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来週、敵地でアイツにやり返したい

2016 JUL 29 22:22:31 pm by 東 賢太郎

「広島とやる時はアイツにだけは打たれたくないと思ってやっている。正直悔しい。来週(8月5~7日に敵地3連戦)でやり返したい」 (巨人・菅野智之)

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高校、大学と同僚の広島カープ田中に2発の被弾、初戦の田口に続いてメークドラマへの残り少ないチャンスを賭けた第2戦で負けた菅野はベンチでグラブをたたきつけ、怒りをあらわにしてチームを凍りつかせた。

 

菅野の防御率はリーグ唯一の1点台(1.69)ながら6勝5敗。いかに打線の援護がないかだ。エースには相手もエースを当ててくる。負けたくないアイツは通常はソイツなのだが、毎度毎度あまりに味方が貧打だと矛先はそっちにも向かうだろう。

それがこの日のソイツは二軍上がりでお試し登板っぽい福井だ。そんなヤツに打線は抑え込まれるわ、最も打たれたくない(しかもホームランバッターでもない)アイツに右に左に2本もぶちこまれるわだ。その2点だけ(これは好投だ)という皮肉な結末が、これまた気色悪い。打たれたお前が悪い。それはわかっている。しかしなんだってアイツに。この怒りははけ口がない。

とてもよくわかる。そういう時は同僚もかける言葉はない。チームを凍りつかせてもいいことないだろう、もっと大人になれ・・・もっともらしい説教などうるさいだけだ。家帰ってバットの2,3本でもへし折るしかないよ。

その負けた悔しさ、自分への怒りこそ次の原動力だ。尻尾を巻くものにはわからない。菅野くん、8月5~7日の敵地3連戦、すごく楽しみである。

 
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スポーツとケンカ

2016 JUL 29 12:12:34 pm by 東 賢太郎

プロスポーツのメンタルがどういうものかは想像がつきませんが、同じ人間がやることだからという目で見ています。

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ソフトバンクの内川がファウルフライを妨害されて捕れなかったとカメラマンを罵倒したり、中日の平田がヤジに応戦してスタンドにのぼりかける(右)などいろいろおこります。

 

内川はそういう男に見えないし平田は自分ではなく同僚ビシエドへのヤジに男気応戦だったようで、チームが勝てないことのストレスの反映なんでしょうか。こういう心理状態になると打席にも影響があるだろうなあと思います。

勝てなくなると連敗する。実力は伯仲なのにどうしてあのチームだけ一方的にやられるのかと不思議になりますが、チーム内でこういうストレスがそこかしこに蔓延すれば全員の打席やピッチングにひずみが出るのは避けられないでしょう。

一方でヤクルトのオンドルセクが監督に暴言を吐いてクビになってしまいました。こうやって外部にでなく身内にあたるケースも出てくると重症です。ともあれ、みんな負け=ストレスなのはよくわかります。

しかし、ストレスは昔からあったことで、そのはけ口はもっとシンプルに「敵」に向かってたような気がするのは僕だけでしょうか。ちょっとしたプレーで殴り合いになりベンチ総出の乱闘事件になるなどですね、これは顕著に減っているように思います。

プロ選手はリトル、高校と旧知の仲で、チームは違っても挨拶したりベース上でランナーと野手が会話したり、最近は合同キャンプまでしている。人間としてはいいことですが、どうも男と男の一騎打ち、ケンカという側面が失われてきている感じがするのです。

僕自身そうですが、男は本来きっと野蛮であり社会ではその蛮性を理性で包み隠して生きているように思います。大昔のガキの頃ですが、職場で上司に怒り道具箱を蹴倒して抑え込まれたことがあります。オンドルセクどころでない事件で、それでも会社で生きてこられたのは幸運だったのですが、ストレスはそれ自身が凶暴なものです。

負けをすんなり認めて尻尾を巻いてしまう男の心理は知りませんが、負けという悔しい状態のままストレスをため込むよりは発散する、それも身内やファンに対してではなく、負けた相手、敵にストレートにぶつけるという意味では、男にとって乱闘は筋が通っておりわかりやすい。

実社会でそれは絶対に許されないがグラウンドなら、という見る側の心理はあるように思うのです。実社会でできないからむしろやってくれ、戦争でやられたアメちゃんをたたきのめしてくれというのが力道山を応援した終戦直後のプロレスだったように思います。

僕の野球好きは王貞治vs大羽進に始まったことは書きました。外木場vs王、村山vs長嶋、清原vs野茂、清原vs伊良部、江川vs山本浩二・・・数々の名勝負。これは武蔵vs小次郎や伊賀の影丸の現代版で、これに魅入られてピッチャーをやりたいとなった。

