Sonar Members Club No.1

since September 2012

CDはだめになるので要注意

2016 JUN 12 2:02:51 am by 東 賢太郎

CD

 

久しぶりにCD棚を整理しました。こんな風に一部屋の壁3面を充てていて、全部クラシックです。

 

 

 

 

大変なことに気がつきました。80年代にロンドン時代に買った箱モノで、緩衝材のようなスポンジが入っているものがあったのですが、それが酸化したのでしょうかCDの文字面にくっついてぼろぼろになっていたのです。何とかはがしてはあったのですが、べとべとしていて完全には除去できていませんでした。

CD1

 

 

その1枚がこれでした。べとべとが付着していた部分が腐食してしみこんだのか、表面は何ともないですが、銀色のアルミ蒸着が溶けてなくなって透明になってしまっています。

 

 

CD2

 

 

表(文字面)はこうです。スポンジは古い箱モノには入っていたものが多く、コレクターのかたは一度チェックされた方が良いようです。

 
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音楽療法のすすめ

2016 JUN 10 1:01:41 am by 東 賢太郎

今日、ラ・ヴィータ・メディカル クリニック院長の森嶌淳友先生と会食したのですが、先生は西洋医学のピンポイント攻撃型医療だけの現状に限界を感じておられ、人間本来の自然治癒力を高めるという東洋医学的要素を取り入れた統合医療というメソッドを確立されている点がとても合点が行くのです。

森嶌医師との会食

米国の医療の最前線では抗癌剤投与はもうしない方向だそうで、逆にヒーリングが医療だそうです。

「がん細胞に感謝の念を送ってください」

という気持ち、精神の作用を取り入れる効能のメカニズムは医学的、原子論的に説明は難しいのでしょうが、直感的に僕は効果があると思います。それは科学的でないというなら、精神が脳のどの部位に宿っているかいまだに解明できていないのだから人間の精神は存在そのものが原子論に還元できないのであって、そういうものとして現象的にとらえるしかない、だから「統合医療」という概念はメークセンスと考えるのです。

音楽療法もあるというお話でした。音楽は人の気持ち、精神に深く作用するもの、いわば薬のように働くものですが、リズムに合わせて手を打つ動作を繰り返すだけで脳内に新しい回路を作るという効果もあるそうです。クラシック音楽はテンポが動くので聞くだけで脳に良好かつ複雑な効能があるのではと思います。

ここからは私見ですが、10代の自殺が増えるなど若者に閉塞感のある時代ですから、そのような音楽の効能はもっと理解、活用されてよいと思います。情緒不安定な子、集中力のない子、鬱になりがちな子・・・いろいろなケースで治癒力がありそうなクラシック音楽はいくつもあります。

退屈な音楽の授業でアホみたいに「教養」として教えるのでなく、もっと能動的に、この曲を聞くと元気が出るでしょ?これは泣けるでしょ?と情動にフォーカスして、こういう気持ちのときはこれが効くよ、スッキリするよという風に入れば自分でネットで検索して聞いてみようとも思うのではないでしょうか。

電車でイヤホンから音漏れする大音量で単調な曲を聞いてる若者がいますが、あれは耳にも脳にも悪いでしょうね。曲を集中して聞いてるわけでもなければ、あの状態で他のことに集中できるはずもないのです。そういう子は動画も3分以内しか集中できないというデータがあります。集中力のない子が勉強ができることはまずありません。クラシック音楽を選んで聞かせて、徐々にそれを治してあげることはできるでしょう。

音楽療法というと大げさですが、僕は自分の体調や精神状態がこういうときはあの曲というのが決まっています。心を平常・平静に保つ曲、高揚させる曲、自信をくれる曲、頭の回転が良くなる曲、悲しみを忘れる曲、一緒に泣いてくれる曲、目が覚める曲、眠くなる曲・・・ありとあらゆる効能書きに応えてくれます。クラシック音楽は心の薬にもなると信じています。

 
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マイナー6の和音は茶色である

2016 JUN 9 0:00:46 am by 東 賢太郎

前回のシューベルト「アヴェ・マリア」を補足したい。この歌は宗教曲ではなく歌曲集「湖上の美人」の一部、「エレンの歌 第3番」である。どなたもご存じの名曲であり、メロディーもきわめてシンプル、伴奏はギターでも十分の単純さである。

