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読響定期を聴く(モーツァルトとショスタコーヴィチ)

2015 MAY 14 7:07:48 am by 東 賢太郎

指揮=エイヴィン・グルベルグ・イェンセン 
ピアノ=アンドレアス・シュタイアー 

モーツァルト:ピアノ協奏曲 第17番 ト長調 K.453 
ショスタコーヴィチ:交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」

読響は芸劇のマチネに何年か通ったが7,8年ご無沙汰だった。だいぶメンバーが変わっているようだ。

モーツァルトの17番は第3楽章の主題が飼っていた「ムクドリ」の歌ったメロディだったことで有名だが、きくたびにムクドリはどこまで歌ったのだろうと気になって困る。ミファソッソッソードーぐらいか?そのあとのシシドドレレの装飾音がピヨピヨ聞こえるからこっちもかな?

普段はハープシコードを弾くシュタイアーはモダン・ピアノを弾いた。でも、もしモーツァルトが生きてたら間違いなくそれを選んだろうしオケも現代のサイズにしただろう。もし彼が自演したらどんな風に17番をやるんだろう?そんなことを思ってしまう演奏であった。

1784年に書いた6曲のピアノコンチェルトのうち14番と17番は弟子のバルバラ・フォン・プロイヤーにあげているが彼女の父はザルツブルグ宮廷のウィーンでの代理人だったのが意味深長だ。その父の家とカントリーハウスで両曲はバルバラ嬢のピアノで演奏されたという記録がある。

ある文献によると演奏した部屋の推定サイズは14番が50㎡(15坪)、17番が100㎡(30坪)とある。僕のオフィスが21坪だからイメージできるが、これはかなり小さい。特に14番でオーボエ2、ホルン2、ファゴットはその程度の空間では相当な音量で響いたはずだ。

17番はそれにフルート、ファゴット(もう1本)が加わっているのでやはり木管の音量的プレゼンスは変わらないだろう。しかも第2楽章はそれらが活躍するようスコアリングされている。その傾向は24番でさらに顕著になるが、弦5部の人数がカルテットに近かったとみるとオケ全体の音量バランス、そしてオケとフォルテピアノのバランスは現代のイメージとかなり違うということは重要だ。

そのことは作曲時点で「私自身これまでの作品の中で、この曲を最高のものだと思います」と評したピアノと管楽のための五重奏曲K.452の存在を想起させる。私見では声楽アンサンブルを思わせ、フルートを欠きクラリネットが入っている(この時点で!)ことがモーツァルトの音響趣味をうかがう手がかりとして見のがせない。

そういう関心はサントリーホールでは無縁のことだ。シュタイアーの演奏は多少の即興をまじえながらも遊び過ぎのない硬派なものでまずは楽しめた。アンコールはソナタかな思ったらk.330の第2楽章だった。うまい人が弾くとモーツァルトはいい音を置いてるなあとつくづく感じ入る。

偏見ではないつもりだが僕はショパン弾き、リスト弾き、バッハ弾きのモーツァルトはそれだけで聞く気にもならない。それらは畢竟テンペラメントの問題だ。彼の曲は「モーツァルトみたいな四大元素の組合せの人」しかうまく弾けない何かをどうしようもなく秘めていて、聴く方だって、それに合う合わないはある。モーツァルトは名曲だが、ベートーベンがそうであるような意味での天下の名曲というとやや違和感があるように思う。

ショスタコ7番は家であまり聞かない。第1楽章の小太鼓に乗ったテーマが好きでないからだ。しかしこれは侵攻してくるナチス・ドイツを「おちょくった」カリカチュアで、11番の終楽章の野卑なテーマに通じる精神で書かれたものというのが僕の理解だ。インテリ左翼が右翼の稚気を見下す感じを内包するイノセントな主題だ。

これが好きな方には無礼をお許しいただきたいが、この部分を延々と聞いていると、人生の大事な時間をこんなものにつき合わされているわびしい無益さこそが戦争の無益さ及びそれに蹂躙された祖国の運命の悲哀を辛辣にアピールする巧妙な設計と聞こえる。ショスタコーヴィチの抑圧されたシュプレヒコールが屈折した重層的なユーモアと風刺感覚によってやむなくこの形を取って噴出したものでもあると思料する。

そうだとすれば、この曲は彼の精神史における政治闘争が生み出した芸術ということであり、政治はパブリックなものだがその衝動はすぐれてプライベートなものだ。つまり私小説であるという点で、非常にマーラーに接近したものである。彼がマーラーを好んで引用したり、ある部分はマーラー的ですらあるのは、決して故なきことではない。

11番の稿に書いたが、バルトークが管弦楽のための協奏曲でこれをおちょくったという説には組しない。むしろ7番がナチスをカリカチュア化した精神を、揶揄を強調する方向での若干のデフォルメを加えて輸入したものと解する。敬意はないが同調はあると見る。証拠はない。ただバルトークもナチスに祖国を追われ、そういう性向のある人でもあったと僕は解しているからだ。

読響のヴァイオリンセクションは気に入った。高音のユニゾンのピッチの整合もハイレベル。ヴィオラ、チェロも中音域が良く、総じて弦は満足度が高い。管はまちまちだが好演であった。

43才のノルウェー人指揮者エイヴィン・グルベルグ・イェンセンについては何の知識もないが、曲を大局的に適確につかみ骨太にまとめあげる才能を感じる。細かい部分の造り方の巧拙はこの曲ではわからないが、小さくまとまってないのがいい。

 

(こちらへどうぞ)

モーツァルト ピアノ協奏曲第12番イ長調 K.414

N響定期を聴く(ショスタコーヴィチ 交響曲 第7番 ハ長調 作品60「レニングラード」)

 

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Categories:______演奏会の感想, クラシック音楽

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