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カテゴリー: ソナーの仕事について

ソナー・アドバイザーズ(株)創立10周年

2020 OCT 19 23:23:34 pm by 東 賢太郎

お蔭さまをもちまして10年となり、青山で記念の昼食会を行いました。スピーチをしながら来し方を思い浮かべましたが、10年は長いようであっという間でありました。さしたる理由も覚悟もなく証券界に飛び込んだのが41年前。その一番最近の舞台がソナーだったという事になりますが、してきた仕事は同じですから自分の中ではずっと一貫した大河のようなものです。

まず御礼したいのは、海のものとも山のものともつかぬ時に出資して下さった株主の皆様です。起業を思い立ってすぐに自信満々で香港、インドネシアまで行きましたが、何人と会っても資本が1円も集まらず、人生途方にくれました。退職して名刺のない自分の無力を思い知りました。そこから立ち直らせていただいた株主の皆様のご恩は忘れません。

そうして2010年10月20日に事業をスタートし、素晴らしいお客様との数々の出会いがございました。証券界で41年やって来られたのもその喜びあってこそです。とても大事なことは、起業以前から存じ上げていた方はおられず、出会いひとつひとつがソナーの歴史になったということです。我々はお客様の為に働くことで歴史を作っている、そういう意識を堅持して参ります。

そして今日この日、ソナーの10年目という特別な場を共有していただいた役員、社員の皆さまには感ずるものがございます。41年にわたり多くの先輩、同期、後輩の方々と苦楽を共にしましたが、ご縁には「時」というものがあります。何人も左右できず偶然に見えますが、僕はそれに意味があるという経験を幾度かしてきました。また、ここにはおられませんが、今あるのはこれまでソナーにご縁があった方々全員のお力添えの成果でもあり、心より感謝申し上げます。

いまソナーは9人、社員ではないですが近しく仕事をして下さっている方々をいれると20人ほどが事業を支えてくれています。そのうち、10年以上前から知っていた人は3人だけです。お客様もそうですから、僕自身がソナーといっしょにブランドニューの人生を築いてきたという誇りがございです。過去の小さな成功体験にこだわると大きな成功は来ないと信じ、これからもそうあるつもりです。

コロナは世の中がどう変わるか誰もわからないことを教えてくれました。だから、どう変わっても生きられるようにしておくことが大きく稼ぐことよりも大事です。それには会社を無用に大きくしないことです。小さい組織なら、社員一人当たりのリターンを増やすことでモチベーションは高くなり、同時に、変わり身の遅さが理由で倒産するリスクは低くなります。どう考えてもコロナ後は得なのです。これからそういう時代になると思います。

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魅力ある株を探しだすことは最大の趣味

2020 SEP 13 1:01:11 am by 東 賢太郎

ソナーという社名はソナー探知機からとった。それは僕の最大の趣味が、魅力ある株を探しだすことだからだ。野村時代にドイツでSAP、香港で超大現代農業という株を見出し、どっちも株価は10倍になった。飲み屋で中国人のお姉さんに儲かりましたと感謝されたが、一介の証券マンが世間様のお役にたつなどその程度のものだ。中国人もアメリカ人も不労所得はいかんなどと辛気臭いことを言わないのは実にすがすがしい。労働は尊いものだという価値観が日本にはあるが、キリスト教国では労働は悪であって、だから早く帰宅するし休暇も1か月も取る。ドイツ人などその最たるものだ。別に日本の文化にケチをつける気はないが、だからといってお金に働いてもらうのがおかしいということはない。この妙な考え方がコロナ経済下で二極化批判のダシに使われるなら人生百年時代の日本国民の資産形成には絶望的な話だろう。

僕は勤勉実直でお堅い銀行員の息子である。「アリとキリギリス」や「小原庄助さん」の訓話で育ち、二宮尊徳は偉いと教わり、「学生の仕事は勉強だ」といわれて官僚養成所の学校に進んだ。労働が尊いと思うようにはならなかったが、食うために働いて自助努力するのは当然という価値観はできた。そこまでは親父の計画通りであったが、無計画にアメリカへ2度行って放浪し、本能に従って進路を勝手に決めた。計画からは180度ずれ、親不孝になってしまった。なぜあんなに熱病みたいにアメリカへ行きたかったのかは長らく謎だった。どういうわけか、ほんとうに忘れてしまったのである。ずっとベンチャーズの影響だろうと納得していたが、ちょっと動機としては弱いと思っていた。ところが先日、CS放送で刑事コロンボをやっていて、「これ、夢中になって見てたよなあ、こうやって犯行がバレるんだよなあ」となつかしく思い、いつごろだったかなとwikipediaでシリーズの初回放映日を調べてみたら、まさにあのころだ。そうか、これだ。

思い出した。成功者でセレブである犯人たちの大豪邸だ、それが頭に焼きついたのだ。やっと合点がいってくる。なるほど、だから最初に行ったのが西海岸だったのか。あれに憧れて渡米し、ハリウッドやビーチの豪邸を眺め、ああいう生活ができる富がほしいと思って帰ってきたのだった。劇的なカルチャーショックだったのは、アメリカのセレブに官僚やサラリーマン出身はいないことだ。会社を興した事業家であり、歌手やスターであり、スポーツ選手であり映画監督であり、弁護士や医者であり、何であれ才能で輝いて自営業で自由に生きてる連中だ。そうでなければMBAをとってウォールストリートでサラリーマンとして高給を取って元手と人脈を作って勝負するわけだが、これは才能がないほうの連中の道だ。

そういうことをカリフォルニアで現実に見知って、ウチに資産はないから自分で稼がなくてはいけないと思った。なんのため?ああいう家に住むためだ。男の人生最終の通信簿はどんな家に住めるかだと思うようになった。あんまり子孫の名誉にもならない話だが、僕はそんな動機でなんとなく進路が決まってしまったことは否定できない。菅さんが上京して段ボール工場で働きながら天下国家を動かす道を志したと聞くと恥ずかしくなる。しかもサラリーマンという一番なる気のないものになったわけで、その理由はといえば何の才能もなかったからだ。才能というのは先にあるのではない、やってから、あったねとなる。だから何もしなければないし、やってみないとあるかどうかは誰にもわからないのである、などと今になって慰めてもいるが。

最大の趣味が魅力ある株を探しだすことだと知ったのは野村證券に入ってからだが、日本のウォールストリートで富を作りたいのだから当然だろう。10倍になる投資というと株しかない。1、2割もうかるなどという話にはさっぱり興味がなく、30年も証券マンをやってきてお客さんに債券を売ったことは一度もない。こういう人間にとって、個人営業で大坂を駆け回った平社員時代は楽しかった。君は面白いやつだと、小僧が絶対に会う事もできない大物のお客さんたちにかわいがってもらったからだ。そこで株式投資を通して生活やお金への考え方や処世術をじっくり学ばせてもらい、実は素顔は名刺からは想像できない普通の人だという事もわかった。

