Sonar Members Club No.1

カテゴリー: ______作品について

デュカ  舞踊詩「ラ・ペリ」

2019 JUL 27 23:23:12 pm by 東 賢太郎

Paul Abraham Dukas

舞踊詩「ラ・ペリ」はメシアンの先生であるポール・デュカ(Paul Abraham Dukas [pɔl abʁaam dyka(s)]、 1865 – 1935)の最高傑作である。出生の経緯と時期はまことに輝かしい。バレエ・リュス(ロシア・バレエ団)を率いるディアギレフがデュカに、レオン・バクストの衣裳と舞台装置によるバレエ《ラ・ペリ》のためにダンス音楽を作曲するように依嘱した1911年はストラヴィンスキー「火の鳥」初演の翌年、「ペトルーシュカ」初演の年ということになる。初演はラヴェル「ダフニスとクロエ」と同じく1912年4月22日(パリ、シャトレ座)であり、スキャンダルの起きた「春の祭典」初演の前年である。つまりバレエ・リュス初期の黄金時代の作品リストにあるはずなのだが、実は載っていない。ディアギレフがプリマである妖精ペリ役のナターリヤ・トゥルハノヴァがへたくそでイスカンダール王のニジンスキーと釣り合わないとケチをつけ演奏会を一方的にキャンセルしてしまったからだ。

ナターシャ・トゥルハノヴァ

トゥルハノヴァがデュカの愛人、ニジンスキーがディアギレフの(同性の)愛人と複雑であったが背景はわからない。それでもデュカは作曲を完成し、シャトレ座での初演はトゥルハノヴァのタイトル・ロール、作曲者がコンセール・ラムルー管弦楽団を指揮して行われた。なお同じ演奏会でダンディの「イスタール」、フローラン・ シュミットの「サロメの悲劇」、ラヴェルの「高雅で感傷的なワルツ」の管弦楽版(バレエ『アデライード、または花言葉』初演)がそれぞれの作曲者の指揮で演奏されている。”poème dansé”(舞踏詩)とされたラ・ペリだが、出版後に金管による輝かしい「ペリのファンファーレ」が追加されたのは、静寂な舞踏詩の導入までに騒がしい聴衆を黙らせるためであった。

ラ・ペリ初演のナターシャ・トゥルハノヴァ(1912)

ドビッシーの3才下であるデュカの名はディズニーが『魔法使いの弟子』を使用したため音楽史の表舞台に残った観があるが、アニメという印象に引きずられ映画音楽作曲家のような位置づけにもなりかねない。正反対だ。彼は非常にセルフ・クリティカルな完全主義者であって、遅筆であるうえに作品を多く破棄したため完成作は20ほどしか残っていない(もうひとつ重要な作品はオペラ『アリアーヌと青ひげ』である)。ラ・ペリも廃棄されかけ、友人の懇願で残されたとされる。

初演時のペリの衣装

ゾロアスター教のペルシャが舞台でイスカンダール王とはインドまで東方遠征をしたアレキサンダー大王に他ならないが、デュカの音楽に東洋色は薄い。ドビッシーの “印象派” 和声語法とラヴェル級の精緻な管弦楽法とテクスチャーによる生粋のフランス近代音楽を書いたのであって、安直にオリエンタルな壁画に仕立てなかった所に僕はデュカの作曲家としての硬派を見る。R・コルサコフのシェヘラザードにおける東洋が原色ならラヴェルのそれは中間色で、デュカは淡彩色なのだ。それでいてこんなに神秘的でなまめかしい音楽が書けるのは不思議なばかりで、愛人に踊らせようとイマジネーションがふくらんでそうなったのならもっと愛人をつくってもらいたかった。

ペリの上演キャンセルはディアギレフがニジンスキーが踊る「牧神」(ドビッシーの「牧神の午後への前奏曲」のバレエ版)の上演日数を増やしたかったからという説もあるからドロドロしている。ペリの舞踏詩は独奏フルートの妖しい半音階フレーズで始まるが、デュカもどこか牧神を意識していなかっただろうか。

この曲の管弦楽スコアはダフニスとクロエ並みの精密さだ。本稿のために取り出して見ていたら日付が書き込んであり「at Foyles, London、男の子誕生の日」とある。そうだった。フランクフルト勤務だったその日、外村社長から欧州全体会議のため緊急のロンドン招集がかかった。出産予定日が近かったが当時はだから行かないという選択肢はない。そこで「日帰りします」という窮余の一策で朝早くの便で飛んだ。約半日の「空白」「リスクテーク」である、大丈夫だろうと思っていたら会議中に「妻の陣痛が始まった」と一報が入る。ヒースローは遠いためシティ・エアポートから急ぎ帰国したがタッチの差で出産に間に合わなかった。

日帰りだったのは間違いない。いま、このスコアを手にして、にわかに不可解な疑問に襲われている。いつソーホーのFoylesに行ったのか?である。謎だ。わからない。手慣れたロンドンだ、タクシーでヒースローからの出社途中にさっと寄ったかもしれない。そんな時にと不評を買いそうだが、それが僕にとっての音楽というものだ。Durandはフランクフルトで手に入らず、ロンドンにあることを知っており、この出張はそっちにおいては好機であったに違いない。たぶん、気に入っているペリをシンセで録音するためだ。でも、そこまでしながら結果として着手すらしてない今がある。それも2つ目の謎である。長男ができてそれどころでなくなったのだろう、たぶん。

 

ピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団

ブーレーズのこの曲唯一の録音。カセットを米国で買って聴きこんだ。震撼もの。彼のCBSとのストラヴィンスキー3大バレエの完成度に匹敵する録音はこれだ。1975年11月29日、マンハッタンセンターで収録しており、同年に同じ場所で1月に火の鳥、3月にダフニスを収録。プロデューサーは3つともアンドリュー・カズディンで、彼はCBSの元プロデューサーで、グレン・グールドが演奏会をやめた翌年の65年から死の3年前の79年までの15年間、彼のレコードの大半(40枚以上)を制作した人である。春の祭典のトーマス・シェパードとは傾向が違い、広い音場の残響と立体感、それでいて抜群に高い解像度、弦楽器の細部までの極度の繊細さ、管楽器のリッチな倍音とつややかさ、みずみずしさに比類なき個性があり、ブーレーズの音作りとは誠に相性が良かった。ペリのスコアにひっそり佇む深遠な美をこの演奏ほどに陽光のもとに典雅に描き出すのはもはや不可能だろう。ブーレーズの凄みは幾つか挙げられるが、テンポが伸縮しても音色が変わらないことがその一つだ。通常、オーケストラがフォルテで加速すると音圧が増してバランスも変化して何がしか音色に出るのだ。音のクオリアが動くと言ってもよい。ブーレーズのこの頃の録音には不思議なほどそれがない。もちろんニューヨークフィルという名器あってのことなのだが、速くなっても加熱せず、演奏のストレスによる「一所懸命感」がなく、管弦楽全部が名人の一筆書きみたいに摩擦を伴わずに驀進する。猫科の動物の静かな疾走。アジリティ(敏捷性)が抜群に高いのだ。ブーレーズの演奏に緻密さと分析力を見る人が多いが、僕は彼の個性はそのけた外れの知性に抜群の運動神経が付随している点にあると思っている。僕がシンセでのリアライゼーションをしなかったのはこの演奏のあまりの完成度が近寄り難かったからだったかもしれない。このペリの録音のクオリアが明らかに近いのは「火の鳥」と「マ・メール・ロア」である。どれも録音芸術の人類最高峰の文化財であり、その価値は永遠に讃えられるだろう。

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黛敏郎「涅槃交響曲」

2019 JUL 22 0:00:03 am by 東 賢太郎

黛敏郎(1929-97)

