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カテゴリー: ______モーツァルト

クラシック徒然草《音楽家の二刀流》

2018 MAY 6 1:01:11 am by 東 賢太郎

そもそも二刀流とはなんだろう?刀は日本人の専有物だからそんな言葉は外国にない。アメリカで何と言ってるかなと調べたら大谷は “two-way star” と書かれているが、そんなのは面白くもなんともない。勝手に決めてしまおう。「二足の草鞋」「天が二物を与える」ぐらいじゃあ二刀流までは及ばない。「ふたつの分野」で「歴史に残るほどの業績をあげること」としよう。水泳や陸上で複数の金メダル?だめだ、「ふたつの分野」でない。じゃあ同じ野球の大谷はなぜだとなるが、野球ファンの身勝手である。アメリカ人だって大騒ぎしてるじゃないか。まあその程度だ、今回は僕が独断流わがまま放題で「音楽家の二刀流判定」を行ってみたい。

アルバート・アインシュタイン

まずは天下のアルバート・アインシュタイン博士である。音楽家じゃない?いやいや、脳が取り出されて世界の学者に研究されたほどの物理学者がヴァイオリン、ピアノを好んで弾いたのは有名だ。奥さんのエルザがこう語っている。 Music helps him when he is thinking about his theories. He goes to his study, comes back, strikes a few chords on the piano, jots something down, returns to his study.(音楽は彼が物理の理論を考える手助けをしました。彼は研究室に入って行き、戻ってきて、ピアノでいくつか和音をたたき、何かを書きつけて、また研究室へ戻って行くのです)。

アインシュタインは紙と鉛筆だけで食っていけたのだと尊敬したが間違いだった。ピアノも必要だったのだ。たたいた和音が何だったか興味があるが、ヒントになる発言を残している。彼はモーツァルトのヴァイオリン・ソナタを好んで公開の場で演奏し、それは「宇宙の創成期からそこに存在し巨匠によって発見されるのを待っていた音楽」であり、モーツァルトを「和声の最も宇宙的な本質の中から彼独自の音を見つけ出した音楽の物理学者である」と評している。案外ドミソだったのではないかな。腕前はどうだったんだろう?ここに彼がヴァイオリンを弾いたモーツァルトのK.378が聴ける。

アインシュタインよりうまい人はいくらもいよう、しかし僕はこのヴァイオリンを楽しめる。曲への真の愛情と敬意が感じられるからだ。というわけで、二刀流合格。

アレクサンドル・ボロディン

次も科学者だ。「だったん人の踊り」で猫にも杓子にも知られるアレクサンドル・ボロディン教授である。教授?作曲家じゃないのか?ちがう。彼はサンクトペテルブルク大学医学部首席でカルボン酸の銀塩に臭素を作用させ有機臭素化物を得る反応を発見し、それは彼の名をとって「ボロディン反応」と呼ばれることになる、まさに歴史に名を刻んだサイエンティストだ。趣味で作曲したらそっちも大ヒットして世界の音楽の教科書に載ってしまったのである。この辺は彼が貴族の落し胤だった気位の高さからなのかわからないが、本人は音楽は余技だとして「日曜作曲家」を自称した。そのむかしロッテのエースだったマサカリ投法の村田兆治は晩年に日曜日だけ先発して「サンデー兆治」となったが、それで11連勝したのを彷彿させるではないか。「音楽好きの科学者」はアインシュタインと双璧と言える。合格。

ユリア・フィッシャー

巨人ふたりの次にユリア・フィッシャーさんが来るのは贔屓(ひいき)もあるぞと言われそうだが違う。贔屓以外の何物でもない。オヤジと気軽にツーショットしてくれてブログ掲載もOKよ!なんていい子だったからだ。数学者の娘。どこかリケジョ感があった。美男美女は得だが音楽家は逆でカラヤンの不人気は男の嫉妬。死にかけのお爺ちゃんか怪物みたいなおっさんが盲目的に崇拝されてしまう奇怪な世界だ。女性はいいかといえば健康的でセックスアピールが過ぎると売れない観があり喪服が似合いそうなほうがいい我が国クラシック界は性的に屈折している。フィッシャーさん、この容貌でVn協奏曲のあとグリーグのピアノ協奏曲を弾いてしまう。ピアノはうまくないなどという人がいる。あったりまえじゃないか。僕はこのコンチェルトが素人には難しいのを知っている。5年まえそのビデオに度肝を抜かれて書いた下のブログはアクセス・ランキングのトップをずっと競ってきたから健全な人が多いという事で安心した。そこに書いた。゛日本ハムの大谷くんの「二刀流」はどうなるかわかりませんが “。そんなことはなかった。若い才能に脱帽。もちろん合格だが今回は音楽家と美人の二刀流だ。

ユリア・フィッシャー(Julia Fischer)の二刀流

ちなみに音楽家と学者の二刀流はありそうなものだがそうでもない。エルネスト・アンセルメ(ソルボンヌ大学、パリ大学・数学科)、ピエール・ブーレーズ(リヨン大学・数学科)、日本人では柴田南雄(東京大学・理学部)がボロディン、アインシュタインの系譜だが、数学者として実績は聞かないから合格とは出来ない。ただ、画家や小説家や舞踏家に数学者、科学者というイメージはわかないが音楽家、とくに作曲家はそのイメージと親和性が高いように思うし、僕は無意識に彼らの音楽を好んでいる。J.S.バッハやベートーベンのスコアを見ると勉強さえすれば数学が物凄くできたと思う。一方で親が音楽では食えないと大学の法学部に入れた例は多いが、法学はどう考えても音楽と親和性は薄く、法学者や裁判官になった二刀流はいない(クラシック徒然草《音大卒は武器になるか》参照)。

ハンス・フォン・ビューロー

よって、何の足しにもならない法学を名門ライプツィヒ大学卒業まで無駄にやりながら音楽で名を成したハンス・フォン・ビューローは合格とする。ドイツ・デンマークの貴族の家系に生まれ、リストのピアノソナタロ短調、チャイコフスキーのピアノ協奏曲1番を初演、リストが娘を嫁にやるほどピアノがうまかったが腕達者だけの芸人ではない。初めてオペラの指揮をしたロッシーニのセヴィリアの理髪師は暗譜だった。ベートーベンのピアノソナタ全曲チクルスを初めて断行した人でもあるがこれも暗譜だった。”Always conduct with the score in your head, not your head in the score”(スコアを頭に入れて指揮しなさいよ、頭をスコアに突っ込むんじゃなくてね)と容赦ない性格であり、ローエングリンの白鳥(Schwan)の騎士のテナーを豚(Schwein)の騎士と罵ってハノーバーの指揮者を降りた。似た性格だったグスタフ・マーラーが交響曲第2番を作曲中に第1楽章を弾いて聞かせ「これが音楽なら僕は音楽をわからないという事になる」とやられたがビューローの葬式で聴いた旋律で終楽章を完成した。聴衆を啓発しなければならないという使命感を持っており、演奏前に聴衆に向かって講義するのが常だった。ベートーヴェンの交響曲第9番を演奏した際には、全曲をもう一度繰り返し、聴衆が途中で逃げ出せないように、会場の扉に鍵を掛けさせた(wikipedia)。これにはブラームスもブルーノ・ワルターも批判的だったらしいが、彼が個人主義的アナキズムの哲学者マックス・シュティルナーの信奉者だったことと併せ僕は支持する。

リヒャルト・ワーグナー

ちなみにビューローはその才能によってと同じほどリヒャルト・ワーグナーに妻を寝取られたことによっても有名だ。作曲家は女にもてないか、何らかの理由で結婚しなかったり失敗した人が多い。ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ショパン、ムソルグスキー、ラヴェルなどがそうで後者はハイドン、ブラームス、チャイコフスキーなどがいる。だからその逆に生涯ずっと女を追いかけたモーツァルトとワーグナーは異色であろう。モーツァルトはしかしコンスタンツェと落ち着いた(というより何か起きる前に死んでしまった)が、ミンナ(女優)、マティルデ・ヴェーゼンドンク(人妻)、コジマ(ビューローの妻)とのりかえたワーグナーの傍若無人は19世紀にそこまでやって殺されてないという点においてお見事である。よって艶福家と作曲家の二刀流で合格だ。小男だったが王様を口説き落としてパトロンにする狩猟型ビジネス能力もあった。かたや作品でも私生活でも女性による救済を求め続け、最後に書いていた論文は『人間における女性的なるものについて』であったのは幼くして母親が再婚した事の深層心理的影響があるように思う。

