マイケル・ティルソン・トーマスの訃報(2)
2026 APR 30 13:13:04 pm by 東 賢太郎
興味あることには記録魔だ。理由はなく、そうしないと気が済まない。書いておいて報われたことはあまりないが、1万はくだらないレコードやCDはいつどこで何を買ったかトレースできるから時代時代のタグにはなる。おかげでさっき棚から取り出した1枚のレコードを眺めながら、ああこれか、そういえば行き先でちょっともめたよなあ、でも彼女のおかげでまとまった、今頃どうしてるかなあなんて、もしこれがなければ過去の闇に埋没していただろうメモリーがひょっこり頭をもたげてきた。
それがこれだ。
買ったのは1978年8月、日にちはパスポート見ないと分からないけど、バッファロー大学から日本人グループでツアーしたカナダのトロントで立ち寄った市内のレコード店(A&A RECORDS)で見つけた。ここにマイケル・ティルソン・トーマス(MTT)が現れる!
MTTの「カルミナ・ブラーナ」でショックをうけたのが1977年4月。MTTがボストン交響楽団を振ったドイツグラモフォン盤「春の祭典」を買ったのは1978年5月31日だ。録音されたのは1972年だから発売はその頃で、僕としては15枚目の春の祭典だから随分遅く、 恐らくなめていた。ところが買ってみるとこれまたカルミナと同じぐらいショックを受ける大変な演奏だったのだから彼の名前は焼きついた。前稿に「バッファロー大学のプログラムを選んだ理由に、MTTを生で聴けるかもしれないという期待があったのではないか」という仮説を書いた。ひょっとして語学研修なんかより実はそっちがメインだったんじゃないか?ところが想定外だったオケの夏季休暇であてが外れた。悔しさのあまりトロントでMKTのピアノ連弾の春の祭典を買った可能性は否定できない。もうここまで来れば、刑事コロンボに状況証拠で追い詰められた犯人みたいなものだ、下心がなかったという申し開きは通用しない、真面目な向学心だと期待してくれた父には申し訳なかったことになる。しかしだ、この経験がなかったら英会話はお粗末なままで、野村証券の留学選抜試験を通らなかった可能性は大いにある。ならばMTTサマサマだったじゃないか。結果オーライ。そういうことにしよう。僕のポジティブシンキングの資質は多分に父由来だ。今頃天国で笑ってるだろう。
トロントで買ったレコードだが、以下、ストラヴィンスキー研究家ローレンス・モートンのライナーノートから抄訳する。ここでMTTとラルフ・グリアソンが弾いているピアノ連弾版は、一般に知られるコンサートピース用に編まれたオケ版のピアノリダクションではなく、バレエマスターが振り付けを考案してダンサーのリハーサルを行うためのものだ。初の公開演奏はこの2人がロサンゼルスのマンデーイーブニングコンサートで1967年11月6日に行ったもので、ストラヴィンスキーはそれ以前にこの版がコンサートで弾かれた認識はなかった。とはいえ1913年に出版はされて存在は広く知られていたゆえ半世紀後に「初演」と銘打つのがはばかられるかもしれないが、「初録音」なら法的な正統性を主張できる。 春の祭典は1911年夏に着想され、翌年11月17日に完成しているが、ディアギレフのロシアバレー団はヨーロッパツアー中であり、 12月にベルリンでダンサーのリハーサルが始まり、このピアノ連弾スコアが、少なくともその主だった部分が使用されたと思われる。リハーサルはブダペスト、ウィーンで、そして翌年初めにロンドンで続けられた。ただそれ以前にこの連弾スコアは未完成の状態ではあったが友人の間で演奏されていた。そのひとり音楽評論家のルイ・ラロイはストラヴィンスキーとドビッシーの連弾を彼の自宅で1912年の初春に聴いている。公開演奏は1台のピアノで行われたが、当録音は下の写真を見て分かるようにストラヴィンスキーのリコメンデーションにより2台のピアノで行われた。交差する手の衝突を避けるためであり、また、第1部序奏のような4手に余る細かい音符は多重録音も行なっている。発売日が記載されていないが1978年に買っているのだから1967~ 1978年であることは間違いない。
4手盤は連弾、2台ピアノと多くの録音があるが、ボストン盤に通じるリズムの切れ味、パッセージのクラリティ、打鍵の強さが和声の味を消していない点でこの録音は未だに凌駕されておらず、当時ピエール・ブーレーズの弟子だったMTTの破格の才能を如実に刻印した宝物のような録音であり、ピアノが達者だけの人が腕自慢のショーピースとして春の祭典を選んだとしても、この曲の内奥に潜むマグマの凶暴なエネルギーや未知の星で起きている如き不可思議の神秘性をここまで描き出すのは困難だろう。
そして最後にいよいよボストン盤だ。 28歳の若僧の指揮という偏見はレコードに針を落とした瞬間に吹き飛んだ。 これは我が家の棚にある89種類の春の祭典のうちで、ブーレーズ・クリーブランド盤に並ぶ歴史的名盤と断言する。昨今は新しいサンフランシスコ響とのCBS盤の陰に隠れたような扱いだが、とんでもない。比べるべくもない。人間は若い頃にしかできないことというのが誰しもある。それに加え、間違いなく世界の名ホールの5本の指に入るボストン・シンフォニーホールのアコースティックを見事に捉えた録音はそれだけでも名品の名に値する。木管は水も滴るように艶やかに彩られ、ティンパニは皮の張りが見えるほど音程の良さを誇り、ブラスは混濁がなく非常に強靭だ。我が家のB&Wのダイヤモンドツィーターからくっきりと浮き出てくるブラッシーなホルンの咆哮は恐るべしで、何度聞いてもここまで耳目を驚かせつつスコアの正当性ある解釈の風格を漂わせる演奏は他にひとつもない。マイケル・ティルソン・トーマスさん、あなたはこれからも永遠に僕をエンターテインしてくださると同時に、あなたが思っておられた稀有の才能によっていま僕がここでこうしていられる基盤を築くきっかけになって下さったという確信を持つに至っております。ありがとうございます。安らかにおやすみください。
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