安い女
2020 SEP 20 14:14:17 pm by 東 賢太郎
「ワタシ、そんな安い女に見える?」。どういう成り行きだったか、言われてぎょっとしたことがある。いつどこだったのかさっぱり覚えがないからひょっとして夢だったかと思うが、たぶんそうじゃない。女が酔っ払っていたのを覚えてるからだ。いくら若いころでも見知らぬ酔客を口説くなんてことは僕はない。しかし、それなら、じゃあなんだったのか、まったくわからないのである。
安い男ってのはない。男の価値はカネで測れない暗黙の了解があって、口にしたら血を見るかもしれない。もちろん女だってそうなのだが、それを自らぶち破る言葉が飛び出したものだからぎょっとしたのだ。およそ品はないが今になってなかなかハードボイルドである、アイリッシュの幻の女はきっとそんなだったろうという気がしないでもない。
なぜって、「安い」というところに有無をいわせぬインパクトがあるではないか。「兄ちゃん、わて、そんな安もんとちゃいまんねん」こう来たら笑って返すのだ。「おおこわ、高うつきそうでんな」。大阪は都構想が無くても一個の国である。商都文化の蘊蓄でできた大人の練れまくった会話が街でも漫才でも並立する。東京の人間関係は浅薄なもんだ、この会話が成り立たないのだ。
「罪と罰」で高利貸しの老婆を殺したインテリ頭のラスコーリニコフに罪を告白させ自首させるのは、他の誰でもない、売春婦のソーニャである。ロシア正教を盲目的に信じる無知な女だが、地球が太陽を回ってることを知らなくても女は男を動かせる。もしも僕が演出家でこの劇をやったら、インテリ頭は東京弁に、ソーニャは迷うことなく大阪弁にする。
東京ドームで阪神戦を観ると、あなたは7回の表と裏に2度、古関裕而の名曲を聞くことになるだろう。「六甲おろし」と「闘魂こめて」である。福島生まれの作曲家が音で描いた大阪と東京にどちらのファンも何ら違和感なく浸っているが、そんなのはかわいいもんだ、彼は国家も描ける。「東京オリンピックマーチ」である。まさにTPOを心得たモーツァルトの職人技だ、感嘆するしかない。
甲子園に鳴り響く勝利チームの校歌はあまりにつまらなくていつも早く終わらんかなと思ってる。2,3分で限られたコード進行でやれというのも無理があろうが、大方が作曲が素人くさい。安いのである。かたや、こういうのを我々は知っている。本邦音楽史上、最高傑作の一つである涅槃交響曲の作曲家、黛敏郎のNTVスポーツ行進曲だ。
たった1分。それでこのインパクトである。校歌ではないが条件は一緒だ。その昔、プロ野球は巨人、巨人は日テレだった時代、この曲を聴くと胸が高鳴った。サビの部分があって普通そこまで行かないが、このビデオのメインテーマの1分で心拍数が2,3割増え、しかも、何度聴いても飽きないのである。そういう音楽をクラシックと呼ぶのだ。要するに、高い音楽である。
この「題名のない音楽界」は今もやっているが素晴らしい番組だ。大衆は安い音楽しか知らない。高い音楽の一端をわかりやすく教えてくれ僕もとても勉強になったが、収録当時の会場にいる聴衆もこうして見るとそこそこレベルが高そうだ。紅白歌合戦とは違う。黛さんは「スポーツなんかいらない」とのたまわっている。僕はそうは思わないが、音楽家にはきっといらないだろう。というより、サッカーもやりますロックも好きです実はオモロイ人ですよなんてのは、本当にそうなら結構だが、大衆に寄せようという醜い欺瞞以外の何物でもない。
「ワタシ、そんな安い音楽家に見える?」
モーツァルトはいつもそう言いながら欲求は満たされず死んだが、その音楽は高かった。ゴッホの絵は生前は数枚しか売れなかったが、けっして安い画家でなかったことが後日わかる。
大衆に寄せようという欺瞞を盛大に執り行っているうちに、存在そのものが欺瞞な人の集団になってしまったのが今の日本国の政治だ。したがって、後日になればなるほどその安さが見えてくるだろう。
「ワタシ、そんな安い政治家に見える?」
吹けば飛ぶような安い、騒音でしかない常套文句を選挙カーから垂れ流して実は組織票だけ狙ってるアナタ。とっても安いですね。
ヘタすると、あと2,30年もすれば、日本が安い国になってしまわないだろうか?スポーツ行進曲に拍手していた年輩の聴衆の大半はもう世におられないだろう。文化が世代と共に廃退するなら危険だ。強く主張するが、政治は若い世代にまかせるべきである。爺いは退場だ。当たり前だろう、我が世を謳歌した世代が使いまくった膨大な債務を背負うのは彼らだからだ。そして、我が世代は、文化を継承するのである。コロナに負けて灯を消してはいけない。
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僕が聴いた名演奏家たち(ゲオルグ・ショルティ)
2020 SEP 3 20:20:28 pm by 東 賢太郎
ショルティの演奏会にはヨーロッパで何度か遭遇した。残された膨大な録音でどなたもおなじみだろうが、彼の指揮の特徴を一言で述べるなら明晰かつエネルギッシュであろう。細部までのクラリティ(見通しの良さ)と、強靭な推進力、音量を伴った動的なパワーというものは案外と両立しにくい。現に両者の合体をショルティほどに高度なレベルで達成し持ち味とした指揮者をほかに挙げよと言われると答えに窮するしかない。
海外に出て行って度肝を抜かれたのは、何度も書いたフィラデルフィア管弦楽団だ。何に驚いたかって、一にも二にも音量だ。アカデミー・オブ・ミュージックでユージン・オーマンディが振った「展覧会の絵」の終曲の、シャンデリアが落ちるんじゃないかという壮絶な大音響。あれは音楽を全く知らない人をも圧倒する原初的衝撃に違いない。感動という感覚的、美学的な次元ではなく、初めてニューヨークへ行った人がエンパイアステートビルを見上げて絶句する、あのあっけらかんとした驚きによほど近い。とにかく音がこんなにデカいものなのだというのが僕のオーケストラ原体験だった。
その洗礼を2年受けて僕はそのままヨーロッパに渡り、シカゴ響を率いてロンドンにやって来たショルティのチャイコフスキー4番を体験したわけだ(1885年2月2日)。聴いたという言葉は当たらない。体験だ。この音響の凄まじさはフィラデルフィアの洗礼を覆す衝撃であり、ロイヤル・フェスティヴァル・ホールは興奮のるつぼと化し、演奏会は伝説となり商業用ビデオとなった。
こういうものを知ってしまうと、日本のオーケストラは巨木の森でなく箱庭にしか思えない。上手下手の領域ではなく、動物種の違いというか、肉体的に別物のところに日本のクラシック音楽は存立していて、それはそれで繊細な良さは認めるのだがもうどうしようもないある種の障壁を感じる。
音楽の演奏は息を吹き込んだり弓で擦ったり撥で叩いたりという肉体の作業である。それを聴いて愛でる方にも、肉体に対する嗜好というか、ダビデ像やミロのビーナスに見て取れる好みの特性がある。そういうものは民族性(racial characteristic)なのであって、ヨーロッパ人の自己中心的な目線からは race(人種)とは白人以外を区別して論じる概念で、自分たちは対象でない。だから民族性という言葉も白人の中の区分けでしか使わないが、我々東洋人から見ればマッチョや長身の金髪好みは民族性以外の何物でもないわけだ。