モーリス・ラヴェル

ボレロやダフニスの精密機械の設計図のようなスコアを見れば、ストラヴィンスキーが評した通りモーリス・ラヴェルが「スイスの時計職人」であってなんら不思議ではない。その実、彼の父親はスイス人で2シリンダー型エンジンの発明者として当時著名なエンジニアであり、自動車エンジンの原型を作った発明家として米国にも呼ばれている。僕はボレロのスコアをシンセサイザーで弾いて録音したことがあるが、その実感として、ボレロは舞台上に無人の機械仕掛けのオーケストラ装置を置いて演奏されても十分に音楽作品としてワークする驚くべき人口構造物である。まさにスイスの時計、パテック・フィリップのパーペチュアルカレンダークロノを思わせる。彼自身はエンジニアでないから合格にはできないが、親父さんとペアの二刀流である。

アメリカの保険会社の重役だったチャールズ・アイヴズは交響曲も作った。しかし彼の場合は作曲が人生の糧と思っており、それでは食えないので保険会社を起業して経営者になった。作曲家がついでにできるほど保険会社経営は簡単だと思われても保険業界はクレームしないだろうが、アイヴズがテナー歌手や指揮者でなく作曲家だったことは一抹の救いだったかもしれない。誰であれ書いた楽譜を交響曲であると主張する権利はあるが、大指揮者として名を遺したブルーノ・ワルターはそれをしてマーラー先生に「君は指揮者で行きなさい」と言われてしまう(よって不合格)。その他人に辛辣なマーラーが作品に関心を持ったらしいし、会社の重役は切手にはならない。よってアイヴズは合格。

日本人がいないのは寂しいから皇族に代表していただこう。音楽をたしなまれる方が多く、皇太子徳仁親王のヴィオラは有名だが、僕が音源を持っているのは高円宮憲仁親王(29 December 1954 – 21 November 2002)がチャイコフスキーの交響曲第5番(終楽章)を指揮したものだ。1994年7月15日にニューピアホールでオーケストラは東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団である。親王は公益社団法人日本アマチュアオーケストラ連盟総裁を務め造詣が深く、指揮しては音程にとても厳しかったそうだ。お聴きのとおり、全曲聴きたかったなと思うほど立派な演奏、とても素人の指揮と思えない。僭越ながら、皇族との二刀流、合格。

米国にはインスティテューショナル・インベスターズ誌の創業者ながらマーラー2番マニアで、2番だけ振り方をショルティに習って世界中のオケを指揮しまくったギルバート・ キャプランCEO(1941 – 2016)もいる。同誌は創業51年になる世界の金融界で知らぬ者はない老舗である。彼が指揮したロンドン交響楽団との1988年の演奏(左のCD)をそのころロンドンで買った。曲はさっぱりだったがキャプランに興味があった。そういう人が多かったのか、これはマーラー作品のCDとして史上最高の売り上げを記録したらしいから凄い。ワルターよりクレンペラーよりショルティよりバーンスタインより素人が売れたというのはちょっとした事件であり、カラオケ自慢の中小企業の社長さんが日本レコード大賞を取ってしまったような、スポーツでいうなら第122回ボストンマラソンを制した公務員ランナー・川内 優輝さんにも匹敵しようかという壮挙だ。これがそれだ。

彼は私財で2番の自筆スコアを購入して新校訂「キャプラン版」まで作り、他の曲に浮気しなかった。そこまでやってしまう一途な恋は専門家の心も動かしたのだろう、後に天下のウィーン・フィル様を振ってDGから新盤まで出してしまうのである。「マーラー2番専門指揮者」なんて名刺作って「指揮者ですか?」「はい、他は振れませんが」なんてやったら乙なものだ。ちなみに彼の所有していたマーラー2番の自筆スコア(下・写真)は彼の没後2016年にロンドンで競売されたが落札価格は455万ポンド(6億4千万円)だった。財力にあかせた部分はあったろうが富豪はいくらもいる。金の使い道としては上等と思うし一途な恋はプロのオーケストラ団員をも突き動かして、上掲盤は僕が唯一聴きたいと思う2番である。合格。

マーラー2番自筆譜

かように作曲家の残したスコアは1曲で何億円だ。なんであれオンリーワンのものは強い。良かれ悪しかれその値段でも欲しい人がいるのは事実であるし、シューマン3番かブラームス4番なら僕だって。もしもマーラー全曲の自筆譜が売りに出るなら100億円はいくだろう。資本主義的に考えると、まったくの無から100億円の価値を生み出すのは起業してIPOして時価総額100億円の会社を生むのと何ら変わりない。つまり価値創造という点において作曲家は起業家なのである。

かたやその作曲家のスコアを見事に演奏した指揮者もいる。多くの人に喜びを与えチケットやCDがたくさん売れるのも価値創造、GDPに貢献するのであるヘルベルト・フォン・カラヤンは極東の日本で「運命」のレコードだけで150万枚も売りまくったその道の歴史的指揮者である。ソニーがブランド価値を認めて厚遇しサントリーホールの広場に名前を残している。大豪邸に住み自家用ジェットも保有するほどの財を成したのだから事業家としての成功者でもあり、立派な二刀流候補者といっていいだろう。しかし没後30年のいま、生前にはショップに君臨し絶対に廉価盤に落ちなかった彼のCDは1200円で売られている。22世紀には店頭にないかもしれない。こういう存在は資本主義的に考えると起業家ではなく、人気一過性のタレントかサラリーマン社長だ。不合格。

加山雄三

作曲家を贔屓していると思われようがそうではない。ポップス系の人がクラシック曲を書いているが前者はポール・マッカートニー、後者は先日の光進丸火災がお気の毒だった加山雄三だ。ポールがリバプール・オラトリオをヘンデルと並ぶつもりで書いたとは思わない。加山は弾厚作という名で作ったラフマニノフ風のピアノ協奏曲があり彼の母方の高祖父は岩倉具視と公家の血も引いているんだなあとなんとなく思わせる。しかし、いずれもまともに通して聴こうという気が起きるものではない(少なくとも僕においては)。ポールのビートルズ作品は言うに及ばず、加山の「君といつまでも」

ポール・マッカートニー(右)

などはエヴァーグリーンの傑作と思うが、クラシックのフォーマットで曲を書くには厳格な基礎訓練がいるのだということを確信するのみ。不合格。ついでに、こういうことを知れば佐村河内というベートーベン氏がピアノも弾けないのに音が降ってきて交響曲を書いたなんてことがこの世で原理的に起こりうるはずもないことがわかるだろう。あの騒動は、記事や本を書いたマスコミの記者が交響曲が誰にどうやって書かれるか誰も知らなかったということにすぎない。

サン=ジョルジュ

こうして俯瞰すると、音楽家の二刀流は離れ業であることがわかるが、歴史上には多彩な人物がいて面白い。ジョゼフ・サン=ジョルジュと書いてもほとんどの方はご存じないだろうが、音楽史の視点でこの人の二刀流ははずすわけにいかない。モーツァルトより11年早く生まれ8年あとに死んだフランスのヴァイオリン奏者、作曲家であり、カリブ海のグアドループ島で、プランテーションを営むフランス人の地主とウォロフ族出身の奴隷の黒人女性の間に生まれた。父は8才の彼をパリに連れて帰りフランス人として教育する。しかし人種差別の壁は厚く、やむなく13才でフェンシングの学校に入れたところメキメキ腕を上げて有名になり、17才の時にピカールという高名なフランス・チャンピオンから試合を挑まれたが彼を倒してしまう。その彼がパリの人々を驚嘆させたのはヴァイオリンと作曲でも図抜けた頭角を現したことである。日本的にいうならば、剣道の全国大会で無敵の強さで優勝したハーフの高校生が東京芸大に入ってパガニーニ・コンクールで優勝したようなものだ。こんな人が人類史のどこにいただろう。これが正真正銘の「二刀流」でなくて何であろう。宮廷に招かれ、王妃マリー・アントワネットと合奏し、貴婦人がたの人気を席巻してしまったのも当然だろう。1777年から78年にかけてモーツァルトが母と就職活動に行ったパリには彼がいたのである。だから彼が流行らせたサンフォニー・コンチェルタンテ(協奏交響曲)をモーツァルトも書いた。下の動画はBBCが制作したLe Mozart Noir(黒いモーツァルト)という番組である。ぜひご覧いただきたい。ヴァイオリン奏者が「変ホ長調K.364にサン・ジョルジュ作曲のホ長調協奏曲から引用したパッセージがある」とその部分を弾いているが、「モーツァルトに影響を与えた」というのがどれだけ凄いことか。僕は、深い関心をもって、モーツァルトの作品に本質的に影響を与えた可能性のある同時代人の音楽を、聴ける限り全部聴いた。結論として残った名前はヨゼフ・ハイドン、フランツ・クサヴァー・リヒター、そしてジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュだけである。影響を与えるとは便宜的にスタイルを真似しようという程度のことではない、その人を驚かし、負けているとおびえさせたということである。サン=ジョルジュが出自と容貌からパフォーマーとして評価され、文献が残ったのは成り行きとして当然だ。しかしそうではない、そんなことに目をとられてはいけない。驚嘆しているのは、彼の真実の能力を示す唯一の一次資料である彼の作品なのだ。僕はそれらをモーツァルトの作品と同じぐらい愛し、記憶している。これについてはいつか別稿にすることになろう。

