Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 政治に思うこと

BIGBOSSはビジネススクールのケースになる

2022 MAR 27 12:12:58 pm by 東 賢太郎

プロ野球が始まると無性にワクワクします。もちろん僕はいつでも広島カープ中心なんですが、どのカードを見ても最高に楽しい。そこに今年は西室オーナーの日本ハムファイターズが球界の話題をかっさらってる、これ大歓迎です。パリーグの応援はロッテになるけど、個人的におおいにワクワクがあるのです。それを書きます。

西川、中田、太田、秋吉の大駒4枚流出を2軍で補うなんてのは飛車角落ちの将棋みたいなもんです。オーナーには悪いが、楽天球団ができた年にボロ負けしたあそこまでの戦力差とはいわないけれど、まあ甲子園でいえば大阪桐蔭と21世紀枠の高校ぐらいにはなっちゃったね。そこでド派手なパフォーマーで客寄せにはなる新庄監督をもってこよう、新球場のカネもかかるしってのはわかる。でもどうせパンダだろうとバカにしてたわけですね、僕も世間も。

ところが色々ニュースが出るにつけ、BIGBOSS、見かけ倒しでもないぞ、策も情熱もあって結構いいんじゃないの?となってきた。個人的には、野球に限らずですよ、今の沈滞した日本にはこういう型破りな男が必要じゃないかと思ってたところです。それも左翼の壊し屋じゃなくてね、伝統と礼儀はしっかり心得た上でですね、爺さんに気兼ねしなくていい立場で若者のリーダーになってという場を設定したのはとてもえらい。しかも、そのBIGBOSS、よく見るとしっかり合理的な野球をやってる。

えっ、合理的、ハチャメチャだろ?といわれてますが、そこは僕は野球経験者として感じるところがあるのです。彼はたぶん2年やる気でしょう。今年は自分が「うつけ者」を演じて風よけになって若手に思い切りやらせ、来年優勝と思ってるんじゃないか。オープン戦とはいえ、選手に監督やれなんてのはあり得ないですよ。それで勝てばお前いらんになるしね、実は勝つはずないと思ってる。だから打順もガラポンなんておどける。でも野村監督の下にいて彼自身が俺が監督ならってのはあったんだろう、そうやって選手たちにも当事者意識もたせようってことではないでしょうか。

ドラ8新人の開幕投手。これ、凄いことです。2年計画ならスター即製栽培しかないでしょう。期待に応えて2回ゼロに抑えた北山投手の度胸にも感服しましたが、彼は彼でチャンスをくれたビッグボスを一生尊敬するでしょう。そしてその気持、若手投手に伝染しますね、すると、それが成長促進剤になる。私事で恐縮ですがそう感じるんです、というのは僕の初先発は高1の秋季大会で相手はいま甲子園でベスト8の国学院久我山でした。9-0で負けたけど3回までゼロで抑え、これ、野球に限らず人生でどれほど自信になったかわからんです。起用してくださった監督はいまでも神です。

日ハムの現有戦力でどう勝つか?これ、毎日考えてる僕のビジネス戦略にそっくりなんです。そのまんまビジネススクールのケーススタディにしたいぐらいにいいテーマですねえ、将来に起業したい若者はそういう目線で日ハムのゲームを目を凝らして観たらいいね。義経のひよどり越え、信長の桶狭間、これは終わったことだけど、こっちでそれぐらいのことがあるんじゃないかと思えばワクワクするでしょ、そういうココロと想像力がないとね、勉強や知識だけじゃ起業なんかできませんよ。

新庄さんはもし優勝したらぜひ国会議員になって、次は日本国をガラポンで強くしてほしいですね。特権、利権にしがみつくだけの爺いや婆あには到底無理、もはや百害あって一利なしです。僕は人生かけて世界の金融の一線で戦ってきた戦士です。断言しますが、もう確実に世界はそういう時代になってます。時の流れに逆らっていれば国ごとだめになって不幸になるのは今の若者の皆さんです。

なぜ「平成は大没落の暗黒期」になったのか

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

ウクライナの綺羅星のような音楽家たち

2022 MAR 2 18:18:06 pm by 東 賢太郎

ウクライナの人と初めて話したのは1996年のスイスでのことだった。「国はどこですか」と英語で尋ねると「あいむ  ふろむ  うーくれいん」という。はて、どこだろう?わからない。地図とスペルを書いてくれた。なんだ、そうか「うー」にアクセントがあってわからなかったのだ。それ以来てっきりそれが母国語の発音と思っていた。「うくれいーな」だったと知ったのは恥ずかしながら最近だ。

「うくれいーな」は我々なら「にほん」に相当し、「ゆーくれいん」(Ukraine 、英語)が「じゃぱーん」だったのだ。そういえば「ぐるじあ」の名称が2015年に「じょーじあ」になったが、これは「じゃぱーん」に当たる外向けの名の話で、彼らは自国を「サカルトヴェロ」という正式名称で呼んでいる。我々日本人はそこは鷹揚で、外向きが「はぽん」だろうが「やーぱん」だろうが気にしないが、彼らには「ロシア語のグルジア」は切実な問題なのだろう。

そこまで嫌いなのかと意外に思っていたのは甘かった。2019年7月に今度はウクライナ大使館が「日本語でウクライーナと表記すべきだ」とはじめた。「グルジア」を採用していたのだから「ウクライナ」はロシア語だ。だから不快である。より原語に即した「ウクライーナ」にせいということなのだ。そういえば最近、バルト三国も「旧ソ連」呼ばわりはやめろと強硬だ。

2014年9月に締結されたミンスク合意はそうした「民族主義とロシア帝国主義の衝突」の脆弱な解決であった。それを一方的に反故にしたロシアの言い分は「スラブ民族への欧米帝国主義への反抗」である。つまりウクライナの主張を是とすればロシアの武力行使も是だという「正義」の所在が本件の本質だ。だから、ウクライナのEU加盟でNATOが武力解決という道はなく、停戦合意ならウクライナ不利は明白という囲碁をプーチンは打っている。

もうひとつの解決手段である「経済制裁」は罪のないロシア国民を不幸に巻き込む。政治は情報統制で隠蔽できても日々の生活の危機は隠せず、そこで「ロシアの民主主義」が正常に機能することを期待するしかない。しかしそれを北朝鮮で期待するのとどっちが確率が高いのかは外部の誰も判断できないだろう。この囲碁にプーチンが勝ってしまうならウクライナの命運は他人事ではない。強国が勝手につけた通名で国際表記される国に「現状変更リスク」があることは明治時代以来変わっていない。我が国も一緒ということは銘記したい。

ここからはロシア音楽の話をしよう。なぜか父がロシア民謡好きで、僕は赤ん坊のころからダーク・ダックスのレコードが耳元でかかっていた。自然に好きになり、長じて自分は本格派のドン・コサック合唱団のを買った。コサックとはウクライナの屈強の軍事共同体である。赤軍に敗れたコサック軍の副官セルゲイ・ジャーロフがトルコの捕虜収容所で作ったのが名高い同合唱団だ。「ヴォルガの舟歌」はどなたもご存じだろう。

男声だけであり、ピンと張ったテナーから伸びのあるバスまでこれぞロシアと思っていたが、実は「これぞウクライナ」が正解だったのだ。カラヤンがチャイコフスキーの「1812年」の録音に同合唱団を起用しており、西欧にない迫力は効果満点ではあるが、「ロシアらしさ」のつもりなら表面的だ。