クラシック音楽においてはヨーロッパの民族性が本流という事になるのは仕方ない。我々日本人にとってはまぎれもなく異民族の風俗であり、セックスに対する考え方が日本人とドイツ人で天と地ぐらい違うような、深く民族の奥底に根ざした何物かの投影だと考えるしかない性質のものだ。そういうことを知る機会は日本にいてはなかなかないし、むしろ封印して音楽に国境はないと割り切ってしまう姿勢が市民権を得るのは良いことだとは思う。しかし、単なる一聴衆であり、それを消費するだけの存在である僕には楽しくない。能狂言、歌舞伎の役者にマッチョ、金髪の白人が進出して日本の古典芸能がグローバルになったと喜ぶ一員にはなれそうもない。
チャイコフスキーが4番の終楽章で、イノセントな民謡主題をくり返しくり返し紡ぎながら狂乱の気配を増幅してゆき、ついに爆発的な熱狂になだれ込むコーダをどんな気持ちで書いたかは知らないが、あの終結に巨大な音響こそ効果的なのは疑いもない。それは能の土蜘蛛が糸を投げる場面で派手の中に背筋の凍る不気味さを秘めることを求めているのと同じ意味で、作曲家がスコアに込めた “民族的欲求” の投影である。ショルティはそういう性質のスコアで無敵だ。彼がマーラー解釈で一世を風靡したのは同じユダヤ民族だったということもあるかもしれないが、明晰かつエネルギッシュである彼の芸風のなせる業である方が大きい。チャイコフスキー4番は第1楽章にメッセージの勘所がある作品で、彼のLGBT的特性が最も高次の芸術として結晶化した例だ。ショルティは得意でなく、同じ性癖であるバーンスタインがうまくリアライズしている。
マーラーを苦手とする僕が、唯一マーラーで唸り、打ちのめされた演奏会があった。1997年7月12日にショルティがチューリヒ音楽祭にやってきてチューリヒ・トーンハレで同名の管弦楽団を指揮した第5交響曲である。
これは同年9月5日に世を去ったショルティの最後の演奏会の一つとなった。ラストコンサートというと僕はカラヤンとヨッフムのも遭遇しているが、その二人はそれが最後だろうと聴衆の誰もが暗黙に了解するオケージョンであり、音楽の内容はどちらも老いを微塵も感知させなかったが、舞台での姿はもうこれが見納めだろう、本当にお疲れ様というものだった。しかし、ショルティ翁の最後の姿はというと、今も脳裏に焼き付いているが、1985年に颯爽とチャイコフスキーを振ったあの時と何ら変わりはないものだったのは驚くべきことだ。彼は最後までエネルギッシュな男だった。マーラー5番は思い出がある。84年にロンドンに赴任して、
ニューメディアとして鳴り物入りで出てきたコンパクト・ディスクなるものを聴いてみたく、まずDenonのプレーヤーを買った。10万円かそこらの安物だ。ディスクの方は新品が確か15ポンドぐらい、当時のレートで4千円近くもしたが、音が良い、永久にきけるという宣伝文句に洗脳されていて(どっちもウソだった)、いつも週末にチャイナタウンで中華を食べてから寄っていたソーホーの北側、チェアリング・クロスでレ・ミゼラブルがずっとかかっていた芝居小屋の対面にあったレコード屋で中古を見つけて飛びついた。それがたまたま、ショルティ/シカゴ響のマーラー5番だったのだ。まさかそれ
をチューリヒで聴いて大ショルティを天国に見送るなんて、お釈迦様でも知らなかった。
これがDeccaが録音してくれた、その演奏会の音だ。録音も素晴らしいので、ぜひ、CDをオーディオ装置で聴いていただきたい。
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ポアロの主題曲はどこから来たか?
2020 AUG 27 23:23:28 pm by 東 賢太郎
高校のころ、アガサ・クリスティーの探偵エルキュール・ポアロに僕はモーリス・ラヴェルの風貌をダブらせて読んでいた。灰色の脳細胞、ベルギー人の小男というというとなぜかそうなってしまった(ラヴェルはフランス人だが)。ミス・マープルのイメージがなかったのは、イギリス人のおばあさんを見たことがなかったからだろう。ということでTVドラマのデヴィッド・スーシェのポアロに慣れるまでしばらくかかった。
このドラマのテーマ音楽は英国のシンフォニストであるエドマンド・ラッブラの弟子で、やはり交響曲を12曲書いた英国人クリストファー・ガニングが書いた。皮肉屋で洒落物のポアロに良くマッチしていると思うが、この節はどこかで聞いた覚えがある。
こうやってメロディーを頭の中で検索するのは何の役にも立たないがけっこう楽しい。曲を聴いて何かに似ているという直感は急に天からやってきて、たいていなかなか正解が見つからない。そのくせ似ている相手のメロディを絶対に知っているという確信と共に来るのでたちが悪く、見つかるまで意地?になって他の事はみな上の空になってしまう。
ポアロのそっくりさんは簡単だった。シューベルトのアレグレットD.915の冒頭である。マリア・ジョアオ・ピリスの演奏で。
シューベルトは、死の直前のベートーベンに一度だけ会っている。そして楽聖の死の1か月後、友人のフェルディナント・ヴァルヒャーがヴェニスに旅立つ際に書いたのがD.915だ。この曲、最晩年の作品でシューベルトは病気であり、今生の別れであるように寂しい。スビャトスラフ・リヒテルは黄泉の国を見るように弾いていて尋常でない音楽とわかる。ガニングがこれをひっぱったかどうかは知らないが、調の違いこそあれど(ハ短調とト短調)冒頭の音の並びは同じだ。
そして、そのシューベルトはこのメロディーを、ひと月前に黄泉の国に旅立ったベートーベンのここからひっぱったと思われる。交響曲第5番「運命」の第3楽章冒頭だ。
そして、ベートーベンはこのメロディーをウィーンの先達モーツァルトのここからひっぱった(スケッチブックに痕跡がある)。交響曲第40番第4楽章冒頭である。
他人の空似は気にならないが、音楽の空似は気になる。
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チャイコフスキー 弦楽四重奏曲第1番ニ長調 作品11
2020 AUG 13 22:22:55 pm by 東 賢太郎
僕にとってチャイコフスキーというと、「アンダンテ・カンタービレ」だった時期が長くある。親父が所有していた名曲集みたいなSPレコードにこれが入っていて、生まれた家で四六時中鳴っていたらしく、物心ついた頃にはメロディーを知っていた(名前が弦楽四重奏曲第1番第2楽章の標題から来たと知ったのはずっとあとだったが)。ほとんどの方がどこかで聞きおぼえがあるだろう、お聴きいただきたい。
有名な主旋律は、妹のアレクサンドラの嫁ぎ先であるウクライナのカメンカで大工(左官)が歌っていた民謡とされている(第5,6小節にヴォルガの舟歌の一部もきこえる)。
このピアノ譜を弾くと、指が(♭はひとつ少ないが)どことなくシューマンのトロイメライを思い出す。曲想だって「夢」であっておかしくない。チャイコフスキー31才、田舎の民謡に素敵な和声を配してロマンティックに洗練させる腕前には感嘆するしかない。
当時のロシアでは音楽家は教師か歌劇場の団員になるしかなく、地位や所得は農民並みだった。そこで両親が名門ザンクトペテルブルグ法科学校に入れたのもシューマンとまったく同じだが、違うのは彼はしっかり勉強して法務省の官僚になったことだ。その職が楽しかったら我々は悲愴やくるみ割り人形を聴けなかったことになる。
弦楽四重奏曲第1番ニ長調作品11はそうならなくてよかった作品のひとつと僕は思っているが、世間の評価はアンダンテ・カンタービレを除けばそうでもない。本稿をどうしても書く必要がそこにあった。代表作とは言わないが全4楽章とてもチャーミングで初心者もわかりやすく、どなたでもメロディーがすぐ覚えられるし、まちがいなくその価値はある。