それでいて信じがたいほど美しいのはひとえにコードに秘密がある。天国もかくやの素晴らしさ。こんな和声をつけられたから、シューベルトは天才だったのである。

無数に聴いたが僕にとって完璧な歌唱はまだない。とにかく男と楽器はおことわり、清楚な女の美声でなくてはならない。このエリー・アメリンクは合格に近いが、声質がすごく好きというわけではないのが仕方ない。そういう人がいたらぜひピアノ伴奏をさせていただきたい。

歌の冒頭の楽譜だ。

ave青枠の和声は主調B♭の六の和音に主音の増四度上のeを入れたGm6という和音になっている。僕の主観だが、この曲の宗教的、禁欲的で厳粛な感じを出しているのはこの和音であり、二小節目でGmと体言止めになるのも効いている。もしこのアーヴェマリーーイアーにB♭・E♭・B♭・F7・B♭とつけらた?もちろん音楽としては成り立つが、僕にはエルヴィス・プレスリーにきこえる。

これの本歌取りかどうか、メンデルスゾーンは真夏の夜の夢の「結婚行進曲」にこういう和声を付けた。

wedding

青枠部分、こちらはハ長調の六の和音に増4度上のf#を入れたAm6であり、変ロ長調のGm6に他ならない。つまり、アヴェ・マリアと全く同じコード進行なのである。ここでもこの和音が結婚式という儀式の厳粛なたたずまいを漂わせる役目を負っているように聞こえないだろうか。

皆さんが和音をどう認識されているかは他人には分かりようがない。僕は色のようなものが見え、Am6とGm6は茶色だ。両者は絶対音としてはちがうが、複数の音の集合(クラスター)として各音の周波数の比は同じであり、それによって同じ色と感じられているように思う。といって色弱なので本当に茶色かどうか、それは自分の知ってる茶色でしかないが。

ただ、上の2つの例は前の和音(トニック)からの「色彩変化」に反応している感覚の方が強い。トニックの色と6の和音の色は違うわけだが、その各々にというより「変わった」という認識が「別個の色」を生んだと書くべきだ。だから変わった瞬間に脳内でスパークするその別個の色が「宗教的、禁欲的」で「儀式の厳粛なたたずまい」の香りを発している元と思われる。

そこまで因果関係を追い詰めると、今度はその変化する瞬間に注目が行く。「瞬間」というのは経過時間が極限までゼロに近い、すなわち時間軸上の「点」である。その点は「別個の色」に塗られているのだからトニックの色でも6の和音の色でもない、つまりどちらの性質も有しない、数学的には関数上の不連続な点である「特異点」なのである。

すると僕は特異点をさらにバラシて分解してみたくなる。音楽は時間の関数であるから時間で「微分」してみるわけだが、特異点は数学的な意味では不連続性 (discontinuity) を持つ点で可微分性がない。トニックや6の和音の色のレセプターが色彩を感知する数値が「接線の傾き」であるとするなら、接線を引けない「点」では違うルールによる数値で僕らは色を見ているのではないか。

この「違うルール」というのが僕の関心事である。微分方程式を解いて関数関係を求められない「和声変化の瞬間」の正体は何か?その色彩は、では何によって決まりどう感知されるのか?そこに「音色」(timbre)というエレメントを加えて可微分性を与えられるか(グラデーション変化)?

オリヴィエ・メシアンは音に色を見ていたようだ。色は感覚だが、それを時間というパレットに散りばめようとすれば、音楽の制作者の側でも僕のような思考回路から特異点に、あるいは特異点をもたずにグラデーションで変化する色彩を合成する実験をしてみたくなったということは、けっこうありそうな気がする。

 

特異点さがしこそ僕の本質

メシアン「8つの前奏曲」と「おお、聖なる饗宴よ」

 

 

 

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シューベルトの天才を微分する

2016 JUN 8 1:01:12 am by 東 賢太郎

TVの画像は1秒間に30フレームあるから動いて見える。人間は1フレームごとには見えないが、その23フレーム目に何があるとどう視覚効果に変化があるか、という種の研究をパリのIRI研究所 (ポンピドゥーセンター)がしているときいた。非常に関心がある。