これ、わかりやすくいえば、ぜんぶ男のケンカなんですね。合理主義、人道主義、友愛、フェミニズムなんかがはいりこんだスポーツはつまらないです。アルコールフリービールだけの飲み会みたいなもんだ。そんなのを金払って見る気はしません。見る方もストレス解消したいですから。

 

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外野の声など無視せよ(阪神タイガースの危機に思う)

2016 JUL 27 3:03:04 am by 東 賢太郎

もともと競争が好きで忍者マンガや戦争映画に夢中、勉強とスポーツだけやってればいいように育ちました。それが体育会で磨かれ会社では当然のごとく武闘派。当時の野村で武闘派は半端でなく、結果を出さない者、軟弱な考えや物事はいっさい問答無用で認めなかった。部下は大変だったでしょう。

今年の阪神タイガースを見ていると、金本が苦労してる。わかります。何でお前はそんなことができんのや?できんなら倒れるまで練習せいやこのボケが!そうやって藤波を160球投げさせてしまう。たぶん。そういえばカープの緒方も野村にそれらしきことをしてました。

それがけしからん、つぶす気か、今時の監督の器じゃないと批判の嵐である。これはつらい。なんか社会全体がフェミニンになってる気がする。戦いを礼賛する気はないが、男の世界は動物界を見るまでもなく女の取り合いにしろエサの分配にしろ競争なしにあり得ないと思う。

文民支配の世は結構だが男がどんどんオスの本能から乖離していってる気がします。草食系ですから?そんなの言葉のお遊びでしょ、草食獣だってメスや縄張りを熾烈に争ってますよ。まして競争、戦いの場であるグラウンドでそれでどうするんだろう。そんな情けない男どもを女は望んでるのだろうか?

我が事で恐縮ですが、営業ヘッド時代の僕にまともに口をきいてもらえると思っていた部下はいないだろう。口を開けばまさしく、何でお前はそんなことができんのや?できんなら倒れるまで勉強せいやこのボケが!でした。

当時の営業はすぐれて軍隊チックであり、みなさま僕の音楽ブログで違ったイメージを持たれていると拝察しますが(家では確かにそうでしたが)会社では笑わない野蛮な将校だったのです。それで大変に強い組織でしたから当時のあの会社では正義がありました。

その目で見ますと、ご批判はあるでしょうが、金本は妥協なんかせず、いらん中堅・ベテランなど問答無用で切って、彼のイズムで必死にはい上がってくる若手(必ずいるはずだ)と心中すればいいんです。それで今年は最下位であろうと今に見ておれでいいんじゃないでしょうか。今年のカープみたいになれば。

だめなら責任とってやめればいい。慣れない妥協をして、それで結果が出ずに首になるのだけは見たくないですね。選手としての彼を好きでしたから。緒方もそうでした。広島カープがどういう拍子で今年強いのか知りませんが、マエケンがいなくなって何かが吹っ切れて一丸となった、その波に乗った気がします。

何かをやろうというなら周囲の声など無視でしょう。

 

 

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清宮くんの早実、敗れる(神宮球場にて野球の原点にふれる)

2016 JUL 24 2:02:18 am by 東 賢太郎

後輩のSくんに「清宮君の早実を見ませんか」と誘われ、何十年ぶりに高校野球を観ることになりました。この日の神宮球場は西東京大会の準々決勝4試合のてんこ盛りで、第2試合が注目の早実×八王子でした。2万4千人も入ったそうです。

内野席は満員で仕方なくライトの外野席に陣取りました。先日、筒香のドライバーショットみたいな弾丸ライナーが突き刺さった付近ですね。第1試合の国学院久我山×東海大菅生が試合中でした。たまたま国学院久我山は僕の初先発となった高校1年の秋季大会の相手だったので応援しましたが、残念ながら負けてしまいました。

さてお目当ての第2試合、早実×八王子です。試合前の練習(下、背番号3が清宮選手です)、真近で見ていると早実はいかにも強そうだ。Sくんは浦和高校の球児であり、お互い硬式やったもん同士で会話が弾みます。八王子の下馬評は知らず、キャッチボールとトス見ながら早実が5-2ぐらいか?なんて言っておったのです。 soujitu 2年生の清宮くんが4番ではなく3番というのは1年生の野村くんがいるからですが、野村の打撃は脅威(2塁打、3塁打でした)。守備も肩も十分にこのレベルの選手で驚くしかないです。清宮くんも2塁打を打つには打ったが、ところが八王子の左腕・早乙女くんの好投にチームとしては要所を抑えられます。スピードは130キロ程度ですが球持ちが良くて低めまで伸びがあり、巨人の内海を思わせる。緩急をうまく使うのでキャッチャー小掛くん以外の下位打者は差し込まれてましたね。

