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4分間はもうバッハでいくしかないだろう

2021 JUL 21 16:16:27 pm by 東 賢太郎

①「アスリートは85%、IOC関係者はほぼ100%、メディア関係者も70~80%の高い割合でワクチン接種を終えている」(IOCバッハ会長、外務省「人の交流」より、2021/7/14)

②「国民の52.64%がワクチンを2回打ち終わり、1回打った人は68.1%に達したイギリスで新規感染者が7月16日に1日5万1870人出ている」(Our World in Dataより、比率は2021/7/19時点)

②というデータ(事実)を前にして、①だけを根拠として「大会の安全安心」を主張して正しいという結論を導くのは、少なくとも地球上においては不可能である。昨年に集団免疫作戦で大失敗しているポピュリストのジョンソン首相は規制全解除という蛮勇とも思える再チャレンジに踏み込むが、英国民の半分が危険すぎると反対している。それを日本国でやればもはや「殿ご乱心」の域だ。総理は椅子から引きずり下ろされるだろう。

バッハ氏は同じ発言の後半でこうも述べている。

③「加えて、日本の極めて厳格な感染対策により、過去に例を見ないほど万全の準備が整ってきており、安全・安心な大会開催に向けた日本の取組を高く評価する」(①に同じ)

つまり、日本の「安全安心」への取り組みを高く評価はするが、準備に加担はしない。「選手にワクチン接種を促して感染を回避させることはIOCの責務だが、強制はできないし全員が打ったところで感染しない保証はない。あとは日本(菅総理)におまかせするので頼みますよ」と述べているだけだ。

バッハ氏は緊急事態宣言下での歓迎会に批判があることに対して「我々はゲストだ」と答えたが、まさしく、客人はホストの家でパーティの最中に何が起きようと責任は問われないからその姿勢は一貫している。IOCは大会中に感染した選手に訴訟されないように免責条項付きの同意書にサインさせており、日本からも訴訟されず、国際世論からも叩かれにくい伏線をそうやって張っている。

では菅総理はというと、共産党・志位委員長の質問に対してこう述べている。

④「国民の命と安全を守るのは私の責務ですから、そうでなければ(五輪は)できないということを私は申し上げているんじゃないですか。守るのが私の責任であります。守れなくなったらやらないのは、これ当然だと思いますよ」(菅総理大臣、「党首討論」、2021/6/9)

この発言も巧妙ではある。「五輪をやったせいで国民が何人感染した」と実証するのは困難だからだ。東京の新規感染者が仮に5千人になっても「五輪前に入っていた変異株が想定を超えた猛威を振るった」と主張すれば反証は難しい。すなわち、私の責務とは「安全安心の呪文を毎日お唱えしてさしあげます」という意味にすぎないのだ。バッハが逃げ、総理が逃げ、都知事は隠れ、感染の責任は誰も取らない。東京都民はIOCに場所を貸してやるのに都税を巻き上げられ、競技は地球の裏側の人と一緒にテレビでバーチャルに見る。リアルで起きることというと、新種の混合変異ウィルスか何かが都内に漏れ出してきて、コロナはおろか他の病気で倒れても病院をたらい回しになるのではないかという不安の拡散だけだ。何が安全安心だ。五輪が憎いわけではない、いち都民としてふざけんなという怒りしかなく、やり逃げは絶対に許さんよということだ。

バッハ氏が過去に例を見ないほど万全の準備と持ち上げて見せた、安全安心の守護神である「バブル」は、ウガンダ選手団の空港検疫からして早々に穴があいていたことが発覚し、南アのサッカーで内側ですでに陽性者が2人出ている。英語ができない現場の職員に百カ国を超える何をしでかすかわからない外国人の指揮、統制、監視させるなどのっけから無理で、気の毒としか思えない。東京都民の心配をする以前に、まずバブルの中こそ危ないだろう。外部と遮断されていたという意味では選手村より完成度の高いバブルであったダイヤモンド・プリンセス号では、陽性者たった1人が2か月で712人に増えた。日本の防疫体制は完璧だろうと国民も当初は思っていたが、ふたを開けてみると、現場は必死に真剣に作業に当たりはしたもののウィルスに対して打つ手がなく、加藤厚労大臣が「万全の態勢で臨んでいる」とした政府の対策はというと「左手が清潔ルート、右側が不潔ルートです」程度の恥ずかしいものだった。