これは僕のLPだが、往年の評価が高かったスメタナ四重奏団の演奏だ。ぜひくりかえして覚えてしまっていただきたい、きっと一生の友となるから。
ここからはご興味ある方に。
Mov1の第2主題
この情感はシューベルト的だ。例えば弦楽四重奏曲第12番《四重奏断章》 ハ短調D.703の、途中で破棄してしまったMov2をお聴きいただきたい。
なぜシューベルトはこんな素晴らしい作品を投げ出してしまったのか?未完成交響曲と並ぶ謎だ。ちなみにこの曲は死後42年の1870年にライプツィヒで出版され、チャイコフスキーがSQ1番Op11を完成したのは1871年である。ジャンル最初の作曲にあたって、もし彼が出版を知っていれば見たくなったのは自然ではないか。
Mov3(スケルツォ)を聴くと、僕はいつもモーツァルトの弦楽四重奏曲第15番ニ短調K.421のMov3を思い出している。旋律はちがうが3拍子でこの悲壮感、緊張感を引き継いでいるように思う。
Mov4ではVaの憂愁を帯びた主題に続く部分とコーダでモーツァルト「魔笛」(序曲)の和音連結(b-h-c-a)が全開となる。チャイコフスキーはモーツァルティアーデを書いたほど彼を熱愛していた。
かようにSQ1番にはドイツ先人の作品研究のエッセンスが込められており、反西欧、反アカデミズムだったロシア五人組とチャイコフスキーが距離を置いていたことへの「物証」となっている。
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シェーンベルク 「浄められた夜」作品4
2020 AUG 5 2:02:08 am by 東 賢太郎
これはシェーンベルクが書いた最も “わかりやすい” 曲である。月下の男女の語らいを描いたリヒャルト・デーメルのセクシャルな詩をベースに作曲された弦楽六重奏曲だ(詩の内容はwikipediaをご検索いただきたい)。初演は1902年3月18日にウィーン、ムジークフェライン小ホールでロゼ四重奏団(Rosé-Quartett)らによって行われ、第2チェロは作曲家のフランツ・シュミットだった。グスタフ・クリムトがユディットⅠ(右、Judith with the Head of Holofernes)を書いた頃のウィーンと書けばイメージをつかんでいただけるだろうか。
1890年にブラームスの弦楽五重奏曲第2番を初演したのもこの四重奏団であった。組織したアルノルト・ヨーゼフ・ロゼはルーマニア出身のユダヤ人である。マーラーの妹婿であり彼が指揮していた当時の1881年から57年の永きにわたりウィーン宮廷歌劇場のコンサートマスターをつとめ、ちなみにワルターVPOのマーラー交響曲9番の奏者はロゼだ。
マーラー、シェーンベルク、ロゼ、ワルター。ナチス台頭前のウィーンの音楽界を牽引したこの4人の巨人はそれぞれボヘミア、ハンガリー、ルーマニア、ベルリン出身のユダヤ人である。ウィーンが東欧の中心であり人種、宗教、文化の坩堝(るつぼ)であったことがわかる。ヨハン・シュトラウスの父祖もハンガリーのユダヤ系だったし(シュトラウスファンだったヒトラーが隠した)、ヴィヴラート奏法をウィーンにもたらしたフリッツ・クライスラーはウィーン生まれのユダヤ人だ。
我々日本人は「ドイツ音楽」という概念でハイドン、モーツァルト、ベートーベン、シューベルト、ブルックナー、ブラームス、マーラーの音楽を大雑把に括り、彼らがドイツ語を母国語として生活したウィーンをその中心地と考えるが、そもそも彼らを包括できるドイツなどという国は1871年までない。したがって我々のドイツ音楽という概念は欧米には存在しない。ドイツ語圏でできた音楽という意味で “Deutsche musik”、”german music” と言えないことはないが、アメリカ南西部の音楽をカントリー・ミュージックと呼ぶようなもので、アカデミズムとは程遠い響きである。
余談になるが、それでも僕がドイツ音楽という言葉を使っているのは、日本の音楽ファンにはその方が通じるからだ。Beethovenは “ビートホーフェン” だが日本では通じないからベートーベンだ。ベートーヴェンと気取る人もいるが、間違っていること五十歩百歩だ。”ハヴェール” もラベル、ラヴェル、どうでもいい。ハイドン~マーラーは広義のドイツ文化圏の人々で、服に喩えれば布地はプロイセン、バイエルン、東欧と様々だが彩色は多民族国家であるオーストリア・ハンガリー帝国風である。だから彼らの音楽の演奏団体がベルリン・フィル、ウィーン・フィルどちらであろうとドイツ保守本流と見做され得るが、その二つの楽団はまったく別の国、別の文化圏の似て非なるものなのである。
19世紀までウィーンは欧州最大の開かれた国際都市であり、イメージとして僕は我が国が遣唐使を送ったころの唐の長安を思い浮かべる。だからモーツァルトもベートーベンもブラームスも遠路はるばるやって来たし、ユダヤ人も来たのである。その都市に「ドイツ」をかぶせたのはアドルフ・ヒトラーであった。1938年のオーストリア併合である。ここで「サウンド・オブ・ミュージック」のトラップ少佐はオーストリアからスイスへ亡命したが、シェーンベルク、ロゼ、ワルターはそれぞれロサンゼルス、ロンドン、ビバリーヒルズへ逃げ、みな当地で亡くなった。ロゼの娘のアルマは収容所に送られ、女性オーケストラを組織するなど楽才を発揮したがアウシュヴィッツで病死した。
「浄められた夜」はそんな悲劇がおこる40年ほど前のウィーンの音楽である。弦楽合奏版もあり、初めて聴いたのがどっちだったか誰の演奏だったかは記憶にないが、覚えてもいないほど一聴して僕にとっては堕落した作品であった。クリムトの絵も好きでないし、マーラー嫌悪はそれ以上であったのは、恐らくその時代の生ぬるく退廃的なウィーンの空気が肌にあわないのだとウィーンの美術史美術館(Kunsthistorisches Museum)を歩きながら思ったりもした。シェーンベルクというと室内交響曲第1番で入り、次いで衝撃を受けた「月に憑かれたピエロ」(1912)しか眼中になかった。「浄夜」は回顧的(retrospective)で「ピエロ」は急進的(radical)だ。ストラヴィンスキーはradicalでキャリアをスタートしたのになぜシェーンベルクはできなかったんだろう。
その時はまだ音楽史を知らなかった。僕は間違っていた。25才のシェーンベルクは、ウィーンの音楽家だったのだ。だからまず、浄夜を書く頃の彼が範としたのはブラームスであった(表層的な例だが、第1交響曲第4楽章のパッセージがそのまま出てくる)。それは、クロマティックに動く内声部が主導する和声の後期ロマン派的な変転や、拍節感を希薄にするリズム構造の旋律、ポリリズムの交差する複雑な対位法、以上を駆使した凝りに凝った変奏といったマニアックな作曲技法においてである。ブラームスはそれら諸点においてベートーベンの末裔であるから、シェーンベルクはドイツ音楽(ウィーン音楽の意味だ)の保守本流の発展形としてドデカフォニー(12音技法)に踏み込む自負があったと見ていいように思う。
僕は(誰も主張していないが)ブラームスは同様の精神の刻印として第4交響曲の冒頭主題をハンマークラヴィール・ソナタ(29番)の緩徐楽章から引っ張ったと考えており(コラール主題がJ.Sバッハ由来なのは有名だが)、シェーンベルクはそのブラームスからドイツ古典の血脈を受け継いだ。ところがその一方で、その系譜から分派して(日本史で喩えるなら南朝・北朝の如く)ブラームスと対立したワーグナーの響きとトリスタンの書法をも取り入れているという、音楽史上唯一にして驚くべき知性の産物が「浄められた夜」という作品であったのだ。