これが清宮の打席です。 kiyomiya 野球はわからないもんで、早実が6対3でビハインドの最終回を迎えます。ノーアウト1、3塁で清宮という最高の場面は盛り上がりました。カキーンと打った瞬間いい角度で我々の方向へ飛んできて、入った同点!と思ったがわずかに失速してフェンスぎりぎりでライトのグローブに。結局、優勝候補の早実は6-4で敗退してしまいます。残念ながら投手陣があまりに弱かったですね。エースが引っ込むと控えはもう甲子園レベルとは遠い。高校野球はピッチャーで決まると言いますが、まさにそう。八王子はエースの投球術が早実をしのいだということです。それに加えて内野守備(特にショート竹中くん!)がすばらしく、打撃も5回に集中打で5点奪ったのですが、大物はないがシュアな印象でした。ショート、センターが中軸のチームは強い。あの3,4番がいるだけで普通はビビるでしょうがまったく位負けしなかった。ナイスゲーム! soujitu1 第3試合は早稲田高等学院×創価。これはネット裏に移動して観ました。結局、覇者覇者ワ・セ・ダの応援歌を二試合聞くことになったのですが、試合前練習で見るに創価は強そうだし、野球エリートの早実とちがって学院は勉強はできるだろうがとあんまり期待してなかった。ところがふたをあけると、この試合が一番面白かったのです。

それは早大学院のエース柴田くんに尽きます。今日出てきたすべてのピッチャーの中で文句なく最高。ストレートは最速142キロあたりで、最近の高校生ではそれは珍しくないですが、彼の場合は球の質が素晴らしくいい。球離れの力の入れどころが理想的で、回転がよくエネルギーにあふれた「強いストレート」です。カーブは浮き上がって落ちる、いわゆるブレーキがあってタイミングがとりにくいでしょう。先日、交流戦でソフトバンクの東浜をネット裏で見ましたが、彼のボールと質的に近いものがあります。

無死3塁でスクイズのミスで無得点というのがあり、あそこで1点取れば勝っていたのですが、結局は延長10回にホームランで負けました。しかし彼の球は目に焼き付きましたね。最高の目の保養、快感であり、いいものを見せてくれたお礼を言いたい。タラレバですが、もし彼が早実にいれば甲子園だったのではと思ってしまいます。大学で磨けばプロも夢でないでしょう。できれば東大に入って宮台君と勝ち点とってください。 gakuin 第4試合は日大三が聖パウロ学園に5回コールド(13-3)で圧勝でした。今日は午前10時から午後7時まで9時間ぶっ続けで 4試合見ました。飽きないかと思われるでしょうが、先日書きました通り、まったくそういうことはないんですね。これは同じく飽きないS君がいたことが大きいのですが、グラウンドでやったもんしかわからないことが多々あって、ぽろっとつぶやいたことにちゃんとした反応が返ってくる。それにまた僕が返す。こうやって会話のキャッチボールになるのが心地よいものなのです。

周囲もたぶん経験者だろうというオジサンがたくさんいて、熱い。OBじゃなくどっちが勝つ負けるはどうでもよくて、野球という競技を楽しんでる感じの人たちが。チームの応援ではなく、野球の神様のお恵みへの応援ですね。ラッパや太鼓で盆踊り大会みたいになってるプロ野球はうるさいだけでかないません。これが野球の原点、ホンモノです。

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筒香くん3日で6発は凄すぎ

2016 JUL 23 0:00:53 am by 東 賢太郎

TV観戦でしたが、3試合連続2ホーマーは史上初だそうです。2日目を神宮で見ておいてよかった。初日の2発をTVで見て打ちそうな予感がしたのですが、なんと3日目も2本打つとは!

巨人のエース菅野からの1発目は外角高めシュート、やや押し込まれたが振り切って、力で押し込んで左翼席中段へ。すごい。

巨人はDeNAに押されて10,11回裏にサヨナラのピンチでしたが澤村と宮國が良く抑えました。とくに宮國は一死満塁になって桑原、エリアンを力で押して2者連続三振。成長を感じましたね。

そして同点で迎えた12回裏から登板したリリーフエース左腕山口に一死無走者で登場した筒香です。内角ベルトあたりのストレート、バットが一閃すると弾丸ライナーがあっという間に右翼席中段(!)に突き刺さってました。

サヨナラホームラン!球場中があまりに凄い打球に唖然として息をのんだまま固まり、やられた巨人もああ仕方ないという感じで淡々と引き揚げ、何か大事件を目撃してしまった感じ、サヨナラにしては静かで不思議なムードでありました。

この感じ、全盛期の王貞治ぐらいしか比べるものがないですね。王が出てきて、ホームランじゃなきゃなんでもいいやラッキーというあの感じ。筒香を抑えられるピッチャーはいないんじゃないか、あのスイングはただ事じゃない、そのぐらいの恐怖感がありますよ。

あっという間に、独走態勢だったヤクルト山田に1本差の28号。鉄人ですね。

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完全主義という困った性格(ミケランジェリの夜のガスパール)