天皇陛下がご心配されたのもそのようなことかもしれないし、ご心中は拝察すらできる立場ではないが、開会式のスピーチだけお一人でされて競技観戦は皇室は一切しないというご判断は国民に寄り添われたさすがのものと思料する。日本国のあるべき正義と良識を決然と体現されたメッセージには、国を愛するいち国民として清冽な湧水で渇きを癒したかのような心からの慶びを禁じ得ない。それを感じるのがほんとうに久しぶりである。何という浅ましく汚れた世情を我々は何年も見せられてきたことなのだろう。さらには、トヨタをはじめ日本の錚々たるスポンサーが五輪CMの放映を軒並みキャンセルし、開会式すら出席しないという決定を続々と発表しているのも、理由は数多あろうがそういうことも一抹の背景にあるのではないだろうか。企業にとって世論は生命線である。当然ながらそれに対する感度は鋭い。いくら損をしようとも「強行派」の一味だと思われるよりましだという判断に至ったのは、世論の大勢は五輪にアゲインストという雄弁な証拠であろう。

双子姉妹のきんさん、ぎんさんも訪れた

この風景で思い出すことがある。1989年に竹下内閣がバブル経済の狂乱に乗じて挙行し、国民を驚かせたふるさと創生事業だ。国が全国の市町村に1億円を配って好きに使えという大判振る舞いの「村おこし」国家プロジェクトである。何が起きるかと思いきや、「村営パブ」の開店や「純金の除夜の鐘」を鳴らすなど想像を絶する驚愕の事態のオンパレードに至る。当時ロンドンで日々プライドを持って世界に冠たる日本経済、株式市場を英国金融街の要であるシティの顧客に語っていた僕はこの事実を説明するのをためらった。こんなみっともないことをやってる国の国民と思われるぐらいなら、ニュースを伝えなかったと文句を言われた方がましと思ったのだ。青森県某市が特産のこけしを宣伝しようと純金、純銀の特大こけしを特注した。後の財政難で市はこけしを売却し、展示品はレプリカになったが、この事例だけはずっと後になって外国人に「日本は実はそんなもんだ」という一例として説明した。「金価格の下落から2~30%の損切りだったと思われる」という部分を加えると、ばかばかしさの中にも証券マンとして何がしか語る意味を感じることもできたからである。この国史に刻まれる記念碑的政策によって、東京生まれ・東京育ちの僕は日本国の諸地域における経済や伝統文化風習の奥深さというものをまじまじと思い知らされたわけである。

しかし、今になってその村おこし政策は効能もあったことがわかる。例えば、全米ヒットチャート1位でメンバー各人の年収が10憶円を超えるといわれる韓国の超売れっ子7人組グループ「BTS」のライブ公演はどこでやっても売り切れで、招聘するのがとても大変なことで有名だ。ちなみに日本トップの人気グループだった「嵐」のyoutube再生回数はせいぜい4,5千万回だが、世界トップのBTSは新曲を出すとあっという間に5億回だ。異例のスーパーぶりがわかる。ところが、そんな韓国にとって宝のようなスターのライブ公演は自国より日本の方が回数が多いのである。国民に叩かれるのになぜそうなるかというと、韓国は大都市しか音響の良いホールがないが、日本はどんな田舎にも立派な村おこしホールがあるから縦断ツアーができ、回数が増えるのは仕方ないという事情があるのである。日本側はカネは落ちるし郷土自慢になるし、地元政治家はやってる感が出せる。是が非でも来てほしいから韓国の興行主に表で裏での「お・も・て・な・し」攻勢になるのである。

そう、それの巨大バージョンが、3兆円をばらまいた東京五輪であったのだ。

興行主であるIOC様への貴族並みのおもてなしはもちろんのこと、フランス検察が調査中の裏金も渡ったろうし、あらゆる究極の手を使って奪取した開催都市指名である。大会成功をお約束しますと思いつく限りのポジティブ思考で美辞麗句をふりまいたことだろう。バッハ、コーツ両氏が日本国民の感情を逆なでする発言をしているように見えるが、それは官邸、組織委員会がぶちあげたヨイショを鵜呑みにしてしゃべっただけだ。彼らにはお客さんである日本を貶める悪気などあるはずがない、官邸、組織委員会らのセールストークが頭に刷り込まれていただけなのだ。森友事件で佐川長官の忖度精神に満ちた「文書は隠滅しました」を信じて国会で「総理も国会議員も辞める」と啖呵を切って大炎上に追い込まれた安倍前首相とおんなじだ。「コロナ禍に至って1年延期してからも「バブルは完璧で安全安心です」「国民はちょろいもんです。反対の世論なんて池江璃花子が金メダルをとればコロッと変わりますよ」ってなもんであったろう。しかし、それを言ってる上から目線の面々が世論の機微を読む能力はほぼゼロであり、作業は下請けに丸投げで責任は取らない連中だということをIOCは来日するまでは恐らく知らなかったろう。

