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カテゴリー: ソナーの仕事について

来月でいよいよSMCは10周年

2022 SEP 8 0:00:51 am by 東 賢太郎

新聞で唯一つ読んできた日経新聞の購読をこのたび打ち切ることにした。オンラインにしたわけでもない。もう業務にもプライベートにも不要である。これは僕にとって社会に出て四十余年、毎日やってきたことをやめるという意味ではちょっとした決断だが、心の声がそうしろというのにはいつも従う取り決めがある。もともと新聞は見出しだけで凡そ内容は察しがついてしまって久しいから、株価に影響がありそうなのだけ読んでいた。ところが、それがそもそもなくなったことに気がついたのだ。これは日経のせいではないが、何であれ、無用なものにお金を払わないのはポリシーである。

あれから全面的に報道がおかしい。5・15事件に匹敵する暗殺事件のことである。この国の反応、こんなものでいいのか?殺人事件で何より大事なのは物証である。漏れ聞こえてきているが、銃弾の数があわない。心臓の銃創で奈良県立医大と奈良県警の解剖所見がちがう。同様のことは伊藤博文の遺体でもあったが、安倍氏の遺体は早々に荼毘に付された。国会はシャーロック・ホームズを呼んできたらどうだろう。野党は国葬反対がだめなら経費が高い、マスコミは統一教会のオンパレだ(僕はぜんぜんどうでもいい)。この方たちは日本国にとって、いったい何なのだろう?警察庁は奈良県警の警備に不備がありましたで首をすげ替えて終わり。東京にミサイルぶち込まれてもこんなもんじゃないか心配になってきた。

この異様さの原点は、しかし、我々日本国民にある。大勢が気にすると気にする。しないとしない。だから報道されないと、しない。何がFACTかは気にしない。なぜなら、正しいかどうかより大勢が言ってるかどうの方が日本国では大事だ。だから、気にしてしまったものが後でウソでも誰も怒らない。みんなで騙されたからだ。

僕が去年、コロナを完全に無視した菅総理の東京オリンピック強行にブログで大反対したのをご記憶だろうか。やられてしまった怒りで、アスリートには申し訳ないが、中身のことはこっちも完全無視した。そして「IOCのエセ貴族を筆頭にした税金タカリ屋の祭典だ」と書いた。誰も何も騒がなかったが、いま、本当にそうだったことが検察の手によって次々に明らかになっている。これが本来の司法というものだ。しかし、悲しいことに、こうして報道されてお茶の間の話題にのぼると、初めて国民はけしからんと騒ぐのだ。「行列を見たら並ぶ」のはロシア人といわれるが、どうしてどうして、日本人がいちばん病気だ。行列のわけを知って、なんだこんなのに並んでたのか、ああ損したと思わないからだ。

なぜか?最大の理由と考えられるのは、並ばないと変な人と思われるからだ。美化する者はこれを「協調性」と呼び、しない者は「同調圧力」と呼ぶが、要はおんなじものである。いずれであれ、「自分が損してでも変な人にならない方が得」という方がよっぽど国際的に変な人なのだ。そうなってしまうことを社会心理学では「スパイト行動」(spite behavior)という。スパイトはin spite of~のそれで、「悪意」「いじわる」の意味だ。日本人はその傾向が強いとする様々な研究がある(http://経済実験におけるスパイト行動)。つまり、日本の美徳である「協調性」は実は行列に並ばない人を排除するスパイト行動によって支えられていて、「いじめ」というのは「変な人」を見せしめにする私刑行為で、それを補強していると考えてしまうほどだ。「長い物には巻かれろ」という日本的香り満点の箴言の正体はそれである。

ちなみに「協調性」は英語でcooperativeness、collaborativenessだが、16年英語世界にいて聞いたためしがない。「私は何でも誰とでも協調できます」ということだが、「いい人」は飲み友達にはいいかもしれないがビジネスではあまり役に立たないのと同様、入社面接で強調してもそれで合格するとは思えないから言わない方がいいだろう。英語は「cooperationが必要な時に無用の対立をするほど人間は尖ってません」ぐらいのニュアンスであり、そんなの当たり前だろで、むしろ付和雷同のほうを疑われる。協調が売りの人は、自分に何もないからそれを売るのであって、中国では求める方が異常だ。つまり「彼は協調性があるね」がいつも誉め言葉であるのは日本だけだ。これが「行列に並ぶ人」であり「長い物には巻かれる」人である。並ばない人、巻かれない人であるinventor(発明家)、innovator(革新者)、entrepreneur(起業家)、investor(投資家)には生まれつき向いてない人の方が日本社会では評価が高いのである。

ドイツにはシャーデンフロイデ(Schadenfreude)という言葉がある。意味は「他人の不幸は蜜の味」そのものだ。ところが英語にその単語はなく、ドイツ語をそのまま使ってる。需要がないと言葉はできないから、ドイツ人の方がそのケがあるのである。従って、全体主義化しやすい点では日本人と似ているわけだが、自分が損してでもというほど気合が入ったものではないと思う(ドイツ人はケチだ)。かたや日本では幼稚園から「みんな仲良く」だ。仲良くしない子は先生に叱られるのを見て「並ばなくては」「巻かれなくては」と育ち、長じては自分が風紀委員になって取り締まってもいいという人も出る(コロナの自粛警察が例だ)。かように日本人は特異な国民であって、特攻隊という発想をした大本営の動機は「肉を切らせて骨を断つ」でも「ジハード」でもなく、俺が死ぬんだからお前も死んでくれという「スパイト行動」につけこんだものじゃないかとすら思えてくる。学者の研究が間違いでないならば、日本人はことさらに他人の幸福をねたみ、身銭を切ってでも足を引っ張り、自分が損するなら他人はもっと損して欲しいと願う悲しい民族性があることは、認めたくあろうがなかろうがFACTであり、ここで「不愉快だ」と無視を決め込む人は、典型的に協調性だけで生きてきた人だろう。

民族性に文句をつけても何も起きないのは承知だが、だから「日本国は本質的に成長しにくい国だ」ということは知っておいた方がいい。例えば経済面での話をすれば、起業は「行列に並ばない人」がするものだ。並んでる側に大きな利益があるはずない。もしあるなら並ばせてる人も並んだ方が楽で安全に利益が得られるからだ。したがって、それを得んとする起業家は「並ばせる人」になるしかない。並ばないのだからイジメられる。それを覚悟した、日本における少数民族なのである。しかし、初めは誰しも意気軒昂だが、「変な人だね」のいじめにさらされ、9割が5年以内に力尽きてしまう。「行列に並ぶ人」はそれ見たことか(ざまあみろ)となる。「寄らば大樹の陰」のスローガンのもとでみんな仲良く「安心・安全」と「小さな幸せ」を分け合って我慢するのが日本国民の鉄則なのだ。従わなかった者が失敗するのは天罰であって当然、だから「ざま(様)を見ろ」(See how you look like.)と嘲るわけだ。こんな国で誰がリスクをとってイノベーションなどおこすものか。「日本国は本質的に成長しにくい国だ」はテッパンなのである。

昭和の高度成長は朝鮮戦争の特需であって、成長のエンジンであるイノベーションがもたらしたわけではない。特需はバブルをおこしてやがて去り、平成時代に元の木阿弥になった。そこから景気は「凪」のまま、デフレの病に陥って今に至る。民主党政権下で病膏肓に入り日本は死にかかったが、第2次安倍政権が超金融緩和政策のカンフル剤を打って救った。それを継いだ菅政権がどんな経済政策をしようとしたか僕はさっぱりわからない。さらにそれを継いだ岸田政権は、新自由主義はいかん、あれは失敗だった、だから「新しい資本主義」に転換すると言い出した。だいぶ前にそんな記事を日経新聞で読んで、何度読んでもわけがわからなかったことだけ鮮明に覚えている。

