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カテゴリー: 若者に教えたいこと

きざみニンニク殺人事件

2020 JUL 24 0:00:03 am by 東 賢太郎

「もういいかい?」「まあだだよ」

“かくれんぼ” をしていると、見つかりにくそうな場所は取り合いになる。すばしこい子にさっと入られてしまったり、大きい子にはじかれたりする。僕は体が小さくて体力勝負で負けた。つまんない所に隠れて、真っ先に見つかって鬼なのだ。しかし、ある日の事、いい作戦を思いついた。いま自分が見つかって失敗した場所は、次のラウンドではみんな危ないと思って隠れない。僕もドジを踏んだ場所を最初に探す気がしない。そうか、鬼になった子がつかまった場所に隠れればいいかもしれない?やってみると図星だった。この計略には長所、短所があることもわかった。長所は、何も考えなくていいということ。短所は、何も考えてない鬼には効き目がないということだった。

子供でも因果関係はわかる、当然だ。道具を使える猿もわかっているし、カラスは胡桃(くるみ)の実を道路において車のタイヤに轢かせて割る。「因」を観察して「果」を予測している。これがインテリジェンスで、動物にもそれはある。「情報」を「因」という形で処理できるからだが、情報は見たり聞いたり嗅いだりして集めるわけだ。その能力は動物によって千差万別で、犬の嗅覚は人の100万倍~1億倍だから、匂いにおいて犬は想像を絶する世界に生きている。雪の下にいるネズミを何メートも先から嗅ぎ分け、走って行って真上から飛び込んでつかまえるキツネは、そのインテリジェンスで狩りをして生きている。人間がキツネと同じ狩りができるロボットを作れるかどうか?できたとしても巨額の投資が必要だろう。

人間は動物よりも知性はあることになっていて、因果関係をさらに「法則性」という予見可能性の高低で分類している。「因」⇒「果」が100%起こるなら「方程式」と呼んでいる。方程式を発見すれば、それに何か「因」を代入すれば100発100中で同じ「果」が出る。だからロケットは月に命中するし、安心して人を乗せられるのだ。カラスのくるみ割りは、道が舗装してなかったり車が軽自動車だったりすれば失敗もあり得るが、かなりいい線を行っていると思う。「舗装道路」「軽自動車」はそのインテリジェンスを働かせる重要な情報であり、方程式を適用できる「因」かどうかを正確に見極めないと、胡桃は割れず食べられない。

ゴルフの上達はそれにかかっていると断言できる。まず第一にすべきことは、自分のスイングを「方程式化」することだ。つまり、同じ条件で打てば常に同じ打球が飛ぶように自分をロボットにする。現に、僕が読んだ「練習しないでシングルになれる」という本に堂々とそう書いてあり、その通りやったらなれたから、それは正しいと結論するしかない。ロボットは何も考えない。距離、高低、ライ、風・・・これらの「情報」を処理して、因果の「因」を得る。それがクラブ選択という決断だ。これで準備完了だ。あとは打つだけ。ロボットにおまかせ。もしも計略通りの結果が出る確率が8割なら、失敗した2割は情報の読み違え(「因」の判断ミス)に他ならない。あとはその精度を上げるだけだ。

以上の考え方は物事の上達のプロセスをきれいに因数分解しているのでわかりやすい。自分がなぜうまくならないのかを独習できる有用な方法だ。受験生は勉強ができるようになると思うし、ゴルフ以外のスポーツでも応用できるのではないか。僕は野球しかわからないが、特にピッチングにはほとんどそのまま適用可能である。さて、いいことばかり書いたが、実は、この方程式化のメソッドは大きな危険をはらんでいることもお示ししなくてはならない。極めて恐ろしい結末になることもあるということを。

きょう、腹がへったので台所を探検したら「揖保乃糸素麺(そうめん)」を見つけた。棚を探すと「永坂更科」のそばつゆがある(僕はそれ専門だ)。冷蔵庫に長ねぎもあるではないか。完璧だ。ゆであがりは3分ぐらい。すぐできて旨いのがいい。ねぎを蕎麦屋風に切って、素麺はザルで水を切って大椀に盛り、冷水を入れて氷をのせる。すばらしい。薬味はワサビもいいが、今日は生姜の気分である。冷蔵庫にちゃんとあった。「桃屋のきざみしょうが」である。椀にそばつゆを注ぎ、ねぎを少々、そして、きざみしょうがをたっぷり目に入れた。

食ってみて、一瞬、何がおきたか了解できなかった。なんじゃこりゃ?臭いでやっとわかった。生姜じゃない、ニンニクだったのだ。

調理に時間をかけたくない。腹はへっているし。そこで、冷蔵庫の棚の手前にニンニクがあったのが不幸だった。見かけはそっくりだ。

しかし、真の原因はそれではなかった。僕は鍋ものの時に味噌だれを自製する。なぜかというと、大阪梅田駅のカッパ横町に今もある「しゃぶ亭」さんのタレが絶品で40年前の梅田支店時代から毎週の如く通っていて、あれを自分で作りたいと毎度チャレンジしているからだ。その薬味がニンニクであり、もちろん、自分で生ニンニクを擦りおろす。

それが頭にあるから、まさか、家の冷蔵庫に「きざみ ニンニク」などという品が鎮座しているなど想像もしなかったのだ。きざみしょうががあることは知っていたから、完全にそれだと思い込み、何の疑問もなく取り出して、椀に盛大にぶちまけてしまったわけだ。

情報の見極めを間違うと、こうやって「因」が間違ってしまう。すると、「果」はまったく当たり前のように確実にやってきて、大変なことになる。仕事でやってらぞっとする。きざみしょうがと思い込んで僕はロボット化しており、何も考えず、ふたを開けても気がつかず、ちょっとゴロゴロしてるなとすら思わず、なんと臭いも感じなかった。我ながら信じ難い。

素麺はとてもまずかった。捨てようかなと思ったが、「お百姓さんが一所懸命に・・」という親の声がきこえ、ぜんぶ食べた。ちょうど刑事コロンボをやっていて、笑ってしまった。「ここがどうしても引っかかってたんです。どうして素麺のつゆにニンニクを入れたんだろうってね。おかしいでしょう?ウチのカミさんにきいたら、そんなことする人は絶対にいないって、ねっ、それでわかったんですよ、犯人はあなただって」。あるある。

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東京トラブル・キャンペーンに思う

2020 JUL 18 11:11:25 am by 東 賢太郎

株式投資で我々は未来を予見しようとする。できるわけではないが、「いま起きていること」で投資をすると失敗する手痛い経験を積んでのことだ。「良いニュースだ、でも不確実なところがある。それを調べよう」。慎重で手堅くていいことだ。そして、調査が終わったときは、株価は大体がピークである。

では、良いニュースに闇雲に飛びつけばいいか?もっと危険だ。なぜか?ニュースはマスコミが選ぶ。捏造もする。そんなものは意思決定の材料にしてはいけない。ニュースは知るべきだが、価値はnew(新しさ)にあるのではない。価値があるかどうかの判断は、自分の頭がするのだ。

そこに40年もいると、目線はいつも「2~3か月さき」だ。来年のことはわからないけれども、2~3か月さきのことは考えてみるに値するものだ。当たるかどうかは勘と経験だ。必ず当たることはないが、「当てたい」と思って生きていれば、そこそこの確率で当たるようにはなる可能性がある。

確率と書いたのは、野球のバッターが練習でうまくなるのと似ているからだ。打率はヒットを打つ確率である。練習なしに3割は打てない。「打ちたい」と思わなければ練習もしないだろう。僕は投資というビジネスに携わって、当てることを職業にしたからいつも「当てたい」と思い、そうして40年生きているうちにそれで飯が食えるぐらいには当たるようになった感じがする。現にそれで会社を作って食っている。

何度も書いたが、それは学校で習ったわけではない。東大で教えることは百年たってもなさそうだし、ウォートンスクールで企業の財務や株価の分析はがっちり習ったが、それらは当てるための万能の方法ではないことをむしろ学んだ。「当てたい」という欲望からしか育たないものがあって、ひと言で書けば「直感」という陳腐な言葉になってしまう。小学校からミステリー好きだったことの方がMBAの勉強よりずっと役に立った気がする。

サラリーマンの時はそうはいかなかったが、いまは当たれば自社の収益になる。つまり趣味の犯人当てで報酬がもらえる。ますます「当てたい」と思うようになる。これが僕の毎日だ。ステイホームだろうが猫と遊んでいようが、頭の中の活動だから何の関係もない。特別な情報はいらない。情報は今やネットで何でも手に入る。誰だって。でも、その使い方を知らないと、当たらない。

未来を「予見」するというのはおこがましい。因果関係のない未来は当たらない。だから、当たるとすれば、因果関係の範囲内だけである。これが投資のリスクというものだ。因果は読み解くことが必要だが、40年もやれば自転車に乗るぐらい意識せずにできてしまう。ただ、因果の「因」の方が大事だ。それを冷静に見ないと、「果」の予見は、高い確率ではずれてしまうからだ。

日本国の政治を見ていると「今はまだその時ではない」「慎重に検討して対応したい」など「エビデンスが揃ってから決断」のパターンばかりだ。これは役所や学者はそうでないと仕事にならないからであり、政治家はそれに乗っていることの象徴だ。株式市場で役所型の人が成功を収めたという話はきいたことがない。申し訳ないがカモになる人間の代表的な思考方法だからだ。

