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モーツァルト ピアノ・ソナタ イ短調 K.310

2017 DEC 3 23:23:11 pm by 東 賢太郎

N響/デュトワでラヴェルを聴く。スペイン狂詩曲が圧倒的に良かった。ピエール・ロラン・エマール の左手も楽しんだ。ラヴェルにいま思うことは、42才でお母さんを亡くしておかしくなったことだ。作曲のペースは大幅に減衰して、それから20年生きるが小品を入れても計14曲しか完成できなかった。悲しみ、喪失感という言葉で片付けられることではない。ただ、彼の場合それが作品に現れることはなかった。

モーツァルトの母マリーア・アンナの死は旅先のパリで突然訪れた。「私もウォルフガングもおかげさまで元気です」と夫レオポルドに宛てた6月12日付けの手紙が我々の知る最後の声で、2週間病気と戦い、7月3日夜10時21分に世を去った。モーツァルトは平静を装う手紙で母の死を父に伝えるが、内実はどれだけの衝撃だったことか。名曲ぞろいであるK.310からK.333のピアノソナタ5曲が「パリ・ソナタ」と括られ、6月18日のコンセール・スピリチュエルの演奏会で初演されたパリ交響曲にその陰がないことも一因となって、長らく世間では「モーツァルトは絶望の悲しみから明るい作品を作った」と解釈され、そのような人物像が形成されてきた。しかしそれはちがう。アラン・タイソンのX線解析等により5曲のうちの4曲は1783年以降、ザルツブルグまたはウィーンでの作という説が有力になったが、イ短調ピアノ・ソナタ K.310は唯一その時の作品であり、モーツァルトの慟哭が刻印されているからである。

22才ともはや神童ではない彼がパリでピアノ・ソナタを委嘱されたり披露の場を与えられた形跡はない。あくまで大人の作曲家として、職を得るための商品としてパリの貴族の口に合う意匠の限りを尽くしたのがパリ交響曲であることを考えると、暗さ、恐怖、叫びに満ちた楽想を持つK.310はおよそ大衆の人気を博す商品とは言い難いのである。

「小オペラを書いてもわずかしかもらえません。もしそれが不運にもあの馬鹿なフランス人どもに気に入られなかったら、一巻の終わりです」(7月30日、父への書簡)

そんな作品がその街で書かれ、自筆譜にひっそりと「1778年、パリ」と記された。聴けば聴くほど衝撃を与える「音楽上の事件」が音符で書きこまれたこの作品が母へのレクイエムでなくて何だろう?

 

第1楽章 Allegro maestoso

冒頭に付された装飾音d#(根音aのトライトーン、いわゆる悪魔の音)がこのソナタに含まれる尋常ならぬ不穏さを予感させる(リリー・クラウスはこのd#を引き伸ばして強調しているのが意味深い)。第2小節のa-g#の長7度は秘匿された軋みだ。

彼がハ長調、変ホ長調で愛用する行進曲のリズムとマエストーソの表示が短調で現れることも異質に響く。いや、モーツァルトの楽曲群に深く馴染んだ耳にはむしろ異様で怖くすらある。展開部(3分6秒)はこれがハ長調になり、なるほどこれが元の着想だったのかと思うほど自然だが、そのリズムによる嵐の如きパッセージが襲いかかってきて唖然とする(3分21秒)。長7度を転回した短2度が軋み、地獄の様相を呈する。この怖さは何なんだろう?

浅草寺二天門の持国天

私事で恐縮だが、小さい頃、家族でお墓参りの帰りによく浅草寺に行った。雷門の両側に怖い神様が立っていて、「悪いことをすると地獄に連れていかれるよ」とでも言われたんだろう、夢に出てきてうなされた。後に雷神・風神だったと知るわけだが、あれが僕における怖いものの原型になっている。さらに後になって東側の馬道通りに出る二天門の神様を見て怖気づいた。それがこの持国天である。モーツァルトの音楽に不似合いと思われるだろうが、僕を怖がらせたのは掘った仏師の気迫と思われる。何かあったんだろうかと訝るがごときだ。作品は人間の真実を投影することがあって、ベートーベンの場合はエロイカがそれだ。仏師も音楽家もそうした作品に出合ってそれをまねようとするが、破格の才能があってもなかなかできない。成し遂げること自体がおおよそ難事であり、それを乗り越える膨大なエネルギーがいる。そしてそれが何に由来するかというと、人生における難事を克服したことではないだろうか。