バッハ氏は昨日のIOC総会で「東京オリンピックの開催に実は疑念を持っていた」「開催はごり押しと見られたかもしれないが、疑念があることを外部に悟られたら五輪はバラバラになっていた」「だから選手のためにもそれは隠していた」という趣旨のことを記者の質問で語った。これは驚くべきコメントだ。普通は「不安はあったが日本の力を信じていた」ぐらいのリップサービスで済ませるところであり、現にスピーチ自体ではお世辞を並べていたのだから非常に違和感がある。つまり、ついにここで抑えに抑えていた本音が暴露されてしまったのである。不安どころか疑念があったというのは、まぎれもない、官邸の美辞麗句を「実は信じていなかった」という意味である。「私は中止でも良かったが、菅総理がどうしてもやる、安全に出来ると言い張ったのだ」「だから不安で眠れない夜もあったけれど、IOC会長として責任は尽くしたことを明言しておく」というニュアンスを感じる。

この発言が出たのは、恐らく、来日して次々と目にした “不幸な現実” が、官邸や組織委員会の楽観的な説明とあまりに乖離しており、天皇陛下までがもろ手を挙げての歓迎ではなかったからだろう。菅総理の「内奏」を聞いて陛下が懐かれたご懸念というものは、バッハ氏にとって異議があるどころかむしろその通りと思えてしまったのではないか。ちょろいと聞いていた反対世論がここまで頑強なのはバッハ氏の想定外だったろう。総会に参加しているIOCの幹部たちも、選手村のバブルがワークしていないという批判的な国際報道はもちろん、菅内閣の支持率が五輪のごり押しで暴落して29%だぐらいのことは知ってしまっているはずだ。そんな総理の言葉を信じてましたでは万一大会が失敗に終わった場合にIOC内部で反バッハ派に攻撃されるだろう。五輪の看板を毀損したとでもなれば会長続投すら危い。そこで弁護士の彼は日本側に全責任を押し付けるアリバイ作りに舵を切ったという風に僕には見える。

かたやリスクを押し付けられた総理はというと、「長いトンネルに出口が見え始めている」と彼以外の誰にも見えていない出口を幻視した気持ちにさせるという非常に成功率の低い試みからスピーチを始める。次いで、その出口はワクチンがもたらしたのだと、最も打てていない国の総理であることをものともせず「ワクチン一本足打法」への強固な自信を披露して見せる。今更そんなことはIOCもバッハ氏もどうでもいいのだが、それがどうしたんだという以前に、冒頭の②の英国やイスラエルのデータが明白になった以上、現行のワクチン接種のみでコロナに打ち勝てる可能性は高くないというのが今や世界の科学者の常識なのだ。それの一本足だって?こいつ正気か? それを開会式の3日前に言われて、IOCの人間はみな思ったろう。「ならばもっと早くワクチン打っておけよボケ。無観客はお前のせいだ」と。後手後手、行き当たりばったり、事が起きてから “慎重に” 検討する。そして、その世論からのズレを感知さえしないセンス。おい本当にあいつに騙されたのか?バッハもそこまでアホだったかと思ってるだろうし、バッハ氏もそれを察知して焦ってる。国際社会という場は言論によるガチンコで動く。忖度政治なんてものは田舎の日本でしか通用しないのである。

小山田圭吾の騒動で穴があいてしまった開会式の最初の4分。「もうバッハで行くしかないだろう」(官邸)。大賛成だ。僕のおすすめはこれしかない。

「マタイ受難曲」

受難の官邸はこの曲を誰も知らないだろうけれど、天下の名曲である終曲「われら、涙流して ひざまずき」は速めのテンポなら4分で収まるよ。

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Categories:政治に思うこと, 新型コロナ・ウィルス, 若者に教えたいこと

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