黒い?まったく無意味な差別に過ぎない。何の取り得もない連中が肌の色や氏素性で騒ぐことによって自分が屑のような人間だと誇示する行為を差別と呼ぶ。サン=ジョルジュとモーツァルトの人生にどんな差があったというのか?彼は白人のモーツァルトがパリで奔走して命懸けで渇望して、母までなくしても得られる気配すらなかったパリ・オペラ座の支配人のポストに任命されたのだ。100人近い団員を抱える大オーケストラ、コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピックのコンサートマスターにも選任され、1785年から86年にかけてヨゼフ・ハイドンに作曲を依頼してその初演の指揮をとったのも彼である。それはハイドンの第82番目から第87番目の6曲のシンフォニーということになり、いま我々はそれを「パリ交響曲」と呼んで楽しんでいるのである。

ロッシーニ風フォアグラと牛フィレステーキとトリュフソース

ゴールデン・ウイーク・バージョンだ、長くなったが最後にこの人で楽しく本稿を締めくくることにしたい。サン=ジョルジュと同様にフランス革命が人生を変えた人だが、ジョアキーノ・ロッシーニの晩節は暗さが微塵もなくあっぱれのひとこと。オペラのヒットメーカーの名声については言うまでもない、ベートーベンが人気に嫉妬し、上掲のハンス・フォン・ビューローのオペラ指揮デビューはこの人の代表作「セヴィリアの理髪師」であったし、まだ食えなかった頃のワーグナーのあこがれの作曲家でもあった。そんな大スターの地位をあっさり捨てて転身、かねてより専心したいと願っていた料理の道に邁進し、そっちでもフランス料理に「ロッシーニ風フォアグラと牛フィレステーキとトリュフソース」の名を残してしまったスーパー二刀流である。

ジョアキノ・ロッシーニ

 

ウォートンのMBA仲間はみんな言っていた、「ウォール・ストリートでひと稼ぎして40才で引退して人生好きなことして楽しみたい」。そうだ、ロッシーニは37才でそれをやったんだ。ワーグナーと違って、僕は転身後のロッシーニみたいになりたい。それが何かは言えない。もはや63だが。ただし彼のような体形にだけはならないよう注意しよう。

クラシック徒然草ー 憧れの男はロッシーニであるー

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アンヌ・ケフェレックを聴く

2018 APR 26 23:23:27 pm by 東 賢太郎

指揮 上岡敏之
ピアノ アンヌ・ケフェレック

新日本フィルハーモニー交響楽団

モーツァルト:ピアノ協奏曲第24番 ハ短調 K.491
ブルックナー:交響曲第6番 イ長調

先日のピリスに続き、こちらも実演は初めてのケフェレックを聴く。パリ生まれの70才。ヴァージンレコードのラヴェル・ピアノ曲集はリズムに個性がありフレーズごとに一音ごとに音価を変転させ粘る。クープランの墓はその結果ロマンティックに響きやや抵抗がある。テクニック的にも徹底したヴィルテュオーゾということもなく、対位法の立体感が甘くてやや平板。品の良さが売りのピアニストかという中途半端な印象があった。しかし「亡き王女のパヴァーヌ」の中間部や「悲しげな鳥たち」ではその粘りがピアニシモでふわりと一瞬宙に浮く、そのポエティックで微妙な溜めは存外に蠱惑的であって、この人のピアニズムの不思議を醸し出していたのも記憶にあった。

モーツァルトのピアノ協奏曲第24番は特別なエモーションを感じる、僕にとって格別な曲だ。甘ちゃんのピアニストに弾いてほしくない。結論としてケフェレックの固有の弱音美が活き、指揮もオケも好演という事もあり十分に楽しんだ。しかし彼女独自の「時間感覚」はコンチェルトでなく独奏で聴きたかったという欲求不満も残る。アンコールに弾いたヘンデルのメヌエット・ト短調(ケンプ版)はその留飲を下げる大変な名演で、まったりと流れに支配される数分間、ただただ聞き惚れるという至福のピアノ演奏。先に書いたパヴァーヌの間と溜めのポエジー、和音の天の配剤のように美しいバランス。この体験は深い。

ブルックナーは第2楽章に実に感じ入った。いままでで一番素晴らしい。フランクフルト時代に娘のピアノの先生に指揮を習ってみたいと言ったら、紹介しますよとなったのが上岡敏之さんだった。結局実現せずもっと暇な会社だったら良かったと思ったが、恥さらしをしなくてよかったとも思う。上岡さんはもっと聴いてみたいという意欲が出てきた。ケフェレックさんにサインをもらい、ちょっとお礼を述べてから横浜みなとみらいホールを退散。いつもながらミーハーだ。

 

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マリア・ジョアオ・ピリス最後の公演

2018 APR 18 2:02:47 am by 東 賢太郎

4月17日 19:00 サントリーホール

モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第12番 ヘ長調 K.332
モーツァルト:ピアノ・ソナタ 第13番 変ロ長調 K.333
シューベルト:4つの即興曲 Op.142, D935

モーツァルトK332。10年ぐらい前に第1,2楽章を練習してよく弾いた大好きなソナタ。第1楽章アレグロがやや速めかなというテンポで入るが、オペラ・ブッファのいそがしい場面みたいに次々とあれやこれやエピソードが急転する楽章なのに不思議と饒舌よりエレガントにきこえる。アダージョはもっとロマンに深入りできる楽章だが古典的均整を見せ終楽章は流麗に美音がかけめぐる。K333は典雅に始まり、まったく清楚だ。第2楽章はK332にも増して暗い陰を投影する謎めいた部分が出てくるがここも深い。素晴らしいニュアンス、若鮎のように流れるフレージングの絶妙の伸縮と間。これぞピリスのモーツァルトであり一世を風靡したのがもっともである。

僕にとってモーツァルトのピアノ曲を聴くということは、旋律の隅々まで、律動のゆらぎや無音の間や和音の一音一音の細部までに研ぎ澄ませた意識の光を照射してコクを味わうことだ。鑑賞というより観察に近いかもしれないが、耳がそうなるのはモーツァルトだけであり、それで味わうに足る演奏などそんなに存在しない。神経がそうなるとこちらも疲労するのであって、その労に報われない演奏とわかるとすぐ集中が切れてしまう。

ピリスのものはどこの細部に神経の光を照射しても、そこにそれを上回る彼女の神経がまわっており、わずかなほつれも見つからず、こちらが苦労すれば喜びが倍にもなって帰ってくる。これはミスタッチがあるないという卑俗なレベルのことではない、本当にすごいことだ。頭によるコントロールと指の訓練による人工的な、よく遭遇する、モーツァルトは珠を転がすような美音で弾かれるべきだという空疎な勘違いの観がいささかもなく、正に天衣無縫である。前回に音楽は演奏者の人格と書いたが、この人はきっとそういう人で、そう生きてきてそう生活しているのだろう、だからああいう音楽になるのだろうとしか考えられない。

カサドシュ、ハスキル、ヘブラー、クラウス、アンダ、カーゾン、グルダ、ゼルキン、モラヴェッツなど心をとらえるモーツァルトを聴かせてくれた人がみんな鬼籍に入ってしまった。ピリスまで引退してしまうとモーツァルトをきかせる人は内田光子しかいなくなってしまうということなのだろうか。ショパンをうまく聞かせる人はいくらもいるが、僕はその良い聴き手になりようがない。

後半のシューベルトD935。これは最晩年の少し怖いところを含んだ音楽で第1曲の主題に半音がまとわりつくところは未完成交響曲第1楽章第1主題を思わせる。演奏はしかしそのような外縁に意識を押しやることなく、ひたすら高い集中力で内に向かう。この世のものと思われぬバランスのとれた美しいピアノの音(ね)。過度に煌めかず楚々と光る高音。フォルテはその音域でささやくピアニシモがそのままの質感で大きくなったもので、いささかも粗暴に響かない。アンコールの3つのピアノ曲より変ホ長調はピアノ演奏として未曽有の聴体験だった。

ベートーベンのときと同じく、心がえもいえぬ満足感に満ちていて食欲すら感じない、帰途についても体が芯からから温まっていて涙が自然に溢れる。頭には「ありがとう」という言葉しか浮かばない。きっと曲目のせいではないのだろう。生まれてこのかた彼女の2度の演奏会にしか経験すらなかったことだが、これはもう二度とやってこないのか。ピリスさん、ほんとうにありがとう。

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モーツァルト「戴冠ミサ曲」ハ長調 k.317

2017 DEC 26 1:01:16 am by 東 賢太郎

僕はこのミサがメシより好きである。クレド(Credo)にいたっては ”狂信的” に好きである。奇跡みたいなバス・パートを何百回歌ったろう、そのf#、g#、c# にいつも鳥肌がたっている。凄すぎる。キミは何者なんだ??