2016 JUL 22 12:12:01 pm by 東 賢太郎

自分の性格で困るのは完全主義ということです。A型に多いらしく、だから日本人に多いのかもしれませんが、僕の場合、それは関心事においてだけのことで、それ以外はむしろ「積極的に無関心」というのがより困るのです。

まず身の回りのことは無関心の代表格で、大変に苦手です。小学校で教室の大そうじのとき、自分なりにやってるつもりが女の子に「あずまくんはじゃまだからどいてて」と外に出されてしまいトラウマになってます。見かねた親がカブ・スカウト(ボーイスカウトの小学生版)に入れましたが何ひとつ興味をひかず、思い出は飯盒炊飯で食べたカレーがうまったぐらいです。

これを自己分析してみると、万事まずは右脳が好き嫌いを独断で決め、嫌いだとそこでスイッチ・オフ、好きだと初めて左脳が登場するという感じです。問題は左脳が細かいヤツで、こいつが完全、パーフェクトを求めてしまう。それに満たないと元に戻って、結局スイッチ・オフ、という回路があるようです。完全主義の人が皆そうなのかどうか、これは関心のあるところです。

音楽を聴いて困るのは、技術的にパーフェクトな演奏がないことです。人間がやることですからね。僕がどうしても楽譜を見てしまうのは、そこで頭に鳴る音楽は無傷だからかもしれません。では機械やシンセが弾けば好きかというと、それはない。人間がやってこそ伝わるものは右脳の好き嫌い回路で「好き」となる絶対条件だからややこしくなります。

つまり、人間らしさは欲しいが機械みたいに正確にやってくれ、と無意識に求めてる。これはかなり矛盾があって無理難題なのですね。

僕が「完全」と思う要素のうち音程(ピッチ)とテンポとリズムが英数国みたいな主要3科目です。どれが欠けてもアウト。しかしこの3つは優れた演奏にはあまりに当然のことであって、野球ならキャッチボールです。これが下手でプロになるのはあり得ないファンダメンタルズです。

以前に弦楽器のピッチ、ことにミとシの問題を書きました。経過句は大家でも弾き飛ばしがあるとも。これに神経の通う人は、しかし、往々にしてパッションが落ちてしまう。かくも人間らしさは正確さと相容れにくい。だから両立した演奏家を見つけると、ウルトラ・レアものですからね、僕は平静でいられない。ユリア・フィッシャーはそのひとりで、10月15日の来日公演を心待ちにしているのです。

以上は僕がブーレーズのストラヴィンスキーやトスカニーニのベートーベンに魅せられてクラシックに入門した経緯を極めて合理的に説明します。そういう人間だったから僕はクラシック好きになりました。作曲家にしても、まず右脳がはねてしまった人、それは聴き始め最初期に起きてますが、それが50年たって好きになったことはほぼありません。かたや演奏の完全性においてはやや基準が低くなって、人間らしさの比重が多めでも(つまりミスがあっても)いい、そのぐらい人間性は感動の源泉になることは学習してきました。

ブーレーズに人間性があるか?あります。それは春の祭典の最初のオーボエの小粋なフレージングや、古風なメヌエットの最後の審判みたいにドスのきいたティンパニの打ち方など、そこかしこにある。日本的な人間性、飲んだら意外にいいおやじだったみたいなものではなく洗練、知性、均整といったものですが、それは超絶的な美人が一見冷たく人間離れして見えてもあくまで人間であるかのようにヒトの一側面なのです。

その人間性というものが合うかどうか、こっちも人間だから大きな要素になります。ヒトの相性です。これは右脳だから理屈はないのであって、作曲家も演奏家も合わない人は合わない、だから聞かない。それだけです。クラシックは名曲ざます、全部いいと思わなきゃいけませんよ、思わないのはあんたがだめなのよ、ねっ、楽聖、音楽の父、交響曲の父・・・なんて音楽の授業、そんなのなんぼのもんやねんと反抗して通信簿2をつけられた僕は思うのです。

音楽の先生より僕の完全主義はずっと厳しいものなので、クラシックのレパートリーはほぼさらいましたが「いい演奏」というのがいかにないかという限界に当たっています。ピアノも弦楽もオーケストラもオペラも。

ピアノで言いましょう、僕はかつて実演で完全、完璧なピアノ演奏というのを聞いた記憶はありません。唯一近かったのがロンドンで聴いたミケランジェリのショパンとドビッシー。知情意と技術の両方においてあれほどの高みに達したものはありません。どちらも感情が高ぶる音楽ではないのでクールに冷静に聴いていたわけですが。