シェーンベルクの「発明」は12音技法とシュプレヒシュティンメである。後者を代表する「月に憑かれたピエロ」の新奇さのインパクトに比べればこの曲は後期ロマン派の残滓に過ぎず、後継はなく出発点を示したに過ぎない。いみじくも「私はシェーンベルクの音楽が分からない。しかし彼は若い。彼のほうが正しいのだろう。私は老いぼれで、彼の音楽についていけないのだろう」と語ったグスタフ・マーラーはシェーンベルクを評価はしたが「浄められた夜」の地点で立ち止まった作曲家だった。
いまは原曲である弦楽六重奏版(弦楽四重奏にVa、VCを追加)の透明感を好むが、この曲の真髄を味わわせてくれたのは、ロンドンで聞いた弦楽合奏版によるカラヤン / ベルリン・フィルの壮絶なライブ演奏だ(カラヤン最後のブラームス1番を聴く)。録音にはあの圧倒的な低音が入りきっていないが、それでも尋常でない音楽のうねりは感じていただけるだろう。この曲がそういう音楽かどうかは置くとして、オーケストラの創造できるあらゆる意味において極限に位置する巨大な演奏だった。クライバー / BPOの唯一のブラームス4番、ヨッフム / ACOの最後のブルックナー5番と同様に世界のクラシックファンの共有財産としてyoutubeにアップし、その場に居合わせた者の記憶を世界のクラシックファンの為に英文で書き残しておいた。
Herbert von Karajan conducting Berliner Philharmoniker
5 October 1988, Royal Festival Hall , London
We arrived at the Royal Festival Hall fairly early, almost one and half hour before the concert due to begin at 8 pm. The Lobby was already packed with audience chatted away over, I guessed, this Karajan’s probable last appearance in London according to his age and health conditions. My wife and friends urged me to find some cozy place to settle down for quick dinner. The only available place was a buffet at basement. It was unprecedently crowded. We had to queue up for thirty minutes to be seated and, when we had all dishes served, it was 7:30 pm. I managed to swallow a giant burger but had to give up coffee. We rushed out of the buffet and running up the stairs when noticed an announcement saying that the concert would delay and expected to begin at 9 pm. The reason of delay was unbeknown to audience for a while. There were spreading suspicions around that the concert would have to be canceled. It was truly a long time before we heard update announcement saying “The conductor and orchestra were present, however, the instruments were being transported by road from Paris and had been delayed for strike in France. With help of police escort, they arrived at 8 pm. The concert will begin at 9 pm.
The first piece was this Verklärte Nacht.
カラヤン流が鼻につくという方はおられるであろうし、これで覚えてしまうのは危険かもしれない。オリジナルとこれはローストビーフか1ポンドステーキかという差があり、別物と考えたほうが良い。室内楽のポリフォニックな線の絡みと和声の透明感を味わうのが先決で、このブーレーズ盤はピッチの良さもさることながら熱さと高揚感も過不足なく、初めての方にもお薦めである。
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ユジャ・ワンのプロコフィエフ3番
2020 JUL 8 14:14:22 pm by 東 賢太郎
ユジャ・ワンのプロコフィエフが僕は好きだ。3番はオハコですでにyoutubeに2つあるが、イスラエル・フィルとの新しいのを見つけた。
第1楽章アレグロ主部。疾走するオーケストラを脱兎の如く飛び出した彼女は追い越してしまう。とりあえず指揮者のテンポに収まるが要所要所でガンガンあおる。これ良さそうだぞと耳が集中するがするとパーカッショ二ストが例の5連符を2+3に叩いてる。おい、おっさん頼むよと文句を言ってあとで自演盤を聴いたら、なんと2+3である。おっさん正しいのか?当初はこうだったのか?不明。
再現部のアレグロはぺトレンコがワンのテンポに合わせて冒頭より速めで入る。コーダに至ってはピアノから入るから誰も止めようがない。独壇場の超速になり、興奮した聴衆が拍手してしまう。しかし自演盤もこうなんだ。
Mov1の再現部、白鍵と黒鍵の和音で半音階をかけ上がってくあそこ、プロコフィエフにはこういう主部と関係ない不思議なパッセージがポンと出てくる。悪魔の黒ミサみたいな妖しさで絶大な効果があってめちゃくちゃスリリングだ。3度目はペダルを踏まずスタッカートでお遊びに至るがこっちはもう異教の魔術にハマってる、ええい許しちまおう。Mov3の決然とした運指も打鍵もあっぱれ、陰影はさっぱりだがこの速さで決まってるのが問答無用の説得力になってる。なにせこの人、コンチェルトというとバルトークは3つ、ブラームスも2つ弾いちゃうのだから女流の常識をぶち壊している。コロナの憂さが吹き飛んだ。
もうひとつ。ガブリエル・タッキーノ盤(Vox)だ。18才でパリ音楽院のプルミエ・プリ。コンクールはヴィオッティ1位、ブゾーニ2位、カセルラ1位、ジュネーヴ2位、ロン・ティボー4位、しかも一時カラヤンに目もかけられた。それでいて「プーランクの唯一の弟子」だけってのは解せない。