ブログに書きもしなかったのは、イノベーションもおきない日本が新自由主義だって?自民党の内紛と不動産屋の利権でやった郵政民営化をサッチャリズムと呼ぶぐらいお笑いだろで終わったからだ。ミュージカルをオペラだと思ってる類の自称西洋通の人たちの華麗なる世界であって、僕には無縁で異様でさえある。いまここで書くのは、イノベーターも起業家も「変な人」で足を引っ張られて海水のミジンコぐらい生息できない国で、新しかろうが古かろうが資本主義をやっても限界だ、「新しい社会主義」をやろうが本音なんだろうと思ったからだ。そこで、それらしく国家が推進して小学生にまで「株を買いましょう」とやってる。このひとたち、ホントに大丈夫なんだろうか。

株を買って資産倍増を目指すのは大いに結構だが、大樹だったはずの名門企業も外資に身売りするか、その救いもなく倒れて根っこをむき出してしまう異変がおきだした昨今である。すると、政府のお薦めでその株を買った人も、寄らば大樹の陰で勤めていた人達も、資産は倍増どころか半減するかもしれないことはどう論じられたんだろう。誰がその責任をとるんだろう。ところが、実は大丈夫なのだ。もしそうなっても、それでもなお、「こんな大企業が潰れたんだから仕方ないよね」と傷をなめあう同志が大勢なものだから「おお、私は長い物に巻かれている」という新たな安堵感が出てきて、行列に並んで損したとは思わないユートピアのような優しい世界がやがて現出するだろう。これがイルージョン(幻視)に満ち満ちた日本的幸福の典型的な姿である。

いま、日本丸は国ごとタイタニックみたいにそういう船になりつつあり、どうやって国民に快適なイルージョンを与えて衝突の苦痛を癒してあげようかという思いやり深い政治家、官僚が懸命に働いているのである。それ作りのプロフェッショナルである電通という会社もある。世が世なら、東京オリンピックもそのだしになって、税金の中抜きや賄賂で私腹を肥やしてた者たちも、それがバレるどころか国民の賛辞を欲しいままにするはずだったのだ。いいじゃないか、みんなで落ちる所まで落ちれば、貧乏バンザイ、韓国に抜かれたってこっちには富士山も温泉もあるからさ、なんてのがそのうち出てくるだろう。

僕が行列に並ばない人なことはこれまで読んで下さった人はご存じだ。その僕が尊敬する人が世にひとりだけいる。清少納言だ。なぜか?絶対に並ばないからである。いち女房の身でなぜそれができたか?ボスのサロンが守ったからだ。最高権力者である藤原氏が後ろ盾の一条天皇、その奥方である中宮・藤原定子という庇護者の威光で、「変な人だ」の風圧がシャットアウトされ、たった8年間ではあったが言いたい放題の「枕草子」執筆ができたのである。ボスが亡くなってサロンが消えるとその言論空間も露と消えたが、そこで生まれた作品は後の世でも大切に守られた。とりわけ「春は曙・・」は江戸時代の庶民に大人気となり、現代人まですっきり痛快にしてくれる。1000年の歴史にほんの一瞬だけあった「いじめフリー」「スパイトフリー」の特殊空間において彼女の天賦の才が全開になったというレアな化学反応から生まれたこの作品は、冬の天空でひときわ明るいシリウスのような輝きを放っている。

その空間は定子のあとを襲った藤原彰子のサロンにもあったことは、女房を引き継いだ10年後輩の紫式部が「源氏物語」を生んだことで示されている。どっちも日本が誇る大傑作であるが、個人的な趣味で言わせてもらえば、長編不倫小説よりも簡潔な箴言集の方が性に合う。「枕草子」は小説という虚構ではなく、ノンフィクションでもないが、筆者の赤裸々な独断と偏見の開陳ではあり、その言うことのいちいちの是非の無粋な詮索は刎ねつけるほどに筆のタッチが強くて鮮烈である。これを男に書けといわれても無理だと思う。男はそこまで「猫的」に社会から超然と、自由にしなやかにはなれない動物である。吉田兼好や鴨長明がいくら俗名を捨て、出家しようと神官になろうと、社会との「犬的」な関係はゼロにはならない。しかし、女性だからできたことが、彼女の亡き後、どんどん女性だからできないことになってしまった。だから模倣者も後継者も現れようがなかったのである。

彼女は「春夏秋冬」や「**なるもの」への「プライベートな感性のリアクション」を枕草子に刻印することで、隠し立てのない自分自身を写しだし、325枚の見事な「自画像」を残した。ファンである僕は、彼女が何を「徒然なるもの」と断じようと楽しい。もし夏は曙であったとしてもぜんぜん構わない。物事のイデアとしての哲学的存在、性質を論じてるのではないからだ(それは男の仕事だ)。万事が彼女の目に映ったものであり、その限りにおいて「存在(sein)」しているものの活写である。

何事も有無を言わさず「をかし」「愛し」「はしたなし」と一言でばっさり評価してしまう彼女は、人物として、「ちんけな小物」であってはならない。そんな人の言い草に興味を持つ者はないのは、誰かさんがインスタで毎食の写真をアップしても誰も見ないのと同じことだ。自信満々だが自然や子供には細やかで優しい目をそそぎ、きっぷが良くて度量も大きく、しかし時として女性らしいもろさで嫉妬や怨み節も開陳してしまう。僕らはその描写を愛しているようで、実は、彼女の感性、人となりを愛してるのである。日本国の悲しいスパイト空間に閉じ込められて、長い物に巻かれ、自分を押し殺し、へりくだり、空気を読んだりで我慢に我慢を重ね、自分が不幸だから他人にはもっと不幸になってもらいたいと一途に願って居酒屋で「あのバカ部長が」とくだをまく人々のジャンヌ・ダルクになっても不思議ではないだろう。

ちょうこくしつ座銀河(NGC 253)

こちらも負けじと好き勝手を書き綴ってきたが、来月でいよいよそれが10年になる。なぜ時間をかけてそんなことをしたかというと、僕の「自画像」を1000年後の子孫に残してあげたら彼らはきっと楽しいだろう、それだけである。タイムカプセルにして非公開でもよかったが、同じ考えの方がおられれば宇宙船に同乗していただいてもいいなと思ってSMCという乗り物を作った。

ひとりぐらい、西暦3022年になって、まるで僕が清少納言さんを想像したみたいに僕のことをブログにでも書いてくれるかもしれないと思うと、それもまた楽しい。この楽しさというのは、僕が物心ついて最初の関心事であった天文学に発している。写真の銀河(NGC253)(撮影日:2020/10/20)は地球から1040光年の距離にある。つまりこの銀河が西暦980年の時の姿をいま僕らは見ているのだが、この画像の光が出たとき、清少納言さんは14才である。

「同時」って何だと不思議にならないだろうか?アメリカに電話して、1秒遅れて声が聞こえるイメージだ。声の主と本人とは1秒の間に1150万個の細胞が入れ替わってる別人だ。500光年先にあるオリオン座ベテルギウスあたりに鏡を置いて、いま僕が手をふれば、未来の子孫は鏡に映ったそれが見える。細胞入れかわりどころか、僕のお墓は1000年たってる。先日「枕草子」を通読して、清少納言がそこに生きていて語りかけている感じがしたのはそういうことだろう。

