人生で5指にはいる!第643回読響定期演奏会
2024 DEC 4 19:19:06 pm by 東 賢太郎
指揮=鈴木優人
ソプラノ=ジョアン・ラン
メゾ・ソプラノ=オリヴィア・フェアミューレン
テノール=ニック・プリッチャード
バス=ドミニク・ヴェルナー
合唱=ベルリンRIAS室内合唱団
ベリオ:シンフォニア
モーツァルト:レクイエム ニ短調 K. 626(鈴木優人補筆校訂版)
最高の演奏会であった。アンコールのアヴェ・ヴェルム・コルプスがはじまると同行のビジネスパートナーD氏とともに涙がこらえきれず。べリオは心の底から堪能(Mov3はマーラー3、ラ・ヴァルス、田園、海など響く)。8人の男女声楽ソリストの声、語り、騒音?をマイクで拡声、シェーンベルク「ピエロ」のシュプレヒシュティンメの発展形か(オケとの混合が非常に印象的)。通常オケの音場だがシアターピース的。めちゃくちゃ面白い!指揮、オケにも脱帽。
K.626は自分にとって特別な曲。ジュスマイヤー部分に落差はあるがモーツァルト模倣としてはまあ合格点と思えばいい(彼自身のレクイエムを聴けば良くやったと健闘を讃えたい)。うまいと思ったらベルリンRIAS室内合唱団!(プログラム見てない)。これが聴きたくて本シリーズを選んだ甲斐あった。ソプラノのジョアン・ランが格別に良し!オケともどもの古楽風のピュアな声は生命線であるピッチがお見事(この人のバロックオペラ、リサイタル関心あり)。べリオのソリストはK.626では合唱に加わり、アンコールではそのソリストも合唱に。ああやるなと思ったらニ短調からニ長調の世界が広がって暖かく包み込む。アヴェ・ヴェルム・コルプス(オケパート弾くのが大好きだ)。終演後、このプログラムにして異例のブラヴォーが止まず我々も感動のあまり最後まで残って絶賛の拍手。いかに演奏レベルが高かったか。D氏が「これ見て下さい」とスマホを開くとご自身のサイトのバックはアヴェ・ヴェルムのスコアである!「ちょっと飲みましょう」とパブに入り、K.626にまつわる数奇で神秘的な我が体感を語った。なんという日だろう。
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ベートーベン ピアノソナタ第28番イ長調 作品101
2024 NOV 8 23:23:51 pm by 東 賢太郎
1815年にインドネシアのタンボラ山で過去1600年間で最大規模の噴火があった。ポンペイを消滅させた79年のヴェスヴィオ山噴火の約20倍の規模で、広島型原爆の約52,000倍に相当するエネルギーであったと見積もられている。噴煙や火山灰が成層圏に達して火山性エアロゾルにより日射が遮られたため夏の気温が平年より4℃も低く7月4日には米国東海岸で降雪が、ハンガリーには茶色の雪が降り、イタリアでは1年を通して赤い雪が降った。大雨でライン川が洪水をおこして農作物が大被害を受け、暴動が相次ぎ、ヨーロッパ全体ではおよそ20万人もの死者が出た。ナポレオンがワーテルローの戦いで敗戦に追い込まれた原因の一つはこの大雨であるといわれ、1816年は欧米で近代史上最も寒い年として夏のない年(Year Without a Summer)と命名されている。
噴火の3年前、1813年12月8日にベートーベンはウィーンにて「ウェリントンの勝利またはビトリアの戦い」作品91を自らの指揮で初演していた。別名「戦争交響曲」という。ナポレオンを賞賛し、当初は「ボナパルト」と題されていた「英雄交響曲、ある偉大なる人の思い出に捧ぐ」を作曲したが皇帝になったと聞いて激怒し、楽曲の表紙を真っ二つに引き裂き床の上に投げ捨てた。そしてその10年後、今度はナポレオンの敗戦を望む王侯貴族を歓喜させる作品91を轟かせて大人気を博したのである。
翌年の1814年、彼らの望み通りにナポレオンは敗退してエルバ島に流される。諸国の王、外交官が集結して戦後処理のウィーン会議が開かれ、ベートーベンはさらにカンタータ「栄光の瞬間」を書き「戦争交響曲」がもたらした収入は彼の全作品の最高額にのぼった。しかし貴族階級に対して根深いルサンチマンがあった彼の心情が複雑だったことは、エロイカが至高の名曲となったのに対し、戦争交響曲とカンタータはほとんど演奏されなくなったという出来栄えの格差からうかがえる。
そのせいだろうか、人気、収入、そして不滅の恋人の出現と人生の絶頂であった1810~1814年に作曲はスランプに陥っているのである。その期間の彼のメインストリームの作品というと、1810年の弦楽四重奏曲「セリオーソ」、1812年の交響曲第8番、1814年のピアノソナタ第27番しかなく、公衆を喜ばせ金銭を得ることと真に書きたい音楽を書くことへの分裂があったかのようだ。これは一見、フィガロの作曲中にピアノ協奏曲第24番ハ短調を書いたモーツァルトに重なるようにも見える。しかし、真相はそうではない。
1814年4月11日、ナポレオンが島流しになった5日後にベートーベンはウィーンのホテル「ローマ皇帝」で自身がピアノを弾いてピアノ三重奏曲「大公」を初演したが、それが彼の公の場での最後の演奏になった。なぜかというと、弦楽器の音をかき消すほど乱暴にピアノを弾き、演奏は失敗に終わったからだ。近代史上最も寒い年まであと2年。人前での演奏を断念するほどに彼の耳は絶望の崖に向けてさらに悪くなっていたのである。スランプの理由は難聴が最悪になったショック(パニック)だったとシンプルに考えれば筋が通る。その証拠に、問題の1816年には藁をもつかむべく「補聴器」が、そして18年にはいよいよ言葉を聴きとることを断念して「会話帳」が必要になっている。
1815年に弟カスパル・カールが死去し、甥カールの親権をめぐる法定闘争が4年半もあったことがスランプの原因とする説もあるが、私見では、それは原因ではなく結果である。彼は日々心血を注いで育てるべくカールを手元に置くことに異常な執念を見せたわけだが、なぜかというと、ひたひた迫りくる悪魔の如き「音無き世界」の恐怖から逃れるために集中する相手が必要だ。彼が多くの女性、とくに人妻(子連れ)に結婚を迫ったことも同様で、多情だったわけでもプレイボーイだったのでもなく、そうした別の、誰かと一緒にいたいというより切実な「内面からの」切ない欲求だったと解釈ができる。この恐怖はただでさえ人を支配する。しかも、心から気の毒と思うことに、健常者すら平穏に過ごせぬ気象の暗転が追い打ちをかけていた。
以前に書いたが、僕は香港時代にストレスから突然パニック障害に襲われた経験がある。消えたと思うや何の前ぶれもなく現れ、内面の異変から一生逃れられない恐怖は人を打ちのめす悪魔だ。ベートーベンほど細かい神経を持つ人間が絶望の淵に追い込まれ、そんな状態で生きるなら自死して悪夢を絶つ方が余程ましだと追い込まれて書いたのがハイリゲンシュタットの遺書だという理解は僕には自然だ。死ぬまで至らぬとも多くの人が一歩手前で容易に陥る症状であるパニック障害(現代の米国人の2%が罹患)に陥らなかったとは考えにくく、そう記録されていないのは当時の医学では病気と認識されず奇行癖で片づけられたからだ。
そしていよいよ夏のない年、1816年がやってくる。補聴器を携えひとり過ごす日々は歴史に刻まれるほど長く暗く寒かった。前年から手掛け、この年に完成したピアノソナタ第28番イ長調が問題の年のベートーベンの心を映す鏡だったことは多くの方の同意を頂けるのではないか。同年にはもうひとつ、連作歌曲「遥かな恋人に寄せて」も作曲されている。これは史上初のリーダークライス(円環形に閉じた連作歌曲)であり、すでにソナタ第28番においてMov1冒頭主題が終楽章で再現する原型が見られる。連作歌曲はシューベルト、シューマンに連なり、冒頭主題の終楽章での再現はブラームス、フランク、ヤナ―チェックに連なる。「遥かな恋人に寄せて」はシューマンが愛好し幻想曲ハ長調、弦楽四重奏曲第2番に引用しており、第3曲はメンデルスゾーンの真夏の世の夢の「舌先裂けたまだら蛇」にエコーしており、これがメインストリームの作品であることがわかる。困難の最極北にありながら彼は運命に抗い、けっして負けていない。このことほどベートーベンという人の本質をあらわすものはない。
本稿の本題であるピアノソナタ第28番にやっとたどり着いた。僕はこれにベートーベンの内的葛藤を聴いて心苦しくなりもする(Mov2)が、終楽章の圧倒的なフーガ(厳密なフーガでないのはモーツァルトのジュピターと同様)に至って、この理詰めで精緻な音楽構築への没頭こそ彼が病を乗り越えて天寿を全うできた鍵であったことを知るのである。これの同型のバージョンアップが第29番ハンマークラヴィールであり、どちらも絶対の勇気を与えてくれるのは、彼が難事を克服せんと封じ込めた音魂が琴線に触れ、鼓舞もしてくれるからだ。彼の実像は蓋し肖像画がイメージさせる不屈の意志を持った強い超人ではないだろう。我々と同じく弱い一個の人間だ。にもかかわらず、折れかかっては立ち向かい、それが最後に彼を満足させたかどうかは問うまでもないが、為すべきことをしたのである。28番がその入り口とされ、以降は「後期」と呼ばれる彼の最後のピリオドは他のどの作曲家とも違うのはもちろん、それまでの彼自身とも異なる。
28番はドミナントのホ長調で優しげに始まる。しかし調性も曲調もファジーであり、やがてシンコペートされたリズム、増四度のAisの曖昧模糊とした霧にまぎれこみ、終わってみれば何を見ていたか忘れてしまった白昼夢のようだ。そこに唐突なヘ長調で暴力的に闖入するMov2はメフィストフェレスのダンスで、平和な気分を狂気の情動が突き上げる。スケルツォのようだが “生き生きと行進曲風に” とあるこれは心中で彼を追い詰めるカリカチュアだが、諧謔とは程遠い残酷で無気味なものだ。リヒテルとホロヴィッツのライブは一聴に値する。特に後者のスタッカートは悪魔的であり、シューマンのクライスレリアーナ第1曲にエコーしていることがわかるという点でMov2は僕はホロヴィッツを採る。
