを拝みたくなる。最高の演奏とは曲が何であれそういうものだ。

なんと大作曲家ペンデレツキ先生も同好の士だったとは!熱い演奏です。伝わってきますね、いかにこの曲を愛してるか。なにやらブラームスが指揮してるみたいに見えてきました。

僕が聴いた名演奏家たち(クシシュトフ・ペンデレツキ)

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