コサックは屈強である。ソ連になる前からロシアにとりこまれ “ロシア軍” であったのだから、一概にカラヤンの判断が間違いとは言いきれない(日露戦争の旅順戦で強敵だったようだ)。コサックダンスにその運動能力を垣間見る。この分野は詳しくないが、ロシアの壮麗なクラシックバレエ、フィギュアスケートのルーツに関係があるかもしれない。五輪コーチのドーピングしてでもメダルが当然という思想と、プーチンの軍事力信仰が同根であるなら悲しむべきことだ。

以上、かように僕らはコサックをロシアと思っている。この「誤謬」は、クラシック音楽界ではより広範に存在している。以下、調べてみたウクライナ出身の音楽家を列挙する。ユダヤ系も多い。今回のプーチンの愚にもつかぬ暴挙によりウクライナの人々の独立意識がさらに高まることは必至だ。この人達は「ウクライナ人」だと現状変更するなら、ロシアは偉大な文化遺産を失うことになろう。

ヴラディーミル・ド・パハマン、ニコライ・マルコ、ゲンリフ・ネイガウス、ベンノ・モイセイヴィチ、ダヴィッド・オイストラフ、イーゴリ・オイストラフ、レオニード・コーガン、アイザック・スターン、スビャトスラフ・リヒテル、エミール・ギレリス、ウラディミール・ホロヴィッツ、マリヤ・グリンベルク、サムイル・フェインベルク、アレグザンダー・ブライロフスキー、シューラ・チェルカスキー、ミッシャ・エルマン、ニコライ・デミジェンコ、コンスタンチン・リフシッツ

ニコライ・リムスキー・コルサコフはザンクトペテルブルグ近郊のチフヴィン生まれであるが、ウクライナ北部(キエフとモスクワの中間)の貴族の末裔であり、ウクライナの素材によるオペラ『五月の夜』を書いている。その弟子イーゴリ・ストラヴィンスキーは西ウクライナ(ヴォルィーニ)の貴族を父方とする出自で、スイス時代に夏を過ごした別荘もウクライナにあった。ピョートル・イリイッチ・チャイコフスキーのパトロンのフォン・メック夫人はウクライナに屋敷があり、交響曲第2番を書いたのもアンダンテ・カンタービレのメロディーを採譜したのもウクライナであった。

 

「展覧会の絵」の壮麗な終曲である「キエフの大門」は、ムソルグスキーの友人の画家ハルトマンが描いた絵(左)を題材としているが、1869年にキエフ市が門を再建するに際して行われたデザイン・コンペに応募したもので門は実際には存在しない(再建計画が打ち切られたためだ)。架空の門がキエフを世界に有名にしたが、それから150年の時を経て、最低な人間たちの愚挙でこの街が放映されるのは耐え難い。

 

「キエフの大門」をテオドール・クッチャー指揮ウクライナ国立交響楽団の演奏で。早期終結とウクライナ国民の安泰を祈りつつ(2022年3月2日)。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

プーさんとシューちゃんの密談

2022 FEB 24 23:23:53 pm by 東 賢太郎

S「プーさん、おめでとう、うまくやったな」

P「おう、シューちゃん、ありがとよ」

S「オリンピック中は待ってくれて恩にきるぜ」

P「いやいや、オミクロン出たぞばかやろーの芝居で1日で帰れて助かったよ」

S「わかってるさ、キモいときだったもんな」

P「おう、そんで、見たか、売田のじじいのザマ」

S「うん、ほんとに辞めたんだな、世界の警察官」

P「そうよ、ありゃ尾浜のアホが決めたんだ、売田はただの引継ぎよ」

S「だよな、亜府岸からケツまくって逃げたしな」

P「だろ。隣人のルカちゃんは俺の子分さ。あそこに核ならべさせてじじいの家にぶちこんでもいいんだぜ」

S「やるねえ。でも納豆軍はだいじょうぶか?」

P「平気だ。LNGで脅してるからよ。駄犬が吼えるだけで何もしてこねえさ」

S「でもアジアや中東で調達できねえか」

P「ふん、やってみ。油が暴騰して大インフレだ。返り血は半端じゃねえ」

S「そうか、株が大暴落だ。でも経済制裁はどうだ?」

P「構わねえ。俺は軍と右翼握っとるさ、腹くくってんだぜ」

S「でも須井布戸ヤバいだろ、送金できねえから海外資産パーじゃね?」

P「シューちゃん、コトバ気いつけろや、俺は東スラブ王国つくるんだぜ」

S「これは失敬」

P「俺のパシリで儲けてるチョーチン持ち野郎なんか大損させたるわ」

S「プーさん、かくいう俺も大中華帝国の皇帝だぜ」

P「わかっとるさ、ハイテク止められるから回してくれよな、半導体とか」

S「おやすい御用だ。こっちで事おこして売田引きつけてやっからさ」

P「ありがてえ。納豆とリャンメンはできねえからな」

S「知ってるか、虎さんがプーちゃんよくやったって拍手してんの」

P「そうかい。おっさん汚ねえ手で選挙やられたからな」

S「売田はあと半年だ。虎は狙ってるよ。プーさんに感謝だね」

P「そうさね。国際社会の協調?笑っちゃうよな」

S「プーさん、ドラえもんって知ってるかい?」

P「おう。孫が大好きさ」

S「あいつら、地球にはのび太としずかちゃんしかいないと思ってんの」

P「ハハハ、だよな、俺達ジャイアンがいるのにな、馬鹿じゃねえの」

S「のび太もスネ夫もよ、俺たちに逆らえば一発なぐっておしまいさ」

P「いいこと言うな、シューちゃん。そこで馬鹿がパワハラって騒ぐんさ」

S「サイバー攻撃の停電でしずかちゃんビビッて泣きついてくるな」

P「だな。ドラえもんはミサイルでぶち壊したし、飛行機も飛べねえし」

S「でもうまかったね、世界だますの」

P「ありがとよ、撤退のフリしたのなんか名演技だろ」

S「ロシア株買いだなんて騒いでた阿保がいたぜ、あんとき」

P「ハハハ笑うわな、今日一日で4割の大暴落よ。首くくってるぜそいつら」

S「ところでキッシーはどうしたんだ」

P「駐日大使に『絶対いたしません』って嘘こかしたら信じてたみたいだぜ」

S「ウワッハハハ、『いかがなものか!』って難しい顔するだけだろ、あいつ」

P「お花畑の国なんかど~でもいいわ」

S「俺は『我が国は今回の行動に理解を示す』って世界に報道しておいたぜ」

P「そりゃうまいな、同じ手で襲えるもんな」

S「ふっふっふ、まあ楽しみにしといてくれ」

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

石原慎太郎氏に思う

2022 FEB 7 10:10:35 am by 東 賢太郎

石原慎太郎氏のご冥福をお祈りし、心よりお悔やみを申し上げたい。同時に、とてもインパクトのある方だったから思うこともたくさんあった、それを書きたい。まず、氏は加山雄三と共に僕らの世代の「カッコよさ」を体現する湘南ボーイのはしりであり、弟と共にスターでありアイドルだった。僕は団地族の平民で中流のまた真ん中ぐらいの家の子なのでああいう金持ちのボン風情には猛烈な反感を覚え、芸能人の弟は興味なかったがインテリであるところの兄貴はというと、あの手には絶対負けねえぞというモチベーションの対象だった。つまり、ある意味でお世話になったのである。

