英語ディベート6時間の雑感
2025 OCT 2 8:08:03 am by 東 賢太郎
米国の友人Hが来た。4時から1時間の予定が議論が白熱し、ニューオータニkato’sで夕食になって気がついたら10時である。こうやっていつも閉店までなのを店も心得てくれてる。ウルトラ元気な男で鉄砲玉みたいな英語がとぎれることなしだ。話題はもちろんビジネスにつきる。
半年ぶりぐらいだが「顔が変わった。肌のツヤも全然違う」としげしげ小生を眺める。「スキンケア?そんなもん俺がするわけないだろ、体重も変わってないよ」「アンチエージングしたか」「ああNMN注射な。でもだいぶ前だ」「ステムセル(幹細胞)がいいよ。トランプもバイデンも打ってる。自分は55歳だがバイオ年齢は36歳だ」とスマホの血液データ分析を見せる。僕は確かに元気は元気だ。月2回お世話になっているセラピストのYさんも「筋肉が柔らかくなってます、プロとして断言できます」という。そういや先週も終了後に「ありがと、3イニングぐらい投げられそうな気がするね」と高校時代に戻ってたし。
というわけで誰も古希は信じない。自分も忘れてて時々書類の年齢欄に60歳と書きそうになる。仕事が立て込んで徹夜に近い日もあったがなんのことはない全然翌日もOK。大学時代、徹マンの翌日もこの程度の感じだった。親に感謝するしかないが、視力も裸眼で1.2あるし、何年か前のコロナ入院と、崖から落ちたのと、神保町で転んで右手の親指を怪我したの以外、体は何らの異変もない。これは20年間飲み続けている神山先生の漢方薬のおかげ以外に理由は考えつかない。
問題は頭だ。身の回りの物忘れや人の名前が出てこないみたいのはたくさんある。でも鉄砲玉の英語ディベートを6時間やっても回転は大丈夫だ、こいつはまぎれもないウォートン・スクールで2年鍛えてもらった成果だ。野球で毎日皇居一周してたので今でも難なく5キロぐらいは走れるが、それと同じで、アメリカMBA留学ってのはアスリートに近い頭の筋トレだったと思う。10代、20代の皆さんは頭も体も死ぬほど自分を追い込んで鍛えまくっておくことです。その年代しかできません。一生の財産になるし必ず仕事でも人生でもメンタルにもあなたを助けてくれる強みになると思いますよ。
Hはものすごいガッツの塊ですべてに前向きで頭も回る奴で、こっちもアドレナリンがどんどん出てくる。頑固だが知らないことを教えると謙虚に学ぶ、その姿勢がとてもいい。こっちもアメリカの最新事情は教わることばかりで、ディベートの中からビジネスチャンスがのぞいてくる。僕はこういう奴が好きだし奴もそうなんだろう、話が途切れることなくこのままだと10時間でも何時間でも行きそうだ。大学時代に気の合う連中と夜中まで、あるいは朝まで語り合ってたあれを思い出したりする。つくづく思うが、日本人にこういう奴はほとんどいない。少なくとも僕は知らない。そんなにたくさんは会ってないアメリカや中国にはゴロゴロいる。だから時価総額百兆円もの新興企業が出てくるんだ。
日本は財務省の緊縮財政で30年間を失ったとみんなが口を揃えて言うが、そればかりじゃないよ、やっぱりビジネスをゼロから起こしてでかくするという情熱とかアンビションとか、そういうのがさっぱりなくなっちゃってる気がする。だから、これから世界を変える生成AIの波に完全に乗り遅れちゃった、これは致命的だ。ロスジェネとか言って傷をなめあってる場合じゃない、雨はあなただけじゃなく全員に降るからチャンスはどんな世の中でも資本主義国なら常にある。そこで勝ち抜いても生成AIに職業を奪われるのが確実な未来だ。ほんとうに傷をなめあってる場合じゃない。政府が金をばら撒いたらGDPが増える、そんな紋切り型の経済学で経済成長なんか持続できるわけないでしょ、成長は資本の成長からくるんです、政治や行政なんか関係ありません、それができる人材こそが国を引っ張るエリートである。そういう人材が昭和はまだそこそこはいたから日本は経済大国になったんです。続々と出てこないとそれこそ日本はダメになるよ。
僕に年齢はない。たぶん体が朽ち果てるまで寝ても覚めてもそういうことばっかり考えてる。ワーカホリックと言う勿れ、モーツァルトだってベートーベンだって毎日音楽の事ばっかり考えていたでしょ。人に使われると労働者になっちゃう。それじゃ人生つまんない。自分で起業してビジネスを創造する、これはクリエイターの喜びである。MBAは何の専門家でもない。経済学も会計学も経営学も数学も統計学も法律も証券分析もマーケティングもプレゼンスキルも、ぜーんぶがビジネスの道具にすぎない。心理学、人類学、骨相学、量子力学なんてものもその一部になったりする。それらを駆使して戦った成果は数字、つまりお金というもので評価される。運てものもあるから勝ったり負けたりはするがわかりやすいでしょ。僕にとっては麻雀や野球をやってるのとあんまり変わらないが、遊びでないので負けるわけにはいかない。この緊張感、最高のアンチエージングだ。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
気ぜわしくない土曜日の昼下がり
2025 SEP 9 10:10:13 am by 東 賢太郎
写真家のS氏と久々に飯でも食うかとなり、代沢の「韓てら」に行った。赤坂で金曜日のディナーのはずだったが大雨だったので明日にしようとなった。これが良かった。気ぜわしくない土曜日の昼下がりだ。9年ほど住んだこのあたりはなつかしい。よく息子とキャッチボールをした北沢川緑道に沿って歩くとそこに着く。当時小学生だった子供たちが歩き回ってる気がするほどに店内はすべてがそのまんまだ。あのころ、ニューヨークから帰国した翌週に9-11がおきてぞっとしたっけ。まだサラリーマンで部下120人の人事評価を書かされ疲労困憊の日々だった。会社を移ったのがそのころで、移籍先はメガバンク系だしもうそれはないだろうと思ったらまた120人だった。
評価書ってのはその人の給料、賞与はもちろん人事部のファイルにコメントが残って、人生まで左右するかもしれない。そんな文書を作るのは責任が重い。しかしそれをどうにでも書けるというのは権力を持った証でもある。うれしい人も多いだろうが僕は性に合わなかった。公平を期すため金融屋として優秀かどうかだけと割り切る。生い立ち、学歴、性格、性別、雄弁、酒豪、英語、達筆、美声、おべっか・・顔を思い浮かべればいろいろある。それを割り切って無視しないと私情が入ってしまう。38才からそんなことをしている俺は自己評価だってそうしないと人生まちがうと思ってここまで生きてきたが、そっちが正しかったかどうかは甚だあやしい。
女性の部下はあんまりいなかったから困った記憶はない。僕はフェミニストではないが実務家として女性総理、女性指揮者の賛成派だ。女性ファーストは度が過ぎると元禄のお犬様になってかえって良くない。そんなことせんでも女性は立派に経営をできる。男はそこそこの学歴で身なりが良くて弁舌さわやかであればあっさり丸をつけちまう。感性で判断する女性はそれがなく、往々にしてそれが正しい。「彼はだめね」「ちょっとあぶないわよ」。男にない嗅覚でばっさりいく。良い例が自民党両院議員総会を仕切り、実質的に首相を退陣に追い込んだ最大の功労者、有村治子だろう。立派なもんだ。東郷平八郎海軍大将、井伊大老の首級を挙げた有村次左衛門を先祖に持つだけある。腹の座り方が半端じゃない。頭脳も明晰だ。言葉がいちいち心に刺さるのには感服で将来の首相候補まちがいなしだ。なに言ってるかわけわかんねえポンコツ役者が総理?ジョークやめてけれ。反対に嗅覚も腹も頭もない可哀想な女もいる。恩人の安倍を裏切ってLGBT推進した、前にもボロカスに書いたあれだ。「それは本当の保守じゃないと思います」なんてな、おめえの保守なんてどーでもいいんだよ日本人は。弁護士かなんか知らんが真正の馬鹿だ。
ちなみに馬鹿を馬鹿というのはお耳障りが悪かろうが、文化部系の人には下品でも体育会でそんなのはなんでもない。過ちを正してくれて有難い場合すらある。基本がガリ勉の高学歴社会である金融に体育会は少なく、そんな罵声を浴びせる文化はないが、僕は体育会的社風の最右翼だった野村証券においてさえ最右翼であり、銀行系の役員になっても机ぶっ叩いて怒鳴りまくった。Sには何度も説明してるがそう見えないのか東大出の思いこみが抜けないのか、「このまえ赤門に撮影いきました」とくる。そもそも論に発展し「なっ、俺、あの門はぜんぜん愛着ねえんだ、くぐったの何回かな程度なの、法学部だから」なんて言っちまう。
ちなみに自民党税調の宮澤洋一氏が上品にだが同じ趣旨を公言し評判悪い。しかし法学部卒はほとんどがそう思ってる。というのは、明治時代から学校自体が暗にそう教育し刷り込んでる。あのキツい法学部の勉強を我慢してやって優を並べた奴が権力持つのは認めよう、俺は遊んじゃったしねで学部内はフェアなのである。それがない他学部はまったく眼中にない。ホリエモンが東大がどうとかいっても文Ⅲの話だろで俺達には関係ない。そういう所なのだ。財務省解体デモになるのは、要は、役人になめられて使われちまう政治家が馬鹿だということに尽きる。そりゃ偏差値35の大臣の話なんか俺たちが真面目に聞くわけねえだろ。
最近の政治家は小物というか、侍がいなくなって役人の劣化版みたいなのばかりだ。慶応OBの話によると石破前総理は高校のゴルフ部員だったが、スコアをごまかしたのがバレて除名になったらしい。たかがゴルフと思う方は体育会を知らない。スコアを改竄する奴ってのは人間としてクズ中のクズで、これは私見じゃない。プロは大会失格。英国の名門クラブは除名。これが世界の常識である。英国で逆切れした会員が訴訟したケースもあるほど「名誉」に関わる。「たかがゴルフ」で体育会に入ったなら元から世の中なめてるアホだったということで、つまり、学歴詐称のおばさんとおんなじ種族ということであって、誰だよこんなの総理にしたのって責任論になるレベルだ。人間の性癖ってのは治らない。放っておくとまたやる。要は、子供の遊びであろうと、前科者はまともなポストにつけちゃいけないという日本人の良識が彼のお陰で確立されるだろう。
