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カテゴリー: 政治に思うこと

「解散」というものの本質について

2024 JAN 25 18:18:12 pm by 東 賢太郎

【解散その1】キャンディーズ(1973~1978年)

ファンだったわけではないが、ランさんは自分と同期、ミキさん、スーさんは1つ下と親近感はあった。解散会見の「普通の女の子に戻りたい !!」は見事なキャッチコピーであり、いさぎよくてあっぱれだとおじさんまで感動させる国民的行事になった。日本人は何事も散り際が大切という教訓である。恋々と爺いが権力にしがみつく醜怪なシーンばかりの今日この頃、これは思い出しても一服の清涼剤である。昭和の「カイサン」といえばなんたってこれだろう。

 

【解散その2】ピンクレディー(1976~1981年)

キャンディーズの二番煎じと思ったが、「それではつまらない」とパンチの効いたペッパー警部で売り出して当たってああなったらしい。レコード会社がA面がいいと言った「乾杯お嬢さん」だったらどういう路線になったのだろうか。大学時代と重なって思い出深いが解散は就職後で記憶にない。意外に短命だったが、インパクトがあったゆえの賞味期限切れだったのだろう。

 

【解散その3】ザ・ガードマン(1965~1971年)

小学生のころ夢中だった。この正義の味方のおじさんたち、ついさっきまで刑事だと思っていたがwikipediaによるとセコムの人で会社公認というので驚いた。なるほど、それでガードマンで「ザ・」までついちゃったんだと納得だ。しかしどうして民間企業に銃撃戦ができたのかは永遠の謎である。まあ、とにかくカッコ良かったし、テーマ音楽もベンチャーズのシュッシュがちょっとダサ目に出たりして日本人のアメリカ崇拝の原点が感じられる。サラリーマンだから解散はしなかったのだろうが番組終了=解散なのだ。終わってしまったのはとても寂しかったが『キイハンター』や『プレイガール』などゾロ品がたくさん出た。

 

【解散その4】太陽にほえろ!(1972~1986年)

そのひとつがこれだ。ザ・ガードマン(TBS)が終わるとすぐ出てきた(日テレ)。こっちは刑事の設定でドンパチの疑問は解消されたがテーマ音楽はベンチャーズのシュッシュを真似。ただ日本人の勧善懲悪物好きはDNAであり、正義の味方はいつもカッコいいのだ。ジーパン刑事の殉職など国民的イベントとなり、あれで我々もジーパンをはくようになった。解散は86年らしいがもうイギリスにいて知らない。

 

【解散その5】ザ・ビートルズ(1970年)

そのイギリスだ。我が世代、「解散」といえばこれである。

バンドの解散ではなくジョンとポールのお別れだったが、どっちがぬけてもドラえもんはないという意味で藤子不二雄みたいなもんだったまたくっつけば確実に売れるのに二度となかった。だから彼らは永遠になった。

 

【解散その6】安倍派(2021~2022年)

前から森派だ町村派だとあった気はするが、まあどうでもいいというか、とにかく政治は浅学ゆえ細かいことは全然知らず、前任の細田氏については何者かも言えなかった。安倍氏が亡くなると、今度は分身の術のように5人衆になった。僕が持ったイメージはキメラとかキングギドラとか書いてきたが、全コマを記憶している伊賀の影丸ならこれである。まあいずれにせよ化け物だ。

安倍氏は目つきが只者でないのと、トランプ勝利の機先を制して本間の黄金ドライバーを携えトランプタワーに飛び込み外交した営業力を高く評価した。外交とはああいうもので、外務省がセットした飯食うだけのは外遊という。安倍派は5人に分身しても飛んでしまったのだから安倍氏は少なくとも小物議員の5倍以上の能力があったということだ。

 

【解散その7】岸田派(2012~2024年)

総理大臣つまり自民党総裁である岸田氏が岸田派領袖のままでもあったということで国民の注目を浴びた派閥である。会社なら社長兼○○部長である。その会社の××部で不祥事があった。そこで社長が裁いて××部長をクビにした。それはいい。ところが、まったく同じ不祥事が○○部でも起きていたことが検査部の調査によって発覚した。とすると、社長はその部長もクビにしないとつじつまが合わない。でもそれは社長自身なわけだ。「社長いないと会社はまずいよな、おい検査部長、キミだってサラリーマンだ、わかってるよな、だから○○部長のオレはセーフ!」。

「でも株主総会では追及されますよ」。「なるほど、秘書室長、じゃあどうすればいいんだ?」「いい案があります。思い切って○○部は解散宣言しちゃいましょう。キャンディーズ作戦です!株主はびっくりです。自ら身を切ったか、立派なもんだと総会は喝采の嵐です。そのうちみんな不祥事のことは忘れます」。「そうか、さすがは秘書室長だ。よしわかった、それはお手盛りじゃないって目くらましするために第三者機関が決めたことにするんだ。そうだな、名前は『刷新会議』がいいぞ。メンバーはキミも入れて不祥事やってバッテンついた面々にしてくれ、懐の深い社長という姿も見せりゃオレも一挙両得じゃないか。アメリカ本社も応援してるぞ。みんな刷新して『なかったことに』だ!」。

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投資で勝つために必須の考え方とは

2024 JAN 19 18:18:54 pm by 東 賢太郎

基本的に政治にベットすることはないが、米国だけは無視できない。そこで2020年に書いたとおりトランプ・ロング(彼の勝利にかける)のポジションを組んだ。政治としての是非ではなく、何をするか読めなかったバイデンにかけて万一負けた場合にストレス漬けになるリスクを避けた。ストレスは判断を狂わせる投資の敵であり、迷ったら忌避するのは鉄則だ。要は自分がわからないものには手を出さないことである。

そこでトランプが負けた。それでこの3年僕も負けたかというとそうでもない。NYダウは5割、日経平均は7割も上がった。岸田政権になってからでも2割上がっている。彼の政治は知性も行動力も日本史上最低レベルであまりに耐えがたく、思わぬストレスとなったため納税者として大いに文句はつけたが、それでも日本株への投資ビジネスをやめたわけではなく大成功だ。バイデン民主党にもああだこうだ苦情を述べた。そんな米国だが、それでも動かせる資産は100%米ドルにして3割上がり、今もそのままだ。といって全面的に米国派でもなく中国の友人たちとは仲良くやっているが、中国株は一切触らなかった。

「君子危うきに近寄らず」といえば聞こえはいいが僕は君子になりたいわけではない。ピッチングでいうなら、「歩かしてもいいや」とボールにした球を相手が三振してくれたみたいなものだ。今の関心事は僕が積極的に仕込んで3年我慢してきた “トランプ・ロングポジション” が今年11月にワークするかどうかだ。実に楽しみなことだ。自分が儲かることもあるが、僕を信じてついてきてくれた人たちにいい目を見せてあげられることが大きい。

投資というのは何が難しいかというと、人間は感情の動物である点だ。以上のように、僕は政治的主張と投資行動になんの関係もない。「坊主憎けりゃ袈裟まで」というが、憎い坊主の袈裟でも良い物なら買う。これは理屈でない。それでさくさん墓穴を掘った失敗体験のおかげだが、社会人のかけだしの時期、そういう考えの人が東京より格段に多い大阪という街で実務の洗礼を受けたことも大きい。簡単にできるわけではないからできなくてもあきらめる必要はない、感情をコントロールする訓練を積むことだ。

日本は①「なんにも考えてない人」+➁「考えてるが行動できない人」+③「行動するが好き嫌いで動く人」=95%ぐらいという国だ。投資は経済成長の範囲で有限な富の奪い合いだから、95%が儲かって5%が損するなんてことは物理的におこりようがないことはどなたも理屈で理解できるだろう。したがって、皆さんが①②③のどれかに属する人なら、投資をしてビギナーズラックで儲けることはあっても大きな成功は難しいだろうとしか言えない。

では5%はどういう人か。是々非々で、すぐ動き、最後までやる人だ。皆さんの会社や周囲を見渡してほしい。是々非々でない(是も非もなく長いものに巻かれる)、すぐ動かない(慎重に検討して百も理由を見つけてやらないか、やらない前提で長々と慎重に検討する)、最後までやらない(やってはみるがうまくいかないと他人のせいにしたりできない理由を迅速に探しだして言い訳する)が100人中95人と僕は言っている。いかがだろうか。個々人はただの「羊」だが95人もいるとなんとなく羊の群れになり、弱い羊はそれを「長いもの」と錯覚してついてくる。これが現代日本社会であり、話題の自民党の「派閥」もこれだ。