クライスレリアーナのクライスとはE.T.A.ホフマンの自画像であるヨハンネス・クライスラー楽長に由来するが、Kreisは「円」であり、リーダークライス(Liederkreis)に通じることからも両曲の関連をシューマンは意図したと見える。やがて右手がつまづいたが如くDes durの挿入で切断され、音楽は低音部で調性感を失って浮遊しながら落ちてゆき、地の底に届いて沈殿する。するとピアノはサステインペダルを解放し、大地から立ち昇る陽炎が天使の姿になって無数に空に昇ってゆく風である。右手のつまづきの部分はクライスレリアーナでは闖入するB durの驚くべき和声的イベントとして耳を釘づけにする。中間部は鏡像の対位法的で最後に低音でリズムの律動が裸で脈打つ所はシューマンがライン交響曲Mov1で使う。神は細部に宿るというが、こうした部分に天才たちの感性が光っている。
Mov3は序奏にアダージョがある。アンドラーシュ・シフはこれがチェロ・ソナタ第4番と共通の構造だと看破しているが、僕はMov3序奏を楽章と見た場合に28番の楽章の調性A-F-Am-Aと交響曲第7番のA-Am-F-Aに近親性を見る。このアダージョは通して弱音ペダルを踏み、素材もテンポも類似はないが第7番のMov2を想起させる。緩・急の対比ということでいえば大公でラズモフスキー1番を先駆とする「緩と急(スケルツォ)の逆転」がおきており、ピアノソナタ第28-31番、第九交響曲、弦楽四重奏曲第16番に引き継がれる。28番では逆転した緩徐楽章が終楽章の序奏になっており、これは29番で長大かつ深淵なアダージョ楽章に発展する萌芽である。ちなみに彼を尊敬したシューベルトはこれだけは従わず完成されたピアノ・ソナタで第2楽章にスケルツォが来る作品はなく、ベートーベンを範としたブラームスも交響曲でそれを踏襲しなかったが、シューマン(!)は交響曲第2番で、ブルックナーは8、9番、マーラーは6番で行った。
アダージョの最後にひっそりとMov1冒頭のテーマが再現する。それは旋律的ではあるが後ろの楽章の素材になっていたわけではなく、醸し出すある一定の夢のような感情、アトモスフィアを漂わせるだけの存在であったことがわかる。そして、それをかき消すように精気溢れるアレグロ主題が現れる。こちらは旋律的ではなく運命主題のごとくメカニックであり、技法の限りを尽くした息もつかせぬ展開の末にフーガに至る。彼は11才から先生のネーフェにバッハの平均律をたたきこまれており、これは29番のフーガフィナーレに発展するものだ。ベートーベンにしか書けぬ鋼の如き音楽である。白昼夢、悪夢、悲嘆と辿ってきた音楽は白昼夢の回想で目覚め、意志の力ですべてをふりはらう。
PS
昨日11月7日、インドネシアのレウォトビ火山で大噴火が発生した。それを知ったのは同日の夕刻、出張先の静岡でのことだ。本稿はインドネシアのタンボラ山噴火の話で始まるが、執筆は11月3日からで噴火の前日の6日に脱稿している。何とも奇遇だなあと思った。先ほど帰宅して調べると噴火は11月3日から始まっていて、書き始めたのはほぼ同時だったこともわかった。もちろんそんなこととは夢にも知らない。
ベートーベンの28番に言及するのに噴火の話から書き始めたのは、太陽黒点の数が減少した「ダルトン極小期」と関係がある。僕は太陽活動が人類に影響を与えると考えており(与えないはずがないと言った方がいい)、太陽黒点数の推移データに関心を持っている。この期は1790年から1830年まで続いた。すなわち、ベートーベンの全作品は始めも終わりもほぼぴったり重なってダルトン極小期に書かれているのである。
そこでネットを検索すると、他の多くの極小期と同じくダルトン極小期でも寒冷化の現象が見られ、特に1816年はタンボラ火山の噴火から極めて寒冷となり「夏のない年」となったことを知った。こうなると僕は抗いようのない習性から「その年にベートーベンは何を書いたろう?」となる。それが28番であり、偶々11月2日にそれを聴いており、朝からMov2が頭で鳴っていた。だから11月3日に28番について書こうと思い立ち、夏のない年、タンボラ火山、という流れになったのが顛末だ。
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三島の「憂国」と「トリスタン」の関係
2024 JUL 28 0:00:50 am by 東 賢太郎
次女が来たので寿司でも行くかと玉川高島屋に寄った。高校に上がった時にこのデパートができてね、田舎の河原で玉電の操車場だったこのあたりが一気に開けてニコタマになったんだ。鶴川からおばあちゃん運転の車で家族で食事に来てね、おじいちゃんに入学祝いに買ってもらったのがあのギターなんだよ。しっかりした楽器でね、今でもいい音が鳴るだろ。
こういうことはつとめて言っておかないと消えてしまう懸念がある。寿司屋の階にロイズという英国のアンティーク店があり、帰りにふらっと入ってみる。イタリアのランプや書棚など、あれとあれね、いくつかここで衝動買いしてるだろ、でも基本はお父さんはアメリカのドレクセル・ヘリテイジ派なんだ、書斎の革張りの両袖デスクもランプも、どっしりしたの20年も使ってるでしょ。
そう言いながらこのアメリカとイタリアにまたがる根本的に矛盾したテーストが何かというと、生来のものなのか、16年の西洋暮らしの結果なのかはとんと区別がつかなくなっている自分に気づくのである。実際、自覚した答えには今もって至っていないが、おそらく生まれつき両方があり、本来は別々のものだが、長い人生であれこれ見ているうちに互いの対立が解けてこうなったのだろうと想像は及ぶ。それを静的な融合と見るか動的な発展と見るか、はたまたそんなものは言葉の遊びでどっちでもいいじゃないかと思考を停止してしまうかだが、それだとドイツ人の哲学は永遠にわからない。となるとベートーベンの音楽の感動がどこからやってくるかもわからないのである。
さように自分が何かと考えると、三島由紀夫の「詩が一番、次が戯曲で、小説は告白に向かない、嘘だから」を思い出す。この言葉は啓示的だ。そのいずれによっても告白する能力がない僕の場合、告白が表せるのは批評(critic)においてだ。その技巧ではなく精神を言っているが、これは自分を自分たらしめた最も根源的な力であろう。しかも、最も辛辣な批評の対象は常に自分であって情け容赦ないから、学業も運動も趣味も独学(self-teaching)が最も効率的だったのだ。しかしteacherである自分が元来アメリカ派なのかイタリア派なのか迷うといけない。そのteacherを劣悪であると批評する自分が現れるからだ。だから、僕においては、言葉の遊びでどっちでもいいじゃないかと思考を停止することはあり得ず、やむなく弁証法的な人間として生きてくる面倒な羽目に陥っており、そのかわりそれは動的な発展であり進化であると無理やり思っているふしがある。
詩が一番。これは賛同する。40年近く前になるが、高台の上に聳えるアテネのパルテノン神殿に初めて登って、太いエンタシスの柱廊の間をぬって8月の強い陽ざしを浴びた刹那、西脇順三郎が昭和8年に発表したシュルレアリスム詩集「Ambarvalia」冒頭の著名な「天気」という詩、
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。
がまったく不意に電気のように脳裏を走ったのを思い出す。高校の教科書にあったこれが好きだった。覆された宝石はジョン・キーツの「like an upturn’d gem」からとったと西脇が認めているらしく、それでも()で括ってぎゅっと閉じた空間の鮮烈は眼に焼きつく。ひっくり返された宝石箱、誰かも何語かも知れぬ言葉のざわめき、色と光と音の渾沌と無秩序が「それは神の生誕の日」の句によって “なにやら聖なるもの” に瞬時に一変する万華鏡の如し。回して覗くとオブジェがぴたりと静止し、あたかも何万年も前からそういう造形美が絶対の権威をもってこの世に普遍的に存在していたではないかの如くふるまう、それを言語で成し遂げているのは見事でしかない。神といいながら宗教の陰はまるでない(少なくとも高校時代にはそう読んだ)。それは無宗教とされて誰からも異存の出ない日本という風土の中でのふわふわした神なのだが、キリスト教徒やイスラム教徒はそうは読まないだろう。それでいいのだ、彼らは日本語でこの詩を読まないから。
作者はこれを「ギリシヤ的抒情詩」と呼んだが、確かにアテネのちょっと埃っぽい乾いた空気に似つかわしいのだが、僕にはすぐれて叙事的に思える。であるゆえに、この詩の創造過程に万が一にも多少の噓の要素があったとしても、できあがって独り歩きを始めた詩に噓はないと確信できるのだ。
フルトヴェングラーは語る。バッハは単一主題の作曲家である。悲劇的な主題を創造したがそれは叙事的であり、曲中でシェークスピアの人物の如く変化する主題を初めて使ったのはハイドン、進化させたのはベートーベンとしている(「音楽を語る」52頁)。そこでは二つの主題が互いに感じあい、啓発しあって二項対立の弁証法的発展を遂げ、曲はそうした “部分” から “全体” が形成される。これはドラマティックな方法ではあるが、ドラマ(悲劇)による悲惨な結末がもたらす、即ちアリストテレスのいう「悲劇的浄化」ほどの効果は純音楽からは得られないから悲劇的結末を持つ「トリスタン」「神々の黄昏」のような音楽作品は “楽劇” である必要があると説くのである。
