未来予測 『コロナ後の世界はこうなる』
2020 NOV 29 20:20:50 pm by 東 賢太郎
メールで「米政権交代はお仕事にはどう影響しますか?」という質問をいただきました。以下のようにお返事いたしました。
米政権交代ですが、仕事という意味ではどちらでも構いません。株が高ければOKというところでしょうか (笑) 。それよりコロナが生み出した新環境が今後どうなるか、ワクチン・治療薬開発の進展があるのかという点が影響大です。コロナ環境での最大の変化は世界規模での生活のIT依存度の高まりですが、それは GAFA依存の高まりでもあるので開発が長引くと不安が出てきます。彼らはすでに国家並みに力がありますから個人情報を混乱に乗じて広範に握られ、ビッグデータによるAI支配力を更に持つと考えています。すでに自動車産業、家電産業、メディア産業、仮想通貨はデータ収集競争のツールですからデータを握る者が他を圧する資金調達力を持ち国家と対抗する権力となるかもしれません。米国のメディアがバイデンに加担する背景のひとつはそこで、それに中国が加担しているのはまず間違いありません。産業に国籍はないので中国寄りになるならないはビジネス判断であり、それに国家、国益という話をどこまで割り込ませられるかですね、それは交易や産業のサプライチェーンを分断する不利益がありますから両者のバランスでしょう。トランプは良くも悪くも強力でしたがバイデンはそれが権力の資金源だから弱腰になるでしょう。民主党は一枚岩でないので失業がまた増え増税となれば自分で騒いでいた米国内の分断は解決どころかもっと進み、アメリカのヘゲモニーは揺らぎ中国を益々利する可能性があります。そんな世になって日本国が安保で本当に守られるかどうかは疑問です。菅さんのいう自助が国家にも必要になるでしょう。日本国の弱みは、そう言いながら経済的繁栄については中国を無視できないことです。ということで日本国民として、少なくとも経済的にはGAFAと中国の株を買っておくしか手はないでしょう。
注釈いたします。
僕は自由主義、民主主義を支持します。いかなる国家、権力、他人にも服従したくありません。他人を支配したくもありません。日本国民として日本の法律を守り、税金を払い、公序良俗に従います。それ以外は我が儘(まま)に生きます。
ずっとそう考えて生きてきました。生まれた家は中産階級で資産はなく、他人の会社に就職しました。今は自分の会社で働いています。これが我が儘の最たるものです。一番大事な経済面で誰にも服従せず人生を送れるからです。
そこで大事と思うことが2つあります。1つ、身体と精神の健康。2つ、我が儘という自分中心主義が他利(お客様はじめ僕に関わっているすべての人の利益)にもなるようにすることです。あとは自分がうまくいくように集中します。
「米政権交代」も「日本の政治」も「コロナ問題」も、僕にとって「環境」でしかありません。環境がどうなろうと適応するだけです。わかることだけ予測し、自分が関与して意味があることだけやります。それ以外は無駄です。
そういうスタンスなので、米政権交代も日本シリーズや女子ゴルフリコー杯と同じくCNNとネットで楽しんでいるにすぎません。
個人的にはバイデンよりトランプが好きです。今回の選挙は「八百長試合」と判定が下りトランプ続投となる可能性はあります。しかしそれはそれです。どっちになっても環境適応することしか関心はありません。
さらに加えますと、皆さん米国しか見てません。米国の分断は中国がWTOに加盟して「大貧民ゲーム」で大勝ちし、弱い先進国が大負けした結末にすぎません。ギリシャ危機、Brexit問題とおなじことが米国内で起きているだけです。
震源地である中国を見なくては本質がわかりません、未来も読めません。経済と国防は別物という考えは誤りです。お金がなければどちらもだめです。日本は米中どちらにも偏らず、金持ち国であり続けることが唯一の生きる道です。
トランプが国益を盾に中国を叩いても4年で終わりです。大貧民ゲームは永遠に終わりません。働かない白人はもっと没落します。暴動、宗教対立、人種差別がもっとおきます。バイデンになればそれが4年早く来るということです。
中国=「中共+巨大市場」です。巨大資本に国籍はなく、その意味で中共も巨大資本です。資本主義=市場強奪戦だから巨大資本と中共は互いに引きつけあいます。トランプが戦っている敵はその不可避の磁力であって陰謀ではありません。
巨大資本はGAFAをはじめITの覇者である企業が牛耳ります。自動車、家電、物流、メディア、金融を通じて集めた個人情報が集積したビッグデータを握った者が全産業を支配し資本も集まります。産業のコメは石油でなく情報になります。
国家は無国籍IT企業(GAFAなど)が強大化して自国民が貧民化すると徴税権だけで食えなくなります。企業と国家がお金を奪い合います。市場、人口、情報集積力で優位な中国が20年ほどで米国経済を抜き世界一になります。
経済力1位の国が軍事で2位はありません。北朝鮮も抑えられない米国が中国の軍事大国化を抑えられるはずがありません。Quad(日米豪印)で1位に均衡してバランスをとった平和(非戦争状態)をキープできるかどうかです。
以上のことは産業革命時代の勝ち組からAI時代の勝ち組にヘゲモニーが移行する自然な動きです。国家という切り口で見るより資本集積度で見ないと誤ります。日本国が関与する余地はほぼありません。「環境」と割り切るしかありません。
日本国に生きる個人が関与する余地はまったくありません。経済的に豊かであり続ける保証もありません。自由主義的に楽しく生きて子孫もそうあって欲しいと思われる方は勝ち組に投資しておくぐらいしかありません。
僕個人的には日本国が没落するなら外国に移住する選択肢もあります。さらにはコロナが作った新環境では仮想空間上の「リモート企業」が作れます。情報だけ共有して経済活動を仲間として行い利益は均等に配当します。
それを昇格して「リモート国家」もありです。各人は居住国の法律、警察、病院等にお世話になって税金は各々の国に支払いますが、同じ国民の規律で行動し、情報を共有して皆で生計を立て、送金は仮想通貨で為替リスクなく行います。
かつてユダヤ民族、華僑が苦難を重ねて作った非国籍ネットワークがゼロコストで作れ、コロナが生んだ「リモートワーク」環境が運営を容易にします。これは失敗の歴史であるアナキズムやユートピア思想ではありません。
まず高収益のリモート国国営企業を設立します。どこの国でも構いません。その株に全国民は出資し、各国で配当で暮らします。それを何社も増やします。世捨て人や空想家でなく、勝ち組リアリストによる国家です。
僕は今月に仲間3人で「リモート企業」を設立しました。「国家」を計画している人も現実にいると聞きます。まったく絵空事ではありません。ITは私人の生活と国家の在り方を変え、それにコロナが拍車をかけたと後世は語るでしょう。
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風雲急を告げそうなアメリカ大統領選
2020 NOV 17 0:00:43 am by 東 賢太郎
アメリカはセールスマンの国だ。いらない物をピカピカに見せて売りこめる者が成功する。その作業を「マーケティング」と呼び、ヘンリー・フォードが自動車の売りこみのために考案したとされ、MBAコースで教えている。
理論なのだから売りこむ物が自動車でもトマトケチャップでも何でもいい。もちろん、人間でも。
写真はウォートン・スクールで僕が1983年に使った「マーケティングの諸問題」という教科書だ。51のケースの31番目(下)が「ジム・トンプソン氏のイリノイ州知事選挙」だ。これぞ、人間を商品としたセールスマンの戦いである。選挙キャンペーンはそういう捉え方なのだ。授業で実際に候補者(生徒)をたてて喧々諤々の論戦が面白かった。僕はケチャップ班だったが、5人のチームで製品企画から事業計画案ま
でリアルに作り、残りの全生徒を顧客や株主に見立てて売り込み(プレゼン)をする。ビンの形やラベルのロゴまで決めて大まじめだ。そこまでやるかという、いわばボードメンバーになりきる寸劇だが、顧客側もハインツ、デルモンテと比べて味はどう差別化したんだ、リサーチしたデータは何か、そんな値段設定じゃあ新参者はシェア取れないだろとまじめに突っ込んでくる。寸劇が盛り上がる。
この授業はずっとこの調子で、単位を取って何か「知識」を得るかというと特にない。得るのは質問攻めに立ち往生し、ケチャップはそう簡単に売れそうもないなと冷や汗をかいた苦い経験だ。内容はもう忘れたが我がチームは詰めの甘い所が各所にあり、みんな賢いから嫌なところを突いてくる。抜群に弁の立つインド人の「ああ言えばこう言う」のおかげで何とか切り抜け、こういう奴がCEOになって何百万ドルも稼ぐならもっともだと思った。30余年たってケッチャプ会社経営や選挙参謀に携わることはなかったが、何であれ何とかなるさというくそ度胸はついたから役には立ったということなのだろう。先生がどこをどう採点してるかはついに最後までわからなかったが。
トランプ、バイデンの選挙参謀たちもこれの応用編をやっていたわけだ。
冒頭に「いらない物を売る」と書いた。ここだ、アメリカ的なのは。いる物はセールスしなくても売れる。でも、セールスすればいらない物も売れる。ビジネスは売れてナンボだ。理屈はいい、とにかく売るのだ。
当時モーレツ企業の野村証券にいた僕にとって当然に響く話だったが、非常に新鮮だったのはセールスを理論化したことだ。理論に好き嫌いや思い込みはない。売っているケチャップの味が自分の好みかどうかは問題でない。経済学者ケインズが株で儲けるには自分の好みでなく「大多数の他人」の好みに乗ることだ(美人投票説)と説いたのに通じるし、弁護士が個人としては弁護は御免だという極悪人でも仕事として弁護できるのにも通じる。
但し、セールスにはルールがある。ウソはいかんということだ。ウソをついて損をさせると詐欺罪になるから事実だけを組み合わせて説得する。これはひとつの技術である。たとえばBS、CSテレビのCMにパターンがあることをお気づきだろうか。青汁やらお惣菜やらを「おいしいです!」と何人もユーザーが出てきて繰り返す。画面の隅の方に小さく「個人の感想です」(=ウソかもしれません)とテロップが付く。健康食品だと「効能を保証するものではありません」(=効かないかもしれません)と出る。どちらもウソはついてない。だって、おいしくなくても効かなくても、「でもそれ、ちゃんとお断りしてましたよね」(=合法的です)なのだ。