右左はともかくあれだけの物言いで物議は醸しても某元総理と違って失言とされない人はなかった。さすが芥川賞作家だ。何も言えないつまらない世になってしまったからもはや最後の人なのだろう。94年ごろだったか「いま、我が国の政治家は私利私欲目あての輩ばかりになり下がった」というような趣旨のことを国会で言い放った。ドイツで新聞か何かで知ってこれは痛快と思い、おお、頭領になって二・二六事件でもおっぱじめるのかと期待したら議員を辞める口上だった。はあっ?リアリストである僕には意味不明。国際社会でもそうだ。おっさん、ナルシストで外人嫌いの純ドメ右翼なんだなあ、このノリで日本は国際連盟を脱退しちゃって大変なことになったんだけどなあと人間の勉強にはなった。

政治は政策以前に思想、信念の戦いの場でしょ、本来は。まあ階級と言ってもいい。イギリスが長いのでそう思うわけだ。昨今、なにやらヒトラー発言でもめていてそんな危険人物が現れたかと思ったら、イメージ悪いからヒトラーはやめろという下衆の争いだった。テレビ映え第一のおばはんとかわらない。思想、信念は何ですか?そもそも、あるの?というのばっかりだ。だから、やめとけばいいのに「国家観はありません」と堂々と公言しちゃって、それで米中に互角に相手してもらえると思ってるような、要は総理の椅子に座るだけが目的の人が出てくる。それを聞いても馬耳東風で取材源としか思ってない、頭が空のマスコミが支えるというチャラい構図ができている。石原発言から四半世紀たって、もう熟成の域である。医学は関心ないが成績が良いので医学部を受験しました、収入もいいですしなんて医者に誰が命を預けたいかと考えてみればいい。

こういう連中と比べては誠に失礼だが、石原氏の思想、信念は明確だった。日本は短期間に大国となった有色人種による奇跡の国だ、これを忘れたらいかん、米中のポチなどあり得んということだったと思料する。有色の所に本気度がちらついて良かった。まったく同感だ。しかし、言うだけでやらない奴より千倍もましだが、米国にNOを言ったり尖閣を買ったりすれば小説なら面白いが現実はそうなれるわけでもない。国家観もない総理がNOを言ってもハンバーガーしか出ないし、尖閣を攻撃する艦長の前に立ちはだかって登記簿を見せても撃ち殺されるだけだろう。勇ましい声を挙げられたのは企業が獅子奮迅の努力をして日本が世界一、二の経済成長を誇る大国だったからなのだ。しかし、もう「だった」なのである。

これを昭和の成功者ほど認めない。石原氏は国民の平和ボケと言ったが、それはエリートの言葉ではないと僕は思う。中国に抜かれたのは人口だけのせいではない、国家的戦略ミスと超凡庸でリスクを取らない企業経営者の責任であり、申しわけないがこれを言わなかったら彼もその一員だったと思われて仕方ない。早く爺さん達を引退させ、40代あたりのエリートが「軍も経済力もない国は恐るるに足らぬ」という “ファクト” から国家再建計画を練り直して民意を問わなくては益々国は後退する。そのために俺もやめるからお前らもやめろなら最後までアイドルでカッコよかった。いい人の評判が高い岸田総理には無理っぽいが、社会主義国の役人みたいなウルトラ凡庸な経済政策で国民の顔色など伺ってる場合ではない。経済がこのまま失速すれば何主義だろうが国民全員が不幸への道に嵌る。

石原氏はブルジョアだから少なくともそういう倹(つま)しいことは考えなかったのではという気がする。いま総理をやってもらえたらよかったかもしれない。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

米国外交の急展開

2022 JAN 26 22:22:53 pm by 東 賢太郎

アメリカが北京五輪をボイコットし大使館も撤収する決定にバイデンがサインしたらしい。ウクライナ出兵で景色が変わった。超タカ派のエマニュエル氏が駐日大使だ。岸田総理、林外相の正念場である。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

田園調布駅を出るとこんなものが

2021 DEC 11 15:15:51 pm by 東 賢太郎

「医者の不養生」や「紺屋の白袴」はあっても金融屋が借金だらけでカネがありませんなんてのはシャレにもならない。そこの社員だって「人生おカネじゃないですよね」なんてポリコレ発言して慎ましく見せようなんて奴は勘違いか詐欺師か負け犬のどれかであって、そういう相手にフトコロ事情を明かしてお金の相談をしてみようなんて人はまずいない。「私はそこそこいただいてます」と堂々としている方がお客さんも頼りにしてくれるのだ。

昔から金融はそもそも世間体が良くて平均年収が高いということになっているから学生に人気の業界であって、つまり面接で綺麗ごとは並べるが概ね見栄とカネが就職の主たる動機である。ガリ勉、口だけ達者という技で薄っぺらいプライドを死守し、教養はほぼなくて計算高くてズルくてチャラい。見栄だけなら霞が関へ行った方がいいが国家、公益にこだわりもない。ということは必然として「最後はカネだよね」が本音になる人間が主たる業界なのである。

そういった輩は学校のクラスで最も疎遠な部類であるが、どういうわけか小中高大ともあまりいなかった。だから社会に出て金融村に入ってしまい、とんでもない所に来たと思った。そこで仕方なく「最後はカネだよね」で生きてきたが、思えばそれはゲームだったようだ。雀卓を囲んで「人生点棒だけじゃない」なんてのはない、それだけ。参加はしてきたが、今やつきあいはおろか住人と見られたくもない。極めて少数だが、そういう僕の本質を知ってるよと言って下さる方がおり、最高の賛辞だとありがたく思う。行く末は誰も知らない田舎か外国に移住して、何をしてたのかわからない人になってしまいたい。

そうこうしていたら1,2か月前ぐらいだったか、某社から会長をやってくれという話を頂いた。「知識がない業界なのでお役に立たないだろう」とはっきり申し上げてきたが、どうしてもということである。そこで考えた。その仕事も金融だが、真逆の「人生おカネじゃない」でいってみようか。子供の頃「嫌なほう」を選んで行けと親父に言われてここまで来たし、若者と仕事する機会はそうはない。学ぶことがあるだろうし僕から学んで成功してくれてもうれしい。そうした喜びをいただく代わりに会社を儲かるようにしてお金は彼らにぜんぶあげよう。そう決心した。

そこで「条件」をひとつだけ飲んでもらって会長職の契約書にサインした。それは「無給で」ということだ。

感覚は勤労奉仕だ。しかし、事業会社だから責任はある。NPOの理事長のお話をいただいた時のことも思い出した。立派な公益法人であり勤められている方々には頭が下がるしかなかったが、それはお断りした。理由は「向いてないから」だ。そんなことはない、公益法人だってお金がいる、だから民間企業の経営者にと買っていただけたのは光栄だが、自分の性格は自分が知っている。どんないい給料が出たとしても事業とはゲームの種類が違うのでモチベーションがもたないだろうとわかっている。そうなるとご迷惑をかける。そこは本当に「おカネではない」。事業をされたことのない側の人にはわかりにくいことと思う。

つまり、「公益を掲げる仕事」と「事業」は違うのだ。たとえば雇用調整助成金を石原伸晃氏の事務所がもらっていたと話題になっているが、このお金はコロナで困窮した事業者のためものだ。もらっても合法的だというなら「政治も事業である」という初耳の事態という意味になる。それでも公益のために良い政治をしてくれれば僕は結構だ。政治家の評価は選挙しかないが、彼は比例代表ですら引っかからない程度の評価だ。それが事業でもあるというなら、我々事業家はそういう目で冷徹に評価するよということになるだろう。