役員や拠点長になりたくて頑張ったからサラリーマンはやっていたわけだが、その動機は出世すれば大いに給料が上がるからである。しかし、なってみるとそれでは足りない。トップになっても大したことはないだろう。すると、職務規定で株を買えないという本末転倒は人生のゴールに向かうにはナンセンスだったし、自己都合の退職はいずれ来るべきものだったと思う。起業が絶対だったわけではない。デイトレーダーでもよかったが、出資してくれる方が現れそれはなくなった。人様の資金を増やすとなるとひとりでは弱いからだ。そこでSくんに出会ったことは幸運だった。渋谷の中華料理屋で初めて会って、彼と会社をやろうと即決した。同じ趣味の持ち主だったからだ。

生命保険会社で運用キャリアをスタートしたSくんは儲かる株を探す求道者でありマイスターである。何時間語り合っても疲れない、そこが同じなのだ。こういう仕事はいい意味でオタクでないとできない。Sくんがやって資金は3倍になったがこれは偶然でも不労所得でもない、あらゆる経験と知恵を使って労働して出た利益である。だから報酬は相応に頂くしお客さんにご満足いただける。知恵の勝負で労働が見えにくい金融業は成功して顧客満足があってナンボだ。成功報酬なるものを成功率5割の人がもらう資格はない。一発屋がビギナーズ・ラックでもらえるものでもない。満足な結果を5年以上継続して出すのは統計的に至難とされる。彼は20年も出している。説明はいらない、それがすべてだ。

僕に彼の才能はない。ただ彼が異能の人だと見抜くことはできて、組む利があると判断した。彼のほうはデイトレーダーでも問題なく食えるが、なぜ僕と組んだかというとそのほうが利があるからだろう。彼の利と僕の利は中身は同じではないだろうが、会ったときに1+1が2以上になるとお互いが思ったということだ。パートナーシップ、成功するwin-win関係とはこういうもので、こと人に関しては直観、第一印象を大事にしている。見かけや服装ではない。話してみないとわからない。どんなに家柄や履歴書が立派でいいと思っても、僕は理屈ではなく決める。どうして自分がそうしたか自分にも説明はできないが、それに逆らわないことにしてきて失敗してないからそれでいい。

だいぶ後になって執行役員のKくん、Dくんが加わった。基幹の業務ラインが2つになって大臣がもう一人必要となり、経営全般に官房長官が必要になったからだ。僕はプロ野球のスカウティング以上に学歴を見ないが、結果的に慶応4人、東大2人になった。非常に満足なのは9人に重複がなく特技がクリアに違うことだ。僕自身もプレーヤーのひとりであり、名刺には社長兼CEOとあるが対外的にそういう “配役” を演じているということにすぎない。では対内的に指揮者かというと、9人が同じ曲をやることはまずないからそうでもなく、僕が指揮台に立っていると客席が埋まるという意味でだけ指揮者だ。

この「ゆるい」組織は気に入っている。全員がプロのプライドと時間を持てるし、貢献度に応じて利益配分を受けられる。なぜそうしたかというと単純で、若いころ自分がそういう会社に入りたかったからだ。こうすれば専門性の高い人のモチベーションとパフォーマンスは上がるし、求人においても他力本願のサラリーマンは来なくなり、自信のあるプロが寄ってくるのである。そして、ラッキーなことに、この組織はリモートワークになってもダメージがないことがだんだんわかってきた。むしろコストをセーブできるかもしれず、要は、コロナはあんまり関係ないという事だ。

魅力ある株を探しだすことは推理ゲームである。株がその他(債券、FX、仮想通貨、ゴールド、原油など)と違うのは対象が日本だけで3500銘柄あり、その個々に “ファンダメンタルズ” と呼ばれる企業業績のデータがあるからで、株価をモデル化するならば複雑な多変数回帰分析が必要だ。その他のほうは対象も変数も圧倒的に少ないから解析のインテリジェンスで優位性を持つことができず、結果的に長か半かのバクチに近くなってしまう。しかし、もっと重要な差異はというと、株価は企業価値そのものでありすべての経営者はそれを増加させようと人生を賭けて努力していることだ。円レートや金価格を高くしようと頑張っている人など世界のどこにも存在しないが、すべての企業には手金で勝負をかけたCEOがいる。つまり株価には常に上昇バイアスがかかっているといえる。参加する価値のあるゲームではないだろうか。

しかもゲームに勝てば運用益というお駄賃がもらえる。払ってくれるのは市場であり、相手は匿名性のあるリスクマネーだから恨まれることもない。短い人生で普通の人が資産を10倍にし得るのは株しかないし、いくら儲けても世間様にご迷惑にならないのも良さだろう。日経平均が上がっても株を持ってるのは富裕層だから庶民には関係ないなどという政治家がいるが、こういう人は浅知恵から株をバクチと思ってるのであり、払えるはずのない年金で国民をごまかしているのである。コロナが長引いて世界の政府は財政出動と異次元金融緩和を継続せざるを得ず、それは図らずも国家が株高政策を採ることを意味する。それを税金で行うのであれば庶民に小口でも株を持たせ、国家と利害の一致したポジションを取らせてあげるよう適切な投資教育を行うことが善政なのではないだろうか。

僕は自分の感性という探知機で見つけた企業の株とコールオプションをソナーという蔵にがっつり貯め込んできた。あと2年ぐらいでそれがIPOして何倍になるかは時の運だが、不発でも2倍だろうし10倍も夢でない。だから来年までワクワクドキドキして過ごせるわけで、これぞソナーを作ったご利益と天に感謝する。たぶんあと2、3発の「弾込め」をすれば後進に道を譲って後顧の憂いなき人生になろう。娘が健康を心配してくれて、お父さん仕事しすぎだよ、もういいから人生楽しんでと言ってくれる。ありがたいことだ。でも僕にとってこの仕事は労働ではなく最大の趣味なのだ。他は全部捨ててもこれだけは残るものであり、尊いとも思わないが嫌と思うこともなく、すでに理想郷であるショーペンハウエル的幸福に近づいているのだ。オーストラリアか屋久島の好きなホテルからリモート参加なんて形なら80になっても後進のお役ぐらいには立てるだろう。