さらに高等技術として、医師が薬の効能を語って「専門家の意見です」と付く。「個人の感想です」と何が違うかというと専門家がしゃべっている点だ。同じく効かなくても免責になるなら「個人」と変わらないが日本人は「センモンカ」に弱い。はずれると権威は落ちるがお金をくれればリスク取りますという先生を根気よく探せば売れる方法だ。もっと巧妙なのは「筋肉を柔らかくする効果が報告されています」だ。「柔らかくします」ではない「報告されています」だ。報告なんかその辺の道を歩いてるおっさんでもできるから絶対にウソとは言われない。でも、テレビだからそんな詐欺しないよね(笑)で皆さん信用している。
トランプ大統領が「フェークニュースだ」とツィートする。これを放置すると「個人の感想です」(=ウソかもしれません)のCMを流した程度の信用供与をメディアであるツイッター社がトランプにしたことになる。そうしたくないという強い意志があるので「証拠がないこと言うな。フェークはお前だ」と削除してしまう。ツイッター社だけでなく、CNNを代表とする米国メディア産業にみなぎるこの意志(=トランプが嫌いだ)はとても強い。
なぜならその行為自体が中立的なメディアであることを放棄する自殺行為であり、大変なリスクを取ってまでしていることだからそう結論する以外に解釈はない。媒体をやめて主体になるというのは「定款変更」にも等しい重要決議であり、mediaは「medium=ミディアム、真ん中」の複数形(=媒体)だから自社の社員が殺人を犯しても淡々と他人事のように報道する。“だからこそ”、報じたことは常に真実だと信用されるのである。
メディアが主体になってしまうとその信用を全面的に喪失するだろう。なぜなら、何を報じても「ウソかもしれません」のテロップが聞き手の頭に自動的に流れるようになってしまうからである。「私はウソを申しません」は私がウソつきならば「言うことはぜんぶウソです」になる。だから、「お前はウソつきだ合戦」になると両者の言うことぜ~んぶウソかもしれず、「わけわからね~」になる。残念ながらこれが今のアメリカだ。民主主義がどうのなんて高尚な話ではぜんぜんない。第一、民主主義なんて完全なものかどうかすら誰もわかってない。アメリカ合衆国は民主主義で生まれた唯一の国であり、実験国家であり、その国でこういうカオスが生じたということは「アメリカの民主主義」がかくあるべし以前に「民主主義は所詮こんなもの」である可能性があるのだ。
ここからが本題だ。そんな不完全な民主主義に国家が身をゆだねようとするならば、雨が降ろうが槍が降ろうが、天地神明に誓って絶対に曲げてはいけない唯一無比の大原則がある。選挙の公平性、公正性だ。最高権力者を占いや世襲で決めるのでなく民の多数決で決めるのだから、「民の総意」(=獲得票数)を抽出する方法は厳正に管理され、結果に一点の曇り(疑問の余地)も残してはならないのはあまりに当たり前のことである。何故なら、それを信用して敗者は結果を潔く容認し、民主主義という不完全が必ずや生む「敗者に投票した多数の有権者」の不満を抑え、納得を得て、国家安泰に収まるからだ。もしも「曇り」があるために敗者が負けを認めないとするなら、それは民主主義の大原則に反することであり、敗者の非常識や往生際の問題などではぜんぜんない。
ではその「曇り」に実態があるのか、敗者の妄想や謀略なのか。いまだ確証はないが、メディアが妄想、謀略、非常識、往生際最悪をいくら報道してもウソかもしれませんが後ろで流れているのだから、言われた方も負けましたにはなりようがない。そんなに認めさせたいなら民主党が主導して数えなおしをすればグウの音も出ないはずなのだ、やましいところがないならば。
女性弁護士のシドニー・パウエルがこういう発言をしている。この人は前回の大統領選でオバマ、バイデン、ヒラリーがロシアで工作したのがプーチンにばれ、トランプの補佐官だったマイケル・フリンに罪をなすりつけようとしたのを顧問弁護士として救った切れ者だ。
「統計学的、数学的にあり得ない数字がバイデンに入った。証拠は山のようにある。発表したら人々は度肝を抜くだろう。連邦裁判所に提訴する。我が国の国民をターゲットに選挙結果を変えようとした。コンピューターの不具合か、何かは知らないが、何者かが改竄したことは間違いない。」
そして、「米軍の諜報機関がフランクフルトにあるドミニオン社(ミシガンなど全米28州の投票集計ソフト会社)のサーバーを押収した」というニュースも入った。バイデンにしか投票できない45万票を特定したらしい。
もうこうなると何が正しいのかさっぱりわからない。これもフェークニュース合戦なんだろうか。ただ、こういう本源的な疑問は残る。仮に数えなおしてやっぱりバイデンの勝ちなら、ごたごたは水に流してシャンシャンなんだろうか?そうはならないだろう、いや、なってはいけない。厳密には1票でも不正が見つかれば、勝敗はともかく、民主主義は成り立っていないからだ。
トランプは負けても4年後に向けて共和党内で影響力を保持すれば良しという拳のおろし方をするのだろう。パウエルは弁護士であり雇われればどちらの側でも有効な弁護をするだろう。ご両人とも、あのマーケティングの達人なんだから。他人の国の話であり、個人的にはニューヨーク株式市場が最高値を更新さえしてくれればどっちがなっても構わないが、これは「正義」の問題だという重要な論点は残る。世界の警察官で正義の味方だったはずのアメリカの本性が曲ってない事だけを祈る。
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ソナー・アドバイザーズ(株)創立10周年
2020 OCT 19 23:23:34 pm by 東 賢太郎
お蔭さまをもちまして10年となり、青山で記念の昼食会を行いました。スピーチをしながら来し方を思い浮かべましたが、10年は長いようであっという間でありました。さしたる理由も覚悟もなく証券界に飛び込んだのが41年前。その一番最近の舞台がソナーだったという事になりますが、してきた仕事は同じですから自分の中ではずっと一貫した大河のようなものです。
まず御礼したいのは、海のものとも山のものともつかぬ時に出資して下さった株主の皆様です。起業を思い立ってすぐに自信満々で香港、インドネシアまで行きましたが、何人と会っても資本が1円も集まらず、人生途方にくれました。退職して名刺のない自分の無力を思い知りました。そこから立ち直らせていただいた株主の皆様のご恩は忘れません。
そうして2010年10月20日に事業をスタートし、素晴らしいお客様との数々の出会いがございました。証券界で41年やって来られたのもその喜びあってこそです。とても大事なことは、起業以前から存じ上げていた方はおられず、出会いひとつひとつがソナーの歴史になったということです。我々はお客様の為に働くことで歴史を作っている、そういう意識を堅持して参ります。
そして今日この日、ソナーの10年目という特別な場を共有していただいた役員、社員の皆さまには感ずるものがございます。41年にわたり多くの先輩、同期、後輩の方々と苦楽を共にしましたが、ご縁には「時」というものがあります。何人も左右できず偶然に見えますが、僕はそれに意味があるという経験を幾度かしてきました。また、ここにはおられませんが、今あるのはこれまでソナーにご縁があった方々全員のお力添えの成果でもあり、心より感謝申し上げます。
いまソナーは9人、社員ではないですが近しく仕事をして下さっている方々をいれると20人ほどが事業を支えてくれています。そのうち、10年以上前から知っていた人は3人だけです。お客様もそうですから、僕自身がソナーといっしょにブランドニューの人生を築いてきたという誇りがございです。過去の小さな成功体験にこだわると大きな成功は来ないと信じ、これからもそうあるつもりです。
コロナは世の中がどう変わるか誰もわからないことを教えてくれました。だから、どう変わっても生きられるようにしておくことが大きく稼ぐことよりも大事です。それには会社を無用に大きくしないことです。小さい組織なら、社員一人当たりのリターンを増やすことでモチベーションは高くなり、同時に、変わり身の遅さが理由で倒産するリスクは低くなります。どう考えてもコロナ後は得なのです。これからそういう時代になると思います。
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安田、ひるんだら負けやぞ
2020 OCT 5 18:18:50 pm by 東 賢太郎
今年は野球観戦はもっぱらテレビですが、1度だけ東京ドームに行きました。阪神戦です。巨人は田口で、遠投を見ていて今日はいいなと予感しました。案の定、138キロぐらいの直球でぐいぐい差し込んで楽勝の完封かなという展開に。7回1失点で替わりましたが、唯一の先頭打者ヒットを打たれていた近本を見逃し三振に取った外角低め、これも138なんですが、観衆5千人のドームに響き渡ったミットの音は雷鳴の如き凄まじさで、プロの球はあんな音がするのかと絶句したのです。遠投はリアルに実感できますが、あの音は人生このかた聞いたことがない。グラウンドにいたら怯(ひる)んで凍ったでしょう。田口を速球投手という人はいません。138は素人でも出るし、後ろを守ってる野手の方がひょっとして速いでしょう。でも彼らが投げれば打たれます。ピッチャーしか投げられないストレートというものがあるのです。
ロッテに移籍した澤村がいい投球をしています。以前に東京ドームで何度か観た彼は150は軽く出ていましたが、一生忘れない田口の138に比べたら全然印象がありません。それが今は様変わりで鬼気迫るものがある。157出る上に、フォークかスプリットか、とにかく変化球が150(!)。あんなものを打てる人間がこの世にいるかと思っていたら、先日テレビで日ハムの渡邊との対戦があって、これが凄かった。全球150超え、全球ファール。フォークも当てる。渡邊は澤村に微塵も怯んでない。ファールが5、6球続いて、明らかに、澤村が追い込まれてる。そういうのはピッチャーの端くれだからわかります。結局、渾身の157を完璧な当たりで三遊間を割られました。ハブにマングース。記憶に残る稀代の名勝負でした。日ハムファンが「直球破壊王子」と書いた紙を振ってるではないか。なるほど、そうなのか。東海大甲府か。一皮むけたらどうしようもない打者になるなあ。でもあそこで120のカーブで三振だったな。澤村はないんだなあ。
ロッテは福田の復帰が大きいように思います。彼は182㎝ですが細身だからか打席でデカく見えます。インコースは引きつけて真芯に乗せて軽く右翼中段まで運ぶ懐が深いスイングで、ホークスにいた時に嫌だなあと思ってました。先日の10月2日、3-2で負けた日ハム戦のことです。21才の若さで4番を任されている安田が、二死満塁で宮西の真ん中低め直球を見逃し三振してゲームセットになった。「この馬鹿、振れよ」と怒鳴って僕もテレビを消したあれ、全ロッテファンがっかりのシーンだったのです。それが祟(たた)ったか翌日も西武のニールに抑え込まれ0-0で延長になだれ込み、10回に澤村がメヒアに一発打たれてロッテは1-0の完封負け。最悪のムードになりました。これはいかん、ホークスはしぶとく負けないしずるずる後退かと思ったのです。