ナポレオンは「一頭の羊に率いられた百頭の狼の群は、一頭の狼に率いられた百頭の羊の群に敗れる」と名言を残したが「一頭の羊が率いる百頭の羊の群」は出てこない。そんなものは弱いに決まってるからだ。まして、「率いる羊は五頭です」なんてバージョンは世界で思いつくのは日本人ぐらいしかなく、「三頭の怪獣・キングギドラ」もびっくりだ。岸田総理、これを退治したのはいいが自分の群れにもブーメランで火事がせまり、これまた凄い面々がそろい踏みの「政治刷新本部」が立ち上がり、五頭どころかその会合に150人が出てきた。とうとう群れより率いる羊の方が多くなった歴史的瞬間だ。

5%の人はこういうドタバタには無縁だ。基本、やるべきことは自分ひとりでやる、というか、それはできない人にはできないし説明してもわからないから、だから5%しかいないという性質のものだからである。江戸時代までは藩校が武士階級のそうした男児をたくさん育て、彼らが明治になって近代日本の礎をつくったが、敗戦でその資質の者を筆頭に300万人近くを戦地で失ってしまった。ドイツ人にもそれを言う人がいたが、この人材損失は甚大だ。その断絶を経てまた増えた現日本人だが、率いるより率いられる方が楽でいいという人が増えてる気がする。そうでない遺伝子を国は大きく逸失し、そうである方が世代を経て拡散されたからだというのが私見だ。ダイハツの不祥事はいよいよ世界のトヨタが謝罪する事態になっているが、まじめが取り柄だった日本人がいよいよそこまで来たかという劣化の象徴でもある。

ここで一つの仮説が導かれる。日本においては率いる人はもはや資質がどうのなんて以前にレアなのだ。だから、群れの羊より率いる羊の方が多い自民党という組織はさらにレアであり、カネかけて落選リスク取って苦労して率いるより率いられる方が楽でいいという考えが蔓延しつつある日本人という母集団の中で維持が困難になってきている。だからどんなに馬鹿でもお手軽な人材供給源として政治家ファミリーが歓迎・優遇され、二世三世ばかりになる。とすると、ビジネスなのだからカネというインセンティブを与えなくてはとなるのは資本主義のセオリーだ。だから地位をカネで買うのに裏金が横行し、それを地元で支えてやる見返りに地方議員は国会議員にたかり、国会議員は税金キックバックを巨大にしようと五輪や万博などの国民的巨大案件が大好きになり、政治は金がかかるんですなんて国民を洗脳して太鼓持ちする「たかり屋」のメディアや評論家がそれをかつぐ。野党も万年野党稼業の方が楽だから共闘して政権奪取なんて兆しもない。岸田総理の「派閥がなくなればこの図式が変わる」という摩訶不思議な理屈はどうやって出てくるんだろう?そんなことはどうでもいい、政治資金規正法はわけわからん「規正」じゃなくて「規制」だろう。

たかが投資だが、これも財産をかけた闘いであるという意味で戦争だと僕は思っている。株が上がってもトリクルダウンはないだのなんなのディバイドを騒ぐ人がたくさんいるようだが群れの一員ならそれも仕方ないだろう。是々非々で、すぐ動き、最後までやる人になるのに財力は不要だ。

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シューベルト ピアノ・ソナタ第4番イ短調

2024 JAN 13 23:23:04 pm by 東 賢太郎

「知識人の生態」はお読みの方も多いと思うが面白い書だ。西部邁氏はそれを①インテレクチュアル(真正知識人、村はずれの狂人)➁インテリジェント(似非知識人、勘定者)③インテリゲンチャ(政治活動家、口説の徒)に分類する。そして「人は金を儲けるとか、栄誉を得るとか、社会の風波のなかで自己を主張するとかいうような種々様々な目論見をもって知識人であるのではない。人は自分自身のために、自分自身にもかかわらず、自分自身に反してどう拒みようもなく知識人なのだ」とオルテガを引用し、「真の知識人への傾きは、知識そのものを超越せんとする知識を求めることにほかならぬ」と説いている。想像になるが、西部氏ほどの方がああした最期を選ばれるほど救いようのない日本への絶望というものは、知識人が➁の馬鹿ばっかりになってしまい、元からそればかりである権力者に輪をかけている現状への歯止めになりようがなくなった①への絶望ではなかったかと考える。まったくの同感であり、それこそ本来は西部氏が日本を救えた極めて少数の本物のインテレクチュアルであったことを示している。氏がそれを断念して自ら世を去ってから6年が過ぎた。ご懸念されたことは面妖で腐臭がただようほど如実になっている。日本人は平均収入がシンガポール人の半分もない貧乏人になり下がり、政治は沈む船の一等船室を争う君側の奸だらけ。被災した能登は40億円、ウクライナには10兆円も出す総理大臣がアメリカに国賓待遇で呼ばれて悦に入る。京都の人の「先の戦」は応仁の乱だがこれは内乱だ。国家の危機となると唐に占領された白村江の戦までさかのぼる。いま、日本国は奈良時代以来、最大の国家的危機にある。

自分の生活は➁の集団の中で、自分もいっぱしの➁であることによって贖われてきた。西部氏はそれを知識を切り売りする売春婦とされるが、やってる張本人として断言しよう。これまた、まったくその通りだ。それでも資本主義社会において家族、仲間、猫を守る方便としては甘んじるしかなかった。だから、本来はショーペンハウエル派で “浮き世” にあまり関心がなく、孤独だろうが村はずれの狂人であろうが①でいたい自分という人間はどこかで「精神の均衡」を整えるしかない。長年クラシック音楽にのめりこんで過ごしてきたのはそれもあったかと自己省察を与えてくれる書でもあった。僕は歌を歌ったり楽器を演奏するなどして他人に聞いてもらおうという自己顕示の衝動はまったくない。天文学者か医者になりたかったのは恒星の物理や人体の組成を研究したいサイエンティスト的衝動があったからで、神学には向いていたかもしれないがあまねく人為性の物事に関心はない。人為で唯一の例外が音楽だったのは、研究しても僕の能力では不可知のものがそこにあり、宇宙や人体の神秘に通じることを悟ったからだ。こういう生き方において➁や③というものは、それになることはおろか接するのもおよそ時間の無駄であり、こと音楽鑑賞においても①である以外に居場所はない。

今年の正月は日本国を大きな事件が襲った。疲れた。そういう時になにくれとなくピアノに座る。譜面台にあったシューベルト「4つの即興曲D899」第1番ハ短調を弾いた。といってもたどたどしい。上手な人に弾いてもらうほうがいいにきまってるが、鑑賞が目的ではない。そこにはピアニストという彼、彼女が介在してしまう。人間だからどんな名人であれ主義主張や感性が合うとは限らないのだ。いっぽう、音楽を紡ぎ出さずにはいられなかったシューベルトには「そうしなくてはおれない何か」があったと僕は信じている。ただただ自分自身のためにどう拒みようもなく書いたがそれが何かは語っていない。それを僕は知りたい。直接本人に訊ねるしかないではないか。

シューベルトが4つの即興曲D899を書いたのは病気で命を絶たれる前の年、1827年だ。死因は水銀の中毒が引き起こした神経症とされるがそれは当時のパラダイムにおける病名で、現代では腸チフス説、水銀中毒説、梅毒説がある。梅毒に罹ったことは確実のようであり、水銀は当時はその治療薬として処方されていた。それが最先端医療だった時代の記録から真相は量りようがないが、大元の原因は第3期に至って症状が軽重をくり返していた梅毒であり、最期に腸チフス(のようなもの)を併発したのではないか。

