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失われた20年とは何だったか(前途万里編・2)

2013 SEP 14 16:16:08 pm by 東 賢太郎

滝川クリステルの五輪招致スピーチ。あれは効いたんじゃないかと思う。「お・も・て・な・し」ではない。フランス語でやったことがだ。ギリシャ発祥の五輪というのは大英帝国にもパックスアメリカーナにも超然とした存在だ。内実が本当にそうかはどうかともかく、そうあるべしという委員会のツッパリだけは感じる。彼女の起用はそこを突いたうまい戦略だった。欧州大陸の国、フランス、ドイツ、イタリアなどは英語のヘゲモニーを快く思っていない。その3か国を英語だけで旅してみればそれはすぐわかる。特にフランス語文化圏は、はっきり言って英語が嫌いだ。

審査委員たちにとって日本語はスワヒリ語と変わらない。「おもてなし」は別に「ありがとさん」でも「おいでませ」でも良かったかもしれない。ポイントはあのルックスの彼女が母国語でやさしく親切に、それを腑に落としてあげますよという姿勢をアピールしたことだ。仮にあなたが責任ある五輪招致委員で、事情をよく知らないアフリカの国のプレゼンを聞いたとしたらどうか。「スワヒリ語でありがとうはアサンテです。ア・サ・ン・テ!」と日本人とのハーフの女性が流暢な日本語で 微笑みながら噛んで含めて説明してくれたら、安心するんじゃないかだろうか?

そう、その面倒見の良さそうな姿勢こそが「おもてなし」だったんだと僕は思う。「相手の腑に落としてあげる面倒見の良さ」、これは実は営業の極意でもある。僕は30年それだけで仕事をした。それはプレゼンの極意だと思っているし、なにかこみいったことを平明に説明する極意でもあるとも思っている。プレゼンの道具は言葉であるが、それは文学ではない。正確でわかりやすい言語だ。だから国語力こそ本質だ。国語が得意科目でなかった僕が言うのもおこがましいが、長年営業をやってわかった。国語ができないと英語も数学もできないしプレゼンもできない。なぜならそのどれもが言語を正確に駆使すべきものだからであり、相手に意味や論理を明快に伝えるべきものだからだ。言語は相手に伝わらないと意味がない。

田舎のゴルフ場にナビなしの車で行っていた頃、高速を下りるとだいたい地図がわからない。腑に落ちないこと甚だしい。正確に伝えようという意志が感じられない。まずほとんど例外なく、土地勘のないものが全体観を把握するのに大事な縮尺というものがいい加減だ。要所要所のターゲットとなる目印は見つけにくい。「乾物屋の路地左」などとあったりするが、その乾物屋が潰れていてお手上げのこともあった。「山田商店」なんてあるが、それが乾物屋と知ってるのは地元のおまえだけだろ?みたいなこともある。その隣に郵便局もあるのになぜ乾物屋のほうなんだキミは?と作成者に会って人生観を聞きただしてみたいという誘惑に駆られる場合すらあった。下手な営業、下手なプレゼンはほとんど例外なく、この同類だ。

僕は今回の五輪プレゼンを見て、とてもうまいと思った。やらせてほしいという意欲を伝える気がある。わかり易い。明るい。好感度が高い。それを自分の言葉、滝川以外は英語ではあったが、あたかもその場で自分の心から発したかのように見える口調でもってアピールし、腑に落とさせた。皆さん言語の立派な使い手であって、役者として名演技を披露した。聞く方もプロだから演技とわかっているが、ホスト、ホステス役というのも演技である。それをやらせてみっともないことにはなるまい、という安心感を与えたはずだ。日本人のスピーチというと原稿のお経読み、という不細工なイメージを覆した意外感もプラスだったろう。

もうひとつ。おもてなしという日本語、文化。それは理解されて当然、だってこんなにいいものなんですよと何のてらいもなくドーンと言ってしまう。ひょっとして理解されないんじゃ・・・なんてうじうじ考えない。この厚かましさはとてもグローバルだ。日本人は恥の民族だ。家の中やクニ(田舎)のアラをよそ者や外人に見せたくない。だから、いやーウチのド田舎の村祭りなんて・・・とかはにかんだりするが、いざそこへ行ってみると外人のお姉さんがハッピでサノヨイヨイと踊ってたりする。そんなことがいくらもある。

日本の良さは外人の方が自分の眼で発見してくれたりする。東京都の新島は昔はサーファーとナンパのメッカだった。ところが七島のなかではホテルや観光開発が遅れ、最近は若者が来なくなって釣り好きのおじさんしかいないらしい。しかし、東京に住んでいるドイツ人やフランス人にとってはその閑散が良いらしく、調布から飛行機で行かれることもあって、家族連れで海と新鮮な魚とひなびた自然を楽しむ東京近場の名所になっているそうだ。そういう埋もれた観光地はいくらもあるはずだ。