しかし、この試合、一縷の望みがあって、わずか2安打だったロッテの9回、安田がクローザーの増田からセンターフェンス直撃、あわやサヨナラ本塁打という2ベースを打った。彼はこの試合、4の1で三振もありましたが、ぜんぶ振ってました。そしてその翌日の西武第2戦、劇的なことがおきます。安田は3回の二死満塁でまた凡退します。そのまま3-0の嫌なムードで負けていた6回、まず、福田がスリーランで同点。そして、7回。二死一二塁と再度の好機にまた安田。すると福田が近づいてきて二言三言。あとで報道で「怯(ひる)んだら負けやぞ」と檄を飛ばしたと知りました。そして、その安田がスリーランで逆転。漫画でも出来すぎのストーリーで逆転勝ちをおさめるのです。第3戦でも2ベースを打ってお立ち台の安田は、あの日ハム戦の見逃し三振でビビッて考えこんでたら打てなかったろうと思います。失敗はめげずに吹っ切ってやれば、若者は必ず成長できます。
先週たまたま野村の副社長だった大先輩が来社され、ひょんなことからあんまり思い出したくない若気の至りの昔話になりました。海外のディールで僕は本社の課長として国内の営業体に300億円の株の販売予約をさせました。これは営業への僕の信用でやったことです。ところが、あらんことか急にその株の引受がロンドンでキャンセルになってしまい、なんだこれはと大問題になったのです。夜も眠れず、完全にクビを覚悟しました。翌日がっくりしていると、常務が席に来られ「東、一緒に来い」と肩をたたかれます。向かったのは社長室でした。「社長、この件は東の責任ではありません。引受の判断として一切間違ってもおりません。おかしいと言われるなら、私は引受担当常務を辞めます」とおっしゃった。びっくりしました。僕が無罪放免だったのは言うまでもありません。「ひるんだら負けやぞ」は、僕はこうやって叩きこまれました。
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安い女
2020 SEP 20 14:14:17 pm by 東 賢太郎
「ワタシ、そんな安い女に見える?」。どういう成り行きだったか、言われてぎょっとしたことがある。いつどこだったのかさっぱり覚えがないからひょっとして夢だったかと思うが、たぶんそうじゃない。女が酔っ払っていたのを覚えてるからだ。いくら若いころでも見知らぬ酔客を口説くなんてことは僕はない。しかし、それなら、じゃあなんだったのか、まったくわからないのである。
安い男ってのはない。男の価値はカネで測れない暗黙の了解があって、口にしたら血を見るかもしれない。もちろん女だってそうなのだが、それを自らぶち破る言葉が飛び出したものだからぎょっとしたのだ。およそ品はないが今になってなかなかハードボイルドである、アイリッシュの幻の女はきっとそんなだったろうという気がしないでもない。
なぜって、「安い」というところに有無をいわせぬインパクトがあるではないか。「兄ちゃん、わて、そんな安もんとちゃいまんねん」こう来たら笑って返すのだ。「おおこわ、高うつきそうでんな」。大阪は都構想が無くても一個の国である。商都文化の蘊蓄でできた大人の練れまくった会話が街でも漫才でも並立する。東京の人間関係は浅薄なもんだ、この会話が成り立たないのだ。
「罪と罰」で高利貸しの老婆を殺したインテリ頭のラスコーリニコフに罪を告白させ自首させるのは、他の誰でもない、売春婦のソーニャである。ロシア正教を盲目的に信じる無知な女だが、地球が太陽を回ってることを知らなくても女は男を動かせる。もしも僕が演出家でこの劇をやったら、インテリ頭は東京弁に、ソーニャは迷うことなく大阪弁にする。
東京ドームで阪神戦を観ると、あなたは7回の表と裏に2度、古関裕而の名曲を聞くことになるだろう。「六甲おろし」と「闘魂こめて」である。福島生まれの作曲家が音で描いた大阪と東京にどちらのファンも何ら違和感なく浸っているが、そんなのはかわいいもんだ、彼は国家も描ける。「東京オリンピックマーチ」である。まさにTPOを心得たモーツァルトの職人技だ、感嘆するしかない。
甲子園に鳴り響く勝利チームの校歌はあまりにつまらなくていつも早く終わらんかなと思ってる。2,3分で限られたコード進行でやれというのも無理があろうが、大方が作曲が素人くさい。安いのである。かたや、こういうのを我々は知っている。本邦音楽史上、最高傑作の一つである涅槃交響曲の作曲家、黛敏郎のNTVスポーツ行進曲だ。
たった1分。それでこのインパクトである。校歌ではないが条件は一緒だ。その昔、プロ野球は巨人、巨人は日テレだった時代、この曲を聴くと胸が高鳴った。サビの部分があって普通そこまで行かないが、このビデオのメインテーマの1分で心拍数が2,3割増え、しかも、何度聴いても飽きないのである。そういう音楽をクラシックと呼ぶのだ。要するに、高い音楽である。
この「題名のない音楽界」は今もやっているが素晴らしい番組だ。大衆は安い音楽しか知らない。高い音楽の一端をわかりやすく教えてくれ僕もとても勉強になったが、収録当時の会場にいる聴衆もこうして見るとそこそこレベルが高そうだ。紅白歌合戦とは違う。黛さんは「スポーツなんかいらない」とのたまわっている。僕はそうは思わないが、音楽家にはきっといらないだろう。というより、サッカーもやりますロックも好きです実はオモロイ人ですよなんてのは、本当にそうなら結構だが、大衆に寄せようという醜い欺瞞以外の何物でもない。
「ワタシ、そんな安い音楽家に見える?」
モーツァルトはいつもそう言いながら欲求は満たされず死んだが、その音楽は高かった。ゴッホの絵は生前は数枚しか売れなかったが、けっして安い画家でなかったことが後日わかる。
大衆に寄せようという欺瞞を盛大に執り行っているうちに、存在そのものが欺瞞な人の集団になってしまったのが今の日本国の政治だ。したがって、後日になればなるほどその安さが見えてくるだろう。
「ワタシ、そんな安い政治家に見える?」
吹けば飛ぶような安い、騒音でしかない常套文句を選挙カーから垂れ流して実は組織票だけ狙ってるアナタ。とっても安いですね。
ヘタすると、あと2,30年もすれば、日本が安い国になってしまわないだろうか?スポーツ行進曲に拍手していた年輩の聴衆の大半はもう世におられないだろう。文化が世代と共に廃退するなら危険だ。強く主張するが、政治は若い世代にまかせるべきである。爺いは退場だ。当たり前だろう、我が世を謳歌した世代が使いまくった膨大な債務を背負うのは彼らだからだ。そして、我が世代は、文化を継承するのである。コロナに負けて灯を消してはいけない。
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魅力ある株を探しだすことは最大の趣味
2020 SEP 13 1:01:11 am by 東 賢太郎
ソナーという社名はソナー探知機からとった。それは僕の最大の趣味が、魅力ある株を探しだすことだからだ。野村時代にドイツでSAP、香港で超大現代農業という株を見出し、どっちも株価は10倍になった。飲み屋で中国人のお姉さんに儲かりましたと感謝されたが、一介の証券マンが世間様のお役にたつなどその程度のものだ。中国人もアメリカ人も不労所得はいかんなどと辛気臭いことを言わないのは実にすがすがしい。労働は尊いものだという価値観が日本にはあるが、キリスト教国では労働は悪であって、だから早く帰宅するし休暇も1か月も取る。ドイツ人などその最たるものだ。別に日本の文化にケチをつける気はないが、だからといってお金に働いてもらうのがおかしいということはない。この妙な考え方がコロナ経済下で二極化批判のダシに使われるなら人生百年時代の日本国民の資産形成には絶望的な話だろう。
僕は勤勉実直でお堅い銀行員の息子である。「アリとキリギリス」や「小原庄助さん」の訓話で育ち、二宮尊徳は偉いと教わり、「学生の仕事は勉強だ」といわれて官僚養成所の学校に進んだ。労働が尊いと思うようにはならなかったが、食うために働いて自助努力するのは当然という価値観はできた。そこまでは親父の計画通りであったが、無計画にアメリカへ2度行って放浪し、本能に従って進路を勝手に決めた。計画からは180度ずれ、親不孝になってしまった。なぜあんなに熱病みたいにアメリカへ行きたかったのかは長らく謎だった。どういうわけか、ほんとうに忘れてしまったのである。ずっとベンチャーズの影響だろうと納得していたが、ちょっと動機としては弱いと思っていた。ところが先日、CS放送で刑事コロンボをやっていて、「これ、夢中になって見てたよなあ、こうやって犯行がバレるんだよなあ」となつかしく思い、いつごろだったかなとwikipediaでシリーズの初回放映日を調べてみたら、まさにあのころだ。そうか、これだ。
思い出した。成功者でセレブである犯人たちの大豪邸だ、それが頭に焼きついたのだ。やっと合点がいってくる。なるほど、だから最初に行ったのが西海岸だったのか。あれに憧れて渡米し、ハリウッドやビーチの豪邸を眺め、ああいう生活ができる富がほしいと思って帰ってきたのだった。劇的なカルチャーショックだったのは、アメリカのセレブに官僚やサラリーマン出身はいないことだ。会社を興した事業家であり、歌手やスターであり、スポーツ選手であり映画監督であり、弁護士や医者であり、何であれ才能で輝いて自営業で自由に生きてる連中だ。そうでなければMBAをとってウォールストリートでサラリーマンとして高給を取って元手と人脈を作って勝負するわけだが、これは才能がないほうの連中の道だ。
そういうことをカリフォルニアで現実に見知って、ウチに資産はないから自分で稼がなくてはいけないと思った。なんのため?ああいう家に住むためだ。男の人生最終の通信簿はどんな家に住めるかだと思うようになった。あんまり子孫の名誉にもならない話だが、僕はそんな動機でなんとなく進路が決まってしまったことは否定できない。菅さんが上京して段ボール工場で働きながら天下国家を動かす道を志したと聞くと恥ずかしくなる。しかもサラリーマンという一番なる気のないものになったわけで、その理由はといえば何の才能もなかったからだ。才能というのは先にあるのではない、やってから、あったねとなる。だから何もしなければないし、やってみないとあるかどうかは誰にもわからないのである、などと今になって慰めてもいるが。