次いで、やはりロンドンでのポリーニの平均律第1巻、リヒテルのプロコフィエフ。やはり淡々と聴いていて、精神にくさびを打ち込まれたと感じるほど打ちのめされた体験でした。ピアノというのは音程の問題がないのでよりテンポとリズム、フレージングに気が回るのですが、この3人のような技術が少なくともないと立ちのぼらせることのままならぬ世界が確かに在って、現場でそれに立ち会えるというのは僕ぐらいの頻度のコンサートゴーアーでは奇跡のようなものです。

録音でそれを感じるのはなかなか難しいですが、こんなのはどうでしょう。

まったく奇跡のように素晴らしい。これをライブで聴いたらいかほどのものだろう。なにしろミケランジェリも完全主義者だなあということがビンビン伝わってくるから僕などほっとすらします。よく耳を澄ませて聴いてください。これは99%完璧な「夜のガスパール」だ。完璧さが興奮をそそるという、すべての演奏の99%でありえないことがおきている物凄い演奏であります。

彼はラヴェルをなんでも弾いたということはないのですが「夜のガスパール」は十八番だったようです。寡聞にしてこの録音は知らずブログの推薦盤にも入ってませんが、あの日のドビッシー(前奏曲第2巻)を思い出した。これをこれだけ弾ける人は現存するんでしょうか?

 

クラシック徒然草-僕が聴いた名演奏家たち-

 

 

 

 

 

 

 

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筒香くん2日で4発は凄すぎ

2016 JUL 21 1:01:08 am by 東 賢太郎

去年の覇者ヤクルトはじり貧の弱さで最下位争い、ライバル阪神はベンチと選手の不信感で去年の広島みたいな勝てない雰囲気を漂わせ、その広島が何がおきたかソフトバンク並みの横綱相撲。ところがそのソフトバンクが打線の不調で落ちてきて最下位オリックスに2試合完封負け。プロ野球は戦国時代です。

神宮球場は今年2回目です。前回もヤクルトは小川でしたが140キロ出ない絶不調で2軍落ち、これが復帰戦だったようです。球速は140半ばでしたが高めに球がばらついてましたね。ヤクルトは川端、畠山が脱落した飛車角落ち。西田は体格から畠山ぐらいの打者になる期待がありますがまだ荒い。バレンティンもピークは越え、なにより守備はど下手。投手力はがた落ちしており、山田ひとりじゃどうにもなりません。浮上はないでしょう。

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見たかったのは筒香です。きのうホームラン2本で、あの風格ある構えはどこへ投げても打ちそうだな、今日もひょっとしてと思ったのです。小川との対決は見ものなのでカメラを構えてシャッターを押しました(右の写真)。

 

そうしたらなんと不運なことか、その瞬間、やおら歓声が轟いて周囲が絶叫。ボールから目線を切ったので何がおきたかわからず(打球が速い!)、見ると筒香君はダイヤモンドをゆっくり回ってました。くそっ、見逃してしまった。

しかし彼はすごい。いま全日本チームを作ったら、山田でも柳田でもない、4番はまちがいなく筒香でしょう。しかもちゃんと2発目を打ってくれましたからね。そっちはしかと目撃し、度肝を抜かれました。ペレスの内角高めのボール球でした、プロ野球ニュースで確認しましたが直球ではないが胸元を威嚇しようしたか変化球の投げそこないか、とにかくほぼくそボール。それを一球必殺で思いっきり引っ張って打球は強烈なライナーに。ありゃ、芯を食っちゃった飛ばないぞ、おじぎするなと思ったら、たしかにおじぎしたんですが、その時はもうライトのフェンスを越えてました。あんなえげつない力技のホームランは初めて見た。打たれた投手はなんじゃありゃという感じでしばらく残っちゃうでしょう。

試合は7回までは1点差で、投手戦というほどでもないが小川のあとを成瀬、今中が締めてそこそこ面白かったのが、8回から出た平井がバント処理を2塁に暴投してケチがつきはじめ、一死も取れずに打たれて降板。出てきたペレスが筒香の2本目を食らって撃沈。ワンサイドになりました、まあどうでもいいですな。

ただ、DeNA先発の新人熊原は印象に残りました、フォームがですね。僕らが隣の神宮第二球場で対戦した日大一高の保坂を連想しました。両腕をピッと天空に突き上げるワインドアップがですね、攻撃的で威圧感があります。嫌ですね。球威で押してくる。適度に荒れていてあれは打席で怖いと思う。仙台大学でノーヒットノーランやってますが、乗せちゃうとやるタイプにお見受けしました。それから会心のタイムリーを放った山田はさすがと思ったが、次の打席ではその山田をピンチでスライダー(かフォーク)で空振り三振に仕留めました。プロ入り初勝利でしたがそこそこやるんじゃないでしょうか。

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それより花火がきれいでした、毎年見てる気がするなあ。

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なぜゴルフクラブは女人禁制だったか?