人が生きているかどうかは肉体の生存の問題ではない。その人のことを考える人がいれば、そこで生きているということだ。ブログを書いてそれを毎日1000人の人が読んでくれれば、僕はもうこの世にいなくても1000人の僕が毎日アラジンのランプから現れて、あたかも生きてるみたいなことになる。今は生きてるが、何もしなければいつもひとりぼっちだ。だから書いてきてよかったと思うが、しかし、仕事や健康と相談すれば、どこかでやめないといけないだろうとも思う。

書きたいことの8割がたはもう残した。息子は製本しようかといってくれている。日経新聞の購読をやめたことは、というより、やめるような情勢になってきたということは、僕の中では不可避的にいろいろな判断を強いられることになるだろう。あくまでも、僕は死ぬまで事業家でありたいからだ。世の中も変だが株式市場はもっと変であり、為替もしかりで144円をつけて30%もの劇的円安を的中させたのは万々歳だが、ここからは未知数が増えるから五里霧中だ。そんな先でもなく、いずれ想定外のことが起きるだろう。残念ながら仕事のことは開陳できないが、その時はその時だと腹をくくるしかない。

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ドルが急騰!(日銀が指し値オペ予告)

2022 MAR 28 23:23:24 pm by 東 賢太郎

今朝のことだ。僕はディーリングルームの真ん中に座って業務の指揮をしている。国債の入札に異変がありディーラーたちがてんやわんやの大騒ぎなのだ。あちこちで怒号が飛び交い、僕も怒鳴っている。

「みんな落ち着け!」「指値を下げていいですか?」「構わん、下げろ」「どこまで行きますか?」「わからん。マルク債はだめだ、売っとけ」「了解です」「板を見せろ」・・・(そんなに厚くない、まずいな、へたすると暴落だな)

窓の外はビル街でどんよりと曇った空がうっとおしい。ここはドイツなんだ。しかしなぜ?なぜDM売りなんだ・・・?

ここで目が覚めた。額にうっすら冷や汗が浮かんでる。そりゃあ円買いしかないだろう、日銀が金利上げ容認?そんな馬鹿な、株が暴落だぞ・・・

飛びおきて円・ドルレートをチェックする。7時半過ぎだ、レートは122円20銭である。なんだ、何も起きてないじゃないか・・・

その時はそうだった・・・

ところが2時間半たって10時10分すぎ、日銀が指し値オペの実施を予告したと知る。当然、円・ドルレートに異変が起きるはずだ。そこからドルは17時ごろアスクで125円10銭まで急騰。現在も123円80銭あたりである。

円・ドルレート(2022年3月28日)15分足チャート

なんということか、僕がうなされていたちょうどその頃、日銀では異次元緩和の継続を意味するこの重大決定の発表に向け「てんやわんや」だったにちがいない。

お断りするが僕はこの発表は寝耳に水であり、なんらの関連情報すら知り得る立場にはない。マルクはもうないし、昔日、指揮官だった日々の夢はちょくちょく見ているからたまたまそれが出てきたんだろう。

それにしても、あまりのタイミングだ。

ドイツのころ、ブンデスバンクのアナリストに「日銀は公定歩合1%以下にすべきだ」と言われ、妙に耳に残った。まさかゼロになろうとは夢にも思わなかったが、それが今も頭にあって夢の舞台がドイツだったかも知れない。

お袋は霊感が強くて何度もお化けを見ている。お化けは見たことないが、僕は相場については何度かこういうことがある。去年、ドルが108円のころにほぼ全部の資産を「ドル建て」にしてしまう大博打を打ったわけだが、たまたま商品があっただけで理屈はない。あったのは、ドルは上がるはずという “不思議な確信” だけだ。

今年の2月2日に下のブログを書いた頃、まだロシアのウクライナ侵攻はおきてない。ただ、誰でもわかるようにやさしく書いたつもりだが、データを分析することで、そこそこのきれいな理屈はすでに立っていた。その通りのことが2か月後におきた、それだけのことだ。信じてくれた “ミセス・ワタナベ” は大儲けしたはずだ。いまディーリングルームの指揮官なら、「どこまで行きますか?」「わからん。円はだめだ、売っとけ」と答えるんだろう。

「有事の円」は終わった

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フリーランスという素敵な生き方

2022 FEB 13 11:11:41 am by 東 賢太郎

「ワタシ失敗しないので」の外科医・大門未知子のように組織から飛び出して独立して仕事するのがフリーランスだ。作曲家のはしりはモーツァルトとされるが、彼は就職したかったができずにそうなってしまったから、自分の意志でそれになったという意味で大門未知子に近いのはハイドンだ。彼は33年間も宮仕えをし、雇用主が死んだのでしがらみを切ってフリーランスになった。58才のことだ。

そういえば大門を演じた米倉涼子も27年間所属したオスカープロモーションを辞めて独立し、本当にフリーランスになった。45才の立派な挑戦だ(女性の年齢を書くのは失礼だが公表されてるので)。そして不肖わたくしも25年はサラリーマン、49才でフリーランスになって今に至る。お二人より給金生活が短いというのもちょっと意外だがそうなのだ。ハイドンは宮仕えの総額の10倍以上をフリーランスになってから稼いだが、僕はもっとはるかにそうだ。

米倉さんも事務所に中抜きされないぶんそうなるだろう。プロ野球選手も球団に支配権があるから自由の身ではなく、FAかポスティングが認められるとフリーランスになる。我が広島カープでいうと丸選手はそれまでの10倍以上を巨人からもらってあっぱれだが、大谷翔平は100倍できかないことになりそうだ。以上のみなさんに共通するのは高い技術で何百万人の人を喜ばせる超一流のエンターテイナーだということである。

僕はというと、エンターテインどころかそもそもサービス業に向いてない。猫がお手をしないぐらい何もできない。投資機会を見つけてきて買いたい人はこの指とまれというだけだ。信用してくれる人が10人ぐらいいることがすべてで宣伝もしないし業務拡大もしない。「信用」。これは何かというと「東ならなんとかしてくれるだろう」ということに他ならない。いってみれば「期待」だ。僕は頂いた期待に背くことが本能的に嫌いである(プライド)。だから保証はしない代わりにそれを裏切らないことが仕事であって何ら苦痛でない。そんなに難しいことではない。例えば、現金1万円を預かって適当な食材を買って何かおいしい料理を作ってさしあげて期待を裏切らないことなら多くの人ができるだろう。同じことだ。問題はそれをしていくらもらえるかである。10人にそのサービスをして僕の収入を得るなら、その10人はどんな人だろうかということだ。富裕層ビジネスの本質はそれである。僕がフリーランスで稼げているということは、そういう需要が存在し、そうそうたる看板の大手金融機関がそれを満たせていないという証拠なのだ。そんな会社で何十年の歳月を送っても僕のしていることはできるようにならない。

お客様は15人が限度だ。それ以上は手が回らないからサービスが落ちる。すると肝心の信用も落ちるのでお断りする。従業員を増やすのも難しい(できる人はほぼいない。だから大手がダメなのだ)。知識も英語も必要だが東大を出ればいいというものではぜんぜんない。現状は慶応が多数派だがべつに学歴を見ているわけではない。結果論だ。それほど人がいないということは、参入も難しいのだ。なぜだろうか?簡単だ。この仕事で僕をひっくり返せる人はまずいない。これを断言でも公言でもできるからだ。そうやって生きてきた実績と古傷があるからそれを信用されている。論理的でしょ?ビジネスの修羅場の経験もないMBA、PhDを集めてきれいごと並べて自己リスクは取らないコンサル会社は何年たってもできないね。つまりオンリーワンなので収入も高い。これアンドロメダ星雲でも成り立つ宇宙の鉄則だよ。昨今の東大生の就職人気先はコンサルとファンドらしいが、ひょっとすると僕のスタイルでやる人が出るだろうか。出たら面白いから応援するよ。まあやるならフリーランスが絶対のおすすめだね。資本家に中抜きされて馬鹿らしいし、万事が自由である。コロナに強いのも利点かな。やりたい仕事だけやればいいなんて人生最高の贅沢じゃないか。僕はそれで退屈を満たしている。

もう8年も前のようだがこう宣言したのを覚えている。

「信用資本主義」を宣言する!