これを初めて聴いたのはNHKのFMで放送でされた岩城宏之指揮N響のライヴである。演奏会は1972年3月19日だから高2の終わり頃だろう。春の祭典漬けだったから並々ならぬ関心をもってオープンリール・テープレコーダーで録音した。後にその録音のCDを買ったが生々しい記憶がよみがえる。梵鐘の音響スぺクトル解析結果の各種楽器の合成音による再現は言われるほど成功しているとは思わなかったが、なんといっても「お経」が出てきたのは新鮮であった。後に駿台予備校の古文の授業で「密教のお経は音楽的効果も視野に入れた、いわばコーラスでした。特に声の良い坊さんはあこがれのスターで朝廷の女房連中に大変人気があったんです。だから彼女たちは読経がある日をわくわくして待っていたのですよ」と習ったとき、なるほどあれのことかと合点がいったのをリアルに覚えている。

もうひとつその頃に気に入っていたのが三善晃の「管弦楽のための協奏曲」である(三善晃 管弦楽のための協奏曲)。大学に入ってニューヨークのレコード屋で同曲のLPレコード(写真)を見つけたのはうれしかった。その Odyssay盤に武満の「Textures」と黛の「曼荼羅交響曲」も入っていてついでにそっちも覚えた。その時分はストラヴィンスキー、バルトークに加えてかような音楽が我が家でガンガン鳴っており近隣は妙に思ったかもしれない。しかし、やはり涅槃交響曲(Nirvana Symphony)のインパクトは大きく、ロンドン時代にホームリーブで帰国の折に外山雄三がN響を振った1978年2月4日のライブ録音(左)も買った。88年5月2日、これも例によって秋葉原の石丸電気でのことだった。こうやって新しい音楽にひたるのは無上の楽しみで法律の勉強そっちのけだった。それも若くて暇だったからできた。いま初めてこれをというのはもう無理。好奇心も記憶力も、そもそも時間もない。

本稿で若い皆さんに申し残したいのは、涅槃交響曲は仏教カンタータとして秀逸な着想を持った、非キリスト教をキリスト教音楽のフォルムに融合した数少ない試みとして世界に誇れる作品だということだ。メシアンがトゥーランガリラ交響曲で異教的なものを融合したが視点はカソリックだ。彼は鳥の声を模したが厳密に写実的な音響模写ではなく耳の主観を通した模写だ。黛にとっては厳密にいえば仏教もキリスト教も異国の宗教であり、第三者的に醒めている。視点は読経というコラールと梵鐘の物理的音響(カンパノロジー)に向いていてオネゲルの「パシフィック231」に類する。そのリアリズムと宗教という対立概念の融合は誠にユニークでありヘーゲルの弁証法的である

外山盤。

黛を知らなくてもこれを知らない人はいないだろう。

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ブラームス博士は語る(交響曲第2番終楽章のテンポ)

2018 APR 1 20:20:33 pm by 東 賢太郎

クラシックは語られる音楽だ。後世が積み上げた言語の集積で規定される音楽であり、だからクラシックと呼ばれる。古いだけの民謡との差はそこにある。ブラームスにとってJSバッハは古典だったが当時広くは認知されておらず、さしたる集積はなかったから現代の語感でのクラシックではなかったろう。

言語が集合知となって、19世紀の作曲家の自作演奏の様式は不完全だが知ることができる場合がある。ブラームスにおいてはそれに加えて彼の同時代人の演奏が聴けるが、それが本人の意に添ったものかは不明でやはり文献の補遺は必要だ。現代の指揮者の演奏を僕は常にそういう背景と照らして聴いている。

作曲家が書いた楽譜は演奏されることで作曲家の手を離れるが、だからといって編曲に近いほど我流に陥ったものを楽しめるかどうかは聴き手の趣味の問題だ。能や歌舞伎同様、古典芸能に時流で新風を吹き込むことは不可ではないが、新風と我流の間には確たる一線があると僕は思う。

なぜならば、繰り返すが、クラシックは語られる音楽だからだ。本来語られるものは音楽であって演奏ではない。古典派までの演奏会は自作自演の発表の場でもあり、聴衆の主たる関心の対象は新曲だった。演奏会でモーツァルトは即興を弾いたが、楽譜に残されなかったその新曲は作品とはならずに虚空に消えた。彼が楽譜に書き残した新曲だけが作品として、はるか後にケッヘル氏が整理番号をふったモーツァルトの音楽として、21世紀の我々に残された。

彼の死後ほどなくして、19世紀の多くの演奏家たちもそれを弾いた。20番目のピアノ協奏曲ニ短調はベートーベン、ブラームス、クララ・シューマンも愛奏したと文献は語る。もちろんモーツァルトらしさを損なわないような流儀においてだったろうことはベートーベンの書き残したカデンツァによって推測される。当時の聴衆はブラームスのそれをクララのそれと比べる機会は少なく、仮にそれがあったとしても両者の演奏解釈の違いを論じる場はほとんど形成されていなかったと思われる。

ロベルト・シューマンは同時代の他人の作品をあまねく論じたという意味において最初期の音楽評論家でもあったが、対象となる作曲家、作品が集合知として共有されていたのは楽譜が印刷術の発展とともに流布し、それを自分で演奏したり読んで吟味したりできる限定的なコミュニティにおいてであった。JSバッハやモーツァルトの音楽が一般学校教育によって「大衆の共有知」になるのはそこから100年後だ。シューマンもブラームスも自分の作品が後世に残ることは知っていたし、そうでなくては困るとしてベートーベンの作品と比べて見劣りのないものの創作につとめたことは文献が記す。

しかし彼らは自分の作品がJSバッハ、モーツァルトのそれと同列に並び称される目的は達成したものの、それらを万民の教育の対象にしようという価値観が東洋の果ての国にまで現れることは想定していなかったろう。その価値観は、エジソンによるシリンダー録音という技術の発明が、あたかも19世紀にグーテンベルグの印刷術が楽譜の流布に果たしたと同様の役割をその何倍もの速度とマグニチュードにおいて果たしたことによって新たに生成されたものだ。そうして彼らの作品は楽譜を読んだり弾いたりできない大衆までを包含した共有知となり、その価値観が「別格なもの」として祭り上げる神棚(class)に鎮座する作品はその形容詞で classical である、となった。ここにいよいよクラシック音楽が誕生する。

ブラームスはシリンダーに声とピアノ演奏を録音した人類最初の作曲家となったが、自分の作品がクラシック音楽と呼ばれるようになることは知らなかった。クラシック音楽という概念の発生とエジソン蓄音機の発明・進化・普及は無縁でない。蓄音機の記録音板が音楽の缶詰のように大量に商業的に売りさばかれるようになり、極東の我々にとってそれはレコードと呼ばれる黒い音盤を意味するところとなった。だが英語の record は無機的な記録の意味である。

1889年のブラームスの声とピアノがここに聞ける。

1877年にエジソンが発明した蓄音機が電話機、無線機、白熱電球、映写機とともに人類の生活を変える。その進化・商業化が自国に市場を持つ米国発であったことと電話(telephone)、映画(movie)が英語であることは無縁ではない。クラシック音楽(classical music)しかりである。ハードウエアの進化が市場を作り、文化を作る。この波は19世紀末から20世紀初頭の米国で起こり、英国発の産業革命の大きな波と融合し、英語の国際化とともに世界に伝播した。

1889年にエジソンがエポックメーキングな「音源」として、すでにレジェンドであったブラームスを「録音(record)」しようと目論んだ着想は、その記録された音を比較対照して論じる文化の萌芽である。「レコード」の誕生である。音楽演奏を比較し、同曲異演を味わうことを楽しみとする文化は、それゆえに、英米起源である。このことは英国に良いワインはできないが、有力なワインマーチャントが英国人でWine tastingが英語であることと近似した現象である。

レコードなる媒体が無尽蔵に「コピペ」され、商品として売りこまれることで、記録されたコンテンツはブラームス博士の肉声とはどんどん遊離していくことになる。我々が聞き知るブラームスの作品は、上掲ビデオに記録されたハンガリー舞曲第1番を唯一の例外として、他人が演奏したものだ。交響曲第2番を初見でスコアから読み起こすことはできない地球上ほぼ全員の聴衆にとってこの現象は福音であったが、2番とはブラームスの作品としてではなく、代理人としてカラヤンやベームなど後世の指揮者が演奏したものに変換されていく。