2016 JUL 20 12:12:00 pm by 東 賢太郎

ニギリなしでゴルフをやると、どうも締まりないというのか燃えるものがない。プレッシャーがあったほうが結果がいい人とびびってダメになる人がいる。僕は絵に描いたように前者で、ギャラリーがいるとナイスショットが出る。

お前とはニギらんよなんて軽くいなされて、それはよそうよ、つまんないよと食い下がるが全会一致で却下なんてのがあいつぎ、それをチラシ(握りなし)と名付けてささやかな抵抗をしたこともあったがぜんぜん流行らなかった。

ドライバーショットというのはパワー、スピード、思い切りを競うアスリート競技だ。これだけで独立した競争の醍醐味があるし、飛んだ時の快感はひとしおである。ドラコンなどやればなおさらだ。

しかしパットはちがう。これはビリヤードに近く、アスリート能力は問わない。いわば戦略と判断力と精密なコントロールを競う知的競技である。しかも Putt is money. なんてとおり、これがゲーム全体の生死を握ることが多い。

ニギらないというのは要は money に関わらないということだから負けてもどうということはなく、パットに気合が入らない。それがだんだん他のショットにも影響して、締まりないゴルフになってしまうという寸法だ。

ところが昔あるラウンドで、ある事に気がついた。「チラシ」になってしまったのでどうでもいいパットだったのに、オジサン3人、けっこう目線が真剣になってる。

なぜだ?

グリーンでよく観察すると、ミニスカートのキャディーさんが割合に若くてきれいであり、ラインの指示出しが真剣だった。普通はラインを立ったまま適当に目視して「登りのフックです、カップ2個で」なんてもんだ。2個なんて正確に聞こえるが、打ち出し速度によってちがうんでこれはいい加減な指示である。

ところが彼女はしゃがみこんだり、はいはいポーズで目線をグリーンまで落としてまじめに読んでくれる。「逆目なのでやや強めです。フックラインは見ずに、カップを外さず右端狙いで」なんて実にイイ指示が来るではないか。畢竟、こりゃ入れなきゃ申しわけないなとなっていたことが発覚。

ところが、さらに最近になって「チラシ」の機会が増えてきて、キャディーさんのどうこうに関わらずやっぱりパットは皆さん真剣にやってるじゃないの、気が抜けるのは俺だけじゃないのかという気がしてきた。

2年ぐらい前のラウンドでのこと。僕のパットの番が来て、スタンス(構え)に入った。なんとなくラインに自信がなくなってしばし静止して横目でホールをにらんでいたら、急に閃光が脳裏にひらめいてなるほどと合点がいったのだ。

スキポール空港のトイレだ!

アムステルダムに行かれた男性は、小用の便器におどろいたご経験があろう。オランダ人はでっかいのだ。胸のあたりかと思うほど高いところで待ち構えてるそれをのぞくと、中央部にハエが堂々ととまっている。ホンモノじゃない、これがいわゆる「ハエシール」だ。

本能なんだろうか、すると、見ているうちになんとなくハエを狙いたくなるのだ。その結果、真ん中にあるそれに照準が合うのでしぶきが飛び散らないという仕掛けだが、それで首尾よく効果があるということは狙うのは僕だけじゃないのであって、男はそういう習性があるということを意味している。

パットはこれだ!

まったくくだらないことだが、そうひらめいて習性どおりに打ったボールはきれいにフックラインに乗り、すっと穴に消えてカコーンという澄んだ音を放った。これはこれで、ぶっ放すだけのドラコンとは異(い)なる快感ではあるのだ。

習性と快感がインセンティブになっていて、なるほどゴルフは人間の本質をついてうまくできている。ニギりは単なるスパイスであって、プロに真剣勝負さすには1億円のニギりだっているのだろうが、僕らアソビではそれがなくたって十分におもしろいものだったことがわかった。

ちなみに惰性で「男」と書いてしまったが、女性にその習性があるかどうかは知るよしもない。獲物をピンポイントに狙いたくなるのはやっぱり男の狩猟本能かなという気もする。そういえば、英国の名門ゴルフクラブはもともと紳士だけの女人禁制だったと聞く。どうも、ゴルフという遊びは男の習性と快感に深く根ざしていて、そういうものとして発生して進化してきたような気がしてならない。

お客さんのうちでも筆頭格の名家のジェントルマン、H氏が教えてくれた。

「ケン(僕)、ゴルフクラブのメンバーはね、地位やお金じゃないんだ。ふさわしくないとなれないんだよ。何が条件かって? ワイフに口がかたいことさ。」

 

男の脳と女の脳

 

 

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大成仏のゴルフ、煩悩の野球

2016 JUL 19 12:12:19 pm by 東 賢太郎

ミクロネシアへの中継点であるグァムで先週にゴルフをやり(レオパレス・グアムでのゴルフ )、この連休も河口湖の鳴沢ゴルフ倶楽部でやることになりました。さあやるぞ!というのではなく予定が重なっただけの偶然です。ことし初のラウンドで、しかもこれが最後かなというぐらいご無沙汰です。