自画自賛だが2013-14年あたりのブログが一番質が高いように思える。本当だった。まったくもってその通りに生きてきただけだ。

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ロイヤル・ハウスホールドは最高級オーケストラ

2021 NOV 27 11:11:28 am by 東 賢太郎

我が職種はアドバイザーだが頭でっかちのコンサルではない。「成功請負人」、つまりビジネス、投資で顧客を勝たせてナンボの仕事である。ということは自分が勝つ力がないと役に立たないし大きな報酬も戴けない。顧客は内外の企業、超富裕層でみなプロ、セミプロだから、いってみればプロ野球のコーチに当たる。プロのバッターが自分は三振ばかりのコーチの言うことなどきくはずもない。

先週は目まぐるしい日々で、某社の会長をお引き受けする契約に調印してスピーチをし、別々な外国の要人と重要な会食を二度行った。

僕は日本の政治に興味もパイプもない。立憲の代表選は候補の名前も知らない。日本の政局はワイドショーネタには面白いが僕の仕事に1円の影響もない。

武器はインテリジェンスのみだ。情報や理論や教養ではない。そういうものすべての集大成として、勝つために必要な行為をいつやるか、それだけだ。

きのうあるクラブでロイヤル・ハウスホールドを飲んだ(というかご馳走になった)。知る人ぞ知るロイヤルワラント(英国王室御用達)のブレンド・ウィスキーだ。昭和天皇が皇太子時代に英国訪問して国王より授かり、友好の印として日本でのみ販売許可が下りたいきさつから英国外で飲めるのは日本だけだ。

この口当たりの滑らかな芳醇さと、のど越しの最後に仄かに残る「甘さ」は上品としか書きようがない。ブレンドの良さは最高級のオーケストラに似る。上品でないロイヤルというのは定義矛盾でしかない。

こういうものを一度でも味わうと、値段はともかくまたこれを注文することになる。ソナーのサービスもこういうものでなくてはいけない。

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僕の職業は「ファミリーの長」

2021 NOV 17 2:02:50 am by 東 賢太郎

きのうは帝国ホテルでTくんと食事した。彼が手掛ける仕事に僕なりに興味があり、できる範囲で後見人になろうということである。

ちょっと早く着いたのでぶらぶらした。ニューオータニもそうだがこのホテルも変わっておらず、基本的に僕らが結婚式をしてもらった39年前のままに見える。店は新しく「なだ万」がやっている「讃アプローズ」で、アラカルトの品数があって好きなものを選べるのがいい。

Tくんは40才になるがつきあいは長く、僕がSBIホールディングズの取締役のときのメリルリンチの担当者で当時25,6だ。東大の後輩であり性格が良く数学オリンピックの灘校代表だが文系チックな柔らかいこともわかる。速い会話ができ気に入っていたら、今や雑誌にのる大物になった。

国内でちょろちょろやってる雑魚なんか相手にするなとロスチャイルド家のヒストリーを教えた。雑魚にはわからない話を彼は8割がた分かってリアクションがあった。何も説得したわけではない、創始者マイアーは5人の息子がいたが俺は3人しかいない、もう一人になれと言ったのだ。

彼の世界のことは門外漢の僕にはできない。だからバックファイナンスを数百億円つける。それに着火すれば更に大きいエンジンに点火できる。全部のシナリオは僕が書く。実行部隊は全体を見られなくなるから見なくていい。だから集中して必ず成功させろ、そういうことだ。

こういうのは仕事というより趣味だから苦痛も疲労もない。サラリーマン時代はゴルフと音楽が命で仕事の儀式はついでにしていたようなものだが今は逆だ。畢竟、僕の職業は何かというと「ファミリーの長」になることだった。血縁の家族だけでない、マーロン・ブランドのコルレオーネ家みたいなものだ。

5人の息子プラス5人で10人ぐらいで充分。やれと言ったらやるスナイパーしか要らない。大金持ちにするし一生面倒を見る。それをやって死ぬときに会社がどうなっているかはわからないがこの楽しみがあれば少なくともボケないだろう。Tくんもチャレンジャーだが、僕も最後の最後までチャレンジャーである。

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ロスチャイルド家のヒストリーに学ぶこと

2021 NOV 10 12:12:02 pm by 東 賢太郎

本稿を書く発端は、ロンドンに赴任した年の12月に行った20世紀最大のチェリスト、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチのコンサートのプログラムにある。きのうこれを書庫で見つけなければ本稿はひょっとすると永遠に存在しなかったから偶然に感謝する。左のページに広告している「NM ROTHSCHILD & SONS LIMITED」にご注目頂きたい。ROTHSCHILDは日本語でロスチャイルドと表記されるが、ドイツ語のロートシルド(赤表札)を英語読みした姓である。財閥の始祖であるマイアー・アムシェル・ロートシルト(1744 – 1812)はフランクフルトのユダヤ人居住区(ゲットー)の住人で、赤表札は市が所有した貸家の通称であり、後にグリューネシルド(緑表札)に移ったが姓は変えなかった。彼が丁稚奉公人から金融帝国を築いて19世紀における世界一の資産家になった出世譚は有名だが、ビジネスの教材として大変示唆に富むので将来のある若者のために、私見ではあるが、僕がそこからどういうインテリジェンスを得て実践してきたかを書いておきたい。他人のヒストリーをどう自分の糧にするかという方法論でもあるかと思う。そしてもうひとつのもっとプライベートな動機は、このページを開いてみた時、即座にええっと思ったことだ。その驚きの一つの理由は本稿の最後に明かすが、もっとインパクトがあった理由は、この8年後にロスチャイルド家の発祥の地フランクフルトに赴任する自分の運命が透けて見えていたと思ったからだ。

話はナポレオン軍が神聖ローマ帝国の自由都市フランクフルトを占領し、支配者(ヘッセン選帝侯)を追い出して財産・債権を没収した1806年に始まる。この前後のヨーロッパを覆う空気を幾分かでも体感していただくために、その年がベートーベンのエロイカ初演の翌年だったことを記すのは意味があるだろう。ナポレオンを崇拝し自筆譜に名を記したとされるその表紙の実物をウィーン楽友協会図書館のご厚意で特別に見せてもらったことがあるが、俗に言われる「怒って破りとった跡」は存在せず、献呈者名の部分に穴は開いていたが字は読めなかった。左の写真は、同曲を初演し、改めて(?)献呈されたボヘミア貴族、ロブコヴィツ侯爵の宮殿(プラハ城)にある初版スコアであり、表紙にはSINFONIA EROICAとある。エロイカは形容詞(英語ならheroic)で、「英雄」と名詞に訳す日本語はミスリーディングだ。Pastoral(田園的)同様に「交響曲」を形容している。ニールセンは3番をSinfonia Espansiva(拡張的交響曲)と命名し4番は形容詞を名詞化してThe Inextinguishable(不滅なるもの)としたが、エロイカは定冠詞がなくSinfoniaに呼応した女性形であるため、明らかに後者ではない。ナポレオン=英雄と見たなら名詞(ザ・ヒーロー)でよかったがそうでないのは、英雄的だったのは彼という人物ではなく、彼のしたこと(行為)だったのではないかと考えられる。大衆が待ち望んだことをやると日本なのに「いよ、大統領!」と掛け声が飛ぶが、ベートーベンはそれをやってくれたナポレオンに「いよ、英雄!」と、彼が英雄的と讃えるべきものをイメージした音楽で叫んだのだ。では「それ」とは何だったのだろうか?