モーツァルトだってそういうものは少ない。死ぬ直前になって、どんな難事に襲われたのか、何が起きたのかは知られていないが、魔笛とレクイエムという “そういうもの” がある作品を書いた。彼が意図して怖さを演じたと思われるドン・ジョヴァンニにそれは多少は感じるものの、見かけのおどろおどろしさの演技、演出は地獄落ちの場面で極点に達して一応の成功はみているものの、音楽そのものにぞっとさせるもの、夢に出る持国天の形相の如き畏敬の恐怖はない。もしあるなら彼はそれを序曲に使わなかったろう。つまり、彼とても音符をどう連ねてどう細工を施そうと出てこないものは出てこないものがあるのだ。これを形容する言葉を僕は知らないので、「形而上学的」と英語の「haunting」を足して2で割ったようなものとしか当面の所は言えない。そのどちらも、分解してさらに別な言葉に置き換えようとするとだんだん実体がなくなってしまうから、そんなものはないのだと反論されても仕方ない。でもあるんです、お化けや妖怪じゃないし見たことはないのだけれども。

ピアノ・ソナタ イ短調 K.310にそれはあって、あることだけは感知しているが、僕はなんとかそれが湧き出ている箇所だけでもつきとめて皆さんに開示しようと空しい試みをここでしている。でも結局、理性の弾は尽きてしまい、科学的思考や分子論では解明できない領域がこの世にはあるのだと匙を投げるしかなくなっている。ただ、そうした怖いものはシューベルトにもシューマンにもあるし、クラシックと呼ばれて何百年も生き残る作品には何かしらお化けが棲みついている。我々は楽しみ、娯楽というよりも、怖いもの見たさで何度も引き寄せられているかもしれないとさえ思う。モーツァルトにはシューベルトの梅毒やシューマンの狂気(これも梅毒由来と思われる)のような、やがて自分はそれで死ぬだろうという悪魔が日々近寄ってくるような恐怖というものはなかった。しかし一方で、パリでのどん底の半年で母を失うという強烈なトラウマがあった。

それ以上深入りはしないでおこう。そのトラウマが痛切に、明々白々に、刻印された唯一の作品がピアノ・ソナタ イ短調 K.310だったのであり、しかし、そこに噴出した黒いマグマのようなものは、母の死の原因は自分にあったのだという後悔しようもない自責の念となって心の奥底に固く封印されたのである。だから母の死を知らせる父への手紙にそれは微塵も出てこない。そのことは「父にショックを与えないように気遣いした」と後世に解釈され、それは確かにあったとは思う。しかし、あったにしてもそれは彼の驚嘆するほど強靭な理性の働きなのであって、その裏には彼が父にも自分の潜在意識にも隠しておきたかったもの、つまり、彼とて制御の効かない慟哭、感情の慄きとともに罪の意識というものがあった。人間だから当然ではないか。ショックを与えないように完全犯罪の如く細心の施しをしたのは、どうなってしまうかわからない自分の心に対してだったのだと僕は確信している(ちなみに、それに気がついたのは、僕自身が母を亡くした2017年、即ちこのブログを書いた年の5月だった)。

彼の手紙の文章は(作文も英語でcompositionであるように)、彼の書き連ねた音符と同様、精神作用の産物に他ならない。表面はもちろんロジカルで理性的だが、それを選び取った心の深層にはもちろん感情がある。彼が母の死後にザルツブルグへ帰って書いた作品群も、母の死を理性で塗り固めて書いた父への手紙と同様に、死というものへの慟哭と慄きを封印して、それを書くに至ったTPOに応じてそれなりの “鎧(よろい)” を着せられている。ウィーンに定住してからの作品ではそうしたくびきを解いて体当たりでそれをぶつけるものさえ現れてくる。「フィガロの結婚」のリブレットの底流にはボーマルシェが封じ込めた血の匂いが漂っているが、もちろんそれをオペラに入れこむことはできない。だから、その黒いマグマは別の器に溜めこんでおいて、ピアノ協奏曲第20番、24番という異形の作品に結実していったのである。