神経症とされたほど変調のあったシューベルトの精神状態がどう作品に投影されたかは興味深い。同じく梅毒説が確定しているロベルト・シューマンは交響曲第2番、チェロ協奏曲において、作曲の構造上にまでは及んでいないが、僕の感性では曲想に明らかに変性があり、病が理性の領域まで至ったと思われる痕跡が垣間見えて心が痛む。作品番号を付すことが控えられたヴァイオリン協奏曲でそれはついに構造にまで至る。彼は梅毒後期の精神障害に至って死んだと思う。シューベルトにそうしたことが起きていないのは僅かな救いに思えるが、D899第1番ハ短調の曲頭のハ短調から変イ長調のテーマになって目まぐるしくおこる調性の変転は、彼の個性ではあるがそれもあるかもしれないと感じた。あくまで弾いてみてのことだ。これはソナタの第2主題ではない。調性の旅路が変イ長調に戻って不意に現れる天上界の浮遊みたいな8小節にいたっては、これを第3主題と呼ぶかどうか不毛なことを悩む前にソナタと見るのをやめようとなる。本人もそう思ったので呼ばなかったのではないかと思うが、そんなものを捨ててもこれを書かざるを得なかったところにシューベルトの心の真実がある。以前にも述べたが、これはぞっとするほど、天使が妖艶に化けたかのように異様に美しい。何の前触れもなく不意にぽっかり現れて陶然とさせるが、弾いてみると、右手の4つにたいして、左手は6つで、これは僕には「魔王」の右手のアレに聞こえる。悪魔が潜んでいる。

こういうものはもしかしてショパンにインスピレーションを与え、同じ調のワルツ第9番のような曲、やはり漫然と弾けばなんでもないが、アルフレッド・コルトーがやったやり方、彼以外はひとりもやらないしできもしない風な弾き方をされると初めてそうかもしれないと気づくのだ。しかしショパンは一見散文的にみえるがそこまで逸脱はしない理の通った感性の男で、シューベルトでは予想もつかない霊的な現れ方のものをひとつの書法として個性にしてしまった。D899第1番の2つ目のテーマは、気紛れじみているが絶妙に置かれた伴奏音の導きによる色、明度、光彩のうつろい、グラデーションであって、それに添ってあるときは悲嘆に胸を絞めつけられ、あるときは諦めで沈静し、あるときは希望を見て安堵の歓喜を歌い、あるときは絶望に恐れおののいて絶叫するといった人間の弱くて脆いものが赤裸々に投影されてゆく。背景では冬の旅、魔王、ドン・ジョバンニ、運命が通奏低音のように蠢いている。こういう音楽を書いた人間はかつて地球上に存在した何百億人の人類でも彼しかいないのだから、その根源が病気であれ生来の性格であれ、それがシューベルトなのである。実働15年ほどで1000曲もの作品を書き音楽史にこれほどの大きな足跡を残したのに、与えられた人生はモーツァルトより4年短く享年は31才だった。

では31才のベートーベンは何をしていたか?聴覚が減衰してゆく端緒期にあり、運命の暗い淵を予見して自殺まで考えることになるが、それでもジュリエッタ・グイチアルディという女性に恋して月光ソナタを書いていた。後世は彼を不毛の恋多き男として描くのがステレオタイプとなっており、たしかに多情と思われるエピソードは目立つ。ただ、それはモーツァルトの劣情を殊更に面白がるのと同様に彼らの音楽創造の根源を理解するのに何ら重要でない。男は一皮むけばみなそんなものだからである。大作曲家の肖像画は聖人君子のようだが、そういう理解は絵本で笑っていたヒグマと友達になれると信じるようにうぶなものだ。女性、フェミニストにはご理解を賜りたいが、ベートーベンの多情は逃げようのない病魔からの逃避でもあったと思う。女性に好かれようとふられようと難聴はじわじわ進行して彼を恐れおののかせ、何であれそこから逃れるための夢中になれる時間は大事だったのである。

いっぽう、シューベルトには失恋した幼なじみテレーゼ以外に浮いた話がほとんどなく、身体的コンプレックスもあり女性にモテなかったようだが、それがあっても十分にモテたモーツァルトがいた。当時の寿命や医療環境を鑑みても35才で急死したモーツァルトの短命感は否めず多くの疑念、憶測を呼んだわけだが、31才のシューベルトの死にはそれもない。彼がモーツァルトほど著名でなかったせいはあるが、梅毒罹患という事実はサークル内外で周知だったと考えれば辻褄が合う。気の毒でしかない。ロベルト・コッホによって細菌が病原体であることが証明される半世紀も前であり、何に呪われているのか知らなかった彼は自分の体に日々おこる得体の知れぬ変調に悪魔の所業を見たようにおびえたに相違ない。この一点においてはベートーベンは先達の巨人であるばかりでなく同胞でもあり、音楽をもって病に打ち勝った英雄は思慕と尊敬の対象になったろう。だから彼は先人のスコアに学び、演奏という一過性の行為以上に作曲という時を忘れる高次の思索的行為に没頭していったと思われる。シューベルティアーデは友人たちが用意したハレの場でそればかりが有名になっているが、彼の内面をわかる者はない。病とは孤独なものだが死はもっとそうだ。彼は常にピアノに向かって作曲することでおぞましい現実から意識をそらすことができたのだ。健康であり、ハレの場で楽しいばかりの人生だったなら彼にとって喜ばしいことだった。しかし、後世に生まれた我々は珠玉の如き作品群を耳にできなかっただろう。

以上はあながち空想でもない。僕は54才にして水疱瘡にかかった経験がある。40度の発熱と共に体中に発疹がびっしりと現れて顔面まで痣だらけになった。自分に起きてしまったことは理解したし薬ももらったが、あまりの姿に鏡の前でぞっとした。もしあのままだったら今の人生はなく、その恐怖が後にパニック障害の原因となったかもしれないが、それも含めて我が運命だったと了解するしかない。ただいえることは、多くの人が語っているようにこの「内なる悪魔」は恐いということだ。説明してもわかってもらえないからさらに孤独に追い込まれもする。それから逃げるためきつい仕事をしているのかと問われても絶対に違うとは言い切れない。現に、結果論として、怠惰な僕が会社を14年存続させてきたし、カミングアウトした長嶋一茂氏は空手のチャンピオンにまでなられた。命にかかわる病ではないから長い目で見れば「おかげ様で」になるかもしれないという意味で運命であり、もはや人生の一部になっていると考えるしかない。

話をベートーベンに移そう。僕は彼の性格のあれこれや行動の一部はパニック障害に由来したかそれを誘発したと考えており、交響曲第5番のような闇から光へという性質の音楽創造には「おかげ様」の寄与があったと信じている。経験者として語らせていただくなら、作曲家の聴覚喪失という想像を絶するストレスがそれをもたらさないほうがよっぽど不思議であり、20世紀にそれが病気として分類されるまでは「性格」とされ、天才なのだからさもありなんとされてきただけだろう。レッスンで意に添わない弾き方をする弟子の肩に噛みついても「癇癪持ち」と記録されてきたわけだが、2百年前の人類はそれが普通だったという証拠もなさそうである。そのような症状の発現を彼の完全主義、コーヒー(カフェイン)依存が助長し、毎日昼に1リットルのワインを飲むというアルコール依存に陥ることとなったが、それでも作曲家を続けられたのだから誰も病気とは思っていない。たぶん、それは誤りだ。なぜなら作曲に没頭すること自体が最高の薬だからである。専門家のご見解はいかがだろうか。

そんなことが彼らの音楽創造の根源を理解するのに重要かという議論はあろうが僕は肯定派である。助平という男性一般の性質をモーツァルトが発揮しても何の特殊性もないが、これは特殊であって精神の産物である音楽の創造過程に影響なしと言い切る根拠はない。かような考察を巡らす精神こそ西部邁氏が「知識そのものを超越せんとする知識を求めることにほかならぬ」と看破したもの、すなわち “インテレクチュアル” な人間の実相である。拙稿の読者はみなそれであろうし、そうあろうと思う若者は学べばいい。そこでご紹介したいのがアンドラーシュ・シフが20年前にウィグモア・ホールで行ったベートーベン・ レクチャー・リサイタルのビデオだ。僕のような聴き手、すなわち、作曲家の遺伝、学歴、職歴、性格はもちろん経済状況、恋愛歴、病歴までもが創造の根源に関与したはずだという観点から楽曲を知りたい者にとってシフのレクチャーは価値がある。彼は譜面を音化するだけの達人ではなく、なぜベートーベンがその音をそこに置いたかを膨大なレパートリーの記憶から知的に考察し哲学する音楽の “インテレクチュアル” だからだ。