これは音楽は言葉に従属すべきでないと述べたモーツァルトの思想とは正反対であって、長らく彼を至高の存在として信奉してきた僕には些かショッキングな言説であった。だが矛盾はないのだ。なぜならワーグナーの楽劇という思想は彼でなくベートーベンから生まれたからである。単一主題の作曲家といってもバッハの曲ではあらゆる発展の可能性が主題自身に含まれており、フーガの場合のように対旋律を置いているときでさえもすべてが同じ広がりの流れで示され、断固とした徹底さをもって予定された道を進んでいく。ベートーベンにそれはなく、複数ある主題の対立と融合とから初めて曲が発展している、そして、そのように作られた第九交響曲の音楽にふさわしいシラーの詩を後から見つけてきたことで、モーツァルトから遊離もないのである。
明治25年生まれの芥川龍之介はクラシックのレコードを所有しており、それで幼時からストラヴィンスキーの火の鳥やペトルーシュカを聴いて育った三男の也寸
志は作曲家になった。三島由紀夫は三代続けて東大法学部という家系でみな役人になったのだから文学者にあまり似つかわしくはない。彼はニューヨーク滞在歴はあるが留学はしておらず、にもかかわらず、録音が残るその英語は非常に達者だ。内外に関わらず言語というものに精通し、図抜けて回転が速く記憶力に秀でた知性の人が、自己の論理回路に子細な神経を通わせてこそ到達できるレベルだ。音楽については「触れてくる芸術」として嫌い、音楽愛好家はマゾヒストであるとまで言ったのでどこまで精通したのかは不明だがそうであって不思議はなく、少なくともトリスタンは愛好したとされている。
なぜだろう。トリスタンとイゾルデは運命においては敵同士という二項対立であり、それが媚薬で惹かれあって生々流転の宿命をたどり、最後は二人ともに死を迎える。ドラマとしてはロメオとジュリエット同様に紛れもない悲劇なのだが、音楽がカルメンやボエームのように短調の悲痛な響きによってこれは悲劇だと告知することは一切ない。それどころか、先に逝ったトリスタンの傍らでイゾルデは長調である「愛の死(Isoldes Libestot)」を朗々と歌い上げ、至高の喜び!(hoechste Lust!)の言葉で全曲を感動的に締めくり、トリスタンに重なるように倒れ、息を引き取るのである。すなわち、生と死という二項対立が愛(Liebe)によって「悲劇的浄化」を遂げ、苦痛が喜びに変容し、二人は永遠の合一を許されたのである。
永遠の合一。この楽劇の揺るぎないテーマはそれである。歌劇場で客席について息をひそめるや、暗闇からうっすらと漏れきこえる前奏曲(Vorspiel)は、まさに艶めかしい ”濡れ場” の描写だ。それはこの楽劇が叙情的(lyrical)なお伽噺ではなく、すぐれて叙事的(narrative)であり、それまでの歌劇のいかなる観念にも属さぬという断固たる宣誓だ。演劇でいうならシラーを唯物論化したブレヒトを予見するものであり、映画なら冒頭の濡れ場が「愛の死」のクライマックスで聴衆の意識下でフラッシュバック (flashback) する現代性すら暗示する。その写実性が作曲時に進行中だったマティルデ・ヴェーゼンドンクとの不倫に由来するのは言うまでもないが、それを写実にできぬ抑圧から、既存の音楽のいかなる観念にも属さぬ「解決しない和声」という、これまた現代性を纏わせた。
これがヒントになったかどうか、定かなことは知らぬが、三島が二・二六事件を舞台に書いた「憂国」の青年将校武山信二と麗子はトリスタンとイゾルデであり、その含意は「潮騒」の久保新治と宮田初江いう無垢な男女がダフニスとクロエである寓意とは様相が大いに異なる。自身が監督、信二役で映画化した「憂国」はむしろ乃木希典将軍夫妻を思わせるのだが、将軍は明治天皇を追っての殉死、信二夫妻は賊軍にされた友への忠義の自決であり、今の世では不条理に感じるのはどちらも妻が後を追ったことだ。庶民はともかく国を背負う軍人にとって殉死も忠義も夫婦一体が道理の時代だったのだが、それにしても気の毒と思う。まして西洋人女性のイゾルデにそれはあるはずもなかったのに、やはり後を追っている。こちらは殉死でも忠義でもなく「愛」の死が彼女を動かした道理だったのであり、それがトリスタンが苦痛のない顔をして逝ったわけであり、二人が永遠の合一という至高の喜びへ至るプロセスだというドラマなのだ。「潮騒」にもダフニスとクロエにも命をも賭す道理というものはないが、憂国とトリスタンには彼我の差はあれど道理の支配という共通項は認められるのである。
三島は団藤重光教授による刑事訴訟法講義の「徹底した論理の進行」に魅惑されたという。わかる気がする。その文体は一見きらびやかで豊穣に見え、英語と同様に非常にうまいと思うわけだが、根っこに無駄と卑俗を嫌悪する東大法学部生っぽいものを感じる。あの学校の古色蒼然たる法文1号館25番教室は当時も今も同じであり、彼はどうしても等身大の平岡公威(きみたけ)氏と思ってしまう。虚弱でいじめられ、運動は苦手で兵役審査も並以下であり、強いコンプレックスのあった肉体を鍛錬で改造し、あらまほしき屈強の「三島由紀夫」という人物を演じた役者だったのではないかと。彼は蓋しイゾルデよりもっと死ぬ必要はなかったが、名優たりえぬ限界を悟ったことへの切々たる自己批評(critic)精神とノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)を原動力とした自負心から、彼だけにとっての道理があったのではないか。そこで渾身の筆で自ら書き下ろした三島由紀夫主演の台本。その最後のページに至って、もはや愛と死は肉体から遊離して快楽も恐怖もなく客体化されており、そこにはただ「切腹」という文字だけが書いてあったのではないかと思えてならない。
もし彼が生きていたら、腐臭漂うと描写してすら陳腐に陥るほど劣化すさまじい、とてつもない場末で上映されている西部劇にも悖る安手の “劇場” と化した現在の暗憺たる世界の様相をどう描いたのだろう。間違いなく何者かの策略で撃ち殺され亡き者になっていたはずのドナルド・トランプ氏が、何の手違いか奇跡のごとく魔の手を逃れ、あれは神のご加護だったのだとされる。そうであって一向に構わないが、西脇順三郎が描いた、あたかも何万年も前からそういう造形美が絶対の権威をもってこの世に普遍的に存在していたと思わせてくれるような神の光臨、それを目のあたりにする奇跡というものを描けて賛美された時代はもう戻ってきそうもない。
いま地球は一神教であるグローバル教によって空が赤く、血の色に染め上げられている。それが昔ながらのブルーだと嘘の布教をする腐敗したメディアが巧妙にヴィジュアルに訴求する画像を撒き散らし、世界のテレビ受像機、スマホ、パソコンの類いを日々覗いている何十億人の者たちはその洗脳戦略によって空はいまだ青いと信じさせられており、その残像に脳を支配されている。誰かが耐えきれず「空は赤いぞ」と言えば「王様の耳はロバの耳」になってその者がyoutube等のオンラインメディアで私的に主催する番組が強制的にバン(閉鎖)されたりするのである。これが顕在化した契機は2020年のアメリカ大統領選におけるトランプ候補の言論封殺であった。政治とメディアがグルになった超法規的な言論統制が公然と行われたことからも、あの選挙がいかに操作されたものだったかが類推されよう。オンラインでの商売をするGAFAが必然とする越境ビジネスで各国の税務当局と徴税権を争った訴訟を想起されたい。これはB29が高射砲の届かぬ高度での飛行能力を得ることで安全に楽々と原爆を投下できたようなものだ。グローバル教の本質は各国の刑法も刑事訴訟法も裁けぬ強姦である。AIが越境洗脳の基幹ツールであり、生成AI半導体を牛耳るエヌビディアがあっという間に3兆ドルと世界一の株式時価総額(日本のGDPの8割)に躍り出たのはそのためだ。団藤重光教授の刑事訴訟法講義に啓発された三島はこれをどう評しただろう。かような指摘が陰謀論でなく確たる事実であると語れるのは、僕がグローバル教の総本山のひとつである米国のビジネススクールで骨の髄まで教育されているからなのだ。だから、経済的なことばかりを言えば、僕はフィラデルフィア、ニューヨークに根を張るその流派の思想に何の違和感もなく唱和、融和でき、現にそれが運用益をあげるという現世享楽的なエピキュリアンな結末を長らく享受している。日本の運命は商売には関係なく、独語でいい言葉があるがザッハリヒ(sachlich、事務的、即物的)に行動すれば食うのに何も困らない。
しかし僕は金もうけのためにこの世に生を受けた人間ではない。そこで「生来のものなのか、16年の西洋暮らしの結果なのかはとんと区別がつかなくなっている自分」という冒頭に提示した批評が内でむくむくと頭をもたげるのだ。渋沢栄一と袂を分かって伊藤ら長州のクーデターに組した先祖、天皇を奉じて陸軍で国を護ろうとした先祖、誰かは知らぬが京都の公卿だった先祖、そうした自分に脈々と流れる血は畢竟だれも争えないものなのであり、家康につながる父方祖母の濃い影響下で幼時をすごした三島の意識下の精神と共鳴はありそうにないと感じる。断固たる反一神教なら徳川時代の鎖国に戻るしかなく、むしろ国を滅ぼす。外務省がやってるふりを装おう賢明な妥協を探る努力は解がないのだから永遠に成就しない「アキレスと亀」であって、いっぽうで、学問習得の履歴からして賢明ですらない現在の政治家がグローバル教の手先になって進める世界同質化は国の滅亡を加速する。異質を堂々と宣言して共存による存在価値を世界に認めてもらうのが唯一の道であり、それを進めるベースは直接にせよ間接にせよ核保有しかない。非核三原則修正で米国の原潜を買うか、少なくとも借りれば必要条件は満たすからトランプとディールに持ち込むべきであり、9月の自民党総裁選はその交渉能力と腹のある人が選ばれないと国の存亡に関わる。くだらない政局でポストを回すなら紛れもない国賊としてまず自民党が潰されるべきである。