僕の音楽の聴き方はそれに似ていて、微細な時間単位での音響変化による人間心理への影響分析を自分の心で実験しながら聴いているところがある。和声法とか対位法というのはその変化を切り取って一定の観点から法則化したもので作曲には必要だが僕の関心とは別のディメンションの理屈だ。

同じくポンピドゥーセンターにIRCAM(フランス国立音響音楽研究所)という組織がある。パリのイゴール・ストラヴィンスキー広場にあって、1月に亡くなったピエール・ブーレーズが所長だった。彼は音列の技法に可変性、偶然性(Aleatoricism)を取り込んだが偶然としながらフレームワークは支配されるべきとした。

ブーレーズは、僕の解釈だが、「支配された偶然」と共に「音楽の微分」を志向した。IRCAMのライブ・エレクトロニクスとヴァイオリンを合奏させたこの作品はその例だろう。人間の手による楽器演奏で追えない時間単位を実現するには電子楽器が必要だったと思われる。

Anthèmes 2, for violin and electronics (1997)

かように音楽を時間で微分する着想は、僕の知る限りドビッシーの交響詩「海」の第2楽章が開祖である。この作品はその細分化されたエレメントが再度複合されて、つまり積分されて、面積、質量をもった総体として人間を感動させる。我々はその積分の効果を心で感知して「音楽を聴いた」と思っている。「海」第2楽章を微分してエレメントの性質(数学なら接線の傾き)を解明するのは大変に興味深い。

その観点でこのシューベルトの「アヴェ・マリア」を聴く。こちらは原調(変ロ長調)である。

こちらは全音高いハ長調だ。

僕の心として、まずこの曲は清楚な女声かボーイソプラノでないとだめだ。男声版もあるがまったく論外であり、楽器版も10秒も聴く気がしない。しかし全音のピッチの差はそこまでは気にならない。どうしてだろう?

この結果が何か、何の要因によって僕にそう思わせたかというのが論点だ。楽譜を一見しても答えはないように思われる。しかし、デジタル的、ゼローイチ思考で楽譜情報のみから僕の心の結論を解明できるなら、それは発展する理論体系になる可能性がある。

そこでは和声法、対位法は完全に無力だろう。既存の音楽理論はディメンションが違うと上述したのはそういうことだ。微分かもしれない。それも対象は音の変化、その率、波形かもしれないが、今のところ僕には何ら検証のすべはない。

この解析からシューベルトの天才の要素が知れるなら面白い研究になると考えている。

 

 

 

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スマホによる人類無能化計画

2016 JUN 6 20:20:49 pm by 東 賢太郎

現代人は暇があればスマホをのぞいている。気になる人のメールやSNSをチェックし、ゲームで遊び、ニュースや地図や天気予報や動画を見るわけだ。実世界よりもスマホをインターフェースとした仮想世界と接している時間が増えている。それが人間の精神になんの変容も起こさないと考える方が難しいだろう。

WWW(World Wide Web)というハイパーテキストシステムは異なるプロトコルのコンピューターをつないだネットワークであるインターネット上で、例えばwikipediaを中心にしたハイパーリンクはこんな樹形図のイメージとなっている。何か単語をwiki検索してこの枝を通じて得たい知識や情報にたどり着くことができるわけだ。

WorldWideWebAroundWikipedia

僕らの脳というものも、ネット社会になる前、いや太古の昔から、中身はおそらくこれと似た視覚化ができるのであり、樹形図の真ん中に単語を置けばそれにかかわる単語がこうやって連なって広がっていくことは容易に想像できる。

「銀座」と真ん中に入力すれば(つまり意識で念じれば)シナプスを電気信号が流れて、あらかじめ頭に入っている「地図情報」のエリアにそれが届き、「道順」という情報が出てくる。7×3+9と入力すれば脳内の「便利ツール」領域に信号が届いて30と答えが返ってくる。

そう考えると「勉強」というのはこの脳内の樹形図を大きく立派にするプロセスのことだということがわかる。ハイパーリンク先の数(枝葉の分岐数)が多く、リンク先の中身が「リッチ」(四則計算だけでなく微積分まで処理可という風に)であるほど「勉強ができる」という結果に物理的かつ不可避的になる、あるいは、なるように試験問題というものは作られている。