さて、Sはというと、写真の被写体は女性が9割ぐらいだ。つまり女性の美というものを追求するうらやましい仕事である。よく知らないが広末涼子とかきっと有名なんだろうと思われる人の写真集など多々あり、間違いなくわがままであろうそういう方々やバックにいる有象無象の業界の面々と40年も仕事してきた人間観は独自の深みあるものだ。こっちも有象無象、多国籍の人々と銭金のつきあいをしてきた。だからとんでもない人間模様を見てきた共通点があって、飲むと楽しいのだ。あの女優に会いたいとか僕はそんな趣味はまるでない。波長が合う人と飲む、何より貴重な時間だ。
韓てらは東京の焼肉No1だ。たらふく食ってどっかでコーヒー飲むかとなり、Sが某喫茶店を検索し、下北沢に向かって行ってタクシーを降りるとあたりの風景に何となく勘が働いた。まてよ、ひょっとして・・・道の反対の暗い路地に入った。あった。当時に住んでた2軒目の家だった。最初のは狭かったがこれはでっかく、車庫にジャガーをとめていた。引き寄せの法則ってあるなと笑いながらよく通った寿司屋を見つけ、ここの小肌は東京No1だと教えて通りに戻ると喫茶がみつからない。しょうがない、あれ良さそうなんで行きましょうというが早いか反対側の小さい洒落た店にSが入っていった。おばさんがひとりでひっそりやってるカフェ。気に入った。「ここいいね、でも俺、ひとりで入れないんだよな」「どうしてですか」Sが怪訝な顔をする。「なんかガラでないんでね」。寂しい話だ。スタンドに女性がひとり静かにコーヒーで読書してる。ああ、いいなあ。こういうのがサラッとできる。Sはかっこいいなあと、いつもうらやましい。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
『アガスティアの葉』が予言したこと
2025 AUG 2 23:23:14 pm by 東 賢太郎
娘から夜中の12時に電話があった。なにごとかと思ったら、なんのことない、「部屋にでかいゴキブリが出たの」というSOSであり、タクシーで逃げ帰ってきた。あっとひらめいた。これ、「虫の知らせは実は深い意味がある」というシンクロニシティ現象じゃないかと。なぜかというと、その前日、気持ち悪くて忌まわしいゴキブリの話をコメント欄に思いっきり書いていたからだ。総理の「ナメられてたまるか」は国難でない | Sonar Members Club No.1
このところ、スピリチュアル、精神世界に惹かれるようになっている。たとえば運、ツキというやつだ。先日のこと、大企業のインテリ君に「ビジネスの8割は運だった」と言って「ご謙遜を」とはぐらかされた。「どんな釣り名人だって魚
がいなきゃね、だから魚群探知機がある。じゃあお客さん探知機ってあるかい?運だのみだろ」。ここまで詰め寄っても認めない。「探知は事業戦略でします」「それで利益確定?」「不確実性はあります」「それをゼロにできる?」「いえ、その努力をいくらしても残るリスクを不確実性というんです」。秀才だ、ああ言えばこう言うな。ここからは言わなかった。大企業ってね、巨大なトロール船なんだ。機械が水揚げする魚を甲板でさばくのが仕事と思って育つとこうなる。だから船ごと不確実性の暗礁に乗り上げると解決策を知らない。彼らは誰ひとり釣りはできないからだ。
以下、理屈っぽい彼に理屈をこねて教えたことだ。僕は「運」というものに有機的な実体を感じる。「不確実性」は無機質である。中身がないから数学の変数には向いてるが、「運」は実体が邪魔してなじまない。ビジネスでも賭けでもリスクとリターン、つまり不確実性と収益性は常に均衡し
ている。不均衡は「裁定」によって消える。裁定というものは損することはないから裁定(arbitrage、鞘取り)という。だから、株式取引で100万分の1秒単位でそれをして利益を “確実に” あげるアルゴリズム運用は市場を席巻するはずだ。ところが、現実はそうなってない。参加者が増えると「不均衡」という魚は減る。トロール船を持つ経費(システム構築、運営コスト)をまかなうには魚群が必要だが、魚は群れるとは限らない。売買(流動性)の少ない銘柄の不均衡は割に合わない。だから無限には増えないのだ。
AIが自己フィードバックで改善を繰り返し、人間の知能を超える瞬間、いわゆるシンギュラリティ(Singularity)はそう遠くない未来にくる。2045年といってたのが2028年説まで出てきた。それが人間の生活はおろか生存にまで関わる変化をもたらす。僕もそう思う。しかし、それは人間の理解や予測を超えた技術的な変革が起こる状態が到来するよというだけで、それが起きる分野と起きない分野の色分けが進むという意味以上に意味があるかどうかはまだわからない。一日に何千銘柄もの異なる証券が数兆円規模で電子的に取引・執行される現代の証券取引所。人類が手にした最も巨大で効率的なこの市場にアルゴリズム取引が参入して20年以上になる。それは証券会社のトレーディング部門に変革をもたらしたが、人間の頭と手で売買・運用する手法は消えていない。黒船がやってきても釣り人は消えない。世界最大の釣り人であるウォーレン・バフェット氏はCEOを辞めたが、変わらず運用収益をあげてきたことはシンギュラリティを論じるケーススタディとして意味深い。
この説明はさらに大きなことを示唆している。合理的に聞こえるが事実はそうでないという事実の存在だ。人間という非論理的な存在が関与する分野で数学は完
全なツールではなく、これはすべての経済学の永遠の壁である。裁定に不確実性はないが、裁定の利かない所には不確実性もチャンスもある。人間の介入でそのバランスが崩れると不確実性に比べ多めの収益が得られるという非合理なことがおきるのである。人間はその利益がなぜ得られたかをその刹那は知覚も解明もできないことが多く、事後的な説明の方便として「運がありました」と語るのである。その人がスピリチュアルにかぶれているわけではない。すなわち、「運」はそうした形でしか定義ができないものだが、確かに存在するものであり、それが「有機的な実体」の正体なのだ。
「運」は動的な存在でもある。いわば「放置されたタナぼた」だから見逃せばすぐ他人に食われ、ゲットするにはそれなりの速度と反射神経を要する。野球のインタビューで打者が「たまたまです」「いい所に飛んでくれました」などという。要は「運がありました」と言ってる。0.5秒で捕手のミットにおさまる速球を打者は最初の0.2秒で判断して振らなくてはいけない。ということは残りの0.3秒(6割)はバクチで振っていることになる。左の写真、イチローの目線はボールにないのをおわかりだろう。その顛末をふりかえれば、「運がありました」は正直な感想であり、経験者はこのことを体感として理解されるのではないか。
証券市場というバトルフィールドで育った僕はいまでもアタマだけは現役アスリートである。打者の空白の0.3秒なんてことはディールのプロセスのそこかしこにある。野球よりもっとある。だから本気で「ビジネスの8割は運だ」と言っているのである。去年はさっぱりだったが今年は何もしてないのに大漁だ。ということ
は「ほぼ10割が運である」というのがまぎれもない現在の体感であり、野球ならどんな投手の速球でも打ててしまうかのような気までしている。すると余裕が出るから失敗が減る。好不調の波は肉体だけでなく、こうした精神面からの作用もあるかもしれないが、ビジネスマンもアスリートもなぜ8割が10割に増えたのかまったくもってわからない。麻雀でも、何をしてもあがれない時もあればやけにペイパイが良くて何をしてもあがってしまう時がある。これを「流れ」と呼んだりする。流れが連続する確率は低いのだが、0.1%の確率であっても発生してしまえばそれはそれ。大企業の秀才クンも「もってますね」なんて形で運を認めることになる。空白の0.3秒をうまくマネージした人が、日米通算4367本の安打を打ったイチローだ。0.2秒の部分は誰もが目視できるから練習できる。メジャーで野球殿堂入りを果たしたのは、練習より才能かもしれない0.3秒のバクチ部分で彼よりうまくできる人は人類にいなかったという意味だ。我々は確率論だけで宝くじが当ったり株式投資で大儲けできるわけではないことを知っている。運は人によってあったりなかったりすることも知っている。ではその裏で増えたり減ったりしているものの正体は何だろう?これに答えた人はいない。ただ、ひとつだけ、誰もが経験的、直感的に知っていることがある。それが「波」であることだ。
まずはじめに述べたい非常に興味深いことがある。「波」(wave)というのは振動だが、「何が」という主語を物理学が問わないことだ。気体、液体、固体のどれであれ、それが振動して起こす波を「音波」(Acoustic waves)と定義するからであり、水の波まで「音」という概念を使うのには僕は違和感を覚える。ヴァイオリンの弦は張力と質量によって固有の振動(周波数)をもっており、ピタ
ゴラスは振動する弦の長さと音の関係を調べ、音が協和するときには弦の長さが整数倍になることを発見した。”音響共鳴” と呼ぶ美しい数学的調和である。音波がエネルギーを運ぶことも注目だ。ガラスには自然共鳴があるため音波によってワイングラスを割ることができ、ローマ歌劇場でゲーナ・ディミトローヴァ(ソプラノ歌手)を間近で聞いたら鼓膜にビリビリ来て身体の危機感すら覚えた。音楽による感銘には数学の美とエネルギー伝播という物理現象も関わっている。波(波動)が人間に与えるインパクトは計り知れない。
文学を見てみよう。鴨長明は方丈記を「ゆく川の流れは絶えずして」と始め、「しかももとの水にあらず」と、同じ川に見えるが同じものではないと看破している。さらに、「よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の
