インフルエンサーが結託するのは法則である
2023 OCT 21 10:10:03 am by 東 賢太郎

この仕事をはじめて13年もたつと投資機会というのはおのずとやってくる。それをもたらしてくれる人たちがいるからで、彼らは取引先でも知り合いでも友人でもない。友人であっても結構だが、この場面においてはそういうありきたりのカテゴリーでくくれない人たちであるというのが味噌だ。「人脈」とは多分そういう場面で使うために発明された造語で中国語にはない。脈というからにはネットワークの意味だろうが、知り合った相手の人たちが「僕は君と会ったこともないが東の友達だからライン交換しよう」なんてことはまずない。それは人と人の心のつながりを電気的なウェッブのつながりで代替できないことを示しており、心が通じない知人を起点とした脈(ネットワーク)の広がりは自己満足に過ぎずそこから重要な果実が得られた経験は僕にはない。
大事なのは目の前にいる人ひとりひとりが自分と合う人かどうかだ。合う人は類は友を呼ぶで合う人を連れてきてくれる可能性があるしその経験はある。いま周囲でおつき合いしている人たちとどういう契機で出会ったかをチャート化すると面白いことがわかる。31年もしていた大企業サラリーマン時代の人(第0次)の名はほとんどなく、13年前に起業してからお会いした人(第1次)、彼らから紹介された人(第2次)、その人からまた紹介された人々(第3次、4次・・)がほとんどなのだ。第0次と意図的に縁を断ったわけではないが立場変われは人変わるだ。会社を辞めるとあれほど一緒に苦労した部下、同僚などが誰も来なくなり寂しいものだった。その人との縁は会社の名刺や肩書が取り持っていただけだったのであり、そういうものを人脈などと呼んで安心してはいけないことを身をもって知った。
投資機会の話をくれる人は各次にいるがほんの10人ほどだ。この10人が僕の生命線ということであり、31年もかけて築いた「人脈」は99%スクラップになってしまったが問題なかった。くり返すが意図してそうしたわけではなく、起業して必死にもがいた中で、求められもしなかったし必要もなかったから自然にそうなっただけだ。正直に「僕はハードボイルドな人間です」と初対面の人に臆面もなく言ってはいるが、そうでないと一人で生きていけなかったからであり、元からそういう人だったかどうかは忘れてしまったが、もしそうでなかったとしても戻ることはないだろう。なぜならハードボイルドな人生はけっこう適していて楽であり、実はそれは自然体の自分であり人生の99%を適してない場所で過ごしてきたかもしれないとも思えるからだ。証券業の仕事は苦でないし成果が出せる意味では天職と思うほどだが、それとこれとは違って、人間的には適してないが技術で手なずけてきたのだと思う。
ではその大事な10人はどういう人達なのだろう?彼らはそうすることで飯を食っているわけでは必ずしもない。10人ではない人が知人を紹介してくれ、その人は彼にとってはただの友人だが僕にとっては10人に入ったというケースもある。いい話を持っているがひとりでは完成できず僕が助けてウィンウィンになったことで10人に入ったというケースもある。かように千差万別なのだが、絶対の必要条件であるのは、彼らも僕も各々の世界の「インフルエンサー」であることだ。投資機会というものは誰でも確実にもうかりますよなんて顔はしていない。リスクやコストがあってその難関を突破できる者だけに「おいしい」のだが、そうするには何らかの形で「インフルエンス」ある者同士の結託が有効なのである。
このことは、さらに大きなスケールで地球上を覆っている原理と考えてもいい。つまり、なぜ米中の国家は水と油なのにウォールストリートと中国共産党は通じているのか、なぜ宗教で激しく対立するサウジアラビアがイスラエルに接近したのか、なぜプーチンは中国の一帯一路を絶賛したのか、という一見すると??という現象は「インフルエンス」ある者同士の結託が有効であり、場合によっては歴史的諍いを封印してでもその選択が生きるためには得策だということなのだ。そういうことが起きやすいのは国民国家(ネーションステート)と民族の不一致がある場合で、どちらの利害を優先するにせよ軍事はもちろん金や利権の分捕りあいにおいても「原理」なのである。金の流れを見れば歴史がわかると言う人がいるが、それもそのいちパーツに過ぎない。ささやかながら僕が一国一城の主として日々していることはそれのミニチュア版だといえないことはない。少なくとも体感としてナタニエフならどうする、習近平ならどうするとシミュレーションぐらいはできる気がしている。
いま投資機会が複数あって目まぐるしい。出歩いてるうちに気がついたら広島カープが3連敗でシーズンを終えていた。複数の案件はできないから選択する必要がある。持ちこむ人も忙しい。昨日は東京ドームホテルのディナーで巨大買収案件の錯綜した全貌を聴いたが、それを2時間でわかる人はいないと相手が思ってるから僕に来ると思われる。それにストレートに意見し、イスラエル問題の推理を述べた。彼はそれを聴くためにぎりぎりの2時間をくれた。大物だがそれを参考に行動するのだろうから生半可な話でなくインテリジェンスである。ビジネスに確実はないがそうした進言を何度もはずしたら彼は僕を見限るだろうし、それが当然だ。つまり友達ではなくお互いハードボイルドな関係であって、お金が商品である金融の人間関係というものは秀才だとか人柄の良さとかいう世間的な要素は不要であり、そう勘違いしてる人はインフルエンサーにはなれないだろう。
一昨日は中東の著名シンクタンク首席顧問の才媛、および慶応大学教授で政治家でもある先生とランチして大いに盛り上がり、ニューオータニのラウンジになだれこんで3人で昼間の二次会になった。顧問はウォートンMBAの銀時計で米国でトップという戦績が物凄い。中東の王族が評価して当然だ。しかし、はるか上の先輩という身分は有り難いのである。ホットな中東情勢をゼロからレクチャーして下さり、トランプはMBAじゃないから先輩じゃないよねということで意気投合もした。教授も国内外で政界、官界の交友が広く東大の助教授もつとめておられ、アカデミックな世界でもインフルエンサーであるというのは大変な異能と思う。凄い人たちとお知り合いになれて楽しかった。ちなみに顧問はワグネルの第1ヴァイオリンだったというので、実は僕はついでに仕事してたみたいなもんで株より音楽のほうが詳しいといったら、椿姫の出だし最高ですよねとなって困った。ヴェルディは一音符も覚えてない。でも筋は泣けるでしょというが僕は文学的じゃなく数理的でそういうのも弱い。言わなきゃよかったと思ったらじゃあシェラザードはどうですかとなって、それなら第1楽章は暗譜で弾けますと先輩の面目を偶然に保った。
できれば飛行機だけは乗りたくないが情勢次第では仕方ない。神山先生の「安神」が効いて閉所恐怖症は鳴りをひそめているし、どうもこの病気は忙しいとそこに意識が行かないから大丈夫の気もする。問題はどれをやるかだ。まだ判断材料が足りない。