政治家に株なんて関係ないと思われるだろうが株の話をしているのではない。エビデンスが出る前に因果関係から予見できる程度のことは先に手を打つ。これは役所や学者にはできないからこそ政治家に必須のことなのだ。いつ?有事だ。平時は役所のルーティーンで充分。それが機能しない災害や疫病の有事にどう立ち回るか。政治家はその時のためにいると言って過言ではない。

つまり、福島原発の時を思い出していただきたいが、有事であたふたして珍妙なパフォーマンスをくり返し、役所の言うことをきいて後手後手になり(それは役人の責任ではない)、株が上がりきってから満を持して高値づかみして大損してしまうが如しの結末を迎えることになった。僕は、職業人の本能として、そういう「カモ」になる愚にもつかないみっともない行動をとる人が、よりによって自分たちのリーダーの地位にあること、その事実を許し難い。

では現況のコロナではどうか?役所の評判が悪くなったので専門家会議が出てきたが、役所に乗ってパフォーマンスを繰り返してるだけなのは福島での民主党と変わらない。緊急事態宣言がなかなか出なかった。あれがそう。有事の宣言を平時のスタンスでやった。おそらく理由は2つあり、①ぴったり1か月でGW連休が明ける4月7日まで待つ②同日に第1次補正予算を発出する、である。見事に役所的だ。発出時に「感染拡大の状況等から措置を実施する必要がなくなったと認められる時は、すみやかに、緊急事態を解除する」としているが解除は5月25日だった。

18日遅れたのはエビデンスで感染者が減っているのを確認したのだろう。見事に役所的だ。満を持しての解除後に追加の経済対策を盛り込む第2次補正予算案が6月12日に成立した。ここで、政府に「攻めのモード」が盛り上がり、夏休みの旅行を当て込んで4月7日の補正に入れてあったGoToキャンペーンが「目玉事業」として期待されたと思われる。これがそのペーパーである。国交省の事業と思われているが、

下のペーパーにあるように「国内に向けた観光需要喚起策」として4月に経済産業省に計上された国費1兆6,794億円を国交省において執行するものである。

役所の序列もあるが、経産官僚が仕切る首相官邸の息がかかった事業であることが伺える。国交省の赤羽一嘉大臣は公明党であり、全国旅行業協会(ANTA)会長は自民党の二階俊博幹事長である。

この計画と予算自体には別に異を唱えるものではないが、GW連休明けから5月25日までのエビデンス確認で、役人的感覚で「自信を持って」もうだいじょうぶだと踏み切ってしまったのがまずかった。これを以下『モード変換』と呼ぶことにする。株式相場もコロナウィルスも「未来が読めない不確実性の塊」であることに何ら変わりはない。そういうものを相手にした時、エビデンスは役に立たない。エビデンスが常に正しければいいが、不確実性がある(危機対応事態である)とは過去のエビデンスが明日も有効である保証はない事態の事を言うのである。役に立たないものを信じて、モード変換して自信を持って邁進してしまうほど危険なことはない。

何故そんなことが起きたのだろう?ポイントは、このペーパーは第1次補正(4月7日)のものであり、GoToは「コロナ収束後」を前提としていたことだ。国交省の「令和2年度国土交通省関係補正予算の概要」を読むと「全国的に落ち込む観光需要の回復に向けた反転攻勢」「地域の観光資源・観光イベントの磨き上げ」「海外に向けた大規模プロモーション」と、昭和50年代のイケイケだった証券会社の営業キャンペーンの文句かと目を疑う勇壮かつ泥臭いスローガン(進軍ラッパ)が並んでいる。明らかに「収束後」の目線なのだ。

緊急事態宣言解除が18日遅れたのは、解除が収束を意味するものではないからだ。宣言解除 ⇒ 第2次補正(=経済対策)⇒ 第1次予算執行となる政治シナリオができていた。収束したかのようなイメージを国民に与えないとGoサインは出せない。感染ゼロになるはずはない。官僚としては少なくとも減ったというエビデンスが集積しなければ無理だということだったのではないか。専門家会議が国民を欺くような決定に進むことに危機感を覚えたのは科学者なら当然で、反論が出たことは想像に難くない。

なぜ「想像」かというと議事録が作成されていないからだ。作成しないのはおかしいじゃないかという声が専門家から出ていたことは、尾身茂副座長が5月29日の記者会見で、同日の専門家会議でメンバーから「(発言者を明らかにした議事録の作成を)国の方としてもちゃんと検討してください」と求める声があったことを紹介した(朝日新聞)から間違いない。

専門家会議が御用会議なら議事録は平然と公表されたろう。そうではなかったから内容、発言者名を隠した。官邸は「専門家がOKと言った」と政策の正当化に使いたいのに事態は逆だった。ここから両者に溝ができはじめたと思われる。

http://新型コロナ対策専門家会議 政府側の求めで文言の削除や修

 

政府は5月25日から水面下で一丸となって、早く経済を回さねば!の方向に『モード変換』を行っていた。専門家会議の正論は隠して国民に「もう大丈夫」のイメージを植え付けるためだ。それは政治判断だと言えないことはないが、非常に問題であるのは「ウソをついていた」ということだ。官邸は専門家会議が決めたように「偽装」しようとしたが失敗し、首相と加藤厚労相は傷つかない所に逃げ、西村氏を人身御供に立ててモード変換を仕切らせた。西村氏は自身に忖度せずリスクを取らない専門家会議を法令に即した分科会に鞍替えし、万一の時は役所的稟議制で失敗した時の責任を曖昧にできる体制にした。これが専門家会議廃止の真相ではないか。これが何を意味するかは、賢明な国民はみな見抜いている。科学的知見の無視であり、因果関係の「因」を政治ニーズに求めてしまったわけだ。出てくる「果」は予定調和的に科学的に危険なことになる。あまりに当たり前で説明の必要もない。それが現況の感染者数急増であり、それに吹っ飛ばされかけているGoToキャンペーンなのである。

同じことを国民の側から見てみるなら、多くの人に「がんばってステイホームに耐えた」という実感があるだろう。これぞ、政府は何も成功してないのに結果はオーライという日本のコロナ対策の謎を生んだ一因だ。気温も心も寒い日々だった。著名人が亡くなった。オリ・パラは延期になりも甲子園はなくなった。でもいよいよ春が来た。緊急事態宣言が解除された。感染者も死者も減っている。プロ野球もいよいよ開幕だ。それで心も春になるのは不思議でない。僕も嬉しくてブログを書いた。しかし、同時に、どうも間違った空気が世の中に流れ出てきたなと直感で思った。野球場でファンが「やっとここまで来ました」といったのがそれだ。

コロナを抑え込んだのは医療関係者の頑張りのお陰でもあるが、それ以前に、国民の頑張りがあった。恐れたのは、それが政府のキャンペーンモードで一気に解けてしまい、「三密」が多発してしまうことだ。だからこういうものを書いた(半年で知った「三密こそ安全のキーワード」)。僕は個人的に4月時点で無症状感染者はすでに東京に数十万人はいたと思っている。医療ガバナンス研究所理事長の上昌広氏は百万人いてもおかしくないとTVで述べていた。限られた人だけに絞って行ったPCR検査で陽性だった人は、何十万人のほんの一部だった可能性がある。

とすると、そんなに感染リスクがあったのになぜ4月にピークアウトしたんだろう?緊急事態宣言も心理的に効いただろうし、西浦先生の「42万人死ぬ」もそうかもしれない。いずれにせよ国民の「コロナ・リテラシー」(正しく恐れる)を高める効果があったからだろう。政府はその過程で専門家会議による無症状感染者の存在や短期に収束する可能性の低さの指摘を公表せず、「国民に不安を与えるな」という動きを取った。国民を無知に止めおこうという涙ぐましい努力だが、正しく恐れれば不安はむしろ減るのだ。問題は、リテラシーの低いのは政治家の方だったことだ。西浦氏は「42万人の発表は政治家にわからせるためだった」と真相を語っている。

政策は未来に向けて打つから「策」なのであって、行く末を予見する努力をしなくてはいけないのは当たり前のことである。繰り返しになるが、そこで因果関係の「因」を見間違うと「果」も予定調和的に間違うのである。だから、首相官邸から世の中を騒然とさせたトンチンカンな政策が目白押しに出てきたのだ。取り巻きはペーパー作りはうまいが予見が不得手な役人であり、役所の論理で連休明けまで1か月とか、エビデンスが出そろったとか、因果の「因」を何の科学的裏付けもないものに求めている。失敗失敗なのは必然の理だ。一番ヘタクソな相場観で決めてるのだから。

嫌な予感はまず夜の街で当たってしまった。そういう場所がいかんとは思わない。若い頃は後輩と歌舞伎町のゴールデン街で泥酔するまで大酒を飲んで、気がついたら金が足りず、「いいわよ」とオカマのママの家に泊めてもらったこともある。だからあそこで生活してるいい人がいることも、生きていく大変さも知っている。禁じればセックス関連産業は地下に潜るだけで、種々の社会的危険はコントロール不能になるから返って危険なのだ。しかも三密やめろは無理だ、それが売り物なんだから。であれば初めから補助してあげて休業要請するしかないではないか。

そういえば大蔵省のノーパンしゃぶしゃぶ事件という著名な不祥事があった。僕は野村で担当部署ではなかったから関わらなかったが、関与した連中は大変な目にあった。大蔵省イコール東大法学部だが、僕みたいなのは皆無である。彼らは遊びなしのド真面目勉強人生で来てるからああいう世界はある意味コンプレックスであり憧れでもあって、そこに付け込んで接待して「おぬしもワルよのう」をやる。まあ歌舞伎町というのは、高級官僚までをも巻き込んでしまう所だった。いまやホストクラブが200件もあるらしい。客が女性なんてすごい、時は流れたんだなと感無量である。