ところで、証券ビジネスへと背中を押してくれたコロンボの豪邸だが、もう家はあるしあんなでかいのをいずれ家内と二人でとなると猫を増やさなくてはいけないだろう。そのためというわけではないが、先日に、野良だった4匹目のフクが来た。こいつは気が良いしオスの黒猫であることに大きな意義がある。福を呼んでくれそうだしクロが2匹で黒字経営と縁起もいい。そして何より、我が家は猫を入れると男女比が2:6と劣勢であったが盛り返すこともできるのである。

 

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必然は偶然の顔をしてやってくる

2020 JUL 10 18:18:40 pm by 東 賢太郎

さっきニュースで英投資会社スローン・ロビンソンが閉鎖を決めたことを知った。ヘッジファンド業界が厳しいとは聞いていたが驚くしかない。僕にとって同社との出会いはどんなドラマより劇的だった、なぜなら、それがソナー・アドバイザーズという会社を生んだのだから。

 

僕は2010年にみずほ証券を辞めてフリーランスになり、理想とする金融業務を行う会社の設立に全身全霊をかけていた。出資を仰ごうとまず香港、インドネシアに飛んで超富裕層の華僑にプレゼンテーションをしてみたがうまくいかない。自国市場の方が日本より成長率が高いのがネックだった。

作戦は難航したまま半年が経過していた。ニューヨーク在住のY君からメールをもらったのは6月5日の夕刻、成田空港でのことだった。香港で断られて真っ暗な気分で帰国し、成田エクスプレスの到着を待っていた時だ。

「東さんとは気が合うと思います。電話しておくので、すぐにロンドンまで行って下さい」

すぐY君に電話した。心が躍った。人生最悪の時に人生最もエキサイティングな話と思った。電車が来たときに、もうロンドン行きが決まっていた。

その相手が、1兆6千億円の資金を運用するスローン・ロビンソンの創業オーナー、ヒュー・スローン氏であった。面識がなかったが、シティきっての日本株投資のプロである。こっちもプロである。わかってくれるはずだ。もらった時間は午後1時から2時まで。その1時間に賭けようとロンドンに飛んだ。

陽ざしの強い夏日だった。1時のアポの直前まで大英博物館のベンチで資料を盛大に広げてプレゼンの仕上げをしていると、通行人が怪訝な眼を向けた。構ってる場合じゃない、こちとら失敗は許されないのだ。ふと思い出した。こういうことは新入社員だった梅田支店でもあった。それで大坂財界の大物をお客さんにしたじゃないか。じたばたしてもいいことない、開き直ってやるだけだ。

スローン氏は年格好は同じほどのオックスフォード出の聡明な紳士だった。Y君の直感通り、すぐに意気投合した。6年間シティで日本株を売っていた頃の、緊迫はしているが何かが起きる期待にも満ちているあの空気がおだやかに部屋を流れた。プレゼンはほんの30分で終わり、雑談になって2時間ぐらいになった。同行していた息子を呼んでツーショットまで撮った。返事は快いものだった。

スローン・ロビンソンのオーナーがスポンサーになったということは周囲でいっぱしの話題になり、まだ設立してもいない僕の会社の信用になった。おかげで別の方からも出資をいただき、2010年10月20日にソナー・アドバイザーズ株式会社は誕生した。すべてはY君のくれた洞察力に溢れるメールと、スローン氏との好意に満ちた2時間から生まれたものだ。

今も出会いの瞬間は昨日のように覚えている。何も言わずに握手しながらしばらく彼の眼をじっと見て、信用できると思った。付き合いを始めてみても、その判断は裏切られなかった。40年この仕事をして何千人の眼を見てきたか数えようもないが、そういうものなのだ、人種も年齢も性別も宗教も学歴も職歴も握手も、その全部を束にしても、眼よりものを言うことはない。

 

昨日の東京はじとじと雨だった。梅雨は苦手だ。6月のグァムが意外にましだったのでこれから毎年そっちに逃避しようと思っていたが、コロナでもう難しくなったかもしれない。ZOOMで業務は進んでいるが、いかんせん3か月もステイホームすると外へ出たい。感染はできないから三密は禁忌して近場をジョギングする程度だが雨でそれもできない。

スローン・ロビンソンが閉じるというニュースは、じとじとした気持ちをぴんと引き締めた。そんなはずはないだろう。まずこの記事ほんとうだろうかと疑った。英語のニュースソースを調べると、それは2日前の7月6日に発表されていることがわかった。誤報ではなかった。その日をもってスローン・ロビンソンは消えたのだ。

7月6日・・・

ちょっと気になって、2010年の日記帳を引っ張り出した。大変な時だったから記録のために日々漏れなくびっしりと出来事を書きつけてある。ページをめくりながら、だんだん「ひょっとして」が強くなる。あった。やっぱりだ。

プレゼンをしたあの日は、10年前の7月6日だった・・・

これは僕の胸中で既視感を呼ぶ。こういうことは過去に何度かある。偶然といえばそれまでだが、偶然にもいろいろ種別があって、生きてることも我が両親のもとに生まれたのも、自分で決めなかったものはみな偶然なのだ。ところが、自分で考えて決めたはずなのに実はすでに決まっていたかもしれないと後から強く感じること、いうならば、

必然は偶然の顔をしてやってくる

というものが、この世の中には存在しているという気がしてならない。実はどこかで先に決められていて、その選択肢を僕が選ぶことも決まっているのだが、それに気づかないようになっている。だから「あれは運命だった」みたいな後付け解釈が施される。あの日に巨大な王国に見えていた1兆円の会社が、これから作る僕の会社より先に消えるなんて何億分の一の確率もあると思わない。

必然はきっとプログラムされている。そう思う。ぴったり10年とはいかにもプログラムっぽい。誰がしたかは誰も知らず、アインシュタインはそれを神だといった。我々に見える物質(元素)はぜんぶ足しても宇宙の4%しかない。我々は96%の部分に何があるか知らないし「4%世界の常識」に合わないものは「そんな馬鹿な」で切り捨てている。重いものを受け取った気がする。

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1年は巣ごもりでもいい

2020 APR 4 2:02:33 am by 東 賢太郎

去年ひどい目にあったインフル。あれは僕の行動パターンを知らぬ間に変えていたんだということがこの新型コロナ騒動への自分の無意識の反応でわかった。本来びびりだからほとんどリスクは取らないが、証券ビジネスで生きるため逆になってしまっていて、それで仕事は出来ていたがそれで疲れていた。

今週からテレワークして今年どうしようと考えているが、事態は日々激変で答えは出ない。だったらのんびりしようと思っていろいろしたが、ぜんぜんのんびりモードにならない。猫がうらやましい。去年までならここで無理してしまったが、今は違って1年巣ごもりでいいやと思っているのである。

