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電車で化粧する女

2014 FEB 19 1:01:05 am by 東 賢太郎

化粧の歴史は古いようで呪術や魔よけという意味では数万年前にさかのぼり、ツタンカーメンの黄金マスクもアイラインを引いている。ヨーロッパでは「白い肌は肉体労働をしていない証拠」として王族や特権階級が鉛白を塗る習慣は、それが毒と知られても18世紀まで残った。そして、フランス革命をもって特権階級が衰退するとともに男性の化粧は衰退していった。いよいよ、女性だけが化粧する時代の到来となったのである。

いま僕はある業務上の理由で女性の化粧道具に多大の関心をいだいている。今まで無縁なので何の知識もない。ということで日々の子細な観察こそ大事なのである。しかし女性にとって化粧は舞台裏だろうからそう簡単にのぞくことは許されないだろう。そう思っていたら見当違いも甚だしいことが分かった。先日地下鉄半蔵門線で渋谷へ向かうと、そこそこすいた車内なのに2人も「車中化粧」に余念のない若い女性を発見した。きっとこれからデートなんだろう。

僕の対面の座席に座った黄色いスカートの彼女は「眉毛書き」だ。雰囲気から20歳ぐらいだろうがちょっと老け顔で田舎のミセスっぽい。小さい手鏡を凝視しながら10分以上かけて細めの筆でエンドの方を何度も何度も入念に塗っている。フクロウみたいに首をひねってほぼ真横からのチェックも怠らない。車中のプロなのだろう、急ブレーキで揺れても手を止める気配すらない手腕は見事だ。真正面に座ってじっと見ている僕と目が合ったかという瞬間が何度かあって、悪いと思ってこっちが目をそらしたが、やがて観察されていることをまったく気づいていないのか気にしていないのか、とにかく見ていても全然問題ないということが分かった。

もう一人はなんとドアのわきに立ったまま始まった。ジーンズにごわごわの白熊みたいなコートをひっかけた子だ。17-8ぐらいにして化粧は濃いめだろう。鏡はケータイを使用している。最初は目にたらした前髪を右に左にいじっていたが、満足できないと見えバッグから何やら取り出した。クリームみたいである。濃紺のそれをまぶたにぼかしをいれるように指でのばしながらくねくねと塗る。ひと段落してクリームをしまうとまた前髪をいじってあちこちの角度から顔を眺める。すると満足できない角度が訪れたと見え、また同じクリームが登場する。この一連の作業は実に4回繰り返されたのである。

眉毛が終わったミセスの方は横長の黒いケースを取り出してていねいに筆をしまう。筆は各種用途に適した形状の4,5本が装備されているように見えた。すると驚いたことに別な入れ物から今度は床屋が髭剃りクリームを塗るみたいな太いモコモコのブラシが出てきたではないか。いったい何が始まるのかと思いきや、それでほっぺたを勢いよくシュッシュッと掃く作業工程が開始したのである。パクパク開いたり閉じたりの口は鮒か金魚を連想した。このブラシは僕がかつて電車という空間において目撃したことのある物体の内でも圧巻の存在感を誇る。どうも余分なフェースパウダーをはね飛ばそうとしているように見えたが、あまり勢いがいいので隣で居眠りしているおじさんが飛粉を吸い込んでくしゃみでもするのではないかと心配になってきた。

白熊の方はいよいよ細めの筆が登場していた。目が小さいのを大きく見せたいと明確に意図していると解釈される部分にラインを入れ始めている。ただ悲しいことに彼女はミセスほど車中化粧のプロではない様子だ。そもそも立ったままで、しかもわざわざ人目につく側を向いてやってしまおうというお行儀は、さすがの車中化粧族からもマナーに問題と指摘でもあって不思議ではないというものではないか。微細なお絵かき作業に夢中のあまり目は極限まで細めて鏡を凝視しながら口があんぐりと開いてしまっている。ものすごい形相に圧倒され、こちらも入魂の作品のご成功を一緒に祈願するしかない心境に至っていたのだ。

2人とも渋谷で降りて行った。始める前と後で何らかの顕著な変化があったかというとそうでもないようだ。塗った後の顔もいたって彼女たち自身であった。ただ健気な女心というものをわからんほど僕も無粋な男ではない。彼氏に会う前の気持ちはよくわかるのだ。女性も厳しい競争を生き抜いているのだから。

だからこそ本稿を読まれる賢明なうら若き女性に警告したい。化粧に没入している女の顔ほどみっともないものはない。トイレでふんばっている顔に比肩されると言われても過言ではないように思う。そして、それを誰が見ているいないが問題なのではない。そういう醜態を人前にさらすのが平気ということはきっと・・・・と男は必ずいろいろとあらぬことを想像するのである。その・・・・をいちいち書いたらあなたは卒倒するだろうし、彼氏に会うのがこわくなるだろう。

化粧というものは上手にやれば年齢にかかわらず女の魅力と品格をまちがいなく上げてくれるだろう。真近で見れば明らかに不自然である舞妓の白い顔だって、男はだまされてると知っていても綺麗と思うのである。それは化粧というものに一定の節度とルールが感じられるからだ。節度とルール、これは「化粧の礼儀作法」といってもいいだろう。大事なのは所詮「ウソ」である化粧の出来栄えではない。そんなウソで釣れる男は3級品だ。礼儀ある化粧は美しいし、良いメークというのはアートでもある。

自分に相応の品の良いアートを書けるならその能力もまたその女性の美となるだろう。その反対もある。スペインの教会でキリストの壁画の修復があまりにヘタで猿みたいになってしまった事件があった。塗ったおばさんは自称は「個展を開いたプロ」で大真面目にやったようだが、キリストの顔があまりに面白いのでジョークのポップアートとしてネットで有名になっている。

化粧も顔に絵の具で画を書くようなものだ。大事な聖人の顔を素人のおばさんに塗らせる教会もなかなかだが、大事な自分の顔に大道で絵が描けるというのも五十歩百歩だ。電車の中で食事や化粧をするというのは法律にもルールにも触れないから誰も咎めないだろう。しかしそれがオナラや排泄と同じぐらい礼儀を欠いた行為であると思う人かどうかであなたの化粧の礼儀作法は決まる。男はそういうことに敏感な動物なのである。

 

 

 

 

 

Categories:______世相に思う, ______気づき, 徒然に, 若者に教えたいこと

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