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兵庫と岐阜と名古屋の長い旅
2023 AUG 14 13:13:40 pm by 東 賢太郎

軽井沢でゴルフの翌日、八重洲のビジネスホテルを朝7時半に出て新幹線に乗った。東京に家があるのにと思われようがそれで2時間余計に眠れる。兵庫、岐阜、名古屋でお客様の会社訪問、面談などがあるためもう二泊し、契約調印、会食、野球観戦などの予定も入っていた。前日があまり眠れないだろうということでこうなったがうまくいった。その日はまず兵庫まで行って既得意のお客様の経営するレストランで仕事を済ませ、その足で岐阜までとんぼ返りするともう夕刻である。めったに来ないので観光したかったがまったく時間がない。
この日は岐阜・長良川温泉の老舗旅館「十八楼」に宿をとった。どうやら翌日に花火大会があるようでどこも満室である。この宿は二度目で、風呂がいい。食事も川向うにラーモニー・ドゥ・ラ・ルミエールというフレンチがある。マンションの5階の一室で景色が良く、味、もてなしともこれでおまかせ1万5千円はお値打ちだろう。風呂に入るんでとワインはパスさせてもらって水にしたが、長良川伏流水は氷を入れれば飲み物としても旨いのである。ピュアな軟水で高山の北アルプスの水ともちょっと違う。
十八楼は斎藤道三、織田信長のいた岐阜城がてっぺんにある金華山のふもとに位置し、鵜飼いで有名な地である。漁としての鵜飼いは5世紀ごろから行われていたようで、中国の史書『隋書』に日本を訪れた隋使が見た変わった漁法として記載があり、日本書紀に記載、古事記に歌がある。天皇家にゆかりがあり鵜匠は国家公務員である宮内庁式部職であり、平安時代に始まったショーとして見物する鵜飼いは頼朝、信長、家康、芭蕉も観ている。僕は大学時代に岐阜出身の友人と彼のお父さんに船上から見物させていただき、今でもよく覚えている。
このあたりめにみゆるものは皆涼し
と詠んだ句碑があり観覧船乗り場にも近いが、僕の目当ては温泉だ。鉄分のせいか赤褐色でありインパクトがある。薬草の湯というのもある。信長が伊吹山のふもとに薬草園をもっていたのにちなんだと説明書きがあり、仄かにそんな香りもあるが効くのかどうか。シルクの湯というのは微粒の気泡で乳白色をしており、毛穴まで入って油分を落とすというから有難い気はする。
兵庫のお客様はこれで弊社案件に4度目の投資のお得意様だ。名古屋のお客様は弱冠35才でM&Aで数十億の財を成した事業家で今回初めてだが、お見受けするところ事業の方でつきあう楽しみもありそうだ。PE(未公開株)投資は手慣れておられ、一件は適格機関投資家(法律上のプロ投資家)だ。我々の投資哲学はプロほど理解して下さり、すると投資して欲しい良質の起業家も寄ってくるという循環である。
二日目は名古屋からだ。特急で岐阜から19分。暑い。金時計の下にウンカの大群かと見まごう団子状の雑踏を見てなんだあれはと恐怖を覚え「キムタクでもいるんか」と言った気がするが何故かは覚えてない。お盆だからでしょ、なるほどねとなったが東京人である僕に盆休みの渋滞や混雑の実感がないことがこうしてわかる。頭も尋常でなかった。さもありなん、この日の名古屋は気温39度。香港、シンガポールだって高くてせいぜい35度だ、米国のデスバレーに次いで人生二番目が日本ってのは驚くしかない。昼前に集合場所のコメダコーヒーで今回のパートナーであるY君が合流し、お客様と調印を終えた。外へ出るとムッとする熱気と日照りに気絶しそうだったが、こういう時に限ってタクシーがなく、バスで名古屋駅へ向かう。
再度岐阜へ向かう予定だが、せっかくだから駅ビルで「ひつまぶし」でも食うぞとなった。旨い。たれの塩梅、焦げ具合が見事で、鰻重を茶漬けにする独創性も素晴らしい。名古屋の料理は一見塩辛そうだが実は程良く、八丁味噌が好きなので口に合う。滋賀、岐阜は奈良時代からの発酵文化が奥深く、京都より野趣があって面白い。鮒ずし、溜り醤油は僕にとって欠かせないほど好物だが尾張、三河にもそれは通じているのだろうか、秀吉が朝鮮出兵の根城にした名護屋城に鮒ずしを持って行ったし、家康の戦の供は八丁味噌であり、長良川の鮎ずしを発明して江戸城に届けさせたのもわかる。我が祖父は南信州で、叔母は名古屋で水野さんになり義理の伯父は岐阜人、戦争中の母の疎開先は高山である。もう地縁はないが子孫の舌に味覚が留められているのかもしれない。
コメダで合流したY君は今回案件の共同責任者だ。いままでは経産省キャリア官僚だった親父さんと案件組成をやっていたが、二世で四十過ぎの公認会計士である彼が独り立ちでやるのは初めてだ。優秀だが慣れてないところもある。資料作りなぞ細かいことであれやこれやとダメ出しして説教し、しち面倒くさい注文をたくさんつけた。電話の向こうで馬鹿野郎いい加減にしろと辟易していたのはわかっていたが、そういうことは僕は指揮官だから自分でしたことがなく当時の優秀な部下たちがしたわけである。でもそれがないとディールが決まらないことは誰より知ってるのだから容赦など一切なし。彼はガチ体験をした。どんなに怒っても終わればすぐ忘れるタチだが、ビジネスホテルのチェックインを済ませて喫茶室で休んでいると彼がそれを回想しながら勉強でしたと言ってくれ、世辞でない証拠に僕が吐いたとおぼしき言葉をみな覚えてるのである。サラリーマン時代にたくさんの部下がいたがそういう子はみな伸びて出世している。
岐阜のO社長はY君の紹介で初対面だが温かく迎えて下さった。投資の御礼を述べ少々説明を加えようとすると「それはもう結構です、出資したおかげでこの場があるだけで」と丁重に遮られ、自社の来歴、現状と将来の希望を熱く語られた。京セラ稲盛会長の盛和塾生であり、現在はご自身が指導する立場におられ、ご配下から上場企業が4つも出ている。自社もできるが志が高いゆえしていないとお見受けする。兵庫のお客様にも申し上げたことだが、僕は手垢のついた投資案件をオークションで買い上げて投資するような下世話な金融屋のコンペなんかに参加する気はない。会社様の繁栄発展の指標であるバリューアップだけが目的であり、経営者と一心同体でそれをして投資もすればこちらも利益になる。会社さんがたくさん取って当方は少ないからこれは利他的だ。お会いしたことはないが利他の心は稲盛さんの哲学の根本だった。51:49なら49でいいと言われるO社長と楽しいディナーをご一緒させていただき再度名古屋に向かった。翌日土曜日は初めてバンテリンドームで野球を観て帰る。花火の人たちだろうか電車はそこそこ混んでおり、夜の名古屋はまだ暑かった。
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ゴルフ、なめたらあかんぜよ