中にある人とすみかと、またかくの如し」と人生、歴史の波を感慨をもって俯瞰している。前者は分子論、後者は量子論に通じており、800年前にこれだけの考察をしてのけた洞察力には驚く。同時期に書かれた平家物語の「諸行無常」も、平氏が滅び源氏が勃興した盛衰の「波」だ。筆者(不詳)も鴨長明と同様にそれに感慨を覚え、多くの人をワイングラスのように自然共鳴させ現代にいたるまで伝承されてきたのだろう。揺れ動く実体(substance)が水であれ人であれヴァイオリンの弦であれ、物理的なものであれ非物理的なものであれ、「波」というものはいたる所に発生し、それが人を共鳴させて揺れ動かし、悲喜こもごもの感情を喚起し、文学や芸術を生み、人間という非論理的な存在をますます非論理的にしてきた軌跡をうかがえば、物理学の「音波」の定義は中々奥深いねと首肯すべきものかもしれない。
方丈記が書かれたのは1212年。平家物語は仁治元年(1240年)に藤原定家によって書写される以前の成立とされ、ほぼ同時期の作品だ。冒頭に書いたシンクロニシティ(意味のある偶然)は僕がゴキブリのブログを書いたら娘の部屋に出たみたいに、「複数の出来事が意味的関連をもって非因果的に同時に起きること」だ。「人間の意識は深い部分でつながっており、交流して
いる。この全人類がつながっている意識を『集合的無意識』(collective unconscious)といい、我々はそこからさまざまな影響を受けている」としたのは心理学者のカール・ユングだ。それは人間の無意識の深層に存在する、個人の経験を越えた先天的な構造領域で、二人が同時にそこにアクセスするとシンクロニシティがおきるといわれる。意識は脳波だが(意識障害は脳波で観測される)電磁波ではないからアクセスの媒体はわからないが人々は何らかの波、もしくは量子的な波で共振しており、意味のある偶然がおきる。脳は宇宙にある膨大な量の情報エネルギーの “受信器” だという説があり、そのフィールドにあるメモリーがアカシックレコードだという説もあることは後述する。占星術を傍証として取り上げたユングの『集合的無意識』の存在には僕自身が共振するものを感じる。当時は知らなかったが、チューリヒで住んでいた家がユングの診療所のすぐ近くだった偶然もシンクロニシティだったのかもしれない。
目の前にいてもいなくても、人と人との間では音響共鳴がおきている。例えば、いまブログを読んでくださっている皆様は何らかの関心を持って下さっており、僕とは快く感じ合う整数倍の波長をお持ちなのかもしれない。著者と読者の引き合いは昔から本や雑誌であったが、双方向メディアであるネットの普及がそ
れを変え、その劇的な効果は昨今の都知事選、参院選で誰も無視できなくなった。ちなみに僕にとってブログの発信というものは皆様にほめてもらおうとかお金を払ってもらおうとかいうものとは無縁で、未知の異星文明に向けてメッセージを送り、地球外生命体(E.T.)に地球文明を発見してもらおうという名作SF映画「コンタクト」のアクティブSETI計画のようなものだ。皆様を宇宙人扱い?する無礼をお詫び申し上げなくてはいけないが、実はそれがそう失礼でもないことは後述する。つまりこれは実験であり、双方向メディアだからできる。発見した最大の事実は、僕は現世的な快楽、利益より実験が好きだということだ。バロメーターはPVの数値(受信数)だ。面白いことに、「これを書こう」という衝動(こめる波動の振幅)が大きいとPVはより増える傾向があることがわかった。それはコンテンツや文章の是非という曖昧なものでなく、発信側の喜怒哀楽のパルスの強弱というそこそこ数値化できるものだ。点数が高い方が多く読まれるのだ。本や雑誌ではできないリアルタイムの検証ツールが与えられたわけだ。
パルスとは聞きなれない言葉だが、ここでは日本語で「気合い」というものだ。「気」が「合う」であり、それを入れたり入れなかったりできる。グラウンドでこの言葉でどれだけ先輩に罵倒、叱咤されたことか。「気」は、少なくとも野球場では「敵を圧する強靭な意思と集中力」だ。先輩が入れろ!と怒鳴ってるそれは呼吸だ。それを止める。どんな競技でも力を籠めるインパクトの瞬間に息を止めない人はいない。では「息」とは何か?呼吸のパルス(波動)のことだ。大勢が一斉に動く時に「せーの」と息を合わせるあれはパルスを合致させて力を最大化させる号令である。それを一人でする時に、息を止めて肉体と気(精神)を合一させる。すると最大のパワーが得られるのだ。しかしブログは静的なもので、スクリーンから僕の息、パルスが伝わっているわけではない。気合いを入れて書いたものとそうでないものとに数値化できる差異はない。では何がPVの数値(受信数)を増減させているのだろう?
ここでやっと「スピリチュアル」(精神世界、spiritual)という言葉にたどり着く。大きな飛躍に思われるかもしれないがそうではない。むしろ、ここに仏教もキリスト教もない、より広大で包括的な理論とすら思える思考領域が見えるのである。spiritual とは material (物質的)の反対語で、形のないもの、霊、魂、
精神に関わるものという意味だが、語源はラテン語の spirit だ。これが、いみじくも、「息」の意味なのである。その派生語に inspire があり、「触発する」という意味だ。in + spireだから「息を吹き込む」ことで、似てはいるが影響する(influence)でも鼓舞する(encourage)でもない。喩えるなら、 inspire は演説で群衆を奮い立たせたり、指揮者がオーケストラを燃えあがらせたりすることがまさにそれであって、影響、鼓舞にはないスピリチュアルなエネルギー注入というニュアンスが大いにある。僕が目撃した指揮者のうちで最も inspiring だったのはカルロス・クライバーだ。ベルリン・フィルのみならず我々聴衆まで彼の魔法にかかり、もう二度とないと確信する体験をさせてもらった。そこで鳴ったのはブラームスの第四交響曲だ。何百回も聴いているそれの音響だけであんなことは断じて起こらない。しかし物理的に加わっていたものは何もない。
オカルトっぽく思われる人がおられても無理はない。しかし0.1%の確率であっても発生してしまえば問答無用なのだ。この議論がオカルトでないことを僕は materialism(物質主義)の観点から述べなくては証明にはならないだろう。それが、以前にも書いたシミュレーション仮説というものだ。イーロンマスク氏やホーキング博士も信奉する、我々の宇宙は超高性能なコンピューターによってシミュレートされたものであるという仮説だ。さらに、僕はこの理論は物質世界(物理学が説明できる世界)と精神世界(それができない世界)をアカシックレコードの存在という仮説を通じて包括できるかもしれない大理論であると理解している。それについては、このサイトが分かりやすい。
https://pekospace.com/akashic-records/
僕は毎日、ブログを読んでくださる3千人ぐらいの皆様からエネルギーをいただいている。なぜなら皆様はおそらく、僕と波長が整数比に生まれた方々であり、物理現象としてワイングラスのように “自然共鳴” して下さっている。それが今度は僕を自然共鳴させるという形で皆様と衝動(impulse)のキャッチボールをしている。意識も体感もないが、既述のように我々の脳は “受信器” であって、アカシックレコードを介して交信している。信じようと信じまいと我々人類はそのように創造されており、信じはしないが感知はしたり結果的にそう行動してしまっている一部の方々は、ある意味で不承不承に仕方なく(時には哄笑を浮かべながら)、そういうものを「スピリチュアル」と呼ぶことだろう。お互いの脳内での交
信だから、間にスクリーンが介在しようとしまいと波動を感じ、そのシンクロニシティ現象(意味ある偶然の一致)を愛でている。わかりにくいと思うので例を挙げると、僕の音楽関連のブログは、自分の読みたい音楽評論が世の中に存在しないので自分で書いておこうという衝動によって書かれている。いま読み返すと、中味はわかっているのにあたかもシンクロニシティを得たかのような快い感覚に浸れるのである。これは自己愛でなく物理現象である。それが何を示しているかというと、自分が発信したものを時を経て読んで感じるもの(feeling)は、他人が書いたものを読んで感じるもの(feeling)とかわらないということだ。逆に、いま僕が同じテーマで書かされたら同じブログにはならないということもある。なぜなら時を経て、構成する細胞からなにから別な人間になっているからだ。つまり、本稿を明日に読み返して僕が感じるものは、皆様がいま感じているものとかわらない。すなわち、誰もが外界に発信したものはその瞬間から他者化、客体化し、宇宙のデータベースに取りこまれ、合体していると表現しても矛盾はなかろう。
とすると、今この瞬間も、刻一刻、地球上で発信されるすべての情報は宇宙データベースに堆積しつつあるはずだが、そんな巨大なメモリーを持つデータセンターが一体どこにあり、その作業をする無尽蔵に膨大なエネ
ルギーはどこから来ているのかというとてつもない疑問が生じてくるのである。もしそれが存在するなら、それは高度な文明による “造作物” であって元素や星といった自然物ではなく、それが昨日今日にできたとは考え難い。つまり、創造主は人類の知性をはるかに上回る知性の持主であり、その知性は我々よりはるか以前から存在し、進化していたと考えるしかなくなってくる。このことを考察する場合に引き合いに出される著名なものさしとして「宇宙文明の発展レベルを示す指標」(カルダシェフ・スケール、Kardashev Scale)がある。いかなる文明の存続・進化にもエネルギーが必要であり、その利用範囲によって文明を段階的に分類しており、拡張案や修正案などを含めると、一般的には以下のように定義されている。
タイプ1文明:自分の惑星で利用可能なエネルギーを使用できる
タイプ2文明:自分の恒星や惑星系で利用可能なエネルギーを使用できる
タイプ3文明:自分が所属している銀河系で利用可能なエネルギーを使用できる
