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ハチャトリアン ヴァイオリン協奏曲ニ短調

2014 DEC 28 14:14:12 pm by 東 賢太郎

いま世界経済をお騒がせのロシアですが父親がなぜかロシア民謡好きでダークダックスのレコードがよく家でかかっていました。だからというわけではないでしょうが、ロシア物は何でも好きです。ただ、初恋の曲がボロディンの「中央アジアの草原にて」だし、なかでも17歳の時に買ったこの協奏曲のオイストラフ盤は一目ぼれで、それ以来自分の中にはこのコンチェルトが住み着いています。

自分のロシア趣味ですが、「ロシア」と一口に言っても西欧に開かれて連続性を持ったモスクワやサンクト・ペテルブルグではなく、黒海、カスピ海の中央のコーカサス、カスピ海の東の中央アジアあたりに根っこがあるような気がします。民族、文化、習俗、言語が西欧とは非連続という意味で辺境地。武力と宗教で統一されたが、西欧とまじりあうことはない。わが家の祖の地である能登が石川県でこんな感じだろうと思います。

1024px-Armeniapedia_dance2こんなアルメニア・ダンスなんて是非見てみたい。知的好奇心という奴ではぜんぜんなくて、この写真を見た瞬間にぱっと目がくぎづけです。血が騒ぐといいますか、ロシアも辺境の地であるこのあたりのエスニックな雰囲気がとにかく好きなのです。正直のところ古来和風のものよりずっと好きであり、俺は本当に日本人なのかと我ながら思うことしばしばです。

こういうものは食べ物の好みといっしょで教育やら環境やら後天的に変えられるものではない、なにか遺伝子レベルの抗いがたいものかもしれません。そんな経験はもうひとつだけあって、ローマの遺跡で家の中に流れている水路ですね、あれを見た瞬間にどきっとして、あれがほしい、あれを作ろうと思った。まだ作ってませんが。こういうのはもう理屈じゃない、遠い祖先が見ていた記憶みたいなものだろうと真面目に考えています。それに逆らわないほうが健康にいいなという。日本人といったって大半はどこかから来た人だし、思いっきりさかのぼれば人類すべての祖はアフリカにいたわけですから実は全員が「どこかから来た人」なんです。

Aram_Khachaturian,_Pic,_17ハチャトリアンはグルジアのトビリシ生まれですが、人種的にはアルメニア人です。この辺の人を良く知っているわけではありませんが、上掲のダンサーの女性などアルメニア人の写真を見ると白人に近いように見えます。ハチャトリアンの風貌はそれよりアラブ系、トルコ系に見えますがいかがでしょうか。僕はロンドン駐在時代にカジノにはまってほぼ毎日通った時期がありますが、こういう感じのアラブ大富豪のおっちゃんが葉巻片手にチップをうず高く積んでいましたね。

アルメニア共和国は黒海とカスピ海に挟まれた国でトルコ、アゼルバイジャン、イランがお隣の国です。チェスの天才カスパロフ、フランスのシャンソン歌手シャルル・アズナブール、フランス首相のバラデュール、テニスのアンドレ・アガシがアルメニア系だそうです。

ちなみにアラム・ハチャトリアンは中学校の教科書にソ連の作曲家とありました。当時はソ連人イコール白人と思っていましたがアルメニア語でԱրամ Խաչատրյան,グルジア語では  არამ ხაჩატურიანი と書くそうです。これは例えていうならば、Мөнхбатын Даваажаргалというモンゴル人男性が将来の教科書で日本の大横綱・白鵬だと書かれているという感じだろうと思います

どうしてそんなことにこだわるかというと、ハチャトリアンの曲を「ロシア音楽」と括ることに違和感があるからです。

ボロディンはグルジア人といっても貴族の血で風貌はコーカソイド(いわゆる白人)っぽく、彼の音楽は白人目線で描いた中央アジアである、いっぽうハチャトリアンはアラブ、トルコ世界から描いた中央アジアである。ちょっと荒っぽい見方ですが、僕はそんな風に考えています。もしそうだとすると中国人(漢民族)とチベット人がエスニックにぜんぜん違うようなものですから、作った音楽に大きな差があっておかしくないでしょう。

ところがです。話はさらにややこしくなりますが、以下にお示しするように、この二人の音楽はそれなのにけっこう共通するものがある。地方色を西洋音楽というイディオムに閉じ込めると似てしまうというプラグマティックな側面もあるでしょうが、それだけでは説明できない文化の血脈のようなものがあるのです。それは大相撲の世界に人としての血脈に関係なく「相撲道」があるかのようです。