2023 AUG 13 14:14:52 pm by 東 賢太郎

スマホで台風6号の進路を見ながらまずいなあと思っていた。予報は8月9日だけ雨である、前後は晴れだけど。なんちゅうこった。まあゴルフはグリーンが水たまりにならなければできるが仕事の佳境で昼夜逆転気味だったのがちょっときつい。4時に起きるのは最悪寝なけりゃいいさと割り切ったが、新幹線を軽井沢駅で寝過ごさないかが心配で、コーヒーをあてにしたがワゴン販売がないらしい。降りた。よかった。ほっとしてのんびり歩いて集合の改札口に行ったら、皆さん東のことだからと心配して電話が入っていた(気づいてない)。それほど眠かったし信用もないのである。
「ゴルフはたぶん7年はやってないですよ。ええ、クラブも触ってないです」。そう言いながら大いになめていたわけであり、気に入ってたゴルフバッグは猫に爪とぎされてポケットがずたずただ。まあそういうのを気にしなくていいというか、Sさんはもう40年来のつきあいだし個人的に何回もやってるし、彼の会社のコースで野村證券はコンペもさせてもらってた。この日は財界著名人の某さんも一緒だ。台風だししょうがないねと雨は無視である。練習は結構ですとパットもせずに1番ホールのティーに立つ。みっともないショットはできないがこういう緊張があると僕は大丈夫なのだ。ナイッショ―!!キャディーさんの甲高い声が響く。自分でも信じ難い快心の一打が真ん中に飛んだ。おい、なんだよ。これで7年ぶりかよ~。
それが嘘でないことを証明するのにそう時間はかからなかった。まずアイアンでトップが出だした。あれ、おかしいな。音はしたが球は2メートル先だ。そういうやあ昔あったぞこんなのが、思いっきり振ったらザックリとターフ(芝)だけ飛んで球はそのままなんてのが。アイルランドの豪雨なんか手がすべって飛んだのはクラブだけだった。おかしいなと思ってたら今度はシャンクが出だした。それも2発連続だ。やばい。バンカーでも出てなんと5発叩いた。「すいません、いきま~す」。右斜め前45度の人に声をかける。
皆さんの足を引っ張ってしまった。10メートルぐらいのパットが入って、それでいてアウトのスコアは堂々たる60である。ランチだ。やめようかという声がかかる雲行きでもあったが、天ざる蕎麦をすすっていたらなんと窓の外が明るくなって雨はほぼあがっているではないか。オッケー、いきましょう。気持ちを入れかえて10番のティー。ドライバーを一閃するとチョロである。これはまずいとスプーンを取り出して一閃。ちょっと変な手ごたえだぞ、やばいな、まさかOBかよ?球は頭を叩かれて湿った地中にめりこんで埋まっていた。Sさん、2打でドロップでしたっけ?まあそれはいいんじゃない(笑)
10番ホールから見える11番はもこもこの霧の中である。中にカートが侵入するとそこは大雨だった。遠くの方で低く雷鳴が轟く。あれまずいね、近くなったらやめましょう。誰かの声がした。おお、そうか、やるんだ。みなさん昭和の根性が立派だ。あれっと思うと傘が1本ない。落としたらしい。なんとヘッドカバーもないぞ、キャディーさんも大変だったんだ。13番まで進軍した。2打目を打ち終わったフェアウエーでとうとうその時が来た。何となく全員の雰囲気がそうなった。やめましょう。前の組を御免なさいよと追い越して、キャディーお薦めの近道でクラブハウスに帰還とあいなった。そうか、そういえば、東は雨でもやめないって有名だったかもしれない。香港の2年半で、あれほどクソ暑くて雨が多いのにプレー前の断念は一度もなく、途中でやめたのが2度しかない。だからやめましょうって僕がいえばよかったんだ。
実は気になる記録があって、そっちが気になっていた。会社に入って1年目、成り行きで誘われたお客さんの社内コンペだった。断るのもなんだし、止まってる球なんてたいしたことないだろうと練習もなしで出場した。何を何番で打つかもわからなかったので、短いショートを5番で打ったらトップでピッチャーゴロだ。これが乗って寄ってで爆笑のニアピン賞。兄ちゃん、君は筋がええぞと大阪のおっちゃん方の肴になった。その人生初ラウンドのスコアが125だったのである。これはヤバいな、いよいよ更新かと必死だったのだ。
混んでてね、ここしか取れなかったんでとSさん。とんでもない、多分、晴れてたら素晴らしいコースだ。おかげさまで目が覚めました。このままってわけにはいかない。このコース、香港で毎週やってた深圳にあるシャングリラの西麗Golf and Country Clubにどことなく似ている。再チャレンジしなくては。
Sさんの別荘でいろんな話も出た。毎回そうだが仕事の話はしない、それがいいのだ。本当にゆっくりでき最高のリラックスをさせていただいた。中華をご馳走になり東京に戻る。八重洲のホテルで寝て朝には関西に発つ。お客様とこれからそうなる会社様2つにアポがある。これだけの行程の仕事は野村時代でもあんまりないからわくわくだ。
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「人生の軌跡」をどうビジネスにするか
2023 AUG 6 9:09:54 am by 東 賢太郎

案件をひとつ終えた。今回はドローン会社に投資した。次いで2社の投資候補が現れておりこれから調査にはいる。数年後の価値を計算してそれより安いと考えれば投資し、上場か買収でエグジット(売却)するというシンプルなビジネスである。したがって成否は「仕入れ」(ソーシングという)が命だが、なぜこれがビジネスになるかというと勝算のある案件を見つけるコネクション(ソース)があるからだ。何故それがあるかはブログに縷々書いてきた人生の軌跡があるからとしか言えず、ご興味ある方はお読みいただくしかない。僕と同じ経験をした人は誰もいないからソースは誰とも同じでなく個人的なものだ。つまり誰とも衝突しないし誰も参入はできない。一般にこの仕事は皆が欲しがる案件を奪い合いするソーシングとなり、仕入れコストが高くなって売却時のリスクがあがる。イメージだがオークションにかかって値段が競り上がった絵画であり、僕はかける前に所有者と談判する。
これを始めたのは若い頃から上がる株を探すのが趣味だったからだ。具体的に何をするかというと、興味がある会社の2~3年さきの業績予想(仮説)を立てて、時々刻々変化するその予想値を再計算(検証)する作業だ。これは特別なことではなくウォートンのようなファイナンス専攻のビジネススクールで投資分析(Security Analysis)という科目にもなっており、僕もそこで技術を修得した。ただそれは学問ではなく、それをベースとした分析の考え方と手法は様々で試行錯誤が必要でもあり、20年以上も継続的にうまくいっているソナーの実績(トラックレコード)は統計的に特異な方に属するだろう。分析から出てきた予想のとおりにいけば株価は上がるはずだが、ビギナーズ・ラック(一発屋の成功)では来年もうまくいくかどうかさえわからない。20年にわたるサステナブルな成功が偶然の産物である確率は非常に低く、我々の考え方と手法が有効であることが根拠であり、今後もサステナブルである可能性はビギナーズ・ラック狙いの投資よりも高いといって間違いではないだろう。