するとどうか。事業をナメてもらっちゃあ困る。たかが60万円でこの騒ぎになるリスクを取るなど世界に類を見ないへっぽこ経営者であり、パンツを税金で買って失職するぐらいみっともない。もし金融なら間違いなく、すでに即死していた人と断言せざるを得ない。したがって、そんな腕前で生き残ろうとするなら「大きな力」に頼るしかない。「政治も事業」なんて言い出すのが彼だけならこれで終わりだが、もし今後の趨勢なんてことになるなら同じ二世三世の超無能な小物がますます裏口入学みたいなことに精を出してファミリーで生き残ろうともがき、やがて日本は世界基準で猛烈に馬鹿な五世、十世の支配する国になろう。

きのう初めての会長面談ということで、社員全員、二日かけてひとりひとりとお話をして東横線で帰ってきた。田園調布駅を出ると、こんなものが。

長嶋さん、おめでとうございます。ご自分の腕一本で勝ち取られた勲章、本当に素晴らしいです。あちらこちらでクソみたいな奴が跋扈して腐臭ただよう話題を撒き散らす今日このごろ、とてもすがすがしく思います。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

「今年の流行語大賞」と「大きな力」の関係

2021 DEC 2 19:19:33 pm by 東 賢太郎

2021年の流行語大賞は「リアル二刀流/ショータイム」だった。いちスポーツ選手の活躍が、「全スポーツ」の世界的祭典であり、史上2度目の東京大会であり、しかも我が国が史上最多の40個も金メダルを取ったオリンピック・パラリンピックより流行度が上というのはどうか。大谷翔平の偉業が破格とはいえ、野球のルールすら知らない人も日本にはたくさんいるし、まして地上波でやらないメジャーリーグの中継を全国民が見たはずもないし、大谷がどこのチームに所属しているのか知らない人だって多いだろう。不思議だ。

前回の東京五輪の1964年なら、流行語大賞はこういう五輪がらみのものになったのではないか。

『俺についてこい』『東洋の魔女』『回転レシーブ』『ウルトラ C』・・・

ちなみに野球では、王貞治が55本の本塁打記録を達成した国民的英雄であることは周知だろうが、その偉業も1964年だったことを僕は忘れていた。

不思議の原因は、それほど2021年オリ・パラが国民的には盛り上がらなかったということだ。選手はよくやった。しかし、社会現象として観るなら、事前の世論では五輪反対が6割もあった。元から五輪が嫌いな人がそんなにいるはずもない。ひとえに、コロナ禍のさなかに菅政権、IOCの「大きな力」が働いて強行開催というイメージが醸成されてしまい、「民意が置き去りにされた」という記憶が国民的に残ったことが理由だろう。一方、大谷MVPの盛り上がりは絵に描いたようにその対極だ。一選手、一個人の「小さな力」で「大きな事」を成し遂げた。それがより「すがすがしく」感じられる風景の年であったこともあろう。

僕は本ブログで大反対の論陣を張ったわけだが五輪が嫌いなわけではない。菅さんがコロナ無視の意味不明なごり押しに入ったからだ。当初から彼に批判的だったわけではない。政治主導の「俺についてこい」は結構だし、「自助」は小さな政府を示唆するから、大きな政府による税金バラマキで845億円の事務経費をかけて国民の皆さんに一時の小さな幸せをなんて極限まで馬鹿な政治家よりずっとましだった。しかし、あまりの科学無視(無知)、目に余る意味不明の言葉(呪文)、俺は総理だ国民は黙っとけ的態度(大きな力)に辟易してついていけなくなった。そしてデルタ株の空港検疫ダダ洩れで我が身の危険を察知し、何の罪もない五輪で怒りに達したのである。

本稿は流行語の話を書こうと始めたが、「大きな力」が蜘蛛より嫌いなことが通奏低音であることが書きながら自分でだんだん明らかになってきた。僕は猫科の動物なので支配されるのが耐えられない。先生も上司も権力者も権威者も苦手で、彼らが行使するパワーがそれなのだ。支配されてるように感じないが強制的に徴収された税金がしょうもないものに浪費されている景色も同じ理由で耐え難い。五輪強行はごり押しへの怒りに加えてそれもあった。都民は疫病リスクに晒され、IOCに場所を貸してやり、お前らはテレビで見てろだ。それで余分な税金をむしり取るのはどう好意的に考えようと筋が通らないぼったくりである。国民の多くもそう思ったのだろう、折悪しく五輪後に軌を一にしてデルタ株が東京で5千人という事態に至ったことが政権の命取りになった。それが今や5人だ。台風一過というかウィルスにもて遊ばれてる感すらある。岸田政権のクレジットでも何でもないが、政治にも運はあると思う。

税金というものは100%が「公」(おおやけ)の利益に供されるべきお金である。喩えるならマンション住人から取る「共益費」のようなものだ。それがビルの修繕や廊下の掃除やごみ処理やエレベーターの電気代ではなく、オーナーや一部の特権住人が私的に使い込んでましたなどとなれば厳罰に処されて当然だろう。国民の多数がコロナ医療との見合いで危機感を表明していた五輪は、主催側が「公」と思っているだけでその実はIOCとスポンサーという国民にとっては「私」でしかない者のために「使いこまれた」と感じた人が多くいたということが、アスリートの素晴らしい健闘にも関わらず不相応に盛り上がりを欠いた真の原因だろう。

使い込みでないにせよ国民が「公」と思わないものへの税金投入は、突き詰めれば私有財産を認める日本国では私権の侵害であって、「大きな力」で政府が勝手解釈で説明もなく本当に「公」かどうか不明な使途に投入できる状態は認容すべきでない。なぜなら選挙資金に回しましたという万死に値する犯罪が現実に広島で起きており、あんな巨額のバラマキなのに当初はバレてなかったのだから少額ならやり放題だろうというイメージを国民に持つなという方が無理である。このまま司法が処断せず放置するとますます政治不信となり、投票率が下がり、政治家の質がさらに落ちる。つまり「公の利益」のために取った税金が使途次第で「公の損失」になるという笑えない結末になるのである。

政治家は疑われないためにも「公の利益」を証明する明細書ぐらいは国会で開示した方が今時は身のためだ。疑念だけでも一度ネットに書き込まれてしまうとずっと残るので選挙のたびに蒸し返され、いわば人気商売である政治家にとって一生の足かせになる可能性がある。落選運動なんてものがネットを使えば簡単にできる。知性のない罵詈雑言、毀誉褒貶、誹謗中傷が何百万あろうと国民は無視するし、そうでなければ名誉棄損で訴訟すればいいが、知性の高いインフルエンサーが周到な準備と論旨で巧妙に狙い撃ちすればネット上に電光石火で駆け巡り落選運動は威力を持ち得る。新聞、雑誌の記者はそれはしない。取材できなくなるからだ。しかしネットという記者クラブ外のニュー・メディアが「視聴率」を伸ばしている。youtubeは「大きな力」で制御できるが、書き込みはインターネットを遮断しないと止められない。有能な政治家がそんなことで失脚するのも「公の損失」だ。

「公」「私」といえば、秋篠宮文仁親王が誕生日会見で皇室のそれについて触れられていた。皇族の「私」については難しい。望んでそこに生まれたわけではない。公務をする私人は公務員だが、皇族は公務をするが私人でも国民でも公務員でもない。そのために憲法上の権利がすべては適用されない。税金を払っている国民の思いに寄り添ってというのは皇族の「私」の制限の根拠になるのだろうか。皇室典範のようなものが我が家にだけあったら僕は即座に憲法違反で訴えるが、皇室の方はなぜそう主張されないのだろう。大学の憲法の授業ではわからず、以来しばしば考えてきたが僕にはいまだにわからない。

