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ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(1)

2015 MAR 24 0:00:43 am by 東 賢太郎

オーストリアのザルツカンマーグートは映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台です。バート・イシュルはヨハン・シュトラウスお気に入りの温泉地であり、トラウン湖畔のグムンデンはブラームスが1890年 から6年間、シューベルトは1825年から2年間暮らしました。どちらもスイス時代の夏休みに車で旅行しましたが、息をのむほど美しい所です。

交響曲第2番ニ長調作品73はヴェルター湖畔のペルチャハで着想され、クララ・シューマンの家があったドイツはバーデンバーデンのリヒテンタールで完成されました。そこで彼が借りていた高台の家の風情はまことに好みであり、拙宅はそれに似せました。彼が好んだ避暑地はどれも非常に好きで、単に景勝地として美しいという以上に趣味に合うものを感じます。彼の音楽に深く共鳴するのは、そういう底流があるかもしれないと思っております。

以下、前回に書きました通り、2番の録音で印象にある物につきコメントします。順不同であり、どれがお薦めというわけでもありません。(総合点)は1~5点で、自分が仮に2番を初めて聞くとしたならこれだというのが5点、そうではないのが1点です。

 

エヴゲニ・スヴェトラーノフ/ U.S.S.R.国立アカデミー交響楽団

20502672645381982年、ソ連時代のオケがどういう音がしたかはドイツものでわかる。冒頭ホルンの音がロシアで、トランペットも弦に混じらない。コーダのホルンソロ、ヴィヴラートのかかった特異な音!テンポは恰幅が良くフレーズはごつごつと武骨で第2主題の弦のフレージングも念を押すようだ。第2楽章は遅いテンポでねばるが、各セクションが融和せず鳴りっぱなし。第3楽章のアンサンブルはどこか洗練されずコーダのそっけなさも妙だ。終楽章も遅めのテンポで最後まで通しだんだん白熱する鋼鉄のような質感。最後のトロンボーンの和音を切らずに引き伸ばすのはびっくりするが、総じて大変に面白い。曲を知り尽くした通向きの演奏だ。(総合点 : 2)

 

ハンス・スワロフスキー / 南ドイツフィルハーモニー管弦楽団

147テンポは模範的で楷書体の演奏だ。木管は古いドイツ風でフルートはうまいがオーボエ以下は落ちる。弦は少人数でヴィヴラートが大きくピッチが合わず下手だ。しかし、録音がオンでありオペラのピットのオケがブラームスのシンフォニーをやっているようなあり得ない風情が僕には貴重で、この全集は珍重している。アバド、メータ、ヤンソンス、尾高忠明の指揮の先生スワロフスキーの頑固で理屈っぽく四角四面の指揮もブラームスのそういう一面を投射している。スヴェトラーノフもそうだが終楽章コーダが狂乱の場みたいにならないのがいい。通向き。(総合点 : 3)

 

ラファエル・クーベリック / バイエルン放送交響楽団

934れぞブラームスという音であり表現である。湿度があって練れた弦のブレンド、これがあって第1、4楽章の第2主題は生きるのだ。第2楽章のチェロを聴いてほしい。特にうまいわけではない、このうねりだ。これ全オーケストラに伝播して「うまみ」や「コク」を醸し出す。ホルン、フルート、トロンボーンは自己主張をちゃんとしながら浮き上がらず、ティンパニのアクセントは決然と打ち込まれる。熟練の指揮だ。第3楽章のオーボエの歌!ここはこれでなくては。終楽章は見事なテンポで進み合奏は彫りが深い。良い装置で聴くと理想的な音で心からの満足感が得られるだろう。名録音であり、万人向け、ファーストチョイス向けである。(総合点 : 5)

 

カール・シューリヒト / シュトゥットガルト放送交響楽団(16 March 1966、ライブ)

ARC-2_5シューリヒトというドイツの名指揮者の指揮の細部を悪くないステレオ録音で味わえるライブ。アルプスを望むような悠揚迫らざる開始だがテンポは終始生き物のように動く。コーダのホルンが素晴らしい。第2楽章のチェロの音色は森のように暗くホルンの木漏れ日の和声がほのかに射すが、ここはテンポはあまり伸縮せず淡々とすすむのが良い。第3楽章はオーボエが上質でなく落ちる。終楽章はかなり遅めのテンポに聞こえるがスコアを見ると4分音符を4つ振りするアレグロだからこれが正しいのだろう。最近の指揮者は2分音符2つ振りのテンポが多いうえに、コーダはアッチェレランドまでかける不届き者がいる。ブラームスの本旨と程遠いといえよう。傾聴に値する演奏だ。通向き。(総合点 : 3)

 