実際に株式を購入しなくても(紙の上だけでも)仮説が実証されれば趣味としての満足感は得られるが、購入して初めて利益という「賞金」がもらえるようになるわけだ。そのポジションに就くことを世間では「投資」と呼ぶわけである。上場企業は重要なニュースや業績の発表が義務づけられているので検証がしやすいが未上場企業はそれがなく、経営者との良好なコネクションがないと困難でリスクが高い。だからそれを築ける人的資源をたくさん持ち、良い条件で投資をさせてもらう交渉の余地を作れるだけの「人生の軌跡」がキーになってくるのである。以上から、株式投資というものはFXや暗号資産の売買やあらゆるバクチと異なり、合理的に勝てる蓋然性が高い、より正確に書けば、その蓋然性は投資家が合理的思考ができるか否かへの依存度が高いことがご理解いただけるだろう。
また、投資ではなく経営になるが、本草学(いわゆる漢方)を活かした健康サポート事業を計画している。68才の僕は日本人男性の平均寿命まであと13年しかない。やるべきことはまだたくさんあるので神山先生に頼ることになる。徳川家康は学者並みの本草学の知識があり、家来に処方もし、自身も当時としては長命の75まで生きた。2千年の歴史がある本草学だが中国では文革による下放で技術の正統な伝承者は10人もおらず、むしろ欧米で評価の機運が高まっている。そのひとりである先生(本名は屠文毅)が日本に帰化しておられ、僕が20年来の友人であることはこれまた「人生の軌跡」である。ご関心ある方に体験の機会を提供すること、それによって伝統技術を日本人に継承することを先生は強く望まれており、それに貢献をしたい。
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同時に来た2つの新しい仕事
2023 FEB 28 18:18:14 pm by 東 賢太郎

ソナーの経営は探偵事務所みたいにやりたいとかねがね思ってきた。依頼人がやって来る。それを解決してさしあげる。子供のころカッコいいと思ったホームズやポアロがそれだ。これまで出歩いて仕事を探したことはなく、旧知の輪の中で話が出てきてやらせていただいて、結果的にそれに近いことにはなっている。
資産を保全しながらできれば増やしたいというニーズは多くの方にある。この仕事は世の中の環境がどうあろうと需要がある。チャットGPTにはできない。僕はまずは自分の資産運用をしていて、これは趣味である。それと同じことをお客様にお教えするだけなので、責任はあるが “お仕事感” はない。
そういう流れのなか、先週に、立て続けに新しい話が2つ舞い込んだ。ひとつはある会社の経営支援、もうひとつは上場企業の新規ビジネス支援だ。どちらも未体験ゾーンだが、僕は火星探査機を「キュリオシティ」(好奇心)と命名したNASAに共感する人間だ、むしろ知らない方がワクワクする。
これまたどちらも旧知の人からだ。お互いによ~く知っている。このよ~くというのがポイントで、友達とか先輩とかそんな軽いもんじゃない。僕が何者で得手不得手まで熟知していて、どうwin-winになるかわかってる人たちだ。思えばみずほに移籍したときのお誘いもそうだった。
これがオン・デマンド時代の生き方だ。僕は口だけの評論家ではない。こうして実践してる。デマンドは学歴や職歴や肩書なんかにはない。「今できること」にしかない。だったらそれを磨くしかないでしょう?こんなわかりやすいことをできないからネットもゴシップ屋だらけの一億総評論家状態になってるのだ。
もうお金儲けだけの仕事はいい。人様のためになれる仕事をしたいので両方とも真剣にやろうと思う。
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ソナーの投資成績はイチローの2倍
2023 JAN 26 7:07:09 am by 東 賢太郎

我々が2年前に投資した会社にサウジ国営石油が出資を決めた。株価はすでに5割あがっており、来年に上場して10倍ぐらいになるというのが今の市場予測だ。株に絶対はないが、その不確実性は確率でしのぐことができる。イチローや大谷の打撃にだって絶対はない。しかしシーズンを通せば3割は打つだろう。これが確率の考え方だ。未公開株は倒産したり換金できないリスクがあるが(これが凡打だ)、10打数2安打で合格、3安打なら上出来のリターンが期待できるというのが一般常識だ。例えば10億円を1億円づつ10社に投資し、8社が倒産しても2社が上場して10倍なら総額は20億円(2倍)になる。10打数2安打で合格とはそういうことだ。
冒頭の会社も成功が見えたので、ソナーのこれまでの実績は5社投資して4打数3安打(1社は投資中)になる。打率7割5分は異例に高い(業界平均は2割ぐらい)というか、もはや異常値だろう。理由は簡単で、案件のご提案はたくさん来るがほとんどお断りしているからだ。普通の会社は投資残高をふくらませると管理手数料が増えるので「下手な鉄砲、数うちゃあたる」になりがちだ。従業員が多いと固定費が高く、食わせるためにもそれが必要だ。「確率は件数が多くないとワークしない」という理屈でそれが正当化される傾向がある。
それは疑問だ。野球なら「悪球打ち」であり、そんな打者が三冠王になったためしはない。業界平均はそういう人達の平均なので我々には全く関係ない。僕はファンド業界で育った人達とは申しわけないが毛並みが違う。40年株式市場で生きてきた選球眼に自信がある。だから「好球必打」しかしない。提案をお断りするのはボールだからで、ストライクなら振るし、振れば75%は安打にしている。僕自身が社長というよりプレーヤーなので社員は8人しかいらない。お客様には「イチロー並に打ちます」と宣言し、イチローの2倍打っているというのが現状のデータだ。
先週に40名ほど社員のおられるフィナンシャル・プラナー(FP)の会社様とご縁ができた。いまソナーは6社目の投資案件を進めているが、これは今までのどれよりも「ど真ん中のストライク」であり、安打しないと不思議というぐらいの好球である。同社様との第1号案件として良い結果を生むだろう。また、冒頭の会社様も上場前に追加増資があれば再度ソナーを呼んでいただけると確信している。近年、営業力のある証券、銀行の若手社員が退職してFPになるケースが増えているが、優良投資案件を持続的に提供できないと富裕層のお客様はつなぎとめられない。ソナーと組んでいただけば顧客満足度は高まると自負している。
我々は少人数主義を変えないので多くの個人投資家様に対応することはできない。したがって我々の案件にはこれまで一般のアクセスができなかったが、今後は取引先のFP会社様を通せば可能になるだろう。