内親王ご結婚の件での皇嗣であり父親でもあるお立場の相克こそ「公」と「私」のそれだろうと拝察した。時代と共に皇族の「私」も変わるとされたが、それもそう思う。ただ、「私」はそうであっても皇室は日本国の「公」の中の「公」の存在であり、そちらは不変だから象徴としての意味がある。「公」まで世につれ人につれ変わってしまっては何を象徴しているか不明になり、人間宣言された天皇の恣意で国の正義、善悪が決まり政治利用もされかねない。皇嗣殿下は納采の儀等が軽いものという印象を与えてしまったかもしれないと言われたが、儀式は規則上は任意であるとしても、国民の多くはそれを知らず「公」と思っていよう。ということは、それをしなかったということは「公の部分は不変」という皇室のコンセプトも軽いものというメッセージになってしまった可能性がある。それを言われたのだろう。

儀式が税金で行われることを批判する国民はいない。それが伝統への畏敬であり、ひいては皇室へのそれになるのだが、その逆もまた真になり得る方向に国民も変わっていることは、皇室の「私」が変わるのを止められないのと表裏一体かもしれない。誹謗中傷は戦前なら不敬罪だがその法律は消えた。しかし、法の有無以前にそれをして意に介さない発信者、受信者が出現しつつある。ネット書き込み制限を検討するともあったが、事実でないなら宮内庁が名誉棄損で訴えるのが世につれ変わる皇室の「私」の姿でいいと僕は思う。書き込み制限は表現の自由を奪う憲法違反であり「大きな力」にはそれが許されるというなら憲法全部の否定になる。憲法は「大きな力」を縛るための法だからなんのこっちゃになり、では「両性の合意のみに基いて成立」(24条)するから婚姻を認めるとしたのは何だったのかとなるだろう。21条がいらないなら96条の改正手続きになるが、国民の過半数が賛成する可能性はゼロだろう。

ご会見にいちゃもんをつける気はさらさらない。それどころか僕は好きな者同士が結婚するのは一般人だろうが内親王だろうが24条があろうがなかろうが支持するリベラルな人間だ。すでに書いた通り、小室氏が自力で余裕で生計を立てるほど稼ぐ夫になれば雑音は消える。それこそが、皇室の品位と国民の常識にかなった正統な「雑音の消し方」であり、「大きな力」を持ち出して憲法を曲げるような方法を採れば、それを「象徴」と戴く国民の考え方や順法精神もやがて曲がり、昭和、平成の天皇が築き上げられた象徴天皇とは何ぞやという憲法問題に回帰するというトートロジーに陥るだろう。しかし、このことはなにも皇室だけの話でも内親王のご結婚が契機になったのでもなく、権力者が「大きな力」を大手を振って働かせにくくなった世情にすでに萌芽があったと見るのが私見だ。

市民革命を経ていない日本人は「長い物に巻かれやすい」とされてきたが、その傾向を減じている。我が世代には信じ難いほど「個」の欲求、主張が通る社会になりつつあり、確かに欧米人より律義にマスクはしていて従順に見えるがそれは「個」(私、利己)が大事という印であり、自分を守るためには社会と断絶して構わないという印でもある。だからマスクが安倍首相肝いりという「大きな力」で無料配布されても、見れば布製でサイズもみみっちく、ウィルスからの個の防御に役立ちそうもないという恐らく実証的な理由からだろう、見事に誰も使わなかった。総理に忖度の感謝をする気配すら微塵もなく、配布した側は世間一般においてすらの「大きな力」の減衰に対して唖然とするほど鈍感であって、良かれと思った施策が税金の無駄であると怒りや失笑を買って総理の権威を損なうことにすらあいなった。その話題の伝播はネット上でそれこそ電光石火の勢いであったのは記憶に新しい。

この「ネットなるもの」を政治家やメディアは何とかの一つ覚えで「SNS」と呼び、その語彙が包含する「コミュニティ型の会員制サービス」を想起させるものと誤認している様子を覗わせる。現にこうして書いている僕は読み手として何のコミュニティも想定せずネットの大海に向け発信し、分類しようもない読者がどこからどうして来たのかまったく知らないが、とにかく毎日2,3千件のアクセスがある。読み手はアノニマス(anonymous、名無し)で不特定多数だ。僕以上のインフルエンサーはネット上にごまんといる。乗数効果を伴ったネット記事の拡散が制御不能なことは、昨年の大統領選で民主党はトランプの発信元を丸々消し去るという無法者の荒業に頼らなければならなかったことでわかる。「大きな力」はリアル、バーチャルを問わずネットによって支配力を削がれつつあり、コロナによる生活のオンライン依存度増大が更にそれを加速している

政治学的視点で言えば「個」のオートノミー(autonomy、自治権)の増幅は民主国家をよりリベラルな方向に導き、国家権力とのバランスは修正社会主義的な処に均衡点がくる力学が働くだろう。そこに「社会主義市場経済」を標榜する中国との見かけの親和性が発現し、反トランプと中共が大統領選で「どんなイカサマをしても勝とう」と共闘する思想的接点となったと思われる。この共闘はある意味で、国境なき最強の「とても大きな力」であったといえる。しかしその一方で、自国内での「大きな力」による支配力が内部から減衰している民主主義国家としては、共闘して政権を奪取した民主党といえど、万事を「大きな力」だけで動かせてしまう中国という相手に対して同時に底知れぬ恐怖を覚え、必然として敵対するに至っている現状はちっとも矛盾しない。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

フランス革命を連想する大物議員の落選

2021 NOV 3 9:09:47 am by 東 賢太郎

ちらほら聞こえてくる話だが大勝した自民党に明るい空気はあまりないらしい。甘利氏の件だろう。現職幹事長の小選挙区落選は前代未聞だが、そうした衝撃は自民だけの話ではない。立憲の枝野代表も最後まで薄氷を踏む接戦だったし、野党の顔として人気のあった辻本議員は比例復活すらなく国会を去る。どの党が勝ちであれ負けであれ、全国会議員に首筋が寒い思いが走っていよう。

今回の衆院選の投票率は史上3番目の低さだった。つまり、過去の常識では、自公にとって史上3番目に強い追い風の吹いた選挙だったのである。現に、自民は単独で過半数と、大方の予想を覆す圧勝だったことが雄弁にそれを示している。ところがだ。それにもかかわらず、過去の常識では一番落ちないはずの現職幹事長が落ちてしまった。これをどう解釈すべきだろうか?

甘利氏本人が指摘するように「落選運動をされた」からか?たしかにそうだったのだろう。最高裁判事の国民審査は辞めさせたい人に「✖」を書いて落とす。議員の選挙にその仕組みはないので落としたい候補者の対抗馬に票を集中する。甘利氏はそれが起きたといいたいのだろうが、「前回までダブルスコアで勝ったのに」という認識があまりに甘い。票田がある俺が負けるはずない、だから落選運動がけしからん。悪いが、この物言いは最悪だ。ショットが木に当たって「誰がこんな所に木を植えたんだ」と激怒した某大物ゴルファーと民度が変わらない。そもそも世の風を読めてない時点で、政治家は失格ですらある。

小選挙区制での野党共闘という「舞台設定」はかねてよりあった。新しくない。でもうまくいかなかったのである。では何が変わったのだろう?甘利事例の衝撃は、有権者が大物だろうがお構いなしに首をはねる、そのギラリと光る刃の鋭さと強い意志にある。まるでフランス革命なのだ。何か不気味なほど巨大な不平不満のマグマがあった。だから甘利氏だけでない、石原伸晃元幹事長、野田毅元自治相、若宮健嗣万博相(現職)、桜田義孝元五輪相、松本純元国家公安委員長、辻元清美立憲民主党副代表、小沢一郎元民主党代表が小選挙区で落ちている。