これを書いてるハイのモーツァルト君がイ短調ソナタ(K.310)を作った人だとは俄かには信じ難い。クレドは僕の脳みそをかき乱し、麻薬か何かみたいにハイにする。これが好きなら誰でも仲良しになれる。こんなのミサか?元気になっちまうじゃないか。おい、いえよ何があったんだ?

パリでお母さん亡くしてドツボだった。それなのに就活は不発、くたびれ損で散財までしちまった。ぼろぼろの負け犬だろ。そこで帰って来いと親父様の冷徹なる命令が下り、それでも一縷の望みをもってミュンヘンで道草くって熱愛するアロイジアちゃんに会いに行った。そしたら強烈なヒジテツをくらっちまうんだ。そこで泣きながら親父に手紙書いてたよな。こんなみじめな男は小説でもそうはないぜ。

そうしてとうとう大嫌いなザルツブルグに出戻ってきたのが1月15日だ。真っ暗だ。ところがミサができたのは3月23日だ。おい、2か月でどうしてこんなに元気なんだ?

 

わかってるさ。最愛のいとこ、ベーズレちゃんだ。この娘がよみがえらせたんだ。いとこちゃんをキミはミュンヘンに呼びよせていた。女神がいたからヒジテツをのりこえたんだ。そして彼女はザルツブルグにまでついて来てくれたんだ、心強かったろう!そしてこの神みたいなミサ曲が生まれたんだ。

 

 

息子たちが破棄してくれと望んだ恥ずかしいベーズレ書簡にそのいきさつが書いてあるのだ。それなのにコンスタンツェは破棄しなかった。なぜあえて後世に残したのだろう?しかし、よく考えてみよう、妻はもっといやだろうと思うのは日本人的な感覚かもしれない。まだ16歳だったコンスタンツェは嫉妬する立場にはなかっただろう。むしろ、書簡を残せば傷つくのは女性であるベーズレの方なのだ。それをしたのは何か理由があるのではないか?

ベーズレは結婚しなかった。だから守るものがないとは言えないが、得るものの方が大きいと考えたのではないか。夫の突然の死後、遺品を整理したコンスタンツェは悟ったのではないか。姉のアロイジアは歌曲を、自分はハ短調ミサを与えられた。ベーズレは何もない。ふったわけでもなく結婚したわけでもなく、でも人生の最大の難局を彼女のおかげでモーツァルトは乗りきって、次の一歩を踏み出した。それを手に入れたのは自分だったのだから。

フランツ・クサーヴァー・リヒター

このミサ曲が戴冠式と呼ばれるのは根拠が薄弱だ。僕は異論がある。モーツァルトはパリからの帰路にストラスブルグに寄った。「もし枢機卿が(僕がついたとき重病でしたが)亡くなっていたら、良い職が得られたかもしれませんね。なにしろ大聖堂の教会楽長リヒター氏は78歳ですから」(1778年10月26日)と父に書いた手紙の最後に「先週の日曜日、大聖堂で、リヒター氏の新しいミサ曲を聴きました。それは魅力的に書けていました」と記した。

モーツァルトが他人の作品をほめた例はきわめて少ない。そして「ストラスブルグはほとんど僕なしではすまない有様です(中略)みんなが僕を知っています」(同)とも書く。ここまでほめた街は他にプラハだけである。気があるのだ。魅力的なリヒターの曲をわかる聴衆がいるなら僕の曲も理解されるだろう。そして僕はもう有名なんだ。ワインを一日20本も飲んでるリヒターはそのうちくたばるだろう、後任になればどんなに喜ばれるかと父にほのめかしている。彼特有の大掛かりな希望的観測ではあるが、運良くそうなっても反対されないよう布石を打っているようにも見える。そして、僕は確信するが、その希望をもってミサを書こうと決めたのだ。

モーツァルトが聴いたというリヒター氏(フランツ・クサーヴァー・リヒター、1709–1789)のミサ曲は音源が見当たらずどれかわからないが、そのレクイエム変ホ長調を聴いてレベルの高さに驚いた。

このキリエを新しく楽譜が出てきたモーツァルトの作と言われてもわからないかもしれない。付点リズムはK.317のアニュス・デイの終結だ。ナポリ6度をはじめ和声法がそっくりである。彼がミヒャエル・ハイドンとともに、マンハイム楽派の重鎮であったリヒターの教会音楽を研究した可能性はあるのではないか。

K.317が書かれたのが1779年3月23日であることにご注目いただきたい。戴冠式は6月だ。彼の作曲の仕方からいって、6月下旬に演奏される曲を3ヵ月も前に書きあげておくことは考えられない。そうではない。これが書かれた真の理由は上記の手紙に重病だと書いてある枢機卿コンスタンティーヌ・ ド・ロアン(Louis César Constantin de Rohan)が3月11日に亡くなったことというのが僕の説だ。手紙にあるとおり「良い職が得られたかもしれませんね」とモーツァルトが思わない理由がどこにあろう。

ベーズレがザルツブルグを去ってアウグスブルグに帰ったのは5月初めである。彼女の滞在中に書かれた唯一にして最大の力作がK.317なのだ。彼女は何か役目を負っていたのではないか?翌年の5月にベーズレに「ベームの一座はもう行ってしまいましたか?(中略)今度はウルムに行くんですね?ああ、たしかなところを知らせてください」(5月10日書簡)とベーズレ書簡にしては珍しくまじめに書いている。

この手紙のふざけた意味深長な部分で「あなたの見え、かつ見えざる魅惑的美しさ」(visibilia und invisibilia)と書いているが、これはなんとミサ通常文のクレド(!)の一節である。つまりK.317の「歌詞」なのだ。これがベーズレに和歌の縁語のように通じたということは、このミサにふたりが思い出す何かがあるのだ。ピアノを弾いてふたりで歌ったりした情景すら浮かんでくる。ベームは彼の親しい歌芝居の芸人一座だ。アウグスブルグからウルムに向かう?するとそのすぐ先にあるのはストラスブルグではないか!彼はベーズレかベームに楽譜を託していたかもしれない。K.317は後任のストラスブルグ枢機卿に見せようと書かれたのだ。

イグナツ・プレイエル

K.317はリヒターの手に渡ったのだろうか?その記録はないが、モーツァルトにツキがなかったのはリヒターが大酒を飲みながらも1789年まで長生きしたことだ。彼はモーツァルト父子を知っていたが好きでなかったんだろう、アシスタントにはハイドンの弟子だったイグナツ・プレイエル(1757 – 1831)を指名し、リヒターの死後は後継者となった。ハイドンもモーツァルト君はどうだとは言わず、またも彼はふられたのだ。K.317をリヒターが見聴きしなかったのだろうか?そうかもしれないが、仮にしたとしてもどうだろう。彼が発した言葉はーキミは何者なんだ??-だったという気がしてしまう。先生、すばらしい曲ですね、でも僕はもっといいのが書けますよ。後にハイドン先生にも同じことを弦楽四重奏曲(ハイドンセット)と三大交響曲でやることになるモーツァルトだ。ヨイショもソンタクもできない、サラリーマンには向いてない奴なのである。

その後イグナツ・プレイエルはフランス革命の余波で教会での公演が公の演奏会と同様に廃止されたことからロンドンへ渡りヴィルヘルム・クラマー(Wilhelm Cramer)が組織する「プロフェッショナル・コンサート(Professional Concerts)」を率いた。すると、そこでザロモンに招聘されて「ロンドンセット」の交響曲12曲を書くことになる師匠のハイドンとライバルの位置づけになってしまうのであった。しかし彼は如才ない。「才能は半分でいいからもう少しうまく立ち回ってくれれば」とパリで周囲が嘆いたモーツァルトとはちがいプレイエルは師と友好関係を保って成功し、ハイドン同様に巨万の富を得てストラスブルグに帰った。そこで豪邸どころかお城を買ってしまったほどのお金を英国で得たのだ。さらにパリに出てピアノ製作会社まで起業する。それがショパンに愛されることになり、ドビッシー、ラヴェルやコルトーも弾いたプレイエル・ピアノの祖になるのである。

今年5月7日のライブ・イマジン演奏会のプログラムに「もしモーツァルトがロンドンに行ったら」というテーマで拙文をのせた。ロンドン中がフィガロを口笛で吹き、三大交響曲が大当たりしてビリオネアになったモーツァルトが脳裏に浮かぶからだ。彼ならストラスブルグでお城の主になり、ピアノ会社設立どころかパリオペラ座ぐらい買収してただろう。ハイドンさん、リヒターさん、どうして彼じゃないの?どうしてプレイエルだったの?