それこそが、中央アジアという文化が秘めているハイブリッドな側面だろう、白人もトルコ人もアラブ人も混血しているものだからそうなってしまうのではないかと僕は考えています。司馬遼太郎も日本人も大好きなシルクロードは点と線を「線」で見たものです。それがどう伝播してきたかという視点ですが、それ以前に「点」あるいは「面」としてまず中央アジアという地域があったという大事な事実があるわけです。

秦の始皇帝の風貌は非東洋的で、実父は呂不韋という胡人であったという説は魅力的です。胡とは中国が見た西域であり、その先に何があるか知識のない時代ですから中央アジアのことです。いってみれば始皇帝はダルビッシュ有です。秦の高官の末裔が秦氏で日本に混血している。これまたぜんぜん不思議ではないです。こういう可能性を証明されていないから非科学的として一笑に付す人は、「実は全員がどこかから来た人」という学説に反証仮説を示さないとその発言自体が非科学的ということになります。

つまり、日本人というのも実はポリネシア、中央アジア、漢民族、北方騎馬族などのハイブリッド民族で、それ自体が「中央アジア的性格」を持っている。韓国もそうです。日本人と韓国人が似ているだのどっちが優秀であるだのはナンセンスなコメントで、混合比率が違うだけです。先祖の血は食べ物や音楽や異性の好みなどにぽっかりと現れる、僕はそう信じています。日本人が概してシルクロード好きなのは、そっちに先祖を持つ人の比が多いということです。

前置きが長くなりましたが、だからボロディンもハチャトリアンもロシア音楽というよりもシルクロード音楽であり、そう思った方が歴史的、地理的な整合性があり、自分の遠いルーツはそっちかもしれない。僕にそう思わせる底知れぬ興味深いものを秘めているのがこのヴァイオリン協奏曲なのです。

ではいよいよ、その「底知れぬ部分」を少々探ってみたいと思います。

 

khacha何といってもいきなりの「入り」(左)がすごい。蒙古軍の荒馬がはねるようなばねの効いたリズム。これは後に第2、4拍目に強烈にえぐい「後打ち」が入ります。3拍子になると2拍目にマレットで叩くシンバルのポワーン!この野蛮さ!お品のいいクラシックにこれだけ下品な音を鳴らしたのに快哉を叫びたいですね。

すぐにソロヴァイオリンがG線で弾くこれが第1主題です。これの裏につくリズムはンンンンンと第1、4、7拍目に入る。8分音符8個を3+3+2と分けて頭を打つのです。馬のひずめの音を西洋人は3拍子にするようです。エロイカの第1楽章はそうだと思いますし、「ダッタン人の踊り」のタッタタッタタッタ・・・もそう。それがここでは3+3+2と最後が2で寸詰まりになる。これが非西洋的、野性的、好戦的な感じがします。

khacha1

やがて音楽は静まり、オーボエがアラビアのへびつかいを思わせる主題を非常に高い原色的な音でkhacha2奏でます。実にエキゾチックなムードがあふれます。そこからソロが第2主題を弾きます(右)。これは和声の感じも伴奏のンパーパの繰り返しもすぐれてボロディン風であります。

khacha3そして伴奏だったンパーパが第3の主題を導きます。これはコーカサスとアラビアの混血という感じで、まさに中央アジア世界の雰囲気です。

ここから展開部で第1主題と冒頭の主題が交差し、第3の主題もソロに現れます。第2主題がチェロで歌われ、長いソロのカデンツァが終わると再現部となります。第2主題はクラリネットが歌いソロは装飾にまわり、ホルンのンパーパがソロの第3主題を呼びさまします。コーダは再度、後打ちリズムの効いた冒頭の主題に第1主題とンンンンンのビートの効いた第1主題が野蛮な興奮をかきたてて終わります。

第2楽章はファゴットのアラビアの教会旋法風な主題で始まります。楽章はこの主題のムードが支配します。次いでソロがどこかラヴェルのスペイン狂詩曲を思わせるkhacha4

 

雰囲気の主題を歌いますが、どちらもむんむんするほどのアラビアの匂いを感じます。これが再現してクラリネットとからむとオケの全奏で音楽は高潮し、やがて静まりながらソロヴァイオリンがFmのas(gis)を長く伸ばします。オーケストラがそれにAmの和音を静かに織り込んで神秘的な終結を迎えます。