このことはプラトンのイデア論に行き着く。ブラームスの同時代人ではない指揮者の2番が作曲家の賛同を得られたものかどうかは誰も判断できないが、だからといって、自作を録音した、したがって100%オーセンティックであるストラヴィンスキーやラフマニノフの演奏をしのぐことのできる他人はいないということを意味はしていない。作曲家と異なる解釈で我々を納得させた演奏はスコアに秘められた別種の価値を具現化したのだから、書かれたスコアは作曲家の手を離れて成長するという概念を生み出すだろう。

僕はイデアのみを崇めそれを否定する者ではない。理由は以下のとおりだ。作曲家が用いた旋法やコードは何らかの物理的、生理的現象を人間の心に生起させる「画材」だ。画家は画材である絵の具を発明したのではなくある色を「選別」しただけで、絵の具そのものが美しい色と光を放つ現象に依存していないと言い張ることはできない。カンヴァスに描かれたそれ自体が美しい絵の具のその選別の是非を鑑賞者は愛でているのだ。

まったく同じことで、作曲家は「音材」を選別する。しかし絵の具が美しいように、教会旋法もド・ミ・ソの三和音も美しいのだ。音楽の演奏はスコアという暗闇の状態では目に見えない絵画に光を当てる行為だ。光線の具合によって、例えば昼か夜かで印象が変わることはその作品の価値をそこねるものではない。旋法や三和音の奏し方を変化させて音材の本来持つ美しさがスコアの意図以上に光輝を放つ可能性だってあるだろう。この絵は北緯何度の何月何日何時何分に快晴の太陽光のもとで見ろと指示した画家はいないように、唯一無二のテンポやフレージングやダイナミクスを数学的に厳密に指示した作曲家もいない。

演奏家が光を当てて掘り起こす秘められた価値はたしかに存在するが、その作業は作曲以来の解釈の歴史の文脈の中で聴き手の過去の記憶と比較する関心をトリガーする形で形成されるだろう。真の聴き手は文脈を学んで知っている。演奏家の個人的趣味による読みのユニークさや大向こうを張る大団円の壮大な盛り上げは演奏会場での当座のブラヴォーや喝采を獲得するかもしれないが、新しい文脈の一部になることはない。今日のテンポが速かったのは指揮者が出かける前に夫婦喧嘩したか、それとも早く空腹を満たしたかったからかどうかを語りたい方がいても結構だが、それが集合知の一角をなすことはないだろう。

少し前に新幹線でブラームスの第2交響曲のスコアを見ていたら、第4楽章のテンポはクナッパーツブッシュの解釈が正しいんじゃないかと思えてきた。

現代の演奏を聴き慣れた耳にはずいぶん遅く感じるのだが、Allegro con spiritoは四分音符4つに振るとせいぜいその速さじゃないかと。お聴きいただきたい。

ハンス・クナッパーツブッシュ(1888-1965)とフリッツ・ブッシュ(1890-1951)は、ブラームス(1833-97)と親交が深かったフリッツ・シュタインバッハ(1855-1916)の弟子なのだが、ブッシュの第4楽章は2つ振りで2分音符をアレグロにしている(およそクナの2倍の速度)。お聴きいただきたい。

しかし上掲のスコア冒頭を冷静に眺めると、2つ振りならああいう風には書かないのではと思うのだ。あれを現代の多くの指揮者のテンポになるように表示を書くとすると Presto だが、ブラームスの交響曲にあんまり似つかわしい速度表示ではないように感じる。とすれば、やはりクナッパーツブッシュになるだろう。

これはどういうことか?そこで、ブラームスの2番の自演をほぼ確実にライプツィヒで聴き、彼の前で指揮をして(それが2番かどうかは不明だが)作曲者により批判はされなかった

(Brahms) does not appear to have complained of Fiedler’s interpretations (Jan Swaffordによる)

とされるマックス・フィードラー(1859 – 1939)の第4楽章を聴いてみよう。

ブッシュに近い。これが理由でどうしても僕はクナをあまり高く買うことはできていなかったのだ。しかし、テンポ変化が全く書き込まれていないスコアを改めて見ていて、本当にそうだろうかと疑いを持ったのだ。

それは第2主題の頭にあるlargamenteだ。largoの派生語だが、メロディを弾く第1VnとVaにだけ書かれていて、速度ではなく 幅広く、豊かにという表情の指示ではないだろうか(英語ならlarge、寛大にだ)。仮に速度であるとすると、フィードラー、ブッシュの第1主題のテンポで来るならば数小節前にリタルダンドが必要で、第2主題冒頭から急に遅くするのは明らかに曲想に合わない。クナの4つ振りテンポだとそのまま減速せずに(つまり楽譜通りに)つながる。幅広く、豊かな表情でたっぷり弾かせるためほんの少し減速はしているが、これがブラームスの意図したlargamenteかもしれないと思えてきたのだ。

クナッパーツブッシュは練習嫌いであったとされ、ぶっつけ本番の即興性の高い、アバウトだが霊感に富んだ指揮者のように言われるのが常だが、そうではなく周到にスコアを読む人だ。この2番やシューベルトの9番はユニークな表現に聞こえるが、アバウトに振って早く帰りたい人はそんな妙な事をする必要がない。まして思い付きで面白いことをやって、素人の聴衆はともかく、オラが作曲家と思っているプライドの高いウィーン・フィルやミュンヘン・フィルが心服してついてくるほど甘い世界ではないだろう。

楽員は彼の解釈に敬意を持ち充分な忖度があったから「この曲は私も諸君も良く知っている」という状況にあり、アンサンブルの縦ぞろえが重要なレパートリーは彼はあまり振らなかったせいもあったかもしれないが、むしろ楽団との関係をうまくマネージするために練習を切り上げて早く帰したのではないかと思う。

 

クナはコーダでこのページの真ん中の3つの2分音符に強めのアクセントを置き速度を大きく落とす。ここに至るまでの全奏部分でやや加速するのは2分音符のブレーキ効果を際立たせるためだが、これだけは僕は不要と思う。そこからはトランペットとティンパニをffで強奏しVnのボウイングも際立たせながら実に彫の深いコクのある表現で終結に向かう。安っぽいアッチェレランドでいかさまの興奮をそそるような稚拙な真似はしない。

 

 

何が正しいかは不明だが、フィードラーの解釈については、

his performances, because of their constant shifts of tempo and mannered phrasing—for instance the frequent introduction of unwritten luftpausen—reflected an interpretative model that owed far more to von Bülow than to Brahms.(Christopher Dymen)

と、「ブラームスよりもハンス・フォン・ビューロをモデルにしている」とする文献もある。2つ振りはビューロー(1830-94)起源だった可能性もあるのではないか。

 

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(7)

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(8)

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ウィンナワルツこそクラシック音楽

2018 JAN 9 0:00:37 am by 東 賢太郎

ウィーンは5,6回は行っていて、敬愛する作曲家たちが生活した空間に感動してきた。パリやミラノでも音楽家の足跡は多くあるが、それは大都市には探せばそういう場所もあるさという存在だ。街のほうが音楽家の足跡のなかに形成されたかのようなウィーンとはちがう。その抜き差しならない関係は、もしも京都から寺社仏閣がすべて消え去ったとしたらそこは京都に見えるだろうかというのとほぼ近いだろう。

ニューイヤー・コンサートを始めたのはナチスであるのは有名だ。併合したオーストリアの市民にお楽しみを供して気をそらすためだが、ヒットラーがユダヤ人のJ・シュトラウスを使ったのは彼もそのワルツが好きだったからだ。しかし政治利用が生んだという生い立ちの是非はともかく、僕は二ューイヤー・コンサートの存在そのものに何がしかの違和感を覚えてしまう。それがウィーンらしさの象徴ならばその点においてウィーンがあまり好きではないことになる。