これまで何度も、メディアが撒き散す画像が虚偽であり、その戦略の源泉は共産主義に発し、ロシア革命を成功させたがソ連という国を滅ぼし、ギー・ドゥボー
ルが卓越した著書「スペクタクルの社会」に活写したそれそのものであり、米国大統領、日本国首相は紙人形より軽いパペットでよく、むしろ神輿は軽めが好都合でさえあることを書いてきた。バイデンが賞味期限切れだ。「あたしがクビならうちのカミさんでいかがですか」とコロンボ刑事ならジョークを飛ばしそうだが、まじめな顔で “劇場” がバイデン夫人、オバマ夫人が民主党候補と世界に流すともっともらしいスペクタクルに化ける。そうなったかどうかではなく、それを現象として観察すべきなのだ。東京都知事ごときはうちのカミさんどころか “ゆるキャラ” でよく、すでにメディアの祭り上げで知名度だけはポケモン並みである小池氏においては、教養と知性の欠如が露見してしまう選挙期間中の露出や討論など有害無益と判断されたのだろう。いや、ひょっとすると、ワタクシ小池百合子は一神教の教祖様と市区町村長に強く請われて出馬してるんです、あんたら賤民の支持率なんて岸田さんと一緒で0%でよござんす、それより妙なことをおっしゃると「王様の耳はロバの耳」で厳罰に処されますわよ、青い空を赤と言ったりできないのが日本の常識ですわよね2年前の7月8日からオホホ、という新演出のスペクタクルを都民は見せられたやもしれぬ。うむむ、なんという奇っ怪、面妖な。
欧州各国では葦が「王様の耳はロバの耳」とつぶやき出して政権のバランスが激変してきている。イランでは王様が嫌がる政権が誕生した。トランプになれば・・・そう願うが敵もさるものだ。何といっても、4年前、僕も目撃した歴史的放送事故があった。テレビだったかオンライン番組だったか、バイデンが「我々は過去に類のない大規模な投票偽装の仕組みを既に用意している!」と力こぶをこめ、当選に自信のほどをぶちあげてしまったのだ。TPOを誤解してたんだね、気の毒だねと認知症が全米にバレた。そのバイデンを本当に当選させてしまった奇術師の如き連中だ、今回はどんな出し物が登場するか知れたものではない。そうなればなったで一市民は無力である。株も為替も動くから僕は経済的なことに徹してポジションを最適化するだけだ。「王様の耳はロバの耳」。日本の多くの葦たちが唱和するしか日本を救う道はない。かっぱらいと万引きと、どっちが罪が軽いですかというお笑いイベントになってしまった都知事選、本来なら投票率は激減だったはずがアップさせた石丸氏の健闘は一服の清涼剤ではあった(僕も投票した)。
「トリスタンとイゾルデ」に戻ろう。この音楽については既稿に譲るが、ここでは「憂国」に即して前奏曲と愛の死につき、これがセクシャルな観点で女性には申し分けないが想像を逞しくしてもらうしかないものであることにもう一度触れよう。ブラームスやブルックナーのような奥手な男にこういう皮膚感覚とマグマに満ちた音楽は書けないのである。ワーグナーはイケメンでもマッチョでもないが女性にもてた、これがなぜか、これは逆に男には不明だが、くどいほど雄弁で押しが強い大変なフェロモンのある男だったのだろう。
前奏曲のピアノ・リダクションで、音量が1小節目の ff から2小節目のmeno f(あまり強くなく)にふっと落ち、第1,2ヴァイオリンの波打つような上昇音型が交差する部分だ。ここで官能のスイッチが切り替わる。そして徐々に、延々と、フィニッシュの極点(ff)に向けて激していく。
ここの曲想の質的な変化に非常に官能的に反応しているのがカラヤン/BPOだ。こういう感覚的な読みができるのがこの人の強みで、人気は決して伊達ではない。それを5年前にはこんな婉曲な方法で書いた自分もまだまだであった。
menofでホルン(f)をやや抑えて、弦の音色を柔らかく変化させ絶妙の味を醸し出しているのが7か月後に世を去ることになるフルトヴェングラー/BPOの1954年4月27日のDG盤(前奏曲と愛の死)だ。この部分から身も世もないほど激して一直線に昇りつめるのではなく(それは楽譜から明らかに誤りだ)、潮の満ち干のごとく押しては引き、内側から渦を巻いてぐんぐん熱を帯び、秘められた論理構造に添って目くるめく高みに労せずして達していくという大人の音楽が聴ける。コンサートのライブであり愛の死に歌がないのが残念だが、頂点に至っての命がけのテンポ伸縮を聴けばそんな不満は吹っ飛んでしまう。もうフルトヴェングラーの秘芸とでも形容するしか言葉が見つからないトレジャーだ。
クナッパーツブッシュ盤はウィーン・フィルとの王道の横綱相撲で、黄泉の国から立ち上がるようにひっそり始まる曲頭のチェロの a音などぞくぞくものだ。ただ楽譜2小節目のmenofはほぼ無視で音色も変えず、ひたすらぐいぐい高揚してしまうのは大いに欲求不満に陥る。しかしこの演奏、愛の死に至ると様相は一変するからここに書かざるを得ない。一世を風靡したビルギット・二ルソンは贅沢な御託を垂れれば立派すぎて死の暗示に幾分欠ける(その点はライブで聴いたレナータ・スコットとヒルデガルト・ベーレンスが忘れられない)。だが、ないものねだりはよそう。圧倒的な歌唱はもう泣く子も黙るしかなく、指揮と歌が一体となって頂点に血を吹いたように燃えるこれを聴かずしてワーグナーを語らないでくれ、こんな成仏ができるなら「悲劇的浄化」もなにもいらない。音楽は麻薬だ。トリスタンとイゾルデは彼の芸術の最高峰であり、全曲完成後に「リヒャルト、お前は悪魔の申し子だ!」と叫んだワーグナーも、これを聴いて自分の中に棲む魔物に気づいたんじゃないか。三島がそれを見てしまった演奏は誰のだったんだろう?
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読響定期 ダン・タイ・ソンを聴く
2024 JUN 16 0:00:53 am by 東 賢太郎
指揮=セバスティアン・ヴァイグレ
ピアノ=ダン・タイ・ソン
ウェーベルン:夏風の中で
モーツァルト:ピアノ協奏曲第12番 イ長調 K. 414
シェーンベルク:交響詩「ペレアスとメリザンド」 作品5
音楽に割ける時間が少なくなっているのが悩ましい。ヴァイグレは先代のシルヴァン・カンブルラン同様にフランクフルト歌劇場で活躍した人だが、同劇場は思い出深い場所であり縁を感じる。フランス人カンブルランのメシアンは衝撃的だったが、東独で学びシュターツカペレ・ベルリンの首席ホルン奏者だったヴァイグレの新ウィーン学派はこれまた楽しみで、このシリーズには3月にヴォツェックがあってウェーベルン、シェーンベルク、ベルクが揃う。
この日はヴァイオリニストの前田秀氏とご一緒したが、予習されたとのことでペレアスのスコアを持参された。12音前、ポストマーラーの入り口に立つ作品である。メリザンドは男の本能を手玉に取る。僕も抗しがたいがフォーレ、ドビッシー、シェーンベルク、シベリウスもそうであり、シェーンベルクの回答がこの作品5だ。作品4「浄められた夜」同様に調性音楽で室内交響曲第1番作品9に向けて調性が希薄になる。その時期を横断して書かれたのが「グレの歌」でこれは作品番号なしだ。過去2度ライブを聴いたが春の祭典ができそうな大管弦楽で精密な音楽を構築している。独学の作曲家、おそるべし。ヴァイグレの指揮は主題の描き分けが明快で音は濁らず立体的に鳴り心から満足した。
キャリア官僚を勤められた前田氏はいまは客席よりステージにいる方が多いとのこと。米国の学者との交流、シベリウス5番を平均律で弾けという指揮者の指示など興味深い話を伺った。思えば氏とは2017年に豊洲シビックセンターで行った「さよならモーツァルト君」の演奏会で、ライブイマジン管弦楽団のコンマスをやっていただいたのがきっかけだ。ハイドンが98番にジュピターを引用してモーツァルトを追悼したというテーマだったが、そういえば、ピアノ協奏曲第12番はモーツァルトがヨハン・クリスティアン・バッハの訃報を知り、彼のオペラ「心の磁石」序曲の中間部を引用して追悼した曲だ。偶然だが何かのご縁だったのだろうか。
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イリーナ・ヴェネジアノのショパンについて
2024 JUN 13 15:15:31 pm by 東 賢太郎
いま仕事で頭がいっぱいであり息が抜けない。経営者に休日はない。何をしても、ジョギングしても野球を見ても晴れない。好きだからストレスはないのだが、頭の方は元気いっぱい、いけいけ状態なので、気を使ってマッサージでも行ってやらないと体が壊れる心配はある。どうしようもないかというと、一つだけ救いがある。ピアノだ。いくら弾いても一向にうまくなる気配はないが、5,6時間も没頭できるし、その間は仕事の回路が無になってクーリングオフできるのは非常にありがたい。
ピアノを触りだすと好き嫌いはともかくショパンは避けて通れなくなる。僕のようなお粗末な技術でもそれらしく鳴る曲があるからで、同レベルに聞こえる曲でもシューマンやブラームスは弾きにくくて手が出ないがショパンは弾けたりする。その辺の技術的な根拠は知らない。軍隊ポロネーズ、子犬のワルツは弾いていたことがあるがどうも曲が浅い。好きなのはワルツ第9番 変イ長調 Op.69-1や、簡単だが奥深い前奏曲第4番ホ短調、第15番変ニ長調(雨だれ)のような曲だ。聴くと弾くでは対象認識が異なり、ショパンは好きなのだ。