この業界の人たちもお客も、経済活性化のゴーサインを持ち焦がれていたはずだ。つまり、結果的にではあるが、『モード変換』を積極的に行うことでそこに薪をくべて火をつけた犯人は官邸であり政府なのである。国民を無用に怖がらせるなと情報を隠し、感染しても構わないからお金を地方にばら撒いてもらおうという政策を強行した。東京都知事は宣言解除後の6月2日~11日に「東京アラート」を実施しているのであり、明らかに『モード変換』に加担していない。それを棚に上げて「東京問題だ」とはよく言ったもんだ。東京都はそこで検査を一日4千やり、ほぼ平均的な6%程度の感染者が洗い出されてきている。もし4月に4千やってれば、何十万はいた無症状者が同じほどひっかっかっていただろうと推察する。大爆発しなかったのは、国民がリテラシーを持ってよく耐えて頑張ったからだ。

そうこうして今に至って、GoToはいよいよ東京外しである。可哀そうなのは東京の旅行業者と、すでに申し込んでしまっていたお客だ。新婚旅行をGoToで予約してキャンセル料を3万円取られた20代がTVで嘆いていた。彼はその上に他県の人の補助金のために税金まで巻き上げられているわけだ。人生の記念すべき日に泥棒に追い銭となったのであり、気の毒を通り越して怒りを覚える。

官邸は東京人を敵に回したいのだろうか。小池百合子が嫌いなのは結構だが、まがりなりにも彼女を選んだのは都民だ。東京問題だから知らんというなら都政に干渉するなだ。万一このままコロナが非常事態になれば、小池は堂々と東京をロックダウンしたらいい。ただ、賭けてもいいが、政治としてのコロナ戦争にアクセルのふかし勝ちはまずない。ふかさせるsnookerがいい。都知事は、どうころんでも有利だ。アラブで苦労してもまれたタフな彼女にとって、この戦況はお手の物だろう。

国が有事は取り仕切ります。結構。しかし、ヘタな指揮者が棒を振ればオーケストラはぐしゃぐしゃになる。実に見苦しい。早くもGoToは東京トラブル・キャンペーンに変容してしまった。国は「全国一律」のしばりがある。それが有事には邪魔になることがある。カラオケで皆さん経験あると思う。「加山雄三しばり」「松田聖子しばり」(古いか)。1曲でも知らないと歌えない。いま官邸は「全国コロナしばり」は俺しか歌えないと威を示しつつ「”東京音頭” の部分だけ歌いたくない」になっている。だったら別な歌にするしかないだろう。

これは行政府としての国と地公体の棲み分け問題につながる。国だけができるのは外交と防衛だ。地公体に外交官と軍隊はない。それ以外は、国の裁量で、臨機応変に首長に権限を渡すことがあってもいい。権力争いでなく、どちらが国民の為になるかで。そんな度量を総理たる者は持ってほしいし、それで結果がオーライなら総理が評価されるべきだ。権限を渡せば首長が評価されてしまうと恐れるなら、実はすでにアンダードッグ(負け犬)である。じゃあ強い首長の方を総理にしたら?国民は自然にそう思うだけだ。別にどっちでも構わないのだから。

GoToを業界のためにやりたいならやればいいし、それが経済活性化になるなら結構と思う。それなら各首長に、東京も入れて旅人を受け入れるかどうか判断を一任し、受け入れて感染者が出たら地公体の責任で対応し、一方で、行く旅人の方も、検査して陽性者は禁止し、感染させない作法を守り感染したら強制隔離に従うことを署名させて補助金を出す。自己責任の後ろ盾として、受け入れを拒んだ県を含めて、国は地方交付税を一律に47都道府県に交付する。あとは首長に全権と全責任を委譲する。それで東京トラブルにはならなかったのではないか。

それをやるということは、「指揮者は不要」だったということだ。オーケストラの指揮台に立って「この曲に私は不要です」と宣言する。良い音楽を作ることでなく指揮者になりたいだけの人には百年たってもできないだろう。平時の世の中は役所で回る。有事こそ政治家の出番である。ということは、有事に指揮もできない政治家は辞めてくれという結論に自動的になる。まして、なんで713人も国会議員がいて、コロナの有事に一人も役にたたず逮捕者だけは出しておいて、どういう理屈で満額で300万円もボーナスがもらえるんだろう?野党の選挙対策は、無為無策で結託しても確実に外交と防衛で負ける。「国会議員を半分にします」「参議院は廃止します」ぐらい公約したら凄く支持されると思う。

 

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コロナは「君子」を炙(あぶ)りだす

2020 JUL 13 23:23:45 pm by 東 賢太郎

国内で確認された新型コロナウイルス感染者は、13日午前10時現在で2万2713人に上り、前週より2171人増えた。たった1週間で1割近く増えた。3~4月ごろなら蜂の巣をつついたような騒ぎになり「厚労省は何をしてるんだ!」と怒号が飛んだろう。

ところが今はどうだ。この数字を見ても首相はおろか責任者の厚労大臣すら影も形もなく、「東京の問題だ」とする。この人たちは自分が国民に責められ被告人状態になっても、気がついたら裁判長の席に座っている「忍術」の使い手だ。コロナ問題もそれになりつつある。第1波の失敗は専門家会議の責任。第2波は西村と小池をバトルさせて負けたほうの責任だ。裁判長は裁かれることはない。

東京は問題だ(都知事の失政で危ない)と言いながら「どんどん旅行に行きましょう!」である。経済対策は東京の中でやったほうが乗数効果がある。旅行である必要がどこにあろう?ココロは「東京のみなさん地方にお金おとしてね」だろう。とすると形を変えた「お肉券」「お魚券」である。それを「ウィルス拡散は大目に見ます」と税金で支援までする。もしも東京人が期待できなかったら?とても嫌な予感がする。外国人を入れてしまうのではないかと。すると羽田、成田からウィルスが東京に入る。かんべんしてほしい。

海外にはマスクをしない大統領が二人いた。トランプは「感染しても99 パーセントは無害」として1日で6万人(日本の150倍!)の感染者を出し世界一、死者数も世界一。もうひとりのブラジル大統領は「風邪みたいなもの」「みんなかかって抗体を持つべき」として、自分が率先垂範して罹患してしまい、国を感染者、死者で世界二位に導いた。まことに勇壮な両雄である。トップはマッチョを地で行く国々なんだろう、それが馬鹿と言われず選挙で許されてしまうお国柄もあろう。

わが国はどうか。マッチョよりマスクが大事であり、そこは二人と違って合格だ。むしろマスク文化を世界に広げたようだ。しかし「まだ病院のベッドは空きがある」とGo To Travel作戦を決行するのは、彼らと同じほど勇壮だ。ベッドが埋まってから作戦停止しても遅いのだから、重症者が出てきたら誰が責任取るんだろう(いま書いて気持ちが悪かったが、どうでもいいことだが、Go To Travelは英語として変じゃないか、go to Kyotoなら正しいが、それを言いたいのならGo travelだろう)。

冒頭の「1割増えた」だが、これは小池知事の言うように検査数が増えたからでもあるような気がする(原データがないから確たることは言えない)。4月のピーク時は症状がある人だけ検査したから無症状者は入ってない。今回は濃厚接触者である無症状者も検査している。そのサンプリング・メソッドの差が出つつあるのではないか。当時は発症したら検査だった(なかなかしてもらえなかった)からほぼ世の中の感染者の伸び率を反映したが、今は無症状既感染者も検査しに行って新たに確保した人数だから厳密には伸び率ではないかもしれない。

つまり、4月にも検査網にかかっていない無症状者はたくさん市中にいただろうし、今は毎日の伸び率が「発生数」でなく「捕捉数」でもあるからあんまり毎日一喜一憂する必要はないかもしれない。まあそんなことを乏しいデータで憶測するより、23区内の都民全員の検査を強行すべきだろう。それで陽性と出たら全員を病院、ホテルに隔離する。それさえしてくれたら僕は毎日満員電車で通勤するし、飢えているので毎日外食するし、銀座や赤坂にも心置きなく足を向けてカネを使う。皆さんも安心してそうされるだろう。「営業自粛要請はしません」という政策は、表向きはいかにもお店のために見えるが、その政策故にもっと感染が広がると思う客は来ない。お店に限らず、すべての経済活動をむしばんでしまう本当の地獄はそっちだろう。

国民は安心が欲しい。「桜の開花宣言」みたいな「お上のお墨付きご判断」はいらない。ここに至ってそんなもの誰も信用してないからだ。最低限の信用できる情報、データの開示だけでいい。例えば、新宿、池袋、東京、品川、渋谷の駅の乗降客数や、特に混みあうスポットの歩行者数や入場者数をリアルタイムでスマホ配信するぐらい簡単にできるはずだ。行った店で「感染者出ました」なんて何時間もたってから教えてもらっても、もう感染してるかもしれないのに何の意味があろう。行く前からリスクを自分で判断して行動する。それが大人の市民じゃないの。「君子危うきに近寄らず」という。時に豹変もするが、まずは無用なリスクを取らないのが第一歩、それが君子(立派な人徳やすぐれた知識・教養を身につけた理想的な人物)だと古典は諭しているのである。