当の日本人が日本の良さに気づき、自ら堂々と海外に発信を始めるときがきている。それに呼応し、受け入れてくれる海外の需要は非常に大きいだろう。食べ物も温泉も映画もアニメも、自然も歴史も伝統文化も習慣もすべては世界に誇れる水準にあることは16年海外で過ごした目で自信を持っていえる。そこに強い発信力とおもてなし精神が加われば、日本は18,9世紀の英国にも似た世界が憧れる国になるだろう。

失われた20年はあったかもしれない。だが、もともと我々が得たものは焼け野原から20年で経済大国になったというプライドではなかったか。物質的なものは、20年で得て、20年で多くを剥奪されたと思う。富や影響力や注目は失うことがあっても、しかし、プライドは誰にも盗まれる心配はない。まして我々に続く期待のバブル後世代は、そもそもバブルからは何も得ていないのだから、何を失ってもいないわけだ。自信喪失した親や先輩世代など冷ややかに見下せばいい。少なくとも、一緒に元気をなくすいわれなど、さらさらないのである。

1964年東京五輪、大阪万博で海外の目を意識し、それを起爆剤に経済成長をなしとげた日本人。「世界の国からこんにちは」に沸き返った日本。外人から「こんにちは」を言われて感激していた国民が、今や泰然と「おもてなし」をしようとしている。卑屈なへりくだりではなく、これはいいものですと日本文化をもって客を饗応することを必然としてしまう自信こそ心強い。こういう尊厳や身のこなしというものは、成り上がり者や成り金にはできないものなのだ。以前僕はこういうブログを書いた。

 安倍総裁の眼

彼の眼は成り上がり者のものではない。申し訳ないが橋下知事や石原慎太郎氏とはモノが違うと断言する。彼が首相になってアベノミクスに成功したからそう言うのではない。このブログを書いたのは彼が総理になる前だ。そういうものはわかる人にはわかってしまう。 巨人の阿部慎之介捕手が、1月に日本プロスポーツ大賞授賞式で安倍首相と握手した。その時の首相の印象を「目力が半端じゃなかった。今まで会った人の中で一番じゃないかな」と語っている。

我々がバブル期を経て身につけたプライド。経済でアメリカに追いついたという自信。それは「日本人の目力」になっているのだと確信する。一流の仕事をしてきたと自負する日本のシニア層、例えばSMCのメンバーリストに名を連ねておられるような方々すべてがそれを、自分でそう意識しようとしまいと、眼の光として湛えている。だから目力はこれからの日本の国力であり政治力であり経済力の礎でもある。目力はカネで買うことも詭弁でごまかすこともできない。にわかには具有することあたわざる尊厳なのであってわかる人にはわかってしまうもの、そうとしか言えない。

6稿にわたって「失われた20年とは何だったか」を論考し、いま僕が思うことはひとつだけである。

失ったのは日本だけではない

リーマンショックでは、金融においてすら米欧もすべて失ってしまった。いやリーマンショックで失ったのではない。あれはいわば星の一生でいえば断末魔の叫びである超新星爆発であって、そこにいたる産業革命以来の資本主義の歴史の摂理の中で起こるべくして起こったことだ。しかし宇宙の歴史はそれで終わりではない。我々人間の体を形成する鉄(Fe)などの金属類は、実はどこかの恒星が爆発してできたものだ。リーマンブラザースの粉々に砕けた破片は、21世紀のどこかの国で別な物の素材となって生き続けるにちがいない。

日本国というものが存続するとして、そこにどんな星の爆発物の一片が組み込まれようと、それは日本国の一部分にならなくてはいけない。それがダーウィンの言う「変化できる者」ということだからだ。バブル崩壊は大ショックではあったが、もはやその爆発片は日本人の目線に有用な組織として組み込まれているのを僕は見る。21世紀にここからの世界がどの方向に、どういう風に発展していくのかは誰も知らない。それを当てる預言者にも相場師にも僕はなる自信はない。しかし、日本がこれからのレースで偶然にも結構いい位置につけており、いかなる変化でも適応して最適解を生みだしていく要件を満たした国のひとつであろうと予言することには、幾分かの自信を持っている。

我が道を堂々と行くことである。ああせいこうせい、やれ反省がない、それはいかがなものか、いろんな批判を浴びせ、成功をねたみ、攻撃を仕掛け、足を引っ張る輩が現れるであろう。一国が自力で存続を保持するに足る国際法上の当然の武力は備えたうえで、一切の外野の声は無視して我が道をゆくことである。そうすれば勝つポジションにわが国は有る。本稿を締めくくる言葉を探すのはちょっと重たいが、平和を愛し音楽を愛する者として、フィンランドの大作曲家ジャン・シベリウスの名言をご紹介してPCを閉じよう。

                                               批評家の言うことに決して耳を傾けてはいけない。これまでに批評家の銅像が建てられたためしはないのだから。 

 

(失われた20年とは何だったか、了)

 

Categories:______世相に思う, 徒然に, 若者に教えたいこと

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