娘たちが習っていたバラード1番。これは聴くのも大好きだが、弾くのは無理である。だから同曲に関してはやむなくツィマーマンのDG盤を大事にしている。この人、技術も感性も素晴らしい。難所を易々とクリアして自在だ。何事もそうだが、「自在」というレベルまで行かないと一頭地ぬけたことはできない。音楽の場合、そこからは演奏者の人間性が出る。一般に解釈というが、要するにどういう “人となり” かということだ。聴き手には、それに合うあわないで感動の度合いが変わるし、そこが醍醐味でもある。
知らない弾き手の人間性を探り、自分と合うスクールの人を見つけて応援する。これは僕の生まれつきの本性であり、こうして音楽について散文を書くこともそこに源泉があって尽きることがない。同じことを広島カープの二軍を見て田村、佐藤、二俣らの若手に感じているし、なんでクラシックと野球なのかはわからなくても結構だが、ひとことで言うならこれが我が “人となり” なのだ。音楽や演奏家を「評論」する気など毛頭ない。自分と合うかどうかだけであり、合うから書いているのであり、そもそも良い演奏の規範があるなどと思ってない。演奏家を目指す皆さんはそんなありもしない砂漠のオアシスを目指してもゴールはないし、聴き手にお薦めがあるとするなら、自分の好きなのをお聴きなさい、それだけだ。
僕はNEXTYLEというサイトを作っていろんなジャンルで世界に挑戦する日本の若者たちのビデオを作成し、youtubeにアップしている。音盤をCDRにしてアップしているのと同様ビジネスでも慈善でもない。単純に、意気軒高な若者を応援するのが趣味なのだからどうしようもない。僕がショパンコンクールに関心があり、かつて幾つか稿を重ねたことがあるのも、あの場というものはそれのクラシック版だと考えているからだ。上位入賞者ばかりが著名になるが、僕は1,2次予選敗退者まで見る。隠れた才能を見つける喜びは格別で、何より、すべての参加者がチャレンジャーなのだ。ジャンルこそ違え、自分もそういうティーンエイジャーだった。だから好きなのだ。
本稿は先日youtubeで見つけた25歳のイタリア人ピアニストに触発されて書いている。2010年にセミファイナルまで進出(三次予選で敗退)した、Irene Veneziano(イリーナ・ヴェネジアノ)のバラード1番がそれだ。
何という素晴らしい歌、デリカシー、品格だろう!これにはぞっこんになってしまい、彼女をぜんぶ聴いた。このバラードが技術を競う側面のあるコンクールで品評されるのはしのびなく(というより、本来、無意味だろう)ショパンをうまく弾く人は数多いるが、この品格というものは練習して作れるものではない。できるのは技術までであって、そこから先の自在の領域で出るものはその人そのもの次第という、良くも悪くもどうにもならないものだ。
たとえば35小節目から次小節への入りとそこからのテンポ、壊れそうにせつないデリカシー、僕はここが大好きで、ツィマーマンが大変見事だがヴェネジアノも匹敵する。名だたる大家を含め、ここを詩的に弾いてくれる人はほとんどいないのである。譜面にそういう指示はなく、音符の裏を読むかどうかという話だからまさに人となりにかかってくる。ちなみに2010年の優勝者ユリアンナ・アヴデーエワのバラード1番はこちらだ(別な機会の演奏)。
うまいというならこれだろう。それを競って大向こうを唸らせるコンクールという場は聴き手にとっては一種のショーである。アヴデーエワの技量と個性が大器であることは認めるが、個人的にはロシア人のショパンのような手あいのものがこの作曲家を苦手にしていることにも気づく。ショパンはフランス人とスラブ人のハーフだからロシア人が弾いてどうのということはないが、個人的にはラテン寄りの解釈が肌にあうようだ。
ショパンの楽譜は素人でも弾けそうな曲調が一転して激して6連符に5連符が重なる部分が現れたりする。これを数学的に正確に弾くのはプロでもまず無理であり、弾いたとて聴き手も認識できない。恐らく1小節に同時に弾けというある種のテンポ・ルバートの指示で厳密な音価は求めておらず、ごしゃごしゃと錯綜した効果を求めたという意味ではオーケストレーションに近い。プロがそういう難所をどう処理するかは聞きどころだし、弾く方はそういう聴衆を意識もするだろう。F難度だG難度だと、だんだん平行棒や吊り輪の体操競技みたいになっていく恐れも秘めた譜面であり、当時はなかったコンクールという場の設定はそれに拍車をかけるリスクを覚えざるをえない。
ヴェネジアノはそういった微細なことにまで譜面をじっくり勉強しましたという演奏をする人でもなければ、まったく無視で音符を爆発的に音化して満場をおおと言わせるピアニストでもない。ただただ全身から「ショパン好き」の気が発しており、寝ても覚めても彼の音楽を弾いていたいというオーラがじわじわと聴き手に迫り、特に好きではない僕のような者でも内面から温めてくれるという稀有な音楽家とお見受けする。ピア二ストであれ指揮者であれそういう姿勢こそ演奏家にあらまほしきものと考えるし、決して技術で劣ってもいないが体操競技系に向かう趨勢には目もくれなさそうな彼女のスタイルに共感するものがある。
これだけ濃い音楽を奏でられる人が3次で落ちてしまう。コンクールの価値の方が大丈夫かと心配になる。
僕はこの嬰ヘ短調ポロネーズをがんがん鳴らす演奏が大いに嫌いである。演奏家のせいではあるが音楽にその芽が内包されている。ところがここではファツィオリの低音が深く鳴って尋常でないものが宿り、下品にならない。稀有の演奏だ。
プッチーニが好きでなければこういうものは弾かないだろう。誰の編曲か、あるいは自身のものか、いいねえ、ボエームを観たくなるね。
この人はその後も欧州で多くのコンクールで上位入賞している(パリの「Tim Competition」で第1位とグランプリ)。現在39歳だがスターダムに登っている様子はなさそうで、演奏後のお辞儀を見ると当人もそういう趣向の人ではなさそうだ。このことはCDが売れなくなった音楽産業の問題でもあるのだが、それが作りあげてきた20世紀の大家とは何だったのかという根源的な問題をも喚起する。ホンモノのピアニストが等閑視され、派手な技巧とパフォーマンスがないと売れないという傾向が進むとクラシックの文化は滅びる。
グローバリズムの時代がそれに拍車をかける。それは世界のアメリカ化であり、さらに進めば芸術のディズニー化というおぞましいものが待っている。民族文化は破壊され、世界の大衆はどんどん幼稚になる。選挙は彼らによるファン投票と化し、腐った民主主義は独裁制の揺籃となる。そんな潮流の中でロシア人とイタリア人のショパンを論じてみようなどという試みはもはや用をなさないだろうが、僕はそういうナンセンスに逆行したい人間である。ロシア人が好んでプッチーニ・パラフレーズを弾くとは思えないし、幼時からの音楽言語が演奏の底流から消えると考えるのは日本人が味噌汁を飲まなくなる心配をするようなものだと信じるからだ。
最後にモーツァルトのK.488を。2015年、フランクフルトで開催された「ドイツ国際ピアノ賞」のファイナルだ。
このコンチェルトをこんなに優しく寂しくエレガントに弾く人を僕は聴いたことがない。第1楽章から悲しさが漂うのは驚くべきだが、少しも人為的なものがなく音楽は常にピュアだ。といってペライアやルプーのような珠玉をころがす美音に徹するわけでもないというユニークなアプローチといえる。白眉は第2楽章。ソロのフレーズでふっと間をあけ、何かに戸惑ってたゆとうような様はロマンティックを超えてオペラティックである。彼女のショパンにもみられるが、ピアノフォルテでこの発想はでなさそうでありモーツァルトの意図ではないだろう。彼は先進的な音楽を書いたのであり、それを紡ぎ出したヴェネジアノの感性と知性に脱帽するしかない。まだ若い。この人はさらに進化するだろう。訪日の記録はないがリサイタルを聴いてみたいし、できれば話をしてみたい。
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最高のモーツァルトP協全集はデレク・ハン
2024 APR 2 14:14:08 pm by 東 賢太郎
メンデルスゾーンの「無言歌集」をyoutuneで聞きながらぐっすり寝てしまった。目が覚めると、というか、ふわふわした夢の終りの方で、鳴ってるなと意識に入ってきたのがモーツァルトのピアノ協奏曲第15番だった。これはいいな、誰のかなと画面に目を凝らすと「Derek Han(Pf)、Paul Freeman conducting Philharmonia Orchestra」とある。
「モーツァルト自身の予約演奏会の看板作品だったピアノ協奏曲を、今日はだれの演奏で楽しもうか」というささやかな迷いはクラシック音楽愛好家だけに許される究極の贅沢である。僕はヘブラー、ペライア、アシュケナージ、内田、ブレンデル、バレンボイム、アンダ、ツァハリス、シュミットを全集で、そして全集という弾き方をしないカサドシュ、R・ゼルキン、シュナーベル、リパッティ、バックハウス、カッチェン、フィルクシュニー、L・クラウス、ハスキル、ソロモン、ハイドシェック、ルフェビュール、フライシャー、スコダ、ピリス、グルダ、カーゾン、モラヴェッツ、バーンスタイン、ショルティ、プレヴィン、フランクル、タン、ヤンドー、M・フレージャー、シュテファンスカ、ティーポ、ラローチャ、ミケランジェリ、リヒテル、ギレリス、クリーン、ランドフスカ、ポリーニ、アルゲリッチ、グールドあたりも全部持っている。二度と聞かないのもあれば一生ものもある。ここ10年ほどは買っておらず最近のピアニストに有能な人がいる事情は聞こえてはいるが耳で確かめていないのだから、20世紀のピアニストならほぼ漏れなく知っている人間ということになる。
