ベートーベン交響曲第7番の名演
2013 AUG 17 9:09:45 am by 東 賢太郎
この曲について記すところは特にありませんが、僕がこの曲で印象に残っているのは83年にオイゲン・ヨッフムがバンベルグ響とフィラデルフィアでやったもの。第4楽章の第1主題でヴァイオリンのボウイングを各プルトでスラーが「あり」と「なし」で弾きわけさせてフレーズをくっきりと描き出すなど、頑固なすし屋の親父がコハダの酢具合にこだわるみたいな仕事ぶりが通好みで感心したのです。これは86年にロンドンでマゼールのピンチヒッターで登場してフィルハーモニアを振った時も踏襲されていて、頑固親父ぶりは健在でした。しかし何種類かあるのですが録音で聴く限りそういう各所での絶妙な「仕事」があまりマイクに入っていない。残念です。
もうひとつは86年に山田一雄が東京交響楽団と文化会館でやったもの。僕は熱演、演歌型のベートーベンは好きでありませんが、これはそれを超越した大熱演で、あそこまでやられると立派というしかありません。英国人のお客さんと聴いたのですが、かなりうるさ型の彼が感動していてちょっと鼻が高かった。故ヤマカズさんの実演はこれしか知りませんが、もっと聴くべきでした。この曲はどういうものが名演なのか自分でもスタンスが固まっていないので、聴き終わってみてその時に感動したかどうかという刹那的な判断しかありませんが以下のようになります。
(補遺、12June 17)
これは米国留学中にFM放送を1984年4月20日にエアチェックしたもの。ギュンター・ヘルビッヒ(またはヘルビヒ, Günther Herbig, 1931年11月30日 – )は録音に恵まれず日本ではメジャーと思われていないがチェコ生まれでへルマン・アーベントロートに師事し、ワイマール歌劇場でデビューし、1957年、同劇場の楽長、1972年からドレスデン・フィルの音楽監督、1977年ベルリン交響楽団首席指揮者・音楽監督を歴任しました。1983年まで君臨したベルリン交響楽団は西のベルリン・フィルに対抗する東のトップですから彼は旧東ドイツ楽界の王道を歩いた人です。
その彼が1984年にドイツを離れ渡米した理由は「東独統一党の政策に嫌気がさした」という情報しかありませんが89年までいたらどうなっていたか。東独指揮界で西側に出て出世したのはクルト・マズアぐらいで、ヘルベルト・ケーゲルはピストル自殺したしオトマール・スイトナーも実力のわりにはポストに恵まれなかった。国が消滅するというのはそういうことなのです。エリートだった人ほど厳しい。岡目八目でそう書くのではなく、僕自身、ベルリンの壁崩壊直後の92年からの激動の3年間をドイツで過ごし、業界こそ違うが金融の世界でたくさんの悲劇を目撃しています。
ヘルビッヒはそれを待たず5年も前にドイツを飛び出し渡米したのだから幸運でした。1984年からデトロイト交響楽団の音楽監督に就任、FM放送のアナウンスによるとこの7番は1983年9月に、翌シーズン(4月から)第10代音楽監督に就任すると発表されたヘルビッヒの披露目演奏会のオール・ベートーベン・プログラムのトリでした。オーケストラも聴衆も期待に満ちた「ハレ」の雰囲気に満ちているではないですか。そして、そういう場にこそ7番という交響曲はふさわしいと感じるのです。今となるとこの記念すべき一期一会の演奏がたまたま録音できたのは奇跡の気がします。
ゲオルグ・ショルティ / シカゴ交響楽団
このコンビはカラヤン/ベルリンフィルと並んで20世紀の演奏史に刻まれるでしょう。そう思ったのは85年2月2日に聴いたモーツァルトの39番とチャイコフスキーの4番です。ロンドンで1日だけロイヤル・フェスティバルホールで開いたこの演奏会は最近DVDになって発売され、懐かしいかぎりです。特に後者のアインザッツ、音程、音量、音色・・・すべてに圧倒され、オーケストラというのはこんな凄いものなのかと思い知りました。ショルティはその後もチューリヒで壮絶なエロイカや亡くなる前の最後の登場となったマーラーの5番を聴くなど忘れられない指揮者の一人です。この7番はシカゴとの旧録音全集で、彼の良さがストレートに出た演奏です。猪突猛進というイメージとは違い、両端楽章はたっぷりしたテンポで入念に彫琢されてオーソドックスながら強い説得力があるのです。快速でぶっとばして興奮を誘うという軽薄さは全くなく、スコアを信頼してそれを十全に鳴らすということでしょう。それでも聴く者を熱くしてしまう。世界をうならせたこのコンビの絶頂の姿をぜひ味わっていただきたいと思います。