ゲオルグ・ショルティ / シカゴ交響楽団

947このオケは実演も録音もだがうまい割に出だしが不調なことが多い(ここでもヴァイオリンの音程が良くない)。次第にエンジンがかかりショルティ流のエッジとリズムのばねが効いてくる。1,4番はそれがうまく作用しても2番は違うだろうと思うのだが、聴き通すと納得してしまう。管楽器がどれもうまいのだ。もうこの技量は他オケと雲泥の差である。第3楽章のオーボエやホルンを聴いてほしい。だから全奏に透明感がありこういうブラームスもありかなと思ってしまう。終楽章は最速クラスで僕は上記のようにこれを支持しないが、若造の思いつきテンポと違い、第2主題の減速なども堂に入っていてショルティらしい堅固な造形と一体化しているうえにオケの圧倒的な力でねじ伏せられて感動してしまう。コーダ第401小節の第1トロンボーンの下降音型など、普通のテンポですら危ないオケが続出でここでトチられると非常に興ざめになるのだが、この快速テンポで難なく吹いてしまう!シカゴ響恐るべしだ。終止和音のタメと古来ゆかしい減速。ショルティさん参りました。セカンドチョイスだが是非一聴をお薦めしたい。(総合点 : 4)

 

ピエール・モントゥー /  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

4988005845733ブラームスを敬愛していたモントゥーだが正規盤は2番だけ2種類あって、もうひとつロンドン響盤があるが第1楽章コーダのホルン独奏を聴いていただきたい。ロンドンのオケにこんな音は出ない。第2楽章のチェロ、これもそう。ヴァイオリンもオーボエも自然にブラームス語でしゃべっている。モントゥーは何も変わったことをしていないがこれがブラームスでしょということ、それで気難しいVPOがちゃんとついていってる。というよりVPOペースでコトが進んだ観の部分もあるが、テンポについては概ね穏当であり、終楽章コーダは加速していない。見識である。現場は認めてるのにDecca経営陣が彼をフランス屋と決めつけて全曲録音しなかったのが惜しい。持っていたい1枚。(総合点 : 4)

(補遺・21 july 17)

ピエール・モントゥー / サンフランシスコ管弦楽団(1951)

マイクが楽器に近接して管の生音が目立ち主旋律よりオーボエの対旋律が浮き出す。バランスが悪いうえ、音程の甘い弦楽器がクリアに拾えていてアンサンブルはかなり荒っぽいときている。ブラームスのリアライゼーションには誠にふさわしくなく、オケそのものの技術レベルも低い。モントゥーはかなり熱くなっておりVPO盤とは全くの別物。こちらが本音かもしれないがせめてBSOとやってほしかった。SFSO盤は2種あるらしいがこれしか聞いておらずマニアには珍重されるが何がいいかわからない。Mov4のテンポ、第2主題への減速はあまりなく常に突っ走る。コーダはティンパニがずれたりしながら突進し、軽微ながら最後の最後で加速してしまっており、やはりVPO盤はVPOの演奏だったかとも思う。(総合点: 2)。

 

ピエール・モントゥー / ロンドン交響楽団

第1楽章に提示部の繰り返しがあり20分もかかるから全体のバランスとしてどうかとも思うが、第二主題のテンポを落とし句読点を刻む万感こもるフレージング(VPO盤にはない)、弦の内声部の強調、終結に向けてのテンポの伸縮(ホルンソロに入る直前!)などを聴くとこの曲への指揮者の耽溺を知ることになる。モントゥー(1875-1964)最晩年1962年の録音であり、ブラームスのスコアに想いを刻印するには伝統に縛られたVPOよりLPOが好適だった(技術も上だ)と想像する。終楽章に至るまで自然体の素晴らしい2番であり、モントゥーが敬愛したブラームスが自分の培ってきたそれとそんなに違わないことを知って伝統というものの重みを再確認する。終楽章コーダに興奮をあおるアッチェレランドのような無用のものはかけないのはもちろんである。

 

ウィルヘルム・フルトヴェングラー / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団                         (7 May 1952、ライブ)

フルトヴェングラーと聞くとすべて神憑りの名演奏と信じている人が多い日本という国は世界でも稀有な国家である。これはその迷信を解くいい例だろう。第1楽章の第1主題、45年のVPO盤は第2主題に入る前(第50小節)に突然に意味不明のアッチェレランドがかかって凍りつくが、ここでは第59小節のfに向けて徐々に加速する(48年のロンドンSO盤はその中間)。僕はその(彼としては最大限に抑えた)加速でも違和感を覚える。第134小節のつんざくトランペット、その先のポルタメント、227小節の地獄落ちのごときffは僕の趣味とは程遠い。終楽章は第1主題がどんどん速くなっていき、再現部も同じ羽目になって第2主題は快速になってしまう。これでは深みや滋味など雲散霧消である。そしてコーダに向けてはティンパニが暴れまくる。大変な名演である1番そのままの流儀の2番というユニークなアプローチは敬意を表するが、解釈のスタンスとして僕はまったく賛同することができない。初聴して絶句してから2度と聞いておらず、今回本稿のために2度目にチャレンジしたがもう聴くことはないだろう。好事家向け。(総合点 :  1)

 

