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モーツァルト 「 キリエ  ハ長調 K.323」

2017 AUG 24 22:22:58 pm by 東 賢太郎

モーツァルトの最高傑作のジャンルが何かという問いはあまり意味がないだろう。彼が手を付けたが傑作は残さなかったというジャンルはないからだ。彼も人の子であり、創作のモチベーションが高い所に傑作が生まれるという法則から完全に自由だったわけではないが、やっつけ仕事ではあっても駄作を生んで済ますことのできる性格ではなかったとも思う。

我が国において宗教曲というジャンルは難儀だ。J.S.バッハのマタイ受難曲やロ短調ミサ曲が名曲であることは何人たりとも認めるしかないが、ではその根拠はと問われると説明に窮する。それらがキリスト教の葬儀や典礼の音楽だからだ。逆にキリスト教徒が仏教の典礼に参列して読経を聴き感動したと言って、我々がどこまでその人の言葉にシリアスに向き合うかということを考えればわかる。文化に国境はないだろうが、宗教が介在すると別な境界が出てくるのである。

その境界は西洋音楽の歴史にも内在している。音楽そのものが宗教とは別個に人間に与える生理的な快感として認知され、教会という宗教スペースから外界に出て独立し世俗化していく起点をかなり遅めのJ.S.バッハ(バロック期)としても、音楽が民衆のものとなる起点であるベートーベンの時代に至るまでは100余年を要しているからだ。

古来より民衆の間に娯楽として存在した歌、俗謡、シャンソンなどが権威づけを補完する道具として宗教に取り込まれ、当初は単旋律であった(例えばグレゴリオ聖歌)が教会という空間に放り込まれると物理現象としての和声、ポリフォニーが知覚され、理論化されていったのである。和声、ポリフォニーの喜びが民衆(といってもまずは貴族だが)に認知されて外界へ出たところに我々が呼ぶクラシック音楽というものが形成された、というのが我々の教わる音楽史である。

この考えが誤りであることは石井宏氏が著書「反音楽史(さらばベートーヴェン)」で鋭く看破されている。音楽後進国であったドイツはオペラ、声楽などでイタリア音楽を受容したが、イタリア音楽はギリシャ悲劇を再現して音楽を付けた劇(オペラ)とともに発展し、イタリアの教会音楽の音楽家はイタリア人でなく多くがフランドル、ブルゴーニュの出身者だった。バロック時代に教会が音楽理論化への「培養器」として機能したのはドイツであったが、それが音楽史の起点であるかのようにバッハを「音楽の父」と讃えてしまうのはルネッサンス以降のイタリアの歌の興隆を歴史から消そうと試みるものだ。バッハはプロテスタントの一派であるルター派の信者だが、あたかも音楽においてもプロテスタントがカソリックを否定しに行ったとさえ感じられる。

カソリックであったモーツァルトがバッハを知ったのはウィーンに出てからだったのはそんな時代背景があるからだ。ウィーンもザルツブルグもカソリック、イコール、イタリア音楽であり、モーツァルトが初めてウィーン訪問した時の宮廷楽長ジュゼッペ・ボンノの本名はヨーゼフ・ボンだった(上掲書)。オーストリア人のボンはイタリアに留学した。うだつのあがらないドイツ人を捨てるために名前をイタリア風にして「イタリア男」として戻ってきてポストを得ることに成功したのだ。そんなウィーンでオーストリア人のモーツァルトに地位を脅かされるとは考えてもいなかったろうサリエリがリスクを冒して暗殺を試みるというプロットは小説としても奇なり過ぎる。

ザルツブルグのモーツァルトの宗教音楽がいまひとつ評価の高くない地位にあるのは、田舎者のモーツァルトが大司教(地方都市のカソリック教会権威の代表)のサラリーマンとして不承不承に書かされたというイメージが定着しているせいもあるだろう。それが嫌でウィーンに飛びだしたのだからモチベーションが低かったのは事実だろうが、実はモーツァルトにおける宗教音楽は僕の最も好きなジャンルの一つなのだ。それもウィーン時代に書かれたハ短調ミサ、レクイエムといった有名曲だけでないザルツブルグ時代の10-20代の作品においてもだ。

声楽アンサンブルは無上の喜びであってオペラもアリアより合唱、重唱の部分が好きだ。もちろんJ.S.バッハやヘンデルのポリフォニックな声楽曲は何でも聴くが、モーツァルトのそれは対位法の精度は高くないものの後年の作品群に投影、結実されていく語法の萌芽が明確にあって興味が尽きない。むしろモーツァルト好きがこれを聴いて喜ばないならモグリだろうという音楽がぎっしり詰まっているのである。

私事だがこの趣味は、ビートルズから来たものだと思っている。若いころあれだけ聴いたものが残ってないはずはない。声楽(3声、4声)で生み出す純正調のハーモニーの快感は忘れがたく、カーペンターズを経て和製ポップス(荒井由実、ハイ・ファイ・セットetc)まで同じものを見出した。その好みがモーツァルトのミサ曲で「共鳴」したと書いたら奇異だろうか。自然にそう思えるのは、ロンドンやチューリッヒやウィーンで教会に入り浸ってみて、そこに生まれてれば讃美歌で入門してたと感じた、そのかわりがレノン・マッカートニーのハモリだったというだけだからだ。

宗教曲は少なくとも西洋音楽のドイツにおける進化のルーツとは言えるのであって、ドイツ音楽を楽しむ人間がここを鑑賞の本丸とすることはまったくもって正道である。仏教徒が聴いてわかるのかという疑念は、キリスト様の血と肉であるワインとパンを毎日おいしくいただいている我々には不要だろう。ましてロックから近寄ってしまった僕にとって、教会とは最高の残響とアコースティックを提供してくれるコンサートホールに思えないでもない。

余談だが西洋音楽のドイツにおける進化のルーツをJ.S.バッハの教会音楽に置いたのがシューマンとブラームスだ。だから彼らは保守本流意識があり、ワーグナー、ブルックナーと対立したのだ。ブラームスは4番のパッサカリアにバッハを引用した。

ベートーベン ピアノソナタ第29番変ロ長調「ハンマークラヴィール」 作品106

シューマンの3番は第4楽章が「教会の中」、第5楽章が「そこを出た喜び」という構図で解釈でき、その証拠に第4楽章にバッハの平均律第一巻ロ短調の引用がある。「ライン交響曲はルソーの自然回帰への賛歌という側面があり」と書いたが

シューマン交響曲第3番変ホ長調作品97「ライン」(第4楽章)

本稿のコンテクストから述べるなら、「教会という培養器を出た音楽が人間の喜びを表す様を主題とした音楽」「ロマン派の開花に至る来歴を刻印した音楽」がライン交響曲だということもできよう。

モーツァルトの宗教曲には超ド級が多くあるが、まず衝撃を受けたのはこれだった。キリエ  ハ長調 K.323である。レネ・レイボヴィッツがウィーン国立歌劇場のオケと合唱を指揮した演奏に脳天を直撃され、何度聴いても耳がダンボ状態のまま釘づけになってしまう。そのCDを自分でアップしたので、ぜひ皆さんも味わっていただきたい。4曲入ってるが、第1曲がそのK.323だ。

この曲は出自が不明でスコアは未完であるためにK.Anh.15/323 とされ、死後に友人の音楽家マクシミリアン・シュタードラーが完成させている。このCDではRegina Coeli K.Ahn118 と誤ってクレジットされているがそんな曲はなく、1879年の Breitkopf & Härtelのスコアを見れば同一の曲であるのは明白である(ご興味ある方はPetrucciにあるのでご自身で確認していただきたい)。

ついでに第3曲 テ・デウム  K.141 の終結部の素晴らしいフーガもお聞きいただきたい。ジュピターのそれが素晴らしいだの奇跡だのと騒ぐのが的外れに思えてきて白けてしまう13歳の少年のこの腕前は何なのだろう?K.141はミヒャエル・ハイドンの作品をモデルに書いた譜面を父レオポルドが添削したと言われるが、そうではあってもこれが習作に聞こえることは一切ない。