最大の趣味が魅力ある株を探しだすことだと知ったのは野村證券に入ってからだが、日本のウォールストリートで富を作りたいのだから当然だろう。10倍になる投資というと株しかない。1、2割もうかるなどという話にはさっぱり興味がなく、30年も証券マンをやってきてお客さんに債券を売ったことは一度もない。こういう人間にとって、個人営業で大坂を駆け回った平社員時代は楽しかった。君は面白いやつだと、小僧が絶対に会う事もできない大物のお客さんたちにかわいがってもらったからだ。そこで株式投資を通して生活やお金への考え方や処世術をじっくり学ばせてもらい、実は素顔は名刺からは想像できない普通の人だという事もわかった。
役員や拠点長になりたくて頑張ったからサラリーマンはやっていたわけだが、その動機は出世すれば大いに給料が上がるからである。しかし、なってみるとそれでは足りない。トップになっても大したことはないだろう。すると、職務規定で株を買えないという本末転倒は人生のゴールに向かうにはナンセンスだったし、自己都合の退職はいずれ来るべきものだったと思う。起業が絶対だったわけではない。デイトレーダーでもよかったが、出資してくれる方が現れそれはなくなった。人様の資金を増やすとなるとひとりでは弱いからだ。そこでSくんに出会ったことは幸運だった。渋谷の中華料理屋で初めて会って、彼と会社をやろうと即決した。同じ趣味の持ち主だったからだ。
生命保険会社で運用キャリアをスタートしたSくんは儲かる株を探す求道者でありマイスターである。何時間語り合っても疲れない、そこが同じなのだ。こういう仕事はいい意味でオタクでないとできない。Sくんがやって資金は3倍になったがこれは偶然でも不労所得でもない、あらゆる経験と知恵を使って労働して出た利益である。だから報酬は相応に頂くしお客さんにご満足いただける。知恵の勝負で労働が見えにくい金融業は成功して顧客満足があってナンボだ。成功報酬なるものを成功率5割の人がもらう資格はない。一発屋がビギナーズ・ラックでもらえるものでもない。満足な結果を5年以上継続して出すのは統計的に至難とされる。彼は20年も出している。説明はいらない、それがすべてだ。
僕に彼の才能はない。ただ彼が異能の人だと見抜くことはできて、組む利があると判断した。彼のほうはデイトレーダーでも問題なく食えるが、なぜ僕と組んだかというとそのほうが利があるからだろう。彼の利と僕の利は中身は同じではないだろうが、会ったときに1+1が2以上になるとお互いが思ったということだ。パートナーシップ、成功するwin-win関係とはこういうもので、こと人に関しては直観、第一印象を大事にしている。見かけや服装ではない。話してみないとわからない。どんなに家柄や履歴書が立派でいいと思っても、僕は理屈ではなく決める。どうして自分がそうしたか自分にも説明はできないが、それに逆らわないことにしてきて失敗してないからそれでいい。
だいぶ後になって執行役員のKくん、Dくんが加わった。基幹の業務ラインが2つになって大臣がもう一人必要となり、経営全般に官房長官が必要になったからだ。僕はプロ野球のスカウティング以上に学歴を見ないが、結果的に慶応4人、東大2人になった。非常に満足なのは9人に重複がなく特技がクリアに違うことだ。僕自身もプレーヤーのひとりであり、名刺には社長兼CEOとあるが対外的にそういう “配役” を演じているということにすぎない。では対内的に指揮者かというと、9人が同じ曲をやることはまずないからそうでもなく、僕が指揮台に立っていると客席が埋まるという意味でだけ指揮者だ。
この「ゆるい」組織は気に入っている。全員がプロのプライドと時間を持てるし、貢献度に応じて利益配分を受けられる。なぜそうしたかというと単純で、若いころ自分がそういう会社に入りたかったからだ。こうすれば専門性の高い人のモチベーションとパフォーマンスは上がるし、求人においても他力本願のサラリーマンは来なくなり、自信のあるプロが寄ってくるのである。そして、ラッキーなことに、この組織はリモートワークになってもダメージがないことがだんだんわかってきた。むしろコストをセーブできるかもしれず、要は、コロナはあんまり関係ないという事だ。
魅力ある株を探しだすことは推理ゲームである。株がその他(債券、FX、仮想通貨、ゴールド、原油など)と違うのは対象が日本だけで3500銘柄あり、その個々に “ファンダメンタルズ” と呼ばれる企業業績のデータがあるからで、株価をモデル化するならば複雑な多変数回帰分析が必要だ。その他のほうは対象も変数も圧倒的に少ないから解析のインテリジェンスで優位性を持つことができず、結果的に長か半かのバクチに近くなってしまう。しかし、もっと重要な差異はというと、株価は企業価値そのものでありすべての経営者はそれを増加させようと人生を賭けて努力していることだ。円レートや金価格を高くしようと頑張っている人など世界のどこにも存在しないが、すべての企業には手金で勝負をかけたCEOがいる。つまり株価には常に上昇バイアスがかかっているといえる。参加する価値のあるゲームではないだろうか。
しかもゲームに勝てば運用益というお駄賃がもらえる。払ってくれるのは市場であり、相手は匿名性のあるリスクマネーだから恨まれることもない。短い人生で普通の人が資産を10倍にし得るのは株しかないし、いくら儲けても世間様にご迷惑にならないのも良さだろう。日経平均が上がっても株を持ってるのは富裕層だから庶民には関係ないなどという政治家がいるが、こういう人は浅知恵から株をバクチと思ってるのであり、払えるはずのない年金で国民をごまかしているのである。コロナが長引いて世界の政府は財政出動と異次元金融緩和を継続せざるを得ず、それは図らずも国家が株高政策を採ることを意味する。それを税金で行うのであれば庶民に小口でも株を持たせ、国家と利害の一致したポジションを取らせてあげるよう適切な投資教育を行うことが善政なのではないだろうか。
僕は自分の感性という探知機で見つけた企業の株とコールオプションをソナーという蔵にがっつり貯め込んできた。あと2年ぐらいでそれがIPOして何倍になるかは時の運だが、不発でも2倍だろうし10倍も夢でない。だから来年までワクワクドキドキして過ごせるわけで、これぞソナーを作ったご利益と天に感謝する。たぶんあと2、3発の「弾込め」をすれば後進に道を譲って後顧の憂いなき人生になろう。娘が健康を心配してくれて、お父さん仕事しすぎだよ、もういいから人生楽しんでと言ってくれる。ありがたいことだ。でも僕にとってこの仕事は労働ではなく最大の趣味なのだ。他は全部捨ててもこれだけは残るものであり、尊いとも思わないが嫌と思うこともなく、すでに理想郷であるショーペンハウエル的幸福に近づいているのだ。オーストラリアか屋久島の好きなホテルからリモート参加なんて形なら80になっても後進のお役ぐらいには立てるだろう。
ところで、証券ビジネスへと背中を押してくれたコロンボの豪邸だが、もう家はあるしあんなでかいのをいずれ家内と二人でとなると猫を増やさなくてはいけないだろう。そのためというわけではないが、先日に、野良だった4匹目のフクが来た。こいつは気が良いしオスの黒猫であることに大きな意義がある。福を呼んでくれそうだしクロが2匹で黒字経営と縁起もいい。そして何より、我が家は猫を入れると男女比が2:6と劣勢であったが盛り返すこともできるのである。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
権力者であるために権力者でいたい政府
2020 AUG 17 19:19:29 pm by 東 賢太郎
(1)国家の目的解釈は量子力学に似ている
国家の目的は何かという議論をひもといていくと、だんだんわからなくなってくる。ドイツの政治学者マックス・ウェーバー(1864 – 1920)は「過去に国家がしてきたことを並べてみて、そこから国家の目的は何々だと結論することはできない」という趣旨のことを書いた(「職業としての政治」)。普通、人間であれば、その行状を調べればどういう人かは凡そわかる。しかし国はそうでないというのだ。「これが国の仕事だ、だから国の目的はこうだ」が成り立たない。有名なパラドックスに「私の言うことはウソだ」がある。こう言われた瞬間にこの人が正直者なのか嘘つきなのかは言葉から判定できなくなるがそれに似ているし、光があたると(つまり、見る前と後で)電子が動くので、見る前の物体が何という物質であったか不明だという量子力学を想起させる存在でもある。
世界の歴史を振り返ると国家は「野獣」であり「夜警」であり「福祉提供者」であったりする(それが「見る前」)。ではどれが正しかったのか(「見た後」)という問いに「どれでもない」と答え、「国家は暴力行使のできる権利を持つ唯一の存在で、その独占を要求する人間共同体であり何でもできるからだ」とするのがウェーバーである。それに対しては諸説反論あることは承知だが、自然科学ではない以上正解はない。本稿では国家の目的に対する概ねの結論をウェーバーの論考の前提に添って「国民に強制力のある規則を制定して維持すること」と理解し、以下これを『国家定義』と呼び、それに従って考えてみたい。
まず、凡その歴史を俯瞰すると、すべての国とは、その地域において「俺はジャイアンだ」と主張する者(元首、酋長etc.)をひとりだけ認めたことにする仕組みということだ。中世まではジャイアンが腕っぷしでやりたい放題(野獣)だが、別の野獣よりましで守ってくれるジャイアンなら何をどうやってもいいという妥協的均衡が生まれた。それが近世になると、やりすぎはいかん、やるなら暴力行使も含めて規則に則ってやってくれ(立憲政治)というバランスになった。やがてジャイアンは個人でなくポスト(称号)と機能(軍)になり、腕っぷしとは関係がなくなり(文民統治)、上に立つ国家はマシーン(政治装置)のような存在となる。そしていま、核の抑止力によるつかの間の平和ができると、そもそもなぜ暴力行使により何でもできる権限を認めたかが明らかでなくなってきた。
「なぜジャイアンが必要なのか?」
「ジャイアンはジャイアンであり続けるためにジャイアンだからである」
という、まるで小泉構文の如くわけのわからないトートロジーに陥っているのが21世紀の政治の現況だ。巨大な米国市場を配下に持つトランプ大統領が関税で他国を混乱させサプライチェーンを分断して経済成長や企業収益を阻害しても、力の支配だという非難も損害賠償請求裁判もない。関税主権の前にはそれを裁く法律も強制力もなく無駄だからである。抑止力という美名に糊塗される核保有による恫喝、ゆすりも同様だ。米国は自国民に強制力のある規則を制定して維持し、国家定義を満たすことで国家の目的保持を達成しているが、他国に対してはそれがない。ジャイアンは必要でないが、歴然と存在するのである。
(2)真珠湾攻撃は誰が決めたのか?