この演奏、ワンのあとに聴くと熱がない。きれいに整っていてMov1はテンポも中庸で妖気漂う部分に狂気もない。プロコフィエフとも親交あった人だが、所々即興性をはらんだ作曲者の演奏に準じるかというとそうでもない。Mov2の瞑想部分は谷底のように深く、最後の変奏での高音部のきらめき、和音のブロックでの伴奏を克明に音楽的に聞かせることに腐心している。Mov3はおとなしめ部類で、木管との輝かしい交叉はラテン的、第2主題再現部はロマン派のごとく耽溺する。つまり、遅い部分に重点があり、高度な技術でスタンダード作品の真髄を記録しようと意図したかに思える対極的な演奏だ。
3番という曲を僕はなん百回聴いたろう?十代にワイセンベルク盤でハマったと思うが、次に買ったアルゲリッチが一段と強烈で、恐山の巫女みたいに髪振り乱すスタイルが代名詞になってしまった観がある(ワンはその継承者だ)。それが今も心をつかむのは書いた通りだが、プロコフィエフの音楽はそう一面的ではない。鬼押し出しや大涌谷の予期せぬ所からガスの噴出があるような、荒涼な景色の中で何に驚かされるかわからない怖さがあって、まったく表向きは共通項がないがモーツァルトに通じている。タッキーノ盤は平穏な観光風景にそんなものが潜んでいることを教える。
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ラヴェル「弦楽四重奏曲」第1楽章の解題
2020 JUN 27 19:19:12 pm by 東 賢太郎
写真の室内楽のピアノ楽譜集にラヴェルの弦楽四重奏曲第1楽章があります。リダクション譜というのは原譜に忠実すぎると技術的に素人には難しすぎ、かといって間引きが過ぎると面白くありません。この「室内楽名曲集2」(オクト出版社)は初見でなんとかなるレベルまで落としており、このラヴェルに関する限り原曲の味は損なわないぎりぎりのところでうまくやっていておすすめです。大好物の曲ですからはまってしまい、何度も弾いているうちに第1楽章に封じ込めた若きラヴェルの「負けじ魂」が透かし彫りのように見えてきて、6年前にこのブログを書いてからだいぶ景色が変わってきました(ラヴェル 弦楽四重奏曲ヘ長調)。
弦楽四重奏曲ヘ長調は1902~3年、ラヴェル27才の作品です。ローマ賞を3回も落選という憂き目にあい浪人中でした。初挑戦が1900年(予備審査で落選)、1901年(第3位)、1902年(本選に進むも選外)、1903年(本選に進むも選外)、受験年齢制限の30才を迎えるため最後の挑戦は1905年(予備審査で落選)。この結果に対し音楽に造詣の深い作家ロマン・ロランが「落選の真意を問う公開質問状」を新聞発表し社会問題となったのが “ラヴェル事件” です。「門下の生徒のえこひいきだろう」「政治的意図がある」など騒ぎとなりパリ音楽院の院長デュボワは辞任に追い込まれます。
というのは、1905年時点ですでにラヴェルは古風なメヌエット(1895)、亡き王女のためのパヴァーヌ(1899)、水の戯れ(1901)、シェラザード(1903)、弦楽四重奏曲(1903)、ソナチネ(1905)、鏡(1905)と音楽史に残る作品を書いて聴衆に知られており、デュボア、サン・サーンスら音楽院中枢の保守的な審査員たちが「ラヴェル氏を審査する勇気があった作曲家たちを称賛する」とロランに思いっきりコケにされていることでも明らかです。ローマ賞は栄誉ではありましたが、受賞者で名前が音楽の教科書に載ったのはベルリオーズ、グノー、ビゼー、マスネ、ドビッシーだけでした。
つまり現代の我々はラヴェルにそんなものは必要なかったということを知っているのですが、当時の彼に未来は予見できません。そこまで執着したのは3万フランの賞金が欲しかったと見る人もいますが、「男のプライド」というのはそんなカネで買えるほど軽いものではない。受験戦争と同じで、あいつが受かってなんで俺がというものがある。戦いというのはどんなに些細に見えても当事者にしかわからない許し難い葛藤があり、それが何にも増して強大な原動力になったりすることを浪人した僕はよくわかります。最たる嫉妬の対象はドビッシーですが、落ちた年に受賞した連中など彼にはゴミにしか見えてなかったはずで、それに負けた不快感も絶大だったでしょう。
ですから、あと2度しか挑戦できないのに1904年は受験しなかったのを長年不思議に思っておりました。ところが弦楽四重奏曲が「1903年にできた」という事実から意味が見えてきました。彼は03年の本選の課題曲である「アリッサ」のプロットに辟易しているからです。くだらない台本に霊感の湧かない曲を書くなど馬鹿らしいというのが完全主義者の気質です。またこの曲は10年前に書かれたドビッシーの弦楽四重奏曲を明確にモデルにしていますが、04年3月の初演を聴いたドビッシーは「一音符たりとも変更しないよう」と誉めた。ところが後にラヴェルは全編を改訂してしまいます。亜流とされるのを嫌ったと思います。
彼の全作品は、彼がアイロニカルでシニカルで一筋縄でいかない、むしろ一筋縄でいくと思われたくない性格の持ち主であることを示唆しています。こういう人間のプライドというのは常人の量り知れるものではなく、ドビッシーの路線とはかけ離れたダフニスとクロエ(1912)の高みに至るそれこそ常人離れしたモチベーションは25~30才で味わった屈辱と反骨心にマグマの源泉があったのではないか。前年に3位を得て満を持して臨んで失敗した1902年の末に書き始めた「古典中の古典のソナタ形式」をとる弦楽四重奏曲ヘ長調は保守派の試験官の好みに迎合する戦略で書かれて03年4月に完成し、7月に受験してまた不合格(「アリッサ」に辟易した年)。04年3月に四重奏曲を初演してドビッシーの賛辞を得て7月の受験は無視するに至ったのではと思うのです。
ラヴェルの音楽が古典の規範に反し無用に急進的だとするパリ音楽院はアカデミズムの牙城であり、院長のデュボアを筆頭とする「白い巨塔」でした。そんなことをしていたからデュボア、サン・サーンスのスクールからは音楽史に残る継承者も作品も出ませんでした。ラヴェルは力はあるが権威に靡かない異端児と烙印を押されており、その教官はパリ音楽院卒でないため政治力を欠くフォーレでもあり、伝統を継承することを旨とする保守本流のエリートとは遠かったのです。また、これは私見ですが、ラヴェルが生粋のフランス人ではなくバスク人のハーフであったことも深層心理的に行動に影響があったかもしれません。合格のための迎合は戦略であって、真意は「よし、それなら古典中の古典の形式で新しいものを書き古狸どもをぎゃふんといわせてやろう」という反骨であった可能性があるのではないかと思うのです。くだらない台本にはかけらの関心もわかないが、自らが書いた「審査員どもを篭絡し征服する台本」には絶大なるエネルギーをもって集中力を発揮する、ラヴェルとはそういう人だったと考えるのです。
今回、ピアノではありますが自分で演奏してみて、そういう視点からソナタ形式の第1楽章を眺めてみると、ラヴェルの戦略として気づくことがありました。それをここに記してみます。
この楽章は提示部に意匠が凝らされています。ヘ長調の第1主題で開始しますが、たった4小節で(第1の矢印)で変イ長調に転調して変奏されます(第1の転調)。それが4小節でト短調(Gm)に疑似終止(第2の矢印)すると、突然に違う旋律がG7の和声を伴って天から降ってきて(第2の転調)変ロ長調に移行するのです。
第1主題がたった20秒の間に2度も転調するのです。こんな例は僕は後にも先にも知りません。メロディが嫋やかで哀調を帯びた非常に印象的なものですから先を期待するのですが、つかまえようとするとすっと逃げられてしまう。しかも2度目から “エスプレッシヴォ” で感情をこめて朗々と歌われてしまう「取り残され感」は半端ないのです。