キリエ  ハ長調 K.323は母を亡くしたパリ旅行からザルツブルグに戻ったころ(1779年)の作品と信じられてきた。そこには同じほど完成度の高い戴冠式ミサがあるのだから不思議ではないが、楽譜のX線による年代測定をしたA・タイソンの研究によるとK.323は1787年に使われた五線紙に書かれており、86年12月から89年にかけて書かれたことになる。となると、これをお読みいただいた方は「あの頃」の音楽であることがお分かりになると思う。

「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

父に断られて念願のロンドン行きを断念し、持っていくつもりだった交響曲は「プラハ」になってしまったあのころだ。父が亡くなり、ドン・ジョバンニを書いた。そして翌88年に戦争となってオペラ需要は激減し、忽然と「三大交響曲」が出現するのである。そのあたりでモーツァルトの脳に降ってきたK.323が凡俗の脳天を直撃したとしても宜(むべ)なる哉だ。

彼がグルックの死で空席となったウィーン宮廷作曲家の職を得たのは1787年12月のことであるが、報酬はきわめて低く、そのうえ仕事は毎年冬期間の舞踏会用のつまらないダンス音楽の作曲だった。タイソン説が現れると「87年以降に教会での定職を得ようとして宗教音楽の作曲を試みていた」と考えられるようになったのはごく自然なことと思われるが、それにしてもウィーン宮廷はイタリアかぶればかりだったのか、彼をいじめたかったのか、嫉妬するなど人品骨柄レベルが低かったのか。

こういう細かい事実の検証が常にモーツァルトの人生は不幸であったというベクトルに収束してまう。彼に対するぞんざい極まる扱いと、音楽のクオリティの異常な高さのギャップは人間というものの不条理を後世が学ぶ良い題材だが、そこに数々の都市伝説が生まれてしまうのは別の意味でまた不条理を教えてくれる。

 

モーツァルト都市伝説

 

 

 

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「さよならモーツァルト君」のプログラム・ノート

2017 AUG 15 23:23:29 pm by 東 賢太郎

去る5月7日、午後2時より豊洲シビックセンターにて行われたライヴ・イマジン祝祭管弦楽団第3回演奏会「さよなら モーツァルト君」のプログラム・ノートを公開させていただきます。あれから3か月あまりたち、当日来場できなかった友人にこれを差し上げてますが、クラシック好きとはいえ自称?でありまじめに読んでるかどうかあやしい。それならもっとお詳しいであろうブログ読者のお目にかけたほうがいいと思った次第です(クリック3回で拡大できます)。

本演奏会は評判が良かったようです。動画会社NEXUSのスタッフ3名が完全収録しておりますのでyoutubeへのアップロードも考えられましたが、奏者全員のご許可は得られなかったということで断念しました。僕のトークとピアノはこれが最初で最後なので動画は保存してもらいます(見ませんが)。

 

 

 

プログラム・ノート没の原稿

ベートーベン ピアノ協奏曲第3番ハ短調作品37

モーツァルトに関わると妙なことが起きる

クラシック徒然草-モーツァルトの3大交響曲はなぜ書かれたか?-

モーツァルトの父親であるということ

モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

クラシック徒然草―ジュピター第2楽章―

 

 

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モーツァルトに関わると妙なことが起きる

2017 MAY 14 1:01:53 am by 東 賢太郎

 

仕事柄スピーチというのは何十回もやりましたし、二十ぐらいの大学で金融・証券の90分講義もしています。僕はいかなる場合も原稿は書かない主義なので、今回も、音楽のレクチャーは初めてでしたがやっぱり流儀は変えずアドリブでした。同じのをもう一度やれと言われても無理ですし、話した中身も順番もすでにけっこう忘れてます。

ではどうやって話を進めるかというと、忘れてもいいようにテーマに添った話題を多めに用意しておいて、あとはその場でお客さんの反応を感じながらの即興です。客席のレスポンスというのは如実に肌で感じるのですが今回はお陰様でポジティブで素晴らしく、あれなら2時間でも3時間でも本当にいけたでしょう。

実はこれをお引き受けするにあたってはホールのピアノがファツィオリというのも効きました。されど本番で大ホールで自分で弾くなどという蛮勇は当初はなく、楽譜だけ用意してピアニストの吉田さんにお願いしようと思っていたのです。そうは問屋が卸さず自助努力でとなってしまい、やめときゃ良かったと後悔しましたがもう遅かったのです。

僕はモーツァルトに関わるとどうも妙なことが起きており、2005年のウィーンでの奇異な体験はコンサートの打ち上げディナーでオケの皆さんにはご披露しましたが、誰も信じない本当の話です(まだブログにはしてません)。今回も嫌な予感がしたのですが、やはり本番でハプニングが起きてしまいました。

ジュピターを弾いている最中です。譜面台にあったハイドンの楽譜が空調?の風で吹き飛んで、鍵盤の上に1枚だけはらはらと落ちてきました。それがなんと、弾いている両手の上に風圧でピタッと貼り付いてしまったのです。手が見えない!下に落ちる気配もない! パニックでした。

右手で振り払って床に落っことし、ジュピターは暗譜してたのでなんとかなりましたがもう完全に動揺してました。次のPC25番は暗譜しておらず、譜面が飛んだらアウトです。飛ぶなよ飛ぶなよと祈って弾いたら間違えました。子供の頃モーツァルトはハンカチで両手を隠して弾くのが十八番でした。どうも僕はモーツァルトに関わると妙なことが起きるのです。

譜面が落っこちてます

 

5月7日のコンサートのお知らせ

ファツィオリ体験記

 

 

 

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モーツァルトはポール・マッカートニーである

2017 APR 26 1:01:14 am by 東 賢太郎

某人気企業に内定したという人と話してたら、「モーツァルトはきいてみたいけどクラシックコンサートはちょっと・・・」といいます。「そんなこと言わないで、5月7日に豊洲でジュピターやるからどう?」とおさそいすると、「ジュピターなら知ってます」だ。「それならあなた、ちょっと努力すればザルツブルグ音楽祭で堂々とお姫様できるよ」と申し上げるとホントですかと目が輝く。

「ホントだよ。そういうのはね、やったもん勝ちなの、どうしてワタシが ? なんて言ってると一生そういうワタシで終わります。敷居が高いなんて思ったら損。だってモーツァルトは当時の売れっ子シンガーソングライターで、言ってみればポール・マッカートニーなんだ。ポップスに敷居ないでしょ」。

かように「クラシック=お堅い、音学、音が苦」のイメージは日本人の間に根強いのです。僕自身、音楽の教科書で面白いと思った曲は一つもなく、そんなのをさも「美しげ」に全員で歌わなくてはいけないあれはファシズムでした。「美しい」ってのは個人的な繊細な感情であって、ぜんぜんそう思わないものを賛美されてもカルト教団にしか見えなかったのです。

いっぽうで音大生の子と話すともう見事に自分の楽器のことしか知らない。政治経済など世事に関わる知識の欠如は百歩譲るとして、他の楽器のコンチェルトや交響曲もほとんど興味ない。パソコン教室の生徒とはいわないがそっちもカルト教団化してますね。カルト同志でやってればクラシック人口なんて増えるはずもないのです。

「モーツァルトを聞くとIQが高くなる」「牛の乳が出たり植物が育ったりもする」なんて真面目に信じられるのはカルトの秘儀で誰もわかってないからこそ。そういえば小学校のころビートルズは「不良の曲で聞くと頭が悪くなる」なんて声があったしどっちもどっちだ。僕には「朝だ元気で」より「Good Morning,Good Morning」のほうがいい曲でしたが。

「父はビートルズのアルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』を毎晩聴き、ポール・マッカートニーさんにファンレターを書いていました」と語ったのはお堅いクラシックで我が国を代表する作曲家であられる武満徹の娘、真樹さんです。

すごいことですね、僕もポールの大ファンですがさすがにファンレターは負けます。その代りジュピターの第2楽章をピアノで弾いて、ここのところですね、

(譜例1)

A7、D7、G7、C7、F なんてコード進行、セブンスが4つも続いちゃってすごい! ぶっ飛んでる。それも A から F なんてサージェント・ペパーズとかルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンドじゃないかなんてひとり悦にいってます。

この直前の和音は C ですから、のちにベートーベンのトレードマークとされる3度の転調が直感であっけなく書かれてるし3拍子を3+3でなく2+2+2のへミオラにしてる。だからお堅いクラシック正統派路線でも「和声とリズムの迷宮に誘い込む」なんて真面目な人が書いててもよさそうなんですが、こういうことでモーツァルトが天才だという論評は見たことがありません。

我々はいろんな音楽を(それこそビートルズを)聞いてるのでそのプログレッションに不感症になってますが、当時は聞きなれなかったでしょう。だからこそハイドンは交響曲第98番で追悼としてここの目立つコード進行をコピーしたのだと思います。

しかし、それに続くここですね、2小節目までフルートも忠実にコピーしてますが3小節目(f のところ)になるともう絶句ものだったのか、してません。

(譜例2)

ハイドンの辞書にこういう音はのってないのであって、彼はぎょっとしたと思います。それもそこでクレッシェンドして聞かせどころにしちゃってるぞ、物凄いやつが出てきちまったなと。嫉妬したのは彼であってサリエリではなかったかもしれません。

楽譜の部分をぜひ聴いてみてください。上のほうが2分24秒から、下が2分37秒からです。

えっ、なんでもない、普通に聞こえる?

そうなんです。その通りなんです。だからビートルズとおんなじなんです。

 

 

(ご参考)

譜例2のクレッシェンドの部分のオーケストラスコアです。最初の8分音符、フルートの入る f の8分音符の2か所で第1オーボエと第1ヴァイオリンが短2度でぶつかっており、後者ではさらに第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、および、バスとヴィオラ・第2オーボエが(別々の)長7度でぶつかっています。

後者が昔から変な音に聞こえていて、ひょっとして間違いじゃないかと気になってモーツァルトの自筆譜ファクシミリを見たのです。

間違いなわけはなかったですね。ごらんの通りで、crescendo を思いっきり書いてるわけだし。フルートだけが先に f で入ってメロディーっぽく聞かせ、裏の不協和を巧みに「隠し味」にしてるわけで、しかしながらその割にヴィオラの縦線がバスとそろってなくて、彼の音の思考回路はまことに不可思議であります。

 

(補遺、22 june17)

ライヴ・イマジン演奏会(5月8日)のレクチャーで僕がファツィオリで弾いたのが、ジュピター第2楽章の楽節(上掲、「譜例1」の前後)とハイドンによる98番第2楽章の引用部分でした。そこの和声進行と同じのがルーシー・イン・ザ・スカイ・ウイズ・ダイヤモンドにあるんです。そっちも弾いて話はビートルズに飛ぶ予定だったのですが、舞台の袖からマネージャーさんの「お時間です」のサインが出て断念。モーツァルトとビートルズは魅力あるテーマと思います。

 

(こちらへどうぞ)

Abbey Road (アビイ・ロードB面の解題)

 

 

 

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モーツァルト「ジュピター第1楽章」の解題

2017 APR 24 1:01:23 am by 東 賢太郎

5月7日のプログラム・ノート(ライヴ・イマジン祝祭管弦楽団演奏会)ですが、ジュピターのことを書くスペースがなくなりましたので私見をこちらに書いておきます。

モーツァルトの交響曲第41番ハ長調をジュピターと呼んだのはザロモンといわれます。太陽系で一番大きい惑星で、夜空で一番明るく輝いて見えるのが木星(ジュピター)でありザロモンは交響曲の中でそう位置づけたわけです。

今になっても僕はこの曲をそう呼ぶことに違和感はありません。聴き終わるといつも、何か偉大なものに包みこまれた満ち足りた気分になっています。天体の運行の如く目には見えない力、宇宙の調和のようなものを感じるのです。

宇宙の調和にジュピターの名はなんともふさしいと思います。では、それが何によってもたらされるのか?もちろん楽譜に書いてあるわけですから調べてみればいい。本稿はジュピター第1楽章を俯瞰して皆さんとその秘密をご一緒に考えてみようというものです。

 

 

提示部

冒頭、いきなり提示される第1主題は強と弱のコントラストを持った2つの部分から成ります。フォルテ(以下 f )で「ド」が3回奏されます(1)。

一瞬の空白(休符)を置いて、アリアのような旋律がピアノ(以下 p)でつづきます(2)。

(1)はリズム要素、(2)は旋律要素として曲全体を形成します。(2)のすぐ後に続くこの楽節(第1ヴァイオリン)(1’)は、

(1)の長前打音(ここは3連符)を第2ヴァイオリン、ヴィオラが担当し、以後様々なパターンに分化はするものの、曲のリズムの骨格が(1)より派生していることを示します。この部分は管楽器によるリズム動機(3)、

によって和声付けがなされており、これはセレナータ・ノットゥルナ(K.239)、交響曲第36番「リンツ」に使用されたリズムです。

フェルマータでいったん停止すると(1)(2)が p で再現(確保)され、木管が別の動機を重ねます(4)。

これは交響曲第38番「プラハ」の第1楽章第1主題です。

そこにホルンがハ長調のトニックを重ねます(5)。

次に3回目の(1)が堂々とト長調の f で出て(4)(5)が華やかに伴奏します。(2)は10小節に拡張され、(3)を従え、チェロ、ファゴットの対旋律を得て旋律的展開をします(6)。オペラの重唱を想起させます。

次いで(1’)と(3)が締めくくった所で第1主題提示が終わります。

第2主題は第1,2ヴァイオリンの重奏で p で始まります(7)。この半音階移行による主題の前半は第3楽章に逆行形で使われます。後半は(3)のリズム動機の派生です。これも第1主題同様に2部仕立てになっていますが静、動と順番は逆です。

(6)の後半が展開してバスに(2)が現れると第1ヴァイオリンがこの動機を弾きます(8)。

これは第4楽章の冒頭で c-d-f-e のいわゆるジュピター主題が出た直後に、それを引き取る動機の素材として使われます。

終止して全休符をはさみ、嵐のようなハ短調のトゥッティが鳴り、ハ長調からト長調に転じて(6)を変形したさらに華麗な重唱に至ります(9)。これも第1主題の(2)から派生したものです。

音量は sf に至りヴァイオリンのシンコペーションと相まって提示部で最も興奮の高まる部分でしょう。

不思議なのは第2主題として現れた(7)がここでは全く使われないことです。むしろ下降音型に替えて同じト長調の第3楽章の冒頭に使われ、終楽章冒頭のジュピター動機の提示部分を暗示します。(8)と同じく、この第2主題部分は終楽章へのブリッジとなって全曲の統一感を形成する結果となっています。

(9)が p で静まるとチェロのアルペジオを伴奏にブッファ風の第3主題がト長調で出ます(10)。

この主題の後半に重要な動機が現れます(11)。これもまた(2)の派生動機です。

第3主題の展開はなく、これが G-Em-C-D# という魔笛に頻出する和声進行を伴って最後は堂々たるトニックとドミナント交代を3度繰り返して提示部が終わります。

(1)は交響曲第38番「プラハ」の第1楽章冒頭にも(音価は違うが)使われ、ユニゾンで開始というパリ聴衆の好みを斟酌した第31番の作法に倣います。38番も41番もウィーン以外での披露を念頭に置いたのかもしれません。
(1)という旋律的要素がない主題を交響曲の冒頭に置く手法をベートーベンはエロイカと運命で使いました。前者はジュピターと同じく楔を打ちこむ如きリズムの骨格要素として、後者は一歩進めて全曲構築のピース(基礎素材)として。

 

展開部

木管のユニゾンによる g – f – b♭- e♭のブリッジで平行移動して変ホ長調になった第3主題(10)で開始します。

変奏は(11)によって始まり(3)が伴奏します。ここからト短調、ヘ短調、ハ短調を経てイ短調と転調を繰り返し、ヘ長調で(1)が(4)の「プラハ主題」を伴って登場します。これはハイドン流の「偽の再現部」でニ長調、ホ長調を通って ff で(1)がヴァイオリンで10小節にわたり変奏されます。

この間、バスは a から半音ずつ下がって e に至り、ナポリ6度を経てト長調に落ち着きます。そして(11)の後半の音形によるオーボエとファゴットの二重奏から(4)の下降音型の導きでハ長調の再現部になります。