ゴルフは一生分やった感があります。英国、ヨーロッパ大陸で有名なコースはそこそこ、香港時代はホームコースで年80ラウンドで寝るまえ布団にはいって目をつぶってもボールが見えました。そのころ公認ハンディは8で、どこでやってもグロスは80前後であがれベストは39・36の75でした。82までは許容範囲で、83たたくと不満という感じでした。

サラリーマンでシングルは出来すぎですが、ニギりで散々に負けたのが悔しくて完全自己流で固めただけ。格好は悪く、野球打ちのあがってナンボゴルフです。ニギりは強くなりあまり負けた記憶はなく、会社ではあいつと勝負するのはカネをどぶに捨てるようなものといわれました。

だからゆるいゴルフは苦手で、簡単に100行きます。モチベーションが必要なのです。それはプライドです、あいつには負けたくないというですね。いい勝負の4人がいたのが幸運でヨーロッパでは熱中してやりました。トーナメントの優勝トロフィーは6個ありますし、ゴルフというゲームには良い思い出が数えきれぬほどあり、敬意と愛情が人一倍あります。

こういう人は普通はメンバー倶楽部のクラチャンなんか出てエージ・シューターなんか狙ったりするものです。そこが僕が自分自身をよくわからないところなのですが、そういうのは面倒くさくてぜんぜん関心がわかないのです。もっとやりたいことがあるし、五十肩ショックで完全にお留守になってしまいました。

かたや野球はというと、練習は地獄だったし硬式になってからはほとんど良い思い出がありません。それだのにものすごく気になる。やってる夢を見ますし、やれるものなら何をおいてもまたやりたい(フィジカルに無理)。ゴルフ観戦はさっぱり興味なしなのに、野球なら子供のすら見たい。いいピッチャーがいると草野球でも1時間でも見ますし教えてあげたくもなります。

これは2つ理由があって、まず、野球に成仏できていない。僕にとっては野球ほど面白いスポーツは世の中に存在しないのであって、故障でできなくなった喪失感は40年たっても埋まっていません。プロ野球を見ていてものすごく細かい部分の感覚まで実感できてしまい、ちくしょうやりたいなあ、と渇望がうずく。この煩悩って苦しいんです。誰にもわかってもらえないでしょうが。

つぎに、僕のゴルフ技術は付け焼刃のインチキだということです。野球ならリトルの二軍未満。自己流が体にしみついただけなので限界が見え、磨いてもこれ以上うまくならないのがわかってます。理にかなってないので毎日メンテしないとどんどん忘れます。自転車に乗るみたいにどこでもどんな道具でもそこそこできてしまいますが、もうそこまで。成仏する時が来ています。

思えば僕にとって勉強も音楽やピアノも、ゴルフとおんなじ道を来た気がします。付け焼刃のインチキ。だから煩悩がないのはありがたいことですが。

 

高めのストレートは投手のプライドである

 

(こちらどうぞ)

僕のゴルフ修得法

 

 

 

 

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クラシック徒然草ー悲愴交響曲のメッセージ再考ー

2016 JUL 18 15:15:04 pm by 東 賢太郎

音楽が素晴らしいのは、すべてを言うことができ、知っている者はすべてを理解できるということにある

(シェーンベルク)

schoenbergこのことばは実に意味深長だ。音楽は何かを語っているのだろうかという問いに対する、最高の知性に委ねられた最高にシンプルな答えであると思う。ロマン派と呼ばれる時代になって、作曲というものはある意味でプライベートで隠避なものを包含できる作業にもなった。そうなり得ることがロマン派という、わかったようで実は定義のあいまいな言葉の、使う人によって数あるアイデンティティーのひとつに加えてもそう見当はずれではないように思う。

だいぶ前に書いたチャイコフスキーの悲愴交響曲のブログで、あれはダイイング・メッセージだろうと愚説を書いた。もちろん真相は闇の中である。賛否両論あろうが、純粋に響いてくる音として、あの終楽章のコーダは僕には臨終のメタファーとしか聞こえないという心の中の事実には抗い難い。

そうは聞こえないという主張を妨げる理由を僕は何ひとつ持たないが、チャイコフスキーの死後21日たって開かれた追悼コンサートで「すすり泣いた」と伝わる(複数と思われる)聴衆のなかだけでも、そういう人が何人かはいたのではないかと想像させる、そういう想像を喚起する何ものかを含んだコーダであるというぐらいは書いてもいいのではないか。

もしそうだとするなら、その「何ものか」を悟らせようと意図したのは誰でもない、チャイコフスキーその人である。なぜ彼はそう聴かれるかもしれない、いや百歩譲って、そう「誤解」されるかもしれない曲想で交響曲を締めくくる必要があったのだろう?この曲について何か言おうとするなら、この問いから目を背けることはできないように思う。