国家は法律の制定によってのみ権力行使できる(国家定義)。これは市民革命で王権と闘って「自由」を勝ち取った欧米諸国民は絶対に譲ることができない法治主義という思想である。一部のアメリカ人がコロナでマスクをしなかったのは、国家権力に強制されるなら感染リスクを取ってでも「しない自由」を守るという主張ゆえだ。ドイツはナチス党に無制限の立法権を与える法律(全権委任法)を議会が認めたことでヒトラーが「何でもできる」ようにしてしまったことが後のすべての厄災の原因となったが、国家定義どおりの手続きを踏んだのだから「ドイツ国民に責任がある」といわれて反論できるドイツ人はいない。このことをフランクフルト赴任時に金融界の人たちに述べたところ、「ではきくが、日米開戦は誰が決めたのか」と問い返されたことがある。戦争という国家権力行使の最終責任者は誰だったのかという指摘だ。
「東京裁判で総理(東条英機)とされたが、彼は直前まで作戦を知らなかったようだ」と述べたところ一笑に付された。軍の統帥権は天皇にあり総理に権限はなく、スターリン、ルーズベルトの共同謀略で支那情勢が窮地となり世論も沸騰し「国家総動員法が全権委任法であるかの如く扱われたのを誰も止められなかった」のが実態と想像するが、国家定義を満たさない決定で戦争を始めたという発言は国際社会ではナンセンスで、大日本帝国は国家でなかったというに等しいと思い知った。ちなみに武力を伴った戦争であるフォークランド “紛争” (実質は戦争である)で英国サッチャー首相は自らを首班とする戦時内閣を設置して意思決定を行った。ドイツは意思決定者を法律で処断した(ナチ礼賛は刑法130条違反になる)ことで国家定義に則って戦争責任を特定し戦後80年をしのいでいる。事の重みをかみしめる。
(3)需要喚起は国家の仕事ではない
国家は何でもできるのだから法律さえ制定すれば国家の目的が経済活動への関与を含むこともあり得るが、それが妥当か否かという点はまったく別問題である。論点は、関与を①すべきかどうか、②する意味があるかどうか、の2つである。①については1970年代に国対国の経済戦争をしていた時代に米国との自動車、半導体の貿易交渉を通産省(当時)が担ったことは国益上の意味があった。がん保険を大蔵省(当時)が開放して自動車交渉を有利にする等の業際バーターは民間では困難だったこともある。しかし、現代においては、グローバル企業は多国籍サプライチェーンによる効率化、タックスマネジメントを重要な競争の要素とする時代になり、徴税者である国家が需要サイドに有意に関与する余地は激減した。第二次安倍政権の当初の戦略に第3の矢(成長戦略)があったが、何ら出なかったし、いつのまにか誰も口にしなくなった。当然だろう。需要なき処に成長はなく、需要は国が作れない。異次元緩和(第1の矢)と財政出動(第2の矢)の延長線上に成長戦略が自然に出てくるわけではなかったのである。
②については内在的な限界がある。意味のある関与は物資やサービスの「供給側」(サプライサイド)では可能かもしれないが、消費する「需要側」へは実態でも法技術的にも困難である。馬を川に連れて行くことはできるが水を飲ませることはできない。例えば少額投資における税制優遇制度であるニーサ(NISA)である。「税金をおまけしますから株式・投資信託等に投資しませんか」という趣旨だが、税金の心配は「お金がもうかってから」でいい。「株や投信のパフォーマンスは大丈夫なの?」「はい、それは自分で考えてください、自己責任で」ということだ。それで川まで行く馬は、元から喉が渇いた馬だ。そうでない馬が多いから投資による資産形成が進まないという根本的原因の解決には無力というしかない。
「少子化担当大臣」にいたっては何ができるのか不可思議でしかない。要は、子供をたくさん産んでもらおうというのである。しかし子供を持ちたいという「需要」を法律の制定という手法で促すのは、北欧のような公務員が多い高税率、高福祉国家でないと難しい。女性の社会進出を促進しながら子供を産んでもらうのは矛盾という統計もあるが、保育所が増えたから子供をつくろうという以前に、そもそも30代の男性が収入がなくて結婚できないことが問題なのだ。それは積極財政へ転換すれば解決するだろう。それをせず子育て支援しますからアウトソースでどうぞと言われても、その心配は結婚できてからでありニーサとまったく同じ、役人の供給サイドによる底の浅い発想だ。役所が需要サイドに手を出すと必ず匂ってくる「やってます感」満載であり、こども家庭庁の7.3兆円という驚くべき巨額予算は「ゆりかごから墓場まで」的な見栄えと雇用創出にはうまい手だが、出生数は統計を取り始めて初めて70万人を下回った。成果が出てないし、的外れな施策なので今後も出ないだろう。民間企業ならトップはもとより大量解雇と思われる。
こうした需要喚起は国家の仕事ではないことを日本政府が知らないはずはない。わかってやっているのだ。英国労働党の「ゆりかごから墓場まで」政策の大失敗が膨大な財政赤字を生み「英国病」を招いたことも、国民皆保険の日本がまさに同様の渦中にあることも彼らはよく知っている。しかし、冒頭に述べたように、政府は何でもできる。戦争でも、売春宿の経営でも、民間人大量殺戮用施設の設営でもできる。政権与党はそれを差配して儲ける蜜の味を知り、票まで買えることも知っている。大きい政府は役人を利する。彼らは失敗しても失職しないし給料は下がらない。デフレになってGDPが何位に転落しようが民間人の購買力が落ちるだけだ。それは役人の相対的な賃上げだからウエルカムである。よって、政治家と官僚は共犯になり得るが、前者は選挙で落とせても後者の選挙はない。支配できない需要サイドへの投資は財政法第4条をたてに縛り、消費税なる実質的な値上げによる需要の犠牲を原資に供給サイド(輸出企業)の実質減税を行って景気を保つ。これは「おまじない経済学」と揶揄されたロナルド・レーガンのサプライサイドエコノミーの大幅な劣化版である。レーガン政権は冷戦下で「強いアメリカの復活」を旗印に供給サイドによる「軍事支出の莫大な増額」を行い、それに「減税」を伴わせた効果で消費が副次的に刺激され、失業者は減りGDPは倍増近くなってレーガン政権は「アメリカ経済は復活した」と成功を誇った(トランプはそれに習うと明言)。かたや軍事支出を丸々米国に貢ぎ、減税は頑としてしない日本は失われた30年に突入した。不思議でも何でもない。このままだと益々そうなって失われた40年になる。そしてどんなに中小企業が倒産しようと自殺者が増えようと政治家と官僚は誰も責任を取らない。2000年代初頭に窮地に陥った日本は、一部を役人が独占的に経営していた電信・電話事業、郵便事業、鉄道・航空事業を米国民主党の求めで「民営化」し、米国に思うつぼの利益を誘導し、その見返りに個人でいくらもらったかは闇の中だが少なくとも小泉・竹中は国民的な人気を博した。国民は選挙で泥棒を賞賛するような信じ難い熱狂を見せ、今に至ってその息子まで意味不明の人気者に祭り上げるという救いようのない民度にまで堕落してしまっている。政治を変えないと、日本は落ちるところまで落ちる。
(4)我がロンドン赴任とシンクロした「黄金の1980年代」
郵政で小泉がした民営化を考案したのは米国でも日本でもない。英国の第71代目首相マーガレット・サッチャー(1925 – 2013)である。当時(1980年代)の英国は七つの海を制した大英帝国の斜陽が国民を悲観させ、ロンドンは相次ぐ犯罪やIRAのテロで殺伐としており、失業で活力をなくした若者が昼間からパブで飲んだくれるというすさんだ空気に覆われていた。第二次大戦後に労働党政権がとった社会福祉重視政策の著名なスローガンが「ゆりかごから墓場まで」である。政権の人気は得られたものの、やがて主要産業国営化の失敗とオイルショックで致命的な財政逼迫を招く結果となり、社会保障負担の増加による国民の勤労意欲低下、既得権益の発生、労働組合の賃上げラッシュとストライキという悪循環から工業生産や輸出力の減退、慢性的なインフレと国際収支の悪化、それに伴うポンドの下落で英国経済は地盤沈下した。これが「英国病」(British disease)である。
僕が留学を終え1984年にロンドンに着任したのはそうした「真っ暗な英国」の真っ最中である。驚いた。これがあの英国かと目を疑うほど若者の浮浪者と犯罪と退廃ムードに満ち溢れていたからだ。失業率は12%でインフレだからそれも当然だ。地下鉄で通っていたが、待てど暮らせど電車が来ない。事故を疑ったが、きくとストライキだった。1,2度ではない、何度もあった。遅刻は厳罰の社風なので仕方なく車通勤に変えた。お客さんの誰と話しても政治、経済に悲観的で、英国の未来を半ば嘲笑していた。かたや日本は、 “ハイテク産業” と呼ばれた電機、自動車、半導体、電子部品産業の大躍進で世界の寵児の地位をほしいままにした黄金の10年間の入り口だった。世界の金融市場の本丸、ロンドンのシティで働ける!俺たちが日本のプレゼンスをうなぎ登りにしてやる!という、若気の至りながらも証券マンとして痺れるような高揚感を覚えたことは忘れ難い。そして数年後、そのとおりの日が来たのである。シティのトップエリートたちが「日本を無視して金融取引を行うことはナンセンス」と語るようにさえなった。米国による日本の輸出潰しだったプラザ合意(強制的な円レートの倍増)。この窮地を合気道のごとく「円高メリット」と逆手に取り、泣き所だったエネルギー、資源の輸入コスト減を国益に転嫁したのは見事でしかない。日本経済は本当に強かった。赴任時にロンドンに2,3件しかなかった日本食レストランは10倍になった。明治維新で開国して以来、我が国が世界の一等国と認知されたのは日清日露の戦勝だったが、経済力でそうなったのはこの時であることは疑いがない。
ちなみに、この「黄金の1980年代」の総理大臣は以下の面々である。
鈴木 善幸、中曽根 康弘、竹下 登、宇野 宗佑、海部 俊樹
はっきり書くが、政治のリーダーシップによって達成された黄金期でなかったことはご想像できよう。この世紀の繁栄を「バブルであった」とするのもいかにも自虐的で何の得にもならない卑屈な敗者の歴史観というしかないが、1990年に日経平均株価指数がピークアウトしてからの混乱は、豊饒な果実をなんら国力に転嫁することができなかった宮澤 喜一、細川 護煕、羽田 孜、村山 富市なる上記面々に続く厄災のごとき無能無力の政権が米国の策謀によってあっさりと殲滅された結末以外の何物でもないのである。幾ばくかの抵抗を試みた次の橋本 龍太郎政権は米国のさらなる謀略によって潰されたのは周知のことだろう。経済の最前線で死力を尽くして戦った一員として、あの大勝利は何だったのかという虚無感を禁じ得ない。当時流行った「経済一流、政治三流」なる言葉はまさにこれを指しており、今も生きていることを若者たちは記憶されたい。
(5)驚いたマーガレット・サッチャーの覚悟
思えば世界的視野でも1980年代は重たい10年だった。我ながら凄まじい時に米国、英国にいたものだと思う。英国初の女性首相マーガレット・サッチャーが1979~1990年まで在任し、米国はロナルド・レーガンが198
1~1989年に大統領であり、ソ連は崩壊・消滅に至る末期(まつご)と断末魔の10年にあった。サッチャーとレーガンは「小さな政府」を標榜し、強硬な反共主義者で共通していた。サッチャーの民営化構想のドライバーは既述の「英国病」だったが、日本経済の大躍進もあった。政治家としての器量は、その日本を敵視せず、英国復活のドライバーにしようとしたことだ。80年代初頭に米国でもエズラ・ヴォーゲルの著書「ジャパン・アズ・ナンバー・ワン」が警鐘として話題となり、ウォートンの授業で話題になったこともあったが、父ブッシュは10年後に大統領に就任すると日本の金融・証券業潰しの大逆襲を仕掛けてきた。サッチャーはそれをせず1986年にロンドン証券取引所を規制緩和する “ビッグバン” で活力ある外資(頭にあったのは間違いなく日系証券だ)を主導的なプレーヤーとして積極的に取り込み、ユーロドル市場取引を急拡大させシティの歳入を大幅に増加させた。物量で強引に圧する米、洞察と計略で良いポジショニングを取る英。各々それらしい姿を見た気がする。
サッチャーのドル箱であるシティにおいて採った政策は、テニスコートはあるが優勝者が出ないことになぞらえて「ウィンブルドン現象」と揶揄もされた(命名者は野村ロンドン社長だった外村である)。選手が何国人であれ、ロンドンの税収の半分をシティがあげ