初めて買ったモーツァルトのレコードが大学生になってすぐ(1975年5月)に生協で見つけたフリッチャイの交響曲第40、41番で、ピアノ協奏曲となるとヘブラーの26、27番であり、これの購入は7月を待ってのことだからいかに奥手だったか。どちらも廉価盤(ヘリオドール、フォンタナ)ゆえの購入であり、ベートーベンもしかりなのだが、欲しかったわけでなくクラシックの王道、深淵に立ち入らねばという気合から、即ち不得意科目の参考書を買うようなもので、結局どちらもそんなには聞いておらず、没入したのはブラームス交響曲第1番やマーラー巨人の方が余程早い。モーツァルトは翌年にスイトナー(S31,35,36,38)とハイドシェック(PC23,25)の廉価版でやっとやってきた感じがしたがそこ止まり。こうして20代でかじってはいたが、まだ聴いたとはとてもいえない。
最初に魂から気に入ったモーツァルトの協奏曲はペライアの14番だ。全集録音は1975-84年だがそれを知ったのはロンドンだから84年のことだ。まだCDよりLPの時代で、出たてほやほやの全集がコヴェントガーデンのレコードショップに飾られていてとても買いたかったが、苦しい家計にはとても高価だ。仕方なくボストンでフィルクシュニーで聴いた24番の一枚と、家内の許しで3枚組のコンサートアリア集ならということでそっちを買った。つまり僕がモーツァルトを少し紐解いたといえるのは30代になってからなのだ。そこから嗜みがビッグバンのように始まっているから僕のスタイルの原型はそこにあり、次いで内田、ヘブラーもそこそこ好きになり、関心は徐々にオペラと宗教曲に行った。30歳の好みは40代、50代、60代と自分の中でワインのように熟成して今に至るが、これがクラシックの奥深さというものなのだろう。ペライアの協奏曲全集は文句なしの金字塔である。いま聞き返しても、どれもがもぎたてのレモンのように瑞々しく素晴らしい。24番を買ったつもりが裏面の14番がもっと好きになり、モーツァルトが作品目録の記述を開始した作品に偶然に僕の起点があったのも奇遇というものだ。
50余年のモーツァルト遍歴を重ね、それが内側でそこそこ熟成したと思われるいま最も頻繁に棚から取り出し、死ぬまで手離さないだろう全集。それが冒頭のデレック・ハン盤だ。ハンは中国系の、そして指揮者のポール・フリーマンはアフリカ系の米国人である。中国・アフリカ・米国。欧州に長く住んでウィーンに何度もモーツァルト詣でをした僕としては程遠い国々であり、並みいる大家ではないこの選択は意外に思われようし、自分でもそう思うのだが、これが抗いようもない感性の選択なのだ。音楽に人種も宗教も国境もない。ハンとフリードマンのモーツァルトPCはだいぶ前にi-Tuneで24番を片っ端からきいた折に偶然みつけた。誰だこれはと思ったが、ピアノもオーケストラも録音も非常に素晴らしい(ロンドンの聖アウグスティヌス教会)。指の回りのキレがcrispyで清冽。チェンバロ、ピアノフォルテ、クラヴィコードの時代に生きたモーツァルトの協奏曲を現代ピアノで弾くにせよ、その要素は大事と僕は思う。録音として超ミクロの耳で聴くとperfectではないが、彼はCD録音はライブの代替にはならなずミスをしないことに意味はないと語っており、ライブに近く作為なしの自然体で最上級なこのバージョンは見事というしかない。全曲がそのクオリティだ。したがって自動的に僕のモーツァルトのピアノ協奏曲全集No1だ。
同じことが指揮のフリーマン(1936 – 2015)にもいえるのだから困ってしまう。フィルハーモニア管の木管が何と美しい音で鳴ることか!このオーケストラはロンドンbig5でも特にプライドが高くティンパニは指揮者が誰であろうが楽団のパート譜に固執するなど並の指揮者では御しにくいので有名だ。ここでは弾き振りのアシュケナージ盤より同じ奏者たちの自発性がありながらピアニストの感性に寄り添って知的にコントロールされ、それが前面に出て音楽美を邪魔することがないという奇跡のようなことが成し遂げられている。楽器のクラリティ、ピッチ、アンサンブル、まさしく完璧だ。こんなことが伊達や酔狂はおろか、カネをばらまいてでもできるはずがない。31歳でミトロプーロス国際指揮者コンクールで優勝。30国以上で100を超えるオーケストラを指揮したこれだけの有能な指揮者に楽員は敬意を払っているのだろうが大衆には相応の知名度がない。人間界の不条理だ。
ハンとフリーマンの24番だ。何度聴いても心の底から熱くなる。僕がこの曲に欲しいものすべてがある。
ハンの両親は博士で夫人はスキー靴メーカーノルディカのオーナーの娘である。5000万ドル(70億円)の遺産を相続し、彼はファンド会社を設立して金融マンと二足のわらじになった。だからどうということもない、それが朝飯前の人にとってそれはそれなのだ。モーツァルトを感じ切り、音楽に奉仕することに徹している。それはどのピアニストもやりたいことだろうが、僕が心の底から満足した実演も録音も僅少であるのだから、誰にもできるわけではないことが証明されている。一流の人同士の差はごくごく僅少で、それが何かを言葉にするのは難しいが、丸めていう言葉がMusikalität(音楽的)だ。曖昧ではあるがハンについてはそれを使わせてもらうしかない。調べるとこの全集は廉価盤だったのに廃盤だ。大家の名にこだわる一般層にはあまり売れず、全曲を所有したいコレクター層には売り切ってしまい、モーツァルトをよく知らないがBGMで流したい層(ほとんどいないだろう)に売ろうとしたのか。文化財の浪費という以前にハンとフリーマンに申し訳ないという気持ちすらある。僕はアジアやアフリカの人を持ち上げたいわけでも何でもない、何事も「ホンモノ主義」であって、だから仕事もそれを貫いて生きてきたし、こういう社会の愚かな歪みは看過できない性格に生まれている。
彼の音楽がストレートに訴えかけてくるのは技術の恩恵ばかりではない、むしろパーソナリティにあったことを下のビデオで僕は強く感じた。シュナーベルが「当世の最高のベートーベン弾きといわれることをどう思うか」ときかれ「何でも弾けるよりましじゃないかね」と答えたアネクドートを子供の時に聞いたと言っているが、普通の子供に意味が分かるやりとりではない。ジーナ・バッカウアーが坊やもう一曲弾いてといい、のちにリリー・クラウスが弟子に取り、ジュリアード音楽院を18歳で卒業した何物かを彼は持っている。ポリーニもそうであったように、これだけの技術があっても彼は真に共感のある曲しか弾かなかったのだろう。
ここで聴けるショパン。演奏会ではない、まさに知り合いが家でひょいと弾いてくれる at Home なものだ。これが聞き流すわけにいかない。傾聴させ引きこまれる何かがある。何度も聴いているが退屈と思っていたイ短調のワルツの何と素晴らしいことか、こんな良い曲だったのか、練習してみたいと思ってしまう。こうした力を僕はこの人のパーソナリティと呼ぶしかない。
感動して涙が出た。ラフマニノフ第2協奏曲第2楽章のクラリネット・ソロのくだりだ。ハンの言葉による音楽描写の見事さをお伝えしたいが、英語であれ日本語であれ僕の貧困なボキャブラリーでは言葉というものにならない。この人は音楽の神髄に触れている。これほど平易な言葉とポスチャーで伝わってくるのは奇跡のようだが、だから彼は言語でそれができ、もっと雄弁にピアノでもできるのだ。どちらも僕の及ぶところではなく、こんな人が世にいたのかと何度もくりかえし見てしまい、その都度に「まさにそうだね」と感じ入ってしまった。その彼がクラリネット・ソロを書いたラフマニノフの能力を神の如く讃えている。そのテーマ、その楽器がどうのということではない。書かれたもののマジカルな力についてである。作曲家という人智の及ばぬ存在。その人の書いた音楽を何千回、何万回であろうと聴くたびに手を合わせて拝みたくなるのだが、それこそが僕がクラシック音楽を愛するゆえんであることをハンのスピーチで悟った。
あの旋律はラブロマンスだ。人の数だけまったく異なった体験として “それ” はあったにもかかわらず、人種も宗教も国境もなく、どの国の誰でもがあれを聴けばそれのことを思う。そうなるだろうという思いでラフマニノフはあの音符を書いた。それはそういう気持ちを喚起するために使われる音楽のクリシェ(和声やメロディの常套句、文法)ではなくすぐれてオリジナルなものだ。演奏家はそれを感じ取り、聴衆に伝える。そのために真剣に楽譜を読むのだが、同じものなのに年齢を重ねるとともにその時々で違う角度から違う姿が見え、新しい気づきがあり、作品が自分の変化を映し出してもくれる。自分の中でワインのように熟成する。そう語るぐらいは誰でもできようが、ハンはそれに人生をかけた人だということが語り口から如実に伝わる。口だけのくだらない人が世にはびこる今日この頃、なんというすさまじきビデオであろうか。
この人とお会いして何時間でも音楽談義をしたかった。彼がピアニストだからでも金融マンだからでも東洋人だからでもない、そう思わせてくれる人間が地球上にいた、それだけで嬉しくて泣けてくる。ハンはコロナとワクチンについても語っている。もう少しましなのが出ればと。このビデオは2020年12月より前に撮影されており、僕より2つ若い彼がそれで亡くなったのは2021年4月8日だ。
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株の儲けとブラームスのジレンマ
2024 MAR 5 7:07:58 am by 東 賢太郎