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ソナーの経営方針を転換する
2023 JAN 3 0:00:36 am by 東 賢太郎

皆様、あけましておめでとうございます。
年が明けて心機一転と行きたいところですが、世の中の情勢はなかなか変わりそうにありません。日本だけの問題ではなく世界中の政治経済が変調をきたし、疫病・戦争・インフレのおなじみの三点セットで複雑骨折しているからです。だから疫病が収まろうと戦争が終ろうと、その単体だけの効果で骨折が治癒することは期待できないでしょう。円ドルは150円をつけたころのブログに132~5が僕のモデルの均衡点と書きましたが今も変わりません。株は期待できません。株が上がらないような政権運営をあえてしているからで、それで株を買いましょうと言ってる岸田政権は頭が複雑骨折してます。
といって我々はそうしたマクロ環境には無力ですから3年はそれが続くという最悪の前提をたてるしかありません。僕は同年代の世間並には愛国者ですが、3年以上もそれが続くなら日本はno hopeで海外移住する覚悟があります。岸田政権の背負ったものは大きいですが、それに耐えうるか否かはまだ未知数で、それも行く先のリスクファクターとして、大したことない期待値から割り引く必要があるのです。ともあれ喫緊の課題として、ソナーの経営方針を転換する端境期に来たと結論するに至りました。我々は市場に先駆けて動かねばなりません。
年末のことですが、ちょっとしたきっかけで会社時代の仲間に会って、あの時ああだったこうだったと昔話をしました。芋づる式に記憶がよみがえり、ランチだったはずが気がつくと外は真っ暗。これだけ夢中になれるというのも稀で、大変収穫がありました。学校の同級生の皆さんもコロナで同窓会がなく、ああだったこうだったをやりたいものです。あんまりお話したことがなかった方から「あの時こうだったでしょ」なんて意外な話題が出て楽しかったりします。そうか、もう20年も前か。普通こう書くと卒業してから20年なんですが、それはいまから20年前の同窓会の思い出を言ってます。そんなに生きてしまったわけですから、転換といってもそう簡単な話ではないですね。
ふり返ると、良くも悪くもゴーイングマイウエイで生きてきました。周囲の意見はほぼきかない。勤め人時代から我が渡世のスタイルで、それでまだやる自信もあるのです。しかしいずれ限界は来ます。このまま走って環境が変わってしまってはもう遅い。だから周囲の意見をよく聞いて決めるやり方に今年から変えていこう、その元年にしようと決めました。それができなかったのはひとえに頑固である我が性格が元凶なんです。それを変えるということですから生半可な決心では無理で、周囲の皆さんも、今日から物分かりの良いおじさんになりますと宣言したって誰も信じてくれないでしょう。
ということは昔から僕のダメっぷりを心得ている方々のアドバイスを聞くしかありません。多くの既知の方に会う。これを今年は心がけます。転換点なので自分をじっくりとふりかえりたい。それには僕をよく知っている方と虚心坦懐に話してこそ教わることが多いと考えるのです。good will はお得意様の意味にもなりますがもとの意味は文字通り「好意」です。それがあればお客様になってもいただけますが仲間にもなっていただけます。好意には好意をお返しすることが人間関係の基本で、ひいては社会的信用にもなっていく。このポリシーだけは不変ですし、それにはこの転換は適っていると思うのです。さてどうなるか。
長らくお付き合い下さった読者の皆さまにおかれましても、今年が幸せに満ちた一年になることを願っております。
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来月でいよいよSMCは10周年
2022 SEP 8 0:00:51 am by 東 賢太郎

新聞で唯一つ読んできた日経新聞の購読をこのたび打ち切ることにした。オンラインにしたわけでもない。もう業務にもプライベートにも不要である。これは僕にとって社会に出て四十余年、毎日やってきたことをやめるという意味ではちょっとした決断だが、心の声がそうしろというのにはいつも従う取り決めがある。もともと新聞は見出しだけで凡そ内容は察しがついてしまって久しいから、株価に影響がありそうなのだけ読んでいた。ところが、それがそもそもなくなったことに気がついたのだ。これは日経のせいではないが、何であれ、無用なものにお金を払わないのはポリシーである。
あれから全面的に報道がおかしい。5・15事件に匹敵する暗殺事件のことである。この国の反応、こんなものでいいのか?殺人事件で何より大事なのは物証である。漏れ聞こえてきているが、銃弾の数があわない。心臓の銃創で奈良県立医大と奈良県警の解剖所見がちがう。同様のことは伊藤博文の遺体でもあったが、安倍氏の遺体は早々に荼毘に付された。国会はシャーロック・ホームズを呼んできたらどうだろう。野党は国葬反対がだめなら経費が高い、マスコミは統一教会のオンパレだ(僕はぜんぜんどうでもいい)。この方たちは日本国にとって、いったい何なのだろう?警察庁は奈良県警の警備に不備がありましたで首をすげ替えて終わり。東京にミサイルぶち込まれてもこんなもんじゃないか心配になってきた。
この異様さの原点は、しかし、我々日本国民にある。大勢が気にすると気にする。しないとしない。だから報道されないと、しない。何がFACTかは気にしない。なぜなら、正しいかどうかより大勢が言ってるかどうの方が日本国では大事だ。だから、気にしてしまったものが後でウソでも誰も怒らない。みんなで騙されたからだ。
僕が去年、コロナを完全に無視した菅総理の東京オリンピック強行にブログで大反対したのをご記憶だろうか。やられてしまった怒りで、アスリートには申し訳ないが、中身のことはこっちも完全無視した。そして「IOCのエセ貴族を筆頭にした税金タカリ屋の祭典だ」と書いた。誰も何も騒がなかったが、いま、本当にそうだったことが検察の手によって次々に明らかになっている。これが本来の司法というものだ。しかし、悲しいことに、こうして報道されてお茶の間の話題にのぼると、初めて国民はけしからんと騒ぐのだ。「行列を見たら並ぶ」のはロシア人といわれるが、どうしてどうして、日本人がいちばん病気だ。行列のわけを知って、なんだこんなのに並んでたのか、ああ損したと思わないからだ。