大物政治家の小選挙区落選は、失礼ながらそのレアさから猿が木から落ちたといわれる。ドラえもんの「比例代表ネット~~」にボヨ~ンと醜く引っかかって救命される姿も国民の眼に焼きついてしまい、政治家としては出世に関わろう。今回は、絶滅危惧種とされていた自民の「魔の3回生」ですらボヨ~ン組をいれて9割も生き残ったのだから、落ちてしまった方の豪華な顔ぶれがさらに目立ち、革命だなあと国民に感慨を持たれている。実に異様だ。兵卒、足軽が元気に生き残って大将だけが首を刎ねられることは物理的に戦場ではあり得ない。つまり、今回の総選挙は「戦場でなく刑場」の性質が包含されていたのがとても異質で、だから自民内部でも勝利の雄たけびは控えめなのだろうと思料する。

以下、シンプルに本稿の要旨をまとめる。

小選挙区制、野党共闘の「舞台設定」はかねてよりあった。新しくないから革命でも何でもない。そうではなく「舞台裏」で静かに起きている革命があった。今回はそれが表舞台に大規模に顔を見せた史上初の事例である。

革命とはSNSの浸透だ。僕は10年前からこの現象に強い興味を懐いてきた。ソナー・メンバーズ・クラブを立ち上げて、いろんな実験をしてきた。動画を百本作り映画を作る寸前まで行ってコロナになったが、実験精神は変わらない。

SNSは20年も前からある。新しくない。変わったのは、それを閲覧するユーザーの質と数なのだ。書き手も読み手も匿名の無学な層だと政治家、オールドメディアは思っているが、そうでないことを彼らは知らないか無視を決めている。

「アンチ政治とカネ」運動は甘利氏の神奈川13区の有権者だけに起きた個別事象ではない。彼らは自由にネットを閲覧し、全国の有権者の意見を知り、自由に意思決定する。4割いる「最大政党」の無党派層は日々そう進化している。

例えば僕のブログ記事は東京都世田谷区の有権者しか読めないわけではない。北海道から沖縄まで毎日2千人以上の読者がいる。そうしたメディアのプライベート化、読者の多様化、多層化が40代より若い層で進んでいる感触がある。

発信者、受信者の多様化は順列組合せの数を増やし、増加速度は乗数的である。いずれテレビ1局の視聴率増で獲得できる受信者数を上回る。それによる政治インパクトは不明だがオールドメディアが信じたいゼロということはないだろう。

鍵を握るのは30代だ。彼らは10年前に車は持たない、テレビは見ない、新聞も読まない20代の子たちだった。我が子に近いスマホ世代だが、もちろん昭和の我々とちがう極めてまっとうな社会性と正義感を持った世代と感じる。

僕のブログ読者の53.7%は44才より若く、34.1%は34才より若い。その世代なのだ。しかも高等教育を受けている(でなければ僕の文章は読めない)。次世代を託す層だと実感するので頑張って書こうというインセンティブはある。

その世代の皆さんに言いたい。今回の衆院戦で皆さんはフランス革命を起こせるようになったことを知った。票田を相続するだけの家業議員や、私腹を肥やしたり、税金を無意味にばら撒く不届き議員は公開処刑できるということだ。

革命は暴動、殺戮と紙一重だが、そこから発した思想である主権在民は貴族制を否定するヘゲモニーであり、国民は政治を委託する代表者を選択はするが罷免もする。つまり今回の事例は、まぎれもない民主主義の正統な姿なのである。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

小室さんの不合格と甘利幹事長の落選

2021 NOV 2 8:08:31 am by 東 賢太郎

2つびっくりした。小室さんの不合格と甘利幹事長の落選だ。まず前者。別に落ちてもまた受ければいいし、それしかないということだろう。米国はディール社会である。政治は効くがカネになる場合のみだ。義理人情、忖度という日本的な動機は日本人用の営業上のお飾りとしてはあるように見せかけはするが実はなく、原理は厳然としたディールだから換金性があるか否かでしかない。何が色々あろうとも、とどのつまりは年収は小室さんの知能と実力に収束する。

次。本人は前回はダブルスコアで勝ったのに今回は落選キャンペーンをされたという。その是非は全く興味ないが、幹事長が落ちたら自民党は誠にみっともないわけで、そんなことは屁でもないアンチがたくさんいたという点は注視している。全国では自民は単独過半数で圧勝だから矛盾している。つまりこの落選は、浮動票が動き、アンチ自民よりアンチ政治とカネだった可能性が高い。

それは非常に良い傾向である。投票率は下から史上3番目で残念だが、心ある有権者がアンチ政治とカネ、アンチ税金無駄使いに振れつつあるのは地域にはよるがある程度は全国的傾向だろう。その足かせが幹事長の首まで取られるほど大きかったにもかかわらず自民が議席の少しの減少ですみ、大きな追い風をもらった野党共闘が立民、共産とも党としてみると増えるどころか減少したのは、共闘が失敗だったという意味にしか解釈のしようがないように思う。

つまり、政策がわけのわからん共闘に政権を任すなどあり得ないが、自民の目に余るやり放題、説明不足、政治とカネ、税金無駄使いにはお灸を据えておきたい。傘を持って投票所に行った多くの無党派層(僕もだが)はそんなところだったのではないだろうか。とすると自公で何とか過半数という苦戦を予想していたがそうでなかった。「共闘がわけがわからん」という負のイメージが思った以上に足を引っ張ったのだろう。

野党票が多めに流れたのが維新だったが、理解不能である。橋下は首長を取って実績上げて国政にというが大阪は東京人には死んでもあり得ない横山ノックを選ぶ特殊な地盤だ。北海道や九州の人まで阪神ファンになれというようなもので、悪いが無理だろう。つまり、そこに野党に向かうべきアンチ自民の浮動票が流れてしまったというのは小沢、辻本まで落選させるほど立民に人気がなかったということになる。

枝野代表は頭がいいのか悪いのか知らないが、明らかにドグマティックに見える。世界のヘゲモニーの行方が米か中か、やってる当人たちすらわからない時代に彼のこだわりのドグマが正しいと信じなくてはいけない理由がどこにあるのか不明だ。前回の民主党政権の失敗は経験が足りなかった、今はそれがあるというが、何回経験しても失敗する人はたくさんいるのだ。

岸田総理については、会ったことのある人は異口同音に「いい人」「しゃべらずにきく人」という。全員野球は大変結構だが新経済対策は未知数だ。政府が新たな成長戦略って、何度も書いたがそんなのは役人の小理屈でのっけから無理。その証拠に30年間もそれが出来てないのは株価推移を見れば厳然たる事実であって、その間の役人が特段に不出来だったわけでもない。それを政権がかわったぐらいで出来るなら、総理の首を毎年すげかえれば日本は高度成長できるだろう。

私見では「いい人」「しゃべらずにきく人」はドグマティックの正反対で、時代にはあっている。今の世界の潮流は不確実性が支配しており、べき論よりベター論の人の方が失敗する確率は低く、生存率は高そうだ。菅前総理は完全にべき論の人で、生存率の低いメソドロジーの政治家だったわけだ。

そもそも何が成長するかなんて、人生をかけてやってる起業家本人も知らないし、国ならわかるという話でも何でもない。GAFAのどれが国営企業か考えれば自明だ。国にできるのは起業家の自由度を高め、必要なカネをつけてやるぐらいだが、後者は市場で調達すればいいし(それが健全)、前者は、逆に国が余計な口出しをしないことこそベストな成長戦略ということなのである。