弾いた人しか知り得ないものが多々あることがよくわかる。音楽を語る、評論するという行為は文さえ書ければ小学生でもできるが、例えばスポーツにも経験者でなければわからないことがある。「ホームランの感触は?」という質問は答えようがない。やった人は知ってるが硬式球は芯を食うと「無感触」なのだ。そう答えるわけにもいかず困った選手は「最高で~す!」と絶叫、スタンドがワーッとわく。これは素人界だけで成立する一種の芸、出し物である。これと変わらない出し物でバッジを維持できる国会議員という芸人。裏金で全員逮捕だ!でスタンドを沸かせるだけの地検特捜部。無知な素人をだますだけの日本国劇場が末期に近づいていることを見抜いた西部氏の慧眼には敬服するしかない。クラシック界でも楽譜も読めない評論家がホームランの感触の類を素人に語る芸が商業的に成立していた時期があったが、レコ芸とともに消えた。シフがいうところのサイエンティストである僕には何の関係もない。そのシフのレクチャーだ。英語だがとても分かりやすい。

第27番ホ短調作品90をお聞きいただきたい。

26番と27番の間には5年の中断があると語っている。弟カールの死にまつわる家庭問題と借金、結婚への望みが絶たれたことによる失意のストレスで補聴器を使っても会話困難になるほど難聴が悪化していたスランプ期だ。1813年、イギリス軍がフランス軍に勝利したことで書かれた「ウエリントンの勝利」は時流と昂揚に乗って欧州各地を演奏して回って稼ごうという西部氏いわく➁(勘定者)の活動であったが、それと精神の均衡を得るための①の活動であったと思われるピアノソナタを翌1814年に着手した。満を持した新作27番は速度表示等をドイツ語表記にし2楽章に凝縮した書法による創意と革新にあふれた作品となり、本作を後世は「ベートーベン後期の入り口の作品」と評することになる。その年に17才だったシューベルトは、作曲の先生サリエリに「君の作品はハイドン、モーツァルトの真似ばかりだな」とこきおろされて悩んでいたのであり、27番に注目しなかったはずがない。

27番の第1楽章はこう始まる。

(楽譜1)

シューベルトにはこれと同じリズム、同じ fとp の対話でいきなり主題から始まる曲があるのをご存じだろうか。ピアノ・ソナタ第4番イ短調 D 537だ。これが出だしである。

(楽譜2)

さらに27番を見てみよう。第2楽章はこう始まる。

(楽譜3)

なんという喜々とした、歌に満ちた素晴らしい音楽だろう!シフは「巷ではベートーベンは歌が書けないというが、誤りを認めねばならないだろう。これはまるでシューベルトだ。ベートーベンが先だけどね(笑)」と語っている。まったく同感だ。僕は楽譜3が好きでよく弾いているが、そのたびにアレに似ているなと感じる。旋律など外形がではない、雰囲気、気分、スピリット がである。

それがシューベルトのピアノ・ソナタ第20番の第4楽章だ。これだ。

(楽譜4)

20番はシューベルトが亡くなる直前、1828年に書かれた白鳥の歌だ。ところが、この第4楽章はある若書きのアレンジであることが知られている。

ここで再びソナタ第4番が出てくる。その第2楽章なのだ。これだ。

(楽譜5)

野原を一歩一歩ふみしめて散歩するようで、20番とずいぶんイメージは違う。しかし明らかに楽譜4と5は同じ旋律である。しかもこちらはホ長調でありベートーベン27番と同じだ(20番ではイ長調になっている)。

つまり、シューベルトはベートーベン27番を研究し、そこからのインスピレーションでソナタ4番を書いた可能性がある。27番は1814年、4番は1817年と作曲時期も平仄が合っている。ちなみに楽譜1、2は「ウエリントンの勝利」第1部の最後、フランス軍撤退のテーマだ(短調にアレンジされたマールボロ行進曲)。

1817年!ここで重要な指摘をしたい。シューベルトの人生を破滅に追い込んだ忌まわしい過ちのことだ。その年、彼はエステルハージ候のハンガリーの別荘に招かれ令嬢たちの音楽教師をして素晴らしい時を送っていた。フリーランスとして初めて報酬をもらい、ペピという29才の女中と関係してしまった。そこで梅毒をもらったのである。1818年の出来事だ。

自分はもう生きられないだろう。万感の想いをこめて書いたであろうピアノ・ソナタ第20番。それを締めくくる楽章で10年前の、まだ健康で歓喜に満ちていた日々を回想した。彼の心に去来したものは知れないが、そこには罪も恨みも後悔もない。聞こえるのはただただ素晴らしい歌だけだ。

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パー券の買付はいたしません

2023 DEC 21 10:10:58 am by 東 賢太郎

起業したてのころ、国会議員のパー券を一度だけ買ったことがある。受付で現金2万円を支払うと大き目の印刷した領収書をくれる。いかにも「経費で落とせますよ」という風情だった。なるほどと合点したが確定申告で落とすのを忘れた。見たことも聞いたこともないその男を支援していた男に頼まれ、まあ覗いてみるかぐらいの好奇心だった。そいつのスピーチのあまりのくだらなさにあきれ、こういうものは金輪際近づかないと決めた。

ということで昨今も国会議員に紹介されて会うぐらいのことはあるが、初対面のあいさつで必ず「パー券の買付はいたしません」と告げる。僕のビジネスで政治力やロビーイングが効くことはない。それ狙いでへこへこ寄ってくるような奴等と一緒にされるのも不愉快であるし、逆に僕は「株は買いません」と言われたら二度と会わないからそう言い切ってしまった方がお互いわかりやすい。政治家のビジネス経験というと、だいたいがかけだしのサラリーマン程度である。だから僕の商売を説明してもほぼわからず、ほとんどがそれでおしまいだ。

それでも、見込みあるなと思う人は何人かお会いした。僕は人を管理するのもされるのも嫌いだから政治家になろうと思ったことはない。管理者がいないと社会はもたないから誰かにしてもらう必要はあるので有能な管理者を応援する気持ちはある。政治家とは何か。志がある人だ。志は何であってもいいが、それが国民の琴線にふれるなら票が集まり、現金をばらまかなくても当選するだろう。政治は就職でも金儲けでもなく志に奉仕できる資質の人、国民の願いをかなえるモチベーションのある人の天職なのだ。僕にはその資質がないからお願いするのであり、敬意も払うし、税金も払うのである。

しかるに、総理になってやりたいのは人事ですという人が、中学生に「なぜ総理大臣になりたかったのですか?」ときかれ「一番権限の大きい人だから」と答えるブレのなさは見事ではある。しかし「機長になったのは一番権限が大きいからです」というパイロットが操縦する飛行機に乗りたい人はあまりいないだろう。日本国は目下そういう状態だ。入社試験の志望動機に「社長になりたいから」と答えるような自爆もので、もし社長が言ったなら株価大暴落だ。現にそういう資質の人がホールディンカンパニー制導入で多くの大企業のトップに立ってしまい、世界で日本だけ株が下がり続ける「失われた30年」を演出したのである。

岸田政権は支持率0%になっても続くと以前の稿に書いた。理由も皆さんが書いちゃって大丈夫ですかと心配してくれたほどはっきりと書いた。そうなりつつあるのはそこに書いた理由が正しい証明だ。それでも続けられる岸田氏の鈍感力は畏敬に値し、かような打たれ強さは定常的パフォーマンスを求められる公務員の大事な資質だ。僕には無理。以前、ある立派なNPO法人のトップをどうかという身に余る光栄なお話を頂いたがその場で辞退させていただいた。「すみません、競争して儲ける仕事じゃないとモチベーションが出ないんです」と理由を正直にお伝えした。狩猟民族なんですねとご理解いただいたが、民族というより猫であり、モチベーションをコントロールする能力はゼロに近い。引き受けたら100%ご迷惑をかけることが見えているからである。

パー券を買ってからいろんなことがあった。

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次期総理大臣を物理学で推理する

2023 NOV 28 11:11:32 am by 東 賢太郎

我々の宇宙は「できすぎ君」である。素粒子(ヒッグズ)の構造をちょっと変えると、我々の宇宙で百何十種類もあって様々な元素を作っているすべての原子核が1種類になってしまう。だから生物はできない。

