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モーツァルト 弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 「狩」 K.458

2024 FEB 21 11:11:42 am by 東 賢太郎

一昨日の雨があがって昨日は陽ざしが暖かかった。外へ出るとどことなく風に花の匂いをかぎ、もう春だったのかと気持ちがふくらむ。神山先生の診療所に立ち寄ると「東さん、今日は健康だね、背中がすごくいいよ」といつもの鍼になった。なんでかね、春だからかね、ひょっとしてモーツァルトをきいたせいかもしれないねと話した。ぴったりの曲だ。弦楽四重奏曲第17番「狩」K.458。昨晩、それを片っ端からきいていたのだ。

モーツァルト・セラピーを研究している人もいるが、そう難しいことを言わずともK.458の出だしをきいて気分が晴れやかにならない人がいようか?

この曲の完成は1784年だ。人間、上り坂が一番うれしい。28才のモーツァルトは人生の絶頂にあった。そこで書いたからこういう音楽になるのだ。

その年、2月9日に作品目録をつけはじめ、ピアノ協奏曲第14~19番をつくり予約演奏会は大盛況、9月21日に第2子が誕生した翌週29日にフィガロ・ハウスに引越した。このアパートは6部屋とキッチンで177㎡もある豪邸だ。どれだけ嬉しかったか。彼はウィーンで13回転居しているが、21回やった僕は彼の気持ちがわかる。人生で最高だったのは湖の見える丘に千坪ぐらいあったスイスの家に入った時だ。そこが我が世の絶頂だったことは疑いなく、帰国して普通の借家住まいになった落差はそれで会社を辞めたとは言わないが大きかったことは間違いない。なにを贅沢なと思われようが会社のせいでも我儘でもなく、家族を連れて海外に16年も暮らせばどなたでもそうお感じになると思う。

2005年末にウィーンに行った。フィガロハウスは写真の右側で、夫妻が歓喜に包まれた生活を送っていたのは2階だ。息子と犬とムクドリと使用人3人がいた。ビリヤード台、自家用馬車もあった。父とハイドンが来てK.458を合奏した。17才のベートーベンも来た。フィガロの結婚、劇場支配人、ピアノ協奏曲第20~25番、プラハ交響曲、ピアノ四重奏曲 第1, 2番、ケーゲルシュタット・トリオも書いた。そして7年後、写真の突き当り左方にある質素な家であっさりと死に、写真正面のトンネルをぬけてすぐの所にあるシュテファン聖堂のカタコンベで簡素な葬儀が行われた。

ハイドンセット6曲は2期にわたって3曲ずつ書かれており、K.458は後期の最初、1784年11月9日の完成だ。彼は12月14日にフリーメーソンに入会し、翌年初めにやってきたハイドン、父親も入会させてしまう。頑として息子を認めなかった父まで口説き落としたのは驚く。メーソンで急速に昇進もしていることから万事に渡って学習能力が高く、プレゼン能力も図抜けていたことが伺える。そうでなければ626曲もの説得力に満ちたアウトプットを35年で行えるはずもなく、もし現代のビジネスマンに生まれれば巨万の富を築いたろう。両人はその羽振りに感嘆もしたろうが、献呈された6曲の質を認めたこともあったろう。息子さんは百年出ない天才だと称賛したハイドンの言葉は御礼もあったかもしれないが、現に二百年たっても出ていないプロの眼力を証明してもいる。

大学時代、僕はモーツァルトをまったく分かっていなかったが、下宿でハイドンセット6曲を完全記憶したことで10年ほどかけて彼の全楽曲を人生の財産にできた。この曲集に彼の才能の秘密のすべてがあると言って過言でない。それから半世紀近い時を経て、6曲の輝きは色あせるどころか益々増している。なかでも最も晴朗であるK.458の良い演奏とは何か。とてもシンプルだ。最後までききたくなる演奏である。そうか否かは出だしの数小節であっという間に知れてしまう。ああこれはいい!もう思考が止まっており、天の調和に包みこまれて桃源郷に遊ぶ自分がいるという具合の音楽であり、モーツァルトといえど他にそういうものはない。

さっきyoutubeでみつけたこれ、寡聞にして初めて知ったカルテットだが実に素晴らしい。エルサレム四重奏団だ。

晴朗とはいえK.458の白眉は第3楽章アダージョだ。6曲でアダージョ楽章はこれだけである。底抜けに明るい第1楽章の出だしからそこまで沈みこみ、終楽章で明るみに戻るU字型の音楽だ。冒頭の曲想から「狩」と呼ばれるが、ハイドンの「めんどり」や「熊」と同様に意味はない。このカルテット、陰陽の設計もしたたかでintelligentである。同じアルバムに入っているK.157が立派で若書きに聞こえないし音階まで音楽的で美しいというのは中々だ。

我が美学だがモーツァルトの四声体は完璧な純正調のために書かれている。だから究極の選択は平均律(ピアノ)よりカルテットか四重唱であり、理想はオペラか宗教音楽ということになる。転調して純正調で調和する瞬時の音取りとフレージングがないとハーモニーが汚れてしまう。左右するのは主に第2VnとVaの内声部であり、そのどちらかが僅かでも腕が落ちるともうだめだ。そういう著名楽団がいくつもある。エルサレム四重奏団はその二人が優れており、四人の耳とピッチの良さの同質性も格別で、中音域の倍音に富んだ柔らかさはいつまでも浸っていたいほど上質である。

K.458には合奏の絶対的高みに君臨するレコードがある。ジュリアード弦楽四重奏団による1962年の録音だ。ぎりぎりに切り詰めた究極のアンサンブルをもって楽曲のイデア現出にただただ奉仕した演奏で、それでいて怜悧に陥らずモーツァルトの沸き立つ愉悦感、フィガロハウスでの高揚感、アダージョの沈静した思索が味わい深く何度きいても引き込まれる。奏者はロバート・マン(Vn)、イシドア・コーエン(Vn)、ラファエル・ヒリヤー(Va)、クラウス・アダム(Vc)だ。

同四重奏団は1977年に再録音したが、残念ながらマンは精度が落ちており、彼以外は別人だからむべなしだが僕がこれを聴くことはない。

ジュリアード盤と対極の伝統的ウィーンスタイルではアルバン・ベルク四重奏団が人気だが、むしろ現代的な感性のカルテットであり、長い残響の中で典雅に弾かれたウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の古雅な響きのほうが僕は好みだ。ライナー・キュッヒル(Vn)、エクハルト・ザイフェルト(Vn)、ハインツ・コル(Va)、フランツ・バルトロメイ(Vc)とウィーン・フィルのコンマス、首席によるカルテットで、まさにVPOの音がしている。ザイフェルト氏、バルトロメイ氏は昨年逝去され、コル氏は97年のニューイヤーコンサートのあとホテルで会食した際に同じテーブルでお話した思い出がある。ジュリアードのような磨きぬいた技巧が産む完璧ではなく、奏法も音感も同じ教育から出た4人が自然にアンサンブルすると結果としてピッチもフレージングも合ってしまうという風情の演奏だ。それでモーツァルトになってしまうならそれに越したことはなく、大きな喜びを与えてくれる。

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Categories:______モーツァルト

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