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日本国旅券の重みー国境を考えるー

2015 MAR 8 17:17:07 pm by 東 賢太郎

ヨーロッパに12年も住んでいると国境という感覚が変わってしまう。車で行けば一応の検問はあるし、列車も席でパスポートチェックはある。しかし菊の御紋のご威光だ、面倒なことになったことはない。

これは税関の話だが、一度だけロンドン時代に家内がそこで買って着ていた毛皮のコートを日本にも着て帰り、帰英したらヒースロー空港で税関に止められて罰金を500ポンド取られた。出国時に申告してなかったミスが高くついてしまったが、しかしそんなものだ。毎週のように出張で国境を超えていたからロンドンからミラノに飛ぶといっても、今なら鹿児島へ行くぐらい。チューリッヒ時代になるとドイツ、フランス、イタリアへ行くのは車であって、まあ埼玉か、せいぜい長野に行くぐらいの感覚だ。

午前中にバーゼル近郊(フランス)のゴルフコースで18ホールやって、午後は車を飛ばしてチューリッヒでもう18ホールなんてこともあった。国境越えのゴルフのハシゴだ。まして香港時代などホームコースのひとつは国境を超えた中国側の深圳(シンセン)にあって、これがシャングリラ・ホテルの所有で大変上等でよろしい。だから気に入って毎週末そこまで車で2時間かけて行っていた。それだけで年間に100回近く国境を超えていたが、1999年の中国さえ出入はそのぐらい簡単だったということである。

こんなに国境に悩まなくていいのは世界中で日本人と米国人とEU人ぐらいのものだということをどれだけの日本人が実感しているだろう。戦争の目的は国境線を有利に引くことに尽きる。何億人という人命がそのために失われたのが世界の歴史だ。ところが速い海流で大陸と分断された日本は異民族が侵略の野心を抱きにくい天与の地理的条件にあった。だから明治まで、いやひょっとすると日清日露戦争までは、津々浦々の国民が日本国という概念を共有することにはなっていなかったのかもしれない。

国家と思っていなければ国境など意識もしない。全部海の上なのだから壁があるわけでなく実際に見たって感知はできないし、知らなくったって敵は攻めて来ないのだから。今だって白地図に海洋上の日本国の国境線を書けといわれても僕は書けない。

1994年に初めて万里の長城に登った。感じたのは、これが恐怖心の産物であり、長城の巨大さはその怖さが想像を絶するほど大きかったということだ。絶大な権勢と軍備を誇って不老不死の薬まで探していた始皇帝においてすら!長城が国境だったわけではない。国境というのは国際法という、破られても制裁規定もない法のような契約のようなふわふわしたものによって何となくお互いが不可侵だと信じている擬制にすぎない。

そんな「おためごかし」などないあの時代、長城はラグビーのモールのようなもので、どの1mをとってもそこを破られれば死を意味するホットコーナーだった。我々はこの重みを理解するにはあまりに恵まれた島国に生まれ育っているようだ。

僕は1992年にドイツに赴任した時点ではまだ万里の長城に行ったことがなかった。崩されたベルリンの壁の跡を見に行ってそれなりに感ずることはあったのだが、そんなものは世界史で習った紙の上の知識の延長にすぎない。国境としてのあの壁のもっていた天国と地獄の境目のような残酷さを理解できていなかったということは、長城の上を歩いてみて、後からやっと思いが至った。

中国人は金持ちになったがまだ外へ出れば国境は高い。学生時代に一緒のツアーの人気者だった韓国籍の子がナイアガラの滝でカナダ側に入れずほんとうに可哀そうだった。アジア諸国の金持ちが子弟を米国やカナダやオーストラリアの一流大学に競って留学させたり、スポーツや芸術の才能がある子に多大な教育費をかけたりしてあわよくば一族郎党までが移住したがる理由はよくわかる。

我々は世界に冠たる超一等国の国民なのであり、これはあの戦争の多大の被害と犠牲に耐え、焼け野原から高度成長経済を生み出して今に至る礎を築いた僕の両親世代の苦労と努力のおかげなのだ。それを後世に継承するのは我が世代として当然の義務であり、日本国旅券を手に持つといつもこころなしか実際よりも重いような感じがする。

 

(こちらへどうぞ)

百済旅行記(1)-奈良はナラである-

 

 

 

 

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