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日本航空の再上場

2012 SEP 26 16:16:26 pm by 東 賢太郎

2004年に野村からみずほに移籍すると日経ビジネスなど経済誌やら何やら業界紙のようなものまでに記事をガンガン書かれました。こっちは覚悟して辞めたのでいいのですが野村にはご迷惑をおかけしました。取材を受けたわけではなく勝手記事だったので仕方ありませんでした。

当時みずほグループはコーポレート銀行の顧客企業への提案メニューに株式の引受業務を入れようということで、頭取から「エクイティ元年にする」という強いメッセージが飛んでいました。法律で銀行にそれはできませんから、その任務はみずほ証券が負うことになります。しかし銀行系なので株式業務経験のある人材がおらず、そこで僕にお声をかけてくださいました。

しかし僕は海外が長かったので国内の法人業務などやったことがありません。それでもいいんですかと尋ねると、「問題ない。君のことはわかっている。」と言われ、じゃあという気持ちになったのです。給料やボーナスもおおまかなことしか聞かず、もっといい条件を提示していただいた別の会社をお断りして契約書にサインしました。お金より情熱に惹かれたからです。2004年3月のことです。

別に野村が嫌いだったわけではありません。僕を育ててくれたのはまさしく野村です。いいお客様とめぐり合い、こんなに凄い会社はないと思う経験をたくさん積ませていただきました。ただ証券マンとしてはファイナンス業務ででかい仕事をやりたいという気持ちが強く、ウォートン・スクールのMBAもファイナンスで取ったので自信もありました。野村で僕の来た道の延長線上には残念ながらそのチャンスはなさそうでした。

ここから2006年9月までの2年半は、僕のサラリーマン人生で最も楽しく充実した日々でした。法人業務で野村とはライバル関係になるので、例えて言えば同じセ・リーグで別球団に移籍したピッチャーのようなものです。だから経済誌も面白がったのでしょう。巨人軍のような野村相手だと燃えるし、みずほ側はそれを期待して僕を採ったでしょうからベンチや観客席からの視線も半端ではなかったと思います。

しかし、みずほに出社した初日に僕は正直のところ大失敗したと思いました。部下は100人位だったでしょうか。ただ、株式引受経験ゼロ。株を知らない。おとなしい。何をしていいかわからない。質問も出ない。18億円の収益目標でびびっている。これは180億円の間違いかときくと全員が絶句してしまう。その日、同じ野球チームのつもりで来た僕も絶句したまま帰宅したのを昨日のように覚えています。

このチームが2年後に大和証券を株式主幹事リーグテーブル(引受業界のペナントレース順位表)で抜き、高嶺の花だった日本航空の公募増資主幹事まで引き受けさせていただけることを予測した人は証券業界に一人もいなかったでしょう。この1500億円の新株発行増資は野村、ゴールドマンと三つ巴の熾烈な戦いとなり、最終的にみずほがグローバルコーディネーター、トップレフトというインベストメントバンク業務のオリンピック金メダルに相当する地位を勝ち取りました。その過程を述べることは役員だった僕には一切許されませんが、当時の銀行出身の部下たちの大活躍は特筆大書しておきたいと思います。

かように、そこにいたるまでの部員一人一人の成長と活躍は目覚ましいものがありました。素材はみんな優秀でまじめでやる気もあり吸収も早い。初日の心配は銀行と証券のカルチャーの違いだったのです。部員たちは全員で僕を担いでくれ、僕は仕事をたくさんさせられ、足腰立たないぐらいの疲労困ぱい状態から風邪が治らなくなりました。余談になりますが、その時にさすがにまずいと思って名医を探し、知人から紹介を受けたのがSMCメンバーにもなっていただいている神山道元先生なのです。先生に処方していただいた漢方で僕は復活し、以来今日まで風邪もひいたことがありません。

日本航空ですが、あのファイナンスも結果的に無になり、悲しい経営破たんという道が待っていました。残念でしたし、何より当時の投資家にご迷惑をおかけてしてしまいました。政府のてこ入れがあったとはいえ稲盛さんの経営力で再上場に至ったことは慶賀のいたりです。あの僕にとって忘れがたい金メダルはツームストーンという形でわが社の棚に飾られています。

Categories:______体験録, 自分について, 若者に教えたいこと

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