やっぱりーキミは何者なんだ??-ということか。上司やライバルをビビらせすぎたらいかんのだ。K.317の凄さはプロほどわかる。あのサリエリがフランツ2世の戴冠式(フランクフルト)でそれを指揮しているのが証拠だ。まあ1792年だからモーツァルトが死んだ後だが。これも理由の一部として「戴冠式」なんて名前がついてしまったのだから、根拠はまったく薄弱なのだ。

いとこちゃん、ベーズレことマリア・アンナ・テクラ・モーツァルト(Maria Anna Thekla Mozart、1758 –1841) は レオポルド・モーツァルトの弟の娘だ。その後1781年にアウグルブルグで再会したきり、ふたりが会うことはなかった。その3年後、教会の司祭の私生児を生んだ彼女は結婚することなく一生をバイロイトですごし、モーツァルトより50年長く生きてそこで亡くなった。

コンスタンツェは書簡を破棄せずに残すことで何を彼女にあげたかったのだろう?もし破棄されたら1778-9年のミュンヘン、ザルツブルグの出来事は歴史に埋もれていた。でも彼女のバイロイトの家にはモーツァルトが1778年にマンハイムから送ったポートレートが飾られていたのだ。そ・れ・な・ら・ば・だ、全部が明るみに出たって残してあげよう、だってそれでもう一つ大事なことが後世に明らかになるじゃないの。K.317は彼女のおかげで出来た、つまりこれは戴冠式ミサではない、ベーズレ・ミサなのだということが。

 

「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

 

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モーツァルト ピアノ・ソナタイ短調の名演

2017 DEC 5 0:00:26 am by 東 賢太郎

異形のソナタである。普通の美演が面白いはずはなく、ピアニストのテンペラメントが問われる。聴き手が求めるものとそれが合致した場合にうける感動の質はモーツァルトの曲の中でも特別のものと思う。巷で評価の高い録音というとご参考までにディヌ・リパッティ(スタジオとライブ)、フリードリヒ・グルダ、内田光子、マリア・ジョアオ・ピリスは挙げねばならないものであり一度は聴くことをお薦めしたいが、いかんせん、僕自身がk.310に求めるものは希薄である。

大ピアニストがモーツァルトのソナタをあまり弾いていないのは昔から指摘されることで不思議な現象だが、19世紀のヴィルトゥオーゾ時代に満場をうならせるコンサートピースになれなかったのは事実だろう。それはモーツァルトが「馬鹿なフランス人」と呼んだ種類の聴衆がパリ以外にも国際的に増殖したということであって、彼が長生きしなかったことの唯一の幸運かもしれないと思う。

その現象を「モーツァルトは技巧的に難しくないから」と言うのは間違いである。ベートーベンはミスを許してくれるがモーツァルトはそうでない。ご自分でK.310の譜面をさらってみればすぐ、これは難しいというか弾きにくく、素人が正しいテンポでノーミスで走破するのは無理ということぐらいは誰でもわかる。技巧的に難しくないなど勘違いも甚だしく、一流のプロでも緊張を伴い、そんなリスクを取るならできれば弾きたくないことと想像する。

それなのに聴き手は「普通の美演が面白いはずはなく」などと勝手なことを求める。モーツァルトでうるさいファンを黙らせるハードルは極めて高く、モーツァルトだけのピアノ演奏会となると僕などむしろ奏者にチャレンジされるようにすら感じる。「技巧的に難しい割に満足してもらえない」、つまり「コスパが悪い」が正解だろう。ショパンが弾く側に需要が高いのは、難しく聞こえて演奏効果が上がる割に弾きやすい、つまりコスパがいいことも一因だと思料する。ラフマニノフはさらにそうだが、奏者が懸命に格闘してそれなりに結果が出ると拍手は最大になるのだ。

僕もそうだが、そういうくだらない似非ヒーロー物語やご苦労さんの心優しい喝采が心の底からアホらしいグールドのような真の名手は、馬鹿な聴衆に媚びを売る気はさらさらなく、だからそういうものは弾かないのだろう。ちなみに彼もK.310を録音しており僕には理解不能の解釈をしているが、趣味の違いは百歩譲って、彼がこの曲とピアノ協奏曲第24番を愛奏していた事実は高く評価している。彼はモーツァルトが心の底から求めていた聴衆でもあるのだ。

 

エミール・ギレリス(pf)(ザルツブルグ音楽祭、1971年8月6日ライブ)

揺るがぬ遅めのテンポと深く彫琢されたアーティキュレーションの第1楽章マエストーソはまさに素晴らしい。展開部の嵐の部分で書かれた、モーツァルトには珍しいffとppの強弱対比にこれほど神経を配った演奏もない。第2楽章もテンポが崩れない。不変の時間感覚の中で遊ぶ装飾音と時折のルバートはまことに高貴だ。第3楽章は速くせずpの軽いタッチで始め狂乱には至らない。中間部はペダルを生かして対比を作る。異界には踏みこまず古典派の節度を保った演奏だがその路線での一級品。ベートーベン、ブラームス向きの鋼鉄のピアニストというレッテルだったギレリスだが、彼のモーツァルトはどれも見事である。

 

リリー・クラウス(pf)

クラウスの魅力はテンポの伸縮、強弱、フレージングの即興の妙で、自由奔放かというと、モーツァルトもそう弾いたかもしれないと思わされてしまう不思議な愉悦感とオーセンティシティを感じるところだ。だからppがだれることなく悲しみを湛え、耳を惹きつける磁力があるのだ。モントゥーとやったピアノ協奏曲12番に書いたことがそっくり当てはまる。これだけ歌う表現はほかに聴いたことがない。クラウスが「コスパの良い作品」を男勝りにバリバリ弾くことはなかったが、それは大方のプロならやればできることであり、大方のプロができずに敬遠したモーツァルトのソナタでいまだにオンリー・ワンの地位を失っていないのは驚くべきことだ。

 

ジョルジュ・シフラ(pf)

モーツァルトが奏者の技巧を透かし彫りにする良い例だ。リストの超絶技巧練習曲で鳴らしたシフラはコスパの人ではない。超絶技巧を弾いて超絶技巧にきこえない、野球の名野手が難しい打球を軽々と処理するとファインプレーに見えないというクオリティの、真の名手である。自在な指のコントロールは正確無比で清潔なアーティキュレーション、対位法の彫琢、理想的な和音のバランスで真珠のように働く。第2楽章のフレージングもまことに純正、古典派の流儀を脱することなくソプラノパートの歌わせ方は卓抜である。やや速めの第3楽章は彼のショパンに通じる。クラシック通の人ほどシフラのモーツァルトときけば敬遠だろうが、僕はもっとモーツァルトを残して欲しかったと心から思う。

 

ナディア・ライゼンベルク(pf)

1947年のライブ録音。軽めのタッチだが弱音に配慮があり、虹色に変化する美しさだ。かえがたい気品に包まれ異形の気味悪さは後退するが、第2楽章はロマンティックでありシューベルトの後期にある暗い深みを湛える。終楽章中間部の流れるフレージングの優しさはこの部分が何かを示しているようで、表面だけきれいに取り繕った演奏とは一線を画する。何度も聴きたくなる不思議な魅力ある名演で、こういうのをライブでやってしまう人の能力には敬服するしかない。

 

ウィルヘルム・ケンプ(pf)