ワルツは舞踊のBGMだ。僕の通った小学校には「舞踊」という教科があってダンスの真似事みたいなものを習った(嫌いだったが)。欧州ではあれは一人前の男のたしなみでウィーンでは市民も踊れて当たり前のようだが、元々は貴族のものでモーツァルトも1791年に宮廷舞踏会用の「12のドイツ舞曲」を書いている。最後の大事な年に何もこんなつまらないBGMを書くことないだろうと思うが、彼はグルックの後任の「宮廷音楽家」でそれがお仕事だったのだ。

J・シュトラウス父子の時代になると踊りは貴族だけでなく富裕な市民階級のものにもなった。舞踊のBGMだったのだと実感するのはあのウィンナワルツ独特の三拍子のゆらぎだ。踊ってみればわかる。ズンチャッチャの1拍目が強くて2拍目が長いのは、まず男は右足を踏みこんで(ズン)、次に左足を前に出して左に直角に移動しなくてはならない。移動距離は2倍になるのだから2拍目を長くしてチャ~ッチャにしてあげないとワルツは踊りにくいのである

この制約条件を逆手にとり、むしろ売りにしてブランド化してしまい美しく青きドナウのような傑作を生んだシュトラウス2世の才能はブラームスやシェーンベルクもうらやんだ。魅力ある旋律で易々と大ヒットを飛ばしてしまうのだから、難しいことを苦労してる俺たちは何なのだとなって不思議ではない。しかし、あのニューイヤー・コンサートはそのシュトラウスも人間で限界があったことを教えてくれる。

僕にとってあれは、その後は何年もお蔵入り確実の最後から3番目までの曲を耐え忍ぶがまん大会である。会場の人達は楽しいのかもしれないがTVではバレエや馬なんかが出てくるともうだめだ。誰も知らない曲なんだけどけっこういいでしょみたいな押し売り感が不快であり、事実いいと思ったのはひとつもない。著名指揮者を呼んでくるが、誰が選ぼうがどう振ろうが、二級の曲に救いの道は存在しないのである。

ウィーンというのはモーツァルトやマーラーをいじめといて流行ってくると俺のもんだというドラえもんのジャイアンみたいなところがある。パリと京都も似たもん同志だが、パリはさすがにショパンをフランス人とは言わないしフレンチカンカンを世界に放映して新年に乾杯みたいな恥ずかしいことはしない。そういうのをやってしまうのがウィーンだ。

ついでだが食についても、あくまで好みの問題だが僕はウィーン子が誇るシュニッツェルをうまいと思ったためしがない。共産主義時代のチェコで肉団子ばかり食わされて辟易したが、「赤いハリネズミ」でブラームスやブルックナーのお気に入りだった名物の団子もあんなものだろう。そんなのを食ってた人がどうしてあんな曲をというのは世界の七不思議としかいいようがない。

ウィンナワルツは今となると何となく踊ってみたいという気こそすれ、ウィーンで2時間も席にしばりつけられてどう美点凝視してもくだらない曲に偽善の拍手するあの光景なんざ、音楽を知らない田舎もんの鹿鳴館さながらだ。シュニッツェルも団子も、まずいんだから仕方ない。クラシック音楽鑑賞というのは馬が踊るニューイヤー・コンサートを愛でることであって、そういうのが不快だから僕は小学校の音楽の授業中に窓から逃げた。

その一方で48年たっても嗜好が微塵も変化してないものがある。youtubeにアップしたLPおこしのブーレーズの春の祭典に、

Thank you so much, 東賢太郎, for posting this. Great sound! It ranks, along with Stravinsky’s conducting the NYP in 1940 and the Columbia Symphony in 1960, as a reference recording.

というコメントをいただいた。

Thank you, Franklin, for comment. I’m very pleased to know you enjoyed the sound by which I was deeply impressed as a high school boy. This was a trigger for my 50 years’ devotion to classical music.

とすぐに返事をした。これをわかってくれる人が世界にはいるんだという喜びは何物にも代えがたい。

Great sound!

そうか!とまた聴いたが、耳がはりついて3回くりかえした。僕はこのLPをビートルズのサージャント・ペッパーズ、アビイ・ロードと同じノリで聴いていた。クラシック音楽鑑賞とは呼びたくない。

 

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ブーレーズ 「主のない槌」(ル・マルトー・サン・メートル)

2017 OCT 23 1:01:27 am by 東 賢太郎

ブーレーズの代表作である当曲についてとなるとやや話がこみいってしまうがお許しいただきたい。これを初めて聴いたのは大学の時に借りたレコードだった。いきなりなんじゃこりゃで最後まで聴いたかは記憶がない。

ル・マルトー・サン・メートル(Le marteau sans maître)の邦訳は当時「主のない槌」だったと思う。槌とはなんだろう?見たことない。打ち出の小槌を連想し、そんなものを置き忘れてくる奴がいるのかと思った。というのは僕は生来の忘れ魔で、考え事をしていて電車に野球のネット用の鉄柱を忘れ過激派と間違われた前科があるから槌ぐらい忘れるのはなんでもないと思えていた。

この題はルネ・シャールなるシュルレアリスム作家の詩か何からしいが知らない。現代詩というのは読んだことぐらいはあるが、僕にはネコにイタコの呪文をきかせる未満のものであって、大変失敬とは思うがああいうものを愛でる方々とは人種はおろか生物種すら異なるのではないかと感じいるしかない。人間の作ったものに関心がないこっちの方がきっと異種なんだろうが。

音楽だって人間の作ったものじゃないかといわれそうだが、音階や和音の心に与える効果はそうではない。ドミソは明るい、ラドミは暗いと誰かが決めたわけじゃない。聞こえるのは純然たる自然現象の音波であり神様が人間の心の方をそう作ったのだ。だから僕は音楽は物理学、生理学、心理学のどれでもないが、ちょっとずつそれらと「かすっている」サイエンスだと思っている。

和音というのは美しい(少なくとも僕には)がその各音は倍音による音階から生まれたもので、ということは美しさの根源は自然倍音(上)に存在していることになるだろう。右の図は平均律と自然倍音の差異を示すが、ここでは64個目の倍音までのうちで各音の出現回数にご注目いただきたい。Ⅰ(基音)は6個、Ⅴ(完全5度)は5個である。ド(6)、ミ(4)、ソ(5)は出現回数で第1位~3位であり「ドミソが美しい」のは神様が決めた理に適っていると思えないだろうか。第4位のシ♭(4)を加え、各々の5度上(完全調和する)のシ、レ、ファ、その5度上のラを得ると、オクターヴ(2倍の周波数)を12分割する「音階」が得られる。出現回数ランキング上位の倍音を並べて、それが「美しい」となるように人間は神様によって作られていると考えるしかない。

言いたいのは出現回数は物理的、数学的に決まっており、誰か人が決めたものではないということである。だから12分割も宇宙の理であり10でも11でもいけない。それが「調和」の根源だ。縦(和音)であれ横(旋律)であれ、それが無調だろうが12音音楽だろうが不協和音であろうがである。「協和音、不協和音」とはミスリーディングな用語であって、「美人、不美人」と同じくなんら物理的に定義のしようもないな無意味、無価値な単語だ。音楽にはピッチの良い音と悪い音しか存在しないのである。後者は他の音と一切調和しない。だから神の原理にはずれていて、そもそも音楽演奏の素材として根源的に失格である。わかりやすく述べるなら、「音程の悪いドミソ」(協和音ではある)は不ぞろいの真珠をつないだネックレスであり、「音程の良い不協和音」はばらばらに配置した粒のそろった真珠である。

がさわる楽器はピアノであるのはそれが理由だ。平均律なる近似値とはいえ耳に不調和と聞こえないぎりぎりで踏みとどまった不調和で、ピッチの心配がなくどのキーをたたいても許せる調和があるからだ。即興でアトランダムのキーを弾いて(たたいて)楽しむが、それが曲といえようがいえまいが楽しい。アッ今のはいいなと思う瞬間があるが、それを譜面に書きとるのはめんどうくさい。即興してればまた来るさで済ますし、無限の可能性がありそうでわくわくもする。そこで、こうも考える。赤ちゃんは普通は子守唄を聴いて育つが、はいはいの代わりにピアノのランダムたたきをして育つとどうなるのだろう?