ジュピターの約1か月まえに完成した「初心者のための小さなソナタ」(ピアノソナタ第16番ハ長調 K.545 )の第1楽章は展開部の入りが第1,2主題の結尾部動機の繰り返しであり、やがて現れる再現部はサブドミナントのヘ長調であり、ジュピター第1楽章はそれを入れ子構造としています。

再現部

フェルマータまでは完全な提示部の再現です。2度目の確保で(5)がハ短調となってからは調性が変わり、3度目の確保はやはりト長調ですが、第2主題(7)はここではハ長調で現れます。そして嵐のトゥッティはここではサブドミナントの同名調であるヘ短調となりD♭、D♭m、E♭7、Gsus7、G7と転調をしてハ長調に回帰、(9)の重唱となります。第3主題(10)はハ長調で、提示部とは旋律の一部をより華やかに変えながらコーダになだれ込み、ホルン、トランペットの(5)が鳴り響いてトニックとドミナントの連呼による盤石の終結感をもって楽章を閉じます。

 

総括

以上のように、第1楽章は主題が3つ現れ、それらが出るたびに展開されます。第1主題は f 部分(1)と p 部分(2)から成り、従来は第1,2主題の性格対比(男性的、女性的と比喩される)を第1主題の中で行ってしまっていることで両素材を用いた展開が可能となり、主題ごとの「疑似展開部」がすぐ続くという構造となっています。そして各展開が終止すると休符を置いて次の主題提示まで間が空くため聴衆は提示ー展開、休符、提示ー展開という構造を無意識に認識するのです。

つまり、第1、第2主題はすでに直後に展開されているため、本来の展開部は必然的に第3主題の素材を主体に展開することとなり(あるいは第3疑似展開部の拡張が本来の展開部として機能しているとも考えられ)、疑似再現部としてヘ長調で久しぶりに現れた第1主題はその「再現感」が増してトリック効果を増幅するという凝った作りになっています。

上記のようにこの楽章には計11個の動機素材が用いられており、第31番(パリ交響曲)の第1楽章に匹敵する「饒舌」さであります。しかし31番では動機が平面的に羅列されているだけなのに対し、ここでは3つの主題ごとにパウゼで括られた提示部と展開部という有機的なミクロ構造があり、(6)(9)(11)が(2)から派生した近親性の横糸で結ばれているため(それはマクロ的に俯瞰しても気づきませんが)饒舌感は払しょくされて無意識のうちに「密度の濃い統一感」「凝集性」を感知させるという効果が上がっているものと思われます。

さて、第1楽章を分解はしてみたものの、しかしそれだけで冒頭に書いた秘密が解けるわけではありません。ブーレーズが自作に埋め込んで明かさなかった数理的な秩序の如く、聴く者に不可知ながら音楽として神の均衡を感知させるようなものがジュピターのスコアに隠れているのかもしれません。モーツァルトの意識にそれがあったのでなければ、天から降ってきた音を書いたということになるのですが。

武満徹は「作曲は人間と音との共同作業」と著作に書いています。自然界の中に身を置いてじっと耳を傾け、自然の存在である音と自分とが共振して初めて音楽が書けるという趣旨のようです。モーツァルトの耳には常に音が降り注いでいて、それを書きとったものに「宇宙の調和」が包含されており、それが聞き手に伝わって天と共振する。そんなものかもしれません。美というものが原子論で解明はできないように、モーツァルトの美の法則は我々には永遠にわからないものなのでしょうか。

モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

モーツァルト交響曲第41番ハ長調「ジュピター」K.551

モーツァルト 交響曲第38番ニ長調 「プラハ」K.504

 

 

 

 

 

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モーツァルト、俳優座、忠臣蔵の芳醇な一日

2017 APR 23 3:03:21 am by 東 賢太郎

きのうは午前9時からライヴ・イマジン祝祭管弦楽団の本番会場での練習(豊洲シビックセンターホール)、皆さまと昼食、そして2時から劇団俳優座の観劇(両国、シアターX)でした。オケは息子、劇は長女を連れて行きましたが楽しんだようです。

ライヴ・イマジンは5月7日のここでのコンサートに向けて練習は順調とお見受けしました。とても楽しみです。このホールは音が良く、300ある座席の最後部まで確かめましたが良好でムラがありません。奏者の皆さんから「届いてないのでは」という声がありましたが、充分届いてます。

このピアノ(ファツィオーリ)は日本に数台しかなく、僕もチッコリーニのリサイタル以来実音を聴くのは2度目ですが素晴らしいものでした。吉田さんのピアノ協奏曲第25番(K.503)はオケにブレンドしてまろやかなホールトーンに包まれ、誠にモーツァルトにふさわしい。ご自作のカデンツァも趣味が良く聞きものです。ジュピターとハイドン98番も指揮の田崎先生のボウイングが徹底し整ってきました。本番当日は開演前に僕が15分ほどお話をさせていただくことになっております。ハイドンがジュピターのどこをどう引用したかファツィオーリをお借りしてお耳に入れようと思います。5月7日は多くの皆さまとお会いできれば幸いです。


午後は早野さんが出演する劇団俳優座公演を阿曾さんと娘で。3-11を題材とした重めで幻想的な話を楽しませていただきました。演劇は何もわかりませんが、人物がみな亡くなった人(おばけ?)でシックス・センスという映画を思い出しながら観てました。役者の技量が問われる設定ですが、さすが俳優座ですね。早野さんは軽めの浮気な女房というかつてない役どころでしたが大女優となると守備範囲広いですね。大変満足。千秋楽お疲れさまでした。

 


両国駅からの道すがらたまたま見つけて、これがここ(本所松坂町)にあったのかと立ち寄ったのが吉良上野介邸跡でした。元禄15年(1702年)「忠臣蔵」で知られる赤穂浪士四十七士が討ち入りした現場で、この像のすぐ左に「御首級(みしるし)洗い井戸」があります。泉岳寺から戻った吉良の首はこの井戸で清められ、医師「栗崎道有」により胴と縫合、そのあと埋葬されたとのことです。享年62。同い年になってしまいましたね。八重桜が満開でした。合掌。

 


せっかくなので、昭和12年創業のちゃんこ鍋の老舗「川崎」へ。鶏ガラと醤油のシンプルな味はすばらしい。これまた飾らない味わいの樽酒とは相性抜群であり、江戸からの伝統料理はほんとうにうまい。東京の食の奥深さも捨てたもんじゃないと再確認しましたが、京の天皇、公家に対し江戸も将軍がおり世界最大にしてパリの倍の人口があった。100万都市の食文化が貧しいはずはないと思えば納得であります。

 

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高輪泉岳寺にて思う

ファツィオリ体験記

 

 
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モーツァルト都市伝説

2017 APR 13 13:13:09 pm by 東 賢太郎

モーツァルトが三大交響曲を生前に演奏した確実な記録はなく、しかしされなかったと断定する根拠もない。一般に、なかったという不存在証明は困難とされ、だから犯罪の立件は被疑者が自らやってないと証明するのでなく、やったという客観的証拠を必要とするのである。彼の音楽は人を惹きつける、ゆえに、存在証明がないが不存在証明もないという理由で多くの「都市伝説」を生んでいる。サリエリによる暗殺説が、絶対になかったと証明できない安全地帯において大輪の花を咲かせてしまうのである。

モーツァルトは父との手紙の頻繁なやり取りで作品の作曲時期、動機、演奏時期などに信頼性の高い存在証明が豊富な作曲家であり、そのためウィーンに出てきてから1787年までは種々の推論が比較的容易といえる。ところがその年に父が亡くなって手紙は途絶え、存在証明が一気に枯渇するのである。そこから死ぬまでの4年間にまつわるモーツァルト・ストーリーは、論拠が状況証拠という脆弱さから完全に自由なものはひとつもない。