リンク先が多ければバラエティ番組の「クイズ王」や「ものしり博士」ぐらいにはなれるかもしれないがノーベル賞は取れないだろう。まして知らない言葉はその場で堂々とスマホ検索して失礼でない時代となると誰もが居酒屋で立派な「ものしり博士」なのだ。もはや情報というのは無償で大量消費されるコモディティであって、知っていると生涯年収が増えるわけでもなければ女の子にモテるわけでもない。

恐ろしいのは、万人が日々同じスマホ情報を眺めて洗脳されていく傾向があることだ。発信する方はアルゴリズムで検索されやすい語彙を選んで投げかけてくる。するとすべての人間の脳の中にはやがて同じような枝葉の樹形図がだんだんとできあがり、エイリアンみたいに育っていって、ついには地球上のすべての脳にそれがそのまま「棲みついて」しまうのでないかということだ。

そういう世の中では、樹形図の真ん中に「参議院選挙」と置いたときに日本人は知らず知らずに同じ候補者の名前に行き着き、その人を無意識に選んでしまうかもしれない。そうなるように毎日毎日、計略的にある情報をネット上で連呼し、たれ流し続けるとそのワードやメッセージが脳に刷り込まれ、人間の意思決定が操作できて商品を大量に売り込んだり国政を簡単に握ったりできてしまう。SFのようだがその現実味がある世の中になっているかもしれない。

これを「アルゴリズム支配」と呼ぶが、当人がそう意識したかどうかはともかく舛添都知事の採った戦略はその一例として秀逸だ。「厳しい第三 者の目」を意図的に連呼し、「厳しい」「第三者」で検索してすらyahoo、googleで彼の名前がトップに出るようになった。これであらかた成功だ。調査結果が「法律違反はない」であるのは法律を読めば自明である。するとあらかじめ刷り込まれたワードが効いて、厳しい第三 者が法律違反はないと判断している、何が悪いか厳しい第三 者の目で反論してみろ、と反問が心理的に返ってくる仕掛けになっている。より立派な樹形図を脳内にもった者はマスコミにも議会にもいないだろうから有効な反論は無理だろう。

さらに人類にとって危機的な事態が進行していると思われるのは、情報蓄積のクラウド化と同時に人工知能という情報プロセッサーが進化していることだ。人はものを覚える必要はなくなるばかりか運転すら車が勝手にやって銀座へ連れて行ってくれる。道順や運転を覚えたりという苦労から解放されたからといって、では人間は楽になって空いた時間と労力を使ってコンピューターにはできない諜報(intelligence)づくりに徹することができるかといえば、たぶんそうではないだろう。

例えばパソコンを使い始めて、便利にはなったが漢字が書けなくなったという声をよくきく。「挨拶」「昵懇」なんて僕もあぶない。じゃあそんな漢字は検索すればいいのだから学校で教えるのはやめよう、そうすればそのセーブした時間と労力で子供は文章力を磨くことができるではないかと主張するのは、日光の山猿より上野動物園の猿の方が餌をとる時間が不要だから賢いのだというぐらいに説得力のないものだ。「記憶する」という作業はあらゆる学習の母であると思う。それなしに思考はできないしintelligenceを持つに至ることもない

学習の母?そうだ。僕は不得手な受験勉強で苦労したご褒美として、数学の問題を解くというのが「ひらめき」でないことを知った。似た問題を解いたことがあるか?ほぼそれだけだ。試験会場で定理の発見みたいなことが受験秀才ごときにできるはずがないではないか。差があるのは樹形図が充分に大きいかどうかだけであり、受験数学というのは実は解法の暗記科目である。一見初めてだがハイパーリンクでほかのサイトに飛ぶと、「なんだあの問題とおんなじだ」、こうやって解ける。この「飛ぶ」が「ひらめき」と感じているうちはだめだ。シナプスが太くなっているとサイトは自然に繋がる。