僕はケンプのベートーベンをあまり評価しないがモーツァルトは好きだ。第1楽章のテンポの素晴らしさ!音楽が血肉となっており自発的なパルスとしてあふれ出ているが、本物の推進力とはこういうものだ。第2楽章の歌は古典派の格調を逸脱しないが、鉄槌の短2度は控えることなく苛烈であるなど表現のレンジは広く、K.310の要求を満たしている。第3楽章はやや遅めで音楽を解きほぐすが、僕はモーツァルトが悲しみに狂った感じがもっと欲しい。このテンポの方がソナタの起承転結はつくが、ドイツ人の形式観だろうか。

 

アンソニー・ニューマン(Fortepiano)

クレメンティ社1805年製のフォルテピアノによる演奏。冒頭から噴出するエネルギーはピアノだとうるさくなるが、楽譜はfとあるからこれは参考になる。マンハイムで強弱ペダル付きのシュタイン製のハンマーフリューゲルに出会ったことでk.310第1楽章はffとppの対比、管弦楽のダイナミックスを念頭に置いた曲作りになっているように思う。第2楽章の装飾音はこの楽器だと自然でピアノで弾くと重くなる音型の本来の優美さがよくわかる。第3楽章の神経をかき乱すブルレスケは当時として前衛的ですらあったろう。

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モーツァルト ピアノ・ソナタ イ短調 K.310

2017 DEC 3 23:23:11 pm by 東 賢太郎

N響/デュトワでラヴェルを聴く。スペイン狂詩曲が圧倒的に良かった。ピエール・ロラン・エマール の左手も楽しんだ。ラヴェルにいま思うことは、42才でお母さんを亡くしておかしくなったことだ。作曲のペースは大幅に減衰して、それから20年生きるが小品を入れても計14曲しか完成できなかった。悲しみ、喪失感という言葉で片付けられることではない。ただ、彼の場合それが作品に現れることはなかった。

モーツァルトの母マリーア・アンナの死は旅先のパリで突然訪れた。「私もウォルフガングもおかげさまで元気です」と夫レオポルドに宛てた6月12日付けの手紙が我々の知る最後の声で、2週間病気と戦い、7月3日夜10時21分に世を去った。モーツァルトは平静を装う手紙で母の死を父に伝えるが、内実はどれだけの衝撃だったことか。名曲ぞろいであるK.310からK.333のピアノソナタ5曲が「パリ・ソナタ」と括られ、6月18日のコンセール・スピリチュエルの演奏会で初演されたパリ交響曲にその陰がないことも一因となって、長らく世間では「モーツァルトは絶望の悲しみから明るい作品を作った」と解釈され、そのような人物像が形成されてきた。しかしそれはちがう。アラン・タイソンのX線解析等により5曲のうちの4曲は1783年以降、ザルツブルグまたはウィーンでの作という説が有力になったが、イ短調ピアノ・ソナタ K.310は唯一その時の作品であり、モーツァルトの慟哭が刻印されているからである。

22才ともはや神童ではない彼がパリでピアノ・ソナタを委嘱されたり披露の場を与えられた形跡はない。あくまで大人の作曲家として、職を得るための商品としてパリの貴族の口に合う意匠の限りを尽くしたのがパリ交響曲であることを考えると、暗さ、恐怖、叫びに満ちた楽想を持つK.310はおよそ大衆の人気を博す商品とは言い難いのである。

「小オペラを書いてもわずかしかもらえません。もしそれが不運にもあの馬鹿なフランス人どもに気に入られなかったら、一巻の終わりです」(7月30日、父への書簡)

そんな作品がその街で書かれ、自筆譜にひっそりと「1778年、パリ」と記された。聴けば聴くほど衝撃を与える「音楽上の事件」が音符で書きこまれたこの作品が母へのレクイエムでなくて何だろう?

 

第1楽章 Allegro maestoso

冒頭に付された装飾音d#(根音aのトライトーン)がこのソナタに含まれる尋常ならぬ不穏さを予感させる(リリー・クラウスはこのd#を引き伸ばして強調している)。第2小節のa-g#の長7度は秘匿された軋みだ。

彼がハ長調、変ホ長調で愛用する行進曲のリズムとマエストーソの表示が短調で現れることも異質に響く。展開部(3分6秒)はこれがハ長調になり、それがこの曲の元の着想だったと思うほど自然だが、そのリズムによるこの地獄の嵐の如きパッセージが続くのだ(3分21秒)。長7度を転回した短2度が軋み、不吉で不気味である。

提示部ではハ長調だった第2主題(43秒~)が再現部では反転してイ短調になる(第104小節、4分50秒)。すると交響曲第40番終楽章が伴奏の左手に現れどきっとする。

 

第2楽章 Andante cantabile con espressione

K.332の第2楽章と近親関係にあるのは両者を弾いてみるとわかる。しかしK.332で深々と描かれる天国の情景は、K.310ではハ長調ーハ短調と推移する部分に続くこの恐るべき運命の鉄槌と叫び声で分断される(3分10秒~)。鬼の異界から冒頭の平安に回帰するp、ppの部分はパミーナのアリア(魔笛、 “Ach,ich fühl’s”)を予感させる。何というものがモーツァルトに降ってきたんだろう。

この衝撃的な部分なくしてベートーベンはエロイカ第2楽章のこの楽節を書けなかったのではないだろうか(下のビデオ、8分53秒~9分10秒)。

 

第3楽章 Presto

マエストーソのソナタ形式であった第1楽章とはあまりに非対称な楽章だ。ロンド形式であっという間に過ぎ去ってしまう悪魔のブルレスケはショパンの2番のソナタの終楽章さえ思わせる。熱にうかされて狂ったような短調、長調の逡巡ともつれ、これほど錯綜、分裂したモーツァルトは他に聴くことがない。ベートーベンの悲愴(やはり8番目のピアノソナタ)の第3楽章、熱病のようなショパンのソナタ3番の終楽章に正当な血脈を継いでいると感じられないだろうか。

私見だが、K.310は明朗で屈託ないK.309の続編としてマンハイムで第1,2楽章が構想されていたのではないか(書法が管弦楽的だ)。それもハ長調の曲としてだ。母の死に叩きのめされたモーツァルトに聞こえてきたのが短2度が支配する地獄の嵐と運命の鉄槌だった。全曲は短調に反転し、新たに書き加えた第3楽章は死神の音楽となった。

そこに、泥沼の蓮の花のように白く浮かぶ、心を優しく慰撫してくれるような中間部がやってくる(1分21秒)。しかし、ちらっと姿を見せる花の正体が何か僕にはしばらくわからなかった。やがて、そこにどこからともなくフルートの音が脳裏で重なってくると、ある瞬間、それが「フルートとハープのための協奏曲」(K.299)の第3楽章だと気がついたのだ。そして、涙がこぼれてきた。

 

「ヴォルフガングは仕事をたくさん抱えています…ある公爵の為に協奏曲を2つ書かなければなりません。フルートの為と、ハープの為にです。」(4月5日、パリ到着後、母アンナ・マリーア・モーツァルトがレオポルドに充てた書簡)

 

 

 

 

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モーツァルト 「 キリエ  ハ長調 K.323」

2017 AUG 24 22:22:58 pm by 東 賢太郎

モーツァルトの最高傑作のジャンルが何かという問いはあまり意味がないだろう。彼が手を付けたが傑作は残さなかったというジャンルはないからだ。彼も人の子であり、創作のモチベーションが高い所に傑作が生まれるという法則から完全に自由だったわけではないが、やっつけ仕事ではあっても駄作を生んで済ますことのできる性格ではなかったとも思う。

我が国において宗教曲というジャンルは難儀だ。J.S.バッハのマタイ受難曲やロ短調ミサ曲が名曲であることは何人たりとも認めるしかないが、ではその根拠はと問われると説明に窮する。それらがキリスト教の葬儀や典礼の音楽だからだ。逆にキリスト教徒が仏教の典礼に参列して読経を聴き感動したと言って、我々がどこまでその人の言葉にシリアスに向き合うかということを考えればわかる。文化に国境はないだろうが、宗教が介在すると別な境界が出てくるのである。

その境界は西洋音楽の歴史にも内在している。音楽そのものが宗教とは別個に人間に与える生理的な快感として認知され、教会という宗教スペースから外界に出て独立し世俗化していく起点をかなり遅めのJ.S.バッハ(バロック期)としても、音楽が民衆のものとなる起点であるベートーベンの時代に至るまでは100余年を要しているからだ。

古来より民衆の間に娯楽として存在した歌、俗謡、シャンソンなどが権威づけを補完する道具として宗教に取り込まれ、当初は単旋律であった(例えばグレゴリオ聖歌)が教会という空間に放り込まれると物理現象としての和声、ポリフォニーが知覚され、理論化されていったのである。和声、ポリフォニーの喜びが民衆(といってもまずは貴族だが)に認知されて外界へ出たところに我々が呼ぶクラシック音楽というものが形成された、というのが我々の教わる音楽史である。

