マイケル・ティルソン・トーマスの訃報(1)
2026 APR 27 9:09:07 am by 東 賢太郎
いよいよマイケル・ティルソン・トーマス(MTT)も鬼籍に入ってしまった。どういう訳か、 11歳しか違わない同世代人だったのに僕は彼のライブに縁がなかった。だから本稿は「僕がなぜか聴かなかった名演奏家たち」というタイトルが本来ふさわしいのである。同時代というだけならそこまでは思わないが、先ほどウィキペディアを調べると、彼は1971年から1979年までバッファロー・フィルハーモニック管弦楽団の音楽監督を務めているからそういう思いが頭をもたげた。なぜなら、奇しくも僕は1978年8月の1ヶ月間、ニューヨーク州立大学バッファロー校語学研修プログラムに参加していたからだ(以下、バッファロー大学)。
大学4年のことである。就職準備すべき最中になぜ遊びに等しいそんなことを考えていたのか。その前年にまったくの無計画で1ヶ月アメリカ西海岸を放浪し、あまりの語学力の無さ(通じない)に危機感を覚えたのが大きい。人生にかかわりのある問題ではなかったが、子供の頃から父に「これからは英語ができないとダメだ。そういう時代になるぞ」と吹き込まれて育ったからそのままではいけないと思ったのだ。父は徴兵されながら鬼畜米英報道の嘘を見抜いていたわけで、それがなかったらこれもなかった。そこで、最初の渡米でロスで訪問させて頂いた父の同僚の支店長から「アメリカは西と東は別の国だ、東海岸に行かんと駄目だ」と教わり、東への強い関心が芽生えていた。法律は逆さに読もうがどうしようがドメスティックな話で、学科で興味を持ったのは世界の法律の礎となったローマ法だけと、その他は全く興味を持てず、何のため文Ⅰに入ったのか自己崩壊に近づいていたこともある。といって最終学年になって麻雀に明け暮れては先がない。アメリカに留学すべきだというあてどもない気持ちが湧き起こり、女の子にまざって水道橋のアテネフランセに通った。我が家は裕福な家庭ではない。廉価の方法はないかと探すうちどこかで米国留学渡航費無料という話を聞いて電話したら、それは虚偽ではなかったが宗教だった。世の中こんなものかと悟る。そこでさらに探してバッファロー大学語学研修なるものに行き当たったというのが顛末だった。初回は友人2人を誘って3人で渡米したが今回はそのつもりは全くなかった。遊びでなく修練のつもりだったからだ。
あの宗教は1回だけ説明を聞きに行ってみたが紛れもなくキリスト教の布教であり、東大生の1本釣りを狙っていたようで担当の女性がものすごく熱心だった。もし分かりましたと素直に渡米していたらどういう人生になっていたのだろう。クラシック音楽とキリスト教は切っても切れないから改宗してアメリカ本部の幹部にでもなってひょっとして面白い人生があったかもしれない。しかし我が家は浄土真宗でそっちはあまりに縁遠く、父は就職に関しては本道を外すなどもってのほかという保守的な銀行員だった。タダにつられて参加したら両親は即倒するだろうと心配したわけである。すべて話したら父はぽんとバッファローの100万を出してくれ、4年後に野村證券が本物の留学をさせてくれたあかつきに会社の持ち株で返済した。お金の価値は相対的なもの。必要な時は1円でも値千金の価値がある。この研修への参加で僕はひと皮もふた皮もむけ、後々に精神的にとてつもないインパクトを及ぼすことになる。
バッファローはニューヨークから北西に1時間ほどのフライトでナイアガラの滝に近い。行きすがら立ち寄ったマンハッタン。エンパイアステートビル、自由の女神、ロックフェラーセンター、誰もが初めて訪れて抱く驚愕!後に何回も行ってそんなものは日常になるのだが、この時に受けたお登りさんの洗礼は一生忘れないだろう。
ビデオで見慣れた今時の若者はへーで終わる事もあろうが、当時はそれなりの緊迫感と希少感があったものだ。なにやら、ここが世界のへそなんだ、ここで世界が動いているんだという感動が足元からじわじわと湧き起こり、そこに立っていることの不思議に足が震え、天空を見上げては圧倒され、「西と東は別の国」の教えを噛み締めた。ウォールストリートはここにある。深層心理の中で証券界でグローバルに活躍することを志そうと思い立つ動機のひとつになったのかもしれない。さらに脳裏に浮かんだのは「山本五十六はエンパイアステートビルもワシントンブリッジも見ていた。君はこれを見てこの国と戦争しようと思うか?」という小説だか映画だったかのくだりだ。軍も総理官邸も閣僚も、いやおそらく天皇陛下だってお分かりになっていたのではないだろうか。にもかかわらず日本特有の「空気」なるものが許さなかった。反対すれば2・26みたいに暗殺。やったところで軍事裁判で死刑。軍人は東京裁判という名のアメリカのリベンジで、本当に気の毒だったが現にそうなったのである。政治家や官僚はなるもんじゃないなと思ったが、幸いもとより向いてない。先祖ができたことをやれば俺もできるだろうと、母方の商人の血筋に従う気持ちが固まったのはこの時である。