全くの私的イメージでありますが、結婚式に呼ばれて美しい花嫁が登場したと思ったら10秒で「お色直し」があり、もう10秒でまたあり、唖然として顔をよく見ると別な女性だったというほどの衝撃を僕は聴くたびに感じます。あれっ、俺はどこに来てるんだっけと迷い、これがソナタ形式の第1主題だということを忘れ迷路に迷い込んだ自分を発見するのです。
すると、七変化はそれに留まらず、さらに副主題(4小節目から)が現れて、
しばし楽想は展開部であるかの如く変転します。これはミステリー小説でいう「ミスリード」であって、第2主題の如く現れて真犯人を隠すダミーの役目をしています。ここに至って、まだ第1主題が続いているのだと初聴で見抜く人は誰もいないでしょう。
であるから、第2主題(ARCOから)が現れ、また驚くのです。
これが第1主題にもまして触れれば折れてしまうほど繊細かつ妖艶で、すぐれて女性的です。この3連符を含む主題も第1主題と同様に提示部で変奏されたうえで展開部に進みます。第1、2主題は気分的には大きなコントラストはなく同質的で、展開部での交差は両者のアラベスクによってその共通の哀調を更に変奏していく風です。
つまりこの楽章は第1主題に封じ込められた気分をコーダまで様々な角度から光をあて聴き手に味わわせるというソナタ形式としては異質の構造であり、副主題を含めた3つの主題は独立(対立)した個性を主張し論理性を持って昇華する構成因子というよりも、相伴って気分の変遷をガイドする万華鏡のパーツとでも形容される性格です。すなわち、外形的にはアホの「白い巨塔」の審査員様向けの文句なしのソナタ形式をとっているが、聴感的にはすぐれてラヴェル的でやりたい放題である。「どうだ、なんか文句あるか?ざまあみろ」という嘲笑を含んだ彼の顔が見える。第1主題の第1部は第3、4楽章で循環形式の素材としても扱われ、彼が「古い皮袋をまとって奴らの目くらましにすること」に強い意志を見せていることが伺われます。
そのことは再現部において第1主題の3部分がほぼ同じくり返しを見せるところに巧妙に仕組まれています。当たり前と思われるでしょうが、3つがセットで第1主題という外形を聴き手はいったん見失ってますからこの再現はけっこうショックなのです。つまり、驚かせながら「この主題は木に竹を気ままに接いだものではなく強固な鋳型なのだ」と主張し、ソナタ形式の規範に見事に則って見せて古狸どもに泡を吹かせてやろう、温故知新の精神があることを評価させようという気概をこめたオリジナルな構造であり、さらに技巧を凝らして和声は微妙に提示部と変え時制による「変化」を盛り込んでいるという革命をも成し遂げた精巧な作品に仕上がっている。
コーダの最後の部分です。
両主題が重なりヘ長調から長2度下の変ホ長調へというラベルお好みの交差が2度繰り返され、そこに不意にト長調が現れてヘ長調で終わる。この印象的なト長調の闖入はシューマンのトロイメライの最後のようであり、深い安寧へと誘ってくれます。これを弾ききった時の満足感は格別で、音楽でお腹がいっぱいになる感じがいたします。提示部で両主題が変奏し展開され、その生々流転が展開部にも継続して全曲のあらゆる局面で時々刻々光と影を変遷させる。この作品が完成した年からドビッシーが書き始めた、やはりソナタ形式である交響詩「海」はラヴェルがここで試行した時間関数による変奏の概念をより高い次元で達成しているのです。
前回ご紹介していない「マールボロ音楽祭の演奏者たち」の演奏はなかなか結構なものです。
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ユリア・フィッシャーのモーツァルトを聴く
2020 JUN 25 1:01:03 am by 東 賢太郎
コンサートがないのでyoutubeを見てますが、ユリア・フィッシャーさんがモーツァルトのヴァイオリン協奏曲を語ってます。
1,2番はバロック的で3,4,5番はベートーベン世界に移行しつつある。モーツァルトがというよりコンチェルトという世界が移行していく時期に書かれた作品だ。同じ作曲家の曲をチクルスで通して弾くと同じ弾き方になりがちだが、モーツァルトの場合は曲ごとに弾き分けないといけない。最も注意深さを必要とする作曲家で、私は曲をすぐ覚えられるがこの5曲はそうはいかなかった、という趣旨を語っています。
余程のモーツァルト好きでなければ1,2番を諳んじていることはないでしょう。普通は3,5番なのです。こういう背景をふまえて、彼女は「ともすれば1,2番は学習者用の作品と思われていますが、私は子どもの時に3,5番しか弾かなかったので幸いでした」と述べています。こういうものの言い方は非常にハイレベルな知性と自信が無いと高慢に思われるだけでなかなかできません。僕が彼女に惹かれているのは、それが口だけでなく音にも出ているからだろうと、今回ビデオを見ていてそう確信しました。
性格なので致し方ないのですが、僕は知性を感じない演奏家は総じてだめです。まったく聞く気もしない。テクニックを素材として表現すべきは知性だと思ってるからです。どっちが無くても音楽になりませんが、テクニックで終わってる人が実に多いのはそれで満足する聴衆の責任でもある。譜面を伝統に照らして的確に読むのはテクニックの内です。そんなのはあたりまえである。そこからが演奏家の創造の世界であり個性の発露です。それが演奏の出発点といってもいいでしょう。
第2番ニ長調K.211です。
第2楽章は出だしが調までドヴォルザークのチェロ協奏曲第2楽章と全く同じで、中間部で魔笛に通じるナポリ6度がきこえます。第3楽章の出だしはピアノ協奏曲第21番 K.467の終楽章に顔を出します。そういうことまで見通して弾いているかどうか、会ってみた彼女はイメージ通り実に聡明そうな女性でしたからどうでしょう。まあいずれ学ぶでしょう、そうでなくても。
彼女は「注意深さを必要とする(彼女の英語で「attentiveであるべき」)」音楽に向いてますね。俗にいう回転がものすごく速い人で、抜群の記憶力と技術で人の2倍の速度で処理しながら絶対にミスしないし、苦労してできたという感じがなく、ひょいひょいとやってしまう。ワタシ失敗しないのでを地で行く人です。普通の演奏家が弾くだけで大変そうな高速の運指の場面でも一つひとつの音符に「注意」がこもってるのがひしひしと伝わる、それも神経質にでなく「楽興をのせる」という風にです。演奏を見るとわかりますが、音楽を心から楽しんでますから機械的に陥らないのです。
僕はクラシックファンは基本的には知性的と思っていますが、日本ではどういうわけかすぐれて「反知性主義」なところがあります。精神性、こころ、深みという言葉で形容される形而上的要素が必須とされ、欠いていると凡庸だと烙印を押され、それならば譜面を逸脱した狂乱の爆演の方がましだという風潮です。これは大きく間違っていますが、通ほどその傾向がある。通になるには何がしかの知性は必要ですが、その人が反知性主義であるという分裂がおきる文化は奇妙ですらある。
一般論として、左様な分裂の誘因として代表的なものは宗教による洗脳でしょう。通の教祖である昭和の評論家が精神性、こころ、深みを教義として広めた。僕自身「レコ芸」主筆クラスの評論で知識を得ましたが洗脳もされました。ただ、欧米に長く住んでその教義が英語、ドイツ語にならないことも知りました。ではあれは何だったかというと、結論だけ書きますが、評論家が通になるに至った自分の趣味の表明だった。それはそれで貴重な理解の土台にさせていただきましたし、英国、ドイツの通人と一緒に数多の演奏会を聴いて、日本の著名評論家各人の好みのベースの類型も理解しました。