彼はその答えを文字で書き残すことはしなかった。何かの理由でできなかったのかもしれないが、音楽で「すべてを言う」ことはできた。いみじくもそう意味しているシェーンベルクの言葉は、このケースを示しているわけではないだろうが、そういう特異なことをを作曲という能力のある人たちはできるのだという、能力ある作曲家による雄弁な証言である。

op74-cover-title日本語で悲愴交響曲、すなわちSimphonie Pathétiqueという命名の経緯にはいくつかの伝承があるが、どれが正しいかは議論がある。自筆スコアの表紙(右上)にはロシア語でпатетическая(パテティチェスカヤ)とある。「情熱」とか「強い感情」といった意味で悲しいという意味はないそうだが、同スコop74-1-1agアの第1楽章冒頭に書かれているのはPathétiqueというフランス語であって(右下)、こちらには悲愴、悲壮という意味もあるため日本語はそれにならったということだろう。

両方とも直筆であって正解なのだから「悲愴という命名は間違いである」というのがロジカルな解答となるが、それらが120年前から現代語と同じ意味なのかどうかはわからないし、仏語は貴族階級を意識した一種のファッションだった可能性もあろう。ベートーベンの8番目のソナタにもGrande Sonate pathétiqueと書かれているが、これが「悲愴」でいいのかどうかはあまりに話題になった記憶はないし、「悲愴感がこもっているかどうか」がこの音楽の演奏や鑑賞に重大な影響があるとは僕には思い難い。

より明確に主張できることは、標題は言語だが音は抽象だということだ。「抽象」を言語という「具象」に変換しないと標題は生まれないことだ。それを作曲家自身が付けようと考えたということは、この交響曲に何らかの「具象性」、つまり言語化できるメッセージ性があったとする有力なヒントにはなろう。そしてそれは、彼が死の前年に書きかけて放棄し、ピアノ協奏曲第3番として生まれ変わった変ホ長調の音楽、つまり「人生交響曲」に原型があったとするのは整合性のある議論と思われる。

この曲の「人生」というコンセプトはこのようなものだ。

First part – all impulse, passion, confidence, thirst for activity. Must be short (the finale death – result of collapse). Second part love: third disappointments; fourth ends dying away (also short). (David Brown, Tchaikovsky: The Final Years )

そして翌年にロ短調で書いた別の交響曲に満足し、 Programmnaya(プログラム交響曲)と命名しようと考えたが、そこに命脈を保っていたのがこのコンセプトであることはあまり議論の余地はないのではないか。しかし慎重な彼はプログラムの方に関心が集まることをきらい、代案として考案したのがпатетическая(パテティチェスカヤ)でありPathétiqueであったというわけだ。

初演後にR・コルサコフが「この新しい交響曲にはプログラムがありますか?」と尋ねると、チャイコフスキーは「ある」と強く肯定したが、それが何かは決して明かそうとしなかった(Rimsky-Korsakov, My Musical Life)。つまり、彼が選び取ったPathétiqueという単語は「プログラムがありますよ」という声明であり、内容をおおまかにくくる代名詞であって、それは人生がだめになった後の死(death – result of collapse)というパートを含んでいたと考えられる。

そこに悲しみという含意があるかないかなどということはベートーベンのソナタにおいてと同じぐらい核心的な問題ではないのである。かように、標題の有無や字義や含意から曲のメッセージの内容を解釈しようとする試みは、文学的に何かの価値があるのかも知れないが、そこから有意な議論が発展する可能性をを見出すことは困難だろう。 Sinfonia Pastorella( 田園交響曲)や Symphonie fantastique (幻想交響曲)という標題は見事に曲の本質を語ってはいるが、感動させてくれるのは音符のみである。

悲愴交響曲がダイイング・メッセージかどうかについては、したがって、標題の根拠をあれこれいじくっても解答は出てこないだろう。

なぜ彼はそう聴かれるかもしれない、いや百歩譲って、そう「誤解」されるかもしれない曲想で交響曲を締めくくる必要があったのだろう?

という冒頭の問いに正面から向き合い、death – result of collapseとは何か、特に「 collapse」の正体はいったい何だったのか?をじっくりと考えるしかない。私見ではそれは楽譜に書いてある。それが前回のブログだ。

作曲家が事後に語った言葉の中には、見透かされたかもしれないものを秘匿せんという意図を想像させるものもある。「知っている者はすべてを理解できる」ことは、シェーンベルクのみならず、「音楽がすべてを言うことができる」ことを知っている彼らはわかっていた。言葉で嘘はつけても、音楽ではけっしてつけないということを。

 

(ご参考)

シェーンベルク 室内交響曲第1番ホ長調 作品9

チャイコフスキー交響曲第6番ロ短調 「悲愴」

 

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