タイプ4文明:複数の銀河系で利用可能なエネルギーを使用できる
我々人類の文明は、狩猟採集社会を含むタイプ0から進化して、およそタイプ0.75とされており、現在の科学技術が順調に発展し続ければ、数百年後にはようやくタイプ1に到達すると見込まれている。タイプ4文明から見ればタイプ0.75か1かはミミズとゴカイの違いほどにすぎないだろう。宇宙データベースは銀河系をまたがるエネルギー源を必要とするからタイプ4文明の概念・産物でなくてはならず、最大の時間軸を想定するなら宇宙データセンターは137億年前に工作され宇宙が誕生してからの全メモリーを蓄積していることになる。
話の足元を現実に戻そう。先日にあるIT企業を訪問したが、同社は集中型データセンターにおいてAIデバイスがムーアの法則が想定しない計算量を処理して発生する高熱に対処できないことに対するソリューションのプレゼンをしてくれた。熱処理(冷却)は複数のスーパーコンピューターを直列に配列するビットコインなど暗号資産のブロックチェーンにおけるハッシュ計算でかねてより問題になっていたが、自己学習型人工知能デバイスをマルチに接続すると計算量は自動的かつ制御不能的かつ等比級数的に増大することでその問題は地球規模の、すなわち最先端にいるGAFAMでさえ莫大な新規投資を必要とする課題となっていることが理解できた。
いま僕はその解決策やファイナンスの問題を論じているのではない。述べたいのは宇宙データベース、および、具体的なデータを蓄積するスペースとしての宇宙データセンターの存在可能性だ。そして、それが存在するという説を支持する仮説は、まさに前述した説の「最大の時間軸ケース」であって、メモリーの堆積物はアカシックレコード(物理的な形を持たない情報の集合体)であり、堆積の結果できたのではなく、実は137億年前の宇宙の創成期からディファクトとしてすでに存在していたというものだ。さらに想像をたくましくして、それは宇宙を創造した何者かが使用したコンピューターのディファクトとして装着されていた機能にすぎないと僕は解釈している(なぜ光速が秒速30万キロメートルかというアインシュタインも解けなかった問いの答えもそれだ)。
先述したように宇宙空間には膨大な量の情報エネルギーが存在し、それがアカシックレコードの正体である可能性が浮かび上がっており、その存在は、異次元や宇宙エネルギーの中に位置すると同時に、人間の潜在意識(スピリチュアル世界)にも存在する可能性があるという説がそれだ。それを造ったのが人類でないのは明らかゆえ、アカシックレコードの存在を信じるということは必然的にタイプ2以上の文明の存在を信じることであり、それが地球にはないことは事実であるから必然的に地球外生命体(Extraterrestrial life、E.T.)の存在を認めることになる。人類(ホモ・サピエンス)の発祥は最古でも40万年とされる。宇宙が生まれた137億年前を1年前とすると、人類が現われたのはわずか15分前だ。E.T.(宇宙人)の存在を否定するなら、広大な宇宙で人類誕生というイベントがなぜ364日と23時間45分のあいだ起きなかったのかという問いに答える必要がある。それはフランツ・カフカの「変身」を喩えとして借りるなら、ある日の朝に目覚めたらひとりぽつんと火星にいたと想像するほど奇妙なことだ。
この議論は、「あらゆる物質は原子や分子が固有の情報を持っていてそれがアカシックレコードを成す」と考えると氷解する。原子や分子はビッグバン直後から宇宙空間にあまねく存在している。よって、人類は猿からダーウィンの進化論的に進化したのではなく、137億年前から誕生がプログラムされており、それが何らかの理由で40万年前だったのだ。人類は宇宙とアカシックレコードを造った知性(E.T.)が類人猿におこなった遺伝子操作実験による創造物であり、すなわち我々自身もDNAの一部が “宇宙人” なの
であり、天から宇宙船に乗って降りてきたE.T.を人間は神と称え、それにまつわる物語を宗教として信仰している。まだ知性も理解力も描写力も未開であった人たちが、4つの車輪をもち火を吹く宇宙船で地に降り立ったE.T.を神と信じ、紀元前3500年前後のこの事実を文字に落し、それが旧約聖書のエゼキエル伝となった。神学と科学が分離してゆくルネサンス後のヨーロッパにおいて近代精神が支配的になっても、これら聖書の記述は敬虔な信仰の対象であり続けてきたことは変わりない。科学的思考と併存する威厳ある領域としてギリシャ神話(mythology)があるが、我が国の天孫降臨も含め空から生身の人がおりてくることは0.1%の確率ですら科学的な蓋然性を証明できない。シミュレーション仮説やアカシックレコードをオカルトと論じる人が旧約聖書をどう論じるかは興味深い。このことは先述した「運が80%」に対する大企業のインテリのリアクションの相似形であることを付記するにとどめよう。
ここから先は僕の空想であり、本稿のエピローグである。我々が人類なるものであり、ここにいることは、デカルトほどの知性が「我思う、ゆえに我あり」と記すしかなかった不可思議である。彼はいわば、ある日の朝に目覚めたらひとり火星にいた景色を想像できるアカシックレコードとの交信者であったともいえる。我々が日々眺めているこの世というものはすべてE.T.がプログラムを作成したVR(バーチャル・リアリティ、仮想現実)である。我々はスーパー・マリオのキャラクターのごとくVRス
クリーン上の登場人物であり、我々の脳はVRを現実であると認識するよう五感をプログラムされている。E.T.はマウス操作でスクリーン内に自由に関与でき、キャラクターに接触でき、バベルの塔を建造して壊したり、ノアの洪水をおこして殺戮したり、何トンもある石材を積み上げてピラミッドを造ったりの作業がマウスのドラッグとクリックで苦も無く行われた。ギザの大ピラミッドにおいて、底面の周長を高さの2倍で割ると円周率になり、底面積に対する側面積の比は黄金比であり、底面の1辺を 480 倍すると地球の1緯度の長さになるようにしたのは、人類が建築法、幾何学によっていつ発見できるか観察するためである。我々は水槽の熱帯魚のようにE.T.に観察され、保護されている。
アカシックレコードではないが、五千年前に書かれた文字と現実の自分が合っている(合一である)ことを教えてくれる不可思議な世界がある。インド仏教による『アガスティアの葉』(Nādi Astrology)だ。個人に関する予言が書かれているとされるヤシの葉の貝葉の写本の一種で、現代に生きる我々を含むすべての人間の誕生から死までが古代タミール語で書かれており、僧侶がそれを探し出して読んでくれる。本稿を書くに至ったのはその体験からだ。
『アガスティアの葉』がオカルトでないと言い切る自信はないが、今回の体験を経て、アカシックレコードはシミュレーション世界の全データベース(宇宙図書館)に相当し、アガスティアの葉はその個人パート(すべての人間の伝記)が書かれたものだろうという理解に僕は落ち着いた。
右手親指の指紋を送り、朝7時に南インドの仏教のお坊さんと通訳とZOOMで対面した。まず生年月日、時刻、血のつながった家族に関わるYes、Noの質問が延々とあり、両親の名前を言いあてられ、1時間ほど候補である葉っぱの束を探し、さらなる質問で絞り込んでいく。見つかった。1時間ほどかけて我が伝記が読まれた。持っている因果につき占星術的な背景があるが知識不足で理解できなかった。仏教は輪廻を説くから肉体でなく魂の過去なのだろうか僕はパキスタンの権力者の娘だった前世があるらしく、現世では人々に無償の施しを行い、人々の病気を防ぎ、人々の資産を増やし、大自然のなかにユートピアを作る使命を持って生まれてきているらしい(やけに重たい)。半信半疑であったが、性格、長所、短所、人生の転機の時期はほぼ完璧に当たっている(あてずっぽうでここまで当たるとは思えない)。次に人生の流れ、運気、病気とその年齢。これはわからない。ただ、決定的なのは、自分しか絶対知らない事実が出てきたことだ(それが五千年前に書いてあるなら僕はまさしくスマホ画面で踊っているゲームのキャラクターにすぎない)。「80億人分の葉っぱがあるんですか」と質問した。「探しても見つからない人がいます。東さんは開きに来ることも書いてあります」だった。
最後にご縁の話だ。アガスティアの葉については神山先生の診療室で鍼灸師の方から聞いたことがあり、おざなりに知ってはいたが、やってみようとなったのはいま始めようとしているビジネスのご縁が発端である。そうであればそれがうまくいくか否かを知りたくなったのだ。そのビジネスはまた別の、それも10年以上も前のまったく脈絡もないビジネスから出てきたもので縁が縁を招くという何らかの因果の結果である。このありがたい事実の意味深さをいまかみしめている。AIのラーニング機能のごとくそれは自己増殖してくれるようであり、ではご縁とは何なのか、縷々述べてきた宇宙の構造の理解とどう関わるのか、いまは書かないでおく。ここまで来るのに15年を要した。それが長かったか短かったかはこれから結論が出るだろう。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
楽しかった久しぶりの東大クラス会
2025 JUL 19 7:07:13 am by 東 賢太郎
今年のクラス会、九段高校の方は日にちが合わず失礼してしまったが、我が硬式野球部は東東京大会で大健闘しており、ノーシードから勝ち上がって4回戦進出(ベスト16)だ。僕が入部した年が東西分離前でベスト32(第6シード校)だったから並んだ。準々決勝なら過去最高じゃないか、ここまで来れば甲子園行ってくれ。二松学舎、修徳、関東一、日大一、岩倉、堀越、日体荏原という我が世代の強豪校もノーシードであり、成立学園、日大一、日体荏原、明大中野、東京実、共栄学園、小山台は3回戦までに敗退した。九段より日大一高が先に負けるなど想像もできないが、いかに後輩たちが素晴らしいゲームをしているか!