趣味とは人の数だけあって要は好き嫌いなのです。「精神性」は洋物の鑑定に書いておけば反論されない、いわば業界の符牒としてのお墨付け用語だった。「この古伊万里は塗りに味がありますなあ」の「味」に相当する通だけがわかると認知された和風基準です。洋物を和風に味わってはいかんというのではありません。彼らはれっきとしたインテリ、知性派ですが、敗戦で和風知性を凌駕された米国知性への強烈な侮蔑と反感があったと思う、そこが問題でした。それイコール科学であり唯物論的知性だから、形而上的、非物質的知性に基軸が振れた。その象徴が「精神性」というワードであったと解釈しております。すぐれて終戦後的、昭和的な智の性向であったでしょう。
僕自身その空気を吸って育ちましたし非物質的知性に深く引かれる性格を持っていますが、まずは唯物論的知性で無用な澱を洗い流してみようという行動原理を持ってもいます。むしろ後者が強い。だから昭和的な智の性向は「澱」だったと気づき、自然と思考回路から完全に除去されました。その土台のうえに築かれたのが僕の音楽嗜好だったということです。嗜好は意図と無縁に醸成されるものですから食べ物や異性の好みに似ます。本質的に100%我が儘なものであり他人と違って当然であり、他人に押しつけるものでもありません。したがって、僕は彼らにおける精神性のような宗教ワードは忌避しますし、書いたことのご判断は読み手の知性に委ねることしか致しません。
僕がなぜユリア・フィッシャーの演奏が好きかというと、単に好みだからであり、それはなぜモーツァルトが好きかという問いの答えでもあります。モーツァルトに精神性のようなものなどかけらも感じないし、求めもしないし、彼は簡単でなかった人生その場その場で立ち現れた難事に抜群の回転の頭脳と天性の楽観性で立ち向かい、切りぬけた。その「あっぱれ感」がたまらず好きで、応援団であり自分の人生来し方に投影もしている。彼の音楽をどう演奏してほしいかについては、もう50年の歳月を経て確たる自己基準ができていて、それに照らして彼女の演奏姿勢は(出した音というよりも)とても共感するものがある。それが彼女の、テクニックから先の創造であり個性の発露と思うのです。
以前にもご紹介しましたこのビデオ、改めていいなあと思いました。ヴァイオリンとヴィオラのための協奏交響曲 変ホ長調 K.364の第1楽章です。いかに楽しんでるかご覧ください、彼女の楽興がヴィオラに乗り移り、オケ全体にも電気のように伝わってます。
1分33秒あたりからオーケストラがクレッシェンドするワクワク感。モーツァルトですねえ。1分49秒でフォルテの頂点に達したと思うと1分57秒からまた不意に静まってあれあれと思うと、2分14秒からソロのふたりがピアニッシモで、聞こえるか聞こえないかぐらい、獲物に近寄る猫みたいにひっそりとユニゾンで入ってきてだんだんクレッシェンドします。なんていう効果だろう!
作曲当時、鍵盤楽器(ハープシコード)は音の強弱が出せず、オーケストラもフォルテとピアノの交替はあってもこんな「音量のグラデーションをつける」という発想はありませんでした。聴衆はびっくりしたでしょう。こんな新奇なことをモーツァルトもひょいひょいとやってしまう。ロッシーニはクレッシェンドの効果を盗んだし、ベートーベンは彼なりの劇的なやり方で第5交響曲の終楽章へのブリッジに使っています。
ユリア・フィッシャーさん、モーツァルトに会わせてみたいですね、ひょいっとできちゃう天才同士で何か起こりそうだ。
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僕が聴いた名演奏家たち(クシシュトフ・ペンデレツキ)
2020 JUN 17 18:18:45 pm by 東 賢太郎
3月29日に20世紀を代表する作曲家であるペンデレツキ(1933 – 2020)が亡くなりました。彼は現存するコンポーザーではピエール・ブーレーズと並んで最も気になる存在でした。「クラスター」という言葉はコロナで広まりましたが、トーン・クラスターは彼の代名詞で、大学時代に図書館できいた「広島の犠牲者への哀歌Tren ofiarom Hiroszimy」(52の弦楽器のための)というショッキングな曲で知りました。これです。
広島の犠牲者のために捧げられた音楽ですが、1960年の作曲当初は「8分37秒」という演奏時間を指定しただけの標題で、指揮者は時計を見ながら振る想定だったようです。ジョン・ケージの「4分33秒」(1952)もそうですが偶然音楽の演奏に時間という概念が入るのは必然でしょう。ジョージ・フロイド氏が無法者の警官に抑え込まれたのが8分46秒とニュースで聞いてこれを思い出したのも悲しいものです。
ペンデレツキの音楽は「エクソシスト」、「シャイニング」に用いられ(映画音楽ではなく引用)映画監督に怖いイマジネーションを与えるようですが、彼の本領はスリラーでもオカルトでもありません。古典的なクラシック音楽のほぼすべてのジャンルに完成度の高い大作を残した正攻法の作曲家です。
エクソシストです。
前稿で「アヴァンギャルド(前衛)なる言葉自体が戦前の遺物と化してしまった。それを破壊し革命を起こすほどの新たな社会的動力はなく、作曲という記号論理の中だけで進化を促す動力も見られない。」と書きましたが、ホロコーストと広島・長崎への怒りが生んだ音楽はありました(もう一つの代表作はシェーンベルクの「ワルシャワの生き残り」)。心胆を寒からしめる迫真性とシリアスさは第2次大戦の残虐行為と無縁ではないでしょう。
彼の音楽はどれも19世紀クラシック音楽の正統な末裔と思わせるオーセンティシティを有しており、混沌ハチャメチャにしか聞こえない現代音楽とは一線を画しています。私見では、キリスト教の典礼音楽という原点と切り離すことのできない何かが有るからと思います。僕はモーツァルトの最高傑作群は典礼音楽で、オペラや器楽曲のプロトタイプはザルツブルグ時代のそれにすべてあると考えています。それほどドイツのクラシック音楽は典礼音楽の衣鉢を継いたものだということです。
ベートーベンもメンデルスゾーンもシューマンもブルックナーもブラームスもみなJ.Sバッハに範を求めたわけですが、それは対位法やフーガの技法を学ぶためというよりもドイツの保守本流のスピリチュアルな価値観としてはまず典礼音楽があり、その祖がバッハだったということです。イタリアがオペラであったのと一線を画し、その5人はオペラをほとんど書いていません。この意味ではヘンデルとモーツァルトは異端だったわけですが、前者はオラトリオで、後者はミサ、レクイエムで本領発揮といえる傑作を残しております。
ポーランド人のペンデレツキをドイツ保守本流の正統な系譜だと申しあげるのは8曲の交響曲を残した堂々たるシンフォニストであり、協奏曲、室内楽、そして何よりルカ受難曲、ポーランド・レクイエムという典礼音楽で傑作を残したからです。僕が愛好するのは交響曲第3番であり20世紀を代表する交響曲のひとつに数えられると考えております。アダージョはトリスタン前奏曲で開始し、ショスタコーヴィチ5番の第3楽章ラルゴの雰囲気を継承する唯一にして最高の音楽。アントニ・ヴィト指揮ポーランド国立放送交響楽団の入魂の演奏をぜひ全曲通してお聴きください。
