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米国放浪記(7)

2014 SEP 1 13:13:06 pm by 東 賢太郎

サンフランシスコと文化

8月19日、目覚めると外は雨だった。サンフランシスコは真夏というのに本当に寒いが、雨だとさらに寒い。灼熱の砂漠から都会に戻って5日目、すっかりこの気候に慣れていた僕は前の日にLPレコードを4枚買い込んで音楽モードになっていた。経験してみるとわかる。デスバレーでモーツァルトを聴きたくなる人はきっと稀だろう。和辻哲郎の名著 『風土』によれば砂漠気候は生命を殺す。人間とは対立関係にある。暑さで死ぬかもしれない日々の中でのんびり音楽を作ったり聴いたりという文化は育たない。アメリカという国は芸術が育つところとそうでないところが一日でドライブできる距離で隣にある。

もうひとつある。芸術というのは作ったりやったりする方はともかく、享受する方は基本はヒマ人である。音楽や絵など愛でても一銭の飯の種にもならない。カネの心配がなく、明日誰かに命を狙われることもなくのうのうと生きていける精神的な余裕でもなければとうてい無縁なものだろう。それゆえに、逆説的に、そんな無駄なものを愛好できるというのはカネに困ってないセレブだというステータスシンボルになると考える人たちが出てくる。僕は2週間アメリカ人を観察して、この人たちが多少成功してカネを持ったところでそういうスノッブになるだけだろうと思っていた。

アメリカと戦争して負けた当時の日本の知識人は大なり小なりそう思う、いや思いたい傾向があった。物量に負けたんだ。人間は程度が低い。良くて成金のスノッブだ。そんな連中でも使える近代兵器戦に負けたのだと。こんな国と戦争してはいけなかった、そう述懐する人の言葉には、こんな高貴な精神と文化を持つ我が国がという優越感を無理にでも確認したい心が隠れている。しかしそうではないのだ。安ホテルをハシゴする僕らのような旅行者が接するところに本当のヒマ人はいない。文化や哲学や科学を創造する精神は見えない奥の院に隠れている。いいものは自分から売り込みになど来ないのだ。

人生で初めて海外の交響楽団を聴きに行って、僕はアメリカという国家の目に見えない「階級」というものを肌で感じ取った。それは身なりやふるまいではない。そこに集まった人々の気や雰囲気とでもいうしかない何かが発している強靭なパワーだ。街で働いている人たちが小金を持ったところでとうていブレークできないような。そんな街をはいずりまわって喜んでいる僕などがとうていブレークできそうもないような。そう思って怯(ひる)んだ。その時は。サンフランシスコには全米トップ10にランクされるオーケストラがあり、オペラハウスがある。オークランドに野球の球団はあってもそれはない。あのスタンドの中国人の売り込みは正しかった。ここはやっぱりシティなのだ。

いちばん命が危なかったとき

この日、H と I はアスレチックス対インディアンスの試合を見に球場に、僕だけはサンフランシスコ交響楽団の演奏会に行くことになっていた。ベイブリッジを超えてもと来た24号線を戻り、ウォルナット クリークからイグナチオ ロードを通って野外音楽堂である演奏会場のコンコード・パヴィリオンに僕を降ろすと、二人は去った。

現在のコンコード・パヴィリオン(待ったのは右手のスペース)

この場所は街中のコンサートホールと違い、車でなければ来ないような人里はなれた丘の上である。この時、僕が彼らを球場に送って車をキープしていればよかった。球場は街中だから待たされても待つ場所はいくらもあるし彼らも野球をゆっくり見られた。そうしなかったのはコンサートが午後8時からで、終演は10時とみたからだ。まさかこの日に限って試合が延長戦になって12時を回ってもやるとは想定がなかった。

ここで僕が楽しんだコンサートはこのブログに書いた。そしてその顛末も。

マーラー交響曲第1番ニ長調 「巨人」

あんまり思い出したくないことだが記録としてもう少し詳しく書こう。終演と同時に聴衆はあっという間に車で消えていく。まだ二人は来ていない。あんなに大勢いた人はついに僕だけになった。遠くの街灯ひとつを残して電気が消えてあたりは真っ暗になった。この電気を消された瞬間の不安を、まだはっきりと脳裏にうかべることができる。ホールからは追い出され、雨上がりでことさら寒かったその晩に僕はぽつんと丘の上でひたすら二人の迎えを待つはめになった。服装はこの旅行のために買ってもらった水色のスーツだが風があってあまりに寒く、落ちていた新聞紙を背中に入れて体温を失わないようにした。一時間たってもまだ迎えは現れる気配もない。

そうこうするうち、丘の下の方から大型の野犬とおぼしき群れがこちらに音もなくやってくるのが目に入った。背筋が凍った。犬種は知らないが屈強の5-6頭だった。俊敏な足どりが何か絶望感をかきたてる。工事中のむき出しの土管があった。あわてて中に身をひそめた。すると目が光っている先頭の犬が近づいてきて僕のいる土管を向こう側から覗き込んだ。吠えもうなりもしない。じっと僕を見ている感じだった。何か考える余裕などない、ただただ体が凍りついて動けなかった。この時だけは人生万事休すと思った。何が起きたのかはわからない。不意に犬たちは一斉に僕を無視し、散り散りに足音もなく闇の中へ去っていった。

あそこで襲われていたらひとたまりもなかった。助けも来ようがなかった。僕についている先祖の霊か何かが犬を追っ払ったのだろうか?そうとでも考えるしかないほどキツネにつままれたような犬たちの退散だった。あいつらが気が変わって戻ってきたらまずい。とにかくここにとどまるのは危険と判断し、車道を延々と歩いて下った。二人は事故でも起こしたかと思った。であればもう来ないかもしれない。ヒッチハイクでモーテルまで帰るしかない。それでもしばらくは歩いている僕に連中が気がつくように運転者から顔が見える側を歩いた。そうしたらクラクションをブーブー鳴らされ、わざわざ窓を開けて「バカヤロー」と片言の日本語で罵声を浴びせていった奴らがいる。この野郎と思ったがどうしようもない。

しばらくして二人が路上を遭難者みたいに歩く僕を見つけた時はもう夜中の12時を回っていた。H も I も僕がこういう事態になっているとは想像もできなかった。それでも心配になり延長線を途中で切り上げてきてくれたのだ。もう言葉も出ず、寒さと空腹をいやすためサンボズというチェーン店にはいった。何を食べたか記憶もない。ケータイのある今ならこんなひどい目にあうことはない。いい時代になった。日記には 「死ぬ思いをする」 とだけある。この放浪で3度目の、それも最もシリアスな死にかけだった。

 

(続きはこちら)

米国放浪記(8)

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

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