彼の人生はシンプルに言えば「フィガロ」を初演した1786年までが上り坂、それ以降が下り坂である。幸福度と作品の質をY軸としX軸を年次とする二本のグラフを作れば、そこまでの順相関が急に逆相関になる。そして質のグラフが頂点となる「魔笛」の直後に若死にして幸福度のグラフはゼロに着地するさまは異様ですらある。ところがその原因を探る論拠である存在証明はほぼ幸福度のピークから激減するのであり、そこまできれいに見えていた映画に急にモザイクを入れられた様相を呈するのである。

このパラドックスは、簡単に見える難しい代数の問題の如しだ。最後の4年の謎を解く鍵がない以上、万人が不存在の論拠を何らかで補完している。例えば88年から始まるプフベルク書簡で借金を嘆願しているから彼は貧乏だったと推論するわけだ。

しかしその年に始まったトルコ戦争の戦費調達でハプスブルグが乱発したグルデンという紙幣は金や外貨との交換価値が大幅に下落した。グルデンは1785年の紙幣発行許可で発行された7種類の札があるウィーン市銀行券である。銀兌換券であったが銀の金への交換比率は銀の生産量増加とメキシコ銀貨の流入で下がっていた。それを輪転機で刷りまくったのだからインフレになるのは自明であり、その通貨で借金するのはむしろ賢明である。

彼はフィガロハウスに住んだ幸福度ピーク時の消費生活は終生変えられなかったが出費は多額でも多くはグルデン紙幣建てだ。それをグルデンの借入れで回せばインフレ禍は避けられ、資産は現物(動産)で持てば紙幣建ての価値は暴騰する。共産時代のソ連ではマルボロのほうが紙幣より信用があった。僕が訪問したインフレ300%時代のブラジルでは小金持ちは小型トラックをインフレヘッジのため争って買っていた。これと似た「二重経済」状態が当時のウィーンでは発生していたのである。

彼が高級家具、銀器、高級な衣装、馬車、ビリヤード台などを所有していたのはハプスブルグ域外で交換価値があり、従ってローカルな戦時インフレへの耐性がある動産に換えて資産保有するという二重経済下での合理的な行動である。15回も借金に応じたプフベルクはフリーメーソンの「兄弟」でロッジの会計係をしていた富裕な織物商で、貿易用のハードカレンシー(マリア・テレジア銀貨=タラー銀貨)の銀含有率に対し国内決済用のクロイツァー貨(=1/60グルデン)のそれが戦費調達で着々と減っているのを当然知っていた。

父の遺産の競売で相続した千グルデンは姉のナンネルにプフベルクに送れと指示しており、彼によって一任勘定で運用されていたとすると辻褄が合う。プフベルクは預託資産を担保に金を貸すことができる。しかも借金の礼としてピアノ三重奏曲K542、ディベルティメントK563(下に音のサンプルあり)を書いてもらっており、持っていても大幅減価が確定のグルデンを高いうちに貸して恩を売り、仮に返済されなくても価値ある楽曲という動産に替えた(買った)ことになるという計算が成り立っ。プフベルクはモーツァルトの音楽を愛したメーソンの「兄弟」ではあったが、特別に寛大ないい人であったと解釈するいわれはない。

モーツァルトはケチで細かく金に厳しいウルトラ現実派の父親との長年にわたる演奏旅行で、そこに為替差益と金融収益が生まれることを少年時代から実学で学んでいた人だ。貴族や出版社からグルデン紙幣で代金前借りや低利の借金を重ねて負債によりバランスシートを膨らませ、海外に演奏旅行してハードカレンシーを稼ぎそれを動産に替えて資産形成するメカニズムは完璧に理解していた。作品目録を作ったのは自作の盗用に対抗するという著作権なき時代の資産防衛という側面もあろう。財産形成と管理に関して非常に執着のあるしっかり者であった。

プフベルク書簡の借金嘆願の文面はたしかに痛々しいが、担保金融とはいえ借金には違いない。それはグルデン建ての生活資金(運転資金)を回すのに動産やハードカレンシーを取り崩さないための短期負債でインフレ防衛策でもあり、その利得を熟知していながら飲んでくれる(貸し手は損)プフベルクに頭を下げるのは当然のことだ。1790年のフランクフルト旅行費用を「5%の金利」で富豪ラッケンバッヒャーからの千グルデン(約1千万円)の借金でまかなっているが、これがタラー銀貨建てであった記録が残っているのは注目だ。

グルデン(クロイツァー)は外国である当地で通用しないか交換レートの大幅割引になったからそれは当然に必要だった。しかし当時のウィーンの市中金利は預金4%、貸出5%である。年収を25%も上回る額のタラー建て借入がその5%で得られたのは銀食器の担保力だけでなくプフベルクの信用供与があった可能性を示唆する。預託資産という絶対の担保力がありながら書いた「痛々しい手紙」はプフベルクが融資斡旋をする場面で債務者の窮状を説明するプレゼンの道具立てだったと考える。

彼はプフベルクから受けた1415フローリン(=グルデン)の借金を返済せずに死んだが、父の遺産千帝国グルデンは紙幣でなく銀貨であり利子を入れてほぼ同額だからプフベルクに損はなく、だから未亡人コンスタンツェを助ける融資までできたのである。しかもモーツァルトはクラリネット奏者のシュタードラーに500グルデンの債権が未回収で残っていた。借金嘆願は彼に資産がなく貧乏だったからでも何でもないのである。

「モーツァルトの最後の4年の謎を解く鍵がない以上、万人が不存在の論拠を何らかで補完している」と書いたが、経済や為替の市場原理に疎い人が「不存在の論拠」を誤った所に見出し「彼は貧乏だった」と推論する。そしてそれが面白おかしいモーツァルト都市伝説の巨大なジャングルを育ててしまうのである。そのほとんどは腑に落ちない。音楽の天才だからお金に疎かったというならブラジルで小型トラックを買った賢明な主婦を浪費家と呼ばなくてはならないだろう。

金融で生きてきた僕の目で見てモーツァルトの金銭感覚は鋭敏で合理的だった。彼が唯一見誤ったのは、ロンドンへ楽旅をしてポンドという最強のハードカレンシーを得ることの甚大な経済的マグニチュードだ。ロンドンでハイドンは宮仕え30年分を上回る報酬をもらい、帰国して大邸宅を建てた。彼の対抗馬で弟子でもあったプレイエルはストラスブールに帰るとお城を買い、パリに出て後にショパンが愛用することになるプレイエルピアノ製造会社を起業するのである。

 

(ご参考)プフベルクが書いてもらった2曲

ピアノ三重奏曲ホ長調K542

弦楽三重奏(ディベルティメント)変ホ長調K563

 

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モーツァルト「魔笛」断章(第2幕の秘密)

モーツァルトの父親であるということ

 

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プログラム・ノート没の原稿

2017 APR 8 16:16:15 pm by 東 賢太郎

いま5月7日のライヴ・イマジン演奏会のプログラム・ノートを書き終わりました。僕のルーティーンとして、内容が決まるととりあえず一気に書き、しばらく置いて忘れたころ読みかえして直します。ブログもそうです。ところが今回は読みかえしで全面的に気に入らなくなって最初からやり直しました。あんまりないことです。

さっきジュピターの自筆譜ファクシミリを見ていると流れを直したのは2か所ぐらいしかない。凡人は文章すらこんなに直すのになんてこった。頭にテープレコーダー(古いかな)がありますね彼は。ここはピアノがないとむりだよねという所はありますが、試し弾きしながら書いたらこれやめたという部分が出てきてああいうきれいなスコアにならないと思うのです。やっぱりテープが流れてる。すると、えっ、あんな音が頭で鳴っちゃうの?となって、ぞっとするんです。

彼は楽譜の一番うえ3つにヴァイオリン2部とヴィオラを書いてチェロとコントラバスは一番下に書く。これは今的にはヘンですよね。それでサンドイッチの具のところにフルート、オーボエ、ファゴット、ホルン、トランペット、ティンパニと降りてくる。ここは今流だ。未完の曲を見ると、弦だけまず書いて、それもソプラノとバスから書いて、後でその他を加えてます。内声部は和音の、木管金管はカラーリングのグラデーションをつけるという感じで、クラリネットを入れる入れないもそういう作業の一環だから気軽にできたんでしょう。