この考えが誤りであることは石井宏氏が著書「反音楽史(さらばベートーヴェン)」で鋭く看破されている。音楽後進国であったドイツはオペラ、声楽などでイタリア音楽を受容したが、イタリア音楽はギリシャ悲劇を再現して音楽を付けた劇(オペラ)とともに発展し、イタリアの教会音楽の音楽家はイタリア人でなく多くがフランドル、ブルゴーニュの出身者だった。バロック時代に教会が音楽理論化への「培養器」として機能したのはドイツであったが、それが音楽史の起点であるかのようにバッハを「音楽の父」と讃えてしまうのはルネッサンス以降のイタリアの歌の興隆を歴史から消そうと試みるものだ。バッハはプロテスタントの一派であるルター派の信者だが、あたかも音楽においてもプロテスタントがカソリックを否定しに行ったとさえ感じられる。

カソリックであったモーツァルトがバッハを知ったのはウィーンに出てからだったのはそんな時代背景があるからだ。ウィーンもザルツブルグもカソリック、イコール、イタリア音楽であり、モーツァルトが初めてウィーン訪問した時の宮廷楽長ジュゼッペ・ボンノの本名はヨーゼフ・ボンだった(上掲書)。オーストリア人のボンはイタリアに留学した。うだつのあがらないドイツ人を捨てるために名前をイタリア風にして「イタリア男」として戻ってきてポストを得ることに成功したのだ。そんなウィーンでオーストリア人のモーツァルトに地位を脅かされるとは考えてもいなかったろうサリエリがリスクを冒して暗殺を試みるというプロットは小説としても奇なり過ぎる。

ザルツブルグのモーツァルトの宗教音楽がいまひとつ評価の高くない地位にあるのは、田舎者のモーツァルトが大司教(地方都市のカソリック教会権威の代表)のサラリーマンとして不承不承に書かされたというイメージが定着しているせいもあるだろう。それが嫌でウィーンに飛びだしたのだからモチベーションが低かったのは事実だろうが、実はモーツァルトにおける宗教音楽は僕の最も好きなジャンルの一つなのだ。それもウィーン時代に書かれたハ短調ミサ、レクイエムといった有名曲だけでないザルツブルグ時代の10-20代の作品においてもだ。

声楽アンサンブルは無上の喜びであってオペラもアリアより合唱、重唱の部分が好きだ。もちろんJ.S.バッハやヘンデルのポリフォニックな声楽曲は何でも聴くが、モーツァルトのそれは対位法の精度は高くないものの後年の作品群に投影、結実されていく語法の萌芽が明確にあって興味が尽きない。むしろモーツァルト好きがこれを聴いて喜ばないならモグリだろうという音楽がぎっしり詰まっているのである。

私事だがこの趣味は、ビートルズから来たものだと思っている。若いころあれだけ聴いたものが残ってないはずはない。声楽(3声、4声)で生み出す純正調のハーモニーの快感は忘れがたく、カーペンターズを経て和製ポップス(荒井由実、ハイ・ファイ・セットetc)まで同じものを見出した。その好みがモーツァルトのミサ曲で「共鳴」したと書いたら奇異だろうか。自然にそう思えるのは、ロンドンやチューリッヒやウィーンで教会に入り浸ってみて、そこに生まれてれば讃美歌で入門してたと感じた、そのかわりがレノン・マッカートニーのハモリだったというだけだからだ。

宗教曲は少なくとも西洋音楽のドイツにおける進化のルーツとは言えるのであって、ドイツ音楽を楽しむ人間がここを鑑賞の本丸とすることはまったくもって正道である。仏教徒が聴いてわかるのかという疑念は、キリスト様の血と肉であるワインとパンを毎日おいしくいただいている我々には不要だろう。ましてロックから近寄ってしまった僕にとって、教会とは最高の残響とアコースティックを提供してくれるコンサートホールに思えないでもない。

余談だが西洋音楽のドイツにおける進化のルーツをJ.S.バッハの教会音楽に置いたのがシューマンとブラームスだ。だから彼らは保守本流意識があり、ワーグナー、ブルックナーと対立したのだ。ブラームスは4番のパッサカリアにバッハを引用した。

ベートーベン ピアノソナタ第29番変ロ長調「ハンマークラヴィール」 作品106

シューマンの3番は第4楽章が「教会の中」、第5楽章が「そこを出た喜び」という構図で解釈でき、その証拠に第4楽章にバッハの平均律第一巻ロ短調の引用がある。「ライン交響曲はルソーの自然回帰への賛歌という側面があり」と書いたが

シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第4楽章)

本稿のコンテクストから述べるなら、「教会という培養器を出た音楽が人間の喜びを表す様を主題とした音楽」「ロマン派の開花に至る来歴を刻印した音楽」がライン交響曲だということもできよう。

モーツァルトの宗教曲には超ド級が多くあるが、まず衝撃を受けたのはこれだった。キリエ  ハ長調 K.323である。レネ・レイボヴィッツがウィーン国立歌劇場のオケと合唱を指揮した演奏に脳天を直撃され、何度聴いても耳がダンボ状態のまま釘づけになってしまう。そのCDを自分でアップしたので、ぜひ皆さんも味わっていただきたい。4曲入ってるが、第1曲がそのK.323だ。

この曲は出自が不明でスコアは未完であるためにK.Anh.15/323 とされ、死後に友人の音楽家マクシミリアン・シュタードラーが完成させている。このCDではRegina Coeli K.Ahn118 と誤ってクレジットされているがそんな曲はなく、1879年の Breitkopf & Härtelのスコアを見れば同一の曲であるのは明白である(ご興味ある方はPetrucciにあるのでご自身で確認していただきたい)。

ついでに第3曲 テ・デウム  K.141 の終結部の素晴らしいフーガもお聞きいただきたい。ジュピターのそれが素晴らしいだの奇跡だのと騒ぐのが的外れに思えてきて白けてしまう13歳の少年のこの腕前は何なのだろう?K.141はミヒャエル・ハイドンの作品をモデルに書いた譜面を父レオポルドが添削したと言われるが、そうではあってもこれが習作に聞こえることは一切ない。

キリエ  ハ長調 K.323は母を亡くしたパリ旅行からザルツブルグに戻ったころ(1779年)の作品と信じられてきた。そこには同じほど完成度の高い戴冠式ミサがあるのだから不思議ではないが、楽譜のX線による年代測定をしたA・タイソンの研究によるとK.323は1787年に使われた五線紙に書かれており、86年12月から89年にかけて書かれたことになる。となると、これをお読みいただいた方は「あの頃」の音楽であることがお分かりになると思う。

「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

父に断られて念願のロンドン行きを断念し、持っていくつもりだった交響曲は「プラハ」になってしまったあのころだ。父が亡くなり、ドン・ジョバンニを書いた。そして翌88年に戦争となってオペラ需要は激減し、忽然と「三大交響曲」が出現するのである。そのあたりでモーツァルトの脳に降ってきたK.323が凡俗の脳天を直撃したとしても宜(むべ)なる哉だ。

彼がグルックの死で空席となったウィーン宮廷作曲家の職を得たのは1787年12月のことであるが、報酬はきわめて低く、そのうえ仕事は毎年冬期間の舞踏会用のつまらないダンス音楽の作曲だった。タイソン説が現れると「87年以降に教会での定職を得ようとして宗教音楽の作曲を試みていた」と考えられるようになったのはごく自然なことと思われるが、それにしてもウィーン宮廷はイタリアかぶればかりだったのか、彼をいじめたかったのか、嫉妬するなど人品骨柄レベルが低かったのか。

こういう細かい事実の検証が常にモーツァルトの人生は不幸であったというベクトルに収束してまう。彼に対するぞんざい極まる扱いと、音楽のクオリティの異常な高さのギャップは人間というものの不条理を後世が学ぶ良い題材だが、そこに数々の都市伝説が生まれてしまうのは別の意味でまた不条理を教えてくれる。

 

モーツァルト都市伝説

 

 

 

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「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

2017 AUG 15 23:23:29 pm by 東 賢太郎

去る5月7日、午後2時より豊洲シビックセンターにて行われたライヴ・イマジン祝祭管弦楽団第3回演奏会「さよなら モーツァルト君」のプログラム・ノートを公開させていただきます。あれから3か月あまりたち、当日来場できなかった友人にこれを差し上げてますが、クラシック好きとはいえ自称?でありまじめに読んでるかどうかあやしい。それならもっとお詳しいであろうブログ読者のお目にかけたほうがいいと思った次第です(クリック3回で拡大できます)。

