Sonar Members Club No.1

月別: 2017年2月

「ライヴ・イマジン」の皆様と会食

2017 FEB 6 11:11:47 am by 東 賢太郎

昨日はアマチュア音楽演奏集団「ライヴ・イマジン」の皆様とお会いしました。

リーダーのチェリスト西村様が一昨年末に僕のブログをご覧になったのが事のきっかけです。すぐにご連絡をくださったのでお会いすることになり、さらに話が進んで今回は神楽坂のフレンチでピアニストの吉田様、コンサートマスターの前田様をご紹介いただくランチとなった次第です。

「ライヴ・イマジン」についてはご存じのかた、ファンの方も多くおられると存じます。西村様から今後詳しくご説明いただく機会がありますが、腕達者のアマチュア有志の楽団で室内楽からモーツァルトの交響曲まで幅ひろいレパートリーをもっています。

ランチをとなったのは、一昨年のブログに僕が書いたモーツァルトに関わる「ある仮説」があり、それを読まれたイマジンの皆様がご賛同下さってそれを次回コンサートの演目に決めたとうかがったからです。この日、ご趣旨を拝聴し、それでは文責者として何かお手伝いしないといけませんねという運びとなりました。

演奏家の方々と話すと楽しいですね、楽譜上の話がちょっと歌えばすぐわかっていただけます。これは僕のような者には代え難いことです。運命作曲中のベートーベンのメモ帳にモーツァルト40番の終楽章のテーマが書いてありそれが第3楽章になったなんてものです。

第3楽章はそれにホルンのタタタターが続くわけですが、その運命動機がピアノ協奏曲第25番から来ていてもおかしくない理由もご説明しました。次回コンサートはその25番が入っており、ソリストをされる吉田様がすぐわかって下さったのは楽しみです。

コンマス前田様は最近入会した一橋中クラスメート野村くんの日比谷高校オケの後輩でもあることがわかり、世の中狭いと再認識です。ジュピターのスコアをきちっと解析した文献が意外にないというお言葉がありましたがさすが某省現役官僚でそこまで子細にリサーチされている姿勢には感服です。

ただ弾くのではなくアナリティカルな関心も持って自発的、意欲的な演奏会を組まれるというのはプロではやりにくくアマチュアの強みです。ライヴ・イマジンの皆様の音楽への愛情と熱意には可能性を感じました。5月の公演までに少々準備をいたします。

音楽は人生の伴侶

 
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60代はいろいろ大変だよ

2017 FEB 5 10:10:34 am by 東 賢太郎

母を見舞いにいったら親父が「今日で62だね」と覚えていてくれ、しばらく考えて、「60代はいろいろ大変だよ、でも70代、80代とだんだん楽になってくるからね」と言ってくれました。92才の言葉です。ただただ、うなづくのみです。

親の有難さかなですがそんな先は考えたこともなく、60代すらこのままの勢いで乗り切れるのかどうか。母に付き添って病院に一日いて、人は生きているだけでも大変なことなのだという思いが強くなっています。

62才をもって自分がどこの誰であり、どこで何をしてきた人間かはきっぱりと忘れることにしました。それほど大事なものではなく、その延長にはたぶん自分の思うほどのものはないからです。そんな時間はもうありません。

ブログはSMCに1395本を書きましたが67万人のご訪問は4年前には想像もしませんでした。料理のレシピのようなお役立ち情報はないのに多くの方とこうしてつながっている実感はかえがたいものです。ほかのSNSはしていませんが、わかる気がします。

これからすることは、最期の時になってそばにあって欲しいもの。そういうことになります。それ以外はなくて困らないことを学びました。おそらく60代は父の言うように大変な時期で、きっと皆さんも、人生の先輩方も、そうやって乗り切っておられるのだろうと思います。新しいチャレンジです。

 
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62才でふぬけになる(プライドの捨て方)

2017 FEB 4 3:03:26 am by 東 賢太郎

おかげさまで本日をもって62才を迎えることができました。とりあえず元気で健康であり、こうしてSMCにブログを書かせていただいて4年と3か月ほどたちました。

何才まで生きるかはともかく80才までこの調子でいけるとして、人生を「箱根駅伝」とするならいまどの辺を走ってるのだろう?