MTTの「カルミナブラーナ」(写真)と「春の祭典」は東大時代に衝撃を受けた2大レコードで、我が人生におけるメルクマール的存在といって過言ではない。購入日を調べるとカルミナが1977年4月29日、春の祭典が1978年5月31日であり、バッファロー大学滞在時には当然ながら彼の名前も焼き付いていたのである。したがってここから以下のような推論を展開することになる。もしかしてこのプログラムを選んだ理由のひとつとしてMTTを聴けるかもしれないという期待があったのではないかという仮説だ。そのつもりで行ってみたが叶わなかったのではないか。オーケストラは夏季休暇があるという慣行を当時は知らなかったからだ。やむなく、「キツネの酸っぱいブドウ」で脳が記憶を消去した。したがって、先ほど発見したもろもろの顛末も、あたかも今起きたニュースのように感受できたのかもしれない。さらに事実がある。図書館で見つけたシューマン交響曲第1番、ストラヴィンスキー火の鳥1911年オリジナルバージョンのピアノ二手リダクションスコア、および、春の祭典の2台ピアノスコアを多大な情熱と時間とコストを投入してフォトコピーし、ニューヨークではストコフスキーがヒューストン交響楽団を指揮したカルミナブラーナのLPを買って帰っていることだ。MTTを聴けなかった認知的不協和が残っており、コピーと買い物によって溜飲を下げたとすれば内容からして辻褄が合う。そうだとすると、我が人生を大きく変えたこの語学研修参加への決断にはマイケル・ティルソン・トーマスとその2枚のレコードの存在が関わっていたことになる。
バッファローでの1ヶ月は今となっては夢のような青春のページェントだ。参加者は男女合わせて10数名だったろうか、大学生が多かったが大学の先生もおられ、どこから来られた人であろうと少々年齢の上下はあろうと、ここでは同じ穴のムジナで皆さんすぐに仲良くなり、ナイアガラやトロントへ小旅行したりソフトボールをやったり楽しい日々を送った。皆さんその後はお元気でご活躍だろうか。その小さなコミュニティの中でも、いかに自分が狭い環境で生きてきたかを知り、目が覚めることが多く、すべてが目新しいアメリカの生活の中で日本人の団結こそ大事だということを学んだ。何より、正規の学生ではないが雰囲気だけは存分に味わえたバッファロー大学というノーベル賞学者や宇宙飛行士を輩出している素晴らしい環境だ。好きなことをいくら目指してもよく、その気になればいくらでもサポートが得られ、大学にそれを実現する素晴らしい環境があり、前を向き上を目指す人たちばかりと暮らすことができる。突拍子もないアイデアを持ちかけても真剣に取り合ってくれ、「いや~そうは言っても」なんてくだらない常識論のご託を並べる者などいない。もちろんお金が必要だが、前を向き上を目指せばそれも入ってくるだろう。これが自由主義か!教科書で習った干らびた概念ではない、日々歩き回ってそこら中で吸い込む空気が自由の香りに満ちている、そういうアトモスフィアを総称してそう呼ぶということなのである。なんて素晴らしい国だろう。いや、これこそがヨーロッパ人が血を流して勝ち取った自由というものの真の姿なのだ。すべての人間が享受すべきものだ。これを知っただけで受験勉強の何百倍ものことを体得し、いよいよ本当のアメリカ留学をしてみたいと考えるようになった。その後に想いは叶い、コロラド大学に1ヶ月、ペンシルベニア大学に2年籍を置いた。3つの大学にお世話になったわけだが、大学は警察もある自治の場だ。バッファロー大学で根源的、直感的に得た「自由」への感慨は形こそ個性をまとってはいるがどの大学にも共通して存在し、今に至るまで微塵も変わらずその指し示す通りの道筋をたどって現在地にやってきたというソリッドな実感がある。
留学ために野村證券を選んだわけではないし、行きたいなどとわがままを言える甘い会社でもなかったし、「思う一念岩をも通す」だったのだろうと格言でも持ち出さないと説明がつかない結末となった。まさかクラスで目立ちもしなかった凡庸な自分にこんな人生が用意されていたと誰が想像しただろう。答えはクリアだ。これこそが父の投資の成果だったのである。父はお堅い銀行員のくせに株式投資が好きだったが、 一番成功した投資は僕のあそこの100万円だったねと言っても異論はないと思う。投資は惜しんではいけない。惜しむ人は日本という自由主義国家に生まれた特権のオプションを行使せず、真の自分を知らずに人生を終えることになるかもしれない。ということは不幸にも絶対主義国家に生まれてしまった人と変わらない。あまりにもったいないのではないだろうか。
MTTは後にサンフランシスコ交響楽団の音楽監督になるが、このオーケストラは前年の西海岸旅行の野犬騒動で死にかける事になった楽団だ。もちろん楽団のせいではないが、指揮したウィリアム・スタインバーグの方が翌年亡くなった。スタインバーグはグスタフ・マーラーの弟子だったオットー・クレンペラーの弟子であり、あの日の演目がマーラーの1番で、ティンパニ奏者の横で体験したこの震撼すべき素晴らしい演奏を僕は一生忘れることはない。マーラーもクレンペラーもスタインバーグもユダヤ系であり、やはりそうであるMTTも生涯最も力を入れた作曲家はマーラーだった。彼は1988年からロンドン交響楽団の首席指揮者になっており、僕は1990年までいたから2年重なっていたはずだが聴いていないのはプログラムに当時あんまり馴染んでなかったマーラーが多かったためかもしれない。
カール・オルフ「カルミナ・ブラーナ」
マイケル・ティルソン・トーマス指揮クリーブランド管弦楽団
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