るに至ったのだから文句は出ない。外人選手のうち最大勢力だったのが日本の証券会社で、野村が断トツの収益を上げ、1989年の経常利益はトヨタを上回る5千億円で日本一だった。現地社員はオックスフォード、ケンブリッジ卒が当たり前になり、ロンドンの日本食レストランが激増してアジア人を取り巻く文化まで変えたのはその頃なのだ。野村はサッチャー政権と良好な関係を築き、1990年にシティのチープサイドにある17世紀の郵便事業(郵政省)の古跡である巨大な “オールド・ポスト・オフィス”(写真)に移転して“ノムラ・ハウス” と名乗る栄誉を得た。サッチャーが来賓でオープニング・セレモニーをする予定だったが前日に「代理にジョン・メージャー大蔵大臣を送るのでよろしく」と連絡があった。何事かと思ったら翌日に辞任、メージャーの第72代目イギリス首相就任が発表された。その日、ロンドンから帰国したばかりだった僕は、野村の社内テレビ放送で美人の女子アナといっしょにセレモニーの同時中継のキャスターを務めさせてもらった。
サッチャーの強い決意を象徴するものとして、英国民営化省での会議で聞いたギネス担当官の言葉が忘れ難い。1991年に英国電力株式民営化の日本トランシェ引受主幹事に任命していただいた際のことだった。
「組合運動に明け暮れ能力もやる気もなくした公務員に公的事業を任せておくことは輝かしい大英帝国の没落を意味する」
これを言える日本の政治家、公務員が何人いるだろう。これぞ、労働党の負の遺産を一掃するコミットメントの表明だった。サッチャーにはガス、電力、石油、鉄道、航空、鉄鋼、水道、テレコムなど公共財・サービスの提供に関わる国家の屋台骨の産業において、国営企業のままに放置しておくと効率や技術革新で米国、日本の水準に大きく水をあけられてしまうという強烈な危機感があった。民間企業に伍するモチベーションで経営させなくては大赤字が累積して国家財政が破綻し、未来の国富を生む研究開発(R&D)も米国や日本に劣後し、国の屋台骨が朽ち果てて二等国に没落する。それには自由主義的な競争原理を注入するしかない。その結論として、公共財・サービスの提供を行う国営企業を民営企業にして株式公開し、新たな株主の厳しい目に叶う経営をさせようという荒療治が選択されたのである。もちろん、国営の立場に安閑とあぐらをかいていた者は大量に解雇され怨嗟の声があがるが、腹をくくったサッチャーはそんなものは意にも介さなかった。
証券界の人間なら誰もが記憶しているが、90年代前半にこのムーヴメントは同様に公共セクターの非効率を抱えていた世界各国に瞬く間に波及して株式のグローバル・オファリングという引受業務の新領域を開拓することになり、我々野村の海外部門はそこで台頭してきたゴールドマン・サックスやモルガン・スタンレーと真正面から激突し、熾烈なマンデート取得戦争を繰り広げた。英国電力公募の日本主幹事マンデートは我々が奪取した。スコットランドは大和証券が取った。メキシコの国営テレコム会社テルメックスも同じ流れで民営化するとなって国際金融部の課長として即座にメキシコシティーに飛んだが、主幹事は既にゴールドマン・サックスの手にあり煮え湯を飲まされた。勝ちも負けもあったが、世界の金融のど真ん中でトップ・プレーヤーとして戦った、我が人生でも最高にエキサイティングな時代だった。世界的に澱んでいた公的セクターに強烈な喝を入れた「鉄の女」サッチャーは、もとより最も資本主義的である証券界にまで電撃的なインパクトを与えたのである。
(5)金融市場から目撃した首相の重み
サッチャーは中間階級下層の出である。英国議会にはピューリタン革命で市民(クロムウェル)が絶対王政維持を主張する王族派と闘いチャールズ1世を処刑した血なまぐさい歴史が投影されている。王室、貴族は貴族院(参議院に相当)に封じ込め、庶民院(衆議院に相当)が実質的に国政を切り盛りするが、それでも雑貨商の娘が大英帝国の首相とは大いに新鮮だった。その政治的ハンディからだろう、自助努力をモットーとしてオックスフォードでは化学専攻ながら弁護士の資格を取り財政、税制も学び、エスタブリッシュメント(既得権益勢力)への徹底反抗が「小さな政府」への動機となっていたともいわれる。「天は自ら助くるものを助く」(God helps those who help themselves)。努力する者は報われるべきだし、しない者はそれなりに。資本主義に功罪はあるが、経済も社会もモチベーションが駆動力となって前進する。こういう人が現れれば男か女かなど矮小な議論である。
規制緩和、民営化へのもうひとつの伏線が、82年に英国領であるフォークランド諸島をアルゼンチン軍が武力で奪取した戦争だ。同諸島はグレートブリテン島からはるか離れた、異国人にはどう見てもアルゼンチンの領土に見える海域に位置している。それもあって英国病で萎えた世論の一部は奪回に否定的であり、米国や国連が仲裁を申し出もしたが、サッチャーは「侵略者が得をすることはあってはならない」と断固として英国陸海軍による武力奪還を曲げず、アンドリュー王子ら王室、貴族も兵士として出陣した。本件は当面のところ第2次大戦後の唯一の本格的武力衝突である(注)が、現在の我が国が尖閣諸島で直面しかねない事態への対応として示唆に富む。これに勝利して奪還成功したことで国民は沸き、それまで不人気だった政権支持率は保守層のみならず急上昇したのである。「義を見てせざるは勇なきなり」とはこのことだ。
(注)執筆当時はそうであった
私事で恐縮だが、サッチャー政権はたまたま僕が社会人になった1979年に始まり、米国留学した82年にフォークランド紛争があり、ロンドンに着任した84年に中国に97年の香港返還を約束し、ロンドンから帰国した90年に終焉した。そして香港返還の年に野村香港社長に就任したのである。これだけ節目の年が一致しているのは不思議なほどだ。11年の政権期間中にこちらは社会人としての基礎ができ、そのうちの6年は彼女の治世下のロンドンにおいて激動の洗礼を受けていたのであり、自由化と金融ビッグバンで英国が徐々に誇りと活気を取り戻すのをリアルタイムで日々まのあたりにした経験はどんな映画よりも迫力があった。格別の自覚はないが、サッチャリズムの思想的影響を受けていて不思議ではないし、尊敬する政治家を一人だけあげるなら彼女である。
(6)サッチャリズムとハイエク
サッチャリズムは成功の代償に失業率を上げた。万事がうまくいったわけではないが、国の急場を救った象徴的ケースとして評価されるべきだ。彼女はまず壊滅的だった国家財政の改革に着手し、身を切る緊縮財政(社会保障費、教育費の削減)を断行して国民の大不評を買った。フォークランド戦争がなければ短命政権に終わっただろうといわれたほどだ。そこで踏み切った開戦は事後の巨大かつ不測の歳出を伴い、やろうとしたことの真逆の方向に舵を切ったわけだが、その一手が結果的には大当たりだった。もし彼女がケインジアン政策的な当たり前の手を打ってしまっていたら、財政問題が是々非々の判断の大きな足かせになって舵が切れなかった可能性がある。運もあった。
サッチャーは「共産主義、社会主義が本質的にファシズムやナチズムと同根であり、更に悪いものであり、むしろスーパーファシズム・全体主義である」と説く経済学者フリードリヒ・ハイエク(1899 – 1992)に傾倒しており、反ケインズ的政策を採ったのは当然だ。民営化とは政府部門経済を削ぎ落して「小さな政府」とする政策であり、国民はみな勤勉に倹約して自分で健康に生きて行けということであり、政府の役割は規制緩和して外国人も入れて自由に競わせ、それを監督することだから「大きな政府」は無駄である。労働党の「ゆりかごから墓場まで」政策が財政破綻を招いていたから高福祉国家のカードは捨てざるを得なかったのであり、むしろ治癒には不可避の政策だった。その効果は僕が着任した84年に日常茶飯事たったロンドン地下鉄のストが後になくなったことでも体感された。
僕はハイエクの、
「自由主義」と「保守主義」が混同されるのは両者が反共産主義だからであるが、共通点はただそれだけである。保守主義は現状維持の立場であり、進歩的思想に対する「代案」を持たず、たかだか「進歩」を遅らせることが望みである
という思想に賛同しており、以前に書いたように、
人間は現存の秩序をすべて破壊してまったく新しい秩序を建設できるほど賢明ではなく、「自然発生的秩序」が重要で、理性の傲慢さは人類に危険をもたらす
というイギリス経験論者である。どんな選良であれ「市場の参加者の情報や知識をすべて知ることは不可能」であり「参加者達が自らの利益とリスクで判断を下す市場こそが最も効率のよい経済運営の担い手である」と ”経験的に” 考えるからだ。彼が共産主義とファシズムは同じだというのは、どちらも「理性」に至上の地位を与える合理主義だからだ。理性より市場の方が賢いとは認めない。しかし、ビル・ゲイツ、ジェフ・ベゾス、イーロン・マスクのような人材は市場にいるのであって、国が総力で経営してもGAFAやテスラのような企業が生まれるわけでもない。選良とは選ぶ者がさらに上手の選良である必要があり、企業経営未経験の経営学の教授が「優」をつけた「選良」が経営者になってうまくいく保証はどこにもない。陸軍士官学校、海軍兵学校で主席の連中が決めて指揮した戦争がああいう惨事になってしまう。「市場」、「自由主義」とてベストな方法ではないが、共産主義がうまくいかないことは歴史が証明済であり、「構成員がまったく同じような思想を持つ強力で人数の多いグループは、社会の最善の人々からではなく、最悪の人々からつくられる傾向がある」(ハイエク)ことの結末としてはびこっている集団が主張する「保守主義」も、害悪であることにおいては共産主義と五十歩百歩だ。
(7)大きな政府という誤謬
くりかえしになるが、政府は民意さえ得れば何をしてもいい。その民意を代表する国会議員がラブホテルから議事堂に出勤しても「国家の仕事は回っている」といわれれば国民は引きさがるしかない。国家、官僚というものは組織防衛本能からそうしたスラック(たるみ、遊び)を排除せず、もっともらしい居場所(スラック組織)を作ってしまうことで批判をかわして生き延びようとする。それがぶよぶよした贅肉として堆積することで「大きい政府」が完成し、放っておけば贅肉にまた贅肉がついて自己増殖していくのである。できもしない需要サイドへの関与は良い例で、高福祉政策の美名をまとって無用の税金を投入するスラック延命策に利用され、格好の票田と天下り先と利権を生む。これはまさしく戦後の英国労働党が目論んだ「ゆりかごから墓場まで」政策の大失敗の原因であり、サッチャーが身を賭して戦った物の正体である。
今の日本を覆い尽くしている政治への閉塞感。これは何だろう?GDPは毎年のように他国に抜かれ、防衛力はおろか経済力までも他国になめられ、低賃金と重い税負担で働き盛りの若者が希望をなくし、自殺者が増え子供は生まれず、財務省解体デモが頻出し、闇バイトやら教師の猥褻行為やら健全な日本人の常識からは思いもよらぬ犯罪が頻出しだした昨今の我が国。僕はあの「英国病」に冒されたころの英国と共通した空気を感じる。この事態を変えられるのは政治しかなく、英国はマーガレット・サッチャーの出現と些かの幸運によって死地を脱し、今日に至るのである。
本稿の標題を『権力者であるために権力者でいたい政府』としたのは、その政府がこの事態を変えることは絶対にありえないことをマックス・ウェーバーにまで立ち還ってお示しするためである。それは我々国民の頭上に巣食っている庇護者のふりをしたハゲタカであり、巣の中に子を産んで増殖し、無為無能のまま国を蚕食して滅ぼすか、あるいは、民主主義の体裁を装いながら奸計と権力の爪をもって国ごと共産主義にでももっていくことが可能である。この事態を変えられるのは政治しかないが、幸いなことに、日本国憲法がある限り、政治は我々有権者の投票によって変えられるのである。
権力者は権力者であり続けるために権力者でありさえすれば永遠に権力者である。それを握らせてしまった者は、そこに座っているために政策も成果もいらない。「俺は絶対にやめない」という不断の意志だけ保持して表明すればよいのである。「国家の目的は国民に強制力のある規則を制定して維持すること」という『国家定義』に基づけば、その者は存在自体が憲法違反であり、国家が国家であることを望む国民の総意によって排除されねばならない。その装置が「リコール制度」だが自民党にはそれがないことが判明した。鳥取県民ではない99.5%の日本国民は、自分で選んでもおらず、3度も不信任を叩きつけても切れない者が民意でない首相談話を発出して子孫の安寧を脅かされて制止もできない。これはいったい民主主義に巣食う何者なのであろうか?