(このビデオの4分あたりからご覧ください)。

ということは、素粒子の構造を、

➀「特殊な値に設定した創造主が存在する」

または

➁「我々生物は特殊な値があるから存在しているのだから、すべての生物は観測したら必ず特殊な値を発見する」

のどちらかしかない。多くの物理学者は➀ではなく「宇宙は無数に存在するのだ」として➁を採る。しかし、科学として➀であることも可能である。ニック・ボストロム教授(オックスフォード)の「シミュレーション仮説」がそれで、イーロン・マスク氏はこの世界が仮想空間でない確率は数十億分の一と語り、ホーキング博士も同様の理論を展開している。

http://イーロン・マスク氏が「人類はコンピューター … – GIGAZINE

僕は創造主を認める➀派である。つまり、

宇宙は、何者かの意思によって、存在する

と考えている。「何者か」を「神」に置き換えれば一神教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教)と原理的に同じだが、僕は「何者か」は知的生命体だと確信しており、バッハの音楽を愛しながらも父祖の国の日本を身びいきする。

物理の話から書いたのは、「社会に出てサイン・コサイン見たことあるか?」なんて人が総理になる国だからだ。僕も社会で見たことはないが、数学は思考回路を掘るために学ぶ。運河といっしょで掘らないと絶対にできない。ない人は運河に水が流れないから話すと1分でわかる。思考に限界がある人に話しても意味ない物が何かがわかる。総理は社会に出る前からサイン・コサインをやってないからそういう言葉が出る。

では運河に水を流すと何かいいことあるのか?ある。

冒頭の野村教授の思考法(回路)に政治を代入する(水を流す)と、岸田政権のドタバタから次の総理は誰かまで推理できる。それが以下だ。

日本国の政治はどうしてこんなに米国隷従になってしまったんだろう?その理由は何だろう?

➀「岸田総理が弱い」

または

➁「隷従しないと総理になれないから総理は誰でも弱く見える」

のどちらかしかない。世論は①ということになっている(=岸田政権の支持率急落)がそうではない。➁が真相である。隷従は構造的であり誰が総理になってもポチになり、ならなければ切られると考えた方が説明力がある。簡単にいえば、日本の総理大臣はアメリカが決めているのである。

これで理由は分かった。ではその理由に添って次の総理になりそうな人は誰だろう?ここからは推理だ。

米国(バイデン政権)は岸田氏を脅して日本を支配する作戦だったが氏の能力の限界を知った。そこで全メディアを動員して上川陽子氏を推す。理由は二つある。第一にキリスト教徒でハーバードで民主党幹部とツーカーである(一人で済むから岸田+木原よりベター)、第二に「初の女性総理」のセールストークで国民の目くらましができるからである。自民党議員は自分の選挙のために是非もなくそれに乗る(LGBT強行採決とおんなじ)。上川氏になると岸田政権以上に隷従(43兆円の防衛増税、ウクライナ復興への数十兆円の支援金拠出)が強力に推進、可決され、財務省にも好都合であり、その巨大な戦果をバイデン陣営は来年11月の大統領選挙キャンペーンに使う。米国が信用してない野党は消費減税反対と米国に媚を売るしかなく、それでますます国民人気が落ちてますます米国の信用がなくなる。つまり詰んでいる。新党が候補者を多く立てて自民の牙城に革命的侵略でもしない限り、総選挙で選択肢のない日本国民も詰んでいる。米国はいい将棋を打っている。

以上は東京裁判の失態(外務省)、サンフランシスコ条約の失態(吉田茂)、日航123便墜落(泥をかぶってもらう)に起因したと思われる岩盤に近い構造的原因から発した因果である。したがって、国内政局のすべったころんだなど何の関係もないが、政治家、メディアはそれで飯を食ってるのでうわべだけのあれこれの騒動が来年の予算成立まである。トランプさんに期待するしかないというのも別の意味で隷従。困ったもんだ。

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日本人に砒素のように効くLGBT法

2023 NOV 24 2:02:08 am by 東 賢太郎

(1)日本人が知らない日本の素晴らしさ

日本っていいな。23年前に帰国して、いの一番にそう思った。懐かしいとか日本語が通じるというようなことではない。16年も外国で暮らし40数カ国も行ったりすると、いわば “日本なし” で生きるプロフェッショナルになっている。そしてその感覚のまんま帰国する。するとまるでおとぎの国だ。楽で安全で清潔で、人は親切で優しいし、日本人が日本人のために日本人らしく生活できるように万事が緻密に設計され、施工され、心がゆき届いているのである。そんなことはない、日本はせちがらくてチマチマして住みにくい等の声もあろうが、そう思う方は欧米に1年でいいから住まれてたみたらいい。旅行や出張に何十回行こうとわからないことだと思う。

そう感じたのは帰国してすぐの、ほんの1,2か月のことで、やがて徐々に従来の感覚に戻った。すると、逆に何を驚いていたんだろうというこれまた経験のない感じがやって来た。当たり前だった大事なものがあることを失ってみて気づき、帰国してますますありがたみを悟ったのだが、こういうルートをたどってみるとそのありがたみは半端ではなかった。そんな国の国民でいられることは奇跡のように幸せだとさえ思っている自分がいて、そういう発言をするたびに「おまえ、前より右寄りになったな、珍しい奴だ」と周囲に言われた。米国の野球が大好きで、欧州のクラシックも好きだ、バリバリにガイジンになって帰って来ると思われていた。まあ仕方ないが僕にはそういうものより父祖の地の方が大事、そういう人間に生まれているようだ。

(2)赤信号みんなで渡れば怖くない

異様に感じた例の代表がこれだ。渋谷スクランブルの北隣りのT字路でのこと、欧米だとあの程度の道は自己責任でどんどん渡る。ところが明らかにクルマが来ないのに、歩道からあふれかえるほど堰き止められた両サイドの大群衆が誰一人身動きもせず1分も青信号を待つ。ルールを守らなそうな風体のお兄ちゃんも渡らない。凄い!これは道交法違反がどうのではない、日本は良くも悪くもそういう文化なのであって、交通安全には良いことだけど、悪い方をいうなら付和雷同、同調圧力、サービス残業、いじめ、根回しなどのルーツがみんなそこにあるんだなと思った。「赤信号みんなで渡れば怖くない」は、いみじくも、ビートたけしが鋭いセンスで日本文化の深層をえぐりだしたギャグだった。

(3)法律は文化の産物である

そうした経験をたくさん味わって、日本文化のどういう所が欧米人に異質なのかということを学んだ。それを皆さんにどう説明するかだが、英米法は「違法でなければやっていいが原則」ということをご理解いただくのが速いだろう。例えば、いま話題のトランプ元大統領だ。彼は数々の罪状で起訴されていて、すべてに有罪判決が出ると最大で懲役700年ごえになる。ところが、それでも来年の大統領選に立候補でき、当選すれば獄中から執務できる。我々の感覚ではそんな馬鹿なだが、禁じる法律がないからできる。これが英米法。日本には公職選挙法の公民権停止規定があるから立候補もできない。しかし、ここが大事だが、その法律があるからできないのではない。国民的に「そりゃないよね」と考える文化が法律になっている。それが先にあり、だからできないのだ。

つまり日本には「法律万能ではない」「違法でなければいいわけではない」という強固な文化がある。例えば違法薬物の成分を変えれば合法になるが、それでも悪い奴らだとなるのが日本文化だ。「不敬罪」は敗戦後になくなったが、だから皇室を侮辱してよいとはならないのは皇室をありがたいと思うのが文化だからだ。それは島国の地の利で2千年かけて純粋培養され、日本を日本たらしめてきた世界に誇る立派なもので、それこそが僕が「こんな国の国民でいられることは奇跡のように幸せだ」と感じたすべての物事を産んだ母胎である。こういうものは、堂々と主張しさえすれば、好き好きなど関係なく問答無用でユニバーサルに評価される。逆にそうしなければ、容易に外国に蹂躙され、消される。日本人が文化を忘れ、あるいは堂々と主張せず、英米法基準のアタマになって憲法を改正すれば天皇制だってなくしてしまうことができる。日本をステルス的に植民地にしたい外国はそれを狙うのである。

法律は大多数の日本国民にとってはおかみから降ってくる江戸時代のお触書のようなものかもしれない。しかし、おかみにそうした横暴を許さぬ仕組みこそが民主主義国家であり、だから法律はおかみではなく国民が送りこんだ代表が国会で作る。文化を形成するのはおかみではなく国民だ、よって、法律は文化の産物なのである。ということは、日本古来からの文化が否定されて廃れてしまえば、僕が「こんな国の国民でいられることは奇跡のように幸せだ」と感じたすべての物事は法律によって次々と消されていくだろう。消えるのではない、”何者か” によって消されるのだ。文化の否定は国の否定であり、したがって、それに組するような者を国会に送りこむなど言語道断である。不吉な予感だが、そうならないことを心から願って本稿を書いている。