つまり、あくまで僕がやった数ⅡBまでの話ではあるが、「問題をたくさん解くこと」+「解き方を覚えておくこと」しか上達法はない。数学ですら覚えておく(記憶)というプロセスなしにできるようにはならないのだから、「記憶はせずに検索だけで」という人が空いた時間を利用して文章力を蓄えたり論理的思考力がついたりなんていうことは、どんな努力をしようが起こるはずもない。その方法を発明する時間があるなら「記憶」に努めた方がよっぽど速いし効率も良いのである。

2年前に書いたこのブログ「  情報と諜報の区別を知らない日本人」は筆者の予想よりはるか多くの読者の目にふれたが、ことは日本人だけの問題ではない。諜報を作る回路を脳内に持たない人が増えるという趨勢を教育が止めることは無理と僕は推察しており、これは世界的な現象と考える。なぜならそれは教育内容の問題というよりもスマホというモバイルコンピューター普及の及ぼす生活環境の変質だからで、教える側の教師の脳まで浸食すると思われるからだ。

先日ソウルへ行ったが、隣国はIT文化受容において日本よりも先進国で、欧米IT企業がテストマーケティングする国の一つに入っている(上場が決まったおなじみのLINEのオリジンは韓国だ)。そこで驚いたのは地下鉄の車内広告が悉く消滅していることだ。以前は日本と同じだったのに、網棚の上も中吊り広告も、完全に消えてしまってつるんとしている。理由は簡単で、乗客は車中で皆がスマホばかり見ているから効果がないとして広告主がカネを払わなくなったからだ。

こういう現象が警告しているのは人間のスマホ化」だ。スマホは何も覚えてないし、何も考えない。創造も発明発見もしない。クラウドとのインターフェイスにすぎず、もらった情報を検索して処理するだけだ。その処理速度がスマホよりはるかに遅くて精度もプアだというのがスマホ人間である。情動(emotion)は減ることはない割にintelligenceは減っているから、インプットに対する感情的リアクションの振れ幅が増大する。切れやすかったり意味もなく高揚したり落ち込んだり、テロリストや極右、極左に扇動されるという人が増えるのだ。

僕はテレビはニュースと野球しか見ないが本や他人の書いたものも極めて限定的にしか読まない。 読書は他人の頭で考えてもらうのだから馬鹿になるだけだというショーペンハウエルに賛成だからだ。ただ彼ほど利口でない僕は読書が必要だ。ではどう限定しているかといえば、intelligenceの有無だ。自分の頭で導き出せない知恵を授けてくれるものを懸命に探しだし、真剣に読んでいる。最近はそれができることこそインテリジェンスと確信するに至っている。

 

テレビを消しなさい

 

 

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Matt Cabくんを録音する

2016 JUN 6 1:01:06 am by 東 賢太郎

今日は僕が社長を務めるICONtvの初ロケ。こちらでご紹介したMACOが所属する事務所Onepeace Inc.さんのスタジオで動画の撮影でした(MACOさん )。MACOはyoutube(つまりGoogle)のキャンペーンガールに抜擢されるという大ブレークで今月から渋谷、原宿、銀座でスクリーンで画像が流れるので皆さまおなじみになるでしょう。

今日インタビューして撮らせてもらったのはサンフランシスコ出身、上智大学卒のシンガーMatt  Cab(マット・キャブ)です。ご存じのかたも多いでしょう。

 

さて、まずは赤坂のストリートを見附まで歩くシーンから。カメラ、インタビューは弊社のエース、ディレクターの村上であります。

matt

スタジオに戻ってニュー・アルバムの録音です。まずはボイス・トレーニングからですね。右からもGoProでダブルに撮っています。

matt1

いっしょに音を聴く。直すところは直す。彼の声はややハスキーでセクシー。独特の味があってリズム、音感、ビートのセンスが抜群、それでいてバラード系を大人に聴かせる歌手はなかなか今時いないんですね。そういう意味で白羽の矢を立てたのです。

matt2

というわけで、これはアルバムのメーキング動画ということになるのです。ICONtvの日本版として記念すべきデビューテイクが無事終了。来月にはyoutubeでご覧になれますのでお楽しみに。

MATTくん、ごくろうさん、また撮ろうな!!

matt3

 
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神ピッチングの稲村亜美

2016 JUN 4 14:14:39 pm by 東 賢太郎

このごろプロ野球ニュースにお世話になっている。金曜に出てくる女の子がやたら明るくていいなと思ってたら、神スイングの有名人だった。

こんな映像があった。この子の「野球ズレ」したキャッチボール姿。これはなんだ??