1883年のゲットーの絵画

フランクフルトのユーゲン通りにもうその面影はないが、19世紀までユダヤ人を隔離して住まわせる「ゲットー」があった。一神教の信徒にとって他に神はいない。異教徒は “必然” として迫害するのである。西洋人は横暴、凶暴、無慈悲であり、日本人は温和で優しい民族だと考えるのは表面的だ。多神教が寛容なのである。同様に一概にキリスト教徒が悪でユダヤ教徒が善でもない。少数派で定住地のない異教徒は人類の必然としてマイノリティーの扱いになる。その良し悪しは別として、それが人間の本性に巣食う一面であることは現在のアメリカ合衆国を見ればわかる。そうした “人間の原理” が200年たっても変わっていないのに、1806年ごろまで左の絵のような場所に住んでいたロスチャイルド・ファミリーが19世紀における世界一の富豪になった背景は、キリスト教徒が寛容になったからでもユダヤ人が良からぬ陰謀を計ったからでもない。ナポレオンの出現というジャイアント・インパクトがあったからである。フランクフルトのマイアー・ロートシルトとウィーンのベートーベンは、その意味で同じころに同じ匂いのする空気を吸っていたのである。

欧州大陸を制圧したナポレオンはフランツ2世を退位させ、名実ともに神聖ローマ帝国を壊した。まさにその年こそが1806年であった。野蛮な武力制圧ではあったが、フランス革命の自由・平等・博愛を反映したナポレオン法典がカトリック教会による宗教権力支配のレジームを法的に崩す端緒となった。ふたりが大きな期待を懐いたのは顔を拝むこともない支配者の交代ではなく、階級社会の崩壊という質的変化が民法典で具体化され、担保されることだろう。能力に自信のあるふたりとって願ってもない社会だ。フランツ2世は替わりにオーストリア皇帝になってガバナンスを失うことはなかったため、ウィーンにいたベートーベンにとっては『「神聖」でも「ローマ」でも「帝国」でもない』(ボルテール)と揶揄されるほどに形骸化していたレジームが終焉しただけともいえ、その逆にナポレオンは皇帝として戴冠したことで失望させられる。一方で、ユダヤ人マイアーにとって帝国の崩壊は絶大な意味があった。忽然とブルーオーシャンが現前に出現し、後の欧州を股にかけた一族の飛躍が可能になったからである。

Mayer Amschel Rothschild

帝国での地位を失ったフランクフルトのヘッセン=カッセル方伯(以下、選帝侯)はナポレオンに没収される資産の一部がフランス当局に見つからぬよう、御用商人マイアーに諸侯への債権回収と資産の管理をまかせることにする。ここで選ばれたことはマイアーがユダヤ系のオッペンハイマー銀行で研鑽を積み、古銭の造詣が深かったからだが、金融業(金貸し)を禁じられたキリスト教徒にはそこから派生したお金を扱う様々な技術がなくユダヤ人に頼るしかなかったからでもあった。もとより貨幣経済が浸透すれば王族といえども資金が必要で、フランクフルトにゲットーができたのは自由都市ゆえ宗教の縛りが比較的緩く、商業・金融に長けたユダヤ人に付加的な徴税ができ、緊急の時にはその徴税権を売るか担保にして融資が受けられたからだ。そうして居住権と生活の安全をかたにいわば「みかじめ料」を搾取されるだけだった彼らが自由に金融業に進出し、圧倒的な知識・ノウハウの格差でキリスト教徒からリベンジ搾取する契機をナポレオンが与えたのだ。

マイヤーがゲットーの頭領格であったことは勿論だが、選帝侯に指名させるほど絶大の信用を得ていたことが分かる。この状態を我々は「食い込んでいた」と表現するが、それが伺える人事だ。金融業とは元は銀行(融資)だけを意味したが、彼の出現以降はもはやそうではない。銀行システムは国益をかけた通貨の番人である中央銀行のもとに統合され、インベストメントバンク、プライベートバンク、ファミリーオフィスという証券、運用、銀行、信託、保険を融合した「カネを商品として扱うサービス業の総称」の原型ができ、金融技術において多様な進化を遂げて現代に至る。しかし、製造業や商業とは決定的に異なる点がある。命の次に大事なお金を扱い、任されるのだから業務執行に必要な資質は知識、学歴、経験ではない。絶対の必要条件は信用である。僕は「信用資本主義」を経営のテーゼとしているが、マイヤーの行動に学んだことである。以下に述べるが、彼が創業した複合的金融ビジネスこそ、僕が現在依って立つものだ。フィンテックの時代になっても、金を動かすのは人間であり、そこで働く原理は200年前と変わっていない。

選帝侯の抜擢に応えるべくマイヤーは5人の息子を使ってフランス当局の監視を巧みにかわしつつ、諸侯への債権を秘密裏に回収して選帝侯へ送り届けて更なる信用を得た。これだけでも十分に金持ちになったことは間違いない。しかしそれでは終わらないのである。ここからが只者でないのでよくお読みいただきたい。

彼は以下の2つの手を矢継ぎ早に打った。①「フランス当局の監視を潜り抜けて殿下のもとまで送り届けるのは難しくなった」と選帝侯に納得させて回収財産をロスチャイルド家に信託(運用委託)させ、②同時にゲットーのユダヤ人というドイツ人でもフランス人でもない第三者の立場を逆手にとってフランス側にも取り入り、息子をフランクフルト、ウィーン、ロンドン、ナポリ、パリに置くことで全欧州に独自の通商路と通信網を築いた。実に素晴らしいとしか評価のしようがないが、これははっきりいえば自分を抜擢してくれた主君への背任にもなりかねない行為であり、ダブルエージェントである。現代でも双方代理を無断で行った場合、一方に損害を受けたと訴訟されれば負ける。選帝侯をどう説得したかは商売がら大変興味のある所だ。失業するのだから債権回収は死活問題であり、マイヤーの馬に乗るしかない。その立ち位置を利用し、今流なら「私のエクイティストーリーに投資すべし」(私も儲けるが、あなたも儲かる)と説き、納得させたのだろう。

つまり、彼のしたことは選帝侯とフランスとの「仲介」ではない。どっちも「代理」するということである。とすると両者のスパイになる危険性もある。軍事や金融という国家の命運や自分の生命にも関わる信用商売においてこの芸当ができるというのは只事ではない。二枚舌、三枚舌や八方美人のごときチャラい小手先の技で100年頑張ってもあり得ないことは肝に銘じたい。そんなものは手練れの人間たちには一発で見抜かれてしまい、昔なら殺されるだけなのだ。ひとことで言うなら、「この男なら大丈夫だ」と両側から自然と思われてしまう「人間力のようなもの」が問われるのである。では人間力とは何かといって、ひとことで言えるものではないから矛盾するが、複合的要因が混然となるジャイアント・インパクトの結果、出来上がった結末が格別に立派だった場合にのみ、あとだしジャンケン的に理由として語られるのが「彼の人間力だね」という賛辞だという定義の仕方しか思い浮かばない。だからこれを学校で教えたり、本に書いたりはできない。学校の成績はあまり関係ない。こう言っては元も子もないが残念ながらできる人はでき、できない人はできないのである。