それは、僕が意味もなく疲れるのが会社の最大の無駄でありリスクだからだ。びびりの本能に帰って、リスクは取らないという選択をするのである。巣ごもりしても会社の兵糧は大丈夫だが、経営者がそんなことでは社員やお客様は不安になるだろう。でもチャンスに起爆力を蓄えたほうが得策と決めた。

そこで、働かないのだからその間の僕の役員報酬は減らす。もちろん働いてもらう社員はそのままだ。それがフェアである。僕を信じてついてきてくれている社員は守る。経営者として当たり前のことだ。僕がじっと待つのは、お客様のためになるタイミングだ。それが来たら、一気呵成に攻めに転じる。

それには、最大の元凶であるコロナ・ウィルスを知ることだ。金利動向も企業収益もどうでもいい。それしか戦いに勝つ方法はない。ここまでは、ほぼ僕の読み通りに来ている。先を読む力、こればっかりは人に教えられるものではない。のんびり構えてそれを鈍らせないのはひとつの手だと思う。

 

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パンデミックは必至

2020 FEB 27 23:23:41 pm by 東 賢太郎

昨日は一日、朝のタクシー運転士さんから社員からパートナーから全員にウィルス対策を教えて終わってしまった。それだけ皆の健康が気になるからで、パートナー若手諸氏がせっかく話をききに来てくれたが本題そっちのけになってしまい申し訳なかった。

父の入っている高齢者施設から「契約書にサインしに来てほしい」と電話があり驚いて「そんなの郵送でいい。社長に言って外部者の入館はすぐ禁止してくれ」と言ったら施設はびっくりして騒ぎになった。その時点で役所からは何の指示も来ていなかった。2月17日のことだ。遅い。遅すぎる。

火曜は舎弟Sと夕食のはずだったが、朝方に電話で「今日やめときましょう」といってきた。どうしたのときくと「ウチ担当のやつが出ちゃったんです、陽性反応」「えっ?会ったの?」「いえ今年はまだ」。だったらいいようなもんだが、ご時世がら、そうきいただけで気勢をそがれちまう。その担当者氏のD社が全員テレワークというニュースが世間を驚かせたのは午後だった。

経済ってどうですか、株はどこまで下がりますかとよく聞かれる。きみね、ウイルスの得体もしれないのに株価なんてわかるわけないだろ。そうなのだ。陽性なのに健康に見えてバラまいてしまう。かかっても初めは風邪ぐらいのふりをしてバラまかせて、急に両肺にくる。いったん陰性になった罹患者がまた陽転する。このウィルスの「なりすまし戦略」は凄い。正体を見せず、じわっと確実に広がっておいて、しかも宿主に居座る。生物兵器かどうかはともかく人工物ならまぎれもなく最高傑作だ。

ワクチンは1年はかかるらしい。全大陸に既に広がり、ひとりでも出たらどこの国だろうと止めようがない。よってパンデミックは必至。「イメージまだ世界は三合目、半年はいくよ。オリンピックはアウト」。クラスターをつぶす戦略は正しいというより唯一の対抗策である。イベントの中止、一斉休校は当然。今日の読響はブルックナー2番があるので悩ましかったが昨日やっと中止が出た。廣津留すみれさんの来日公演も中止の連絡あり。プロ野球はオープン戦無観客で済まないだろう、テレビの斉藤コミッショナーちょっとお疲れ気味で心配です、ご自愛ください。

弊社は2年先を売っているので社員の健康はともかく業務的には警戒する意味がない。パンデミックを想定して、全人類が死滅してない限りそれがどう織り込まれているか、「未来完了形の文法」で思考するだけのことである。3月までに仕上げるべき案件があって、去年までなら僕が自分でやっていたがこの1年で実力者がそろった。どこまで皆さんにお任せできるかお手並み拝見だ。このビジネスはマニュアルで教えられない。言葉は悪いが、虎の穴にぶちこんで苦労させるしかない。目の黒いうちに何人鍛えられるか。

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うまくいくのは神様のおかげ

2020 FEB 7 11:11:06 am by 東 賢太郎

65才になった。5年区切りで考えると、なにやら節目の年かもしれない。50で退職、55で起業、60で収益化と来た次は何だろうと思う。

考えてそうなったわけでない、50,55の時点時点では失敗だ、不幸だと思って仕方なくそうなった。その敗北感がなければこんなしんどい道に迷い込むことはなかった。そこから多少うまく行ったのは運だ。

65年を俯瞰してみると、浪人時代、梅田時代、ロンドン時代が三大ドツボ期だった。受験、営業、海外とお初の環境でもがき苦しみ、しかも大失敗をしてしまった。

浪人なんかやめとけば、別な会社に入ってれば、と後悔したことは何度もある。逆にそれあっての今と思ったこともある。コップの水を「もう半分」か「まだ半分」かと聞かれれば、半分は半分だと答えるのが齢65だ。

そんな気持ちになったのは初めてかと思いきや、実はもう5年前にその予兆のようなことを自分で書いている(がんばらない生き方)。①決めない②求めない③大事にしない④神仏を信じる、だ。

自分の長所は忍耐力、短所は飽きっぽさと思う。矛盾する二つが、集中力という接着剤で結びついてうまくいっていた。がんばれるのは集中することだけだが、トシと共に集中力が落ちて来たらこのバランスは崩壊する。

①は5年前からそうしている。②の「欲」は、もうない。足るの境地はまだ知らないが、欲がなければ即ち足りているからこれは出来ている。

③の「いらん物はすぐ捨てる。だめと思ったらすぐやめる。直感の声に耳を澄ましてそれをすぱっと決める」、これである、これから大事なのは。

うまくいくのは神様のおかげ。自分ではない。うまく進まないものは「やめとけ」というお告げと考える。

まったくそのとおり。ここまで、自分は忍耐しただけだ。何か選んだわけでも能力で乗り越えたわけでもない。一切の過信はごみ箱に捨てる。そうしないと、

『直感の声に耳を澄ます』

ことができない。

『うまく進まないものは「やめとけ」というお告げと考える』

何十年株とつきあってきて、今でも難しいのは「損切り」だ。自己否定だからである。でも神様のお告げなら仕方ない。

 

(PS)

先日書いた才能は遺伝で決まるというブログでショックを受けたという人がいた。それは事実かもしれないがショックは不要だ、人生は才能でも遺伝でも決まらない。実感として、8割は運だと思う。

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才能は遺伝で決まるという謎(その2)