べつに立派な君子になろうと勧めるわけではない。若者には息をするぐらい簡単なことだ。スマホの現在の数字見て「うわっ、渋谷の交差点増えてきた、いま行くとやばいな」、「池袋は減ってる、穴場だぞ」「東横線、意外に混んでないな」となればひとりひとりが自主的に行動変容するきっかけになるだろう。その変容ぶりを測定すれば有意なビッグデータができ、さらに有効な感染防止策ができるだろう。どうしてそういうことをしないんだろう。国や都がやらないなら民間でできるだろう。東京アラート?何がどうなって、誰が、何の根拠で、いつ判断して橋が赤くなったのかさっぱりわからん、そんなものを都民は信用しない。そんなショーに金かけるんじゃなく、判断材料となる「原データ」をぜんぶ、あっさりと、わかりやすく開示する。それを国民は見て、因果関係を学び、自分で判断して決めるように進化していくだろう。国の運命を左右するのは政治家でも役人でもない、国民なのだ。国民の進化こそがポスト・コロナでの国の在り方を決め、国を進化させ、日本が優位に立っていく道を切り開くだろう。

おそらく、政治家は、自分たちが選良であり賢くて優れていて国民は馬鹿なのだという図式を絶対にくずしたくない。政治家が政策決定するという「お仕事ぶり」を有権者に常に見せておきたい。だから、実は見れば子供でもわかる情報、データを囲い込んで開示せず、「慎重に検討しました」ともったいつけて発表する。これは国会議員が700人も存在するレゾンデトルを作るための有効なパフォーマンスであり、与野党は関係なく地位保全のための “互助会” としてそれをやることが暗黙の了解なのだろう。それで一定数の「他人に決めてもらいたい人々」(フォロワー)を作り、囲い込み、選挙でその人たちが確実に自分に投票してくれれば当選という安定したメカニズムをたくさん作った政党が「与党」になるのである。選挙のお金はそのためにばらまかれるのである。こんな馬鹿な事をやっていたら、予言しておくが、確実に、日本は沈没していく。我々世代はもう繁栄を充分に謳歌させていただいたが、若い皆さんにもそうあって欲しい、だから自分の未来の幸福のために選挙に行った方がいい。そして、その中からこれをぶち壊す若い候補者が出てきたらと切に思う。日本の政治革命をしてくれる選良が現れたら、僕は徹底的に応援する。

スマホを持てばどこの誰でも「発信者」になれ、小学生でも中学生でも、放送局にも芸能人にもニュースレポーターにもなれる時代が加速している。いっぽう、受信者としては、世界から好きなデータを好きな時間に無料でゲットして瞬時に判断に利用できるようになった。スマートになったのは道具だけではない、ユーザーもどんどん賢くなっているのだ。かたや、ファックスという言葉すら死語になった時代にいまだにそれを使って手書きで送り、見られてはいけない賄賂の記録がサーバー復元でバレてしまうことを、隠した者が知らないというお粗末以上に驚くべき日本の政治家、役所の「進化のなさ」は中世の如しである。役所の人たちは東大を出ているが、そんなものは進化の前には無力だ。ハンコは個人的には古典文化として好きだが、といってそのためにテレワークなのに満員電車で出社させられたり、IT大臣がPC使えませんというのはもはや笑えない。世代だから仕方ないというなら60才以上は議員も役人も全員無条件で引退してくれというぐらい国家の存亡のかかるリテラシーだ。

選良の作るはずの政策がお粗末なのは、選良でないからだ。お友達が選良と思ってる人が選良であるはずがない。個人がどうであれ、組織としてそうなればいいのにそれすらできない。知らないからだ。台湾のIT大臣はすばらしい政策を練り、難なく実行した。あれこそ国民の命を守る政治家の姿であり、選良であり、閣僚として圧倒的に若い彼を見つけ出して任命した蔡英文首相こそ僕は選良の上に立つ「君子」だと思う。女性であり、コーネル大学修士、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス法学博士であるが、それが君子の要件ではない。政治家として優秀だからの一言に尽きる。彼女を選んだ台湾国民も見事だが、候補者にこういう人がいたということがまず幸福だった。日本にもきっと、若い世代には、君子の候補がいると信じる。派閥の力学とか当選回数とか、国民の幸せにはまったく関係のない世界でトップが決まる。まず、その力学の構造を壊す人が出てこないかなあと渇望している。

 

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「Go To トラブル」キャンペーンは乗らない

2020 JUL 12 0:00:38 am by 東 賢太郎

プロ野球に観客が戻った。少し不安に思ったのは、席はまばらに売ったのだろうが、場所によって三密になっているように見えたことだ。インタビューを受けたファンがこう言っていた。「やっとここまできました、嬉しいですね」。気持ちはよくわかる。しかし、政府が手綱をユルくしたから「もう大丈夫」なんてことはまるでない。人間はしばらく我慢してやった気になっているが、それはウィルスには関係ないことだ。

本稿を読まれると、僕は経済再生政策よりも感染抑止政策に寄っていると思われるかもしれない。その2つは車の両輪でどっちが大事というものではない。僕の仕事は株式市場が好調な方が有難いのは火を見るより明らかだ。したがって強力な経済再生政策が望ましい。ところが、それを不用意にやると市中感染者が増えてコロナにかかるリスクが増える。僕が倒れると会社はお終いだ。株の不調でそれはない。だからまずしっかりした感染抑止政策を望むのである。

東京の「1日200人台」は検査数が増えたからで、同じ検査をしていれば4月の数字はもっと多かったはずだから大したことないと堂々と言われている。これはおかしい。あの頃は「37.5度の熱がある人」だけ検査した。今はその縛りはやめて夜の街クラスターつぶしだ。つまり、サンプル(検査ターゲット)に別々の偏りがあるから数字を比べる意味などどこにもない。ワイドショーの茶飲み話に右往左往するのは見苦しい。

アメリカではアンソニー・ファウチ所長が6月30日、人々の行動が変わらなければ、米国内の新型コロナの新規感染者数は1日当たり10万人に増加する可能性があると上院の委員会で証言した。案の定、7月10日に6万3900人と過去最高の新規感染者が出た。数字を独占していたニューヨークはやや落ち着いたが、フロリダ、テキサス、ジョージア、カリフォルニア等が数字を激増させている。トランプが科学完全無視の俺様経済政策に舵を切り、ニューヨーク現象だったのが中西部に飛び火を始めた。

トランプは責任逃れで「ファウチは間違った」「99%の人にウィルスは悪さをしない」と驚くべき発言をくり返し、大統領選の主戦場となるサンベルト地帯で自ら首を絞めている。彼のコロナ政策を支持する国民は33%しかいない。この数字は「太陽が地球を回っている」と発言しても支持してくれる岩盤層の比率と合致する。それでもトランプ陣営が勝てるとふんでいるのは有権者の40%がバイデンは認知症かもしれないと疑っているからだ。80近い爺さんの一騎打ちだ。これがアメリカとは信じ難い。

日本も似た者同士だろう。新規感染者が増えてくると「専門家会議が間違った」と廃止する。「ウィルスはそんなに悪さをしない」とばかりに「Go To Travel キャンペーン」だ。「数字が増えたのは東京問題だ」と官房長官が逃げ、兵庫県知事も「東京が諸悪の根源」とまで言ってくれる。ほっともっとフィールド神戸で巨人が主催したヤクルト戦、東京のファンが数千人も応援に行ってるがTVを見るとけっこうスタンドは「密」だった。感染者が出たら今度は悪の枢軸に格上げしてくれるんだろうか。

コロナの空気感染をめぐっては、世界各国の研究者239人が連名で新型コロナウイルスが空気感染するとの書簡を専門誌上に発表し、あれほどパンデミックを認めるのが後手後手だったWHOがついにこう認めた。

 

「主に屋内で、混雑し換気が不十分な場所で新型コロナウイルスが空気感染することは無視できない」(WHOガイドライン、7月9日)

 

僕も冒頭に書いた野球ファンと同じでそろそろ箱根の温泉でも行ってみようかなと甘く考えていたことを白状しなくてはならない。もちろんやめる。空気感染というのは、咳、くしゃみでうつる飛沫感染と違う。近くにいる陽性者が息をするだけで感染する。いただけで、しばらくは空気中にウィルスが浮遊する。マスクは飛沫はブロックしてもウィルスは入りも出もダダ洩れだ。

ということは、「三密」をますます厳守ということだ。それしか身の安全を守る方法はない。200人出たら緊急事態宣言になるのかどうか?ついに第2波がやってきたのかどうか?そういうことを井戸端会議で論じるのは一興だろうし、それを仕事にされている方もおられるだろうが、「梅雨入り宣言」「桜の開花宣言」と同じほど僕にとってはまったくどうでもいい事である。やるべきことは変わらないからだ。

ちなみに、誤解してる人が多いが、三密とは密閉、密集、密接の3つだが、「全部同時にやると危険(=3アウトチェンジ)」ではなくて、「どれか1つでも危険(=ワンアウトチェンジ)」だ。それを徹底して避けて、うがい、手洗い、鼻洗浄を励行すれば大丈夫と思っていたが、空気感染という話が出てくるとソーシャル・ディスタンスは2mでは済まないのだろう。

小池都知事が不要不急の他県への移動を自粛するよう都民に呼びかけた。都民だから言うことをきこう。旅行に出ても東京人は諸悪の根源だから迷惑だし、冷たい目で見られてるんだろうなんて気にしながら温泉入ってもくつろげないし、東京問題などといってる政府のキャンペーンなんか乗っかったら「Go To トラブル」になるだけだ。

