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失われた20年とは何だったか(前途万里編・1)

2013 SEP 13 1:01:32 am by 東 賢太郎

読書のやり方というものにははいろいろな方法があると思います。若いころは1冊を集中して読みました。でも今は常時4~5冊を同時に読んでいます。多いときは7~8冊ぐらいです。浮気性になりましたね。例えば今は夏目漱石、カント、ダーウィン、松本清張、パウル・ベッカーをちょっとづつ読んでいます。そんなの無理だろうと思われるかもしれませんが、みなさんも学校時代は英数国理社5科目の教科書を同時に読んでいたのです。

僕の年になると一つのテーマを掘り下げるのはもう難しい。できないことはないでしょうが、そこは若い人の方がすぐれています。ただ、シニアは長い人生で広い範囲の経験を積んでいます。広く経験を積むことばかりはどんな天才でも時間がかかります。だから、異分野にまたがって共通する原理や底流にある相互に応用可能な考え方のようなものを見つけ出して、それを広く世にお伝えすることはむしろシニアの仕事なのではないかと思っています。それには自分の頭を常に多様な分野に晒しておくのが有益である、だから読書は同時進行こそ良し、というのが僕のささやかな結論なのです。

ダーウィンの「種の起源」にはこう書いてあります。

強い者、賢い者が生き残るのではない。変化する者が生き残るのだ。

これは21世紀の日本国が噛みしめるべき言葉でしょう。軍事においても経済においても、強いことを競う時代は20世紀をもって終わったと思います。核兵器は使った瞬間に全世界を敵に回します。核の抑止力というものはトートロジーのごとく、持った国をも抑止します。経済力を独占した国が出現したとして、世界の資源、食料を独占できるわけではありません。核の抑止力と同じ抑止がかかります。

世界中の人民が全員アメリカ人になることも中国人になることもありません。それは軍事力や政治力行使の限界があるためというよりも、ダーウィンが観察したフィンチという鳥が多様化の道を進んだ軌跡、生物としての自然の摂理が働くのと同じ原理があるからだという気がいたします。人間も動物だからです。だからどんなに知恵がついて生活が文明化しようとも、その摂理から逃れることはできません。万が一、人類の不幸が起きて、どこかの国がそれを実力行使で覆したなら、人類は動物であることをやめるということです。だから滅亡の危機に見舞われる。この本を読んで僕はそう確信しました。

日本は強くなることよりも、変化に適応できるようになることを重視すべきではないでしょうか。ひとつ例をあげましょう。家電といえば日本のお家芸です。みんなそう思っています。しかし今日本で売れている電気掃除機は米国アイロボット社製のルンバであり、英国ダイソン社製のDCシリーズであり、スウェーデンのエレクトロラックス社製のエルゴスリーだそうです。こんなことは10年前までは考えられませんでした。

なぜこうなったかというと、国内メーカーの製品は機能的にはすぐれているのですが、安全優先の制約にこだわるあまりロボット式など時代のニーズに対応が遅れ、デザインの革新性にも配慮が足りなかったからです。しかし時代は家電に対して、道具であると同時に遊びや面白みやおしゃれ感覚を求めていた。そういうものをテレビショッピングで求める消費者を重視していなかった。つまりスペックが良いものを安く作れば勝てるという時代ではなくなっているという時代の「変化」に対応できていなかったのです。しかしよく考えてみましょう。僕はここには逆に、これからの日本の製造業が進むべき道への重要なヒントが隠されているのではないかと思っています。

21世紀において、スペックとコストの競争で日本企業が中国やアジア諸国に勝つことは残念ながら困難でしょう。すでに半導体は完敗し、スマホ戦争では影も形もなく、有機ELのような数年前までの先進分野でも韓国の進出が顕著です。しかし日本文化、それは浮世絵でありアニメであり食文化であり実に幅広いものですが、それらが世界で注目され、若者の憧れの対象にすらなり始めています。パリの日本アニメのメッセに200万人のフランスの若者が押しかける時代ということを日本の大人は正視すべきです。

若者の感性は時代を左右します。いま20代の彼らは2030年には世界を動かしています。和の心、美意識、感性、デザインが世界を席巻している可能性だってあります。スペックよりデザインという潮流が訪れているとすれば、それは日本のすべての製造業にとって大きなチャンスにほかなりません。どんなに中国がスペックが良くて安い製品を大量生産しても、勝つ余地は充分にあるのです。隕石が落ちて気候が急変し、恐竜は滅びました。弱肉強食の摂理においては弱者であった我々の祖先である哺乳類はその変化に適応して生きのび、今の世の興隆を築いたのです。

強い者、賢い者が生き残るのではない。変化する者が生き残るのだ。戦国時代、江戸時代、明治時代の大きな政体の変化を生き抜いた我が国庶民のしぶとさ、したたかさは、実は21世にこそ真価発揮となるのではないか。いま世界で起きている諸事は、何か万事がそのお膳立てになるのではないか。根拠をあげることは難しいが、そういう気がしてなりません。1964年の東京オリンピックが高度成長の契機になったように、公的支出で3兆円、民間投資効果総計は100兆円以上ともいわれる2020年は、そういう時代の流れと相乗効果になって、今の誰もが想像している以上の巨大なプラス効果をもたらすことになると考えております。

 

失われた20年とは何だったか(前途万里編・2)

Categories:______世相に思う, 徒然に, 若者に教えたいこと

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