先日あった東大のS50年LⅠⅡ9Bクラス会は出席できた。といってもぎりぎり直前に「出ます」と通知し、ちょっと遅れて会場である半蔵門のイタメシ屋に着いた。「久しぶり、10年以上来てないよなあ」と挨拶したら皆がそんなことないぞという。なにせみんなほぼ古希だ、どっちが正しいかわからん。「そうか?うーん、ごめん、覚えてない」で済んじまう。「あれからもう50年だぞ」「おお、そうか」と計算もできてない。
LⅠⅡってのは文Ⅰ、文Ⅱがいっしょ、9Bは第二外国語がドイツ語ってことだ。50名ぐらいで女子はゼロだからまるで男子校だ。50年まえ、駒場の教室のオリエンテーリングで初めて会ったあの日の面々。「ワクワクしたな、楽しかったな、いろいろあったな」で一気に盛り上がる。スピーチはひとり3分厳守と幹事から告知が為されたがものともせず倍ぐらいになった。「みんな、株持ってるか?持ってる人は手を挙げて」というと5,6人だ。「あのね、それじゃだめだよ、エヌビディア知ってるだろ、時価総額いくら?4兆ドル、600兆円だぜ、一企業で日本国のGDPとおんなじだよ、そういうのに乗っかってないと時代についてけないよ、ボケるよ!」。
まあ皆さん僕以外は日本国を代表するエリートである。総務省事務次官、石破内閣官房副長官兼内閣人事局長兼内閣感染症危機管理監の佐藤文俊くんをはじめ官界、法曹界・実業界のお歴々だ。でもみんな人間だから酔っぱらう。「8組は女子いたのにずるいよなあ」「ドイツ語わかんねえし」「俺、D、Dで危なかったよ」「そう、Mの授業つまんなかったよなあ」「Tの法学概論もな、起きてるのやっとでさ」「Oの英語のシェークスピアぐらいか、おもしろかったの」、まああとはあそこが悪いここが痛い、何の病気で手術しただの家族がどうしただの、この辺までは話題もそれなりである。
だんだん酔いが回る。「赤門前のパブリカンってスナック覚えてるか」「あったあった、俺、初カラオケだ」「そうだよ、東、お前そこで初めて歌った曲、覚えてるか?」「”柳が瀬ブルース” だろ」「違うよそれはあいつだ、お前は加山雄三の “君といつまでも” 」「凄いな、そんなの覚えてんのか」「ああ、新潟のスキーはどうだ。嫌な思い出だからお前たぶん忘れてるな」「新潟?」「そう、お前2日目にビビッて滑れなくなって大ショックでさ」「忘れてる、だって俺うまいと思ってるもん」「そうじゃないの、そういう時あったの」「そういやあ麻雀貢いだよな」「でもお前が勝つオカルト麻雀のあいつだけは俺の天敵なんだ」(爆笑)「雀荘は葵だが下宿でもやったな」「俺の下宿のトイレの洗面台でさ、『東さん、あの頭洗ってるかたどなたですか?』って大家に怒られるわけよ」「すまんすまん風呂入ってなくってさ」(爆笑)「そういやあ同人誌作ろうって女子誘ったよな」「うん1年の時ガリ版でね」「東、お前のペンネームは柚木健だ」「なんと!思い出した、その通りだ!」「お前と稲毛(高岡高校エース、188センチ)のキャッチボール凄かった、軽く投げてるお前のが速かった」「自分のタマは自分で見れん」「初ゴルフの大磯ロングビーチは?」「覚えてる。楽勝と思ったら一発もまっすぐ行かなかった」「お前がみずほの時も御殿場で回ったな」「そうだね、あれはみんなに悪かった。日曜日のラウンド中に出社命令が来て途中で帰るってなって」「あれがリーマンショックだったのか」。こういう記憶力の人たちと麻雀することはおすすめしない。
二次会はニューオータニ。11時半まで話は尽きず、めちゃくちゃ楽しかった。クラス会は半世紀前の自分の姿を映す鏡だ。幹事の佐藤くん、福岡くん、お疲れ様です、ありがとうございます。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
スマホ時代は石器時代と裏腹だった
2025 JUL 14 1:01:46 am by 東 賢太郎
先週のことだ。新規の会社にアポがあり、HPで場所をざっと見て地下鉄に飛び乗った。行先は東銀座だ。そろそろだな。スマホを取り出して地図を確認だ。
参った。電池が切れとる!
スマホは便利だ。ということはそれがないと逆に石器時代になる。社名しかわからん。今どき都心に赤電話なんかない。だから事態を誰にも伝えようがない。時間はあと15分だ。絶体絶命。どうする???
考えても答えがない。歌舞伎座の先を左に曲がって大体あのへんだ、ええい、一か八か体当たりで探そう。歩いた。猛烈に暑い。ない。こりゃだめだ。すると交差点に地図のたて看板があった。でもだめだよ住所覚えてないんだから・・・
天は見捨ててなかった。地図に「築地警察署」なるものが書いてあるではないか!走って行ってとびこむ。受付の女性がびっくり。無理もない。汗だくなうえに冷や汗だから。若いお巡りさんが同情して地図を書いてくれた。ありがとう!
ミーティングは何事もなかったように始まった。40代の幹部が5人。こちらが3人。古希の俺がまじってる風景シュールだなと可笑しかったが、この会社、AI時代の旗手だ。だんだんそんなことは忘れて盛り上がった。投資していいかな。
電池切れボケ来てない?みんなそう思ったろうがそれはない。だって “秘密兵器” で寝てるからコロッと寝落ちして高校生みたいにパキっと目覚めてる。「体が変わってますよ、運動ですか?」。セラピストさんが不思議がるが全然してない。
「これ、アタマにも効くよ」。誰も信じないが自信ある。回転速い。この好調でボケは絶対ないね。ちなみにウチの猫もど~ぞと “秘密兵器” に乗せた。最初は逃げたけど先週からシロが自分で乗るようになっちゃった。どうだ!
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
新婦の父になった日
2025 MAY 13 8:08:46 am by 東 賢太郎
日曜日に長女を送り出しました。近年は結婚式の場もガーデンやビーチなど多様化し、親しい人たちと心地よい時間を共有する傾向にあるようですが、娘たちは私共の世代と変わらぬクラシックな場を尊重しました。帝国ホテルにしたのは理由があったようで、人気の5~6月は意中の部屋の空きがなく1年ほど待つことになりました。その甲斐は大いにあって、新婦の父として忘れえない思い出をつくっていただきました。スピーチを頂戴した主賓、ならびにご列席いただいた神山先生ご夫妻、ご親族、ご友人、ご同僚の皆様、ソナー関係者の皆様、当家の親族、ご協力いただいたホテル担当者の方々に厚く御礼を申し上げます。
新婦の父役は簡単ではありませんでした。「お父さん、いい?バージンロードを一緒に歩くのよ、ドレス踏まないようにね。でもスピーチはしなくて大丈夫だからね」。それが何かも知らず娘の指示で一応の安心はして当日にのぞんだのです。歩くのは花嫁の後ろからと思っていたので踏むわけないだろと余裕でした。モーニングに着替えてホテルの教会の待合室にはいると神父さんと介添え人の女性がおられ、手袋おもちですね、こう指をそろえて左手で、持ち方はこうです、右手はこう曲げて手の甲が上で力は抜いて、はい、そんな感じで動かさず、などと矢継ぎ早に教わります。歩き方ですが、右足からです。花嫁と歩調を合わせて、とにかくゆっくり、靴の幅ずつ進む感じでいいですよ、気をつけていただきたいのはスカートが横に広がってるので踏んじゃう方がおられるんです、そうならないように右ひざはやや内側に回して入れる感じで・・・
ウェディングドレスを試着した写真は見ていましたが、現れた新婦姿の娘には息をのむばかり。圧倒されてしまい、想定外だった腕組みをされると、なるほど横幅がすごい。気が動転したまま廊下をしずしずとバージンロードの扉の前まで進みました。この数メートルで難しいと直感しましたが時すでに遅し。「それではご入場です!」と声がかかり、ぱっと扉が開くとサーチライトか眩しくてなにも見えません。オルガンが轟々と鳴り響いて「はい右足からどうぞ!」。覚えてるのはそこまでで、人がたくさんいるな、立ち上がってばしゃばしゃ写真を撮られてるなと感じて固まりつつ道がまっすぐかどうかもよく見えません。とにかくスカートを踏まないことだ!それに専心すると歩調も何もあったもんじゃなく、人生でこんなにゆっくり歩いたことはないゆっくりさで片足に乗る時間が想定をこえて長く、2度左にこけそうになりました。やっと終点が見えてやれやれ。そんなことはどこ吹く風と泰然自若で歩を進めるヨーロッパ育ちの娘をこんなに頼りに思ったことはありません。
そこで待ち構えていて、よろしくお願しますと礼を交わして娘をお渡しした新郎。彼もまた18才で志してロケット工学を学びに単身渡米した海外派です。結婚の誓いも堂々とした声で頼もしいもので、心の底から安心しました。彼を育て、若い志を後押しされたご両親も立派としか申し上げようがございません。名門テキサス大学アーリントン校(UTA)卒で、英語で理系という大変さは私の想像を超えますが、ラグビーで鍛えガリ勉でもアメリカかぶれでもない、こんな若者が日本にいたのかという驚きと共にこの人を見つけてきた娘も思いっきりほめてあげたい。UTAのスポーツチームの名称はテキサスの誇りマーベリックス(異端児)だそうで、映画トップガンのトム・クルーズのように “カッコいい型破り” の意味です。何があっても臆することなくふたりでその道を突き進んでいってください。
披露宴は主賓のお言葉を頂戴し、少々リラックスもさせてもらいました。ちなみに、流す音楽はホテルおまかせでなくすべてふたりでプロデュースしたいとリクエストがあったので、結婚式に向いているかどうかよりも娘の思い出がある30曲を選んで送りました。ドイツにいたころ、ピアノでドラえもんのテーマ曲などを弾いてあげるとキャッキャ喜んでいた頃から覚えていた曲ばかりです。結果として私のCDルームから持ち出していったのはヘンデル、モーツァルト、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、ラフマニノフ、L・アンダーソン、R・ロジャースでした。ひそかに楽しみにしていましたが、なるほどそこに使ったか、いいセンスだねというものばかりでいうことなし。満点。Climb Every Mountainは画像とあいまって最高だったし、我々には別格であるラインの第5楽章、あれを流した人はまず他にいないでしょう。オンリーワンの宴になりました。
いろんな思いがめぐり食事もそこそこに感無量で式を眺めていましたが、いよいよ「それでは最後にご両親への花束贈呈です」とアナウンスがあり、いかん、そういうのがあったっけと金屏風の前に立ちました。花嫁の万感のこもったスピーチにまず家内が泣きだしてしまい、私は唇をかんでこらえましたがハグされたらもうだめでした。そのシーンを激写していたのがソナーの慶応グループで、閉会後に見ろこれが証拠写真だと盛り上がりました。私が涙を耐えられるかどうかで賭けが進行していたのです。