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必然は偶然の顔をしてやってくる

2020 JUL 10 18:18:40 pm by 東 賢太郎

さっきニュースで英投資会社スローン・ロビンソンが閉鎖を決めたことを知った。ヘッジファンド業界が厳しいとは聞いていたが驚くしかない。僕にとって同社との出会いはどんなドラマより劇的だった、なぜなら、それがソナー・アドバイザーズという会社を生んだのだから。

 

僕は2010年にみずほ証券を辞めてフリーランスになり、理想とする金融業務を行う会社の設立に全身全霊をかけていた。出資を仰ごうとまず香港、インドネシアに飛んで超富裕層の華僑にプレゼンテーションをしてみたがうまくいかない。自国市場の方が日本より成長率が高いのがネックだった。

作戦は難航したまま半年が経過していた。ニューヨーク在住のY君からメールをもらったのは6月5日の夕刻、成田空港でのことだった。香港で断られて真っ暗な気分で帰国し、成田エクスプレスの到着を待っていた時だ。

「東さんとは気が合うと思います。電話しておくので、すぐにロンドンまで行って下さい」

すぐY君に電話した。心が躍った。人生最悪の時に人生最もエキサイティングな話と思った。電車が来たときに、もうロンドン行きが決まっていた。

その相手が、1兆6千億円の資金を運用するスローン・ロビンソンの創業オーナー、ヒュー・スローン氏であった。面識がなかったが、シティきっての日本株投資のプロである。こっちもプロである。わかってくれるはずだ。もらった時間は午後1時から2時まで。その1時間に賭けようとロンドンに飛んだ。

陽ざしの強い夏日だった。1時のアポの直前まで大英博物館のベンチで資料を盛大に広げてプレゼンの仕上げをしていると、通行人が怪訝な眼を向けた。構ってる場合じゃない、こちとら失敗は許されないのだ。ふと思い出した。こういうことは新入社員だった梅田支店でもあった。それで大坂財界の大物をお客さんにしたじゃないか。じたばたしてもいいことない、開き直ってやるだけだ。

スローン氏は年格好は同じほどのオックスフォード出の聡明な紳士だった。Y君の直感通り、すぐに意気投合した。6年間シティで日本株を売っていた頃の、緊迫はしているが何かが起きる期待にも満ちているあの空気がおだやかに部屋を流れた。プレゼンはほんの30分で終わり、雑談になって2時間ぐらいになった。同行していた息子を呼んでツーショットまで撮った。返事は快いものだった。

スローン・ロビンソンのオーナーがスポンサーになったということは周囲でいっぱしの話題になり、まだ設立してもいない僕の会社の信用になった。おかげで別の方からも出資をいただき、2010年10月20日にソナー・アドバイザーズ株式会社は誕生した。すべてはY君のくれた洞察力に溢れるメールと、スローン氏との好意に満ちた2時間から生まれたものだ。

今も出会いの瞬間は昨日のように覚えている。何も言わずに握手しながらしばらく彼の眼をじっと見て、信用できると思った。付き合いを始めてみても、その判断は裏切られなかった。40年この仕事をして何千人の眼を見てきたか数えようもないが、そういうものなのだ、人種も年齢も性別も宗教も学歴も職歴も握手も、その全部を束にしても、眼よりものを言うことはない。

 

昨日の東京はじとじと雨だった。梅雨は苦手だ。6月のグァムが意外にましだったのでこれから毎年そっちに逃避しようと思っていたが、コロナでもう難しくなったかもしれない。ZOOMで業務は進んでいるが、いかんせん3か月もステイホームすると外へ出たい。感染はできないから三密は禁忌して近場をジョギングする程度だが雨でそれもできない。

スローン・ロビンソンが閉じるというニュースは、じとじとした気持ちをぴんと引き締めた。そんなはずはないだろう。まずこの記事ほんとうだろうかと疑った。英語のニュースソースを調べると、それは2日前の7月6日に発表されていることがわかった。誤報ではなかった。その日をもってスローン・ロビンソンは消えたのだ。

7月6日・・・

ちょっと気になって、2010年の日記帳を引っ張り出した。大変な時だったから記録のために日々漏れなくびっしりと出来事を書きつけてある。ページをめくりながら、だんだん「ひょっとして」が強くなる。あった。やっぱりだ。

プレゼンをしたあの日は、10年前の7月6日だった・・・

これは僕の胸中で既視感を呼ぶ。こういうことは過去に何度かある。偶然といえばそれまでだが、偶然にもいろいろ種別があって、生きてることも我が両親のもとに生まれたのも、自分で決めなかったものはみな偶然なのだ。ところが、自分で考えて決めたはずなのに実はすでに決まっていたかもしれないと後から強く感じること、いうならば、

必然は偶然の顔をしてやってくる

というものが、この世の中には存在しているという気がしてならない。実はどこかで先に決められていて、その選択肢を僕が選ぶことも決まっているのだが、それに気づかないようになっている。だから「あれは運命だった」みたいな後付け解釈が施される。あの日に巨大な王国に見えていた1兆円の会社が、これから作る僕の会社より先に消えるなんて何億分の一の確率もあると思わない。

必然はきっとプログラムされている。そう思う。ぴったり10年とはいかにもプログラムっぽい。誰がしたかは誰も知らず、アインシュタインはそれを神だといった。我々に見える物質(元素)はぜんぶ足しても宇宙の4%しかない。我々は96%の部分に何があるか知らないし「4%世界の常識」に合わないものは「そんな馬鹿な」で切り捨てている。重いものを受け取った気がする。

 

僕の運命を変えた広島カープ

 

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小池氏の圧勝に感じる微妙な不安

2020 JUL 7 1:01:02 am by 東 賢太郎

小池氏が得票率59.7%。その他はぜんぶ足しても負けというのはやる前から戦いになってない。つい高校時代、甲子園の予選で同じブロックに強豪の日大一高の名前を見た時のことを思い出してしまった。いとも簡単に優勝されてしまったが甲子園で16三振も取ってドラ2でプロ入りする投手との差は致し方なかった。

では小池さん、その投手と同じぐらい図抜けてるの?どこが?という問いに答えられる人はいるんだろうか。前回の公約はほぼ未達だし、対戦相手が弱すぎ以外にないんじゃないか?会社で議決権6割なら独裁であって社長が経営に失敗して倒産すれば社員は路頭に迷うしかない。しかし政治はそうはいかない。

国政もそうだ。安倍首相の自民がいとも簡単に選挙に勝ってしまい、取り巻きが独裁でやりたい放題になった。それで良かったことも悪かったこともあるが、良かった方を美点凝視してOKというわけにはいかないのが現在の困った状況だ。醜点凝視する気もないが、案件ごとにダメなものはダメだ。

僕はリベラリストだ。個人主義、資本主義、自由主義、国際主義、人種・性別・信教の平等主義を尊重したいし、税金はたくさん払うから権力は干渉してくれるな好きにやらせてくれという市民だ。たまさか、それらは西洋人が血を流して勝ち取った「市民革命」の賜物であって、日本でそれは一度も起こっていない。

ではなぜあるかというと、憲法のおかげだ。列挙した**主義どれひとつ江戸時代までない。全部借りものだ。日本国憲法が市民革命なき国を変えた功績は大であり、GHQの押しつけ憲法というが、70年もたっていまだにそんなことを言ってる幼稚な国民はもう70年たってもアメリカから自立などできないだろう。

借りものは身に染みついたものではない。自民党に丸腰で委ねて大丈夫かという疑念は常にある。憲法9条改正は賛成だが本当にそれだけかと。国会を飛ばして法を勝手解釈するのを目の当たりにし、ますますそう思った。まして僕の払った税金がご贔屓候補のマンジュウになってるなら気持ちの修復は不能である。

じゃあリベラルを支持すればいい。それが道理だ。しかし、最大のネックは、この人たちは本当に日本国を体を張って守り隣接諸国と好適な距離をとる人たちなんだろうか?という素朴な疑念を感じることだ。もちろん守ると言うだろう。でもそれは僕の望む生活を守ってくれる日本国なんだろうか。

英国の “影の内閣” がない。任せてみた民主党、悪夢の3年というがコロナ対応のひどさは安倍政権も変わらない。でも野党は敵失があっても浮上できない。リベラルは左を意味してしまうからだ。これぞ日本にとって悪夢なのである。僕のような者が安心して市民生活を送れる政党が欠落しているのかもしれない。

 

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専門家会議と反知性主義

2020 JUN 29 19:19:47 pm by 東 賢太郎

西浦教授が4月中旬に、専門家会議としてではなく個人の見解として公表した42万人が死亡するとの推計には、過大でないかとの批判があった(東洋経済、6月27日)。

数学の解答に過大はない。こういう記事を書く人がいるから過大になるだけで、そうではないとわかりやすく解説するのは政治家とマスコミの仕事だ。それができなかったから「専門家会議が機能しなかった」という意味不明の話に持ち込んで責任逃れする羽目になる。メンバーでない西浦氏の暴走を止められなかったから専門家会議はもう不要だという説まで現れ、では会議を招集し西浦説を採用したのは誰だったんだと、ここまでくると誰を守りたいのか貶めたいのかわけがわからない惨状である。