(4)宗教はすべての対立の源

なぜ消されるのか? 世界覇権を握る米国、欧州を支配しているのが一神教徒だからだ。旧約聖書を源とするユダヤ教、キリスト教、イスラム教の3つがそれで、世界人口80億人のうち約52億人がその信者だ。一神=オンリーワンゆえ、数学と同様に答えは一つで他のすべては確定的に不正解だ。疑問、妥協の入る余地は皆無である。多神教は一神教の存在を認めるが、その逆はない。欧米列強の植民地支配、インカ帝国・米豪先住民の抹殺、未遂に終わったアヘン戦争、黒船襲来、ぜんぶその結末だ。

神の唯一性をめぐってさらにその3つが互いに争った。世界史とは西洋人が書いたその領地の分捕りあいと殺し合いの地球史のことであり、パレスチナ問題は言うに及ばず、十字軍も、ナチスの大量虐殺も、スターリンのそれも、米ソ冷戦もそれだ。もしウクライナやイスラエルで核戦争がおき、第3次世界大戦となって人類が滅亡したならばどうなるか。火星には太古に栄えた文明があったが核戦争で滅びたとする学説があるが、地球も結局はそれに学ばず同じ運命を辿ったんだねと別な惑星の住人が何万年後かに遺跡を発見するだろう。

皆さん黒船来襲を習った時、開国を迫る米国に余計なお世話だと感じなかったろうか。なぜなんだ、身勝手じゃないかという声に、しかし答えはない。一神教徒はそういうものだからだ。理由が水の補給とか鯨油めあてとか習った記憶があるが、そんな甘ちょろい性善説なわけねえだろ馬鹿じゃねえのという、そんなことを学校は教えてたのだ。日本の絵本では熊さんは優しく笑っていてパンダさんの親戚でもある。熊が人を殺して食っても、撃ち殺したら可哀想だとなる。当時アジアに来た外国船はみな飢えた熊みたいなものだ。英国にアヘン戦争を仕掛けられて莫大な賠償金を取られ香港を割譲させられた清国。スペイン、アメリカに蹂躙、虐殺の末に征服されたフィリピン。日本人がそうした運命にならなかったのは武士が強くて賢く、それがペリーへの抑止力になったからだ。260年の鎖国で異国との戦争経験がなかったにもかかわらず、申しわけないが、我が国の武士は近隣の如何なる国の軍隊より強くインテリジェンスがあった証明だ。

僕はローマとシチリアとチュニスの地に立ってみて、いつもポエニ戦争のことを想った。2千年ちょっと前、地中海に栄えたカルタゴは軍事、経済で強国だったが、ローマとの2度の戦争に敗れて劣勢になり、自衛戦争しかできない条約を強制される。やがて攻めてきた隣国に自衛として応戦すると、条約違反だと言い掛かりをつけたローマに滅ぼされ、国民は全員が殺されるか奴隷にされた。いまの日本vs米国の立ち位置はカルタゴvsローマとそっくりだ。まして日本は多神教国だ。一神教国とどう対峙し共存できるのか、同じ問題を共有する中国とどう向き合ったらよいのか。歴史観も国家観も知性もない人間をのんびりと総理大臣に据えていると、2千年後の教科書に日本が記載されているかどうかも危ないという喫緊の事態に我々は直面している。

(5)香港のゴルフ場で目撃した驚くべきもの

チュニスで感じた以上の危機感を生々しくしく懐いたのは、香港のゴルフ場で “あるもの” を目にした時だ。着任してすぐ、1889年開業とアジア最古の名門ゴルフクラブであるファンリン(香港高爾夫球会)の会員になって初めてプレーした。前半の谷越えのロングホールである。高台のティーグラウンド脇に養鶏小屋があり、鳥インフルが流行っていたので気になってそっちを見た。すると、自分が立っている高台のふもとの土くれから横倒しになった石板がのぞいている。墓石だった。アヘン戦争の末に英国人が中国人の墓地を潰して遊技場にしていたのである。

当時、英国の手先だったのがもと東インド会社であるジャーディン・マセソン商会だ。その長崎支店長がグラバー邸のトーマス・グラバーであり横浜支店長だったウィリアム・ケズィックは調べると1834年生まれである。我が先祖の田中平八はタメ年齢のこの男と生糸貿易をしたに相違ない。そしてこの男が「長州ファイブ」と呼ばれる伊藤博文、井上馨ら長州藩の若者5人をロンドンに派遣し、1866年に薩摩と同盟を結ぶとグラバーから買った新兵器で倒幕に成功する。

長州ファイブは渡欧途中にアヘン戦争でぼろぼろにされた清国の惨状を目の当たりにしている。何を見たかは知らないが、僕がゴルフ場の墓石を目撃したようなノックアウト級の衝撃を食らったことは想像に難くない。幸いなのは彼らは武士として筋金入りの教育を受けていたことだ。英国に取り入って幕府にテロを仕掛けながら植民地化を絶対許さない鉄の意志で諸外国をうまくあしらい、迅速に国体を造り上げるべく手を打った。みな30才そこそこの若者だ。米国のポチになるどころか、いいトシこいてポチのポストを争って日本を売り飛ばす当代の政治家どもは国の汚辱にしか見えない。

伊藤が新政府の初代首相、井上が外務大臣となったのは周知のことだが明治の元勲はほとんどがその後に命を落としている。国を守る政治家とはそういうもので組閣ごっこをするメンタルの者は論外以前に国害でしかない。墨田区の木母寺には伊藤が平八の追悼に建ててくれた「天下之糸平」の巨大な石碑がある。感謝している。それとはまったく関係ないが祖父はジャーディンの本拠があった上海の三井物産支店長であり、その妻となった旧姓真崎の祖母はグラバー邸隣りの旅館の娘だ。そして孫は野村香港の社長になった。偶然かもしれないが、人生を自分で決めているのではないと信じるようになったのはこの頃からだ。

(6)日本人であることの条件

僕がキリスト教ぎらいではないのは長年ブログにおつき合い下さっている方々はご存じだ。英国のヨーク大聖堂の巨大な空間の中を息子と歩いていて、ふと、改宗してここに一生いてもいいなあと思いもよらぬ気持に襲われたほどだ。それでいながら、信仰心とは無縁のところで僕は根っからの日本人である。何ゆえか?仏教でも神道でも如何なる宗教による信心でもなく、日本という2千年の時が紡いできた類まれな国柄、文化、習俗の肌触りが抜き差しがたく自己に同化していてその存在に感謝するという性質のものだからだ。

それは愛国心ともちがう。日本がどういう国かは一概に表現できず、愛するのは自分が知っているほんのいちパートに過ぎない。だから愛しているのは国というより父祖がいた土地なのかもしれない。その土地が日本と呼ばれているからの愛国心だ。だから日本人であるか否かはパスポートによって決まるのではなく、日本人である個々人がどう切り取っても一様に共有するであろう国柄、文化、習俗というものが分厚く織りなす生地のようなもの、日本的ではない物事やふるまいに接すると「そりゃないよね~」と思う気持、それを普段着として身に纏っているかどうかということのみが証明するものである。

(7)韓国人の30倍も支配されにくい日本人

ドイツ人はキリスト教徒である。ナチは人類史に稀なる狂気ではあったが、道がどこでどう曲がったかは米国人はわかったはずだ。だが根底から異質な日本人の行動はわからなかった。その結末が核使用による民間人の大虐殺である。それも人類史に稀なる狂気であることを世界に向けて僕らは発信し続ける必要があるが、宗教の違いは憎悪に火がつくと大爆発する危険物であることも強く認識を心掛けるべきだ。ガザ地区で今起きているのもそれである。キリスト教徒はそれを熟知しており、戦後、米国は韓国人を共産主義への防波堤とするため人口の30%をキリスト教化することに成功した。しかし日本人は未だにたったの1%だ。同じ顔に見えるが韓国人の30倍も支配しにくいと思っているだろう。**教会はその一助として韓国から布教すべくCIAが作ったと理解している。