本演奏会は評判が良かったようです。動画会社NEXUSのスタッフ3名が完全収録しておりますのでyoutubeへのアップロードも考えられましたが、奏者全員のご許可は得られなかったということで断念しました。僕のトークとピアノはこれが最初で最後なので動画は保存してもらいます(見ませんが)。

 

 

 

プログラム・ノート没の原稿

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

モーツァルトに関わると妙なことが起きる

クラシック徒然草-モーツァルトの3大交響曲はなぜ書かれたか?-

モーツァルトの父親であるということ

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

クラシック徒然草―ジュピター第2楽章―

 

 

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モーツァルトに関わると妙なことが起きる

2017 MAY 14 1:01:53 am by 東 賢太郎

 

仕事柄スピーチというのは何十回もやりましたし、二十ぐらいの大学で金融・証券の90分講義もしています。僕はいかなる場合も原稿は書かない主義なので、今回も、音楽のレクチャーは初めてでしたがやっぱり流儀は変えずアドリブでした。同じのをもう一度やれと言われても無理ですし、話した中身も順番もすでにけっこう忘れてます。

ではどうやって話を進めるかというと、忘れてもいいようにテーマに添った話題を多めに用意しておいて、あとはその場でお客さんの反応を感じながらの即興です。客席のレスポンスというのは如実に肌で感じるのですが今回はお陰様でポジティブで素晴らしく、あれなら2時間でも3時間でも本当にいけたでしょう。

実はこれをお引き受けするにあたってはホールのピアノがファツィオリというのも効きました。されど本番で大ホールで自分で弾くなどという蛮勇は当初はなく、楽譜だけ用意してピアニストの吉田さんにお願いしようと思っていたのです。そうは問屋が卸さず自助努力でとなってしまい、やめときゃ良かったと後悔しましたがもう遅かったのです。

僕はモーツァルトに関わるとどうも妙なことが起きており、2005年のウィーンでの奇異な体験はコンサートの打ち上げディナーでオケの皆さんにはご披露しましたが、誰も信じない本当の話です(まだブログにはしてません)。今回も嫌な予感がしたのですが、やはり本番でハプニングが起きてしまいました。

ジュピターを弾いている最中です。譜面台にあったハイドンの楽譜が空調?の風で吹き飛んで、鍵盤の上に1枚だけはらはらと落ちてきました。それがなんと、弾いている両手の上に風圧でピタッと貼り付いてしまったのです。手が見えない!下に落ちる気配もない! パニックでした。

右手で振り払って床に落っことし、ジュピターは暗譜してたのでなんとかなりましたがもう完全に動揺してました。次のPC25番は暗譜しておらず、譜面が飛んだらアウトです。飛ぶなよ飛ぶなよと祈って弾いたら間違えました。子供の頃モーツァルトはハンカチで両手を隠して弾くのが十八番でした。どうも僕はモーツァルトに関わると妙なことが起きるのです。

譜面が落っこちてます

 

5月7日のコンサートのお知らせ

ファツィオリ体験記

 

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

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モーツァルトはポール・マッカートニーである

2017 APR 26 1:01:14 am by 東 賢太郎

某人気企業に内定したという人と話してたら、「モーツァルトはきいてみたいけどクラシックコンサートはちょっと・・・」といいます。「そんなこと言わないで、5月7日に豊洲でジュピターやるからどう?」とおさそいすると、「ジュピターなら知ってます」だ。「それならあなた、ちょっと努力すればザルツブルグ音楽祭で堂々とお姫様できるよ」と申し上げるとホントですかと目が輝く。

「ホントだよ。そういうのはね、やったもん勝ちなの、どうしてワタシが ? なんて言ってると一生そういうワタシで終わります。敷居が高いなんて思ったら損。だってモーツァルトは当時の売れっ子シンガーソングライターで、言ってみればポール・マッカートニーなんだ。ポップスに敷居ないでしょ」。

かように「クラシック=お堅い、音学、音が苦」のイメージは日本人の間に根強いのです。僕自身、音楽の教科書で面白いと思った曲は一つもなく、そんなのをさも「美しげ」に全員で歌わなくてはいけないあれはファシズムでした。「美しい」ってのは個人的な繊細な感情であって、ぜんぜんそう思わないものを賛美されてもカルト教団にしか見えなかったのです。

いっぽうで音大生の子と話すともう見事に自分の楽器のことしか知らない。政治経済など世事に関わる知識の欠如は百歩譲るとして、他の楽器のコンチェルトや交響曲もほとんど興味ない。パソコン教室の生徒とはいわないがそっちもカルト教団化してますね。カルト同志でやってればクラシック人口なんて増えるはずもないのです。

「モーツァルトを聞くとIQが高くなる」「牛の乳が出たり植物が育ったりもする」なんて真面目に信じられるのはカルトの秘儀で誰もわかってないからこそ。そういえば小学校のころビートルズは「不良の曲で聞くと頭が悪くなる」なんて声があったしどっちもどっちだ。僕には「朝だ元気で」より「Good Morning,Good Morning」のほうがいい曲でしたが。

「父はビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を毎晩聴き、ポール・マッカートニーさんにファンレターを書いていました」と語ったのはお堅いクラシックで我が国を代表する作曲家であられる武満徹の娘、真樹さんです。

すごいことですね、僕もポールの大ファンですがさすがにファンレターは負けます。その代りジュピターの第2楽章をピアノで弾いて、ここのところですね、

(譜例1)

A7、D7、G7、C7、F なんてコード進行、セブンスが4つも続いちゃってすごい! ぶっ飛んでる。それも A から F なんてサージェント・ペパーズとかルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンドじゃないかなんてひとり悦にいってます。

この直前の和音は C ですから、のちにベートーベンのトレードマークとされる3度の転調が直感であっけなく書かれてるし3拍子を3+3でなく2+2+2のへミオラにしてる。だからお堅いクラシック正統派路線でも「和声とリズムの迷宮に誘い込む」なんて真面目な人が書いててもよさそうなんですが、こういうことでモーツァルトが天才だという論評は見たことがありません。

我々はいろんな音楽を(それこそビートルズを)聞いてるのでそのプログレッションに不感症になってますが、当時は聞きなれなかったでしょう。だからこそハイドンは交響曲第98番で追悼としてここの目立つコード進行をコピーしたのだと思います。

しかし、それに続くここですね、2小節目までフルートも忠実にコピーしてますが3小節目(f のところ)になるともう絶句ものだったのか、してません。

(譜例2)

ハイドンの辞書にこういう音はのってないのであって、彼はぎょっとしたと思います。それもそこでクレッシェンドして聞かせどころにしちゃってるぞ、物凄いやつが出てきちまったなと。嫉妬したのは彼であってサリエリではなかったかもしれません。

楽譜の部分をぜひ聴いてみてください。上のほうが2分24秒から、下が2分37秒からです。

えっ、なんでもない、普通に聞こえる?

そうなんです。その通りなんです。だからビートルズとおんなじなんです。

 

 

(ご参考)

譜例2のクレッシェンドの部分のオーケストラスコアです。最初の8分音符、フルートの入る f の8分音符の2か所で第1オーボエと第1ヴァイオリンが短2度でぶつかっており、後者ではさらに第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、および、バスとヴィオラ・第2オーボエが(別々の)長7度でぶつかっています。

後者が昔から変な音に聞こえていて、ひょっとして間違いじゃないかと気になってモーツァルトの自筆譜ファクシミリを見たのです。

間違いなわけはなかったですね。ごらんの通りで、crescendo を思いっきり書いてるわけだし。フルートだけが先に f で入ってメロディーっぽく聞かせ、裏の不協和を巧みに「隠し味」にしてるわけで、しかしながらその割にヴィオラの縦線がバスとそろってなくて、彼の音の思考回路はまことに不可思議であります。

 

(補遺、22 june17)

ライヴ・イマジン演奏会(5月8日)のレクチャーで僕がファツィオリで弾いたのが、ジュピター第2楽章の楽節(上掲、「譜例1」の前後)とハイドンによる98番第2楽章の引用部分でした。そこの和声進行と同じのがルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンドにあるんです。そっちも弾いて話はビートルズに飛ぶ予定だったのですが、舞台の袖からマネージャーさんの「お時間です」のサインが出て断念。モーツァルトとビートルズは魅力あるテーマと思います。

 

(こちらへどうぞ)

Abbey Road (アビイ・ロードB面の解題)

 

 

 

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