なぜか?最大の理由と考えられるのは、並ばないと変な人と思われるからだ。美化する者はこれを「協調性」と呼び、しない者は「同調圧力」と呼ぶが、要はおんなじものである。いずれであれ、「自分が損してでも変な人にならない方が得」という方がよっぽど国際的に変な人なのだ。そうなってしまうことを社会心理学では「スパイト行動」(spite behavior)という。スパイトはin spite of~のそれで、「悪意」「いじわる」の意味だ。日本人はその傾向が強いとする様々な研究がある(http://経済実験におけるスパイト行動)。つまり、日本の美徳である「協調性」は実は行列に並ばない人を排除するスパイト行動によって支えられていて、「いじめ」というのは「変な人」を見せしめにする私刑行為で、それを補強していると考えてしまうほどだ。「長い物には巻かれろ」という日本的香り満点の箴言の正体はそれである。
ちなみに「協調性」は英語でcooperativeness、collaborativenessだが、16年英語世界にいて聞いたためしがない。「私は何でも誰とでも協調できます」ということだが、「いい人」は飲み友達にはいいかもしれないがビジネスではあまり役に立たないのと同様、入社面接で強調してもそれで合格するとは思えないから言わない方がいいだろう。英語は「cooperationが必要な時に無用の対立をするほど人間は尖ってません」ぐらいのニュアンスであり、そんなの当たり前だろで、むしろ付和雷同のほうを疑われる。協調が売りの人は、自分に何もないからそれを売るのであって、中国では求める方が異常だ。つまり「彼は協調性があるね」がいつも誉め言葉であるのは日本だけだ。これが「行列に並ぶ人」であり「長い物には巻かれる」人である。並ばない人、巻かれない人であるinventor(発明家)、innovator(革新者)、entrepreneur(起業家)、investor(投資家)には生まれつき向いてない人の方が日本社会では評価が高いのである。
ドイツにはシャーデンフロイデ(Schadenfreude)という言葉がある。意味は「他人の不幸は蜜の味」そのものだ。ところが英語にその単語はなく、ドイツ語をそのまま使ってる。需要がないと言葉はできないから、ドイツ人の方がそのケがあるのである。従って、全体主義化しやすい点では日本人と似ているわけだが、自分が損してでもというほど気合が入ったものではないと思う(ドイツ人はケチだ)。かたや日本では幼稚園から「みんな仲良く」だ。仲良くしない子は先生に叱られるのを見て「並ばなくては」「巻かれなくては」と育ち、長じては自分が風紀委員になって取り締まってもいいという人も出る(コロナの自粛警察が例だ)。かように日本人は特異な国民であって、特攻隊という発想をした大本営の動機は「肉を切らせて骨を断つ」でも「ジハード」でもなく、俺が死ぬんだからお前も死んでくれという「スパイト行動」につけこんだものじゃないかとすら思えてくる。学者の研究が間違いでないならば、日本人はことさらに他人の幸福をねたみ、身銭を切ってでも足を引っ張り、自分が損するなら他人はもっと損して欲しいと願う悲しい民族性があることは、認めたくあろうがなかろうがFACTであり、ここで「不愉快だ」と無視を決め込む人は、典型的に協調性だけで生きてきた人だろう。
民族性に文句をつけても何も起きないのは承知だが、だから「日本国は本質的に成長しにくい国だ」ということは知っておいた方がいい。例えば経済面での話をすれば、起業は「行列に並ばない人」がするものだ。並んでる側に大きな利益があるはずない。もしあるなら並ばせてる人も並んだ方が楽で安全に利益が得られるからだ。したがって、それを得んとする起業家は「並ばせる人」になるしかない。並ばないのだからイジメられる。それを覚悟した、日本における少数民族なのである。しかし、初めは誰しも意気軒昂だが、「変な人だね」のいじめにさらされ、9割が5年以内に力尽きてしまう。「行列に並ぶ人」はそれ見たことか(ざまあみろ)となる。「寄らば大樹の陰」のスローガンのもとでみんな仲良く「安心・安全」と「小さな幸せ」を分け合って我慢するのが日本国民の鉄則なのだ。従わなかった者が失敗するのは天罰であって当然、だから「ざま(様)を見ろ」(See how you look like.)と嘲るわけだ。こんな国で誰がリスクをとってイノベーションなどおこすものか。「日本国は本質的に成長しにくい国だ」はテッパンなのである。
昭和の高度成長は朝鮮戦争の特需であって、成長のエンジンであるイノベーションがもたらしたわけではない。特需はバブルをおこしてやがて去り、平成時代に元の木阿弥になった。そこから景気は「凪」のまま、デフレの病に陥って今に至る。民主党政権下で病膏肓に入り日本は死にかかったが、第2次安倍政権が超金融緩和政策のカンフル剤を打って救った。それを継いだ菅政権がどんな経済政策をしようとしたか僕はさっぱりわからない。さらにそれを継いだ岸田政権は、新自由主義はいかん、あれは失敗だった、だから「新しい資本主義」に転換すると言い出した。だいぶ前にそんな記事を日経新聞で読んで、何度読んでもわけがわからなかったことだけ鮮明に覚えている。
ブログに書きもしなかったのは、イノベーションもおきない日本が新自由主義だって?自民党の内紛と不動産屋の利権でやった郵政民営化をサッチャリズムと呼ぶぐらいお笑いだろで終わったからだ。ミュージカルをオペラだと思ってる類の自称西洋通の人たちの華麗なる世界であって、僕には無縁で異様でさえある。いまここで書くのは、イノベーターも起業家も「変な人」で足を引っ張られて海水のミジンコぐらい生息できない国で、新しかろうが古かろうが資本主義をやっても限界だ、「新しい社会主義」をやろうが本音なんだろうと思ったからだ。そこで、それらしく国家が推進して小学生にまで「株を買いましょう」とやってる。このひとたち、ホントに大丈夫なんだろうか。
株を買って資産倍増を目指すのは大いに結構だが、大樹だったはずの名門企業も外資に身売りするか、その救いもなく倒れて根っこをむき出してしまう異変がおきだした昨今である。すると、政府のお薦めでその株を買った人も、寄らば大樹の陰で勤めていた人達も、資産は倍増どころか半減するかもしれないことはどう論じられたんだろう。誰がその責任をとるんだろう。ところが、実は大丈夫なのだ。もしそうなっても、それでもなお、「こんな大企業が潰れたんだから仕方ないよね」と傷をなめあう同志が大勢なものだから「おお、私は長い物に巻かれている」という新たな安堵感が出てきて、行列に並んで損したとは思わないユートピアのような優しい世界がやがて現出するだろう。これがイルージョン(幻視)に満ち満ちた日本的幸福の典型的な姿である。
いま、日本丸は国ごとタイタニックみたいにそういう船になりつつあり、どうやって国民に快適なイルージョンを与えて衝突の苦痛を癒してあげようかという思いやり深い政治家、官僚が懸命に働いているのである。それ作りのプロフェッショナルである電通という会社もある。世が世なら、東京オリンピックもそのだしになって、税金の中抜きや賄賂で私腹を肥やしてた者たちも、それがバレるどころか国民の賛辞を欲しいままにするはずだったのだ。いいじゃないか、みんなで落ちる所まで落ちれば、貧乏バンザイ、韓国に抜かれたってこっちには富士山も温泉もあるからさ、なんてのがそのうち出てくるだろう。
