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私見 次世代の勝ち組産業

2014 APR 23 16:16:28 pm by 東 賢太郎

アガサ・クリスティが「考古学者の夫を持つといいことがあります。齢をとるほど奥さんを大事にしてくれますから」といったとか。

クラシックを考古学者ばかりが聞いているわけではありませんが、録音が古い昔の演奏だから価値がなくなるわけではないというのは一緒です。古いというのは作曲家の時代に近いということですからオーセンティック(authentic)である、つまり由緒正しいという付加価値がある気がするからです。もちろんそれは気だけかもしれず、ベートーベン本人の録音があるわけではないのですから186年前に死んだ彼の曲を80年前に演奏したのがauthenticかどうかは甚だ疑問があります。それでも彼のソナタを二十歳のピアニストが弾いたものよりバックハウスが残したモノーラル録音の方が由緒あるように聞こえてしまうというのは古典芸能であるクラシック音楽好きの性(さが)ではないでしょうか。

最近はyoutubeで昔の大指揮者やソリストの演奏がただで聴けます。著作権切れという法律的な事情で実は一番価値がありそうなものが無料で提供されるというのはおかしな世界です。それを享受する側には朗報なのですが、そういう名人たちのまったく同じ録音を何万円も出して買っていた僕らの世代からすると、どうも世の中の価値観の方が変になっているぞという気がします。クラシック音楽に限らずあらゆる古典というもの、能・狂言、歌舞伎、論語、万葉集、シェークスピアなどを味わうことは「温故知新」というプロセスそのものなのだと思います。だから論語はおろか温故知新の意味が分からない人が増えてそういう現象が起きていると解していいのかもしれません。

ところがその僕も最近はi-tuneで電子的に音源を購入することが増えました。CDという物体を買わずに済ますのはどこか物足りないのですが、いいこともあります。収納スペースが不要ということです。僕のように7千枚もCDがあると収納庫も半端ではありません。それがパソコン1台で足りるというのは、そういうものだと覚悟さえしてしまえば楽な時代といえるかもしれません。断捨離という言葉があるそうですが、「温故」をほどほどにして「知新」に徹してしまえば自分の生活のバランスシートががらりと変わるということを意味しているのかもしれません。

明治時代にそういうことがありました。徳川時代の否定です。それはちょんまげを切ることから廃仏毀釈にまで至りました。そのように、その時代や分野において当然のことと考え られていた認識や思想、社会全体の価値観などが大きく変化することをパラダイムシフトといいますが、僕の温故知新への考え方の変化は何か目に見えないパラダイムシフトが引き起こしているのではないか、最近そういう思いが強くなっています。それはおそらくインターネットの普及が社会にもたらした変化のうちでも、海洋深層水のように最も「根っこ」の部分で静かに起きているものあり、したがって最も根強い変化ではないかと感じます。

たとえばSMCを一日に1万7千人もの人が読む時が到来するなど、開始した1年半前には想像どころかSF的空想すらしていませんでした。インターネットのレバレッジ効果に驚くと同時に、その手ごたえは自分の感覚の最も根っこの部分にじわりと残って考え方の変換を迫るほどのパンチ力があったように思います。いま僕の頭には「アセットを持たない時代」というテーマが強く浮かんできています。これはビジネスにも投資にも重要なパラダイムシフトを要求するテーマであります。CD7千枚を捨てろということですから。どういうことか簡略にご説明しましょう。

産業革命以来の人類に生活革命をもたらす技術や製品が枯渇したいま、巨大な生産力を持つことの優位性は減少しています。価値観は多様化して均一の商品を大量消費する消費者も減っています。ということは資本の大きさが利潤を保証する時代ではないということです。資本を積んでバランスシートを大きくすれば良いという勝利の方程式がくずれ、かえって資本コスト、在庫リスクがかさんで損をする可能性すら出てきました。ある意味で最大の資本家でもある政府セクターが大赤字の時代なのです。資本家が損をするかもしれない世界で資本家と労働者という対立概念から派生した経済学を語ってもあまり将来の予見性は期待できないと思われます。

産業革命の波動の中で生まれた体制は、新技術、新製品がなければ利潤が得られずアンシャンレジームとなって必ず崩壊します。資本主義がなくなるわけではありませんが、変質します。それは新興国の台頭とインターネットの普及が旧体制のアービトレージを引き起こすという形で進行し、その最大の被害者は最大の受益者であった米国になります。だからいま米国は新興国いじめに走り前者の芽を摘もうとしています。しかし後者を止められる者は米国自身を含めもはや世界のどこにも存在しません。新興SNSのアクセス数が数年で大手新聞の発行部数を抜いてしまい、大統領選を左右するような現象が近未来的に起きることでしょう。

新しい資本主義の「資本」は金銭だけではなくなります。それは「信用」でつながった個人の鎖(チェーン)になります。これを信用連鎖と呼びましょう。いまフェースブックが ”おぼろげに” 作っているものがそれです。なぜおぼろげか?お金をやり取りしあうほどの信用ではないからです。お金が移動しないレベルの信用は精神的価値ではあっても、経済学的に捕捉できる価値ではありません。信用連鎖がそのレベルまでアップグレードすると初めて経済的価値を伴った資本主義の変質がおこります。

例えばオンライン・ショッピングは皆がショップを信用してこそ大規模に成り立ちます。アマゾンは信用連鎖のハブという価値をインターネット上に創造して、対面でない方法でお金を移動させ、その対価として利益を得ているのです。なぜハブに価値があるか?個々の業者の信用(a)、業者の数(b)、アマゾンの信用(c)としてa×b<cだからです。このc-(a×b)こそ信用連鎖のハブの価値であり、当初は商品展示場としての便利さや価格競争力がその源泉と思われていましたが現在では決済の安全が価値の大半を占めていると思われます。ということはインターネット決済の方法、個人の信用確認の方法がさらに進化すればいずれa×b=cに近づくことが予想され、アマゾンや楽天の利益は消滅します。

かように、ネット時代の勝ち組企業と信じられているものでもインターネットという原理の強大な浸食力に一時的に乗っかっているだけであり、原理の導く最終到達点に位置しなければ過渡期的業態として消える可能性があるということを指摘しておきたいと思います。いかなる国家権力も規制ができないインターネットは、海の波が静かに岩に穴を穿つように、原理的、不可逆的に確実に到達点に達するでしょう。この到達点がいつどこにどう存在するのか?それは波の強さと岩の性質が決めることで誰もわかりません。しかしこれは科学に似た真理探究であり、観察力と頭脳の勝負であり、僕は非常に関心を持って見ています。

1.過去の評判、歴史、しがらみとは関係なく「質の高いもの」が「数」を得る

2.資本ではなくインターネットのレバレッジが勝敗を決する

3.旧体制の最も非効率なところでそれが起こる

この3つを満たすところでまったく新しいインターネットビジネスが出現し、その成功者はアセットも社員もあまり持たずに、車や飛行機の発明に匹敵する次世代パラダイムのディファクト・スタンダードを創るだろうというのが現在における僕の所見です。その有力候補はすでに出現し世間をにぎわしているので、皆さんも新聞、TV等で名前は知っています。何だと思いますか?それについては近々に書きます。

 

Categories:______グローバル経済, 経済, 若者に教えたいこと

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