赤子のころ母が耳元で歌ってくれていたのがシェーンベルグでなかったことだけは確実だ。世界のお母さんが近未来的に子守唄を12音セリーで歌うようになるとは思わないが、そういう美というのはまだ動物に近い赤ちゃんに訴えかける力はないとされている(千年後の赤ちゃんはわからないが)。しかし、そういう美というものは存在はするのだ。なぜなら、自分の経験として、数学を解いていて美しいと思ったことが何度もあるし、自然倍音図を眺めた印象も似たものがあり、それが赤ちゃんには伝わらないから美しくないと言い切ることは不存在証明としては不完全である。

以下、2016年1月16日に書いたブログから「ル・マルトー・サン・メートル」について書いた部分の要旨を引用する。

 

9曲のセットである同曲は曲順を1-9とすると{1,3,7}{2,4,6,8}{5,9}に三分類され、個々のグループに12音技法から派生した固有の作曲原理が適用されていることがレフ・コブリャコフの精密な分析で明らかになっている。総体として厳格な12音原理のもとに細部では自由、無秩序から固有の美を練り上げるというこの時点のブーレーズの美学はドビッシー、ウエーベルン、メシアンの美学と共鳴するのであり、それを断ちきったシュトックハウゼン、ベリオ、ノーノとは一線を画するとコブリャコフは著書「A World of Harmony 」で述べている。興味深いことに、例えばグループⅠの作曲原理は(3 5 2 1 10 11 9 0 8 4 7 6)の12音(セリー)を細分した(2 1 10 11) 、(9 0)の要素を定義し、それらの加数、乗数で2次的音列を複合し、

(2 1 10 11) + (9 0) = ((2+9) (1+9) (10+9) (11+9) (2+0) (1+0) (10+0) (11+0)) = (11 10 7 8 2 1 10 11)

のように新たな音列を組成する。その原理がピッチだけに適用されるのではなく音価、音量、音色という次元にまで適用が拡張されて異なるディメンションに至るというのがこの曲の個性でメカニックな方法であることに変わりはなく、その結果として立ち現れる音楽において、それまでの12音音楽にないaesthetic(美学)を確立したことこそがこの曲の真価だった。聴き手が感知する無秩序はあたかもフィボナッチ数がシンプルな秩序で一見無秩序の数列を生むがごとしである。これの審美性は数学を美しいと感知することに似ると思う。

「主のない槌」の自筆譜

ブーレーズは自ら自作の作曲原理を明かすことはせず、むしろ聴き手がそれを知ることを拒絶したかったかのようである。しかし原理の解明はともかく聴き手の感性がそこに至らないこと、この美の構築原理がより高次の原理を生む(到達する)ことがなかったことから12音技法(ドデカフォニー)は壁に当たり、創始者シェーンベルグの弟子だったジョン・ケージがぶち壊してしまう。僕自身、12音は絶対音感(に近いもの)がないと美の感知は困難と思うし全人類がそうなることはあり得ないので和声音楽を凌駕することは宇宙人の侵略でもない限りないと思う。

しかし、そうではあっても、ル・マルトー・サン・メートルは美しい音楽と思う。その方法論でブーレーズが読み解き音像化した春の祭典があれだけの美を発散する。ある数学的原理(数学は神の言語であるという意味において)がaestheticを醸成して人を感動させる、それは必ずモーツァルトの魔笛にもベートーベンのエロイカにもあるはずの宇宙の真理であり、それは人間の知能には解明されていないだけで「在る(sein)」。僕はそれを真理と固く信じる者だ。

 

固く信じるとどうなるか?僕は「主のない槌」に、特にアルトが入る章に美を感じるのであって、それは魔笛やエロイカに感じるものと何ら変わりがない。ライブを聴いて帰宅する時の充足感の質は同じだ。とすると、それを生み出した何物かが3つの音楽のスコアに共通して隠れているはずなのである。それを発見したいなあと思うこと、発見は無理でも今日も経験したいなあと思うことが「音楽をサイエンスと考える」ということだ。

例えば、古代より人間が毎日見ている「太陽」(The Sun)をどう考えるか?まったく相いれない2つの道がある。ひとつはスペクトル型はG2V、表面温度約6000度、推測年齢は約46億年で中心部に存在する水素の50%程度を熱核融合で使用し主系列星として存在できる期間の約半分を経過している銀河系の恒星の一つと考える道。もうひとつは、「おてんとうさま」「おひさま」「朝日」「夕日」であり、信仰の対象となり、女性を「君は僕の太陽」などとたたえたり詩の題材ともなるがスペクトル型なんか知らないし気にもしない道だ。両方OKだよという器用な方もおられるかもしれないが、僕は100%前者の世界の人間であり、腹を割ろうが割るまいが後者の人と理解しあえる自信はあまりない。

同じことで、では音楽(Music)をどう考えるか(聴くか)?である。太陽を「銀河系の恒星」と認識するのと同じように、音楽は僕にとって物理現象、サイエンスである。コンサートホールで隣に座っている「太陽をおひさまと思っている人」とは、聴いているのは同じ音にちがいないが同じものを認識している保証はまったくない。これを「音楽に国境はない」「所詮は好き好きでいいんですよ」とまんまるに丸めて思考停止してしまっては元も子もない、それこそが「おひさま系」だ。「今日のエロイカは良かったですね」と話しかけられても、僕は「拷問でした」かもしれないのでそういう会話は歓迎しない。拷問をブラヴォーと讃える会場は太陽信仰信者の薄気味悪い集会場であり、すぐ退散する。

「国境はない」おひさま系は音楽にヒューマンなものを求める傾向がある。人類みな兄弟だからヒューマンなものに国境はないという理屈だろうが、137億光年先でも成り立つ物理現象のどこに国境がいちいち言説を呼び起こすほどの重要度をもって関わってくるのかまったく意味不明だ。兄弟でなくても敵同士でも、ドミソは楽しげだしラドミは悲しげである。音楽を文学的な文脈で聴くこと、あるいはそれを前提に書かれた音楽そのものの存在には、僕は子供のころ女の子が持っていた着せ替え人形に対するほどの関心を寄せることさえ困難である。

「主のない槌」という楽曲を構造論的に解析する力は今の僕にはないように思う。漫然と表現するなら、ピッチの美しさ、曼陀羅、ガムランのイメージを混合したタペストリーのような音色美を根源とした音楽である。その質感はドビッシー、メシアンの、セリー合成はシェーンベルクの遺伝子を継ぎ、必要とするアルト・フルート、ヴィオラ、ギター、ヴィブラフォン、シロリンバ、打楽器でピッチが可変的なのはヴィオラだけ(フルートもある程度)であり、ピッチは基本的に固定的環境で成立する。そこに声(アルト)という可変的な音が加わるため、そのピッチが厳密に問われ、それが達成されてシンクロナイズした時の美しさは誠に格別だ。

こういう質の美の世界の住人であるブーレーズがマーラー全曲を振ったというのは僕には青天の霹靂だった。親友に裏切られた感じすらする。今もって謎だが、本当に彼は共感したのだろうか?それとも僕の方がマーラーを誤解してるのか?