2020 JAN 25 14:14:36 pm by 東 賢太郎

独立して今年で10年になるが、思えば、やってきたビジネスは全部海外に関わる案件である。日本のみで完結したものはない。僕はキャリアからして世界を見ている。その目で投資する「金の卵」と思うものは結果として海外にあったということであり、日本の良いものは外人の方が分かってくれたということだ。

それを日本に持ってくるには外国人と非常に面倒くさい交渉が必要だ。言葉や手続きだけではない、まず外人とのきっかけ作りが普通の日本人にはできないし、できても交渉が稚拙なら良い条件は引き出せないし、ヘタすれば騙される。相手はイメージとしてはトランプやゴーンのような連中と思っていただけばいい。

グッチ、エルメスなどを日本に持ち込んだ銀座のブティック「サンモトヤマ」の創業者、茂登山長市郎をモデルにした幸田真音の「舶来屋」が面白くてこのブログを書いた(洋モノ美しいもの好き)。彼は単身イタリアへ乗り込んでその案件を体を張って開拓してきた。その創意と度胸と苦労に大きな価値があるから、それに日本で提灯をつけただけの奴とは比べ物にならないほどお金が儲かった。フェアなことだ。ソナーで10年やってきたのはこの路線だったのかなとも思う。

たとえば、結果的にノー・ディールとなったのでもう書けるが、ユニバーサル・スタジオをソウル郊外に作るという2000億円級の壮大な案件があった。米国ー韓国の外・外案件なのになぜソナーに話が来たかというと、日本企業の出資が必要だったからだ。そこで有力企業のトップに掛け合って50億円集めた。僕も出資させてもらう条件を付け、インベストメント・バンカーとして極めて血の騒ぐ案件だった。

こういうのが来るというのはキャリアのおかげでもあるが、それ以前に、この手のものに血の騒ぐ人間であるからだと思う。命令服従やソンタクはしないが、血が騒げば地の果てまで飛んでいってでもやるスナイパーである。それを旧知の皆さんや新しいお客様に知ってもらっているということであり、かち合っても勝つ自信があるから競争相手はあんまりいないように思う。ソナーは畢竟、僕が血が騒ぐことだけやって10年存続してきた。

そこで考えるのは「血が騒ぐ」というのは遺伝であって、教えられないかもしれないということだ。まず、僕自身がそうなるように教育された記憶がまったくない。両親がどうして?となるようなことに自然と熱中して、結局、学校で習うことは何も興味がなく、血が騒いだものだけを「独習」してここまで生きてきた。熱中していた野球もゴルフも他人に習ったことはない、全部独習だ。

勉強もそうだ。大学受験で浪人して本気でやってみた結論が、英国社は興味がわかないということだった。だから捨てた。数学だけ血が騒いで公開模試で満点を取ったが、数学で食うほど頭は良くなく、文系の道はすべて興味ないことが入学してから発覚した。唯一、株式に関心があり、金儲けには血が騒いだから証券会社に入った。大正解だった。やはり血が騒ぐかどうかがキーだと得心する。

僕の強みは交渉力に尽きるが、こんなのは人に教わるものではない。勝たなければ殺されるぐらいの絶体絶命の修羅場をくぐって自分であみ出すものである。金融ビジネスというものはカネのにおいがすれば血に飢えたハイエナどもがぞろぞろたかってくるジャングルみたいなもの。そいつらを蹴散らすのは交渉力であり、自分を守る唯一の武器でもある。

綺麗ごとではない。表の理屈や理論や見栄のいいプレゼン資料はどうでもいい。それはお飾りで、実はかなりの部分が下準備と人間力による力関係で決まる。交渉の場で偶発的にアドホックに決まるなんてことはまずないのは数学の出来る人がその場のひらめきに頼ってないのとおんなじである。下準備8割、人間力2割のイメージだ。後者は、本番で予期せぬカードが出てきたときに脅し、なだめすかしで押し切るのに使うが、それがないとそもそもの下準備が浅くなるから話にならない。

ではその人間力とは何か?実は僕もよくわかっていないが、人そのもののこととしか書きようがない。営業本に書いてある「あなた自身を売り込め」なんて安サラリーマン用の教訓ではない。売り込める人はそんな本は読まない。読むような人はそもそも自身の商品価値がないからそんな文句を覚えて実践しても何も起きない。血が騒いでる人は誰かに価値がある。間違いなく売り込むことが可能だ。ペンタゴンが自分をハッキングした者を雇うのはそういう事だ。

僕が事実として商売させていただいているのは、恐らく、この仕事が向いているからであり、つまり血が騒ぐほど好きだからだ。それは野球や天文や猫が好きなのと何ら変わりはなく、そうなったことに理由は思い当たらない。つまり、生まれつきの遺伝的形質なのだとしか考えられない。先祖が横浜で外人に生糸を売って大儲けした。僕もその形質を継いでいて外人相手の商売で交渉がうまくなって、今も外人と商売している。たぶんそれだけのシンプルなことだろう。

自分が先祖由来の才能を使って生きていけるならそれに越したことはない。すべての人は姿形が違うように能力も千差万別だ。皆さん何か一つは必ずある。それを磨いたほうがどう考えても得だし、もっと大事なことは、苦痛にならないから壁にあたっても続けられるのだ。いえ、自分に能力なんてと思う人もあろうが、美点というのは自分で気がついてない人が多いのが事実である。そのまま老けてしまうなんてあまりにもったいない。

例えば、明るい人、笑顔が素敵な人というのは男女を問わずそれだけで才能だ。僕みたいにストレスまみれの人間はそういう人に安らぐから営業職に確実に向いている。ところが男社会ではそれが評価されない。プレゼン力が評価されるわけだ。それならばそっちで負けてなければ笑顔力で必勝ではないか。そう考えるのだ。僕の入試戦略はそれだ。英国社はできなくっていい、負けなければオッケー、それで数学で絶対に勝てる。こう思えば人生とても気楽になれるだろう。

就職に悩む若者はぜひ考えてみてほしい。どこに就職したら給料が高いか、安定的か、世間体が良いか、ブラックでないか、食うためにとりあえず働くなら何がお手軽か、そんなことは長丁場の社会人人生では、全くどうでもいい事であると断言してもいい。いっさい忘れて、お風呂にゆっくり入って自問してほしい。その仕事に血が騒ぎますか?と。

 

宇宙のすべては数学で理解できる

 

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何かしてくれそうな人、してあげたくなる人

2019 DEC 14 20:20:17 pm by 東 賢太郎

人にはなぜか、何かしてくれそうな人、何かしてあげたくなる人がいる。なぜそうなるのかに理屈はなく、血縁とか利害関係もないのにそう感じるのだから不思議だ。すると、ごく自然に、その人とはご縁ができることになる。