西浦教授は「(集団免疫政策を採って)何もしなければ」という条件で最大値を計算し、疫病の最大の被害規模を想定して示した。学者として当然のことだ。思い出していただきたい、福島第一原発の津波対策を巡って「事故の3年前に10メートル前後の大津波が襲う可能性を示す試算がありながら東電は十分な対策を取っていなかった」と猛烈に批判が出た。「まさか14メートルのが来るとは思っていなかった」との弁解は許されず、原子力安全・保安院長の「私、文系なので」は迷言として記憶された。いま西浦教授を批判している者たちは彼らを許さなくてはいけない。

危機管理において最大限の被害を想定するのは世界の常識である。最大限のことを言っているわけだから常識を外れて聞こえるのは当然だ。「何もしないなんてことはないのだから」と、人が仮説を立てている傍から仮説を否定してかかるような粗野な頭脳の人は論理思考がまったくできず議論にすらならないことを暴露している。国民を無用にパニックに陥れると批判するのは危機管理する気のない人であり、結果を見てからそうならなかったじゃないかと後出しジャンケンをする人はただのアジテーターである。いずれにしても政治家にしてはいけない人であり、「知性だけで物事は決まらないよ」とそういう人たちの存在をあえて正当化して許してしまう考え方を反知性主義と言う。

下のグラフをご覧いただきたい。結果を見てから語っても良いなら、日本国の感染者数は西浦教授が42万人死ぬと警鐘を鳴らした4月15日(下の黒い矢印)から今に至るまでずっと減ったままで、国が緊急事態宣言を解除しても増えていない。「西浦教授の警鐘が国民の行動変容をもたらしたからだ」と評価できない理由がどこにあろう?教授は危機管理の要諦として、可能性のある最大の数値(福島原発なら10メートル超の堤防の必要性指摘に相当)を指し示し、コロナの場合それは国民個々人のウィルスの恐ろしさの正しい認識と危機意識に依拠していることを危機感を与えることで知らしめ、一定の成果を挙げたということではないか。

このグラフは東京だけのグラフとほぼ相似形である。

つまり、コロナ対策とはほぼ東京対策であると言って過言でない。全国区(平等に日本国全体に)というお題目でしか施策を打てない官邸としては困ったことで、東京に有効な対策があったとしてもそれを感染者ゼロの岩手県にもしなくてはいけない。それでも東京がうまくいけばいいが、その場合は小池知事のお手柄で、失敗すれば安倍政権の責任というまったく割の合わないゲームになっていた。この「全国区しばり」の制約こそが、ひと家族2枚だけというアベノマスクの究極のショボさに「何もやらないよりまし」という免罪符を与え、やらない方が良かったねという不幸な評価を固めてしまったことは想像に難くない。

東京都民としては、夜の街のクラスターなどよりも都に管轄権がない羽田、成田経由の外人によるウィルス大量持ち込みが最も怖い。「専門家会議は法的根拠がないから解散」などと政権が言いだすと、官僚っぽいその理屈で立法権のない東京都を篭絡して経済対策のために米中の入国禁止を解除し、「国がインバウンドによる景気対策やってます」のパフォーマンスに持ち込まれる危惧を覚える。コロナのリスクを最も抱えている都民を犠牲に「国民のためにがんばってますキャンペーン」はやめてほしい。それと戦える人に都知事をやってもらうしかないだろう。

ポピュリズムに徹する今の政権にとって反知性主義はやりたい放題の温床となるありがたい考え方だ。学者や専門家は自分の都合の良いことを正当化してくれればいいだけの存在で所詮はお飾りである。賞味期限が過ぎれば他の飾りに変え、お色直ししてイメチェンだ。中身はもちろん、いつも同じだ。首相がかわって院政を敷いても同じだ。馬子にも衣装とはこのことで、その手法はというと、「これはプロの味ですね」とプロの料理人に褒めさせておいて「あくまで個人の見解です」と画面の端っこに断り書きを入れてさえおけば、誰が見ても明々白々のヤラセなのに「合法的でしょ」とできる昨今のテレビCMと同じだ。「法律に基づいて適正に処理している」という国会答弁が、まさにそれである。

専門家会議が法律に基づいたものかどうかなど国民はどうでもいい。専門家の意見を聞いて判断するのは政治家だからだ。政治家に結果責任を問うという国民の眼からは逃げようがないのがSNS網が張り巡らされた現代の政治環境である。専門家会議の先生方は政策決定の外見作りに利用されていることにどこかで気づいたと思う。当初、尾身先生は専門的知見と経済政策を混同されているように見えた(恐らくそういうミッションと解していた)。拙ブログに「解のない連立方程式」と書き、次第にそういう世論になって行き、最後は「経済対策は政治のご判断」と言い切ったのはあっぱれだ。それは最初から自明のことではあったが、西村大臣の新たな会議が招集されたところで、数学で「解なし」の解が有識者で会議を開けば見つかるわけではない。

ここで「いや、世の中は数学や疫学で動いてるわけではない!」と演説すれば「そうだ!」と人気がとれるだろう。それが反知性主義によるポピュリズムだ。無知だが純真なピープルを守ってあげようという主義ではないことをピープルは気がつかないところにのみ成立する政治技法であるのは、その権化であるトランプ大統領を見れば歴然としている。「知性で政治はできません、国は良くできません、私はそれをやる力がある、だから私に任せなさい」という、資金力や閨閥や票田はあるが知性がない政治家に都合のよい主義であり、知性はあるが知的売春をいとわない宦官たちによって支えられる。選挙は街宣車やウグイス嬢など世界に類のない滑稽かつ膨大な無駄にカネがかかるシステムをあえて作り新規参入を阻止する。晴れて国会議員になれば逮捕されたって高額のボーナスが出る。そんな仕組みの挙句の果てに、政党が税金で票を買うところまで行ってしまえば「それをやっちゃあお終いよ」の審判が下るのは世の道理なのだろう。法律より尊い人間の生き様という法があることを気づかせてくれる。

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半年で知った「三密こそ安全のキーワード」

2020 JUN 22 18:18:30 pm by 東 賢太郎

「県またぎ自粛が解除になったので行ってみようと思いました」と笑顔で温泉宿にはいる老夫婦のインタビューを見ていて日本人は本当に真面目だなあとつくづく思いました。緊急事態期間中は「8割オジサン」のいいつけ通り、ほぼいい所まで都会の人通りは減ったと思いますよ。罰則なくても「空気」ができて、コロナ警察まで現れてしまう。空気パワーは罰則並みです。それに加えて国民一人一人に染みついてる、神道の「お清め」にルーツがあるといわれる清潔観念(不浄忌避)は世界でぴか一ときてます。アメリカでは「常にマスクして家で靴を脱ぐ人が現れた」なんてのがニュースになるぐらいですからね、日本の真似など百年早い。

日本の患者数、死亡数が少ないのは世界のミステリーになってます。医学的な理由があるかもしれませんが、やはり「真面目さ」「清潔観念」という数百年の文化の蓄積も大きいと思うのです。麻生大臣の「民度が違う」というのはその意味で当たってますね、だから日本の政治家は楽でしょう、上に乗っかってああだこうだ適当にやっていればOK。それがどんなヘマだろうと民度の高い国民が自分で適切に行動してくれるんですからね、票を買収してでも国会議員になりたいのわかりますね。でもやるなら身銭でやってつかまれ。それを税金(他人のふんどし)でやるなど品性が下劣極まりない。それが法務大臣って泥棒が裁判官やるみたいなもんでしょう?それやっちゃあ人間お終いですね。

ただし政府のしたことで一つだけよかったことがあります。4月3日に海外からの入国制限令を出したことです。オリンピックと習近平ソンタクで甚だ遅れはしましたが都知事も立場上いえなかったんでしょう。でも羽田、成田を通すと東京来ちゃいますからね、東京は一番危険地帯になるんです。ウィルスの防御は、海外から持ち込まない事こそ最善策です。日本人は民度高いですから、入ってしまったものは何とかマネージする。「入り」さえ制すればいい。宣言解除後も数字が増えてないのは政府の宣言が効いたのではなく、入国制限令をまだ解除してないからです。だから、解除するとまたどーんと増えます。それだけです。

緊急事態宣言を解除しようがウイルスが空気読んでくれるわけではありません。でも、日本人が5,6月にどうウィルスをマネージしたかを自分で知ってそれを真面目に続ければ県またぎしようが温泉行こうがそれほど問題ではないでしょう。なぜマネージできたのか?「真面目」「清潔」という世界最高峰の民度のうえに「三密はダメよ」が乗ったからです。海外はソーシャルディスタンシングでしたかね。なんでシングなんだよ、動名詞だよって、そんなのどうでもいいし長ったらしくてすぐ忘れるし、一番危ないソーシャルでない連中にコロナを機にいい子になれっての?道徳の授業かよって。

かたや「三密」はどことなくねちっこいワーディングです。密ってのが妖しくていいですね。僕など即座に壇蜜さん思い出しましてね、彼女にCMで「ダメよ」言わせたら一発だろうなんて家内に言ったものです。東京の話ですが小池都知事の「ダメ」は僕的には効きました、真面目に聞いちゃいました。首相や専門家委員会じゃ効かなかったろうと思うのはべつに彼らの問題ではなく、相手が男だと男は理屈で受け取るからです。ほんまかいなとなって拒否反応が出るか忘れるかしたでしょう。こういうのは女性のが強いですね。