するとやっぱりピッチングフォームも神であった。カンペキに美しい。

男でもこんなもんです。

僕より1cmでかい。120キロぐらいでるんじゃ?

 
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クラスから事務次官

2016 JUN 4 11:11:22 am by 東 賢太郎

きのうクラスメート佐藤文俊くんの総務省事務次官ご就任のニュースを知った。僕ら50LⅠⅡ9Bはドイツ語で、文Ⅰが36、文Ⅱが17の53人だったがそこから官僚のトップ事務次官が出たのはなんともうれしい。クラスで1,2の秀才だった彼のことだから自然な感じもあるが(しかし愚妻愚娘どもというと前任の桜井俊事務次官がアイドルグループ嵐の櫻井翔の父君という話題のほうで持ちきりだ・・・)。

本郷に行ってからは大教室で授業を聴いて自分で勉強して試験を受けるだけだ。入ってしまえば出るのは簡単と言われるがとんでもない、法学部は卒業するのが非常に大変だ。いっぽう1,2年生の駒場のほうは文Ⅰ、文Ⅱはいっしょで高校の延長みたいにクラスがあってみんなでわいわいやる。本当に楽しかった。共学しか知らなかったので男子校みたいで新鮮でもあり今もクラス会で酒が入るとあのムードになる。

教養学部だから授業も多岐で、先生も環境も文句なく最高である。以下敬称略で、哲学の井上忠の「パルメニデスの有」はそんなことをまじめに考えるのが哲学なのかと目からうろこでいまだに言葉を覚えてるし、小田島 雄志のシェークスピア読解は人間洞察が深くて英語の読み方が変わった。村上 陽一郎の科学史で習ったケプラー第3法則発見の顛末は強烈なインパクトがあって、西洋史の理解が変わったばかりか自分の精神史にすら影響があった。

思えばあれは「虎の穴」だった。独学派、唯我独尊派の天狗だった僕が、自分より頭の良い人に教わるとよくわかることを知って流儀まで変わった。クラスメートもそういう人たちばかりという後にも先にも異例の環境でのインタラクティブな4年間の経験はプライスレスで、金融で米国MBAトップのウォートンにいても学生の基礎学力は東大法学部の方が上だとなめきっていたのを思い出す。

日本の高級官僚は佐藤くんのような人の集団であって、世界に比して優秀でないわけがない。世界一の負債があっても円が強い、国債が売られないのはそのクレジットによるところが大きい。そういう人たちと机を並べさせていただいて、ところで当時払った授業料はというとたしか年3万6千円だったのだからこれは日本国に負債の感覚がまだある。税金を多少多めに払うのは仕方ないか。

 
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いや~、そうはいっても、オカマもいますからね

2016 JUN 3 2:02:42 am by 東 賢太郎

 

200px-Thomas_Hobbes_(portrait)

 

 

思考とは計算である (トマス・ホッブズ)

 

 

 

 

まったくその通りと思う。思考とは喜怒哀楽とか恋愛とか好き嫌いとはちがう。ものを考えるということである。

学校の授業で、

「1足す1は?」 という問題に 「3かもしれない」と答える人はいない

「AまたはB、どっちが正しい?」 という問題に 「Cだ」と答える人もいない

ところが、現実社会には、こういう人が驚くべきほどたくさんいるのだということを僕は経験的に知っている

もちろん彼らはそういう意識は自分ではもっていない。持てるぐらいならたぶんそうはならない。

いや学校ではそうでしたけど、世の中は人が動かしてますから・・・

というのが、他人にそれを指摘されたときの反論であり共通の免罪符みたいになっているように思うが、それで幸福に生きている方々をとやかく言う気はさらさらない。

本稿は、あんまり幸福でも満足というわけでもないが何がいけないかよくわからない、もしわかるなら変えてみたい、という人々に書いている。

「1足す1は2」「AまたはBしかない」というのは決まり、決め事、いわば「原理」だ。「原理は絶対に変えてはいけない」ということにしないとそこから何か役に立つ結果を導いたり推論したりは絶対にできない、ということをまず頭にたたきこんでほしい。