僕が行列に並ばない人なことはこれまで読んで下さった人はご存じだ。その僕が尊敬する人が世にひとりだけいる。清少納言だ。なぜか?絶対に並ばないからである。いち女房の身でなぜそれができたか?ボスのサロンが守ったからだ。最高権力者である藤原氏が後ろ盾の一条天皇、その奥方である中宮・藤原定子という庇護者の威光で、「変な人だ」の風圧がシャットアウトされ、たった8年間ではあったが言いたい放題の「枕草子」執筆ができたのである。ボスが亡くなってサロンが消えるとその言論空間も露と消えたが、そこで生まれた作品は後の世でも大切に守られた。とりわけ「春は曙・・」は江戸時代の庶民に大人気となり、現代人まですっきり痛快にしてくれる。1000年の歴史にほんの一瞬だけあった「いじめフリー」「スパイトフリー」の特殊空間において彼女の天賦の才が全開になったというレアな化学反応から生まれたこの作品は、冬の天空でひときわ明るいシリウスのような輝きを放っている。
その空間は定子のあとを襲った藤原彰子のサロンにもあったことは、女房を引き継いだ10年後輩の紫式部が「源氏物語」を生んだことで示されている。どっちも日本が誇る大傑作であるが、個人的な趣味で言わせてもらえば、長編不倫小説よりも簡潔な箴言集の方が性に合う。「枕草子」は小説という虚構ではなく、ノンフィクションでもないが、筆者の赤裸々な独断と偏見の開陳ではあり、その言うことのいちいちの是非の無粋な詮索は刎ねつけるほどに筆のタッチが強くて鮮烈である。これを男に書けといわれても無理だと思う。男はそこまで「猫的」に社会から超然と、自由にしなやかにはなれない動物である。吉田兼好や鴨長明がいくら俗名を捨て、出家しようと神官になろうと、社会との「犬的」な関係はゼロにはならない。しかし、女性だからできたことが、彼女の亡き後、どんどん女性だからできないことになってしまった。だから模倣者も後継者も現れようがなかったのである。
彼女は「春夏秋冬」や「**なるもの」への「プライベートな感性のリアクション」を枕草子に刻印することで、隠し立てのない自分自身を写しだし、325枚の見事な「自画像」を残した。ファンである僕は、彼女が何を「徒然なるもの」と断じようと楽しい。もし夏は曙であったとしてもぜんぜん構わない。物事のイデアとしての哲学的存在、性質を論じてるのではないからだ(それは男の仕事だ)。万事が彼女の目に映ったものであり、その限りにおいて「存在(sein)」しているものの活写である。
何事も有無を言わさず「をかし」「愛し」「はしたなし」と一言でばっさり評価してしまう彼女は、人物として、「ちんけな小物」であってはならない。そんな人の言い草に興味を持つ者はないのは、誰かさんがインスタで毎食の写真をアップしても誰も見ないのと同じことだ。自信満々だが自然や子供には細やかで優しい目をそそぎ、きっぷが良くて度量も大きく、しかし時として女性らしいもろさで嫉妬や怨み節も開陳してしまう。僕らはその描写を愛しているようで、実は、彼女の感性、人となりを愛してるのである。日本国の悲しいスパイト空間に閉じ込められて、長い物に巻かれ、自分を押し殺し、へりくだり、空気を読んだりで我慢に我慢を重ね、自分が不幸だから他人にはもっと不幸になってもらいたいと一途に願って居酒屋で「あのバカ部長が」とくだをまく人々のジャンヌ・ダルクになっても不思議ではないだろう。
こちらも負けじと好き勝手を書き綴ってきたが、来月でいよいよそれが10年になる。なぜ時間をかけてそんなことをしたかというと、僕の「自画像」を1000年後の子孫に残してあげたら彼らはきっと楽しいだろう、それだけである。タイムカプセルにして非公開でもよかったが、同じ考えの方がおられれば宇宙船に同乗していただいてもいいなと思ってSMCという乗り物を作った。
ひとりぐらい、西暦3022年になって、まるで僕が清少納言さんを想像したみたいに僕のことをブログにでも書いてくれるかもしれないと思うと、それもまた楽しい。この楽しさというのは、僕が物心ついて最初の関心事であった天文学に発している。写真の銀河(NGC253)(撮影日:2020/10/20)は地球から1040光年の距離にある。つまりこの銀河が西暦980年の時の姿をいま僕らは見ているのだが、この画像の光が出たとき、清少納言さんは14才である。
「同時」って何だと不思議にならないだろうか?アメリカに電話して、1秒遅れて声が聞こえるイメージだ。声の主と本人とは1秒の間に1150万個の細胞が入れ替わってる別人だ。500光年先にあるオリオン座ベテルギウスあたりに鏡を置いて、いま僕が手をふれば、未来の子孫は鏡に映ったそれが見える。細胞入れかわりどころか、僕のお墓は1000年たってる。先日「枕草子」を通読して、清少納言がそこに生きていて語りかけている感じがしたのはそういうことだろう。
人が生きているかどうかは肉体の生存の問題ではない。その人のことを考える人がいれば、そこで生きているということだ。ブログを書いてそれを毎日1000人の人が読んでくれれば、僕はもうこの世にいなくても1000人の僕が毎日アラジンのランプから現れて、あたかも生きてるみたいなことになる。今は生きてるが、何もしなければいつもひとりぼっちだ。だから書いてきてよかったと思うが、しかし、仕事や健康と相談すれば、どこかでやめないといけないだろうとも思う。
書きたいことの8割がたはもう残した。息子は製本しようかといってくれている。日経新聞の購読をやめたことは、というより、やめるような情勢になってきたということは、僕の中では不可避的にいろいろな判断を強いられることになるだろう。あくまでも、僕は死ぬまで事業家でありたいからだ。世の中も変だが株式市場はもっと変であり、為替もしかりで144円をつけて30%もの劇的円安を的中させたのは万々歳だが、ここからは未知数が増えるから五里霧中だ。そんな先でもなく、いずれ想定外のことが起きるだろう。残念ながら仕事のことは開陳できないが、その時はその時だと腹をくくるしかない。
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ドルが急騰!(日銀が指し値オペ予告)
2022 MAR 28 23:23:24 pm by 東 賢太郎

今朝のことだ。僕はディーリングルームの真ん中に座って業務の指揮をしている。国債の入札に異変がありディーラーたちがてんやわんやの大騒ぎなのだ。あちこちで怒号が飛び交い、僕も怒鳴っている。
「みんな落ち着け!」「指値を下げていいですか?」「構わん、下げろ」「どこまで行きますか?」「わからん。マルク債はだめだ、売っとけ」「了解です」「板を見せろ」・・・(そんなに厚くない、まずいな、へたすると暴落だな)
窓の外はビル街でどんよりと曇った空がうっとおしい。ここはドイツなんだ。しかしなぜ?なぜDM売りなんだ・・・?