第3楽章は強烈なビートのトランペットの二音のファンファーレ上をD,E♭,E,F,F#と半音づつ上昇する三和音が乗る祝典的な導入で開始します。ソロによる第1主題は喜びに満ちた民族ダンスを思わせます。khacha5

ソロが歌う第2主題は哀愁のあるこれぞ中央アジアという旋律で、この和声も伴奏の音型もボロディンそのものといっていいでしょう。

khacha6

 

これをソロが即興的な細かい音型で展開していきます。ロンド形式でもう一度第1主題となり、第2主題はチェロに移ります。目まぐるしく上下するソロが興奮の頂点を作り最後は全奏の二音を連打して曲は終わります。

このコーダは初めて聴いて以来どうも終結感に乏しいという気がしてきました。和声でいうとDmとE♭mの交替が続き、最後にDメジャーになって終わるのですがやはりドイツ流のドミナントからトニックの移行が恋しいということでしょう。シベリウスの協奏曲にもそう思っていた時期がありましたが、あれは和声的にはちゃんとドイツ流なのです。アルメニア人のハチャトリアンの感性はそうではない。協奏曲のフォーマットを用いながらドイツ流に妥協していない、そこにこそこの曲の真の面白味があると思います。

 

好きな演奏を3つご紹介します。

 

ダヴィッド・オイストラフ / アラム・ハチャトリアン/ モスクワ放送交響楽団

この曲を献呈されたヴァイオリニストと作曲者自身による演奏ということを差し引いても決定盤というにふさわしい名演です。まずこれを聴きこむところからすべてが始まる。

 

ユリア・フィッシャー/ ヤコフ・クライツベルク / ロシア・ナショナル管弦楽団

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以前のブログにご紹介しましたが、ユリアの抜群の音程と集中力が発揮された向かうところ敵なしの快演です。民族的なカラーを出したり興奮をあおろうとする演奏は音楽の構造的なもの、建築学的な部分を犠牲にすることが多く、特にこの曲はそれを感じます。この演奏、それがない。そういう誘惑を断って純音楽的に清清とアプローチしている、それが見事です。それがもの足りない人は、次のエルマンのを聴いて下さい。

これはライヴだが遜色なし。

ミッシャ・エルマン / ウラディミール・ゴルシュマン / ウィーン国立歌劇場管弦楽団

このヴァイオリンは学習者にぜひ聴いていただきたい。きわめて瞬時の微細なポルタメントで高音にはずり上がり、低音にはずり下がる。なんともなまめかしく妖艶。エルマン・トーンと呼ばれて一声を風靡した美音もさることながら、伴奏に関係なく自己完結した独特の音程感覚があってそれ自体がジューシーな果実のようにおいしい。この「自己完結」という部分はもう才能でしょう。まねできるのかどうか知りませんが、できるなら誰かしてほしい。それで一生飯が食えるでしょう。第2楽章が白眉であり、こんなにこの曲のエキゾティズムをむんむんとむせかえるほど漂わせたセクシーな演奏は皆無でしょう。このCDにはサン・サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」なる、通常であれば僕が10秒でやめてしまう曲芸風の曲が入っているのですが、全部聴いてしまうのです。そのぐらいのヴァイオリンです。パガニーニやこういう曲は、こういう風に弾ける人のために書かれたんだと納得しました。ユリア・フィッシャーと対極のスタイルです。ぜひ両方お聴き下さい。

(補遺)

木嶋真優 / セルゲイ・スムバチャン / アルメニア国立ユース管弦楽団

youtubeで見つけた木嶋真優の演奏。初めて聴く人であるが僕の好みとして上記のすべてを抜いてベストである。おそらく彼女はこれを十八番にしているのだろう、現存のヴァイオリニストでこれほどこの妖しい曲に入りこめる人はいないように思う。完全に血肉と化しており、テンペラメントが合うのだろうG線の歌は妖艶でアグネス・バルツァのカルメンを彷彿させるが、これは女性にこう弾いてもらわないといけないということがわかった。ドイツで活躍されているようだがこの人はもっと日本で知られなくてはおかしい、素晴らしいヴァイオリニストだ。ライヴを聴いてみたい。

 

 

(こちらへどうぞ)

ボロディン 交響詩「中央アジアの草原にて」

ボロディン 交響曲第2番ロ短調

 

 

 

 

 

 

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