ウォルフガング・サヴァリッシュ / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
レナード/バーンスタイン/ ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カルロ・マリア・ジュリーニ / スカラ座管弦楽団
パブロ・カザルス / マールボロ祝祭管弦楽団
ギュンター・ヴァント / 北ドイツ放送交響楽団
オットー・クレンペラー / フィルハーモニア管弦楽団(60年6月4日ウィーンでのライブ)
カール・ベーム / バイエルン放送交響楽団(73年5月3日ライブ)
カルロス・クライバー / ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
以上が所有リスト54枚のうちで、初めて聴いた時に「2つ星」をつけたCDです(3つ星はなし)。その時どうしてそう思ったのか理由は記憶にないので今回はコメントは割愛させていただきます。
(補遺、2月7日)
カール・ベーム / バイエルン放送交響楽団 (73年5月3日ライブ)
もし7番をいまどうしても聴くならまずこれだ。70年代のベームは最晩年の輝きを見せており、ライブ録音に素晴らしい遺産を残した。別稿のシューベルト9番などその例だ。この7番は音楽が鋼のように剛毅でテンポがゆるぎなく、巨匠の棒にオケの全奏者が渾身の力でついていっている情景が眼前に浮かぶ。といって力任せの音は一切なく、指揮者の体現するベートーベン像に渾身の共感を持って奉仕するオケの磁力のようなものに巻きこまれて聴く者も熱くならざるを得ないという稀有な名盤だ。録音もライブとしては非常に良い。
フリッツ・ライナー / シカゴ交響楽団
高校3年の5月に買ったLP(右のジャケットはCD)で、この演奏で曲を覚えた。当時ピアノもチェロも弾けなかったくせに、「なんだこんなのギターで弾けるコード進行じゃないか」と下に見てしまった。「舞踏の聖化」だリズムの祭典なんだと言われたって、もうそのころ僕は春の祭典を全曲暗記していたのだ。そういう出会いだったからだろうか、後々この曲にエロイカや5番や8番ほどの敬意を持てていない。僕は48種の7番の録音を持っており、そしていま本当に久しぶりにこれを聴きかえしてライナーの指揮は懐かしくも立派であり、オーケストラ演奏の極致の領域に立ち入る名演であると思う。しかし、大変な暴言とは思うが自分に正直に書かなくてはならないので書くが、ベートーベンの名誉になる曲ではないという思いを新たにする。
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花崎 洋 / 花崎 朋子
8/18/2013 | 6:55 AM Permalink
以前、東さんが、ベートーヴェンに対する好みが「3番エロイカ派と7番派に分かれる」と、ご投稿されたのを思い出します。
東さんが挙げられた演奏の中では、私がベストに推した息子クライバー、カザルスは私の好みの演奏です。
花崎 洋 / 花崎 朋子
8/18/2013 | 7:01 AM Permalink
3番エロイカがお好きで、7番には殆どご興味が湧かないという、東さんのご趣味、ご造詣の深さ、良く理解いたします。
なお、個人的な予定で恐縮ですが、私は明日から少し長い出張に出かけ、例によってモバイル端末を持って行きませんので、次の週末以降に、コメント等させていただきたく、よろしくお願いいたします。
東 賢太郎
8/25/2013 | 12:38 AM Permalink