これ、僕だけじゃなく国民的に「三密ヤバい」になったと思うのです。日本がうまくいったからSANMITUは外国でも流行ると思いましたがまだなってませんね。何がヤバいかこまめに分類して3つ束ねて覚えやすい標語にする。この知恵と文化にミステリーの謎があると思いますよ。そういう文化がないから海外は数字がああなったんだと思ってます。ブラジルなんか大統領が俺はマスクしない、全員が一度かかって抗体を持とうと勇ましくて大丈夫かと思ってたら数字が爆増してカウント公表差し止めになっちゃった。彼はSANMITUを小池さんに学んだらいいですね。それで経済が一時は止まりますが、どこかで+-の均衡点が見つかる。それは国の民度によるから絶対の基準はなく、三密しながらオープンにする試行錯誤の経験値を積み重ねればいいわけです。

そう考えますと、これからワクチンができる数年後まではウィルスと同棲していくわけだから日本流の「三密回避型ポスト・コロナ社会」がそのうちできあがって、世界の賛美を得ながら規範になる気がします。「三密がヤバい」ことだけは確かだから、各人、各業界が三密なしでどう生き延びていくかを日々必死に模索するしか手はありません。かつても今も誰も経験したことはなく政治や学問が解決法を教えてくれることは絶対にありません、生活の知恵みたいなものです。逆に、どなたでも、家庭の主婦でも学生さんでも一気に世界を変えられるかもしれません。

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若者のための政治講座(その3)

2020 JUN 18 22:22:10 pm by 東 賢太郎

①影響を及ぼすほどの大物議員でもない(河井夫妻逮捕で二階幹事長)

小物でも法務大臣になれる。法務大臣は検察官を指揮監督する。よって、検察官は小物未満である。

 

②法務大臣任命者として責任を痛感しております(安倍首相)

法務大臣の任命権は法令上ワタクシにあるということに関してはですね、強く認識をしておる次第でございます(以上、本件おわり)。

 

③話題になったことが意義(小池都知事) 

え~、豊洲、東京アラート、カイロ大、みな都政(渡世)に大事でございます。

 

④政治の世界では陣中見舞い、当選祝いの形なら許されるんですが(田崎史郎)

こういうオヤジが許されてるのが政治の世界なんですが。

 

⑤どうせやるなら、てっぺんを目指さないとね(河井案里容疑者、初当選の声)

その志やよし。史上初に1年で到達されました。

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差別はする方が猿なみである

2020 JUN 8 12:12:54 pm by 東 賢太郎

僕がラヴェルやモーツァルトが好きだからといって、白人至上主義に組しているわけではないことを示すのが本稿の大きなテーマである。

ジョージ・フロイド事件は南北戦争以来くすぶっている米国の黒人差別問題がオバマ時代を経ても収まっていない現実を世界に知らしめ、社会問題として各地に伝播しつつあるが、実は多民族国家の米国だけの話ではなく、「多勢に無勢」が「いじめ」に発展するのは実は人間の万国共通の悲しい性(さが)であるというもっと根深い本質が背後にある。形を変えて大なり小なりどこの国にだってあることなのだ。わが国では古来より「長い物には巻かれろ」と教える。「長い物」に正義があるかどうか哲学的に論じようではないかということではなくて、単に少数派になるといじめにあうからやめとけという処世術だ。

「白人」という言葉は「東洋人」がそうであると同じほど曖昧であるので、ここでは「キリスト教徒である白人」と限定しよう。19世紀から現代に至るまでの2世紀をその白人が(他の白人の力も使いつつ)実質的に地球を支配したと考えるのは、事実か否かを問うのは困難としても否定してかかることも同じほど困難だから認めるしかない。その2世紀はアメリカ合衆国の台頭、隆盛の歴史とほぼ重なり、どの国であれそれ抜きに歴史の教科書が地球史として客観性を保つとは思えないという妥協でもある。しかし中世の暗黒時代の白人にはその片鱗すらないのは皆さまが世界史で学ばれた通りだ。高度に知的なギリシャ文明はアラビア語世界に知識、文献として保存されていたし、武力ではモンゴル人が戦火を交えた白人をことごとく殺戮してロシアを征服し現在のバルト三国の地域まで死の恐怖に陥れていた。古代に遡れば中国文明に羅針盤、紙、印刷術、火薬など現代文明の利器の源流があり、智においても力においても白人が絶対優位だなどという証拠はどこにもない。

ではなぜ今そうなっているかというと、ルネッサンス運動による哲学と科学の探求、それを個人にミクロ化することを可能にした市民革命、そしてそれらの最大の果実となった産業革命による資本の蓄積において未曾有の成功を遂げたからだ。それは疑う余地もなく人類史における白人の巨大な業績ではあるが、といってそれだけで永遠に優位で居続けることを保証する能力の優位性の証明にはならない。多くの白人は否定すると想像するが、その自意識に合理性がないことは上述のとおり歴史が証明しており、白人支配が続くことに正義を認めるのは白人だけである。ということは、後述するが、合理性、正義なき優越感は差別を生む元凶であるということを論理的に意味しており、彼らにとってジョージ・フロイド事件が不幸なアクシデントだったのは、それが満天下に証明されてしまい、世界の隅々に殺人場面までが放映され、格別の反差別主義者ではないが人道主義者だ平和主義者だという世界の広範な思想の人々をも動員してのムーヴメントに発展してしまう兆しになりかかったことだ。

ここで僕が歴史の視点を学んだ本をご紹介する(既読の方も多いだろう)。人類はひとつの生物種ホモ・サピエンスであるという歴史観から世界史を宇宙の創造からの地球史として書いたハーバート・ジョージ・ウェルズ(Herbert George Wells, 一般にはH.G.ウェルズ、1866 – 1946)のA Short History of the World (1922)(邦題『世界文化小史』、講談社学術文庫)である。一言で評するなら小説みたいに易しくエキサイティングな世界通史だ。我々が学校で教え込まれている民族や国家という視点が実は矮小であり、「日本は小さな島国」なる思い込みも自信の欠如も実はご無用であり、宗教がかった「世界国民」的思想ではなく、独善的利益追求のための醜怪なグローバリズムでもなく、ともすれば理論的な共産主義に近いがサイエンスに足場があることで同化はしない。ウェルズは英国人だが下層の出でオックスブリッジでも既得権益者でもなく、市民革命の恩恵で平等に得たサイエンスの知識でファクト(事実)に忠実に世界観を構築したと僕は想像する。

この書物が第1次世界大戦前に書かれなお命脈を保つばかりか新鮮ですらあることは、彼が1891年に四次元の世界について述べた論文『単一性の再発見』を上梓し、『タイム・マシン』を1895年に、『透明人間』を1897年、『宇宙戦争』を1898年に書いたSF小説の父であった豊かな想像力と無縁でないだろう。その視点は学問の府における歴史学の主流にはなっておらずこれで受験勉強することはあえてお勧めしないが、いずれ気づかれることだが、学校が教科書で教える世界観や知識は皆さんが現実の社会で生きていく羅針盤としては甚だ不十分なのである。歴史は人間が生存を希求した1万5千年余りの生々しい足跡であって、歴史学なる方法論だけで探れるものでなく、物理学、心理学、生物学、社会学、経済学、法学、医学、疫学、哲学、考古学、気象学、地質学、天文学、建築学、芸術、料理、軍事における戦略論、兵器の進化などを横断的に包括的に理解しないと全貌は到底理解も把握もできないことは留意されたい。

私事になるが僕が最も詳しい西洋史はクラシック音楽史だが、それとて作曲家の楽譜や手紙や文献だけをいくら研究しても全面的に「一面的」であり、例えば「モーツァルト家が借金まみれだが貧困ではなかった」証拠があるが音楽学者は合理的な説明を見つけていない。彼が戦時のオーストリア通貨の大インフレで「意図的にBSの負債勘定を増やす高レバレッジ戦略を採っていた」と僕が解釈するのは証券マンの眼で当然だよねとしか見えないからである。それが合理的なのだ。音楽学者に経済学や為替理論を学べという気はない。貧困に追い込まれて死を悟り悲愴なレクイエムを書いたという通説を否定しようと思えば職業的リスクの伴う人たちだから仕方ない。ましてモーツァルトは親父譲りで徹底して数字に細かく利に聡く、そもそもあの楽譜が書ける人がそんな馬鹿であるはずもないと主張すれば音楽学者という職業には就けないだろう。レクイエムを教科書通りに聞いて涙したい人の邪魔をする気はないが、都市伝説で自分史が塗りこめられたモーツァルトが気の毒だと同情するばかりだ。

歴史学を軽んじる不遜さは持ち合わせていないつもりだ。その学問ひとつをとっても人間が一生で習得できる時間はそれでいっぱいであり、上述のすべての学問の専門家であることは物理的に不可能だから横断的包括的アプローチは主流にはなり得ない。それだけだ。ただ我々は自分の学習と知恵でミッシングリンクを埋めていくことはできる。その日々の作業こそが「生きる」ということだし、そうして生きれば人生はいつも新鮮な発見に満ちているのだ。宇宙の創生から俯瞰すれば、自分という卑小な存在の生き様も人類史という壮大な大河ドラマもH.G.ウェルズ流に「理解」するのが自然と思うし、なにより素晴らしいのは、その視点に立ちさえすれば、誰もが、学校で赤点だろうが落ちこぼれようが、古めかしい学問という鎧をまとうことなく簡単に歴史を咀嚼して自分なりの歴史観、ひいては世界観、宇宙観を所有することができるということだ。