どうして?「何か役に立つ結果を導いたり推論したり」なんか私の人生に関係ないでしょ、と疑問をもった人はここでやめた方がいい。時間の無駄だ。

 

 

サッカーは手を使っちゃいけない、将棋の歩は前に一つしか進めない、野球は打ったら一塁に走る、こういうのはみんな決め事だ。どうしてもこうしてもないのであって、「そう全員が了解」してはじめてゲームが成立し、楽しめる。

つまり「1足す1は2」「AまたはBしかない」という決め事に「いや~、そうはいっても」とか「でも世の中ってさあ」とか「でもこう言ってる人もいるし」とか「ワタシはそう感じるし~」などと逃げる人、あるいは無意識に自分を逃がしてしまう癖のある人は「思考」というゲームに参加する資格はない。

ないんである、そんなものは

という厳然たるマインドが絶対必要なのである。「1足す1は2以外にない」ぐらいはそう思う人も多いだろうが「AまたはBしかない」は難しい。「CもDもあるでしょ」というのは実生活において自然な感覚だからだ。しかし、二者択一(二択)という、実生活ではあまりない状況にあえて落とし込んでみて、変数を減らして思考してみるというのは、意思決定においてはパワフルな方法なのだ。

その「あえて落とし込んでみて」というのが重要だ。これは人為的な作業だから、聞いた人は不自然だと感じるのだ。だからその有用性(変数を減らす)をわかってない人は、そこで本能的に拒絶してしまう傾向を見る。本能に理性が勝つようにすることこそ学校の数学の授業で訓練されていたことなのだが。

世の中は右か左かで決まるもんじゃない、柔軟な思考こそ大事なんだよなんてわかったようなことを言う人は、実はほとんどが何も決められない人である。だから自分で決めず他人に聞いたり従ったり支配されたり、それがいやで支配したい人は50人もいる御前会議を開いて赤信号みんなで渡ろうよになる。そこで出た結論は「思考」の結果ではなく、責任のなすりあいの結果に過ぎない。

ホッブズの言葉の通り、思考とは計算である。ゼロかイチかの二択(二進法)でコンピューター言語がなぜ書かれているか?単に計算に便利だからだ。それは二択が計算に「パワフル」なことを証明しているし、なぜそれが思考の結果としての意思決定にもパワフルだと信じるかというと、僕はホッブズの言葉が正しい、つまり「思考とは計算である」という前提に立っているからだ。

デカルトは「理性は計算できない」と言ったじゃないかと反論もありそうだが、ゼロかイチかの二択で書いた人工知能が将棋もチェスも世界チャンピオンを倒し大学受験もパスしそうだという現実は、彼は間違っているということを証明しつつあるのではないか。「そういうものは理性でない」というなら、では理性と理性でないものを二択で示していただく必要があるだろう。

喜怒哀楽とか恋愛とか好き嫌いは感情であり「本能の領域の精神作用」である。それらが「計算できない」というのは本能的には正しいような気もするが、大学に受かったコンピューターくんが恋愛したり五月病になったりもするようにプログラム化ができないと考える人は科学者にはいないだろう。

2045年に1000ドルのコンピューターの演算能力がおよそ10ペタFLOPSの人間の脳の100億倍に達し、技術的特異点(シンギュラリティ)に至る知能の土台が十分に生まれているだろうとのレイ・カーツワイルの予測は有名だが、そこでは我々が神秘的な「本能」と称しているものもゼロかイチかの二択で書けてしまう可能性はある。

二択を原理として適用して思考する。この程度のことはできないと本能だけの人間になり、やがて誰かに支配されるだろう。誰かは人間、コンピューターのいずれかだが。「支配されている私を幸せにする義務があなたにはある」なんて支配者にほざいたところで、あなたが救済される保証を用意するほど資本主義も法律も社会保障制度もお人よしには作られようがないだろう。

二択思考のわかりやすい例を示す。

「地球には男と女しかいない、二択だ」と言うと「本能だけの人」から「じゃあオカマはどうなんだ」とくるだろう。そういう人はそこで思考がフリーズするのであり、「何か役に立つ結果を導いたり推論したり」という行程には入りようがない。そこで、それを言うなら、肉体は男だが精神は女の人をどう定義するかを決めましょうという行程が入ることになる。これが「あえて二択に落とし込んでみて」という人為的な作業だ。