ということはテープはスコアの最上段と最下段、第1ヴァイオリンとバスか。これはシンプルな2声、バッハのインヴェンションの右手左手ですね、アルベルティ・バスというより。それが2-30分まるごと収録されたテープを流しておいて、つぎにささっと書きとる。僕らもジュピターは覚えてますが見ないで書けますかとなったらお手上げです。第2楽章のb♭、d♭、a、cなんて怖い音がテープで一瞬だけ鳴って聞き取って書くソルフェージュ能力。作曲家の方々にはあたりまえでしょうが、凡人には不可知の領域ですね。

彼は歌い手や聞き手の能力をぱっと見ぬいて、喜ぶようにかいてやるんです。パリの聴衆はこんなもんさ、ここでこう書けば絶対拍手もらえるよ、最後はこう盛り上げれば一丁上がりさみたいなところがあって、前にTVで欽ちゃんことコント55号の萩本欽一さんがかけだしのころ浅草のフランス座というストリップ劇場の幕間のコントを受け持っていて、客はそんなもん見に来てないからぜんぜんうけなくてあみ出したという策がそんなのだったことを思い出しました。

それをサービス精神という人もいるけれど、営業マンもおんなじで、お客が喜ばないと何だって売れないからそれは一種の芸であって、では何をしたらいいか相手の顔から瞬時に見ぬけるかというとできる人はできるしできない人はできない、そういう性質のものです。サービス精神があれば何でも売れるわけじゃない。マーケティングセンスです。モーツァルトはそれがものすごかったわけですが、引き出しにたくさんネタがあって自由自在に出し入れできた、そういう感じがします。

こうやってモーツァルトの話をしていていきなりストリップ劇場だ欽ちゃんだとやるとほとんどの人は目が点になってしまって、なんだヘンな人だな頭おかしいのなんて顔をされます。こっちはまじめにそう思ってる。かみあわないんです。こういうのも、わかる人にはわかるんでわからない人にはわからないんですね。だから、あっ、お呼びでない、こりゃまた失礼しましたってんで終わりです。

プログラム・ノートだからストリップ劇場の話なんて書けないし、そういう不親切な態度じゃまずいだろうと、そういう気分にだんだんなってきて、とうとう書き直しになったのです。それでこっちに書いちゃいました。いいのになったかどうかあんまり自信はないですが自分では気にいってます、それは仁義でブログにはしませんからどうぞ会場にお越しください。

 

5月7日のコンサートのお知らせ

 

 

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モーツァルト「パリ交響曲」の問題個所

2017 MAR 8 1:01:20 am by 東 賢太郎

モーツァルトが天才だというのは書いた音楽の質が誰にもそう思わせるからに他ならないが、では彼はどうやって作曲したか、心の内面のプロセスを示す資料はほとんどない。その希少な例として有名なのが1778年7月3日に父にパリから宛てた手紙の一節で、交響曲第31番ニ長調k.297(300a)(いわゆるパリ交響曲)の第1楽章について、以下のような興味深い記述がある。

最初のアレグロのちょうど真ん中に、うけるに違いないと思っていたパッセージがあり、すべての聴衆はそれに魅了されて、大拍手がありました。ぼくは、どのように書けばどのような効果が上がるかわかっていましたから、結局もう一度使うことにしました。それからダ・カーポ(再現部)に入ったのです。(名曲解説全集  交響曲Ⅰ・音楽之友社)

この「パッセージ」がどれなのか?モーツァルト好きなら一度は考えてみるものの不思議なことに世界中の誰も確たる解答を示していない。僕も探してみたが、「もう一度使った(=2回出る)」「再現部より前」を満たす適当なものが見つからない。しかし本人は自信満々に「大うけした」と自慢してるわけだ。ないはずがない。

推理してみよう。

同じ手紙で第3楽章についてヒントになる記述があるのでそこから始める。

「当地(パリ)では最後のアレグロはすべて、第1楽章と同様に、全楽器で同時にしかもたいていはユニゾンで始めると聞いていました」(モーツァルト書簡全集 Ⅳ・白水社)

彼はその情報を信用し、パリの晴れ舞台で、一発勝負で聴衆にインパクト与え、願わくばいい職にありつきたい一心で、第1楽章をこうユニゾンで始めたのだ。

ただここがモーツァルトだ、この主題は f の前半、p の後半で一対になっている。定石通り強く押しておいて、さっと引き技を見せるという定石破りを早くもやっている。このフェイントの効果について彼は書いていないが、きっとうまくいったと味をしめていたのだろう、ジュピターの開始で同じことをしている。

ロマン派の大音量、複雑な和声や対位法に親しんでしまった我々の耳は fと p の交代にまことに鈍感になっている。モーツァルトの当時の楽譜に fp(フォルテピアノ)の記号が頻繁に現れるのは、まだ作曲にそういう手管がなかった時代にそれが聴衆の耳にパンチがあったからだ。ハープシコードが強弱を弾きわけられるように進化したら「フォルテピアノ」という名前がついてしまったほどだ。その楽器の末裔をピアノと呼んでいる事実が我々の鈍感さを象徴している。

理屈だけではご納得いただけないかもしれない。しかし当時の聴衆はそれに敏感に反応したことは、モーツァルト自身が同じ手紙に書いている第3楽章の冒頭の「実況中継」が証明している。

2部のヴァイオリン(パート)だけで8小節を静かに続けたら、ぼくの期待した通りに客席から「シーッ!」がきこえ、続いて強奏になるのと拍手が起こるのと同時でした。

こんなことは現代のコンサートホールでは起こりえない。「シーッ!」がきこえ、ということは、第2楽章が終わって客席はざわざわしていたのだ。当時は棒をふる指揮者はいない。そこにp でこっそりとヴァイオリン奏者たちが第3楽章を始めた。全楽器でユニゾンでという定石を破っているのだから聴衆は気がつかない。だからシーッ!なのだ。計画通りだ。

そこで客席はさーっと水を打ったように静かになる。すると「つぎはフォルテだ!」という期待が高まったろう。そこでやってきたフォルテの全奏。「いよっ、待ってました!」の大拍手だ。ほれ見ろ、やっぱり思った通りだ、うまくいったぞ。すっかり嬉しくなって気分上々のモーツァルトは帰りにパレ・ロワイヤルでアイスクリームを食べ、演奏会成功の願かけをしたロザリオに感謝の祈りを捧げている。

7月3日の手紙は、この出来事があった演奏会の15日後に書いたものだ。心配性の父親に「うまくいってるよ」と知らせたい理由があった。この曲はパリで一流オケとされたコンセール・スピリチュエルの支配人ジャン・ ル・グロからの依頼によって作曲された交響曲である。これが檜舞台で当たらなければ何をしにきたかわからない。父は怒るしがっくりもくるに違いない。だから「一発勝負で聴衆にインパクトを与える仕掛け」を散りばめた、命運を託した曲だったのだ。

ところが、リハーサルを聴いて彼はあまりのひどさに愕然とするのである。指揮者で登場できるわけではない、客席で聴くだけだ。当日は演目がたくさんありオケは練習が足りていない。こりゃまずい、ぐしゃぐしゃだ、もう一回合わせられないか、いやもう時間がないじゃないか・・・あまりの不安で演奏会の前の日は寝つけなかったと書いている。だからロザリオに願掛けまでしたのである。しかしこの時点で不安を父に知らせてはいないことはもちろんだ。

うまくいった。よかった。7月3日の手紙に「だめだったらコンマスのヴァイオリンをひったくって代わりに弾いてやろうと思いました」と書いている。これは彼らしいレトリックだと僕は思っている。実は無為無策だった自分を大きく見せ、父を安心させるための。ところが父は「やめなさい、そんなことをしたら恨まれてろくなことがないぞ」と真面目にうけてたしなめている。なんというこの父子の機微!僕はこの父が大好きであり、かいがいしくその期待に人生をかけて頑張った息子に万感の思いを重ねざるを得ない。

うまくいった?本当にそうだろうか?

