Sonar Members Club No.1

since September 2012

スマホによる人類無能化計画

2016 JUN 6 20:20:49 pm by 東 賢太郎

現代人は暇があればスマホをのぞいている。気になる人のメールやSNSをチェックし、ゲームで遊び、ニュースや地図や天気予報や動画を見るわけだ。実世界よりもスマホをインターフェースとした仮想世界と接している時間が増えている。それが人間の精神になんの変容も起こさないと考える方が難しいだろう。

WWW(World Wide Web)というハイパーテキストシステムは異なるプロトコルのコンピューターをつないだネットワークであるインターネット上で、例えばwikipediaを中心にしたハイパーリンクはこんな樹形図のイメージとなっている。何か単語をwiki検索してこの枝を通じて得たい知識や情報にたどり着くことができるわけだ。

WorldWideWebAroundWikipedia

僕らの脳というものも、ネット社会になる前、いや太古の昔から、中身はおそらくこれと似た視覚化ができるのであり、樹形図の真ん中に単語を置けばそれにかかわる単語がこうやって連なって広がっていくことは容易に想像できる。

「銀座」と真ん中に入力すれば(つまり意識で念じれば)シナプスを電気信号が流れて、あらかじめ頭に入っている「地図情報」のエリアにそれが届き、「道順」という情報が出てくる。7×3+9と入力すれば脳内の「便利ツール」領域に信号が届いて30と答えが返ってくる。

そう考えると「勉強」というのはこの脳内の樹形図を大きく立派にするプロセスのことだということがわかる。ハイパーリンク先の数(枝葉の分岐数)が多く、リンク先の中身が「リッチ」(四則計算だけでなく微積分まで処理可という風に)であるほど「勉強ができる」という結果に物理的かつ不可避的になる、あるいは、なるように試験問題というものは作られている。

リンク先が多ければバラエティ番組の「クイズ王」や「ものしり博士」ぐらいにはなれるかもしれないがノーベル賞は取れないだろう。まして知らない言葉はその場で堂々とスマホ検索して失礼でない時代となると誰もが居酒屋で立派な「ものしり博士」なのだ。もはや情報というのは無償で大量消費されるコモディティであって、知っていると生涯年収が増えるわけでもなければ女の子にモテるわけでもない。

恐ろしいのは、万人が日々同じスマホ情報を眺めて洗脳されていく傾向があることだ。発信する方はアルゴリズムで検索されやすい語彙を選んで投げかけてくる。するとすべての人間の脳の中にはやがて同じような枝葉の樹形図がだんだんとできあがり、エイリアンみたいに育っていって、ついには地球上のすべての脳にそれがそのまま「棲みついて」しまうのでないかということだ。

そういう世の中では、樹形図の真ん中に「参議院選挙」と置いたときに日本人は知らず知らずに同じ候補者の名前に行き着き、その人を無意識に選んでしまうかもしれない。そうなるように毎日毎日、計略的にある情報をネット上で連呼し、たれ流し続けるとそのワードやメッセージが脳に刷り込まれ、人間の意思決定が操作できて商品を大量に売り込んだり国政を簡単に握ったりできてしまう。SFのようだがその現実味がある世の中になっているかもしれない。

これを「アルゴリズム支配」と呼ぶが、当人がそう意識したかどうかはともかく舛添都知事の採った戦略はその一例として秀逸だ。「厳しい第三 者の目」を意図的に連呼し、「厳しい」「第三者」で検索してすらyahoo、googleで彼の名前がトップに出るようになった。これであらかた成功だ。調査結果が「法律違反はない」であるのは法律を読めば自明である。するとあらかじめ刷り込まれたワードが効いて、厳しい第三 者が法律違反はないと判断している、何が悪いか厳しい第三 者の目で反論してみろ、と反問が心理的に返ってくる仕掛けになっている。より立派な樹形図を脳内にもった者はマスコミにも議会にもいないだろうから有効な反論は無理だろう。

さらに人類にとって危機的な事態が進行していると思われるのは、情報蓄積のクラウド化と同時に人工知能という情報プロセッサーが進化していることだ。人はものを覚える必要はなくなるばかりか運転すら車が勝手にやって銀座へ連れて行ってくれる。道順や運転を覚えたりという苦労から解放されたからといって、では人間は楽になって空いた時間と労力を使ってコンピューターにはできない諜報(intelligence)づくりに徹することができるかといえば、たぶんそうではないだろう。