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ダリウス・ミヨー 「男とその欲望」(L’homme et son désir)作品48

芥川也寸志さんと岩崎宏美さん

2017 FEB 21 1:01:09 am by 東 賢太郎

成城学園初等科にいたのですが、金持ちの坊ちゃんではありません。お嬢で育ったお袋の趣味だったんでしょうがお品が良すぎてなんとなく肌には合わなかったですね。制服が帽子に半ズボンで軟弱っぽくて、公立の子とちがってて嫌だなあと思ってました。あの反動だったんでしょうか、なんちゃって硬派、バンカラ、アンチ・ブルジョアのほうにいってしまい、振ったのがゲバ棒ではなくバットだったのは救いでした。

勉強はした記憶がないというか、僕の勝手解釈によればしなくていい雰囲気であって、クラスも塾に行く者など皆無で考えたこともなし。あまりの出来の悪さを知った親父がエスカレーターは勉強せんし遊び人になりそうだこいつはだめだとなって中学で外を受けさせられてぜんぶ落ちましたが、親父はそのころから東大へ行けと存外なことを言いだして五月祭に連れていかれたりしました。だからなんとなく当然入れるもんと信じこんでました。

そのかわり映画とか劇とか舞踊とか彫塑なんて授業があって、そういうのはとんと興味ありませんでしたがアートは生活のそこらへんにごろごろところがっていて当たり前という感覚にしてくれました。こういうのは文部省指導要領じゃどうしようもない。このあいだ銀座で卒業生の女の子がいて、40才ぐらい後輩とわかり彫塑室の粘土の穴ぐらの描写をしたら「いやだ、それそのまんまですよ~」と、その子も成城っぽい「アートはあって当たり前」感をただよわせながらびっくりして、年の差などものともせず共感しあったりできてしまう。不思議なもんです。

いま思うとまわりはすごかったですよ。ラグビーの松尾兄弟や、3つ下の妹のクラスには歌手の岩崎宏美さんもいました。彼女がスター誕生という番組でデビューしたてのころ食事したりしましたが、あれ、この頃でしたかね、この歌はずいぶんヒットしましたが。

同じ学年の桜組、橘組の父兄には黒澤明さん、三船敏郎さん、東大総長の加藤一郎さんなどがおられ、僕の桂組には芥川也寸志さんがおられました。龍之介の次男で日本を代表する作曲家で家もお邪魔しましたが、当時はY子ちゃんのお父さんというだけで誰だかよくわかってませんでしたね。

成城は学校劇なるものがあり、まあ子供ミュージカルみたいなもんで面白かった。その音楽を芥川さんが作られ指揮もされた。生のオーケストラも指揮者というものも、その時初めて見たのですね、そしてその子供の祭りという劇で主演をして主題歌を歌ったのが岩崎宏美さんで、めちゃくちゃうまいなあと感動した記憶が残ってます。

NHKの大河ドラマ「赤穂浪士」の音楽は芥川さんでこのメロディーはいまでも鮮烈に覚えてます。えらいかっこいいなあと思ってましたが、調べてみるとこれも昭和39年、東京オリンピックの年の放映だったようで僕は小4です、あのころだったんですね。

Y子ちゃんちは成城の高台で見晴らしの素晴らしい場所にあり、もちろんピアノがあって、子供心に素敵だなあと俺もああいう家に住むぞと憧れました。高台というとバーデンバーデンのブラームスの家も崖の上で、どうも僕の「崖好き」はお二人の作曲家の趣味から来ているようで、いざ自分で建てるとなったときに成城~田園調布を走る国分寺崖線の崖の上ありきになりました。なかなか出てこないので出たら即決で買った。家族は高いと大反対でしたが、三つ子の魂みたいなもんでかなり執念に近かったです。

 

(ことらもどうぞ)

______男の子のカン違いの効用 (6)

我が来し方に響く音楽

 

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ヘンツェ 交響曲第8番(1992/1993)

2017 FEB 19 22:22:44 pm by 東 賢太郎

電車でイヤホンできいてるのはatonal(無調)の曲です。最近はヘンツェなどですね。同時に「ながら」でブログを書いてますから、頭がキリッと冴え喜怒哀楽の感情の波がおきない現代音楽がよいのです。

ハンス・ウェルナー・ヘンツェ(1926-2012)はドイツ人ですがヒトラーにかぶれた父に反抗して育ち、徹底した反ナチズムを標榜してイタリアのローマ近郊に居を構え、共産主義に共鳴しキューバの革命政権を支持してチェ・ゲバラの追悼曲まで書いた。ホモでもありましたから、バーンスタインのいう理想の音楽家、「ホミンテルン」に完璧に適合する人物でありました。

ポスト・ウォーの作曲家として僕はフランスでブーレーズ、ドイツでヘンツェを評価しております。ヘンツェの音楽はしかしブーレーズとは対極的でセリーでも微視的でもなく、多くのオペラ、バレエがあるように劇場で映え、無調ではあるが旋律がきこえ骨太でどこか肉感的です。10曲書いた交響曲はドイツの楽団の音になじみ、音響としてはブラームスの末裔としてとらえられるどっしりとした名曲ぞろいであって、ぜひ広く聴かれることを願ってやみません。

第二次大戦後も母国と絶縁状態にあった彼の活躍の場はイタリア、英国でしたが、ようやく1980年代になって復縁の方向となります。シェークスピアの真夏の夜の夢から発想し1992/1993年に書かれた交響曲第8番は、ベルリンの壁崩壊を経た復縁後の作風としてややラディカルさは後退していますが、60才台半ばの円熟の技法が冴えわたった名品で僕は特に愛好しています。

マルクス・ステンツ指揮ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のこの演奏は驚くばかりの名演で何度聴いても圧倒される稀有な録音として記憶されるでしょう。

この作曲時に我が家はドイツに住んでいたわけで、まさにコンテンポラリーであります。和声はatonalなりにロマンティックであり、旋律性とあいまって独自の美感を確立しています。これは同じドイツ語圏の新ウィーン楽派とは一線を画した世界で僕にとって非常に妖しく魅力的な交響曲なのです。

彼の代表作のひとつ、ピアノ協奏曲「トリスタン」 (1973) (ピアノとテープと管弦楽のための)にはブラームス第1交響曲の冒頭があからさまに引用されます(16分57秒~)が、ヘンツェの交響作品の質感がブラームスに近似性を感じさせる好例としてお聴きいただければと思います。

このところ取り上げるのが現代音楽ばかりになりましたが、音楽=tonal(調性)とは教育の嘘です。我々が聞く99.99%の音楽は調性音楽ですが、それは音楽をする方も聞く方もそういう既成概念の奴隷として育つからで、雅楽であれ長唄であれ江戸時代までの日本に三和音による調性音楽など存在しません。古来よりの日本人の心の耳を開いて聴けば無調音楽にいかに偏見をもって育ったかはご理解いただけると信じます。

ヘンツェの8番。何度もくりかえし聴いていただき、それが信じがたいほど「美しい」というのを知っていただければ幸いです。

 

 

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デュトワ・N響のカルメンを聴く

2016 DEC 15 0:00:05 am by 東 賢太郎

carmen

このカルメンのために金曜から休暇で西表島に行くのを1日延期した。NHKホール前は青のイルミネーションで美しい。

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カルメンの舞台は海外で何度観たかわからない。なかでは二度真近に見て圧倒されたギリシャ人のアグネス・バルツァが強烈で、ビデオでも彼女のをくり返し見ているのだから、なにか意識の中でカルメンは実在の女でそれはバルツァなのだという困ったことになっている。

マリア・カラスがどうしてこれを舞台でやらなかったのかそういう芸能界的な部分は知らないがきっと適役だったろう。これを演じるには歌だけでなく全人格的なもの、ああこの女だったらやりそうだなあと男の五感に訴える「カルメンシータらしきもの」を備えていないと物足りないものがあるのである。

それはこのオペラのリブレットがカルメンとホセの生々しい愛憎、つまりloveとhateのアンビバレントな二面性を軸としたものだからだと僕は解釈している。

パリのオペラ・コミックでの初演は一般に失敗とされる。プレスがカルメン役のセレスティーヌ・ガッリ=マリーを「不道徳なアバズレ」「悪の化身」と評し、技術的にもオケ、合唱団が演奏不能とした箇所があったことから、当時のモラルや楽曲の常識を超えたものだったと思われる。劇場が懸念していたように裏切りと殺人というリアルな題材が保守的な聴衆に受け入れ難かったせいもあろう。