猫を宿主とする寄生虫トキソプラズマは、猫にかまれたネズミに感染すると脳を操作して猫を恐れなくさせ、別な猫に自ら食われるように仕向けて繁殖する。実に面妖としか形容する言葉がない。「選挙で大敗すれば普通は辞める」という昭和の老人の常識でガバナンスを維持できるという政治を続けるなら自民党は民主主義を無視した政党として消える運命にあるし、猫にかまれて感染したネズミであるならむしろ死んでもらった方が日本国のためだ。
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観光業は瀕死だから旅行しましょうの愚
2020 AUG 11 16:16:58 pm by 東 賢太郎
(1)意図と逆効果のGoToキャンペーン
観光業は瀕死だからとGoToを最悪のタイミングで強行して、やっぱり地方の感染者が増えだしてしまった。友人が「地方でかかっちまうと大変なことになるんだよ」と教えてくれた。「たちまち噂が広まって親戚中に叩かれちまう。へたすると引っ越しを迫られる」。まさかと思ったら、きのう青森だったかお盆帰省者の家にシニアの筆跡と思える字で「早く帰れ」と張り紙がされた。まるで横溝正史の世界だ。まだそうだったのか・・・。友人はお盆の帰省は断念した。GoToは地方にお金はあまりばらまかず、恐怖心をばらまくことになってしまったようだ。あれをやらなければお盆は帰れたと嘆く同僚が多いと後輩から聞いた。
「利用者はまだ多くないし地方の数字はGoToのせいではない」とTVで擁護する人もいるが、GoToが成功しようと失敗しようと関係ない。罪深いのは、あれを強行したことで都市部の若者の気がゆるんだことだ。“旅行は行っても大丈夫” と国がお墨付きを与えたのだから、だったら飲み会やカラオケやバーベキュー程度ならOKだろう、ばんばんやろうよとなった。そして3密となり、ウィルスは効率的にばらまかれ、無症状の彼らが出歩いて東京も大阪も名古屋も福岡も感染経路不明の数字が激増した。しかも沖縄のように明らかにGoToの客が感染元という事例が発生して「都会の人は来ないでくれ」になった。
ニュージーランドは新規感染者ゼロが100日目になっており、市民はマスクをせず普通に生活している。人口は大差があるが、ロックダウンしたのは3月26日だから4月7日の日本とそう違わない。日本も5月は数字がひと桁まで落ちた。違ったのはそこからだった。政府がバックギアに入れた論拠は不明だ。「夏は沈静化」「日本人は抗体がある」など俗説を信じたか、ウィルスを甘く見たか、「こんなに我慢したんだからそろそろ」だったのか、とにかく経済を回したい一心で「神風」が吹くと信じたのだろう。
太平洋戦争も「神国」で戦って「科学技術」に負けた。それでも科学や教養を軽視する反知性主義のセンセイがたが跋扈するのが日本の政治風土だ。彼らは興味も理解力もないから、そういう難しいことはセンモンカにふる。いまは分科会という。しかし、何度も書くが、データ集積のないコロナの専門家は世界にもいない。一寸先は闇だから誰もリスクを取らず、日々起きていることを見ながら用心深く発言する。業界から早く何とかしろと突き上げられる族議員のセンセイがたにそれが煮え切らなく見え、「ならばやってしまおう」とGoGoになる。そんなところだろう。バックギアで大迷惑なのはまじめに我慢してきた国民なのだ。
(2)贔屓(ひいき)の引き倒し
こうなってしまうと、そういう場所に都会から行くのは心のハードルになる。とくに高齢者は単価もリピート率も高く観光業にとって大事な客だが、時間も金もあるので行きたい時に行きたい場所へ行く人達だ。歓迎されない所でも安いから行こうというインセンティブはあまりない。むしろ若者が押しかけると怖いから避ける。カラオケやバーベキューをばんばんやろうよという人達は申込書類を見てもわからない。もとからあんまり “ソーシャル” でない人にソーシャル・ディスタンスを期待するのはインテリの勝手な思い込みだ。
初めて米国のグランドキャニオン国立公園へ行ったとき、高さ1kmの直角に切り立った崖下を流れるコロラド川を見おろして目まいがした。柵(さく)があるから安全なのだがこわい。考えてみよう。もし政府が公園の安全性を “監督” しているなら(つまり両者が対立関係にあるなら)僕は柵を信用する。しかし、もし公園が大赤字の経営危機で、政府が経営を援助すると宣言して「GoToグランドキャニオン・キャンペーン」をやっていたらどうだろう?
「柵は安全ですか?」
「はい、転落防止対策の実施状況について十分な調査を行い、実施が不十分な項目については、現場等を確認した上で、助言を行うとともに相談に応じています」
なんてことだったらどうだろう?
監督者でなく庇護者である政府は「柵の安全も大事だが、公園の売上げも大事だ」(コロナ対策に全力をあげながら経済を回す)といっている。国民はすでにそれは無理とわかっているし、身内の審査や監督は甘くなるのが世の中ということも知っている。まして、様々な “お友達優遇政策” を疑われた政府が「安全です」を言ってもなんのこっちゃで、ホテルや旅館はGoTo登録の手続きすらわけがわからない。かくして旅行先での柵(=旅館・ホテルによるコロナ対策)の安心感など吹っ飛んでしまい、感染者増のニュースで「やっぱりね」「アベノマスクが今ごろ届くんだものね」となり、「旅行は危ないからやめとこう」になり、なんのこっちゃで観光業界にツケが回るのである。こういうのを、贔屓(ひいき)の引き倒しと呼ぶ。
(3)国家が「需要創造」に加担するのは間違い
つまり、観光業の票田と献金が目当てなのではなく本当に経営を守りたいなら、国は監督者の立場に徹して「旅行先の安全性」のアピールだけしたほうがいい、というより、本質的な観光業救済策はそれしかない。観光需要は政府が余計なことをしなくても誰もが今すぐにでも旅行やお墓参りに行きたいように、ある。爆発的に、厳然とある。だからコロナ”不安”が収まれば勝手に戻る。不安はしばらくは消えないが、国民は学びつつある。どうやったら危なくなく外出できるかを。国民が学ばない限り、科学無視の政府が何度「大丈夫です」を繰り返してもかえって不安を煽り、せっかくの巡回転を逆行させるだけだ。あまりに馬鹿でみっともないを通り越して迷惑だからやめた方がいい。
厚労省、国交省は、見事にお役所仕事の域ではあるが、GoToに関わる感染防止対策はやっているように見える。問題は、そこに首相官邸が乗っかって「GoTo!」と “営業活動” をしてしまっていることだ。これは生牛肉料理「ユッケ」は禁止しますと政府が「食の安全」をうたいながら「焼肉キャンペーン」をぶちあげるようなものだ。いつぞや話題になり、族議員の利権と批判されて消えた「お肉券」「お魚券」というものがあったが、GoToは限りなくそれと同族の利権のにおいがする。そもそも国家がいち業界を応援し、セールスマンまでしてくれるなんてことが正常なんだろうか?非常事態だから?それは全ての業界にとってそうだ。
(4)国の仕事とは何か
国家の目的(仕事)は何かというと政治学の話になりマックス・ウェーバーなんかが出てきてややこしくなってしまうが、結論だけにするなら「国民に強制力のある規則の制定と維持」というところである。要するに、法律を作って、それを作った種々の目的が達成、維持されるべく行動する機関、過程の総称が政府(Government=統治すること)であって、国家は政府が運転するマシーンのようなものである(ああ、十分ややこしくなってしまった・・)。いいたいのは、「規則(法律)を作って」という部分である。規則とは基本的に「ああせい、こうせい」「ああするな、こうするな」と “行為” を強制、指示するものである。
もし国家が経済に関与したいなら対象は供給サイド、需要サイドの2つある。供給者は限られており指示して計画も調整もできる。一方、需要は国民・法人の数だけ意思がありそれは難しい。つまり法律の制定・維持が仕事である国家は、法律になじむ供給サイドに関与はできても、なじまない需要サイドは技術的に困難なのである。例えば、「郵便の業務は日本郵便株式会社が行う」(郵便法第二条)と事業者を限定して供給をコントロールすることはできるが、需要者(国民全員)に「お正月は年賀状を10枚出しなさい」という法律を作ることは私権(財産権)侵害であり法の目的になじまない。
さらには、物理的暴力行使ができる権限を持つ国家が需要を創造しようとする行為は本質的に危険をはらんでおり、一見そうは見えなくとも、市場にひずみや誤作動を起こしてしまう問題がある。例えば大阪の吉村知事のうがい薬発言である。それが意図ではなかったにせよ、買い占めという誤作動が起き、安易な使用による副作用のリスク、本当に必要な患者に不足するなど混乱を与え、わずか41人の事例で本気かよと知事の科学リテラシーへの疑念まで持たれてしまった。製造会社からのリベート(利権)を疑われてもおかしくない。かように、国家(政治家)の需要サイドへの関与は結果が読めず、政治家個人のレピュテーションリスクも高い。再度書くが、やめたほうがいい。
GoToは吉村発言と比較にならない規模の、政府による堂々たる需要創造行為である。(1)(2)のバックファイアーで観光業のためにもならないのみならず、現在の政治がかかえている問題を露呈して見せた。これは次稿とする。
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それでも若者は旅に出ろ
2020 AUG 1 23:23:01 pm by 東 賢太郎
放課後に遠くまで出歩いて家に帰ってこない子供だった。何度も「お前は鉄砲玉だ」と父に罵倒されたが癖は治らず、ある日のこと、つい暗くなるまで遊んでしまって親父が帰宅してたらやばいと全力で走って帰ったら、警察に届ける寸前で近所が大騒ぎになっていた。高校まではおとなしくしていたが、大学に入るとアメリカに2度、西と東に飛び出し、どっちも1か月の雲隠れで家には電話もいれず鉄砲玉に戻った。海外に出る縁のある家系で、祖父はアメリカに野球をしに行って勤務は上海だったし、祖母の叔父は陸軍でドイツ駐在し台湾軍司令官を1年やっており、自分の鉄砲玉人生には見えない引力が働いていたと感じる。
当然、ステイホームは辞書にない。ZOOMで仕事が回ることがわかったが、執務する書斎が寝室でもあるからともするとステイルームになってしまい、それはもっと辞書にない。自宅がオフィス化してしまって寝ても覚めても仕事になり、気がつくと休息する場所がなくなっているのは困ったもので、僕は発想が命だから気分転換が必要である。そこで、危うくなったと感じるとジョギングに出る。多摩川は右へ行っても左へ行っても決まった道で飽きたので、近ごろは近隣の住宅街コースのほうが気に入っている。二子玉川方面に気の向くままに走るとだいたい5~10キロにはなり、ちょっとしたお出かけ気分にもなれる。