すると、「日本において出生時点では女より男が5%ほど多い」のはなぜだろうという問いに対して思考を加えることができるようになる。男>女は世界でもそうだが日本の女性出生1人に対する男性出生数は1.056人で、世界ランキング第60位なのはなぜだろう?という次の問いと思考が生まれるだろう。そして、このグラフ(日本人の女100人に対する男の数、総務省統計局)をどう説明するのかというさらなる思考へ発展するだろう。

danjyohi

「いや~、そうはいっても、オカマもいますからね」という人がこの思考に参加することはない。

ものを考えるとはそういうことだ。何か決めようとするときに「AまたはB」という命題に落とし込む(そういう努力をしてみる)。そして「Aではない」ことを発見したとする。ということは解は「Bしかない」ことになる。どんなに直感的にも常識的にもそうじゃなさそうに見えようと!これが信じられる人は数学的思考力がある人だ。学歴は関係ない。超高学歴で「オカマ組」の人を僕は数限りなく観察してきているし、その逆もしかりだ。

きっとそれを信じられるマインドというのは宗教に近いんだろう。特に八百万の神の日本人にとっては一神教みたいなもんだ。でも、この「しかない」という部分に値千金の価値があるのだ。「べつにCでもいいじゃん」という人にその価値は永遠に見えない。これが長い人生で大差になるのである。僕はもういいトシでもあり気も短い、そういう人はまっぴらごめんで話にもならないから二択するしかない。

こういうのは筋金入りの原理主義者ということになるんだろう。家の地下室で成り立つ自然法則は137億光年かなたでも成り立つと微塵の疑念もなく確信しているし、ホッブズが国家を人間の本性という要素から原理主義的に解き明かしたリヴァイアサンは好き/嫌いでいえば、好きである。

 

エラリー・クイーン「オランダ靴の謎」

 

織田信長の謎(3)-「信長脳」という発想に共感-

 

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三善晃 管弦楽のための協奏曲

2016 JUN 2 1:01:49 am by 東 賢太郎

火星大接近(スーパー・マーズ)といっても特に近いわけでないが、僕の眼にも赤く見える(気がする)のは発見だ。こうやって子供のころ星を見ては、あそこはどうなってるんだろうと空想した。

そもそも火星は4分20秒ほど前の姿だが、同じく赤いクジラ座オミクロン星のミラは300年前の姿だから「江戸時代」と「ついさっき」ほど違う。オリオン座のβ星リゲルだと鎌倉幕府の成立あたり。その時間の差=距離の差だ。

物理で習った高さ=位置エネルギーとか相対論の言う質量=エネルギーとかは、星を眺めてひたっていると何となく直感的にわかる気がする。すると時間=距離もそうだし距離と重力と質量は関わっていて、時間なるものはそれでできている気がする。

高校時代にFM放送で岩城宏之指揮/N響の春の祭典を録音した。といってもスピーカーの真ん前にテープレコーダーをでんっと置いて回しただけなんで、外で遊んでる子供の声が一緒に入ってしまった。それごと記憶してしまったので今でもその個所に来ると「あっ!」という声まで脳裏にリプレーされて困る。

その時に(たぶん)あわせて録音したのがこの曲だ。

ということでこれも覚えてしまっていて、第2楽章の頭のところが星空を見上げるたびに浮かんできた。そしていましがた、でっかく見える火星を見ながらふと、この曲と一緒にあの頃を思い出したのだ。

153当時、野球に明け暮れていて音楽なんてものは皆目わかっておらず、まあ春の祭典の親類みたいな曲だろうと思っていた。というより、クラシック音楽というのはこういうひっちゃかめっちゃか(?)なものと信じこんでいたから、モーツァルトは退屈な子供むけの曲と思っていた。この曲を久々に聴いて、おお、これだったなあという感慨とともに、天文学者になりたかったなあという思いまで蘇ってしまう。これは若気の至りの曲であり、いまや若返りの曲でもあった。

 

黛敏郎「涅槃交響曲」

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