ペンデレツキはブーレーズほどではないが指揮活動もしていました。1982年12月にフィラデルフィア管弦楽団定期にやってきて金曜、土曜と2回、演奏会の前半だけ振り(後半はウィリアム・スミスがショスタコ5番を)、演目は当時できたてほやほやの自作「テ・デウム」でした。当日のプログラムによると同曲は1978年にポーランド出身の初のローマの法王が誕生したのを祝して委嘱なしで書かれて、80年にアッシジで初演、米国初演は81年にロストロポーヴィチがナショナルPOでワシントンで行ったようです。僕が聴いたのはその翌年、米国2度目の演奏を自ら行ったものでした。
このころというと、日付からしてウォートンで最初の学期が半ば過ぎたあたりでmidterm-exam(中間試験)が控えていたはずです。英語に苦労して息も絶え絶えのころであり、あんまり思い出したくもないほど疲弊していましたっけ。今となると音楽がどうのよりも、チェロの真ん前の席で指揮台まで4,5メートルのところでペンデレツキの横顔を見上げていた方が意義深いことです。ドイツで「ひい爺ちゃんがブラームス自身の演奏を聴いた」という人に会いましたが、いずれそんなことになるんでしょう。
テ・デウムです。ペンデレツキ指揮ポーランド国立放送交響楽団で1983年3月、ポーランド南部のカトヴィッツのスタジオ録音で、僕が聴いた4か月後のスタジオ録音です。この曲ももう古典になりましたが、自分もなっているということですからちょっと寂しい気も致します。
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スクリャービン 「法悦の詩」 (Le Poème de l’extase) 作品54
2020 JUN 13 16:16:02 pm by 東 賢太郎
この曲はスクリャービンの4番目の交響曲である。聴いたのは故ロリン・マゼールがN響を振ったときだけで、それもあまり印象にない。もっと前に、指揮者は忘れたが、N響は5番をスコア通りに「色付き」で演奏したことがあるがもう人生でお目にかかれないだろうから貴重だった。4番のレコードはブーレーズ、ストコフスキー、ムラヴィンスキー、モントゥー、グーセンス、シノーポリとあって最後の2つは気に入っている。特にグーセンスは一聴の価値がある。
一見複雑なテクスチュアの曲だが、メシアンを思わせる冒頭のフルート主題のこれと、
トランペットのこの主題を覚えておけば全曲がつかみやすい。
この譜面はコーダだが、トランペット主題は何度も出てきて耳に纏わりつく。ショスタコーヴィチの5番Mov1の主題にも聞こえ、最後はセザール・フランクの交響曲ニ短調と瓜二つの終結を導く。
先に挙げた演奏のうち、異彩を放つのがピエール・ブーレーズ / ニューヨーク・フィルのCBS盤だ。シカゴ響との新録音(DG)はどれもそうだがやっぱり丸くなっていて僕は採らない。音は変わらず分解能の高い精緻なものだが、ウィーン・フィルでブルックナーを振る敬虔なキリスト教徒のものだ。神を否定したかに見えた60年代の彼ではなく一般に理解される方法とメディアによって異教徒だった頃の残像を残そうとした試みに過ぎない。全共闘や革マルの戦士が大企業の役員になって品行方正づらでHPに載っているようであり、70年代を共に生きた僕には堕落以外の何物でもない。
彼の録音の “主戦場” だった音楽は20世紀初頭のものだ。欧州最初にして最大の狂気であった第1次大戦に向けて社会ごと狂っていく時代、後にその寸前を良き時代(ベル・エポック)と呼びたくなるほど酷い時代の精神風土を映しとった作品たちである。ブーレーズはその空気を吸って育ち60年代にアヴァンギャルドの戦士になったが、彼が壊しにかかった古典は「戦前の前衛」であり、壊すことは時代の「先へ進む動力」であった。ベートーベンもワーグナーもドビッシーも各々の時代でそれをした。革命という言葉が破壊と同時に新生のニュアンスを含むとすると、それこそがブーレーズの作品群だ。彼は演奏家である前に作曲家であり、彼のCBS録音はアヴァンギャルド(前衛部隊)で戦う若き彼のリアルタイムのブロマイドとして永遠の価値がある。
DG録音群は、20世紀後半に前衛は死に絶え、音楽が動力を失い、作曲される傍からクラシック音楽という埃をかぶった懐古的ジャンルに封じ込められる運命にあることを象徴したものだ。第2次大戦後、今に至る「戦後」が始まる。ストラヴィンスキー、シェーンベルク、バルトークらの打ち立てた戦前の前衛の音楽語法が戦争という無尽蔵の破壊力をもった狂気からインスピレーションを得たということは重要だ。テクノロジーの世界で火薬、船、トラック、飛行機、インターネット等は戦争による軍事技術として進化した。それと同じことだ。十二音技法が生まれる素地は「戦前」の空気にあったのであり、その作曲技法(語法)が戦後の前衛の在り方のインフラとなったのは必然だった。
そうしてアヴァンギャルド(前衛)なる言葉自体が戦前の遺物と化してしまった。それを破壊し革命を起こすほどの新たな社会的動力はなく、作曲という記号論理の中だけで進化を促す動力も見られない。”前衛風に” 響く音楽は生産されているが、「クラシック音楽」なる金色の額縁に収まるか否かの価値観で計られる壁は高い。一方で元来音楽は消費財であり、現代はゲーム、アニメのBGMと競う運命にもある。ドラえもん組曲やエヴァンゲリオン交響曲がコンサート・レパートリーに加わる日は来ても不思議でないが受け入れる聴衆は未来の人だろう。
ブーレーズ戦士時代の録音である「法悦の詩」をほめた人はあまりいないように思う。スクリャービンはテオソフィー(神智学)を信奉しておりエクスタシーはそれと関係がある。神智学は「真理にまさる宗教はない」とし、「偉大な魂」による古代の智慧の開示を通じて諸宗教の対立を超えた「古代の智慧」「根源的な神的叡智」への回帰をめざすとされるが、wikipediaの英文(しかない)を読む限り特異な概念である。エクスタシーだからセックスの絶頂ですよという単純なものではなさそうだが、この曲に多くの聴衆が求める快感はそのようなものだろう。ブーレーズCBS盤のもたらす透明感、立体感はさようなドロドロと無縁であり、彼が録音した意図に戸惑いを覚える人が多かったのではないだろうか。
僕の場合はエクスタシーはどうでもよく、この頃のブーレーズがやはりドロドロだった春の祭典を怪しげな呪術から解き放って自分の美感で再構築した詩的なリアリストであることが魅力のすべてだった。この法悦の詩はトリスタンのオマージュにきこえてならない。彼がバイロイトで指揮したワーグナーを聴くと、トリスタンに魅入られてワグネリアンで出発し後に否定したドビッシーの音楽がクロスオーバーする地平で響いていることに気づくが、それと同じ響きがここにもあるのだ(冒頭の雰囲気などドビッシー「遊戯」そのもの)。和声が解決しない調性音楽であり、内声がクロマティックに動いて属七を基軸に和声が変転するがバスが明瞭で構造的に複雑ではないのに複雑に聞こえる。凝った装飾で副次主題がからみ錯綜したポリリズムを形成するからだ。このスコアを二手で弾くのは不可能。四手でも難しい。ブーレーズはそれを分解し、磨きをかけ、最適なバランスでドビッシーのように詩的な透明感を与えて音化しているのである。
全くの余談だが、久々にこれを聴いて脳が若返る気がした。以前書いたが受験時代にブーレーズが夢に出るほど没入していて、ハマればハマるほど数学の成績が上がって全国1位を取ったから因果関係があったと本気で信じている。クラシック音楽は脳に「効く」漢方薬だ。
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