さっき計算してみました。

8区をあと5キロで終える所

なんです。遊行寺をすぎて戸塚中継所に向かうあたりですね。テレビ放送だともう1月3日のお昼あたりです。おいおい、あと9区、10区しかないじゃないか。

つまり客観的にはもう押しも押されぬジジイなんですね、ところがどういうわけか、たまにしかやらないジョギングをしてると「なんだ高校時代とかわらんぞ」という気持ちにどんどんなってきて10キロ走ってしまい、まだマウンドに登って100キロぐらいの球は投げられそうな気もしてしまいます。強がりでなく願望でもなく、普通にまじめにそう信じられてしまう俺って何なんだろうと思うわけです。

これはやっぱり性格だろう、楽天的にポジティブ思考に生んでくれた親のおかげだなという結論に至るのみであります。

せっかくいただいた性格だから命じられるままに生きてますが、ときどき邪魔してブレーキを踏むのが「プライド」ということがわかってきました。そんなのいまさら、とか、柄にもないとか、ですね。

迷わずにやったのが起業でありSMCでもあったのですが、もっとできることがあった。でもしょうもないプライドや自意識が邪魔したんです、アイツに言われたことはやりたくないとかですね。

『世界の村で発見!こんなところに日本人』という番組があって、いつ男が出てくるかと見てるとぜんぶ女性ですね。あれは男はむずかしい。男は自分の居場所を作るのにプライドをかけて戦ってしまうから、わざわざアフリカの奥地で現地の男とそれをやろうなんて思わないわけです。

では日本にいれば?60才にもなれば一応の居場所があって、そこに安住すればプライドは保てます。これをどう思うかです。

僕はプライドをかけて守るほどの居場所はもってません。いまの世の中、みなさん可愛いのは自分だけです。他人の実績や勲章なんか誰も関心ありません。そんなのを巌窟王みたいに守って死んで何になるのか、自分の心さえ許せば過去は全部捨ててしまっても実は何も失うものはないということに気がついてきました。

野村證券を辞める時でした、部員の前でそれを断腸の思いとかなんとかカッコつけて苦しいスピーチをし終わって、ああこれで俺は人生捨てちまったのかなという気がした、そしたら女性が小さい声で「すてきですね」と言ったんです。あれ何のことかわからなかった。いま何となくわかってきたんですね。

ところが、男は捨てられない、守らないとプライドが傷つく気がする。それを守って死ぬのも立派な人生と思いますが、楽観的に生まれついてる僕はそんなのはキレイに捨てて、違う人生をやってみたいと本気で考えるようになってます。

仕事を変えるということではなく、生き方、人間を変えるということです。デビッド・ボウイの回顧番組があって、彼は6,7回も意識してミュージシャンとして過去を捨てて「別人」になってきている。あれすごいな、かっこいいなと思ったわけです。

僕は一生いまの仕事をします、それは変わらないが、デビッド・ボウイのスタイルで進化したいなあと思います。あと9区、10区しかない。止まったら駅伝はおわり。プライドはゼロのふぬけになってみよう。

 
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噛まないライオン(米中もし戦わば)

2017 FEB 2 22:22:57 pm by 東 賢太郎

トランプのブラフ戦略は続きます。最大の敵である中国とはチキンゲームになるため、張子の虎ではないぞのデモンストレーションが必要です。敵ではないがそこそこ存在感のある日本、豪州は格好のたたきのターゲットでしょう。それに一喜一憂する必要はないと思料いたします。

中国は中国で同じく示威を行います。昨年末の空母・遼寧の太平洋航行は記憶に新しいところです。

ryounei

遼寧が第一列島線(地図の左のライン)を越え、西太平洋で訓練するのは初めてです。ウクライナ船のお古で大したことないという声もありますが、上海でも三隻目の空母を建設しているとされ、遠洋航海と訓練、装備検査の役割を分担できるため、中国の戦略的運用能力が拡大するといわれます。

china

遼寧が第一列島線をクロスしたのは宮古島と沖縄本島の中間です。危機感を懐きます(西表島(いりおもてじま)紀行)

ここに登場したトランプですが、きっと正義の味方だ月光仮面だスーパーマンだとそこはかとなく期待されている空気もございます。本当にそうでしょうか?我が国が懸念すべき究極のリスクはここに記しました(トランプに想定する最大のリスク)。万一こうなると、日本経済はおろか、国防上の不安は戦後最大警戒域となるでしょう。

そう、我が国は『嚙まないライオン』なのですね。かつては北方の白熊を倒した百獣の王でしたが、いまや捕獲され牙をぬかれ爪も切られ、「大丈夫です、噛みませんから」がサーカスのウリになってる。図に乗って頭を2,3発なぐって逃げる「ヒーローごっこ」が最近は近所のガキのブームとなっているようです。

lion

「少しは野生に返してやったらどうだ」なんて声もあがりますが、なんとライオンに食わせてもらってるサーカス団員のピエロや猿回しにライオン嫌いがたくさんいて、そんな声をつぶしにかかるのです。

まあサーカスで芸達者になってエサが増えたのはいいんですけどね、でかい虎が見下ろしてるのにこれはないんじゃないでしょうかね。

lion1

tiger推薦図書

「米中もし戦わば」

非常に面白い。著者はトランプが国家通商会議(対中政策の目玉として新設)の代表に選んだカリフォルニア大学アーバイン校のピーター・ナヴァロ教授。ちなみに本書の原題は、