練習不足のまま突入した本番が一糸乱れぬ演奏であったとは到底思えないではないか。それが評判になって仕事のくちが見つかったわけでもない。彼はこの曲のスコアをル・グロに渡してしまい、でもまだ頭にあるからまた書けるさと強がりをいってパリを失意のなかで後にしている。また書くのが必要な場面はもう訪れなかったし、密かに期待してパリに置いてきたスコアがまた演奏されて評判をとることもなかった。

ここで本題に戻ろう。「第1楽章の問題のパッセージは?」の答えを見つけなくてはいけない。

演奏はぐしゃぐしゃではなかったかもしれないが、現代の我々の基準で、プロの指揮者の統率のもとで名演とされるような代物ではなかったことはどなたも異論がないだろう。しかも聴衆はその場で初めて耳にしているのだ。「パッセージ」は誰でもわかる、ロバの耳でもわかる、つまり和声やリズムのような複雑なものではない特徴によって「うけた」としか思えない。しかもそれはモーツァルトが「うける」と容易に想定していた特徴でなくてはならないだろう。

「アレグロをユニゾンで弾かせる。これがパリの聴衆の耳目をそばだてる」

という情報を信じていた彼は、そこに

「f と p の強弱の突然の交代」をもりこむ

という自分なりの手が効果絶大であるはずだと信じていた、だからそれを両端楽章の冒頭に書き込んだ。これは異論がないだろう。パリでは常套手段の前者が特に受けるとは思えない。したがって後者、つまり、誰でもわかるものでモーツァルトが「うける」と想定していた特徴は「f と p の強弱の突然の交代」であったと僕は考える。

この条件で該当箇所を指摘してみようというのが本稿だ。第1楽章で「ユニゾン(伴奏なし)」かつ「f と p が突然交代する」という2条件を満たすパッセージは2つしかない。そのひとつ目は冒頭の主題提示(上掲の楽譜)の後半であるが、最初のアレグロのちょうど真ん中と書いているからこれではない。

となるとこれが解答ということになる。

提示部のおしまいに第3主題のように出てくる副主題だ。この第1Vn譜で4小節めのピアノになるところから全管弦楽の f が突然に p にトーンダウンし、ヴァイオリンとヴィオラの3オクターヴのユニゾンでちょこちょこと、くすぐるみたいに動く、このパッセージである。

この録音で2分13秒からである。

これはコーダの前にまた現れる(5分46秒)。もう一度使うことにしましたという手紙の言葉通り。今度は cresc.(クレッシェンド)というあまり彼の譜面に現れない指示を伴ってよりインパクトが高まっており、ほぼ同じものを「これでもか」と直後にもう一度繰り返している(6分12秒)。一発勝負のインパクトを託した部分であった可能性が高い。

ここは初めて聞いた人でもわくわくし、興奮もそそられるかもしれない。みなさんどう思われるだろうか。おそらく、当日の演奏会でも、彼が父に書いた通りここで大拍手があり、彼をああよかったと安心させたことは想像にかたくない。

ところが困ったことがある。

冒頭に引用した名曲解説全集・音楽之友社をもう一度お読みいただきたい。ここが正解だとすると「それからダ・カーポ(再現部)に入ったのです」がひっかかってしまうのだ。これはコーダだから、再現部はもう終わってしまっているのである。

どうも変だ。

僕が間違っているのか? そこでモーツァルトの書いた原文を当たってみた。

„… mitten im Ersten Allegro, war eine Pasage die ich wohl wuste daß sie gefallen müste, alle zuhörer wurden davon hingerissen – und war ein grosses applaudißement – weil ich aber wuste, wie ich sie schriebe, was das für einen Effect machen würde, so brachte ich sie auf die letzt noch einmahl an – da giengs nun Da capo.“

僕のドイツ語力だと自信がない。英訳を探してみた。これが最後の部分である。

there was a great outburst of applause. But, since I knew when I wrote it that it would make a sensation, I had brought it in again in the last — and then it came again, da capo!   (Greg Sandow, American music critic and composerのブログ)

ちなみに演奏が始まった記述の箇所に彼は Ecce ! と書きこんでいる。Ecce homo( エッケ・ホモー) はラテン語で「見よ、この人だ」の意味で磔になるキリストをさした言葉だ。そういう心境だったということだろう。そして今度はDa capoが書き込まれる。

この英文訳が正しいなら青字の it は applause であろう。二度書きこんだパッセージが二度ともあたった喜びをイタリア語でしゃれてみた、つまり「大拍手がまた来たぞ!」ではないだろうか。

一方でこういう英訳も見つけた。

I had introduced the passage again at the close - when there were shouts of “Da Capo”!(New York Philharmonicのプログラム・ノート)

これを訳すと、

「ぼくはそのパッセージがセンセーションを起こすとわかっていたので曲の最後にもう一度書いておきました。そうしたら、そこに来ると客席から『ダ・カーポしてくれ!』(もう一回やってくれ)と叫び声があがったのです」

である。Sandow氏とは別な読み方のようでどちらも米国人のドイツ語解釈だ。正しいという根拠はないが、ドイツのネイティブはどう読むのだろう。

しかし、いずれにせよ、それからダ・カーポ(再現部)に入ったのですは賛同できない。再現部と da capo はぜんぜん別物であるし、そう比喩的に呼ぶ例も知らない。「そこから再現部に入った」という何でもない叙述をモーツァルトがわざわざ書く意味も思い浮かばない。この名曲解説全集・音楽之友社は友人のラーフが隣に「すわっていた」としているが「立っていた」が正しい。かような程度の訳であると知らずに展開部にこだわったゆえにこのパッセージは長いこと僕にとって謎であった。反証があれば訂正するが、完全な誤訳である。「そこでダ・カーポでした」としているモーツァルト書簡全集はそれよりはましだが意味不明であり五十歩百歩だ。

Sandow氏かニューヨーク・フィルか、僕は Ecce ! と並列で外国語を並べた遊びとして前者を採りたいが、いずれにしても、僕の解答と矛盾が生じない。もし異論、または異説をご存じの方がおられればご教示をお願いしたい。

 

PS1

交響曲の曲頭で、いきなりユニゾンのテーマを f でたたきつけて、すぐに p のフェイントのテーマが続き、両者セットで第1主題を形成する(「パリ型」と呼ぶことにする)のはモーツァルトの専売特許ではない。ハイドンに62、78、95番という例がある(95はモーツァルトより後の作だが)。モーツァルトとしては32番、34番、そしてハフナーが同様である。

32番はザルツブルグへ戻ったパリ土産、34番はイドメネオの仕上がり見るためミュンヘンへ土産にもっていった意欲作だ。交響曲第35番ハフナーは1783年、ウィーンでフリーとなり予約演奏会でお得意さんを集めようと意欲満々で用意した曲だ。実際に試されたパリ型の効用が頭にあっただろう。続くリンツ、プラハが古典的な序奏型に回帰したのは初演地が大都市ではなく、従って出世の命運をかけた勝負曲ではなく、保守的な聴衆を想定したからではないか。

最後にセットで書いた三大では39番が序奏型、40番は伴奏音形が裸で先導する前衛的な異形、そしてジュピターがパリ型だ。三大の計算され尽くしたコントラストには驚嘆するしかないがそれはクリエーター目線でのこと。都会でも田舎でもパリでもロンドンでもお使いいただけますよというプロモーターに対するマーケティング目線は音楽史研究において欠落している。

ハフナーもジュピターも終楽章アレグロを p でひっそり始めることまでパリ型を全面的に踏襲しているのは注目されてよい。古典型のリンツ、プラハが勝負曲ではなかったならジュピターは勝負をかけた一作だったという証左だ。ちなみにモーツァルトを意識したベートーベンは勝負曲だった第5番の運命にパリ型開始を採用しているが、終楽章はブリッジ移行の新機軸で自己を刻印している。

最後に演奏に関して私見を述べる。パリ型の冒頭第1主題を形成する「p 部分」は極めて重要である。f 部分はハイドンの驚愕交響曲のびっくり部分に相当するが、これを男性とするならp 部分は女性だ。男が大声でがなったら、女がやさしくいさめる。このコントラストこそ演奏の第一印象を左右するのである。ジュピターだとここだ。