自分の行動と信条が合わないことがある。うまくいっていても、どこか心持ちが良くない。今がまさにそうで、前稿に書いたように現在の自民党政権には幻滅どころか亡国の危機感さえ持っているのだが、そんな政権なのに株式市場は新高値4万円をつけ、いっぽうで円が安くていよいよ150円台に定着しそうだ。僕はもう2年前から思いきって全財産を「日本株ロング」、「円ショート」のポジションにしているから当たりだ。しかし、これがその政治のおかげであるならジレンマがあってそう喜ぶ気持ちにならない。我が国は首相官邸ごとハイジャックされていて、自民も立憲もその軸で国会の裏でつるんでいて、何と証券市場までそうだったかと嘆かわしい気分すらある。
この利益は知恵をしぼり、体を張ってリスクを取った対価であり、誰でも市場で売買できるもので儲けているのだからどうこういわれる筋合いはない。ではお金と信条とどっちが大事かと問われればどうだろう。信条と答えたいが「武士は食わねど・・」の人種でないから自分を騙して生きるのはまったく無理だ。よって、どんなに唾棄したい政府、政策であろうと、それが存在する前提で投資戦略を練って勝ちに行く。そこに何らかの感情が入ってしまうと往々にして負ける。したがって信条は完全に無視である。つまり内面に矛盾が発生するのだ。株も為替も石ころの如く無機的な「対象物」でしかないという感性を持つことで信条優先の人間だという矜持を持ちこたえている。理が通った気はするがなんとも危ういものだ。
いま新事業というか協業の提案をいただいている。4つもあってどれも面白そうだ。モーツァルトなら作曲依頼は4つでも受けるだろうし、僕とて40歳なら迷わず全部受ける。69歳なのに気持ちがはやって簡単にできる気がしてしまうのが自分が自分たるゆえんではあるのだが、無理はいけないから部下たちの判断を尊重しようと考えていて、6時間も議論したりの日々だ。やればその分、余生の時間が減るという気持も出てくる。カネなんかのために早死にしたくないし、儲けて無理して使えば体に悪くてやっぱり早死にだ。つまり何も良いことはないのである。やがて「いつ辞めるか」考える日が来るだろう。江川は小早川のホームランで辞めた。貴乃花は千代の富士に負けて辞めた。トスカニーニはタンホイザー序曲でミスして辞めた。何になろうが、継ぐ人が現れての話になるが。
先だって、シンガポール在住の事業家で慶応ワグネルのフルーティストであるSくんとZOOM会議をして「仕事やめたら指揮してみたい」「何をですか?」「シューマンの3番とブラームスの4番かな」という会話があった。先週に渋谷で食事しながら「ブログにはモーツァルトが一番好きと書いてありますよ。どういうことですか?」と鋭い質問をいただいた。「モーツァルトは人間に興味があるんだ。なんか同類の気がしてならない、あんなに助平じゃないけどね」と答えた。君はと尋ねると「バッハのマタイとブラームスのドイツ・レクイエムです」ときた。「素晴らしい。マタイの最後、トニックの根音が半音低くて上がる。ブラームス4番はその軋みがたくさん出てくる。ドイツ・レクイエムは信教のジレンマがあったんだ。だから ”ドイツ” をつけたが、ドイツ人指揮者は意外に振ってないね、ベーム、コンヴィチュニー、クナッパーツブッシュはないんじゃないか」なんてことを話した。
ブラームスのジレンマ。比べてみりゃ僕のなんか卑小なもんだ。
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モーツァルト 弦楽四重奏曲 第17番 変ロ長調 「狩」 K.458
2024 FEB 21 11:11:42 am by 東 賢太郎
一昨日の雨があがって昨日は陽ざしが暖かかった。外へ出るとどことなく風に花の匂いをかぎ、もう春だったのかと気持ちがふくらむ。神山先生の診療所に立ち寄ると「東さん、今日は健康だね、背中がすごくいいよ」といつもの鍼になった。なんでかね、春だからかね、ひょっとしてモーツァルトをきいたせいかもしれないねと話した。ぴったりの曲だ。弦楽四重奏曲第17番「狩」K.458。昨晩、それを片っ端からきいていたのだ。
モーツァルト・セラピーを研究している人もいるが、そう難しいことを言わずともK.458の出だしをきいて気分が晴れやかにならない人がいようか?
この曲の完成は1784年だ。人間、上り坂が一番うれしい。28才のモーツァルトは人生の絶頂にあった。そこで書いたからこういう音楽になるのだ。
その年、2月9日に作品目録をつけはじめ、ピアノ協奏曲第14~19番をつくり予約演奏会は大盛況、9月21日に第2子が誕生した翌週29日にフィガロ・ハウスに引越した。このアパートは6部屋とキッチンで177㎡もある豪邸だ。どれだけ嬉しかったか。彼はウィーンで13回転居しているが、21回やった僕は彼の気持ちがわかる。人生で最高だったのは湖の見える丘に千坪ぐらいあったスイスの家に入った時だ。そこが我が世の絶頂だったことは疑いなく、帰国して普通の借家住まいになった落差はそれで会社を辞めたとは言わないが大きかったことは間違いない。なにを贅沢なと思われようが会社のせいでも我儘でもなく、家族を連れて海外に16年も暮らせばどなたでもそうお感じになると思う。
2005年末にウィーンに行った。フィガロハウスは写真の右側で、夫妻が歓喜に包まれた生活を送っていたのは2階だ。息子と犬とムクドリと使用人3人がいた。ビリヤード台、自家用馬車もあった。父とハイドンが来てK.458を合奏した。17才のベートーベンも来た。フィガロの結婚、劇場支配人、ピアノ協奏曲第20~25番、プラハ交響曲、ピアノ四重奏曲 第1, 2番、ケーゲルシュタット・トリオも書いた。そして7年後、写真の突き当り左方にある質素な家であっさりと死に、写真正面のトンネルをぬけてすぐの所にあるシュテファン聖堂のカタコンベで簡素な葬儀が行われた。
ハイドンセット6曲は2期にわたって3曲ずつ書かれており、K.458は後期の最初、1784年11月9日の完成だ。彼は12月14日にフリーメーソンに入会し、翌年初めにやってきたハイドン、父親も入会させてしまう。頑として息子を認めなかった父まで口説き落としたのは驚く。メーソンで急速に昇進もしていることから万事に渡って学習能力が高く、プレゼン能力も図抜けていたことが伺える。そうでなければ626曲もの説得力に満ちたアウトプットを35年で行えるはずもなく、もし現代のビジネスマンに生まれれば巨万の富を築いたろう。両人はその羽振りに感嘆もしたろうが、献呈された6曲の質を認めたこともあったろう。息子さんは百年出ない天才だと称賛したハイドンの言葉は御礼もあったかもしれないが、現に二百年たっても出ていないプロの眼力を証明してもいる。
大学時代、僕はモーツァルトをまったく分かっていなかったが、下宿でハイドンセット6曲を完全記憶したことで10年ほどかけて彼の全楽曲を人生の財産にできた。この曲集に彼の才能の秘密のすべてがあると言って過言でない。それから半世紀近い時を経て、6曲の輝きは色あせるどころか益々増している。なかでも最も晴朗であるK.458の良い演奏とは何か。とてもシンプルだ。最後までききたくなる演奏である。そうか否かは出だしの数小節であっという間に知れてしまう。ああこれはいい!もう思考が止まっており、天の調和に包みこまれて桃源郷に遊ぶ自分がいるという具合の音楽であり、モーツァルトといえど他にそういうものはない。
さっきyoutubeでみつけたこれ、寡聞にして初めて知ったカルテットだが実に素晴らしい。エルサレム四重奏団だ。
晴朗とはいえK.458の白眉は第3楽章アダージョだ。6曲でアダージョ楽章はこれだけである。底抜けに明るい第1楽章の出だしからそこまで沈みこみ、終楽章で明るみに戻るU字型の音楽だ。冒頭の曲想から「狩」と呼ばれるが、ハイドンの「めんどり」や「熊」と同様に意味はない。このカルテット、陰陽の設計もしたたかでintelligentである。同じアルバムに入っているK.157が立派で若書きに聞こえないし音階まで音楽的で美しいというのは中々だ。
我が美学だがモーツァルトの四声体は完璧な純正調のために書かれている。だから究極の選択は平均律(ピアノ)よりカルテットか四重唱であり、理想はオペラか宗教音楽ということになる。転調して純正調で調和する瞬時の音取りとフレージングがないとハーモニーが汚れてしまう。左右するのは主に第2VnとVaの内声部であり、そのどちらかが僅かでも腕が落ちるともうだめだ。そういう著名楽団がいくつもある。エルサレム四重奏団はその二人が優れており、四人の耳とピッチの良さの同質性も格別で、中音域の倍音に富んだ柔らかさはいつまでも浸っていたいほど上質である。
K.458には合奏の絶対的高みに君臨するレコードがある。ジュリアード弦楽四重奏団による1962年の録音だ。ぎりぎりに切り詰めた究極のアンサンブルをもって楽曲のイデア現出にただただ奉仕した演奏で、それでいて怜悧に陥らずモーツァルトの沸き立つ愉悦感、フィガロハウスでの高揚感、アダージョの沈静した思索が味わい深く何度きいても引き込まれる。奏者はロバート・マン(Vn)、イシドア・コーエン(Vn)、ラファエル・ヒリヤー(Va)、クラウス・アダム(Vc)だ。
同四重奏団は1977年に再録音したが、残念ながらマンは精度が落ちており、彼以外は別人だからむべなしだが僕がこれを聴くことはない。
ジュリアード盤と対極の伝統的ウィーンスタイルではアルバン・ベルク四重奏団が人気だが、むしろ現代的な感性のカルテットであり、長い残響の中で典雅に弾かれたウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団の古雅な響きのほうが僕は好みだ。ライナー・キュッヒル(Vn)、エクハルト・ザイフェルト(Vn)、ハインツ・コル(Va)、フランツ・バルトロメイ(Vc)とウィーン・フィルのコンマス、首席によるカルテットで、まさにVPOの音がしている。ザイフェルト氏、バルトロメイ氏は昨年逝去され、コル氏は97年のニューイヤーコンサートのあとホテルで会食した際に同じテーブルでお話した思い出がある。ジュリアードのような磨きぬいた技巧が産む完璧ではなく、奏法も音感も同じ教育から出た4人が自然にアンサンブルすると結果としてピッチもフレージングも合ってしまうという風情の演奏だ。それでモーツァルトになってしまうならそれに越したことはなく、大きな喜びを与えてくれる。