ここで目が覚めた。額にうっすら冷や汗が浮かんでる。そりゃあ円買いしかないだろう、日銀が金利上げ容認?そんな馬鹿な、株が暴落だぞ・・・
飛びおきて円・ドルレートをチェックする。7時半過ぎだ、レートは122円20銭である。なんだ、何も起きてないじゃないか・・・
その時はそうだった・・・
ところが2時間半たって10時10分すぎ、日銀が指し値オペの実施を予告したと知る。当然、円・ドルレートに異変が起きるはずだ。そこからドルは17時ごろアスクで125円10銭まで急騰。現在も123円80銭あたりである。
なんということか、僕がうなされていたちょうどその頃、日銀では異次元緩和の継続を意味するこの重大決定の発表に向け「てんやわんや」だったにちがいない。
お断りするが僕はこの発表は寝耳に水であり、なんらの関連情報すら知り得る立場にはない。マルクはもうないし、昔日、指揮官だった日々の夢はちょくちょく見ているからたまたまそれが出てきたんだろう。
それにしても、あまりのタイミングだ。
ドイツのころ、ブンデスバンクのアナリストに「日銀は公定歩合1%以下にすべきだ」と言われ、妙に耳に残った。まさかゼロになろうとは夢にも思わなかったが、それが今も頭にあって夢の舞台がドイツだったかも知れない。
お袋は霊感が強くて何度もお化けを見ている。お化けは見たことないが、僕は相場については何度かこういうことがある。去年、ドルが108円のころにほぼ全部の資産を「ドル建て」にしてしまう大博打を打ったわけだが、たまたま商品があっただけで理屈はない。あったのは、ドルは上がるはずという “不思議な確信” だけだ。
今年の2月2日に下のブログを書いた頃、まだロシアのウクライナ侵攻はおきてない。ただ、誰でもわかるようにやさしく書いたつもりだが、データを分析することで、そこそこのきれいな理屈はすでに立っていた。その通りのことが2か月後におきた、それだけのことだ。信じてくれた “ミセス・ワタナベ” は大儲けしたはずだ。いまディーリングルームの指揮官なら、「どこまで行きますか?」「わからん。円はだめだ、売っとけ」と答えるんだろう。
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フリーランスという素敵な生き方
2022 FEB 13 11:11:41 am by 東 賢太郎

「ワタシ失敗しないので」の外科医・大門未知子のように組織から飛び出して独立して仕事するのがフリーランスだ。作曲家のはしりはモーツァルトとされるが、彼は就職したかったができずにそうなってしまったから、自分の意志でそれになったという意味で大門未知子に近いのはハイドンだ。彼は33年間も宮仕えをし、雇用主が死んだのでしがらみを切ってフリーランスになった。58才のことだ。
そういえば大門を演じた米倉涼子も27年間所属したオスカープロモーションを辞めて独立し、本当にフリーランスになった。45才の立派な挑戦だ(女性の年齢を書くのは失礼だが公表されてるので)。そして不肖わたくしも25年はサラリーマン、49才でフリーランスになって今に至る。お二人より給金生活が短いというのもちょっと意外だがそうなのだ。ハイドンは宮仕えの総額の10倍以上をフリーランスになってから稼いだが、僕はもっとはるかにそうだ。
米倉さんも事務所に中抜きされないぶんそうなるだろう。プロ野球選手も球団に支配権があるから自由の身ではなく、FAかポスティングが認められるとフリーランスになる。我が広島カープでいうと丸選手はそれまでの10倍以上を巨人からもらってあっぱれだが、大谷翔平は100倍できかないことになりそうだ。以上のみなさんに共通するのは高い技術で何百万人の人を喜ばせる超一流のエンターテイナーだということである。
僕はというと、エンターテインどころかそもそもサービス業に向いてない。猫がお手をしないぐらい何もできない。投資機会を見つけてきて買いたい人はこの指とまれというだけだ。信用してくれる人が10人ぐらいいることがすべてで宣伝もしないし業務拡大もしない。「信用」。これは何かというと「東ならなんとかしてくれるだろう」ということに他ならない。いってみれば「期待」だ。僕は頂いた期待に背くことが本能的に嫌いである(プライド)。だから保証はしない代わりにそれを裏切らないことが仕事であって何ら苦痛でない。そんなに難しいことではない。例えば、現金1万円を預かって適当な食材を買って何かおいしい料理を作ってさしあげて期待を裏切らないことなら多くの人ができるだろう。同じことだ。問題はそれをしていくらもらえるかである。10人にそのサービスをして僕の収入を得るなら、その10人はどんな人だろうかということだ。富裕層ビジネスの本質はそれである。僕がフリーランスで稼げているということは、そういう需要が存在し、そうそうたる看板の大手金融機関がそれを満たせていないという証拠なのだ。そんな会社で何十年の歳月を送っても僕のしていることはできるようにならない。
お客様は15人が限度だ。それ以上は手が回らないからサービスが落ちる。すると肝心の信用も落ちるのでお断りする。従業員を増やすのも難しい(できる人はほぼいない。だから大手がダメなのだ)。知識も英語も必要だが東大を出ればいいというものではぜんぜんない。現状は慶応が多数派だがべつに学歴を見ているわけではない。結果論だ。それほど人がいないということは、参入も難しいのだ。なぜだろうか?簡単だ。この仕事で僕をひっくり返せる人はまずいない。これを断言でも公言でもできるからだ。そうやって生きてきた実績と古傷があるからそれを信用されている。論理的でしょ?ビジネスの修羅場の経験もないMBA、PhDを集めてきれいごと並べて自己リスクは取らないコンサル会社は何年たってもできないね。つまりオンリーワンなので収入も高い。これアンドロメダ星雲でも成り立つ宇宙の鉄則だよ。昨今の東大生の就職人気先はコンサルとファンドらしいが、ひょっとすると僕のスタイルでやる人が出るだろうか。出たら面白いから応援するよ。まあやるならフリーランスが絶対のおすすめだね。資本家に中抜きされて馬鹿らしいし、万事が自由である。コロナに強いのも利点かな。やりたい仕事だけやればいいなんて人生最高の贅沢じゃないか。僕はそれで退屈を満たしている。
もう8年も前のようだがこう宣言したのを覚えている。
自画自賛だが2013-14年あたりのブログが一番質が高いように思える。本当だった。まったくもってその通りに生きてきただけだ。
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