肌の色で能力が決まるわけでもなく人類史へのこれからの貢献には、人種によって参加資格を隔てる優劣があるとも思わない。

と僕が結論する勇気を持てるのは同書を楽しんで読めたからであり、そうであるならば、産業革命の余韻が終焉を迎えつつある21世紀初頭の今、もしかすると長く続いた白人優位は風前の灯火なのかもしれないという考えに、ヘーゲルのアウフヘーベンとして至ることも可能となる。ポスト・コロナは日本の時代などという卑小な手前味噌の話ではなく、5万年のホモ・サピエンス史のスコープで眺めてそう思えてしまう。進行しつつある米中のヘゲモニー闘争はその端緒かもしれないし、北朝鮮という人口2千5百万の貧しい東洋の小国が核保有しただけで覇権国アメリカと対等に渡り合い脅かしている情景は第2次大戦はおろかベトナム戦争時点でも想像できなかった。太平洋戦争時点で日本が核保有できていたという想像は、米国の核爆弾開発が同盟国ドイツから亡命した科学者に多くを負ったものであったことからして決して空想ではなく、白人の覇権というものがそう予定調和的でも盤石でもないことは明白だということだ。

すなわち、人種や国の優位性はその時々に変遷するもので、たまたま優位にある者が下位の者に懐く差別という感情には何ら合理性もなければ正義もないのである。まして自己の便益で奴隷として連れてきた人たちを200年もたってなお差別するような利己的で理性を欠く心性の者は、これから21世紀に生きていく人類が幸福に共存していく方向に逆行する人たちではないかと思う。人間や国家や条約や法律や規則の存在の合理性、正義というものは、個人でも一国でもない、ホモ・サピエンス全体の繁栄という視点でしかとらえられなくなるだろう。なぜなら我々はすでにポスト産業革命という新たな歴史の入り口にいるからだ。「合理性」と「正義」。このどちらも持ち合わせずに生きている者、いわば動物的な原理で動く者はものの必然として猿と変わらないという結論に達することを妨げないというのが僕の立場である。

駒場の教材だった「価値の社会学」(写真)は東大生になったと実感した難解さだったが、半分も理解できなかったものが今はわかる。名著であり娘に与えて読ませている。筆者、社会学者の作田啓一氏は後に我が国特有の「自虐史観」への対抗イデオロギーとして「侵略戦争の開始も含めて、何でもかんでも日本の戦前のあり方は正しかった、反省などする必要は全くないと主張する史観」を「自大史観」と呼んだが、「安倍晋三はこの史観を全面的に打ち出すイデオロギー内閣を作り出した」と第1次安倍政権時のご自身のブログに書かれている。第2次政権も作田氏の慧眼どおりに物事を進めているように思われる。ここでその是非は論じないが、そこに合理性と正義があるかどうかは皆様のお考えに委ねることにしたい。

差別者の発想のベースは、しかし、自大史観であろうと書いてもほぼ異論の余地はないだろう。そうでなければ他者を差別する自我に内的根拠がないことになるからである。どんな歴史観であれ100%合理的でないとまでは言い切れないが、それが正義か否かはいかなる文明においても不分明であるが故にどこでも差別は起こり得るのだ。長い物(強い者、戦争の勝者、ジャイアン)が歴史を書けるのは絶対的正義なるものは世のどこにも存在しないからで、宗教の戒律とて信者にとっては正義に近似的だが絶対普遍ではないから十字軍の虐殺は異教徒には正当化はされないし、原爆投下もしかりである。ジャイアン視点のドラえもんは書かれていないし、書いても共感されないだろうし、産業革命の余熱が冷める21世紀においては更にその傾向が強まるだろう。

私見では安倍政権が何をしようと国家の正義と合致し合法的であれば良しとするが、後者に該当しないと思われる事例が現れ(アンリ事件、検察官定年延長)、まして、国家の正義と政権の正義との乖離が客観的に観測され、政権がすべて正しく反省などする必要はまったくないという史観が暗にではあるが表明された時点において(男にはそれをやっちゃあお終いの一線がある)我が身の正義しか念頭にない政権として認識せざるを得なくなってしまった。このこと(国家正義に合致した正義のなさ)はノブレス・オブリージュが欠落しているということを自動的に意味し、貴族の資格のない者が貴族然と君臨している腐敗臭と不快感に富んだ印象を必然として与える。支持率低落の原因は、支持者だった穏健な保守層がその臭いの悪さを感じてのことだ。比較的アッパーなインテリであるこの層の去就が無党派浮動票の動静に影響力があることは2009年衆院選や都知事選の小池の乱で実証された。

ジョージ・フロイド事件が米国の極右、極左に利用され、暴徒が法を犯して更なる差別が助長される。それを連邦軍が武力で抑圧するのが正義ならトランプは習近平を批判できなくなる。政治の正義とはそれほど重たいものなのだ。その矛盾を解こうと聖書を持ち出したが、彼に宗教は似合わないばかりか選挙用パフォーマンスと見抜かれ、自由主義、共産主義を問わず長い物が正義という超イデオロギー的なガバナンス正当化ドクトリンにすがるしかない事においてはプーチンも金正恩も交えて似た者同士であることが露呈しつつある。彼らの視点はますます内政に向き、資本主義下ではせいぜい貧富の二極だった(それでもリーマン後の10余年で急速に進んで歪を生んだ)が、さらに変質して差別、被差別のニュアンスで二分される方向に行きかねない様相を呈してきたことを危惧するばかりだ。

皆さまが人種の壁の高さをどれほどご存知かはわからないが、16年海外でそれを俯瞰し体感した経験からするに、総じて日本人は性善説的であり害を及ぼさない限り外国人には優しい国民性だ。ただアジア人に対しては特別な感情があり、確たる理由なく日本人が上だという目線を持っている。明治時代の洋学修得と富国強兵の先行で国民がそう考えても仕方がない外形的実体があったことは事実だが、早い遅いと能力とは別個であり、目線の高さは遥かに度を越している。我が父親も世代一般程度にはその傾向はあり、僕もその影響と無縁に育ったわけではないが学問で理性は獲得できた。理由がないのだから自分は非合理であり、日本人が民族的に優位という考えを論拠とした正義は更に根拠がない、従ってそれで差別するなら俺は猿と変わらないと結論されることになり今はそうではなくなっている。

黒人(ケニア人)がルームメートだったことがある。一時のことで親しくつき合ったとまでは言えない。ありとあらゆることに驚いたが、KFCのチキンの食いっぷりは忘れない。白い大きな歯でかぶりつき、バキバキと骨ごと噛み砕き(その壮絶な音は今も耳に残る)、こっちが半分も終える前にショーみたいに数本の骨片が皿にきれいに並んだ。同じホモ・サピエンスといえ我々はあの野性を失って1万年はたつのだろうかとたじろぐ迫力であり、アフリカには棲めないと観念した瞬間だった。それでも我々は20万年前にアフリカにいた一人の女性(ミトコンドリア・イヴ)から地球上に生まれ、枝分かれして日本列島に来た者の子孫なのだ。科学がそう証言する以上日本が神話の説く特別な国ではなく、アジアの中で格別に神に愛でられ特別に優勢な遺伝子を持つこともなく、同胞への優位を示す上から目線には合理性も正義もないことを知るのである。

音楽の話に戻ろう。楽才はホモ・サピエンスだけが持っている才能の一部分である。白人の優位を否定してかかる僕の中でモーツァルトやラヴェルへの敬意も偏愛までもが解かれるかというと、それはない。その音楽に絶対普遍の価値があると思うことが必要十分条件で、そのことと彼らの肌の色や女癖やホモの性癖は何の関係もないという判断と一緒に白人優位否定は処理されるからだ。それは犯罪において「罪を憎んで人を憎まず」(罪刑法定主義)と同じ思想で「音楽を愛しても人は必ずしも愛さず」である。といって作曲家の属性を調べているのは人の脳への唯物論的関心からで、脳と曲との相関性の要因分析である。おそらく同系統の人たちがハイドンの遺体から頭部を盗みアインシュタインの脳を切り刻んだりしていたと想像するが僕は大学の法医学で見せられた変死体の写真で食事が困難になったからそっちへは行かなかった。

黒人が音楽でモーツァルトに劣るかというと、そればかりは何とも言えない。モーツァルトのような音楽を書き、演奏し、しかも彼に影響まで与えた黒人ジョゼフ・サン=ジョルジュがいたという雄弁な事実はこの稿にご紹介した。

クラシック徒然草《音楽家の二刀流》)

だからといって、彼がモーツァルト級の作曲家であったとは作品を聴く限り断言する自信はないが、古典派の時代でも肌の色が才能の優劣を決定的に左右したのではなかろうというぐらいは表明できると思う。それが200年の時を経てジャズの時代ならどうか?今度は逆にモーツァルトが モントルー・ジャズ・フェスティバルでピアノ即興できますかという問いになる。

どちらも故人となったが、マッコイ・タイナーとボビー・ハッチャーソン(ヴィブラフォン奏者)のビデオをぜひご覧いただきたい。

このドイツでのライブ演奏会の楽興に、ジャズ好きであろうとなかろうと、二人の巨匠の尋常でない能力を否定できる人はいないだろう。ご両人とも「象牙の塔」仕込みでない叩き上げで、どうやってこの破格の作曲、演奏能力を身につけたかは謎だ。モーツァルトのそれは父親仕込みだが「学校は秀才を作るが天才は作れない」を地で行っている事に関して3人は同等に思える。もしも、この1時間22分の「JazzBaltica 2002」のチケットとウィーン国立歌劇場のドン・ジョバンニのチケットと、どっちかひとつあげるよといわれたら僕は真剣に迷う。

 

 

 

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