バイデンは「日本国憲法は日本に核を持たせないために作ったんだ、それも知らんのか」とトランプを笑った。そうして日本を「中露北に対抗する武装は永遠に米国まかせ」の身分に置けば核で復讐される脅威は消え、FMS協定で中ヌキまでできる。バイデンを操るネオコン(またはDS、軍産複合体)が太った豚を手放すはずがなく、強調したいからくりかえすが、これはローマがカルタゴを食った手とまったく同じだ。円滑な支配のためには頭にキリスト教徒を置きたいが皇室は難関だった。しかし総理大臣は吉田茂、片山哲、鳩山一郎、大平正芳、細川護熙、麻生太郎、鳩山由紀夫と13%もキリスト教徒にできた。国民(1%)の13倍とは驚くべき高率で、これが偶然とは誰も言えまい。民主党びいきの上川陽子の名前がCIA新聞の読売から唐突に出てきたのはとてもわかりやすい。すでにボロボロの岸田政権を見限った。しかし上川になれば米国隷従の悪夢に拍車がかかるだけだ。

(8)同性愛は文化の一部になる

ネオコンがキリスト教化を進めにくい国を統治するには法律による支配が近道だ。ダイバーシティ(多様化)を押しつけて社会をずたずたに分断すれば日本文化の統一性、均質性は崩壊して米国社会のようになり、英米法的な法律をどんどん作るしか統治のしようがなくなる。それにより思想、思考回路も英米的にすることはキリスト教化と同等の効果が得られるだろう。「神は人間を創造された際,結婚した男女だけが性関係を持つように取り決めた」(創世記 1:27,28。レビ記 18:22。箴言 5:18,19)と聖書にあることから同性愛はユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも禁止であり、それと人権との関係はそれらを信仰する国においては歴史的社会問題であり続けてきた。一方でL(レズ)、G(ゲイ)、B(バイ)の人々は日本においても昔から存在しており、国民の99%が聖書を信仰しない我々は我々なりの文化と常識をもって対応し、共存してきた。ここに宗教に起因するズレがある。これを埋める強姦に等しい強行策こそLGBT理解推進法の制定であった。

聖書の3つの宗教は近年になって同性愛を認める方向に融和してきたように見えるが、古くは弾圧し、罪人として処刑もしてきた(http://ソドムとゴモラ – Wikipedia)。戒律が禁止するからで、そんなものは存在しない日本と決定的に土台が異なるのである。だから、欧米は市民革命後の人権擁護という思想を戒律の上位に来させるには新たな法律で上書きする必要があった。それがLGBである。仏教では同性愛への言及はなく、日本は古来よりLGBには比較的おおらかな国柄であり、新法で保護する必要があるほど弾圧された歴史も文化もない。

(9)なぜ女湯に「 T 」を禁じる法律がないか

ちなみに我が曽祖父は能登から上京した風呂屋である。神田猿楽町に日本で初めて富士山の絵を描いた銭湯「キカイ湯」を創業し、それが全国に広まったようだ(http://こちら神保町「銭湯特集・その2 キカイ湯 第2回」)。父・東由之助の名は曽祖父・東由松から来ているが、半農半漁の田舎である能登から東京ど真ん中に出てくる冒険精神と楽天性を僕は曽祖父から継いでいる気がする。

そうした脈絡から昨今のLGBTの女風呂問題にはどうしても関心が行ってしまう。江戸時代の銭湯は混浴が当たり前だった。幕府がしばしば風紀が乱れるという理由で禁止令を出したが女性から反対が出たほど日本の性文化はおおらかなものだったようだ。たしかに、この絵の中の男女がLGBTのどれであろうといったい何の問題があろう。

大事な論点だが、混浴文化においてはLGBT理解増進法に問題はなかったろう。ところが明治の初期に西洋文化が移入されて男風呂、女風呂に分かれる。それでもLGBの人は外見の性別どおりに入浴するから問題ない。問題は T (トランスジェンダー)がくっついたことだ。日本文化では外見が男であるT の女性が女湯に入るなどということは想定しておらず、したがってそれを禁じる法律はない。あるのは外見の性別によって事業者や施設の管理権者が入場を断ることはできるという厚労省の衛生等管理要領だけだ。これは通達で法律ではないから違反者を逮捕はできない。

そこで先日の長島温泉の事件では、管理者の通報を受けた警察は「建造物侵入罪」(刑法第130条)という法律で逮捕に踏み切った。しかし、この罪は「不法侵入」が成立の必要条件であるから、侵入が痴漢や盗撮等の「不法な目的」によらない場合は罪に問えない可能性がある。現に侵入者は「心は女性なのに理解できない」と言った。「これを理解増進しろ」という法律は通達より強い。しかも「女が女に痴漢しますか?盗撮しますか?」「LGBT法が成立したので合法と思ったのだから不法でない」と抗弁された場合、「ならば手術して体を女にしてこい」とは言えなくなってしまったのが10月25日の最高裁判決なのだ。これで検察が起訴できるのか?見ものだが、素人なのでコメントは差し控える。

(10)LGBT理解増進法の真の目的

建造物侵入では不起訴になってしまい、「外形が男なら女湯に入れない」という新法が制定されたとしよう。女風呂の安全はそれで守られ、いかにも一件落着に見える。しかし、LGBT法を制定させた者たちにとってそんなことは痛くもかゆくもないのである。変質者を女風呂に入れてあげるのが目的ではないからだ。目的は「違法でなければ何やってもいいってもんじゃない」という、いわば法の上位概念である「日本の常識」の破壊である。連中はそれを「理解増進」(=洗脳)と正直に白状している。つまり、

LGBT理解増進法は、古来より日本文化にある「そりゃないよね~」を欧米流の「違法でないならOK」にじんわりと転換させるための法律である。

だから同法を制定させた責任者である福井県選出の稲田朋美議員は長島温泉の件について「LGBT法とは関係ないようだ」としている。この発言は「他人事のようだ」と批判されているがそうではなく弁護士なりの用意周到なコメントである。直接の関係はない(侵入を助長する意図はない)から嘘ではない。しかし、かような事件が多発することによって「理解増進」(=洗脳)が進行することを「関係ない」と言って放置する “未必の故意” はある。それを指摘された場合の逃げのために「ようだ」を加えていると思われる。

LGBT法の真の目的は、マイノリティの権利を拡張させ、一丸になると強い日本社会を分断によって弱めることだ。要するに、以心伝心で通じ合う日本人に異分子をぶちこんで世の中を面倒くさくし、古来よりの日本文化を壊し、米国に追従し、ひれ伏すようにしたいのである。GHQが終戦後に給食を米からパンにかえて小麦文化を移植し、戦争への贖罪意識を植え付ける教育をしたのもそれ。移民をどんどん入れろという政策もそれだ。さらにLを投入して「言ったもん勝ち」という面倒くさい社会にすれば、それを取り締まるには新しい法律が必要というイタチごっこ状態になる。よって国会議員と弁護士が統治者となり稲田議員は一挙両得であり、ネオコンはそれを工作員に使うのが楽だから彼女は総理の道が開けるのである。

(11)共産主義者の典型的な手法

「英米法的な国」に日本人の思考回路を変えることは一気にはできない。だから徐々に人を殺す砒素のようにじんわりと変える。英米法では認容できてしまうこと、例えば、総理が刑務所から執務することなど想像だにできない日本人の脳に「日本の常識」と「英米の常識」の間の立法精神の断層を作りつけ、それを都合良く使い分けて国会で次のLGBT法のような妙ちくりんな法律を易々と制定させる。国民は気がつかないうちに「合法的」に支配されるステルス兵器だ。これは共産主義者の典型的な手法で、性善説の日本国民が気づくことは難しい。

自民党の数名しか反対しなかったLGBT法の国会決議。皆さんあれを見てどう思われただろう?草案段階で反対の議員は多くいたと、自分は反対もせずしゃあしゃあと弁解する議員がいた。それなら赤信号をみんなで渡ればいいじゃないか。それができないほどだったのだから、何か物凄く怖いものがあったに違いない。それは何だろう?極めて不気味としか書きようもない。ここまで米国民主党に好き放題やられているのだから、そういう日本文化破壊派の総理大臣など言うに及ばず、議員もしくは政党ごと早めに駆逐しないと本当に危険だ。ちなみに稲田議員は「私こそ保守だ」と主張することで、LGBTの “T” の運用例までご親切に示してくれている。即ち、どんなアホが奇天烈なことを言おうが「言ったもん勝ち」ということだ。同法は使い方によってはかように一時のお笑いで世の中を明るくもできるが、廃止するに越したことはない。