我々がそれこそ人生をかけてやっている仕事がそれであるが、テクノロジーや企業や業界の成長が予見できるのなら株式に投資すれば百戦百勝になる。そんな人は世界に一人もいないのが現実の世の中で、我々が努力と知力の限りを尽くしても絶対大丈夫なんてことはない。それを「私はできます」って軽いタッチで選挙演説で言われても、こいつアホじゃないかとしか見えないのである。

しかし、もうひとつ厳然たる事実があることを書いておく。それが実現するかどうかはともかく、一国の為政者で何十兆円の予算を動かせる岸田総理の経済政策に「なるほど」と思えば世界の投資家は日本株を買うということだ。それを僕は業として40年やって知っている、もしそうなら日経平均が上がる。業績は変わってないのだからPERだけ上がる。15倍ぐらいだが、これが上がれば評価されたと堂々と表明して文句はない。

まだ未知数だが、その状態においてプラス評価のない政策などそもそもやらない方がいい。その評価として自由市場で決まる株価というものは、総理の仕事のクオリティを計る指標としてある程度の客観性がある。良いと思えば1万円単位で買える株を買えばいいし、何も考えない、リスクも取らないでトリクルダウンを口をあけて待っていても、国家財政は何党が政権を取ろうと同じ財布なのだからそこまで面倒など見られるはずもないのである。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

自民党総裁選はAKB48とおんなじ(改定済)

2021 OCT 3 0:00:05 am by 東 賢太郎

自民党総裁選の報道はあまりのあほらしさに見るのをやめた。政策論争になんにもコアな中身がない。菅失脚の原因となったのはコロナ対策失敗であることが明明白白なのに、それになにも画期的な言及がないのはこいつら雁首そろえてアホじゃないかと思う。この政党はテレビの「ワイドショー」とおんなじでワイドなだけ、つまり「幅広くなんでもあります党」であって、政策のどれが受けるかわからないがとりあえずテレビに出て注目度が上がれば支持率も戻る、ならば政策なんて選挙に勝ってからちょいちょいと変えればいいじゃないという風だ。

「右寄りでも左寄りでも、若向きも老人向きも、軍国調も対話調も、男性派も女性派も、お好みに応じて何でもご用意してございますよ。お品ぞろえできないのは共産主義だけでございます。ええ、当店のポリシーはどれが正しいかではなく、皆さんにウケがいいのが正しいのです。それが民意の尊重、民主主義というものでございますからね。アフターサービスもご心配ありません、総理が不良品ならまた1年で交換いたしますから」

しばらくはガマンしてみていたが、ついに勘弁してくれという気持になったのは小石河連合の登場によってである。これは政治版の AKB48 だ。河野はひとりだと党員票が過半数に届かず決選投票に持ち込まれると危惧したのだろう。そこで舞台に小泉、石破をあげて3人でダンスして見せればひとりぐらいは党員の好みのタイプがあろうという作戦だろう。その危惧は正しかったが、対応策は大失敗だった。彼は革新派ではなく、生粋の自民党員であることがバレたからだ。なぜなら、「河野、岸田、高市、野田」の4人組だって実はおんなじで、こっちは自民党が経営する KKTN4 である。皆さんご存知のAKB48総選挙は誰が1位でセンターをとろうが経営者にはどうでもいい、それでAKB48という存在が注目され人気が保てれば目的は達するのだ。冗談を書いているのではない、エンタメ業界でこの経営手法がすぐれており集客力が発揮できることは、海外にこんなに模倣グループが現れていることで証明されている。

JKT48(インドネシア・ジャカルタ)、BNK48(タイ・バンコク)、MNL48(フィリピン・マニラ)、SGO48(ベトナム・ホーチミン)、AKB48 Team TP(台湾・台北)、CGM48(タイ・チェンマイ)、そしてとうとうあの中国でも AKB48 Team SH(中国・上海)が登場

65年前に始まった自民党総裁選のほうが歴史は古いが、「政治の芸能化」という民度の低下に起因した昨今の政治環境において、両者はマーケティング・コンセプトにおける類似性を日増しに高めているのである。殊に今回は無党派層が野党支持に流れて政権奪取される危機を封じることが最大の目的であり、とりあえず衆院選で大敗しなければよい。大勝はどう見ても無理だから党全体の利益を守るため、首相は誰であれ「国民のお口にあえばいい」という戦略に出たのである(それと派閥の長の利害は別で、それは恐らく誰が決めたわけでもない。対立しながら最後は全体の利益でちゃんとまとまるところが自民党のしぶとい生存本能だ)。しかし、その魂胆は国民にバレていた。ネットの時代と誰もが口では言うが、いくらテレビ・新聞・雑誌を封印しても今や無駄であるこを ITリテラシーの著しく欠ける長老政治家は知らないだろう。河野はそのネットでばればれの自民党的手法を苦しまぎれに採用したことで根っからの自民党員であることを暴露し、「自民党をぶっ壊す」と吼えて党員に渦を作った小泉元総理のアイデンティティーをまとうのに失敗した。彼の息子の人気にあやかればそれができると信じてしまう三世議員の甘ちゃんぶりが出たとしか言いようがない。

それで総裁選は一気に、国民にとっては芸能ショーに過ぎない政局のドタバタ劇、すなわち、派閥の領袖の保身と利権争いという醜怪なゲームに突入することになった。野田を出して河野を下げて決選投票に持ち込んで云々などまだかわいい、しまいには「民意より派閥の都合です」「自民党は実は『国民の生活より俺の生活が大事党』なんです」が見え見えなり、とどのつまりは「政策より女性候補の化粧のノリが大事」なんてお笑いの世界に入った。国民など所詮はそんなものと見下す馬脚が現れてしまったのである。4人の候補がワイドショーに毎日顔を出し、芸能レポーターみたいな政治評論家たちが毎日くだらない提灯を持ち、ワイワイやって毎日ネタを提供すればお茶の間を独占でき、野党の雑音は消すことができ、コロナに飽きたテレビ局は視聴率が取れて喜ぶ。これぞ「政治の芸能化」である。オリンピックで自民党に儲けさせてもらった電通が恩返しに支持率を持ちあげて国政も左右する。これは「アスリートのための祭典」だったはずのオリンピックが、IOCの謀略によって「広告主のための祭典」にねじ曲げられていったのと同じ手だ。そんなものに国運を委ねてしまっていいのだろうか。

その現象の動力源になってるのは勿論「カネ」である。オリンピックという巨大利権のため菅政権は3兆円をつぎ込んだ。総裁選は「その大金がどこに消えたのか?」という国民の当然の関心を巧妙に煙に巻き、菅さんよくやったという舞台裏があると思われる。「そのためには政治家はどんなウソをついてもいい」が堂々とまかり通ってしまったことも大罪だ。どんなウソがバレても「政治家は安心安全」の前例になったからである。裏では警察、公安に睨みが効く菅路線がこの1年で着々と敷かれ、岸田政権に甘利を押し込んで検察の「ポチ化」も完成したと思われ、もう飼い主には吼えなくなってしまっていると危惧される。政治家という皇室あるいはそれ以上の特権階級の台頭であり、それを前にして、罪刑法定主義は形骸化の一途だ。明治維新も二・二六事件も天皇の権威を頼みにしてのクーデターだったが、今の自民党にそれをかつぐ気はさらさらないだろう。