この女性がやさしくなかったり(p が mp である)、優美でなかったり(繊細なレガートに欠ける)、美人でなかったり(音程が合ってない)したらいきなりがっかりだ。

f と p の対比についての私見だが、対比の比率が小さすぎる。現代人は鈍感になっていると書いたが、その分だけdiscountして対比を強めに出さないとモーツァルトの意図は具現化できないはずだが古楽器演奏でもそれを修正している指揮者を見たことがない。「ff と p」または「f と pp」 というイメージが良いと思料する。ちなみにベートーベンは冒頭をこうしている。

モーツァルトが人生の命運をかけてインテリジェンスのすべてを盛り込んだパリ交響曲は音楽史に大きな足跡を残している。

 

PS2

本稿を書いてさらに文献をあたったところ、指揮者のニコラス・アーノンクールが問題のパッセージは第65~73小節と第220~227小節としている。長調から短調への変化が面白い部分だが、初めての聴衆がそれに喝采で反応したとは思えず、直前からすでに p であって強弱の変化はない。これには賛同しかねる。

一方で。スタンリー・セイディが(テオドール・ド・ヴィゼヴァとジョルジュ・サン=フォアに従って)、第84~92小節、第238~250小節、第257~269小節であるとしている。理由は不明だが、この説の結論は僕の指摘したものとまったく同じ部分である。

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト「ジュピター第1楽章」の解題

Abbey Road (アビイ・ロードB面の解題)

 

 

 

 

 

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クラシック徒然草 《ルガノの名演奏家たち》

2017 JAN 10 1:01:07 am by 東 賢太郎

luganoルガノ(Lugano)はイタリア国境に近く、コモ湖の北、ルガノ湖のほとりに静かにたたずむスイスのイタリア語圏の中心都市である。チューリヒから車でルツェルンを経由して、長いゴッタルド・トンネルを抜けるとすぐだ。飛ばして1時間半で着いたこともある。

人口は5万かそこらしかない保養地だが、ミラノまで1時間ほどの距離だからスイスだけでなくリタイアしたイタリアの大金持ちの豪邸も建ちならび野村スイスの支店があった。本店のあるチューリヒも湖とアルプスの光景が絵のように美しいが、珠玉のようなジュネーヴ、ルガノも配下あったのだからスイスの2年半はいま思えば至福の時だった。

自分で言ってしまうのもあさましいがもう嫉妬されようが何だろうがどうでもいいので事実を書こう、当時の野村スイスの社長ポストは垂涎の的だった。日系ダントツの銀行であり1兆円近かったスイスフラン建て起債市場での王者野村の引受母店でありスイスでの販売力も他社とは比較にもならない。日本物シンジケートに入れて欲しいUBS、SBC、クレディスイスをアウエイのスイスで上から目線で見ている唯一の日本企業であった。なにより、大音楽家がこぞってスイスに来たほどの風景の中の一軒家に住めて、金持ちしかいない国だから治安、教育、文化、食、インフラはすべて一級品なうえに、観光立国だから生活は英語でOKで外人にフレンドリーときている。

唯一の短所は夜の遊び場がカラオケぐらいしかないことだが、ルガノはさすがで対岸イタリア側に立派なカジノはあるは崖の上にはパラディソという高級ナイトクラブもあってイタリア、ロシア系のきれいなお姉さんがたくさんいた。客が客だからばかはおらずそれなりに賢いわけで、ここは珍しく会話になるから行った。私ウクライナよ、いいとこよ行ったことある?とたどたどしい英語でいうので、ないよ、キエフの大門しか知らん、ポルタマジョーレとかいい加減なイタリア語?でピアノの仕草をしたら、女はなんと弾いたことあるわよとあれを歌ったのだ。

こういうのがいて面白いのだが、でもどうして君みたいな若い美人でムソルグスキー弾ける人がここにいるのなんて驚いてはいけない。人生いろいろある。本でみたんだぐらいでお茶を濁した。男はこういう所でしたたかな女にシビアに値踏みされているのである。彼女の存在は不思議でも何でもない。007のシーンを思い出してもらえばいい、カネがあるところ万物の一級品が集まるのは人間の悲しいさがの故なのだ。世界のいつでもどこでも働く一般原理なのだと思えばいい。社会主義者が何をほざこうがお姉さん方には関係ない、原理の前には無力ということなのである。

名前は失念したがルガノ湖畔に支店長行きつけのパスタ屋があってペンネアラビアータが絶品であった。店主がシシリーのいいおやじでそれとワインの好みを覚えていつも勝手にそれがでてきた。初めてのときだったか、タバスコはないかというと旦那あれは人の食うもんじゃねえと辛めのオーリオ・ピカンテがどかんときた。あとで知ったがもっと許せないのはケチャップだそうであれはイタリア人にとって神聖なトマトの冒涜であるうえにパスタを甘くするなど犯罪だそうだ。そうだよなアメリカに食文化ねえよなと意気投合しながら、好物であるナポリタンは味も命名も二重の犯罪と知って笑えなくなった。香港に転勤が決まって最後に行ったら、店を閉めるんだこれもってけよとあのアラビアータソースをでっかい瓶ごと持たせてくれたのにはほろっときた。

apollo上記のカジノのなかにテアトロ・アポロがあり、1935年の風景はこうであった。1804年に作られテアトロ・クアザールと呼ばれた。ドイツ語のKurは自然や温泉によって体調を整えることである。ケーニヒシュタインの我が家の隣だったクアバートはクレンペラーが湯治していたし、フルトヴェングラーやシューリヒトが愛したヴィースバーデンのそれは巨大、ブラームスで有名なバーデンバーデンは街ごとKurhausみたいなものだ。バーデンは温泉の意味だが、金持ちの保養地として娯楽も大事であって、カジノと歌劇場はほぼあるといってよい。カジノはパチンコの同類に思われているが実はオペラハウスとワンセットなんで、東京は世界一流の文化都市だ、歌舞伎とオペラがあるのにおかしいだろうと自民党はいえばいいのだ。

moz20ルガノのクアであるアポロ劇場での録音で最も有名なのはイヴォンヌ・ルフェビュールがフルトヴェングラー/ベルリンフィルと1954年5月15日に行ったモーツァルトの K.466 だろう(   モーツァルト ピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466)。彼のモーツァルトはあまり好まないがこれとドン・ジョバンニ(ザルツブルグ音楽祭の53年盤でほぼ同じ時期だ)だけは別格で、暗く重いものを引き出すことに傾注していて、何が彼をそこまで駆り立てたのかと思う。聴覚の変調かもしれないと思うと悲痛だ。彼はこの年11月30日に亡くなったがそれはバーデンバーデンだった。

lugano1もうひとつ面白いCDが、チェリビダッケが1963年6月14日にここでスイスイタリア放送響を振ったシューベルト未完成とチャイコフスキーのくるみ割り組曲だ。オケは弱いがピアニッシモの発する磁力が凄く、彼一流の濃い未完成である。くるみ割りも一発勝負の客演と思えぬ精気と活力が漲り、ホールトーンに包まれるコクのある音も臨場感があり、この手のCDに珍しくまた聴こうと思う。彼はイタリアの放送オケを渡り歩いて悲愴とシェラザードの稿に書いたように非常にユニークなライブ演奏を残しており全部聴いてみたいと思わせる何かがある。そういうオーラの人だった。

lugano3最後にミラノ出張のおりにスカラ座前のリコルディで買ったCDで、この録音はほとんど出回っておらず入手困難のようだからメーカーは復刻してほしい。バックハウスがシューリヒト/スイスイタリア放送響と1958年5月23日にやったブラームスの第2協奏曲で、これが大層な名演なのである。僕はどっちのベーム盤より、VPOのシューリヒト盤よりもピアノだけは74才のこっちをとる。ミスなどものともせぬ絶対王者の風格は圧倒的で、こういう千両役者の芸がはまる様を知ってしまうとほかのは小姓の芸だ。大家は生きてるうちに聴いておかないと一生後悔するのだが、はて今は誰なんだっけとさびしい。ついでだが、ルガノと関係ないがシューリヒトの正規盤がないウィーンフィルとのブルックナー5番もこれを買った昔から気にいっている。テンポは変幻自在でついていけない人もいようが、この融通無碍こそシューリヒトの醸し出す味のエッセンスである。

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