43年前、私と家内はこの桜の間のひな壇に座っておりました。留学でアメリカに発つ前の弱冠27才と24才で、借りてきた猫のように固まっており、皆様から前途洋々のお言葉をいただたのがうれしかった遠い昔の思い出です。まさかそこでこの日を迎えようとは想像だにしていませんでしたが、これは娘たちのプレゼントでもあったのでしょう、そういえばこうだったと記憶の片隅に埋もれていた父のモーニング姿と母のおめでとうという声をはっきりと思い出しています。私は大学2年のとき全くの偶然から広島のユースホステルで家内に出会い、思えばこの会場から我が家が始まったのです。その日の新郎新婦の両親は家内の母ひとりになってしまいましたが、93才と思えぬお元気な姿で神戸からかけつけてくれました。おりしもこの日は母の日であり、天国の我が母が喜び、義父も我が父もそろって祝福してくれたのでしょう、曇天で小雨模様の日々だったにもかかわらず、披露宴の窓からは燦燦と陽光がさしこんでおりました。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
ヴェネツィアの残照
2025 MAY 7 15:15:31 pm by 東 賢太郎
かつて観た都市でもっとも富というものを感じたのはニューヨークでもロンドンでもパリでもない、ヴェネツィアだ。いままで英国式にこの都市名をヴェニスと書いてきたが、イタリア語はヴェネーツィアでネーを強く、ツィアもはっきり発音する。どっちでも通じればよいのだが、イタリアの歴史を書くので本稿ではヴェネツィアとしよう。
ヴェネツィア共和国(697年)の成立は平城京(710年)、平安京(794年)より古い。まず歴代総督が隣国の勢力を巧みにあしらって自治権をもった都市国家となり、東ローマ帝国の制海権に守られ交易で利を得る。さらにアドリア海沿岸の海上防衛を担う代償に貿易特権を得て東地中海最強の海軍国となり、港市の多くを支配下に置く。そして第4回十字軍を事実上率いてコンスタンティノープルを陥落させ、帝国分割で巨利を獲得して政治的にも欧州有数の勢力になったことは皆さん世界史で習った。
いっぽう、以上をヘゲモニーの視点で読み解くなら、この都市の興隆の歴史は日本国の将来にとって興味深い示唆があろうと指摘したい。まず交易、金融、外交のインテリジェンス、そして世界で造船・兵器製造の一大拠点となる資金力の両方がないとこういう芸当はできなかったということだ。現に大航海時代の到来で交易がアドリア海から大西洋、太平洋に移るとビジネスモデルが崩れて資金が枯渇し、ガラスやレースの工芸品を造ってしのいだものの、ついに1797年、ナポレオン・ボナパルトに侵略されたのである。なくなったのはキャッシュフローであり、それゆえの資金調達力であって、富はあった。日本にも富はあるし、あり続けるだろうが、それでいいのかということだ。
この都市には3回行った。まず観光。次はエーゲ海クルーズの発着。最後は仕事だった。アドリア海からクレタ島への船旅は第4回十字軍の航路で感慨深く、仕事ではフライトのキャンセルでヴェネツィア~トリエステをゴンドラで移動し、海上からヴェネツィアを眺めて実感した。その地はもともと異民族に襲撃されて追い込まれた湿地帯であることをだ。農業も産業もないそこを水路で守備して根城にし、ムスリムやフランク王国という、征服されかねない異文化圏と交易で儲けようというのだから複式簿記を発明するような知恵も交渉力も要る。シェークスピアは無知ゆえか偏見かそれをシャイロックに仮託したがここの商人がみなユダヤ人だったわけでもなく、世襲でない有力家門(ドージェ)の寡頭制ではあったがフィレンツェのメジチ家のような僭主がいたわけでもない。選挙で選ばれた歴代総督が賢かったという事だ。しかし、くりかえすが、富がありすぐれた統治者がいたとしても、経済成長力が衰えれば国は滅ぶのだ。
ちなみに、富のバロメーターである地価を調べると一等地サン・マルコ広場の近辺で240㎡の高級アパートが130万ユーロ(約2億2千万円)というのを見つけた。1㎡90万円は新宿区ぐらいだ。この都市の輝かしい富が手に入るわけではないが、富というものは実は多くを所有する必要はない。身近で他人に邪魔されずあるぐらいでいいのだ。新宿駅が身近で便利なのと、こんな財宝を日々眺めて暮らすのと、多数決で決めたら同じ値段だったという厳然たる事実がここにある。世の中はずいぶんおかしなものだと思うしかないが、物もサービスも金も株式も、値段はそうして決まっている。
正面がサン・マルコ寺院だ。この地に寺院が建ったのは9世紀で空海が高野山金剛峯寺を建立したのとほぼ同時期である。10才のヴィヴァルディは手前側にある学校に通い、毎日この景色を見ていただろう。15才のモーツァルトは父と共にこの広場で仮面舞踏会を夜中まで楽しんでいる。
サン・マルコ寺院にはいってみよう。
ビザンチンの教会は、満々と湛えられた空気の膨大な質量が全身に訴えかけてくる異空間である。これが水ならどうだろう。泳いで空間を天使のように浮遊し、我々はこんなものを眺めているにちがいない。
天空の秘密。地上に据え置かれた我々はそれを知らない。
巨大なマスであるここの空気が声や楽器でうち震えると、それは波になり、些かの間をおいて天井の円蓋まで覆い尽くすやこちらに向けてこだまのように降ってくる。それが元の波とぶつかって干渉し、さらに複雑な波となり、我々を体ごと共振させ、なにやら娑婆とは別物だという魂の体験をさせるのだ。音ではなく波動だからそこで経験しないとわからないが、一度味わえば忘れることはない。
無意味なアーという発声であってもそうなのだが、それが楽音のドであればそれが空間に高々と飛散し、数秒間もありありと浮遊し、次に楽音のソを発して重ねてみれば両者は交って完全五度を成して戻ってくる。この発見から和声が産まれた。それでは戻ってくるメロディーに調和するように元のメロディーを書けばという発想でカノンが産まれた。サン・マルコ寺院でどう響くか。テノールがひとり二重唱になる様子がこのビデオでわかる。
つまり寺院、大聖堂なるものは我々が「音楽」と呼ぶものの母体であり、さらに成長させるゆりかごでもあったということだ。物理的に表現するなら楽譜は2次元、演奏は3次元で、時間軸が加わった教会での演奏は4次元のアートという事になる。音楽の4次元化はルネサンス音楽を代表するフランドル楽派の巨匠であり、ヴェネツィア楽派の開祖となったアドリアン・ヴィラールト(1490年頃 – 1562)に発する。
この人はいまでいうオランダ人だ。サン・マルコ大聖堂楽長への就任は大胆な人事だったと思われる。世襲、独裁、汚職の排除と人材の登用は小国ヴェネツィアの生きる知恵であり、1593年にはガリレオ・ガリレイを造船・兵器製造の技術顧問に雇ってもいる。ヴィラールトは1527年の契約から1562年の逝去までポストにあり、この人の起用は西洋音楽史上で最も重大な契約のひとつだったと評価される大きな成果をあげた。それが巨大で複雑なサン・マルコ大聖堂の音響構造を利用した分割合唱様式の発明であった。後の楽長にふたりのガブリエリ、モンテヴェルディという大物が就くが、やがて潮流はバロック様式を経て教会の厳格なポリフォニー音楽を離れて歌と伴奏のオペラへ向かうのであって、分割合唱様式の生んだ作品の位置づけは懐古的なものになろう。しかし「その場所でしかできない」という音響はオンリーワンの存在で、永遠の価値を誇るヴェネツィアそのものという視点からの評価はこれからむしろ高まるのではないだろうか。
1970年の大阪万博で西ドイツ館のシュトックハウゼンが気に入ったことを書いた(シュトックハウゼンは関ケ原に舞う)。シアターピースという位相を導入した概念は分割合唱様式に始祖があると思う。西洋人は教会で賛美歌を歌って育つので大空間の音場の残響と反響は脳への当たり前のインプットとなっているだろう。いっぽう山びこだって珍しい我々はレコード屋のクラシック売り場は「古楽」から「現代」までジャンル分けされているのが当たり前と覚えている。ケルン近郊生まれの敬虔なカトリック信者だったシュトックハウゼンがあの大聖堂の音響を知らなかったはずがなく、レコードが「現代」に置いてある彼が子供のころからなじんだその響きから天上のスピーカーの音が走るあの空間を着想したとしても何ら不思議ではない。
例えば大バッハは15才から数年間リューネブルクの聖ヨハネ教会の合唱隊の一員として歌っているが、そこの音響はこんな具合である。
明らかに残響が実音に「かぶって」いるが、賛美歌は天のこだまと交唱しているかのようなサウンドが「らしさ」を醸し出すので、屋外でこの楽譜を歌っても感じが出ないだろう。想像になるが、若き日をこの音響にどっぷりつかって暮らしたバッハには実音だけを聴いても「かぶり」がきこえる感覚ができあがっていたのではないか。だから自分の脳内に響いている両方を楽譜に書き取ろうと試み、そこから進化した技法の集大成がフーガになったのではないかと思う。
僕が日本で一度も足を踏み入れたことない教会に初めて入ったのは学生時代にアメリカのバッファロー大学に短期留学してホームステイした時のことだった。一緒に賛美歌を歌わされたが、天上にふわっとぬけていくその響きこそ衝撃だった。一気に好きになって、それ以来、海外で知らない処に行くたびに大聖堂や教会に入って音を聴いたからもうマニアと言える。小さいものは忘れたが、覚えてるだけでこんなにある。
ドイツはケルン大聖堂、シュパイアー大聖堂、フランクフルトの聖バルトロメウス大聖堂、マインツ大聖堂、オーストリアはザルツブルグ大聖堂、ウィーンのシュテファン大聖堂/聖ペーター教会/カールス教会/聖ミヒャエル教会、チューリヒのフラウミュンスター、英国はウェストミンスター寺院/セント・ポール大聖堂/チチェスター大聖堂/ヨーク大聖堂/セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ、パリはノートルダム大聖堂/サン・トゥスタッシュ教会/サントトリニテ教会、ルーアン大聖堂、ストラスブールのノートルダム大聖堂、バチカンのサン・ピエトロ大聖堂、ミラノのドゥオーモ/サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会、フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ピサ大聖堂、バルセロナのサグラダ・ファミリア大聖堂、ブラジルのリオデジャネイロ大聖堂