「してくれそう」「してあげたくなる」は好き嫌いではない。僕は元からあまりそれがない人間で、例えば初対面の人が生理的に嫌いなどということはまずない。あるとすれば、その人がしたことが許せない、これはある。しかし嫌ったのはその人のした行為であって、典型的な「罪を憎んで人を憎まず」であり、憎むとしても「罪刑法定主義」である。その「法」はまあ僕の私情にすぎないかもしれないから要は好き嫌いでしょといわれればそうかもしれないが、法と書いてしまいたいほどに首尾一貫していると自分で思う。

すると「してくれそう」「してあげたくなる」はなんだろう?もちろん私情ではあるが、若い頃にはなかったし、そんな感情が現れだしたのはこの10年ぐらいのことだ。さらには、僕の心の内奥にそれがあって、それで人を選んだり付きあったりするようになっていることに気がついたのはごく最近である。つまり、事業を始めてそこそこ時がたって、自分に目標ができたから芽生えた新しい感情なのではないか。えっ、50になるまで目標なかったの?と恥ずかしくもあるが、やっぱりなかったのだろうと思うしかない。

その問いに答えるには、少し回り道におつきあいいただくしかない。サラリーマンというのは出世が目標だ。そうでない人もいるが、僕の場合はそうだったという所から僕のサラリーマン人生の最終章がどんなだったかということを全部さらけ出してしまおうと思う。出世は他人が決めることだ。その他人が自分より優れていると信じこめるとは限らない。気に入られるならヨイショ・マンでもホラ吹きでもなんでも構わないという大会に出場することは、僕の場合、非常に難しい何かが内面にある。それをあきらめて野村を飛び出してしまい、何が目標になったか?俺はそんな程度じゃないぞという「承認欲求」だった。だから、もっと自分の実力に対してポジティブな承認をくれそうな会社に移ろうと考えた。そう思い出した2003年頃から話は始まる。この思いは、プロ野球で何か報われなくてFA移籍する人をついつい応援してしまう気持ちとして今でもその片鱗が残っているぐらい強いものだった。

そういう気持ちの時に、たまさかみずほ証券の常務だった横尾さんとお会いした。これが人生を全面的にリセットするきっかけとなった。49才だった。そのご縁で移籍させていただく決断に至ったが、散々お世話になった野村證券には失うものも後ろ髪を引かれるものも莫大にあったし、今もって申しわけなかったという気持ちだ。昨今、外国なみに会社をかわるのが普通の感覚になってきたかもしれないが2004年当時はそうでもなく、日本最大の証券会社の本社のポスト部長だったのだから異例の部類で週刊誌ネタにもなった。

決断の時点でみずほからいただいた条件、つまり肩書や報酬は野村と大差なく確か複数年契約でもなかったから、世間一般的なキャリアアップ転職ではまったくなかった。大変失礼だが当時の客観的事実としてご理解いただきたいが、飛ぶ鳥落としていた野村からみずほ証券というのは格落ちであった。横尾さんによると当時は興銀の悲願であった株式引受業務強化が頭取命令であり、どうしても野村の株式業務の主力を引き抜きたかった。一方で、僕が喉から手が出るほど欲しかったのは「承認」「活躍の場」だったから相思相愛ではあった。ただ、面接官がそれをたった30分で僕にそう思わせた横尾さんという人でなかったら、今の僕は確実になかった。それは単なる因果関係や運命論ではない。日本の大企業ではありえない、たぶん二度とないことを僕はやってしまい、それがつつがなく収まってまだこうして生きていられることを含めてそういっている。

というのは僕はさらにとんでもないことをしでかしてしまうからだ。みずほ移籍から2年たった4月、最年少の執行役員に昇格となった。誰が見ても移籍大成功で順風満帆の出世だったろうが、僕は困っていた。そしてその半年後に、自己都合でみずほをやめてSBIに移籍してしまったのである。それには伏線があった。2004年3月に、野村を辞めるかもしれないと内々にヘッドハンターに伝え、プロ野球ならいわばFA宣言したわけだが、すると “3球団” 、みずほ証券、SBIグループ、そして三菱証券からすぐにオファーがあった。SBIの北尾さんは僕が野村をやめるらしいと噂が出る前後から強い「承認」をくださっていたようでそれがどんなに嬉しかったかは筆舌に尽くせないが、知ったのはみずほ証券にサインした3日後だった。これが前後していれば僕はそっちに行っていたかもしれない。世の中そんなものだ。仕方がない。だからどこかでSBIに行こう、行くのだろうという覚悟があったのは誰にも伝えていなかった。

そこでみずほ入社時に経営に「昇格は不要です。55才までに必ず辞めますから助っ人でお願いします。でも、僕はやることは必ずやりますので」とはっきり申し上げた。力がなくて移籍するわけじゃないですよという強い自負があったからだが、こんな事を言って移籍した人はプロ野球界にだってひとりもいないだろう。ひとえにご迷惑をかけたくなかったからではあるが、野村を辞めた時点でもうサラリーマンは卒業したという決意宣言でもあり、55才までには起業するという決心があった。そして2年間、みずほ証券のために全力で戦った。古い野球界の話だが、巨人に江川卓が入団して阪神にトレードされた小林繁が巨人戦で8連勝したようなものでモチベーションは物凄く、自分のプライドのための戦いでもあった。横尾さんにいただいた事前の「承認」が空手形でなかったことは2年間で獲得した株式引受主幹事16本の実績でお見せできたと信じるが、それでさあそろそろと思った矢先の役員昇格だったのだ。思いもよらず、本当に困ってしまった。

そうこうしているうち6月になった。北尾さんからは早く来いといわれ悩んでいたら、にわかに日本航空の2千億円の資金調達の動きが伝わり、周囲のざわざわが風雲急を告げてきた。よしこれだ、やってしまおう。もう辞めていいだろうと考えたのは、16本の主幹事を奪取して僕のやり方を優秀な120人の部下たちが十分に盗んでマスターした、もう僕がいなくてもできると確信したこともある。並みいるライバル社を蹴落としてこの巨大案件を獲得できれば皆さんに退任を快く認めてもらえるだろうと考えた。JAL案件は金額からして多国籍引受にするしかなく、その主幹事(グローバルコーディネーター、GC)を奪取すれば満点の終幕じゃないか。競技に喩えるなら、国体優勝にあたる国内主幹事すら未経験とよちよちだったみずほが、オリンピックの金メダルにあたるグローバルコーディネーターを狙おうというわけだ。やれば間違いなく世界の金融界は仰天であり、どんな経済小説やドラマより痛快でもある。僕の率いる資本市場グループがその尖兵になるのだ。こんな舞台が与えられる証券マンなんて世界のどこにもいないぞと幸運に感謝した。燃えた。