7番派というのは聞いたことがなく僕が聞いたことがあるのはエロイカ派と第九派です。まったくの私見ですから無視していただいて結構ですが、7番は「ウエリントンの勝利」(戦争交響曲)の系統に近い音楽と思っており、3番、9番に比べると何か重大なものを音楽史に刻んだとは思いません。面白いことにパウル・ベッカーの本を読んでいたら、その「ウエリントンの勝利」は作曲当時大人気を博して本人も気に入っていたそうです(7番の初演もこれと一緒で、7番よりも喝采を浴びた)。ベートーベンはウエリントン一曲から他の交響曲全部をたしたよりも大きな収入を得たそうです。ちなみに8番は誰から依頼された曲でもないのですが、その初演で7番が一緒に演奏され、そこではオーケストラは大きく増強されていて楽譜にないコントラファゴットまで2本も加わったそうです。こういうところもどこかいかがわしい。おそらくベートーベンは8番が正当に評価されないと踏んで(現にされなかった)、大衆受けのいい7番をビッグバンドバージョンにして客寄せ用にプログラムに入れたと思います。ただこの曲に盛り込まれた「大衆を熱狂させる手管」は達人の域であり、ハイドンの延長線上にあるのに非常に劇的であってそこがすごいと思います。ワーグナーが7番を激賞したのはそのためではないでしょうか。
花崎 洋 / 花崎 朋子
8/25/2013 | 11:44 AM Permalink
ウェリントンの勝利の興行収入が、9曲全ての収入を上回ったとのお話は初めて聴きました。ベートーヴェンの人の子、大好きなワインも沢山飲みたいし、受ける曲を書きたくもなるのでしょう。コントラファゴットまで加わった話も初耳で、なるほど、そうやって大衆受けを狙ったのかと、興味深いお話です。9番派を7番派と誤解し、失礼いたしました。
東 賢太郎
8/25/2013 | 2:42 PM Permalink
歴史上初めて政治にも音楽にも大衆(といっても「市民」ですが)が参加してくる時代に生きたベートーベンが「大衆受け」を狙ったのは必然と思います。彼以後のあらゆる音楽作品も基本的にはそうであり、3番も9番もその産物であることに変わりありませんから動機は問題ではないですね。ベッカーも書いていますがベートーベンほどディナーミク、つまり音量の強弱にこだわった人は彼以前にはなく、ピアノソナタは楽器の進化に鋭敏に反応して書かれていますし、交響曲にトロンボーン、ピッコロ、コントラファゴットを初めて導入して強力なフオルティッシモを作ったりしています。7番はあえて評価すればハンマークラヴィールソナタかもしれませんね。
花崎 洋 / 花崎 朋子
8/27/2013 | 5:05 AM Permalink
そうですね。第5交響曲4楽章での「トロンボーン」、第6交響曲第4楽章「嵐」の場面での「ピッコロ」など、たいへん効果的でインパクトが強いですね。ハンマークラヴィーアソナタ、特に第1楽章は、オーケストラの響きを感じさせる派手で、音量の強弱も強烈で、第7交響曲の第1楽章に通じるものがあるように私も思います。
東 賢太郎
8/27/2013 | 11:01 PM Permalink
そういう外向的、外面的な音楽にたいして、最晩年になって12番以降のカルテットみたいな内向きの音楽が出てきますね。ベクトルが正反対です。彼はオーケストラでチェロとコントラバスのパートを明確に分離した人ですがカルテットのチェロにも単なるバス以上の役割がありますね。低弦はおそらく自らの声で、自問したり否定したり謎かけ問答のようにもなります。交響曲でも第九終楽章のレチタティーヴォがそうですし、5番の第3楽章の出だしにすでにそれが現れています。なんと言っているかは誰もわからないのですが。この外向き、内向きの対比というのはチャイコフスキーの4番と6番を想起させます。4番ヘ短調の終楽章は、徹底して外面的である点、主題が音階的である点、リズム反復で興奮をあおる点、コーダで一度沈黙する点などからベートーベン7番の終楽章が下敷きであると僕は考えております。
花崎 洋 / 花崎 朋子
8/28/2013 | 4:23 PM Permalink
ご返信いただき有り難うございます。おっしゃる通り、晩年のカルテットの12番以降は、俄然、内向きになっていきますね。また、ベートーヴェンのバスの動きの意味深さも、正におっしゃる通りです。それから、チャイコフスキーの4番の4楽章への東さんのご洞察は、たいへん新鮮に感じられ、なるほど!と思いました。6番悲愴は徹底的に内向きですが、5番の交響曲、私個人は好きですが、ある意味、良く分からない曲(内向きか、外向きかなど)かもしれませんね。
東 賢太郎
8/28/2013 | 9:39 PM Permalink
5番は僕も好きです。MIDIで4,6番は録音しましたが、5番に食欲が出ないのはドイツ流に弦が主体なので僕のシンセサイザーではいい音がしなさそうに思うからです。チャイコフスキー自身は初演後に5番には否定的だったみたいですね。