たとえば走って10分の等々力渓谷に日本庭園があり書院で休む。なかなかの風情だ。渓谷の底を流れる矢沢川沿いはこんもり茂った木々の谷間で昼でも薄暗く、気温も心なしか低い。およそ東京と思えぬ森林浴の遊歩道である。滝の横にある石段を登ると等々力不動尊だ。ここの境内に漂う密教的な雰囲気は高野山金剛峯寺で感じたものを想起させる。境内の椅子で心を無にする。落ち着くが、その理由を見つけるのは難しい。
もうちょっと走って第3京浜の先に広大な森のある小佐野邸、上野毛をもうすこし行って美術館のある五島邸がある。その先の瀬田のセント・メリーズ・インターナショナル・スクール界隈は外国人も多く教会もあって、そういえばチューリヒで娘をインターに入れたが、そこでは逆に我々が外国人でやっぱりこんな感じの高台だったのを思い出す。瀬田の国分寺崖線(ガケ)の上側沿いは、豪壮な家並みの佇まいが鉄砲玉のころ徘徊した成城と似た風情である。多摩川に向かって坂を下るとニコタマだ。僕が高校にあがった年に高島屋ができて洒落た感じになったが、昔は玉電の操車場と二子玉川園がある川辺の駅だった。
ここから川の下流にかけて、崖線の上側の見晴らしのよい丘には4,5世紀の古墳がたくさんある。遺跡好きなのでこれがまた魅力だ。世田谷区内に80基の古墳があるがいずれも多摩川沿いの高台か崖線の斜面上に位置する。野毛大塚古墳はこの中でも最大で多摩、川崎あたり全域の支配者の墓らしく大ぶりだ。もう少し下流の尾山台に来ると狐塚古墳があり、5世紀第4四半期造営とわかっている。さらに進むと皇后雅子さまの田園調布雙葉学園(でんふた)がある。白い校舎が美しいこの学校は急斜面の広大な崖一面を占めており、古墳に祭られる豪族の首長やカトリック教会の設計者と共通するジオポリティックな発想を感じる。学校は30mほどの高低差があり、近場で済ましたいときはこれを2、3周するだけで手軽にへとへとになれる。さらに行くと大田区になり、V9時代の巨人軍が使った多摩川グラウンドがある。
多摩川台公園は広々した敷地にやはり古墳がたち並び、古代豪族が選んだ土地だったことをうかがわせる。遊歩道のベンチから臨む富士山を背景にする多摩川上流の遠望は素敵で大好きだ。先祖を祭ったのだから1500年前の人もこの景色が美しいと思ったに違いなく、人間の美感は何年たっても変わらないものだと実感する。カンヌ、ニースを初めて旅した時もこれに似た景色に打ち震える感動があって、それから地中海のマニアになった。そうしたちょっとしたことに心を揺さぶられるのは旅の醍醐味である。
ここあたりが国分寺崖線の終点になる。登って田園調布駅へ向かうとここはここで著名人の邸宅が立ち並び、走りながら目の保養になる。以上書いてきた行程をお弁当を持ってきて散歩するだけで一日充分に楽しめるからマイクロ・ツーリズムのバジェット版といえるかもしれない。宿泊も食事もしないから経済貢献はなく、奨励しても政府にはありがたくないだろうがステイホームで鬱病になってしまうよりましである。ちょっとした感動は探せばどこにもあることを知るのは、人生をリッチにする最高の知恵になる。
コロナで旅行というものが難しくなり、ワクチンができてもウィルスが消えるわけではないから我々年配者にとっては恒久的にそうなるかもしれない。「リスクは減ったけどゼロではありません、それでも行きますか?」という時代になるのだろうか。とすると外国に行く前に当地のコロナ病床数の空き具合をいちいちチェックするのだろうか。「一度は行ってみたい」が旅の動機の大半とすると、僕は欧米もアジアも観光地はみな行ってしまったのがむしろハンディだ。ポートダグラス(豪)のシェラトンミラージュのあの部屋みたいなリピート型以外はもう積極的にリスクを取る気にはなれなくなってしまう気がする。
ただ、本稿の最後のメッセージとして若者に贈りたいことばがある。僕は大坂の2年半、海外の16年を足した18年半を「旅先」で過ごした。モーツァルトが人生の3割を旅していたのは有名だが、僕も人生の3割は旅だった。だから何が良かったということではない、なんとも面白い、エキサイティングで濃い人生を送らせてもらってありがとうということだ。旅先で知り合った家内がそれをすべて支えてくれ、子供もみな旅先で生まれた。仕事も、記憶に残るエポックメーキングなディールはみな旅先でやった。もし東京にずっといる仕事を選んでいたら、楽だったろうがこんな人生は100%あり得なかった。両親にとっては最後まで「鉄砲玉」だったが、感謝あるのみだ。若者は知恵を絞ってコロナを攻略しろ、そして、恐れずに、それでも旅に出ろ。
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これから日本で起きかねない最も怖いこと
2020 JUL 26 16:16:43 pm by 東 賢太郎
米国がヒューストンの中国総領事館の閉鎖。これは決定打だ。トランプ政権はすでに留学生締め出し、中国企業のナスダック上場規制などスーパーマンを演じる標的をコロナではなく中国に定めた。コロナはエイリアンである。スーパーマンをも食い殺す。この事実に反逆しても無駄だ。立ち向かってウソの強がりをばらまいても勝てないから、その怪物をはびこらせた責めを中国に負わせて叩くしかないと舵を切った。この作戦なら国民受けのいいスーパーマンを演じ続けられるし、中国融和策をとってきた民主党が同じ主張をしても勝てる。もう大統領選まで時間はないのだ。
いくら中国を叩いても怪物は消えない。そこで共和党は1兆ドルの追加対策をまとめた。超金融緩和はゼロ金利にとどまらず、やがてコロナで潰れる運命にある会社の債券まで大判振る舞いで買ってあげる。だから投資家は安心して株価は下がらず、それを見た有権者は経済は大丈夫だとだまされ、トランプはぎりぎりセーフでまだスーパーマンに見えている。それで選挙がどうなるかはわからないが、どっちが勝っても、歳入は減り、追加救済の財政支出たれ流しは続き、FRBにはクズ債券の巨大な山が残る。
それでなぜドルは暴落しないのか?簡単だ。世界中の政府も中央銀行も同じことをしているからである。みんな下がれば、お互いの交換レートは変わらない。だから通貨でないゴールド(金)は上がっている。いや上がっているのではない、全通貨が下がっているのである。トランプは反知性主義者だ。演説会場が3分の1しか埋まらなかったと選挙対策委員長を切ったノリでウィルスの世界的権威ファウチ教授を切り、経済驀進のアクセルをふかしたらエイリアンの大逆襲を食って支持率が暴落してしまった。そればかりでなくドルの本当の価値も下げているのだ。
それでもなぜドルはもつのか?簡単だ。基軸通貨だからである。多くの巨額の物品やサービスがドル払いでないと買えませんよとなればまずドルを買うしかない。浮力がつくのだ。基軸通貨論については思い出がある。野村インターナショナル香港の社長の時、98年ごろだが、前大蔵省財務官で「ミスター円」こと榊原英資氏が来社され議論をした。氏は円が世界の基軸通貨にはなり得ないがアジア域内なら可能ではないか、中国のオフショアの位置づけで香港で円、人民元を含む複数のアジア通貨をバスケットにして資本市場ができないかと尋ねられた。
僕は香港はドルリンクのHKドル市場でオフショア発行市場としては機能していない、国外の円での資本取引は全てユーロ円でアジアでもできる、「ドルぬき」の国際金融は本邦企業のスイスフラン起債市場ぐらいで極めて限定的であると申し上げた。氏は中国浮上を予見しておられ(ご明察だった)、財務長官サマーズに潰された円の国際化を東京ではなく香港で元とパッケージで行う策を講じていたと思料する。あれから20余年たってGDP世界2位となった中国が元を国際化(多国間決済通貨化)する試みを米国は悉く根絶やしにしている事実を見れば、強行しても100%失敗した。断念されてよかった。
習近平は自由取引市場としての香港を自ら潰してしまったが、金融取引の観点からはロスが多大だ。機能は深圳、マカオ、海南島に分散すると言ってるが金融に関してはまったく無理である。米ドル本位制で市中銀行が発券するHKドルの信認すら危うい。米国に香港を潰す利点はないが対中制裁で必要ならばでき、中国の国際取引は打撃を受けるだろう。究極の自由経済主義と低税率で海外から誘引した資本と人材は逃げるが、香港の頭脳も逃げる。コロナの人・人感染を12月に政府が知って隠蔽したという証言をして身の危険を感じ、4月に米国に亡命した女性科学者がyoutubeでそれを堂々と語っている。秘密も漏れるのだ。
中国は元を基軸通貨にできなければ米国に勝てないだろう。通貨は貿易決済、資本取引で国家の命運を握る。トランプが再選しなくても米国はその主権だけは絶対に手放さない。何故なら、コロナが2,3年も続けばどの国も国家財政が破綻する。米国も未曽有のドル大増刷を続けいずれ破綻するだろうが、基軸通貨国であればそれは最後になる。先に破綻して通貨が暴落した他国の富を搾取すれば米国民だけはノアの箱舟に乗れるのだ。
日本はどうだろう?経済を回すのは結構だ。日本株は米国の余勢をかって同じまやかしの手口で高止まりしている。明らかにフェイクの株価だが裏の原理を知っている政治家はいないから御用学者を養成して国民を欺いてバラまき目的のゴーゴー・キャンペーンをやろうとしている。トランプはそれでよかった。なぜなら、マスクはせず、自らが先頭に立って体を張って怪物に立ち向かうスーパーマンだからだ。安倍首相は列の一番後ろで小さめのアベノマスクをしっかりして「体は最後に張ります」というイメージしかない。感染したらご愁傷さまでしたぐらいは言ってくれる(笑)。トラベルであれイートであれ、その人にゴーゴーを言われてもねということにしかならない。
唯一の救いの道は外交、国防だ。これは中共寄りの野党が何を言っても国民は信じない。しかし、では、安倍首相がトランプのポチとして中国叩きに加勢できるか?無理だろう。東京オリンピックを自身の花道と選挙の目玉として死守したいという制約で王手飛車取りとなっている。習近平とこじれて不参加を表明されれば開催が危うい。親中派の二階氏とこじれれば四選も岸田後任も危うい。とすると、習サマにソンタク姿勢となって外交、国防カードは消える。対症療法のバラまきでは消費は戻らず、倒産・失業が看過できぬ水準になり、さらなるバラマキで原資が尽きる。御用学者は逃げ、感染阻止失敗の責任を問われる。
つまり、将棋は詰みである。首相が誰でもべつに構わないから、国民にとってどうでもいい政治家の就職活動で国家の運命を過たないようにしてほしい。望むのはそれだけだ。怖いのは、日銀のバランスシートは世界一のぶよぶよの「メタボ」状態であることだ。それでも円が大丈夫なのは長年の日本国への信用の賜物だが、信用は築くのは大変だが失うのは一瞬だ。ここで官邸が暴走老人みたいに無謀に経済アクセルをふかしてしまうと臨界点を超えてしまい、やがて円が暴落し、米中資本の格好の餌食になって取り返しのつかないことになる。だから僕は資産の半分は米ドルにしている。
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