例えばパソコンを使い始めて、便利にはなったが漢字が書けなくなったという声をよくきく。「挨拶」「昵懇」なんて僕もあぶない。じゃあそんな漢字は検索すればいいのだから学校で教えるのはやめよう、そうすればそのセーブした時間と労力で子供は文章力を磨くことができるではないかと主張するのは、日光の山猿より上野動物園の猿の方が餌をとる時間が不要だから賢いのだというぐらいに説得力のないものだ。「記憶する」という作業はあらゆる学習の母であると思う。それなしに思考はできないしintelligenceを持つに至ることもない

学習の母?そうだ。僕は不得手な受験勉強で苦労したご褒美として、数学の問題を解くというのが「ひらめき」でないことを知った。似た問題を解いたことがあるか?ほぼそれだけだ。試験会場で定理の発見みたいなことが受験秀才ごときにできるはずがないではないか。差があるのは樹形図が充分に大きいかどうかだけであり、受験数学というのは実は解法の暗記科目である。一見初めてだがハイパーリンクでほかのサイトに飛ぶと、「なんだあの問題とおんなじだ」、こうやって解ける。この「飛ぶ」が「ひらめき」と感じているうちはだめだ。シナプスが太くなっているとサイトは自然に繋がる。

つまり、あくまで僕がやった数ⅡBまでの話ではあるが、「問題をたくさん解くこと」+「解き方を覚えておくこと」しか上達法はない。数学ですら覚えておく(記憶)というプロセスなしにできるようにはならないのだから、「記憶はせずに検索だけで」という人が空いた時間を利用して文章力を蓄えたり論理的思考力がついたりなんていうことは、どんな努力をしようが起こるはずもない。その方法を発明する時間があるなら「記憶」に努めた方がよっぽど速いし効率も良いのである。

2年前に書いたこのブログ「  情報と諜報の区別を知らない日本人」は筆者の予想よりはるか多くの読者の目にふれたが、ことは日本人だけの問題ではない。諜報を作る回路を脳内に持たない人が増えるという趨勢を教育が止めることは無理と僕は推察しており、これは世界的な現象と考える。なぜならそれは教育内容の問題というよりもスマホというモバイルコンピューター普及の及ぼす生活環境の変質だからで、教える側の教師の脳まで浸食すると思われるからだ。

先日ソウルへ行ったが、隣国はIT文化受容において日本よりも先進国で、欧米IT企業がテストマーケティングする国の一つに入っている(上場が決まったおなじみのLINEのオリジンは韓国だ)。そこで驚いたのは地下鉄の車内広告が悉く消滅していることだ。以前は日本と同じだったのに、網棚の上も中吊り広告も、完全に消えてしまってつるんとしている。理由は簡単で、乗客は車中で皆がスマホばかり見ているから効果がないとして広告主がカネを払わなくなったからだ。

こういう現象が警告しているのは人間のスマホ化」だ。スマホは何も覚えてないし、何も考えない。創造も発明発見もしない。クラウドとのインターフェイスにすぎず、もらった情報を検索して処理するだけだ。その処理速度がスマホよりはるかに遅くて精度もプアだというのがスマホ人間である。情動(emotion)は減ることはない割にintelligenceは減っているから、インプットに対する感情的リアクションの振れ幅が増大する。切れやすかったり意味もなく高揚したり落ち込んだり、テロリストや極右、極左に扇動されるという人が増えるのだ。

僕はテレビはニュースと野球しか見ないが本や他人の書いたものも極めて限定的にしか読まない。 読書は他人の頭で考えてもらうのだから馬鹿になるだけだというショーペンハウエルに賛成だからだ。ただ彼ほど利口でない僕は読書が必要だ。ではどう限定しているかといえば、intelligenceの有無だ。自分の頭で導き出せない知恵を授けてくれるものを懸命に探しだし、真剣に読んでいる。最近はそれができることこそインテリジェンスと確信するに至っている。

 

テレビを消しなさい

 

 

Yahoo、Googleからお入りの皆様

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

 

 

 

 

 

 

Categories:______サイエンス, 若者に教えたいこと

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

ライフLife Documentary_banner
加地卓
金巻芳俊