これらの地の多くはクラシック音楽の殿堂でもあり、大聖堂があってオペラハウスがない都市はなかろうから両者の関係は緊密だ(日本は両方ない)。「古楽」も「現代」も「ロック」もない。ポール・マッカートニーは「みんなもう讃美歌は聞き飽きて心に響かないんだ、僕らはむしろ熱心な教会支持者だった」と語っている。教会マニアになったおかげで僕もどうやらそれらしい耳ができあがり、自宅の音楽室は石造りで窓にはステンドグラスまで入ってしまった。日本のコンサートホールでそういう音は記憶にないが、いちどだけ、ライブイマジンの練習で吉田さんに舞台上のピアノを弾かせていただいたとき、ふわっと天井に昇っていく感じがあれに近いなと思ったのは客席が空だったからだろうか。
サン・マルコ大聖堂楽長としてヴィラールトとモンテヴェルディをつなぐ人にヴェネツィア生まれのジョヴァンニ・ガブリエリ(1554または1557 – 1612)がいる。彼が生まれた頃、ちょうど日本では川中島、桶狭間の合戦が行われていた。1579年に織田信長は権勢のピークにあり、豪華絢爛の安土城にはいりセミナリオで西洋音楽を聴いているが、その頃にミュンヘン留学からヴェネツィアに帰国したガブリエリはサンマルコ大聖堂の特性を活かした分割合唱様式でヨーロッパで最も有名な作曲家となってゆく。ほとんどの作品は、祭壇の左右に配置した2つの合唱団ないしは器楽集団が、まずは左手から聞こえ、それを右手の音楽家集団が追うというアンティフォーナルに構成される。このビデオでわかる。
次にサン・マルコ大聖堂の響きを聴く。アコースティックはこの400年の間にほとんど変化していないという。
ひとつ前のビデオもそうだが、発売されたときにFMだったかで耳にして印象に残ったのがフィラデルフィア管、クリーヴランド管、シカゴ響のブラスセクションによる(たしか「ガブリエリの饗宴」と銘打った)1968年録音のLPだ。それぞれオーマンディ、セル、マルティノンの時代でまばゆい金色に輝く。まだ中学生でガブリエリが人名であることも知らず、クラシックは富裕で豪奢なものというイメージができた記念すべき録音だ。ヴェネツィアにもそれが焼きついていたかもしれない。
(ご参考)
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
失われた30年は財務省のせいばかりではない
2025 APR 5 11:11:39 am by 東 賢太郎
「ガキが泣く姿を映す時間はない。私の意見が気に入らないのなら、次はもっとうまく投げろ。彼は怒るべきだし、何であれ対戦打者を葬り去る準備をすべきだ」
ドジャース佐々木朗希の“涙目”降板にこう言い放ったのは2度MLBオールスターに選出され、ダルビッシュの女房役だったジョナサン・ルクロイだ。この記事を見て、そうだ、その通りだとうなづいている自分は昭和の男だなあとつくづく思った。本当に泣いたかどうかは知らないが、そう見られたならどっちでも同じだ。
あえて「男」と書かせていただいたが、「男は泣くな」でも「女なら結構」でもない。僕はガキの頃から「男は人前で泣くな」と厳しく躾けられた。だから何があろうと外で泣いたことがない。妹はいわれてない。昨今の親は男の子にもそういわないのではないかと思うから、僕はシンプルに「昭和の男」なのだ。
ルクロイが言いたいのは「大舞台に立つ者は立つなりの理由がある。やることやれよ。やれないなら怒れ。できなきゃ去れ。泣くのはガキだ。そんなものをテレビで放映なんかするな」ということだろう。そうか、アメリカでもそういう風潮があるんだ、僕が最も反応したのは最後の部分なのだが。
大舞台でなくとも、あらゆる軍隊の最前線で司令官が飛ばす檄に最もふさわしいのはルクロイの言葉みたいなものだろう。軍には女性もいるだろうが、敵軍に立ち向かう最前線を占めるのは圧倒的に男であるはずで、撃った銃弾が相手に命中しませんなんて泣く奴はのっけから失格なのである。
ところが、そういうことを口にしようものなら「パワハラだ!」と攻撃される時代だ。では敵軍に立ち向かう最前線を占めるのが圧倒的に男だとセクハラなんだろうか。戦いに負けても人権は守るべきか。もちろんだ。だから戦争はいかんのだ。そんな禅問答をしてるうちにミサイルぶちこまれるのが戦争というものだ。
昨日紹介された台湾系米国人CEOは語った。「ドローンを撃ちこむ10分前にサイバー攻撃を仕掛けて敵地の通信手段を遮断して迎撃を絶つ。ウクライナで起きてる事です。そのため中国は台湾の海底ケーブルを日々切断してます。だから遮断できない衛星通信が奪い合いなのです」。戦争の最前線は宇宙に至っている。
クラウゼヴィッツは『戦争論』で語っている。ただ善良な気持ちから戦争について語るのは最悪である。
牛殺しの熊でも殺すな、熊にだって子供がいる。暗殺犯だがやむにやまれぬ家庭の事情があったのだ。昨今は「何事も屁理屈はつけられる」という意味であるはずの「盗人にも三分の理」なる諺が、盗っ人は生活が苦しいのだから三割は減刑しろみたいに語られる。なんだか世論が無気味に曲がってきていないだろうか。
楽天の監督だった星野仙一が「ノックアウトされて戻ってくるピッチャーに拍手しないでくれ」と仙台の観衆に苦情を述べ、優勝させた。昨日のこと、作戦でなく真面目に打ってボテボテのセカンドゴロだった打者を、走者は三塁に進んだというのでベンチがタッチで迎えるチームがあった。星野なら怒鳴ったろう。
そういう指導を昭和だパワハラだというなら、敵に攻め込まれて皆殺しにされても人権とジェンダーとLGBTは守りますという国に移住することをおすすめしたい。野球は戦争ではないが、泣く新人を擁護していればいずれエンタメのショービジネスになり、「とんねるずのリアル野球盤」とあまりかわらなくなる。
日本の失われた30年は財務省のせいばかりではない。1980年代に欧米の最前線で真剣勝負で戦った僕の眼からすれば企業風土がリアル野球盤になったことはもっと大きい。要はバブル後遺症でユルフンになってIT戦争に大敗し、世界でカネが稼げなくなったから国民的に貧しくなったのである。
「ガキが泣く姿を映す時間はない」。MLBのプライド高い世界トップの野球選手たちでこんな番組を作るのはライオンにチンチンの芸を仕込むより難しいだろう。「そんなものをテレビで放映なんかするな」。誠にごもっとも。こういう国のテレビ局だから恥ずべき事件が起き、見てる国民もユルフンになっていく。
僕はある有能な若手ヴァイオリニストにテレビには出ない方がいいよと進言したことがある。そうしないと野球盤の道だ。厳しいことを言うようだが僕はパワハラ支持者でも軍国主義者でもない。英語でそれをディシプリン(discipline)という。何であれ一流になり一流であり続けるには心の修養が必要と言っている。
だから一流を目ざさない人にまであれこれ言おうという趣味も暇もモチベーションも僕には微塵もない。つまりユーチューバーになってご高説を垂れるような人たちとはまったくの別人種である。なぜなら僕は社会に出てから今日の今日までいちプレーヤーであり、この仕事で絶対に負けない自負があるからだ。
佐々木朗希が泣いたのだとしても彼への僕の期待はかわらない。一流の自負がないと涙は出ない。それなしでなれると思わないから有資格者の証明であり、あとは心の修養だ。周囲など一切無視するんだね。それを無礼という連中を気遣ってもいいことはない。何が一流かわかってない人たちは真の支援者でないからだ。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
新しい人と出会うのは楽しい
2025 MAR 29 16:16:44 pm by 東 賢太郎
昨日は某社のオーナーを紹介された。こうやってもう何百人か何千人か知らないが、会った。ディール以前にそれが商売みたいなもの。そういえば金曜は赤坂の料亭で別の経営者とやっていたら、たまたまひとりぶらっとカウンターについた自民党の大物先生が気づいて挨拶に来た。ため口きいてるこいつ誰だと思ったろう。大臣だろうが何だろうが選挙があるのは大変だ。
最近はオモチャにピクリともしなくなった老猫みたいなもんで、少々のではすぐ退屈しちまう。オーナーのプレゼンは理科の実験みたいで面白かったし、ポテンシャルが大と観た。「上場とかM&Aがどうとか、そんなのは些末な話なんです。もっとでかくしましょう。でかくなれば世間は勝手に来ます」ってことでお引き受けすることにしたが、きくと同期でありウマが合ったってのもあった。仲介者は「どっちも難しい人なんでダメもとのつもりでした」というが、こういうのがご縁ってもんだ。やんないとわかんないよ何事も。
「メジャーはあんまり興味ないんです、だってね、オータニもローキも身長2メートルもあるピッチャーが足開いたらググっと2メートルも前に来ちゃう。18メートルじゃなくて16メートルから投げるんですよ、そんなでっかい奴が。打てるわけないでしょそんなの。だから俺は現実味がなくってね、ニッポンの野球のがいいですね」なんてことまで話したかどうかは忘れたが、仲介者センセイが、「オーナー、東さんはカープファンなんです」と言ったのは確かだ。「そうなんですか、じゃこれ」と棚から出てきたのが写真だ。「18番?誰でしたっけ」「マエケン。ボク野球興味ないんであげます」。家宝が増えた。ご縁ってもんだ、こういうのも。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
米国のヘゲモニーの視点ですべてを読み解く
2025 MAR 10 18:18:00 pm by 東 賢太郎
そういえばと思い、バックナンバーを検索するとこれがありました。日韓合同演奏会、今年が60周年で、これが50周年だったんですね(師走だった)。
そして、大晦日にこういうことにしました。
フラフラになるほど忙しかったからです。結局3か月お休みして4月に再開しました。それが2016年。そのころ僕のブログの訪問数は一日4~500、いまは3~4000です。ちょうど大統領選の年でした。トランプが勝つとはまったく思ってませんでしたが応援はしており、当時、政治関連はSMCでなくソナー・アドバイザーズHPにブログを設けてそっちにたしか4~50本書きました(HPのポリシーで消してしまったようですが)。トランプに好感を持った理由は、あくまで直感ですが、ビジネスマンだから僕には見ていて分かりやすく、裏はあってもこの程度かと思えばそんなに悪党じゃないなと安心感を持ったことです。だから2000年のあのあからさまなインチキ選挙をまのあたりにして、大噓つきの奴らが裏でせこせこ悪事を働いてる、そう確信してブログを書きました。選挙権のない米の内政ですが、単純に僕はそういうセコい奴が大嫌いなんです。バイデン側は今回の大敗で恥ずかしいボロが全部あばかれるでしょうし、現に、彼は当選後の大統領令への署名もオートサインだった(最後の最後に、立候補しない、という署名だけは真筆でさせられた)という暴露が出ています。それでもまだ負けを認めたくない連中がトランプを貶める印象操作を裏で表でやってる。政治の主義主張が違うのは大いに結構ですが、そういう姑息な手口がネット社会では見事にばればれなんです。それを延々とやってる方々、地位も名誉もあろうというものが金のためとはいえそこまで身を売って品格を下げてしまう景色は気の毒ですらあります。
