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感動を仕事のモットーにする

2014 MAR 26 11:11:51 am by 東 賢太郎

人生において経験を積んでいくのは大事なことだが、そうしているうちに失っていくものもある。感動である。

若年のころ、当然だが多くのことが未経験であり、そのいちいちについて新鮮だったことはどなたも同じだろう。しかし慣れてしまうと結末がある程度予測できるようになってくるせいか驚きという感情が失せ、意外感のない物事に感動することはだんだん難しくなってしまうものだ。

僕の場合、仕事というものは人生でもっとも長いことやってきたもののひとつである。だから何が起きてももうほとんど驚くことはなく、ああそれはこうやってああやってとだいたいがすぐに解決への絵図面が描けてしまう。それがいわゆる経験というもので、それを他人さまからご信頼いただいているから仕事ができている。

出世欲や物欲で仕事をしていた時代も長くあった。ところが前者はサラリーマンを辞めると決めたらきれいに消え、後者は歳とともに衰退中だ。そうするとなぜ仕事をする必要があるんだろう。最後に残るのは感動欲しかないのかなと最近思うようになっている。それは何かが衰えたということかもしれないが、一つ人間が脱皮できるような感じもないことはない。

ちなみに、これも長年つきあっているクラシック音楽というものは感動欲をとても満たしてくれる。だから長年続いている。好きな曲は何百回もきいているから結末が予測できるどころか完全に知っている。それでもまた何百回きいても感動できるのは世の中で価値のあるものではないだろうか。そう思う人が多い音楽をクラシックと呼んでいるといってそう不公平ではないだろう。

そういう音楽を長年愛してきたということは、自分は人一倍感動ということに重きをおいて生きてきた人間なのではないかと思いだしている。結局我々は死ぬまでにどれだけ感動の喜びを味わえたかで人生が決まるのではないか。個人的に感動することは誰でも公平にできるし、いくらしても他人に迷惑にならないからそれに目標をおいても構わないだろう。

ここから10年の仕事のモットーは感動でありたいと思う。それが親からいただいた自分の性質に近く、いかにも僕らしく自然であり、そういう無理のないものは長続きすると思うからだ。何に感動するか?それが今後の人生のかじ取りになるだろう。それも流れの中で無理なく決まっていく気がするし、無理して頑張ってももう無理な年齢である。

サラリーマンは勝手なことをブログに書いたり人生を揺るがす仕事上の大勝負をかけたりはできない。僕は49歳にして最初の会社を辞めて精神的にサラリーマンを辞め、55歳で物理的にも辞め、心身衰えぬ状態で今日まで4年間の自由を得たからそういうチャンスを天からもらえた。家族の理解に助けられ運にも恵まれた。

ここからというものは、一緒にいる人たちを豊かにするための物欲はビジネスマンを続ける以上捨てることはできないが、自分の心のうちにおいては感動したいというモチベーション以外はいらないと考えている。感動のない仕事は精神のエネルギーを空費するからしたくない。エネルギーは本当に感動できる一点に集中投下したく、それが最大の結果をよぶことこそ僕の持って生まれた天命と個性という結論に至っている。

 

 

 

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