しかし、現実はそう甘くない。GCの引受手数料は巨大である。そこから2か月。斯界の両雄であった野村證券、ゴールドマンサックスとの三つ巴の激闘は壮絶で、両社は収益的にもプライドとしてもJALというメジャーなディールで新参者のみずほに負けるなど辞書に書いてない。各所の小競り合いで銀行員ばかりの部隊の経験のなさが露呈して苦戦、撤退の報告が次々に上がってくる。気ぜわしかった。小競り合いはまだ耐えられたが、株主総会にかけずその直後にローンチするなど論外のルール違反であると日経新聞の論説委員まで敵方について毎日批判記事が出る。本当にやっていいのだろうかと気持ちが揺らいだ。前線を預ってはいたが「撃ち方やめ」の権限があるわけではなく、不安になってひとり横尾さんの部屋へ行って「本当にやりますか?」ときいた。即座に「やるんだよ、やるに決まってるだろう!」と烈火のごとく怒鳴られ、腹が決まった。みずほ証券のGC獲得は社史に残るかどうかは知らないが、僕自身、証券マンとしてやった仕事として後にも先にもこんな大金星はなく、引退試合で満塁ホームランを打たせていただいた気分だ。

それはいい。やることはやった。取った。勝った。で、辞めます。これを横尾副社長の部屋へ告げに行った日はつらかった。もちろん寝耳に水である。一日考えさせてくれとおっしゃった。一日たって、また行った。受理していただいた。この時の会話は書けないが、一生忘れない。土下座したいほど申し訳ないという自責の念で一杯だったが、その気持ちの何倍も、この方は凄い、只者ではないと心底思った。北尾さんのほうではSBI証券の副社長、ホールディングの取締役にまで就任となって期待していただいたのに、100%僕の力不足が理由でお役に立てていなかった。そうこうするうち2008年になっていた。後にリーマン・ショックにつながるサブプライム債の暴落でどこの金融機関も大損していたがみずほ証券にも4千億円の損失が出ていた。新聞には4百億円とあったが、新年のご挨拶に行ったら横尾さんに「実は4千億なんだよな」と告げられ、みずほ証券立て直しのために帰ってきてくれといわれた。役員にしたのに出て行った不届き者を役員で引き戻す。そんなことが日本を代表する金融グループでまかり通るかと耳を疑ったが、現実の話になった。「君が初めてだが、君が最後だろう」といわれた。何も仕事をしなかったのだから今度は北尾さんに申しわけないこととなりお詫びするしかない。

ということで僕は部長で1度、役員で2度、自分から会社を辞め、2010年にみずほからもういいご苦労さんが1度、つまり都合4度も大会社を辞めた。最後のは以前に宣言した55才であり心づもりの通りソナー起業に進ませてもらった。ともあれ全部が上場企業の経営職であり、辞めた理由も引き抜き、自己都合、引き戻しというユニークなものから戦力外通告にいたるまで網羅している。「退職コンサルタント」ができるぞと自嘲しつつ眺めるといかにも忠誠心がないが、戦国時代の武将だってないよと人には言っている。本音はお家・一族郎等のほうが大事。それを口に出して言えなくなったのは徳川時代に武士がサラリーマン化してからだ。忠臣蔵はもう元禄時代には忠臣がフィクション化していたから流行ったのだ。日本国の企業文化は江戸時代を400年も引きずっている。サラリーマンだって個人としては本当は自由に生きたいが弱い者は組織に所属して群れて生きるしかなく、その自嘲が毎年の川柳ネタになっているのだろう。

以上が僕のサラリーマン時代の終楽章だ。出世が目標で第3楽章まできて、終楽章でそれは消えた。代わりに来たのが承認欲求だがそれはそこそこ満たされ、今度はソナー・アドバイザーズの経営という別な曲が始まってもう9年がたっている。ここまで来てしまうとそんなもので右往左往していたあの頃は別世界の話みたいに思えてくるが、大昔の失恋が何故あんなに悔しかったんだろうと他人事みたいに風化しているのに似ている。そしていま、かわりに人生の目標になっているのが「企業の存続」に他ならない。サラリーマン時代は企業など持ってないのだからきわめて新鮮なものであり、他人の評価に翻弄されるという不快さがない実にすがすがしい日々だ。目標が違うのだから今の僕と10年前の僕とは話が合わないだろう。もはや別人なのである。

そこで新たに出てきたのが「何かしてくれそうな人」「何かしてあげたくなる人」という視点である。長年ひたってきたサラリーマンのぬくぬくとした目線がぬけ、僕もとうとう企業家になれたという話なのだ。縁というのは不思議なもので、みずほを去って以来ほとんどお目に掛かっていなかった横尾さんに大手町の地下道でばったりお会いした。去年の秋だ。僕はそこを滅多に歩かないし、横尾さんは経済同友会からノド飴を買いに降りてこられただけの遭遇だった。ほんの立ち話でそこは終わったが、何か感じるものがあった。それこそ、「何かしてくれそうな人」と直感したのだ。帰社してすぐに会長職をお願いしようと腹を決めた。連絡を入れ、それを食事しながら申し上げたのは1,2週間後のことだ。僭越ながら、2004年とは逆に、今度はこっちがどうしても来てほしいと口説く番だった。まったくの空想だが、その時横尾さんの眼に「何かしてあげたくなる人」と映ったのではないかと買いかぶってしまうほど、すんなり「いいよ」という返事をいただいた。2006年に不意にみずほを辞めると申し上げたあの日、大迷惑をおかけして顔に泥を塗るのだから普通の経営者なら激怒して当然なあの時に「この方は凄い、只者ではない」と感じたあれ。あれがなければこれもなかった。

そういう経緯で令和元年のビジネスデー初日である5月7日は、偶然とはいえまるでそう計画したかのようにソナー・アドバイザーズ取締役会長として横尾さんは初出勤された。その時点で産業革新投資機構(JIC)の社長に就任されるとは予想だにしてなかったし、もしも順番が逆であったならソナー会長を引き受けてもらうことは無理だったしこっちもそう動かなかっただろう。僕は実力はないがツキだけはあるとつくづく感じ、天に感謝する。思えば2017年は僕の後厄で限りなくつらい年であり、翌2018年は周囲から「お祓いしろ」と迫られるほどの稀に見る凶年、記憶にないほどのひどい年だった。ただ、悪いなりに必死でもがいたことで一皮むけ、それがベースになって今年は5月から順調だから結果オーライで有難うということだった。そしてもはや潮目が変わっている。横尾さんとの相性、因縁は書いたように別格的、別次元的な何物かであって、僕の長所欠点を熟知しておられ、数々の経営の難所を切り抜けてこられた大先達が取締役で大所高所から取り締まっていてくれることは基本的にじゃじゃ馬の身としてこんなに心強いことはない。