Crouching Tiger

(うずくまった虎)

もちろん中国のことです。

 

 

(こちらへどうぞ)

金正恩のさらなる高笑い

 

金正恩の高笑いが聞こえる

 

 

 

 

 

 

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メシアン「8つの前奏曲」と「おお、聖なる饗宴よ」

2017 FEB 2 11:11:07 am by 東 賢太郎

僕がメシアンに興味を持ったのは音と色彩の共感覚への関心からです。以前にブラームスのクラリネット・クインテットの稿で書いたものですが、

「僕の色覚が他の人と共有されていないのであくまで自分が知っている色としての話になるが、レ(D)の音(これをブラームスのヴァイオリン協奏曲の出だしの音と覚えている)はオレンジ色、 ミ♭(E♭)の音(これをシューマンのラインの始めの音と覚えている)は青緑色のような気がする。こういうのを共感覚と呼ぶらしいが、12音のうちこの2音しかないからそういうものではないだろう。ただニ長調、変ホ長調にはその色がついて見える。 ニ長調の並行調であるロ短調を主調とするこの五重奏曲はクラリネットの質感(クオリア、これも赤色系の暖色だ)によってオレンジ色が増幅されて感じる。それがこの曲特有の粘着質のコード・プログレッションのクオリアを増幅して、こちらの気分と体調によっては誠に強い効果を及ぼしてくる。第2楽章はところどころで鳥肌が立っては消え、平静な鑑賞ということがかなわないことがある」

ということがあって、僕はこの五重奏を名曲と思いながらどこか敬遠してしまっているのです。「コード・プログレッションのクオリア」というのは非常に強い心理作用があって、正月に整理していた書庫から大昔に自分で作曲した楽譜が出てきて、書いたことも完全に忘れていたのを弾いてみると「強い作用」がある。そういう、ある意味客観的に、まったく恥ずかしい話なのですが和声の化学変化の発見メモとして自画自賛の心理になっています。

メシアンが子供のころクリスマスにもらったドビッシーの「ペレアスとメリザンド」のスコアをボロボロになるまで読み込んだのは有名ですが、このスコアは僕も尋常ならざる何ものかを感じており、このビデオでメシアンはオペラ冒頭主題を二カ所弾いて最初を「灰色がかった紫」、二つ目は「青みがかったオレンジ」といっています。貴重な証言です。

青緑色の変ホ長調の曲を僕は異常に好きであり、モーツァルトが39番をニ長調で書いていたらどうだったろうと思いますが、恐らくそういう理由で半音低い古楽器のオレンジの39番は忌避しているわけで、同じ評価はしなかったかなと思います。ブリュッヘンは同曲の尊敬できる解釈者でしたが、それが理由で実演をあんまり集中して聞けなかったのが残念でした。

「トゥーランガリラ」、「彼方の閃光」になぜ妖しい魅力を感じるかというと色彩の嵐を感じるからです。前者の生々しいライブをロンドンで聴いて「脳に電極をさしこまれて色を見る感じ」とつぶやき、先輩が「おい、こわいな」と漏らしたのを覚えています。そうとしか表現できない感覚があって、そういう音楽はメシアン以外にいまだに出会っていないのです。

彼の発想の根源にドビッシーがあるのが興味深い。プレリュードⅠ・Ⅱ巻は万華鏡のような色彩の嵐ですが、その脈絡でメシアンを聴く、つまり三和音の耳を断ち切って空虚な頭で色だけを追うとだんだん違う世界が見えてきます。少々の慣れはいるのですが、とにかく聴き込めばいい。ここへ至ると豊穣な果実が得られるのは驚くばかりです。

ブーレーズはメシアンの弟子でその色彩を受け継ぎますがルネ・レイボヴィッツが指揮したシェーンベルクの木管五重奏曲作品26を聴いて衝撃をうけセリーに入っていきます。両者が合体してル・マルトー・サン・メートルができた。アフリカ、ガムラン、日本のスパイスが混入するのもドビッシー、メシアンの末裔ゆえですが高等数学をやった感性で独自の異界の色彩へと進みます。

末裔が出たのは彼らの色彩を技法化するメソドロジーに普遍性があったからです。それをお示しするのが以下の若書きの2作品であります。

メシアンがプレリュードのスコアからくみ取った色彩、彼が受け取った「強い作用」の痕跡はまずこの20才の作である「ピアノのための8つの前奏曲」に残っています。第1曲にはペレアスが聞こえるのが興味深い。