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モーツァルト フルート四重奏曲第1番ニ長調 K.285
2023 DEC 9 7:07:19 am by 東 賢太郎
モーツァルト作品の天才的な瞬間は幾つも挙げられる。中でも、最も平易でシンプルな例がフルート四重奏曲第1番K.285である。
赤ちゃんやモーツァルトをまだ知らない子供に聞かせてあげるならこれだ。晴れてブルーに澄みきった秋空にぱあっと舞い上がるような冒頭。これぞ天馬空を行くだ。フルート以外の楽器は想像もつかないほどザ・フルートの旋律で、これだけ明るく爽快な気分の音楽というものはそうはない。
第2楽章は一転、短調になり、フルートは物憂げで悲しいメロディーを連綿と歌う。伴奏は渇いた弦のピッチカートでありどっぷりした暗黒に浸ることはないがバッハを思わせる半音階の悲痛が胸に刺さる。
奇跡はここからだ。
ロ短調の悲歌が繰り返して登りつめると、はたと途切れ、いきなりニ長調の秋空がばーんと戻ってくる。ここを初めて聴いた時の衝撃は忘れない。第3楽章は底抜けに明るいロンドで、悲歌とのコントラストは強烈。比肩するのはシューマンの交響曲第3番の終楽章が鳴った瞬間だけだ。
モーツァルト21才。マンハイムでの作曲にまつわる愉快でない経緯は父との手紙に記されている。「我慢できない楽器」と言いながらこんな神品を書いてしまう能力の物凄さに圧倒される13分だ。吉田秀和氏はフルート四重奏をモーツァルトの室内楽では最も軽いと述べているが、この1番はハイドンセット級の完璧な4声体による名品である。
ミシェル・デボスト(Fl)、フランス弦楽三重奏団。デボストはパリ音楽院管弦楽団首席奏者。最高に素晴らしい。これが僕のベストだ。
ピエール・ランパル(Fl)、アイザック・スターン(Vn)、サルヴァトーレ・アッカルド(Va)、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(Vc)
もはや望めない豪勢な顔ぶれだ。このメンバーを集めることは、仮にいま存在したとしても商業化が困難な現在では無理だろう。ランパルのギャラントで華麗な音。完璧な4声体を堪能できる耳のご馳走である。
オーレル・二コレ(Fl)、ニュー・イスラエルSQ。吉田秀和の解説入り。フルトヴェングラー下のベルリン・フィル奏者だった二コレにはランパルの華麗さとは対極で中低音に滋味深い暖かさがある。
ヨハネス・ワルター(Fl)、ドレスデン・カンマー・ゾリステン。ドレスデン・シュターツカペレのメンバーによる(1971年、ドレスデン・ルカ教会録音)。スイトナー時代、全盛期のDSKの古雅でいぶし銀の音がする。
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モーツァルト 『音楽の冗談』K.522
2023 NOV 16 22:22:20 pm by 東 賢太郎
モーツァルトは楽譜通り演奏すると破綻する『音楽の冗談』(Ein Musikalischer Spaß、K.522)を書いた。作品目録への記載は1787年6月14日と父レオポルトの死(5月28日)の直後だが、アラン・タイソンの研究によると1785年に書き始められており、動機は不明だ。
この曲、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルトという男の恐ろしさを垣間見せる意味で出色だ。彼はどんなスタイルでも書ける。イタリア風でもフランス風でもロココ風でもハイドン風でもお馬鹿さん風でも。
音楽の破綻は終楽章結尾など誰でもわかる部分もある。作曲法上の禁じ手使用のミスはわかりにくい。米国のプロの作曲家が解説したビデオを見てみたが、平行八度、五度など近代音楽やロックなどに耳慣れした者にはそれほど酷く聞こえない部分もある。つまり「冗談」は今としては和声学というマニアックな領域に達しており、一度聞いて全て笑える人は専門教育を受けた人だけではないか。
K.522を聞いたことがなくジョークとも知らない人ばかりをコンサートホールに呼んで演奏したらどうだろう。拍手がおこるだろうか?あれは本当にへたなんですか?わざとですか?わざとなら何故そんなことをしたのですか?と質問攻めになるだろう。答えはモーツァルトしか知らないが。
実演をご覧いただい。キエフの聴衆はプログラムノートで知っていたろうがこういう反応だ。
ちなみに僕はこの曲をフリッツ・ライナー指揮シカゴ響のレコードで初めてきき、想像はしていたがシメの和音には面食らった。これだ(Mov4)。
シカゴ響のように整然としたアンサンブルだと落差が大きすぎ、あと味悪さでこの曲もレコードもお蔵入りになってしまった。最後の和音をヘ長調できれいに閉めればそれはなかったように思う。K.522は予約演奏会のような場でお金を取って演奏することは想定していなかったのではないか。
ぴったりと感じるのがこちらだ。
大変失礼だが、このぐらいの合奏で来てくれると結びも納得できる。仲間うちで初見の合奏をして楽しむ joke だったなら納得というものだ。当時はありだ、ドン・ジョヴァンニの序曲は初演の前の晩に仕上がったぐらいなのだから。
赤枠の部分がK.522の結尾だ。調は上からヘ長調(ホルン、F)、ト長調(G)、A(イ長調)、変ホ長調(E♭)、変ロ長調(B♭)である。
これは三大交響曲が書かれる前年の作品だ。注目すべきは終楽章で、ジュピターを想起させるフーガらしきものが始まるがすぐ展開をあきらめ、間の抜けたホルンで帳尻を合わせる。赤枠でF-G-B♭-Aのジュピター音列が同時に鳴っており、その直前のホルンとバスはジュピター第1楽章の結尾そのものだ。ジュピターのエコーは珍しくなく、交響曲第1番に始まり、ウィーンに出てからも1783年(以降)の「5つのディヴェルティメント4番」(K.439b)、1790年の弦楽五重奏曲ニ長調(K.593)などにあるが、この終楽章は意味深い。この楽章のテーマでも彼は神品であるK.593の終楽章を書けただろうと思うのだ。
ここで、彼が何故にK.522を書いたのか、なぜ父の死後すぐに取り掛かったのかを考察してみよう。演奏会用でないのだから、彼が愛好した仲間内の卑猥な歌詞によるロンドや、仲良しだったホルン奏者のロイトゲープをいじめるおふざけ協奏曲の類だった可能性が高い。ここでは奏者をいたぶるのではなく下手くそな音楽を書く作曲家をおちょくっている点で他の作品とは一線を画している。
1785年、彼はキャリアの絶頂期にある。結婚をし、予約演奏会は満員で大人気、ピアノ教授で貴族に入りこみ、メーソンに入会し、社会を揺るがすかもしれないフィガロの上演を目論んでいた。富裕層向けのフィガロハウスに住み、仲間を集めて日夜のお遊びにふけった。
K.522の草稿はその躁状態で着想したパロディーの演目として書き始めたが、翌年2月に彼の運の尽きとなる墺土戦争勃発で貴族が出征してウィーンからいなくった。収入が消えて引っ越しを余儀なくされる。生活は落ちぶれ、躁状態は雲散霧消し、草稿はそれとともに放棄されていた可能性が高い。
父の死を知って初めてカタログに書き入れたのがそのK.522だという事実は、うまくいってなかった父子の疎遠を表すという説になるが、そうだろうか。草稿を書き始めた1785年は父レオポルドをフィガロハウスの招待した年だ。父も合奏の一員としてお遊びに参加しており、ハイドンも交えて新作の「ハイドンセット」を試奏した記録も残っている。
父子はザルツブルグ時代にカーニヴァルや仮装舞踏会を家族で楽しんでおり、父はお祭りに愉快音楽を提供した作曲家だった。ここがポイントだ。父はヴァイオリンの名手だったが作曲家としてはそうではなく、結果として楽長がせいぜいで大都市の音楽監督にはなれないことを知っていた。だから息子に作曲を徹底的に仕込んだ。
楽譜を書いては叱られ直され、時に父が代作した痕跡が残っている。13~17才の間に父子がイタリアを3度訪問したのも、本場で息子に作曲家として箔をつけ、名を成させるがためである。そうしてシスティーナ礼拝堂の逸話、マルティーニ神父の逸話がうまれ、出世してオペラを書いて能力にお墨がつけられたのだからモーツァルトにとって忘れ得ぬ日々だったに違いない。
K.522はウィーン風のディヴェルティメントをザルツブルグの田舎楽師が書き、演奏したという見立ての愉快演目として父子が昔を偲んで一緒にコンセプトを作り、息子がフィガロハウスで書き始めていたというのが僕の仮説だ。それが父との最後だった。父の死を知って悄然とし、それを完成させようとなるのは息子としてまったく自然なことではないか。
財政的に窮地にあった彼は何が何でも成功させなくてはならないドン・ジョヴァンニ作曲のためザルツブルグの葬儀参列を断念し、K.522をいち早く完成させることで父を見送ろうとそれを成し、カタログの “いの一番” に1787年6月14日の日付を記したのだ(命日は5月28日)。
ありがとう、楽しかったね。K.522の終楽章にそのイタリア楽旅で書いた「エクスルターテ・ユビラテK.165」のハレルヤ主題が出てくるのを知って、僕は確信した(VnⅡ、第76小節)。この意味をわかるのは天国の父だけだ。
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