マスコミはネタが欲しいから政権に嫌われたくない。電波法で恫喝されるのも怖い。政治は大事な「商材」であって、消費者の都合より仕入れ先のご機嫌とりが大事だから政策のあら捜しはしない。文春、新潮もその一線はある。五輪で言えば、IOCにとってアスリートはスポンサーが視聴率をとるための「商材」であって、彼らが記録にかける命懸けの努力なんかどうでもいい。同様にマスコミも自民党の本丸に政策の是非論争など本気で吹っかける気もなく、政治報道もどんどん「カネ」のために劣化してきている。だから政治家は無知でも馬鹿でも何年も大臣が安閑と務まり、不祥事は不問になり、コロナ対策もプライマリー・バランスも、そんなものは深く理解する必要もないし役所に任せておけばいいという伝統的自民党統治が安心安全に踏襲されるのである。官僚は縁故主義でポチを出世させてやり、省には予算を取ってやれば喜ぶ。巨額の税金が動かせ、おいしい利権ができる。これをしゃぶらん手はないという構造が今回も見事に温存されたのだろう。

それには1,2に権力、3,4がなくて5に権力である。その源は選挙だ。であるから、政治家は何のプロかといえば、選挙のプロであるというのが自民党だ。だから二世三世で「票田」を持ってる「自動的勝ち組」が団結して束になればさらに選挙に強いダンゴになり、弱い議員を恫喝して数の論理による権力の維持増幅が可能になる。そのダンゴが今の派閥だ。もう少しは骨もあった昔の派閥と違う。マフィアのボスは下を守り裏切り者を殺すがダンゴの長はそれは必ずしもしない。ダンゴは単なる「権力維持増幅装置」に過ぎないから、その機能のためには軽いタッチで下も切るし裏切り者と平気で翌日に仲良くしたりもできる。小選挙区制で派閥は意味なくなるはずだったが比例代表制が補完すれば「勝ち組ダンゴ」の万有引力はそれと関係なく消えない。引力があればあるほど民意と乖離が大きくなるが、『俺の生活が大事党』にとってそんなことは一本の毛ほどの重みもない。あとはもっともらしい政策をぶちあげ、できなかったらあ~う~と逃げ、最後にやばかったら病気になって他人のせいにするという磨き抜かれたプロの技が確立されている。だから堂々と臨時国会の召集も無視し、「何もわからん国民や野次馬の野党に説明する必要などない」という態度が日増しに強固になっているのである。たしかにそれは一面真理ではある。彼らがプロと自負する「権力闘争の裏技」なんか知る必要はかけらもないからだ。しかし、国民は、政策の是非は知る必要があるのである。

これに対し、やることなすこと「自民党にとにかく反対」という、それはそれでプロの技が確立された “ショー” を国会で披露して飯を食ってる役者たちがいる。別名、野党ともいう。彼ら彼女らの「自民党に反対ショー」は出し物によっては確かに留飲を下げてもくれ、だから一定数の固定ファンがついており、彼らなりの「票田連合」をつくって実は本音は「政権なんか取らなくていい」「取ったら馬脚が出るだけだ」「とにかく議員バッジだけは死守しよう」という政策を連綿と堅持することを可能ならしめている。政策はともかくその一点では結束できる、なぜなら、この連中も本音は『俺の生活が大事党』であることに変わりはない可能性があるからである。今回の衆院選も「野党版AKB48」ができることは確実だ。いや、さらに言うなら、もっと恐ろしいことが舞台裏で進行しているかもしれない。つまり、自民、公明、立憲、共産・・・と選択肢は色々あるが、実は全部が『俺の生活が大事党』であって、オリエント急行殺人事件みたいに “与野党全員がグル” で、国民が見せられているのは実は JKRK48でしたという壮大な仕掛けかもしれない。衆院選もそのための “ショー” であり、少々の勝ち負けは時の運で良しとしつつ「国会議員共同体は不滅です」という大団円に落ち着けようという芝居なんじゃないかという気すらしてくるのだ。政治家という皇室あるいはそれ以上の特権階級の台頭は、そうやって静かに水面下で進行しているのかもしれないと思う。

前から書いているが、僕は政治参加はぜんぜん興味ないという意味で本質的にアナキストであって、完全な無政府を望むわけでないから政治的ミニマリストといってもよく、投票はしても支持政党はない。そもそも投票という行動をするのは、その党の政策が自分の願望にあう、すなわちそれをやってもらえば日々の生活や主義主張や利益の実現にプラスになると信じるからだろう。それが国や社会を良くしてほしいという公益への願望ということもあるだろう。一方で、私益であれ公益であれ、自分の思い描くプラスが他人にはマイナスということも普通にある。「多数決だからそれは考えなくてもいいよ」という許容も「必要悪」としてビルトインされているのが民主主義なのだ。そう割り切るなら、投票とは冷徹なエゴイズムそのものである。僕が必要とするのは警察、消防、救急車、医療、裁判、インフラ整備・・という市民生活にとって当たり前の公共サービスだけで、それが僕の消極的なエゴだ。積極的なエゴもあるけれど、その実現は自助で足りるので政府の手を借りる必要はない。だから戦争、基本的人権の侵害、無為な増税、非資本主義的な政策の強行など「邪魔なこと」をされるのだけが「リスク」であって、政府はなくていいとは言わないが無駄な税金はゼロにして小さいに越したことはない。投票はその時々のリスクを軽減する願望のためにするから常に同じ政党に入れるとは限らない。よって支持政党はない。これが僕のいうアナキストである。

政治に関わる情報は分析はする。それは政治が原因で株式市場が下げそうだったらお客さんを守るため「その前に株を売る必要がある」からだ。だから「リスクフリー」である限り政党はおろか首相が誰かさえ問わないし、困るのは失政によって公共サービスが劣化して自分に直接の害が及ぶかどうかだけで、「負のエゴイズム」と呼ぶべきだろう。そうなると思ったら当然のこととして政権は徹底的にブログで批判する。僕個人の支払った税金が正しく働いていないことになるからで、それを社会正義だなどと格好をつける気もないし、自分に正義を語る資格があるとも考えていない。たとえば、数々の発言から菅内閣はコロナに完璧に無策無関心、厚労大臣も科学に完璧に無知と判断したが、現実はその通りになって、易々と空港検疫がデルタ株をスルーしてしまって話にもならないことを知った。皆さんはそれでいいのかもしれないが、僕は自分や家族に生命の危険が及ぶことは回避したかった。そのうえオリンピックを強行され、さらにリスクが高まったので怒りは沸点に達し政権を強く批判した。影響あろうがなかろうが知ったことではない、国民に害を与えたのだから責任を取ってもらうのは政治家としてあまりに当然と考えただけのことである。

そして、それでもダメな国ということならば個人では打つ手がない。自助で食えるから大きすぎる政府のコストをあんまり負いたくはない。大所高所から国のため社会のためになりたいもののその実力がない。米国で教育を受けたから新自由主義は当たり前と思っている。そういう立ち位置で生きていて日本が住みやすくて面白い国かどうかという観点こそこれからの人生の重大事だ。もしそうでないなら皆さんとお別れの時で、僕は資産を全部売り払ってブログもやめて家内と好きな外国に移住する。

毎度のことだが、岸田内閣の政策に期待することはない。申し訳ないがしてもできると思ってない。我が家、我が社に害を及ぼさず、くだらない政治ニュースに時間を使わせず、気持ちよくアナキストでいさせてもらえば税金は払う。ということは「税金を払うためにも株を下げない政治をやってくれ」、それだけだ。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

▲TOPへ戻る

厳選動画のご紹介

SMCはこれからの人達を応援します。
様々な才能を動画にアップするNEXTYLEと提携して紹介しています。

たむらあやこ
久保大樹
深田崇敬