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読響定期 エルガー「ゲロンティアスの夢」

2026 APR 29 12:12:18 pm by 東 賢太郎

指揮=アイヴァー・ボルトン
天使(メゾ・ソプラノ)=ベス・テイラー
ゲロンティアス(テノール)=トーマス・アトキンス
司祭/苦悶の天使(バリトン)=クリストファー・モルトマン
合唱=新国立劇場合唱団(合唱指揮=冨平恭平)

エルガー:オラトリオ「ゲロンティアスの夢」 作品38

面白かった。この曲を聴こうと試みたことがあるが、途中でわからずやめた。初めて演奏の場に立ち会ってみて、やはり音楽はライブでしか伝わらないものがあると得心した。こんな素晴らしい曲を知らずに来たことを恥じると同時に、新たな宝物を探し当てた喜びいっぱいで帰路についた。昨今はもう知ってるいわゆる名曲のコンサートはタダでも出かける気がしない。かつて充分きいてしまったし、演奏中にパラパラとプログラムをめくったり、わざわざピアニシモのところでキャンディの包装紙をパリパリむいたり、度外れたフライングブラボーをこれ見よがしにぶっ放すような人たちに囲まれて音楽鑑賞なんてのは僕はまっぴらごめんである。20世紀の巨匠たちの名演奏のストックが家にあるからそれで十分。だから知らない曲をやってくれる演奏会こそ行こうということになるが、読響定期に質量でまさるものはない。知名度の無い作品だとそういう人たちはまず来ないし、演奏家の皆さんもお初であれば準備も大変だろう。それで立派な成果を上げてくれればこちらも大いに讃えるしかない。ルーティンプログラムでは味わえない本当の創造の場に居合わせた幸福感は聴衆としては何度味わってもかえがたい喜びである。

エルガーがカソリックとは知らなかった。そうでないとこの曲を書くには至らない。なぜならこれは敬虔な男の魂が死の床から神の前での裁きを受け、煉獄に落ち着くまでの旅路を描いているからで、煉獄(purgatorium)はカソリックにしかない概念だからである。人間は死ぬと天国か地獄に行く。大罪を犯した者は地獄行きだが、そうでなければ天国に行く。しかし小さな罪は誰も犯しているので天国で神に同化する前に清める必要がある。それが煉獄で、死者のための贖罪であり、浄化ともいう。そういえばカソリック教会の腐敗の象徴とされた「免罪符」はこの贖罪効果があるというふれこみのお札を金銭目的で売りさばいたものだった。ちなみにリヒャルト・シュトラウスの「死と浄化(Verklärung)」をAIで調べるとこちらはひとりの芸術家が死の床にあり、苦悩・回想・闘争を経て、最終的に理想へと昇華することを描いたもので宗教的な意味はないようだ。

1900年に初演された「ゲロンティアスの夢」は英国の神学者、詩人であるジョン・ヘンリー・ニューマンの詩によるオラトリオだ。ゲロンティアスなる男が亡くなり魂となり、天使に導かれて天上に昇り、神を垣間見て煉獄に至る様が描かれる音楽である。このたび大いに感銘を受けたのは、ロマン派の後期以前に書かれたいかなる宗教音楽とも異なって、死者の鎮魂や残された者の慰撫でなく、毅然と死にゆく男の恐れと希望を内面から描いたことだ。宗教的外形を守りつつも視点は生身の心に注がれ、ゲロンティアスの目を通した神秘現象を垣間見るリアリズムを盛り込みつつも20世紀的な心理をナイフで切り裂くような尖った音楽でなく、ロマン派の残照をたっぷり残す話法で感動的に物語は進んでいく。

魂となってからの第二部冒頭はヴィオラによるブラームスのドッペル第2楽章と同じ音列でひっそりと開始する。弱音器をつけさらにpppで奏される弦楽合奏は、ゲロンティウスの目に映る天上の花園だろう、ただごとでない美しさを湛えるが、描くのは景色でなく彼の心象である。この神秘主義的な彩りこそ20世紀的であり、浄化の象徴である天使のメゾソプラノの清澄を遮る悪魔の威圧的な嘲笑の場面も合唱を有効に使うことで主人公の心の動揺から描かれる。そこから楽曲の頂点に至るオーケストラと合唱の対位法的な高揚、神の姿による法悦はゲロンティウスの心象風景に聴衆が合一するこのオラトリオの真の頂点である。 近頃海外のオペラを聞いておらず3人のソリストは知らない人達だったが、 一流どころでタイトルロールを張っているクラスであることに相違なく、また、エルガーのオーケストレーションに有機的に織り込まれている合唱パートで新国立劇場合唱団の担った役割はとても大きかった。アイヴァー・ボルトンは初めて聴いたが、読響の良さを引き出したと思う。今や日本のトップオーケストラはワールドクラスのレベルに十分達している。

Categories:______エルガー, ______演奏会の感想

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