しかし失敗と思いこんだのは初演後3か月で死んでしまいそこから先を知らなかったビゼーであって、臨席したマスネとサンサーンスは好意的であったし当初から彼の他の作品よりは上演回数は多かった。カルメン並みの女はいくらもそのへんを闊歩していてモラルなど雲散霧消した現代にこの作品が好まれているのは、男女の生々しい愛憎ドラマがいつの世も関心事であるからだと思うのだ。

loveがhateに転化する最後の闘牛場の場面がクライマックスだ。歓声と前奏曲が遠くから鳴り響き不吉な運命のテーマと交差する、そこで純情一途の男が一世一代の決断をしたのが殺人だった。公序良俗にも法律にも反している話なのだが、ホセを死刑にしろという気に一向にならないのはカルメンが「悪女仕立て」だからだろう。吉良上野介を憎々しげに演じてくれないと忠臣蔵にならないのとまことに似ている。

彼女はロマ(ジプシー)であり社会の底辺で既存のレジームに同化できないはねっかえりだが、しかしだからといってそれだけで悪女といわれる道理もないのであって、どうしてそうなるかというと、その妖しい魅力のボルテージが異様に高くてホセが入れあげても仕方ないと思わせ、「悪い女だねえ」と満座にため息をつかせてしまう秘術を次々繰り出すからなのだ。

一例をあげよう。工場から女工たちがどっと出てきてカルメンが傷害事件を起こしたぞ、このアバズレをひっとらえろ!とスネガが命じる場面であざ笑うように歌う「Tra-la-la…」、この単純なEーAmの和声進行にのっかる妖艶な歌!メロディーが非和声音のd#に落っこちるぞくぞくする色っぽさ!

これだけじゃない、ハバネラ、セギディーリャ、ジプシーの歌、これでもかとウルトラ肉食系の妖しい歌に攻め込まれるホセなのである。いったい何なんだよこの女?この歌なに?(このビデオがアグネス・バルツァだ)

仕方ないんじゃないの?と男なら同情するしかない。だから否応もなく「悪い女だねえ」となるのである。

断っておくがそれは歌手の容姿、色香だけではない、ビゼーの書いたあまりに天才的な音楽によってである。頭や理屈や技術やもの真似ではできない真のインヴェンション!初演をきいたシャルル・グノーは俺の真似だ剽窃だと否定的だったが、たしかにビゼーが交響曲ハ長調の作曲などでグノーをメンターと仰いだ形跡はある。グノーは優れたメロディストだが時代の常識の範囲内で美しい音楽を書く達人だった。女中に私生児までいたビゼーの女遍歴は日本語世界ではあまり知られていないが、カルメンの音楽はそういう男にしか書けない毒の味がある。

さような観点でこのオペラを見ると、エスカミーリオとミカエラはベルリオーズの幻想交響曲の恋人のごときイデー・フィクス(固定楽想)付の単なるキャラクター、着ぐるみのような存在なのであって、それぞれがホセの嫉妬心、改心の念をかきたてる添え物である。主役はその両者の狭間で揺れ動く優柔不断なホセに見える。いや、そうであってこそ男のフラフラ、優柔不断が生んだ悲劇としてこのオペラに一本すじが通るのである。

ところが、実はホセには固定楽想もなければインパクトのある固有のアリアもない。彼は嫉妬心に駆られ、燃え立ってしまった恋心に悩み、訴え、怒り、母の待つ故郷に思いをはせもするのでいい歌をそこかしこで歌うのだが、それらの情はすべて他者に駆り立てられたもので何が彼の本質なのか明らかでない。ホセとはカルメンの妖気に篭絡される男という、朗々たる男の帝国であるテノールのアリアにはなじまない性質の役なのだと書いた方がいいだろう。

固有の歌、アリアは、したがって手を変え品を変えて強烈にセクシーな磁力を送り続けるカルメンという女が繰りだす秘術にだけ与えられているのである。彼女の歌だけが人間の地を丸出しで偽善の着色がない。カルメンを演じるメゾ・ソプラノ歌手というのはそういう生身のオーラを放っていないと様にならないのだ。カルメンがいなければこのオペラは観る意味もないが、困ったことに歌も容姿もロマらしい雰囲気も満点であるバルツァのような人がそんじょそこらにいるわけではないのである。

下が初演したセレスティーヌ・ガッリ=マリー(中段左から二人目)を含む歴代のカルメンである。容姿だけでもなかなかの面々だ。ちなみにマリーはこんな地味な歌いやよと文句をつけてあのハバネラを書かせ、ビゼーと関係があったともうわさされている。

variouscarmens

前置きが長くなった。結論としてこの日に聴いたケイト・アルドリッチという素材はバルツァ後継の有力候補と言っていいと思われるが、まだまだ普通の女が演じるアバズレだ。真のアバズレをえぐり出している超ド級の音楽に置いて行かれている部分がある。演技がいけないわけではない、バルツァだって6才からピアノをやってそこそこの家のお嬢だろうが演技であれができている。

長身のイケメンで押し出しが良く声量もあるマルセロ・プエンテのホセは当たりだった。純情路線でバルツァに丸め込まれていたカレーラスの記憶が強いが、非常にコンペティティブな所にいると思料。

ダルカンジェロのエスカミーリオはこれまたメットで観たサミュエル・レイミーが姿も声も一級品で比べてしまう。闘牛士の歌は彼のキャラクターソングだが曲調は大衆歌謡に近い(とにかくこのオペラには小難しい旋律や和声やフーガは皆無なのだ)。それだけにバスの朗々とした艶やかな低音がないとしょぼいものになってしまう。ダルカンジェロの声は合格だがプエンテのホセが恋には勝ってしまうかなあ。

ミカエラのシルヴィア・シュヴァルツは大いに好感を持った。なによりミカエラらしい雰囲気と声が誠に好ましい。アバズレと対極の恋を夢見る貞淑な乙女キャラクターであって、主役がメゾだからソプラノが愛らしく映える。当時のパリの女性に対する道徳観ではこういう要素が毒消しとして必要だったかもしれない。道徳はともかく、ミカエラがはまる声質のソプラノは僕はだいたい好きである。

他の声楽陣も合唱も不足はなく、12月のデュトワを楽しめた。欲を言えばN響がこの曲には「いい子」の草食系だ(きちんとまとまってはいたのだが・・・)。闘牛で血が流れカルメンも血を流すのだ、もっとスペインのラテンのどぎつくてワイルドで粗暴な熱がほしい。デュトワにはない物ねだりになるがレヴァインが振ったメットのオケは熱かった。それが舞台と相乗効果で火炎が立ちのぼるような忘れられない効果をあげた。優れた音楽とはそういうものだ。

 

(ご参考) ビゼー オペラ「カルメン」 (Bizet: Carmen)

 

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武満徹 「雨の呪文」 (Rain Spell)

2016 SEP 18 3:03:36 am by 東 賢太郎

そのむかし東大生だったころ、法律の授業に辟易してしばし本郷を抜け出していたことがある。いたのは上野の東京文化会館音楽資料室だ。膨大な枚数のLPがただで聴けるのがありがたく、漁るように現代音楽のレコードを聴きまくった。

現代曲は廉価盤になることはなく、定価の2千円も出してつまらないかもしれない未聴の曲を買うわけにはいかなかった。だから食指が動くかどうか、聴くだけで価値があった。今ならyoutubeで手軽にできることだが、上野は当時は宝の山に見えたものだ。

浪人生のころ、ヒマ?だったのでストラヴィンスキーとバルトークを聴きまくった。それが「三つ子の魂」になったのか、当時モーツァルトというと諳んじていたのはアイネ・クライネぐらいで興味は100%、20世紀音楽に向かっていた。第九交響曲より詩編交響曲の方を先に覚えたのは相当変わり者だろう。

上野で知ったメシアンはこれが強烈だった(メシアン トゥーランガリラ交響曲)。ただ、オンド・マルトノがどうにも苦手であり、オルガン曲とこれの方が気に入っていた。「世の終わりのための四重奏曲」(Quatuor pour la Fin du Temps)である。第二次世界大戦でドイツ軍の捕虜となり、ポーランドの収容所で書いたいわくつきの曲だ。

