大晦日に「自分史の書き方」(立花隆)を読んで
2013 DEC 31 14:14:59 pm by 東 賢太郎
「年をとると1年が速くてね」。
年の瀬にこうつぶやいていた両親の言葉は他人事でしたが、今は自分がそう子供につぶやいています。速いだけではありません。「軽く」もなるのに気がつきました。1年の重みはそれまでの人生で割り算したものです。毎年分母だけは着実に増えますね。
それでも、今年は僕にとって重い年でした。なにより1年通してブログを綴ったというのは重大な体験でした。ブログは日記と違って他人様に向けて書きますからけっこう大変です。最初は読まれるかどうか誰もが半信半疑です。でも読まれます。一人だっていいのです。そうするとどうせ書くならもっと読んでいただきたくなります。読者へのサービス精神が無意識に生まれ、それが自分の生活態度まで変えます。僕のイメージですが、ポジティブで好奇心旺盛な注意深い人間に変わります。誰だってそうなった方がいいし、誰だって書けばなれます。
ところが違うご褒美があることもわかってきました。懺悔の場にもなるのです。
今年は6月に仕事の山場があって、人生初めて胃が痛くなりました。何がおきたのか実は大変に不安でした。それで胃カメラを飲んだ。それも人生初体験です。その時点で悪い結果もあり得たのですが、不安感を一人でしょい込むのはやめようとえいやっとブログに書いてしまいました。客商売の身ですからそういうことは隠すのが普通ですが、いざ書いてしまうとかえって気が楽になりました。キミね、胃痛ぐらい当たり前でしょ、という世間様の声がパソコン画面のむこうからきこえてきた気がしたからです。
先月クラス会から帰るとケータイがないことに気づき「盗まれた」と信じ込んでいました。ところが警察の連絡で電車で落としたことが発覚しました。これは胃痛よりもショックで一日落ち込んでしまい、その時点でブログにも書けませんでした。だからここに初めて懺悔することです。どうということはないように思われるでしょうが問題はなくしたことではありません。理詰めで可能性を検討したあげく、盗まれたと確信して交番に届け出ていたことです。そういうことでミスした経験はありません。
あり得ないことが起きてしまいました。自分の注意力、記憶力、判断力、視力すべての自信が一気に崩壊です。大げさのようですが、その自信で僕はここまでこうして生きてこられたのです。大晦日の今日ここにそれを記してしまって、お客様が読まれたらあいつ大丈夫か?となるかもしれませんが、しかしそれを隠して生きていても僕はさらに年を取ってダメになると思うのです。もうできないことはできません。自分へのウソや空元気からは今後の良い仕事も人生も望めないと思っています。
そうしたとき、昨日本屋で立花隆の「自分史の書き方」という本を見つけました。
「セカンドステージ(これからの人生)のデザインになにより必要なのは、自分のファーストステージ(これまでの人生)をしっかりと見つめ直すことである。そのために最良の方法は、自分史を書くことだ。」
とあります。第1章にこうあります。
自分史とはなにか
長く文章を書き続ける最大のコツ
「はしがき」と「あとがき」について
自分の歴史を記す二つの意義
「恥やトラウマ」を書きこんで自分を癒やす
最重要ポイントは「自分史年表」作り
お手本は日経新聞「私の履歴書」
書き出しについて──人はみな万世一系
自分史は「エピソードの連鎖」である
最後はこうです「人生の勝ち負けを真に決めるもの」。
いいですね。特に「恥やトラウマ」を書きこんで自分を癒やす 、というのがまさに僕が経験していることです。起きてしまったことは仕方ない、それを踏み台にして次に頑張ろうという気になれるからです。そのためには、自分の心の中でそれを消化して客体化しなくてはなりません。自信を持って言えますが、そのための恐らく最も効果的で強力な方法はブログで公表してしまうことです。何人がそれを読んでくれるかはポイントではありません。可能性としては64億人が読めるわけです。そこに身をさらす決断をする、恥や不安を文章にして解毒するということだけで信じられないほど絶大な効果があります。
クラス会では、来年は還暦だという話題で持ちきりでした。そこから僕は人生の下り坂にはいると考えています。ネガティブな意味はありません。ゴルフコースと一緒でアウトが登りならインは下りになるだけです。良いショットを打つためには下りは下りなりのしっかりしたスタンスが必要です。だから来年はその基盤づくりの一年だと考えています。
皆さん良い年をお迎えください。