トランプは戦略頭脳が抜群に良いと思います。あの年齢にして記憶力も落ちてない。それなしに不動産業で1兆円も儲けられるわけないでしょう?これを馬鹿という人々は自分にそういう脳がついてないのを公開してるわけです。米国のアキレス腱は通貨主権です。これを取られたら玉座から落ちる。決済通貨ということですがそれは表の話で、通貨主権国だけが紙切れをいくらでも印刷でき信用が棄損しないという錬金術を使えるのです。だから金本位制をやめてじゃぶじゃぶカネを刷っても紙切れとはバレない方式、つまり、軍事、財力、智力、科学技術で包括的に威圧して価値があると弱者に信用させられる状態(ヘゲモニー、hegemony)により帳尻を合わせて世界を支配する構造を米が確立し、対抗馬のソ連を潰しました。同じく戦略頭脳に長けたプーチンはその失敗原因を知ってます。米はそれを民主主義の勝利と謳ってますが、相手が共産主義国だっただけで民主主義が万能の証明にはなってません。現に今の米は民主主義的にDS(Deep State)に乗っ取られ共産主義的に破壊されつつあります。
彼等は大金持ちの超国家利益共同体であり、米のヘゲモニーに利用価値を見出した「虎の威を借りた狐」です。世界の政治権力者とメディア幹部を裏口買収して偽装に加担させ、為すことすべてを虎に見せかけ工作してきた。世界は「米」と思っているので動くわけです。それを指摘した者たちを「陰謀論者」と切り捨てるメディア工作もそれなりに奏功してきましたが、加速度的、不可逆的に増加するSNS閲覧者たちはその工作者こそが陰謀論者であったことを見抜きつつあります。そして最大の誤算は、絶対に買収できない大金持ちが本丸に登場したことです。それがトランプです。彼がスマートな人物であることは買収不可能な世界一の大金持ち、イーロン・マスクを右腕に起用したことでわかります。だから焦り、暗殺まで企てたが失敗した。買収されてる世界のメディアは絶対にそう報道しませんが、おおよその背景はSNS閲覧者たちの間ではもはや共有知で、否定すれば自白になるほどメディアの立ち位置と魂胆は見ぬかれています。だから報道しない。そういう自由があるのではなく、ご主人様に都合の悪いことは、アンタッチャブルなのです。
誤解なきよう明記しておきますが、超国家利益共同体だろうが一般国民の生存権を脅かさず共生してくれれば、税金はたくさん払ってるわけですから何の問題もありません。金持ちになりたいことが悪ではない。それが資本主義、自由主義であって、僕はそれを信奉して生きてきましたし、いまや、世界の(元共産国を含む)、ほんの数国を除くすべての国家が、汚職はしてもあからさまにそれを否定はしません。そうではなく、そこまで財を成した人間というものがさらに共同して追求したい「利益」とは何かがわからない、僕には想像できない無気味さがある、そういうことなのです。トランプ、マスクだって超国家利益共同体のメンバーになるだけの資産を持ち、その一員として何の問題もなく米を支配することができるはずです。その方が楽な人生かもしれない。しかし二人はそうせず、敵対する道を選んだ。暗殺リスクを冒してまで。この決意は尋常なものではないと思うのです。だから愚人、狂人なのだと見る方も多いでしょうが、僕は人間として支持したい。それだけです。何度も書きましたが、僕は米国人でもなく、経済的には超国家利益共同体の末端にいた方が有利なキャリアを来てしまいました。心の奥底の蹉跌がこれを書かせている気がします。
DSが世界のメディアの完全支配に成功したのがバイデンの4年間でした。その手口、すなわち、USAIDを隠れ蓑にして錬金術で刷りまくった金を自在にばらまく物証をイーロンのIT技術者が差し押さえました。ミサイルやドローンが飛び交っている(と見える)ウ国の戦地で、なぜかCNNの記者が流れ弾を恐れることもなく平然とライブレポートし、CGも交えていると思われる画像が世界中に放映されてロシア悪玉の国際世論を作りあげてきた。そして今なおトランプ政権がやることなすことに対し、メディアに It is extremely dangerous for democracy(それは民主主義にとって非常に危険だ)と、米を買収していなければ吐けない言葉を呪文のように唱えさせ、新聞はセ~ノで異口同音のコピペみたいな記事を出す。こういうのを共産主義のプロパガンダというんです。裏口買収以外の方法でこんな離れ業がどうやったら物理的に実現できるか、皆さんご自分でじっくりお考え下さい。
中国はその地位を狙って地下資源のあるアフリカ、南米まで資金漬けにし、米はそれをつぶす。日本は最強通貨だった円でそれをさせないためにプライマリーバランスのくびきで30年縛って弱体化したのです。どこかに書いてしまったと思いますが、僕は野村香港社長だった98年ごろ財務省某高官の訪問を受け、ユーロドルを範とするアジア円構想の意見を求められたことがあります。まだそういう時代でした。難しいと思うと市場の現実に即したお答えをし、後にサマーズに潰されたと聞きました。米が基軸通貨性を脅かすそれを認めるはずがない、そういう位置づけのものだとは当時は知りませんでしたが、構想自体は意気軒高と思い、そういう財務官僚がおられたことには感銘を覚えたものです。基軸通貨である戦いの雌雄を決する巨額で持続的な決済。これを要するのはオイルなんです、だからアラブの胴元サウジを中国に渡すわけにいかない。もし米・露・サウジで組めば世界のオイル、化石燃料は3国で押えられ、価格決定権を握って儲けつつ世界経済を支配でき、決済通貨のドルは安泰で人民元を潰せ、武器でなくカネと平和でイスラエルvsパレスチナ、ウvs露を調停すれば米のヘゲモニーは守られ彼はノーベル賞です。トランプが露・ウの高官会議をサウジでやるのはそれがシナリオだからです。それもこれも錬金術あってのことなんです。暗号資産を国富に組入れるのはブロックチェーンによる信用創造が潰せない敵と悟った、だから取りこんでしまおうという逆転の発想です。米国民はそんなことは知りませんが、バイデンに乗っても戦争屋とウォール街が儲けるだけ、それよりトランプに乗った方が少なくとも自分たちは幸せになる、多数がそう思ったからトランプは勝ったのです。
では日本はどうなるか。DSの番頭バイデンの忠犬を演じて日米同盟を守ったことになってる岸田総理のあと、石破総理だろうが次の人だろうが、日本がキャッシュディスペンサーである美味しい現状をトランプに変えてもらう期待はないでしょう。尖閣は安保第5条では守れません(本気で核で脅されれば議会は参戦を否決します)。ウ国のNATO編入を露が戦争してでも拒むのは防衛義務の双務性ゆえです。日米安保条約の片務性にいちゃもんをつけたトランプに対し、反共防波堤の前線基地確保のために米が作ったものだという反論をしたところで、因果はどうあれ現状のフリーライドは看過できないとそれをネタに防衛費5%を吹っかけられるのが落ちではないでしょうか。それなら逆手にとって、基地撤収してもらって構わないので核保有を認めてくれと交渉すべきではないでしょうか。憲法改正と自衛隊の増強は必要ですが長い目で見ればその方が日本は安全な専守防衛ができ無駄な防衛費を抑えられ、ものが言える本来の国家状態に復帰できる可能性があります。ここから10年、トランプ以上にそれを飲んで議会を説得できそうな大統領が現われる期待値はほぼゼロです。懐柔、腹芸をまじえてそれを仕掛けられる傑物が総理にならなくてはいけませんね。相手はビジネスマンです。できそうな胆力、交渉力がある人は自民党にはいないかもしれません、政党より個人の資質だから野党だ新党だと言ってる場合じゃないですね。
1,2年ほど前に国内政治については散々好き勝手に書きました。それもこれもトランプ政権になるという前提での話で、そうなりましたからもうつけ加えることはありません。自民という党は不人気で支持が減っているのではありません、書いたように時代の流れからもはやオワコンなのです。右左だ保守だ革新だなんてものは元から戦後日本に真面目なテーゼとしてはなく、総理は米の高額請求書を国会で通すのがお役目だから国民ウケが良ければどっちでも誰でも構わない、その都合がいいように55年に米によって読売新聞などと共に作られた政党であって、いまや、どうやらシンジロー社長じゃコクミンは騙せんようだねってことになってる。だから切れ者の財務担当役員である財務省は重用なんです、これも米のヘゲモニーの一角という視点で見れば当然で、これだけ頭脳明晰な官僚たちが安月給で毎日夜中まで働いてくれる国など世界のどこにもないからです。
問題は何かというと、官僚もいち社会人ですからね、より良いポジションと報酬を求めるのは当然です。米は能力ある者には桁外れの大金をくれるんです。NPBとMLBが良い例です、大谷翔平も佐々木朗希もファンが泣き叫ぼうが米に行ってしまいましたね。金だけが人生じゃないなんて万人が言ってるふりをしないといけないのは世界で日本だけです。野球選手も官僚も選挙で選ばれてないんです、だから愛国心やら国民の負託なんて押し付けても仕方ないしそういう時代じゃない。日本は平和で世界一素晴らしい国ですが、そのコストとして、実力がある若者にとって悪平等でもあるんです。何のために厳しい受験勉強で勝ち抜いたんだと疑念をもってしまい、官僚になれるのに外資系のコンサルや金融に行く人が増えてるわけです。だから官僚の道に進めば、上司が馬鹿なら省益のために遠慮なくつけこむのはこれまた人間界では世界の常識なのであって、彼らに非があるわけではなく、情けなく官僚の軍門に下って使われちまう国会議員たちが情けないという事なんです。彼らは選挙で選ばれてますからね、泣き叫ぶ国民を無視して米になびくなんてことは許されない。そこが最大のポイントなんです。米では選挙で選ばれてない官僚が国をめちゃくちゃにしてるのは許し難いという国民国家にとって実にまともな大統領が登場した。日本では神輿に乗ってりゃどんな馬鹿でもオッケーという優秀な官僚制に巣食うだけのビジネス議員が閣僚になって利権をほしいままにし、世襲し、官僚は官僚で別の生態系を作ってしまい、それこそDSのスローガンである「民主主義にとって非常に危険だ」という事態になっています。そんな議員を政治に無関心な国民がスルーして選挙に当選させている、これがおかしいんです。あちこちで水道管が金属疲労で破裂してますが、立法も行政も同じことが起きてます。もう高齢者である僕の世代が発することのできる警鐘はそれだけです。これからこの国で何十年も生きていく若者が選挙に行かなければ、誰も救ってくれるものはありません。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。