メシアンの作曲法は 音価、モード、移調の限られた旋法で有名だが、旋法2番はディミニッシュ・コードで3通りしか移調できないのはいわば当たり前であり、だから何か価値があるかというとどうもよくわからない。規則で可能性を縛ると神性に至るという思想はキリスト教的、一神教的、三位一体的で、12音技法も実はそれである。

僕は「春の祭典」にそれがあるとは思わないが、カソリックの人たちはそれでは困るんだろう。この曲がスキャンダルを起こし人心を捕らえてしまった神性の根源として、そこに数学的な秩序(メシアンの音価、モードの秩序)をブーレーズが「発見」したのもまた有名だ。この論文も読んだが、しかし、正直のところそんなに大層なものとも思わない。

僕的には、可能性を縛る(シンプルで強靭な神のルールへの服従)よりも、音素材のディメンションを拡大してスピリチュアルな精神作用である音楽というもののメッセージ伝達の可能性を広げる方法論の方に共感が出てきている。

微分音というものがある。半音を2分割(四分音)、3分割(六分音)、4分割(八分音)などしたものだ。例えば、バルトークのヴァイオリン協奏曲第2番の第1楽章に「四分音」が現れるが、これがその一例だ(12:44から)。

旋法とはオクターヴ12音から順番に音を選びとる際の2音間の間隔の半音と全音の規則性のことである。しかしその素材である12音は平均律に調律されたピアノで演奏される12音である。四分音はそのピアノで弾けないことは言うまでもない。これが「音素材のディメンションの拡大」ということだ。前掲のリゲティらがそれを取り入れている。

「スピリチュアルな精神作用である音楽」という側面を見せてくれるのが、武満徹である。彼はことさらに日本風の音楽を書いたわけではない。しかしそこにあるのは古来より我が国の風景文物に対峙して先祖が磨き上げてきたエッセンスとしての抽象的な美であって、他国のどこのそれとも違う。

この「雨の呪文」(Rain Spell)をお聴きいただきたい。音楽の泉から湧き出る清水のような透明な美は何にもかえがたい。

フルート(アルト・フルート持ち替え)、クラリネット、ハープ、ピアノ、ヴィブラフォンという編成である。そしてこのハープだが、レとシが四分音だけ高く、ラとドとファが四分音だけ低く調弦されているのである(耳を澄ましてお聴きいただきたい)。12音の音素材が拡大しているという点で、これは「世の終わりのための四重奏曲」とは決定的にディメンション(象限)の異なる音楽である。各所に生じる近接和音と四分音の独特のうなりが波紋のような絶妙の効果をあげるのがお分かりだろうか。繊細極まりない和の芸術と思う。

 

クセナキス 「プレアデス」(Pléiades,1979)

 

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スティーヴ・ライヒ 「18人の演奏家のための音楽」

2016 SEP 16 13:13:30 pm by 東 賢太郎

前回のリゲティが宇宙空間をただよう静けさならこちらはどうか。単調なリズムの反復による同一和音の漸強、漸弱と音色によるグラデーション。満ちては引く潮のようであり、生まれ羽ばたく生命の息吹のようである。宇宙的に対して地球的であり、リゲティが横断的ならこちらは垂直的に感じる。これはミニマル・ミュージックと呼ばれ、スティーヴ・ライヒはその作風を代表する米国の作曲家である。

地球的?いや、しかし、これは実はCosmic(宇宙的)でもあるのだ。このリズム・パターンの繰り返しは、高速でぐるぐる回る中性子星が送ってくるX線パルスの描くグラフの規則的な律動を強く想起させる。

話はあらぬ方に行くが、天文マニアである僕がいま最も興奮している星がある。白鳥座の1,480光年先にあるKIC 8462852という恒星がそれだ。ご興味ある方は、米国エール大学の天文学者、タバサ・ボヤジアン博士のわくわくする講義をお聞きいただきたい。

この星の明るさ(明度)は唐突に不規則的に22%も落ちる。何か物体が恒星の前を通過して光を遮っている。その部分の明度グラフは非対称だからその物体は球形ではない。彗星ではない。恒星のエネルギーで熱を持つと出る赤外線放射がない。太陽系外から見ると木星による明度低下ですら1%でしかなく、22%になるには地球の1,000倍の超巨大な物体が横切ることが必要だ。

そんな物体があり得るのだろうか?

この問いにリーゾナブルに答え得る解答は「巨大な人工建造物」だそうだ。地球外生命が作ったダイソン球というストラクチャーが恒星をぐるりと取り囲んでいるのだと博士は推論する。要するに、平たく言えば、そこに高度な文明を有する宇宙人がいなくてはならないということになる。

米国人はこういう話題が好きで、お茶の間向けのワイドショーまでがとりあげていると聞く。4人にひとりが地球が太陽を公転していることを知らない国でもあるが、サイエンスへの素朴かつ素直な好奇心が比較的広くあるように思う。フロンティア精神に起因するのか教育なのかアポロ計画以来の宣伝効果なのか。

一方、これを我が国のバラエティ番組が放映することは想定しがたいが、ことはお茶の間の話しばかりではない。太陽のような恒星のぐるりにエネルギーを取り込む装置をめぐらせ、地球のエネルギー源が枯渇しても宇宙ステーションで生きのびるという科学者のデッサンには底知れないスケールとパワーを感じる。その実例が1480光年先にあるのだとする推理力、構想力はなんと雄大なものだろう。

5か国に住んでみて思ったのは、平均的な日本人の科学への知識と敬意は先進国としては低いことだ。科学者は特別に頭脳明晰な人であり、同時にお相撲さんと同じぐらい一井の人とは別種の人だ。ノーベル賞をとると、彼の研究内容ではなくいかに「普通の人」のところもあるかという関心がもたれる。

報道はお茶の間で「へ~」という声が上がる方向に偏向し、科学に関心を向けるのは視聴率を気にしなくてもいいNHKの教育番組ぐらいのものだ。僕はお茶の間の科学への関心と知識レベルは江戸時代と変わらないと思っている。天に唾するが、僕を含めた大学の文系卒業者も似たものだ。地球の公転はクイズ番組と同じノリで、知らないと恥ずかしい国民の常識として知られている。

その土壌で育った科学者が、タバサ・ボヤジアン博士のようになるのだろうか?能力の問題ではない。良い種も土に左右される。KIC 8462852の不可解な現象に「エキサイティング!」と目を輝かせ、一般人か学生と思われる聴衆、公衆に自らのわくわく、どきどきを訴えかける。ペンシルバニア大学で彼女のような先生たちについて勉強しながら、僕は何度「エキサイティングな国だ」とため息をついたことか。

女性科学者と見るや割烹着を着せ、「リケジョの星」に仕立ててお茶の間の「へ~」にしようなどという恥ずかしい国との差は測りがたいものがある。お茶の間は仕方ないだろう。しかし「2位じゃダメなんですか」がお茶の間受け狙いのバラエティー番組作戦だったことがバレた、そんな政党が政権を取るという日本史上最大の悪夢があった。こういう日本人の民度を下げ国力を削ぐ政治家は僕が長年主張してきていることと真逆の人間であって、日本国のために永遠に許し難い。

ライヒのミニマル・ミュージックは「意図的に単調」であって、こういう音楽を発想する、これもまた科学と同様、「デッサンの底知れないスケールとパワー」を体感するのだ。最初はクラシックを聴くモードで入るが、だんだん集中力が弛緩してぼんやりしてくる。これまたどういうわけか僕は眠気を催すのだ。旋律も和音変化もないものだから中性子星のX線パルスみたいなものだ。KIC 8462852の非対称性がないものだから脳が思考停止してしまうのだろう。

眠るというのは、意識が飛んで精神が宇宙に同化している状態のような気がする。人生最後の睡眠が死というものだ。寝ている間、精神はふるさとである宇宙を彷徨っているが、最後の日だけは地球にある元の体に戻ってこない。音楽という精神作用は、深いところで人の生死、睡眠と関わっていると僕は信じている。そういうスピリチュアルな次元において、表面的には正対しているリゲティもライヒも新しい音楽の地平を開いているのである。

 
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