我が国でダブルエージェントに成功して男をあげたのが坂本龍馬だ。英国人グラバーの後ろ盾で不倶戴天の敵同士だった薩長を同盟させ名誉と大金を手にした。命も金も奪われたが、歴史がそう語るからではなく実感として、僕は彼が大層の大物だったことを確信する。しかし、マイヤーはその何倍も大物だった。戦費で財政が苦しいフランスに選帝侯とは別なエクイティストーリーをアピールし、②の通商路と通信網の確保もやったからである。全欧州をほぼ独占した郵便会社であるフランクフルトの「帝国郵便」に出資していたことは有利に働いたろうし、ナポレオン法典のユダヤ人開放政策によりゲットーから出て自由に動き回れ、選帝侯の寵愛だけに依存した不安定な状態から脱却できたからそれに成功したのだ。強い追い風が吹いたのであり、こういう運の強さは事業家には大事ではある。今風には「持ってるね」ということになるのだろうが、僕はこの点については少々異論がある。風は大なり小なり誰にも平等に吹いているのであり、それに気がつくか、それに乗ろうと思うか、乗るための瞬発力があるかどうかだけが人生を決めると思うのだ。そのどれもがあって首尾よく成功した場合にのみ、あとだしジャンケン的に理由として語られるのが「持ってるね」という賛辞の定義だと思う。

さて①と②がうまくいった。カネ、通商路、情報網が手に入った。ここでマイアーがぼ~っとしている人ならばここまでは来ていないから次に打った手はある意味で必然であり、それを見すえてのことだったと思う。まず、③1798年に21才で英国に送り込んだエース格の三男ネイサン(1777-1836)に選帝侯から預かったカネで綿を大量に仕入れさせる。ナポレオンが敵国イギリスとの貿易を禁じた大陸封鎖令で綿は禁輸品になり、市場を失った英国では価格が暴落したが、逆に大陸では品不足で暴騰していた。フランスと通じて築き上げた特別のルートで大陸に持ちこみ、②のルートで大陸の4人の息子が売れば巨利が得られる。資金は流用ではなく選帝侯の了解を得た信託財産の運用だから選帝侯にも利益が出るが、マイヤーの視点からは他人の褌(カネ)でレバレッジをかけて巨利を得たわけだ。短い人生でデジタル的に資産を増やすにはそれしかない。東インド会社が成功した古典的な市場間アーブ、制度アーブであり、わが国では開港した横浜で英国人相手に生糸産地の農家の倅である僕の先祖が同じことをやって成功したが、貧農だからファイナンスに苦心している。生糸は掛け売りになったが株式なら信用取引だからハイリスクだ。選帝侯を口説いてリスクフリーにしたロスチャイルド家の知恵と営業力は半端ではないと思う。

Nathan Mayer Rothschild

普通のファミリーならここで大金持ちになって終っていただろう。そうでなかったから今がある。④ロンドンにいるネイサンは築いた情報伝達網を駆使して1815年のワーテルローでナポレオンが敗けた情報を市場に先駆けてつかみ、本来は上がるはずの英国国債に売りを仕掛けて市場を狼狽させ(今の株式市場で「外人売り」の声だけで株価が下がるのと同じ)、暴落した所で大量に買って更なる巨利を得た。風説を流布したわけではなく、周囲が早耳筋と認めるロスチャイルドの行動を注視して勝手に売っただけだ。カネ・情報の強者だけができるトレーディングの揺動作戦である。①~④のどれもが見事だが、どれも目新しくはない。凄いのは4つの大技を1806~1815年の9年間で連続で繰り出していることだ。まるで大横綱が格下を立ち合いで吹っ飛ばし、つっぱって土俵際に追い込んだ挙句に上手を取って最後は土俵の真ん中に豪快に投げ飛ばした相撲を観たようである。ビジネスを「戦略」で語る人はよく囲碁、将棋に例える。そういう業界もあろうが、相場を相手に生きてきた僕は違う。ビジネスは動的なものだ。チャンスの時に戦略を練っている暇はない。そういうものはむしろ条件反射で体が動くようにしておけばよく、決定的に大事なのはただひとつ、「やる」ことだ。

ロスチャイルド家の先祖の姓はバッハラッハ (Bacharach)といい、ライン川(ローレライの南)にある地名だ。英語読みするとバカラックで、「雨にぬれても」のバート・バカラックの姓だ(彼もドイツ系ユダヤ人)。ユダヤ人と聞くと陰謀論に頭がワープして思考停止する人が日本には多いが、それではナチスに騙された当時のドイツ大衆とかわらない。マイアーは13才で銀行の丁稚になった。25才年長のモーツァルトの父は大学に入ったが彼はそれもない。あったのはのは想像するに目から鼻に抜ける才と人間力、機を見るに敏な爆発的な行動力だ。それがなければ何も起きなかった、それだけのことだ。そのような能力が求められる仕事は何か?営業だ。営業にガク(学)はいらない。マーケティング理論もまったく無用だ。そもそもそんなものを教えてる学者は営業などしたこともない。僕はいろんな部署、階層で仕事をしたが、一番面白かったのは社長職でも部長職でもなく梅田支店にいた末端の営業マン時代だ。その2年半でお金に関わる仕事の酸いも甘いも恐ろしさも全部を体得した。昔も今も、そういうものは仮に言葉で教わったとしてもできるとは限らない。やった者が最強であり、それがまた自信を呼ぶのである。営業とは人に好かれ、説得し、商品を買っていただくことである。シンプルにしてとても難しいが、これができれば他の立場の仕事は何でもできる。これ本当である。

冒頭のロストロポーヴィチのコンサートのプログラムに宣伝を出したN・M・ロスチャイルド&サンズのN・Mとはいうまでもなく三男坊ネイサン・メイアー・ロスチャイルドの頭文字で、これが「ロンドンのロスチャイルド」である。日露戦争の戦費調達が難航した明治政府は日銀副総裁の高橋是清を同盟国・英国に派遣する。高橋はここを訪れ日本国債の引受を懇願したがすげなく追い返された。ロスチャイルド家はフランスからカスピ海油田に投資しておりロシアを敵に回すわけにいかなかったからだが、米国に置いた番頭格ジェイコブ・シフのクーン・ローブ商会を通じて引受けを受諾した。九死に一生を得た明治政府は狂喜し、教科書では日本を助けてくれたことになっているがそんな人の良い話を信じているのは商売を知らない人たちで、ここまで読まれた方にはすでに自明だろう。どっちが勝っても損のないダブルエージェントはロスチャイルドのお家芸なのである。

同社は今もM&Aの助言を中心とした投資銀行業務と富裕層の資産運用(プライベート・バンキング)を行う世界有数の金融アドバイザーである。これも偶然だが僕はロンドン在任中、同社アカウントの担当者を命じられており、出入りして大きな商売をさせていただいた。ソナー・アドバイザーズを創業する時に何となくイメージしたのはそのことだった。

 

 

 

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キャリアの集大成期がやって来た

2021 MAR 18 10:10:32 am by 東 賢太郎

先週金曜のディナーからのことで眠れない。仕事の大きな進展であったのだが、にわかには咀嚼し難く心中は動転した。間違いなく千年待っても2度とない機会で断るという選択肢はない。いよいよこんなものに取り組む時がきたのかと打ち震え、そこからいつ寝たのか、寝た心地もないのでわからない。

昨日はその打ち合わせが午後まであって、どっぷりと疲れてしまった。忍耐力も集中力も落ちたものだ。天気も良いしぶらっと多摩川に散歩に出ることにした。家にいると精神がもたついて、いい発想が出ない。どこへ行くあてもないそぞろ歩きだったが、気がつくと多摩川台公園に足が向いていた。

川沿いの遊歩道は人気の桜並木だ。開花はまだだが、うららかな陽気と春風が肌に柔らかく心地が良い。この感覚、はっきりとしたデジャヴがあった。昭和50年3月20日、大学の合格発表のあと、嬉しいということもなくこんな空気の中を漫然と歩いていたのを肌が覚えている。あれはいったいどこだったんだろう?

