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人に頼られるということについて

2014 OCT 18 6:06:03 am by 東 賢太郎

元いた会社の人がたくさん読んで下さっているということをいろんな人からきいて知っている。だから匿名もわかってしまい、みだりに公表できないこともある。それでも本稿をいま書くのは意味がある。

もうだいぶ前になるが元の会社で同期だった男が、退職するといってきた。入社した時から40で辞めると決めていたんだよとさらっと言い放った。そこで移籍した先が何年かして上場し、株主だった奴はそこも辞めて悠々自適の生活にはいっていた。サラリーマン辞めると朝飯がうまいんだよ、初めてそう思ったよなんて。

当時あの会社に入る連中は多士済々だったが8割はすぐに退社するか2,3年で競争から脱落した。昨今のパワハラ、ブラックなどという言葉をきいてそれがどうしたのと笑ってしまうぐらい凄い会社だった。残って上に行ったのは傑物も多く、下士官クラスの時分にはもう名前が社内中に知れわたっている。それは学歴なんかでは一切なく仕事ができるかどうかだけだ。

アメリカでクラスメートなんかに「40歳でリタイアして本当にやりたいことをやるのが夢だ」なんて話も聞いていたものだから、お前はうらやましいと奴に会うたびに言っていた。本音だ。経済的に大成功でもしないと裕福な脱サラなんて夢のまた夢だ。

ところが奴はだんだん、「俺もそう思ったよ。40で夢を達成したと思った。でも最近そう楽しくもないんだよな」 とぼやく。人生カネだけじゃないんだというなら普通の話で、そうじゃなかった。何でだときくと 「だって、誰も俺を頼ってくれないんだ」 とぽつりとつぶやいた。

会社生活で年季が入ると人に頼られるという経験は誰もそれなりにあるだろう。それを意気に感じるか重荷に感じるかは人それぞれだが、奴は同期トップで部長に登りつめたやり手、押しも押されぬエリートで、チームのリーダーでもある。大勢から頼られまくっていた男であった。

さてこっちははどうなったかというと、こっちはこっちの経緯で退職すると腹を決めたのが2004年、49歳になっていた。これは人生の大きな転機になった。噂がちょっと出たぐらいで3つの会社からお誘いの電話があってびっくりした。発表されたらいくつかの経済誌に勝手記事を書かれた。

まっさきに電話があったところは上場会社で、僕が何者かを骨の髄までよくご存じだった。いきなり株主総会で常務にするからとポストを約束して下さった。社名もトップなら条件面も最高、責任と権限も非常に明確だったから心が動かなかったといったら嘘になる。お忍びで3日連続社長室で話をきいた。仕事は僕の守備範囲であった。

次に来たところはポストはいままでと同じ部長であった。上級部長らしかったが、その責任と権限は、正直のところ元の会社とあまりに仕組みが違うのでよくわからなかった。僕個人についてはそうご存じではなくその時点では元の会社のご威光で声がかかったものだった。元の会社の大先輩方がいらしてそのヒキだと元の会社では思われていたが、そっちへ話が聞こえたのはずっと後だったから黙っていたお詫びにひと苦労した。

1週間ほど考え、後者にお世話になることに決めた。理由は二つある。まず、ここだけがオファーが「プライマリー」という仕事だったことだ。僕はその業務経験がぜんぜんなかったが、いずれ独立起業するためにはそれをやっておきたかった。経験ないですよ、野球とサッカーぐらい違いますがよろしいんですかと自分から正直に申し上げたらいいと即答だった。リスクを取ってくださる、それなら僕もリスクを取ろうと思った。自信は特になかったが、だめでも他で何とかなるさという自信はあった。

二番目は、その時その会社に行けば頼りにされるかもしれないという空気がなんとなくあって、それが心に沁みたことだ。元いたところは流れが変わっていてそう感じなくなっていたことが辞める最大の原因になっていた。人間必要とされるところで働きたいのは誰も一緒だろう。しかしその時はそのことがいかなることよりも大事でハートに強く響いたことはまちがいない。

一番目はやってみたら何ということもなかった。結局、二番目の方が僕のような人間にとっては大きく、その会社を「世の中がぎゃふんと言うほど勝たせたい」と本気になる決定的な原動力になった。そして元いた会社には大変申し訳なかったが大事なところで大いに勝ち、業界ではそこそこ話題になってまた経済誌にネタを提供することになった。お金のために出ていったのでは断じてないことだけはご理解いただけているのだろうか。

だから結果論といわれればその通りだしまだ結論とするのは早いが、僕は奴とは反対のことになったと考えている。経済的に成功するか頼られるか。僕は頼られる方が大事だった。経済的に成功してないで負けているのはいまでも悔しいが。奴と特に親しかったわけではないが、元いた会社で出世頭でいながらすんなり辞めた、権威に媚びないあのいさぎよさとポリシーを貫いたひょうひょうとした姿勢。数ある優秀な同期の中で影響を受けた男のひとりである。

 

(追記、16年2月2日)

膵臓がんで亡くなった本稿の「奴」、Aがスイスに出張で来て、「お前はうらやましいぜ、こんなとこの社長、一度やってみたかった」というので日曜に山に連れて行ってヘリコプターに乗せてやった。部下だけお供して「お前は?」と不思議がったが、高所恐怖症なのは教えなかった。

 

 

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