シャルル・ミュンシュ / ボストン交響楽団

200x200_P2_G5360403W良いテンポで始まる。なんていい曲が始まったんだろうと。弦が極めて上質で録音も本当に素晴らしい。このオケは高性能でありながら米国で最も欧州的な音色を持ち金管はフランス的な軽さもある。ミュンシュのリズムはスタッカート気味にはずみ、推進力に加勢する。それが活きた彼の1,4番は実に男らしいブラームスで僕は好きだが2番は第2楽章の呼吸だけは浅く深みに欠けるきらいがある。終楽章は速めだが羽目は外れず、オケが鳴りきっている。ミュンシュは爆演指揮者だと思われているが、コーダは興奮を加えながらもアッチェレランドなしであるのにご留意いただきたい。そんな安物ではないのだ。トランペットが明るすぎるのが唯一欠点だ。セカンドチョイス。(総合点 : 3)

 

オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団

200x200_P2_G3281644W第1楽章は弦と木管のフレージングに細かな配慮があるのに耳がいく。まったく一筋縄でいかない指揮者だ。加速、減速があるがシューリヒト同様に意味を感じ不自然さがない。オーボエが目立つなどDGやフィリップスの感性ではないEMIの音で細部の分解能が高めの録音はあまりブラームス的ではないが、不思議なバランスで様になってしまうのは指揮の力だ。テンポも表情も違和感なく、立派な2番を聴いたという感興だけ残る。一度は聴いておきたい名演。(総合点 : 4)

 

(補遺、3月28日)

カール・シューリヒト / NDR交響楽団

71eDJ5ZFR-L._SL1261_1953年1月8日、ハンブルグでのライブ。Urania(イタリア盤)の音は意外に良い。演奏は上記シュトゥットガルト盤よりあっさりして速めで、これほどもたれない2番も希少だ。では淡泊かというとテンポの動きが即興と思われるほど自在であって表情は濃いから良いブラームスを聴いた充実感が残る。薄味だがうまみの芳醇な出汁という所で、指揮者の至芸だ。オケは充分にうまく、良く反応していて聴かせる。適度な速さでティンパニを効かせた終楽章は特に素晴らしく、これほどテンポを自由に操ってきたシューリヒトがコーダでほとんどアッチェレランドをかけないというのをぜひお聴きいただきたい。僕が何故それにこだわっているか。これぞこのスコアに対する良識と敬意であり、それを選択する趣味の良さの問題であって、こういうことは人に教わるというより人間そのものだから争えないものであると思うからだ。僕はこのCDを聴くのが喜びだ。(総合点:4.5)

 

カール・シューリヒト /  ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

41p31a3pW5L._SS28053年、ムジークフェラインでの録音でこれがシューリヒトの正規盤とされ定評がある。しかし申しわけないが僕には何が良いのかさっぱりわからない。第1楽章は主部が加速したと思うとブレーキがかかり、ヴァイオリンにポルタメントがかかる。こういうのはウィーン風と喜ぶ人もいるようだが僕はブラームスの本質に資するものとぜんぜん思わない。和音は音程が悪く興ざめである。第2楽章の冒頭チェロセクションは不揃いで実にヘタ、第2主題も同様であり内声部に回っても音程もフレージングもいい加減だ。棒がテンポをあおるとアンサンブルはライブかと思うほど雑になる。この楽章は楽器の録音のバランスも悪く正規盤としては相当低レベルな部類と言わざるを得ない。第3楽章はVPOの木管の魅力で救われるが弦はかなりひどい。終楽章はヴァイオリンの雑なのに閉口で、第2主題の弦の安っぽい音は救い難い。コーダのテンポの扱いは順当に思う。指揮はNDR盤とそう大きくは変わらないが、とにかくオケが今ならアマチュアなみであって到底もう一度聴きたいとは思わない。これがウィーン・フィルとクレジットされていなかったらこの世評はなかったのではないか。こういうのをプラシーボ効果というのであって、未開地の人に歯磨き粉を薬だと教えて飲ますと本当に風邪が治ってしまうあれだ。この演奏で幸せになれるい人が多いならあれこれ書くこともないが、僕は常に本音でいたい。(総合点:1.5)

 

(補遺・シカゴ響のうまさについて、16年1月18日)

「もうこの技量は他オケと雲泥の差である」と本文に書きました。全盛期末期のフィラデルフィア管を2年間定期会員として聴いた僕が「うまい」と驚くオケはもう世の中にほぼ皆無なのです。ところがこのビデオで冒頭のトランペットにいきなり耳がくぎづけになった。ムソルグスキー(ラヴェル編)「展覧会の絵」です。

いや、すごい、この金管、木管・・・。弦も半端でないのに格落ちに聞こえてしまうではないですか。ライナー時代にレベルアップしましたが、ショルティの耳でしょう。85年2月にロンドンのロイヤル・フェスティバルホールでチャイコフスキー4番を聴きましたが終楽章の物凄さは言葉もなし(この演奏会はDVDになってます)。そして、このバルトークだ。技量においてこれを上回るものは、まず、もう出てこないでしょう。最後の減速もなく、まったくもって素晴らしい。

 

(つづきはこちらへ)

ブラームス交響曲第2番の聴き比べ(2)

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