公園の川べりに露天の駐車場があり、その先に石のベンチが3列に並んでいる。傍らを進んで見ると一番後ろに若者が前かがみに腰かけていて、足元に犬がいるように見えた。あれ息子かなと思ったがそうではなく、犬はいなかった。視界を邪魔しちゃ悪いなと思い、川寄りのベンチのはしっこに座ることにした。

ここから見る景色はおなじみだ。10年まえ、仕事がまったく取れず、通帳の預金残高がみるみる減っていった。鬱々としながらあちこち電話をしたのがこの場所であり、焦り、恐怖とセットの心ざわめく情景である。先日来の案件を巨象とするなら、あのころ必死に追っかけていたのは蟻んこみたいなものだったが。

その景色の川向こうは川崎市で日ハムの球場があった。武蔵小杉のタワマンがにょきにょきと聳えており、東急東横線のその先が日吉だ。多摩川は大雨による増水で下水が逆流したり大事になったが、その対策なんだろうか、対岸は護岸工事をやってフォークリフトが4台も土手を掘ってはダンプが土を運びこんでいた。

ふと振り返ると、若者の姿がない。あれっと思った。ほんの数分のことだ、立ち去る音もしなかったしおかしいなと三方を見渡したが影も形もない。

実はここは保守派の評論家、西部邁氏が2018年に入水自殺した場所である。例の増水で地形はやや変わってしまったがロープをひっかけた樹はかろうじて残っている。その5年前には、左手に見える丸子橋からウクレレ漫談の牧伸二氏が飛び込んで入水している。そういう所でもある。

右手に歩くと旧巨人軍多摩川グラウンドで大学生が打撃練習をしていた。しばし外野手の後ろから打球を目で追っていたが、視力は1.2あるはずなのにあがったフライが全く見えないことに気がついた。そうか、それで若者も見えなかったんだろう。あたりはカラスがたくさんいて、忍び足で寄るとぱっと散った。

V9時代の巨人軍選手が立ち寄ったことで有名な小池商店は開いていた。家内がズボンのポケットに800円入れてくれていたのでおでんかラーメンでもと思ったが、前に立つと気が進まずやめた。何をしようと、ちっとも気が乗らない。やっぱり、頭はそれでいっぱいなのだ。

知る者は誰もそう思っていないだろうが、僕は仕事においてジェネラリストでなく、限りなく細かくて微細なミスも見逃さないウルトラ専門職である。それをやりこなすイメージぐらいはできているのは、他人には説明し難いが、純粋に技術的な観点に照らしてのことだ。

それが何の役に立つんだと長らく自問して答えが見つからずにきたが、そうか、これをやるための40年の道のりだったのだ。この案件は僕にしかできないだろうし、信頼には報いたい。これが我がキャリアの記念すべき集大成になり、人生も会社も様変わりになり、後になって語り草になる1年がやってくるだろう。

そこから先は先週お会いした斯界の先達のご進言どおりだ。どんどん増えている子供ぐらいの年齢の新しい仲間たちを見守り、仕事をバックアップしながら後進として育てることに専念しよう。みずがめ座と九紫火星の占いは当たってたんだなあと思う。

 

 

我が経営の鉄則は「信用資本主義」

2021 MAR 11 18:18:47 pm by 東 賢太郎

年末年始に皆で苦労した甲斐あってビジネスは3月に入って急展開。先週は大きなMTGがリアルで2つあり、案件が9つ立ち上がった。6月に東証一部企業の顧問就任も決まった。ここから1,2年はそれらを仕上げるのに心血を注ぐことになるだろう。

9つのうち純ドメ(日本で完結)案件はひとつもない。どれも日本と英・米・中・韓・スイスのどれかにまたがる多国籍案件であり、コンサル、貿易、株式投資、ゴールド、仮想通貨、IPO準備などだ。その5か国は僕が何年も住んだり深く関わった思い出深い国々で、ここが我々の絶対の強みである。

以前に「信用資本主義」とブログに書いたが、社員9人のソナーが9個の仕事を同時にできる秘密はそこにある。信用の輪によって動員できる別動隊があるので足りないメンバーは都度補充できる。だから僕の守備範囲内の案件なら受注して問題ないし、各チームのメンバーが活躍し、公平に利益分配にあずかってハッピーになるようにすればいい。それが信用の輪をさらに広げるのだ。

ゼネコンを思い浮かべるかもしれないが、別動隊は下請け、丸投げ先の存在ではない。彼らはチームにおいてソナー社員と同格のメンバーであり、僕もメンバーの一人であり、案件執行は万事がソナー・クオリティで行われる。手抜きなど言うに及ばず、低品質のサービスが嫌いなのだ。

9つのオーケストラを同時に指揮するのはチャレンジだが、数えてみるとサラリーマン時代に30人以上の組織を5か国で9つ指揮したことがあり、そこそこの老練指揮者の部類だ。まったく不安はない。これができる人はそうはいないから、ソナーの仕事はブルーオーシャンでありつづける自信がある。

今回の案件をやる人達と知りあったのはサラリーマンを辞めてからで、15年前の人も8年前の人も去年9月の人も先週の人もいる。ご縁は化学反応だから古い新しいは関係ない。反応は化学式によってするかしないかだけで、するならお会いして瞬時だし、しなければ千年たってもしない。15年前の人とは15年間はなかったが、彼が急成長して大きな反応が起きた。面白い。

サラリーマン時代に多くの方とお会いしているが、それはご縁というよりリレーションだ。大企業の名刺と肩書が呼んだものだ。起業して、それはもうないのだから空虚なリレーションにすがろうという気はなかった。むしろソナーという誰も知らない名刺で出来たご縁は僕にくっついているものだ。それをたくさん作る方がずっと頼りになると信じて10年そう行動した。

ご縁がたくさんできてくると、今度はご縁同士のご縁を作る作業が可能になる。これは実に創造的で、ぞくぞくするほど魅惑的なプロセスである。どちらも僕固有のご縁だから競争者など現れるはずがない、つまりこの点においても100%のブルーオーシャンなのである。それが転がると雪だるまとなる。さらに坂道を自分で転がって、ソナーの成長のドライバーとなるわけだ。

これが「信用資本主義」と名づけたものである。信用は企業の資本である。ない人に別動隊の動員は困難で、やっても足元を見られて高くつく。仕方なく社員にするともっと高くつく。しかも案件がない時は遊びの人材を持ってしまう。これからの時代、そういう経営は自らに足かせをつけ、競争力を失うだけである。立派な本社ビルや社長室も同じ理由で全くの無駄である。

僕はまだまだ道半ばだが、大企業の信用は必要としない人間だったことを証明しつつある。このことは何らかの特別な努力の結果ではなく、親の教えに従って真面目に生きてきた証だと思っている。

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今年は米中とも政治的に大変調あり

2021 JAN 6 12:12:50 pm by 東 賢太郎

新年早々に年が二回りも下の俊英たちが参集してくれました。会議はすべてリモートでやってきていますが、やっぱり重要なメッセージはリアルでないと伝わらないですね。感染者が東京1278人という日だったようですが、完全にプライベートな場所であり心配ありません。

このグループにはどうしても会いたく、お招きしたのです。大きな構想ができる人達と話すのは喜びです。4時間ぐらい話して目的、方法がかみ合いました。こういうブレスト的、アドリブ的な会議は実に生産的だと思います。

もうひとつ、やはり大きな構想ができる別のグループがあります。こちらは外国でクロスボーダーの話です。米国の適確な情報はここから入ります。具体的案件が進んでいて楽しい展開になってきました。