今年もいろいろあったが、今になって大事と思うことは、厄には近寄らないことだ。この仕事は簡単ではない。危険に満ちてもいる。情報を握り、危ないと思ったらすぐ手を引くに限る。心から納得したことだけを愚直にやる。それがお客様から信頼されてリレーションを良好に保つ唯一の道であり、「企業の存続」にはそれしかない。来年は1年で上場に至るプライベートエクイティ案件2つのマンデートがとれる。金額も大きい。ソナーはそうした魅力ある優良案件の発掘(ソーシング)が強みだからそれに徹する会社、プロ集団であり、株式の販売、募集に関わる証券営業的なことはやるつもりは一切ない。だからそれを業とする会社さんが必要であるが、この世界、お客様が欲しがる投資機会を発掘することがすべての競争力の源泉であって、それさえあれば販売したい人はいくらでも寄ってくる。しかも、そこにいよいよ野村のエース級だったパートナーが現れた。これもお互いの運の良さだ。彼は辞めたばかりだが「何かしてくれそうな人」である。もちろん辞めた苦労は身をもってわかる。だから何かしてあげたくなる。9年下の彼とはwin-win関係が築けることは確実だろう。

 

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

来年は新しいディールをやる

2019 NOV 30 23:23:59 pm by 東 賢太郎

毎年この時期になると来年の事業構想を練っている。弊社が12月決算というのもあるが、やはり師走になると今年も速かったなという想いに駆られて来年のことを考えてしまう。しかし考えたとおりに行くこともそうはない。

去年の今ごろは横尾さんを会長にお迎えしたい一心だった。それが今年5月に実現したし、そうしたらなんと10月に日本国の2兆円国家戦略ファンドである産業革新投資機構(JIC)の社長にご就任が日経新聞一面で報道されてしまい、しかも弊社の会長はそのまま兼任という存外に有り難いご配慮をいただいたのだから国にもJICにも横尾さんにも感謝申し上げるしかない。

もうひとつある。これまで9年間、僕はあまり野村證券の人とは接点を持たなかった。べつに避けたわけではなく、ただ、やろうとしている事業があまり野村的でないなと勝手に思っていただけだ。それが今年の中ごろから急転直下、変わった。野村出身の方々と動く時間がすごく増えた。事業内容を変えたわけではないのにである。なぜか。

それは社員やパートナーの皆さんが、一般社会的には滅茶苦茶である僕のビジネス・ディシプリンに慣れて下さったからだ。税理士のN先生はグァムでゴルフのニギリで負けて食事で口をきいてくれなかったが、そこから僕という人間がわかったそうで以来仕事が楽だ。僕がテンパると何が飛んできても不思議でないが心構えができてるから片付けてくれる。弁護士のA先生、W先生もそう。

社員もだ。先日出張でネクタイを忘れたが到着する空港の土産店に話をつけて閉店しないよう段取りつけてくれたりまあいろいろと迷惑をかけているが片付けてくれる。おかげで非常に良い仕事ができて帰ってきた。秘書たちも家族も、つまらないことでストレスをためないようにしてくれてるのはよくわかってるし感謝の気持ちしかない。

つまり、野村的に行かない部分がうまく動いてくれるようになり、自分が不得手な部分に心配がなくなってきたのだ。なんとも大きなことだ。9年かけてやっとそうなった。不得手な部分でつっかかると僕は非常にストレスがたまる性質の人間だ。すると大事な部分のパフォーマンスが落ちてしまう。会社として何の意味もない。だからそれを勝手に解消しておいてくれる人は僕にとってきわめて貴重で、そうでなければ全く不要だ。

野村の人とは世代を超えてすぐツーカーになれる。言いたいことが言わなくてもわかるし、僕の指示がサクッと通じる。それは野村出身でなくてもできる人はいるが、いずれにせよ通じないと多大なストレスであり、テンパっている、つまり戦場にいるときにいちいち説明するなど論外である。ということで、いままでの僕はあたかも借りてきた猫だったが、野村的ビジネス・ディシプリンの中では4番でエースであり、破壊力はデカい自信がある。

この状態で来年に突入するのだから業績は期待できるだろう。社員は現状11名だが増える。国家の生命線に関わる業態の会社のプライベート・エクイティ・オファリングに関わらせていただける(まだ書けないが)のは大変な栄誉であり、弊社として金額も意義もかつて最大のディールとなるかもしれない。同社は日本企業だが上場は米国であり、そんじょそこらの証券会社では対応はできない。ソナーの強みを見抜いてご評価くださった社長には敬意と感謝の意を表したく、期待にお応えしてファイナンスを絶対に成功させたい。

 

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ソナー・アドバイザーズ株式会社が創立9年

2019 OCT 21 1:01:13 am by 東 賢太郎

10月20日でソナー・アドバイザーズ株式会社は創立9年になった。二度倒産を覚悟する場面があったが、そうならなかったのは家族の理解があったことと、少々の幸運が味方してくれたおかげだ。

現在、正社員は総勢11名、ソナーだけで9名だが出身は銀行、信託、保険、商社、鉄鋼と多様だ。証券会社出身者は僕しかいない。ふつうは会社の同僚が集まって自分たちの得意技で起業するのだろうが、僕が作りたいのは証券会社ではないからこうなった。

社員ではない、いわば社外のパートナー(共同事業者)が社員よりたくさんいて、しかも、お客さんがそれになることもあるという点で当社はあまり類のない業態である。案件はそこからも出てきて、当社は逆に言えば投資家でもあるから全額投資するのがベストでその場合お客さんは不要だ。

つまり、まだ資金不足だから投資はパートナー、お客さんと共同事業になるが、究極はソナーは単独で投資するファンドのようなものになって、投資家にはソナー株を買ってもらうだろう。その典型がバークシャー・ハサウェイという綿紡績会社を投資会社にして成長したウォーレン・バフェットだ。

来年65才で、元気ではあるがあんまり時間はない。ここからは証券マンの騎虎の勢いでやらなくてはいけない。9年間、屋久島に4日行った以外は休みは取らなかったが、心身が元気でないとできないから気晴らしがとても大事だ。仕事から完全にオフになれるもの、何がいいんだろう?

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