ピアノ協奏曲という自分の名技を披露する場で「なぜ当時に類がない暗くて受けは良くないであろう短調の協奏曲を作ったのか?」という古典的な疑問はほとんどの解説書に披露され、しかも満足な解答が与えられていない。簡単なことだ。マグマは捌け口が必要だったのである。なぜなら、すべては母の死のトラウマから発していて、自分の心にショックを与えないように細心の施しが必要であり続けたからである。それは大嫌いなザルツブルグに負け犬同然で戻って悶々としていた2年半、すなわち、ウィーンに出てきて結婚する前の2年半にも、ぽつぽつとだが、どう考えても明るいハレの気分の作品であるディベルティメントやセレナーデのようなジャンルに短調楽章として顔をのぞかせていたことでもわかる。人気の問題ではなかったのだ。

第1楽章からかなり寄り道してしまったが、もう一ヶ所、そういうものをお示ししておく必要があるだろう。提示部ではハ長調だった第2主題(43秒~)が、再現部では反転してイ短調になるところである(第104小節、4分50秒)。ここに交響曲第40番終楽章が伴奏の左手に現れどきっとする。

ト短調交響曲も、源流がピアノ・ソナタ イ短調に発する流れの係累であって、大河ではないが深い地中の溝を流れる強く清冽な地下水であった。3年後に彼の命が尽きるまで消えないものであり、彼はそれを止めることはできないが、父への手紙を書いた日から心の奥底に固く封印してきたのだ。ピアノ協奏曲第24番と同じく最初から最後まで短調で通すこの交響曲の流れは、3年後にレクイエムへと漂りついて、ついにそこで永遠に途絶える。

 

第2楽章 Andante cantabile con espressione

K.332の第2楽章と近親関係にあるのは両者を弾いてみるとわかる。しかしK.332で深々と描かれる天国の情景は、K.310ではハ長調ーハ短調と推移する部分に続くこの恐るべき運命の鉄槌と叫び声で分断される(3分10秒~)。鬼の異界から冒頭の平安に回帰するp、ppの部分はパミーナのアリア(魔笛、 “Ach,ich fühl’s”)を予感させる。何というものがモーツァルトに降ってきたんだろう。

この衝撃的な部分なくしてベートーベンはエロイカ第2楽章のこの楽節を書けなかったのではないだろうか(下のビデオ、9分02秒~9分34秒)。

 

第3楽章 Presto

マエストーソのソナタ形式であった第1楽章とはあまりに非対称な楽章だ。ロンド形式であっという間に過ぎ去ってしまう悪魔のブルレスケはショパンの2番のソナタの終楽章さえ思わせる。熱にうかされて狂ったような短調、長調の逡巡ともつれ、これほど錯綜、分裂したモーツァルトは他に聴くことがない。ベートーベンの悲愴(やはり8番目のピアノソナタ)の第3楽章、熱病のようなショパンのソナタ3番の終楽章に正当な血脈を継いでいると感じられないだろうか。

私見だが、K.310は明朗で屈託ないK.309の続編としてマンハイムで第1,2楽章が構想されていたのではないか(書法が管弦楽的だ)。それもハ長調の曲としてだ。母の死に叩きのめされたモーツァルトに聞こえてきたのが短2度が支配する地獄の嵐と運命の鉄槌だった。全曲は短調に反転し、新たに書き加えた第3楽章は死神の音楽となった。

そこに、泥沼の蓮の花のように白く浮かぶ、心を優しく慰撫してくれるような中間部がやってくる(1分21秒)。しかし、ちらっと姿を見せる花の正体が何か僕にはしばらくわからなかった。やがて、そこにどこからともなくフルートの音が脳裏で重なってくると、ある瞬間、それが「フルートとハープのための協奏曲」(K.299)の第3楽章だと気がついたのだ。そして、涙がこぼれてきた。

 

「ヴォルフガングは仕事をたくさん抱えています…ある公爵の為に協奏曲を2つ書かなければなりません。フルートの為と、ハープの為にです。」(4月5日、パリ到着後、母アンナ・マリーア・モーツァルトがレオポルドに充てた書簡)

 

(ご参考)

モーツァルト ピアノ・ソナタイ短調の名演

(追記・2021年9月6日)

第1楽章の第3パラグラフ(私事で恐縮だが・・)以下を追加、改定した。第2楽章以下は原文のまま。

 

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