我々は必要に応じて案件ごとに組め、必要ならJVでも資本関係でも持てる方向に進化している感じがいたします。そうしようと意図しているわけでなく、リスクもありますが、マクロの眼で環境適応するとそうなるかなと思います。

お会いしているのはとびきり優秀ですでに実績もある人達で、なにより若い。その気なら何にでもなれた人達がビジネスを選ぶのが自然という時代になりました。勉強が一番でもビジネスはできないのを彼らは知っています。

10年前からの人も去年からの人も昨日初対面の人もいますが僕は万事が是々非々です。関係ありません。2グループを結合したらどんな仕事ができるだろう?たまたま長いことこの道を来たので、どうやらそういう役回りのようです。

今年は米中とも政治的に大変調があり、それが金融、経済に及びます。そこで何がおきるかは現時点で予測できませんが、万人に不測の事態だからマグニチュードが大きいことだけは間違いないでしょう。

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未来予測 『コロナ後の世界はこうなる』

2020 NOV 29 20:20:50 pm by 東 賢太郎

メールで「米政権交代はお仕事にはどう影響しますか?」という質問をいただきました。以下のようにお返事いたしました。

 

米政権交代ですが、仕事という意味ではどちらでも構いません。株が高ければOKというところでしょうか (笑) 。それよりコロナが生み出した新環境が今後どうなるか、ワクチン・治療薬開発の進展があるのかという点が影響大です。コロナ環境での最大の変化は世界規模での生活のIT依存度の高まりですが、それは GAFA依存の高まりでもあるので開発が長引くと不安が出てきます。彼らはすでに国家並みに力がありますから個人情報を混乱に乗じて広範に握られ、ビッグデータによるAI支配力を更に持つと考えています。すでに自動車産業、家電産業、メディア産業、仮想通貨はデータ収集競争のツールですからデータを握る者が他を圧する資金調達力を持ち国家と対抗する権力となるかもしれません。米国のメディアがバイデンに加担する背景のひとつはそこで、それに中国が加担しているのはまず間違いありません。産業に国籍はないので中国寄りになるならないはビジネス判断であり、それに国家、国益という話をどこまで割り込ませられるかですね、それは交易や産業のサプライチェーンを分断する不利益がありますから両者のバランスでしょう。トランプは良くも悪くも強力でしたがバイデンはそれが権力の資金源だから弱腰になるでしょう。民主党は一枚岩でないので失業がまた増え増税となれば自分で騒いでいた米国内の分断は解決どころかもっと進み、アメリカのヘゲモニーは揺らぎ中国を益々利する可能性があります。そんな世になって日本国が安保で本当に守られるかどうかは疑問です。菅さんのいう自助が国家にも必要になるでしょう。日本国の弱みは、そう言いながら経済的繁栄については中国を無視できないことです。ということで日本国民として、少なくとも経済的にはGAFAと中国の株を買っておくしか手はないでしょう。

 

注釈いたします。

 

僕は自由主義、民主主義を支持します。いかなる国家、権力、他人にも服従したくありません。他人を支配したくもありません。日本国民として日本の法律を守り、税金を払い、公序良俗に従います。それ以外は我が儘(まま)に生きます。

ずっとそう考えて生きてきました。生まれた家は中産階級で資産はなく、他人の会社に就職しました。今は自分の会社で働いています。これが我が儘の最たるものです。一番大事な経済面で誰にも服従せず人生を送れるからです。

そこで大事と思うことが2つあります。1つ、身体と精神の健康。2つ、我が儘という自分中心主義が他利(お客様はじめ僕に関わっているすべての人の利益)にもなるようにすることです。あとは自分がうまくいくように集中します。

「米政権交代」も「日本の政治」も「コロナ問題」も、僕にとって「環境」でしかありません。環境がどうなろうと適応するだけです。わかることだけ予測し、自分が関与して意味があることだけやります。それ以外は無駄です。

 

そういうスタンスなので、米政権交代も日本シリーズや女子ゴルフリコー杯と同じくCNNとネットで楽しんでいるにすぎません。

 

個人的にはバイデンよりトランプが好きです。今回の選挙は「八百長試合」と判定が下りトランプ続投となる可能性はあります。しかしそれはそれです。どっちになっても環境適応することしか関心はありません。

さらに加えますと、皆さん米国しか見てません。米国の分断は中国がWTOに加盟して「大貧民ゲーム」で大勝ちし、弱い先進国が大負けした結末にすぎません。ギリシャ危機、Brexit問題とおなじことが米国内で起きているだけです。

震源地である中国を見なくては本質がわかりません、未来も読めません。経済と国防は別物という考えは誤りです。お金がなければどちらもだめです。日本は米中どちらにも偏らず、金持ち国であり続けることが唯一の生きる道です。

トランプが国益を盾に中国を叩いても4年で終わりです。大貧民ゲームは永遠に終わりません。働かない白人はもっと没落します。暴動、宗教対立、人種差別がもっとおきます。バイデンになればそれが4年早く来るということです。

中国=「中共+巨大市場」です。巨大資本に国籍はなく、その意味で中共も巨大資本です。資本主義=市場強奪戦だから巨大資本と中共は互いに引きつけあいます。トランプが戦っている敵はその不可避の磁力であって陰謀ではありません。

巨大資本はGAFAをはじめITの覇者である企業が牛耳ります。自動車、家電、物流、メディア、金融を通じて集めた個人情報が集積したビッグデータを握った者が全産業を支配し資本も集まります。産業のコメは石油でなく情報になります。

国家は無国籍IT企業(GAFAなど)が強大化して自国民が貧民化すると徴税権だけで食えなくなります。企業と国家がお金を奪い合います。市場、人口、情報集積力で優位な中国が20年ほどで米国経済を抜き世界一になります。

経済力1位の国が軍事で2位はありません。北朝鮮も抑えられない米国が中国の軍事大国化を抑えられるはずがありません。Quad(日米豪印)で1位に均衡してバランスをとった平和(非戦争状態)をキープできるかどうかです。

以上のことは産業革命時代の勝ち組からAI時代の勝ち組にヘゲモニーが移行する自然な動きです。国家という切り口で見るより資本集積度で見ないと誤ります。日本国が関与する余地はほぼありません。「環境」と割り切るしかありません。

日本国に生きる個人が関与する余地はまったくありません。経済的に豊かであり続ける保証もありません。自由主義的に楽しく生きて子孫もそうあって欲しいと思われる方は勝ち組に投資しておくぐらいしかありません。

 

僕個人的には日本国が没落するなら外国に移住する選択肢もあります。さらにはコロナが作った新環境では仮想空間上の「リモート企業」が作れます。情報だけ共有して経済活動を仲間として行い利益は均等に配当します。

それを昇格して「リモート国家」もありです。各人は居住国の法律、警察、病院等にお世話になって税金は各々の国に支払いますが、同じ国民の規律で行動し、情報を共有して皆で生計を立て、送金は仮想通貨で為替リスクなく行います。

かつてユダヤ民族、華僑が苦難を重ねて作った非国籍ネットワークがゼロコストで作れ、コロナが生んだ「リモートワーク」環境が運営を容易にします。これは失敗の歴史であるアナキズムやユートピア思想ではありません。

まず高収益のリモート国国営企業を設立します。どこの国でも構いません。その株に全国民は出資し、各国で配当で暮らします。それを何社も増やします。世捨て人や空想家でなく、勝ち組リアリストによる国家です。

僕は今月に仲間3人で「リモート企業」を設立しました。「国家」を計画している人も現実にいると聞きます。まったく絵空事ではありません。ITは私人の生活と国家の在り方を変え、それにコロナが拍車をかけたと後世は語るでしょう。

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