もうひとつ、ドビッシー夜想曲に「楽器」として女声が使用されるように声のクオリアは両者の和声表現に好適に思えますが、代表作にそれほどは使われなかったのも面白い点です。ドビッシーの歌曲とペレアスは音韻(フランス語)と一体化した独自のものですが彼自身それ以上は踏み込まずシェーンベルグがピエロで画期的な新領域を開きました。

メシアンがペレアスの詩的コンテクスト、音韻にどこまで反応したかはフランス語がわからない僕には不明ですが、オルガンを楽器とした点で違う道を行った彼には声はピアノ、打楽器と同様に単色の楽器であり、神性の領域ではむしろ不要だったと推察しております。

29才の作である「おお、聖なる饗宴よ」(1937)はドビッシー「シャルル・ドルレアンの3つの歌」の豊饒な和声の世界がエコーしてきこえます。メシアンの和声感覚の個性が声だときわだって感知できるのは非常に興味深く思います。

この2作はパリで進化した「色彩の系譜」の原点に当たるものとして注目しております。ここからセリー、偶然性等の技法の進化に囚われず色彩を極める作法が出なかったのは不思議なことです。それだけメシアンの天才が抜きんでていたということでしょうが、キリスト教の神の法則の支配に必ずしも服さない日本人、たとえば武満がそれに近かったでしょうが、その系譜が栄える可能性を十分感じます。まだ美しい音楽がそれで書けそうな気がするからです。

(ご参考)

メシアン トゥーランガリラ交響曲

ブーレーズ作品私論(読響定期 グザヴィエ・ロト を聴いて)

シェーンベルク 「月に憑かれたピエロ」

ストラヴィンスキー バレエ・カンタータ 「結婚」

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メシアン「彼方の閃光」を聴く(カンブルラン/ 読響)

2017 FEB 1 1:01:07 am by 東 賢太郎

messiaenメシアンに凝ったのは大学3年、上野の文化会館音楽資料室で近現代のLPを片っ端からあさったときだ。春の祭典の完全記憶からクラシックに本格参入し、しばしモーツァルトより近現代がずっと優先の時期がつづき、ストラヴィンスキー、バルトークに始まってベルグ、シェーンベルク、ウエーベルンを経ていよいよメシアンに行き着き、資料室でトゥーランガリラと世の終わりのための四重奏曲の妖しい魅力にはまってしまった。下宿のこたつで彼のオルガン曲をヘッドホンで聞きながら寝ると眠りが深いという妙な事態に至ったりもした。僕のクラシック歴はちょっと変である。

後年、真夏にまばゆい純金色の妖艶で極彩色の輝きを放つバンコックの寺院に行くと何の前ぶれもなく「アーメンの幻影」が頭にシャワーのように降って来て、これは何だと仰天した破壊的な記憶がある。2010年にパリに行ったとき、ふとその衝撃がやけに懐かしくなって、メシアンがオルガニストだったひと気のないサントリニテ教会の暗い空間にしのびこんで1時間ほど一人で黙とうした。あの空間の、真夏なのにひんやりと冷たい空気の震えに肌で覚えたソノリティ、あれがメシアンの質感、クオリアなんだと確信した。

メシアンの音のクオリアの要素はオルガンと鳥と打楽器である。管弦楽はそれを模しているしピアノ曲であってもその絶妙な配合で成っているといって過言でない。メシアンを聴くとはその色彩を肌で感じながら頭はからっぽで瞑想するということだ。11楽章の「彼方の閃光 」のオーケストレーションも、トゥーランガリラより線へのフォーカスは減じているが、同様に3つの配合で比率が違うだけだ。彼方の閃光は金管合奏の「キリストの昇天」の和声で始まり鳥およびオルガンの祈りにより比重を置く。

隣の人がずっとおやすみで時折いびきが響いたが、実に不思議なもので、この音楽はそれをも自然に飲み込んで流れるのだ。エメラルド寺院で横臥の姿勢で仏像に祈る人々の姿が幻視でうかび、サントリニテの空間にこつーんと響き渡る靴音を思い出す。思考を無にしてあの世に解き放つような、異界の接点のような、初演までに彼岸に旅立ったメシアンがおそらく最期に見ていた世界ではないか。

終曲「キリスト、天国の栄光」で弦が玄妙な和音を延々と奏で続ける。天国への川の流れであり太陽の淡い光彩のゆらぎでもあり、時間の流れがおそい。あたかも旋律がきこえるかのように流れるが、和声の脈絡は希薄であって意識はよりどころを失って虚空をさまよう。弦楽合奏が pp に消え入る最後まで密かにシャラシャラと鳴る金属打楽器が「世の終わり・・」の高音部にちりばめられたピアノのようだ。ああやばい、またバンコック行きたくなった。

カンブルランのこれが聴きたいがために読響の定期を買った。はたして、よかった。オーケストラも好演、貴重な機会に深謝である。

(ご参考)

メシアン トゥーランガリラ交響曲

 

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