しかし我々日本人は世界に稀なる優秀な民族である。精神の侵略に対抗する方法はある。それは実に簡単だ、冒頭に書いたように「日本っていいな」と感じること、それが何でも構わない、「日本に生まれて良かったなあ」と思うものを心から大切にすることだ。同時に、それを大切にして下さる外国人ならば受け入れる寛容な気持ちを持ち、和の心には妙だ、おかしい、嫌だ、不快だと感じるもの、肌合いからして受け入れられないものは決然とNO!とすることだ。千年も前からそれをやってる我が国に高々250年の国が自国の勝手ルールを押しつけるなど無礼千万である。それがダイバーシティ(多様化)の時代に逆行するとされるなら言わば言えだ。逆に問うてあげよう。世界のマイノリティーである日本を認めないのがどうしてダイバーシティなのかねと。

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井端ジャパンに見た大器の顔の良さ

2023 NOV 18 17:17:31 pm by 東 賢太郎

まだ決勝がどうなるかわからないが、侍ジャパンが台湾に4-0、韓国に2-1、豪州に10-0で勝った。台湾の先発は打てなかったし韓国は守備がそこそこ締まって強かった。豪州戦は5回で5-0で早川が7奪三振のパーフェクトピッチで、相手は空気に飲まれて守備がぼろぼろ。この時点で我が家では「この試合は10-0以下だったら負けに等しい」という厳しい宣告が下されていた。8回1安打コールドで10-0だったからまあ合格だが、早川が完投すれば完全試合もあり得たと思う。この完成されたピッチャーが今季6勝7敗?楽天が弱いのかパリーグの相手が強いのか。明日の決勝は、2016年夏の甲子園準々決勝で木更津総合・早川に3-1で投げ勝った作新学院・今井達也だ。

初四球、初安打を与えてしまったが西武の佐藤は去年の開幕前に「ドラフト2位の佐藤隼輔(筑波大)はオープン戦を見る限り僕の予想をはるかに上回る好投手である。(1位隅田と)2人とも新人王候補で10+10=20勝しそう」と書いた。同年の公式戦の結果は想定外も度が過ぎた。昨日韓国戦で7回3安打の快投を見せた隅田がなんと1勝10敗、佐藤が3勝4敗。昨日今日でこれは球団が変だったことが証明されたろう。どっちもいい面構えになっていたから井端の下で開花を期待する。

藤原、早川のインタビュー。大器だ。ひとつことを迷いなく極めつつある男の顔が実にすがすがしい。自分も野球で育ったから分野を問わずそういう顔が好きだ。実力は一流なのに大舞台でダメな人がいる。可哀想だが器の大きさばかりはいくら鍛えてもだめである。ちなみに日本はいま政治にこそ大器が求められているが、国会中継で見る自民党の面々は総理大臣殿を筆頭に小手先でさばく要領だけのチャラい小物のオンパレだ。何が一流で政治家やってるのか皆目見当すらつかん、こんなのが日本の代表?わけわかんねえ、顔を見るのも不快である。課長代理みたいのを社長にしちゃいかんのだ。勝手を言って申しわけないが主観だからどうしようもない、人間の質というのはどうもならない、ダメな奴はダメだ。

井端監督もインタビューの顔つきがいい。このたび初めて指揮を観させてもらうが、選手の選抜も起用も知将の味がにじむし秘めた熱さも感じる。どこがどうのではない、こういうのはトータルに感じるものとしか言いようがない。ピッチャーだけは別人種だからいいコーチが大事だが、カープファンの僕として最も嫌だった稀代の好投手・吉見は最高の適材と思う。まだ名前も知らない選手も多いがこのチームはやってくれそうだ。

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大統領選挙のための日本ポチ化計画

2023 NOV 12 20:20:56 pm by 東 賢太郎

ハーバードでまずパレスチナ支援のデモが始まり、アイビーリーグに飛び火している。母校のペン大でもキャンパスで大学側が鎮圧に乗り出して衝突している。ニューヨークではイスラエルのガザ攻撃の反対集会をグランドセントラル駅で挙行して逮捕者が出ている。驚くのはプロテストしているのはユダヤ系市民ということだ。若者はネットで残虐殺人の情報を得ているとされるが、パリではダビデの星の落書き事件もあり不穏な動きがあることも背景のようだ。

かたや老舗のルーズヴェルトホテルが移民収容のため閉鎖されているというのも驚く。トランプが作った壁を壊したのでメキシコから毎日2、3万人流入し、手に負えないテキサス知事はトラックで移送してしまう。地方は白人が多く拒否されるので大都市に10万人も来る。マンハッタンは人口170万だから世田谷区と練馬区に中南米人10万人ということ。想像を絶する。移民はすぐ選挙権を持つ。入国に感謝して民主党に投票する。要は大統領選の対策だ。

米最大手保険会社の知人によるとニューヨークで人が亡くなっている。2020年まで彼の600人の顧客に一人も死亡がなかったが昨年から増え、最近は月ひとりペースで業界では異常値という。コロナではなく癌や心臓疾患だが会社の医師に聞くと「わくわくだ、オフコース」が回答だったそうだ。そういえば2020年に僕に打つなと薦めた人は2年後を見ろと言った。日本の厚労省は「超過死亡は増えてない」としている。一見もっともらしいがすぐばれる賢くないごまかし方である。日本人の死亡数は2022年から激増だ。

いまや「藤江グラフ」は有名だ。

ファイザー社、モデルナ社は何兆円と儲かったはずだが株価はこうだ。

ファイザー株価

モデルナ株価

どう考えてもおかしい。どっかに飛ばして選挙資金になっておかしくない。もう今回はドミニオンの機械のバイデンジャンプじゃ無理。買収しかなかろう。

奥方がバイデンに呼びつけられてから岸田氏のポチぶりに拍車がかかったという説がある。役所も含めて株のドド素人が経済経済経済。物凄く危ない。相手はこんな馬鹿ども騙し放題だと思ってる。ただの業者に過ぎないブラックロックをわけもわかってない外務省が迎賓館おもてなし入れちゃったりする。野党は何やっんだ、お前らも馬鹿の一味か、ちょっとは騒げよ。

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目下の日本は非常に危機的

2023 NOV 10 18:18:11 pm by 東 賢太郎

1980年代、米国は経済覇権を脅かした日本企業の底力に本気で焦った。といっても30代以下の人には信じられないだろうが僕は1982~84年にウォートンスクールにいて教室でそれを体感している。大谷翔平の二刀流は野球の神様ベーブ・ルースを凌駕してしまったが米国人が怒った話はあまり聞かない。しかし、国ごと抜かれそうな勢いとなると笑顔で済ませられる話ではないのであって、その後、米国は円ドルレート切り上げ(1985年、プラザ合意)で対日貿易赤字解消への強烈な反撃を仕掛け、円は対ドルで約6割も高くなってしまった。輸出は大打撃を被ったが、それは逆に日本企業の土地担保借入によるドル建て購買力を6割増幅したということでもあり、米国の象徴であったコロンビア・ピクチャーズ、ロックフェラーセンタービル(左)等を買収するに至り、ついに、1989年に、国家経済力の象徴である株式時価総額で日本国が米国を上回った時、ウォールストリートでは真珠湾に喩える怒りの声さえあった。冗談じゃない、こっちは実力勝負で勝っただけだ。人為的な為替操作の方がよほど汚い、そのしっぺ返しじゃないか、三菱地所、ソニー、よくやったという快哉を叫ぶ気分は尖兵の我々にはあった。しかし、もしも他国が札びらで富士山を買ったらどうか、やり過ぎではないかという一抹の不安もよぎったことはよく覚えている。

米国は本気で焦り、そして怒った。そこで貿易摩擦訴訟に加えてBIS規制による日本の会計の弱点を突いた金融機能締め上げという手が打たれ(父ブッシュ政権)、1997年にサッチャー革命を模した金融ビッグバンなる号砲のもと金融システム改革法制定が強行された。これはFree、Fair、Globalの改革3原則が掲げられたことからも根底から異質だった日本市場を腕づくでこじ開け、米国ルールに従わせ、日系証券(つまり野村)をスキャンダルで崩壊させて米系証券を民営化に関与させる目論見の米国民主党クリントン政権の主導だったことは明らかである。世界最強の野村證券の最前線の指令官のひとりであった僕は当時香港の社長であり、人生で日系他証券を敵と思ったことなど一度もないが、まして米系ゴールドマン、メリル、モルスタなぞ来るなら来い、なんぼのもんだねと歯牙にもかけてなかった。

1990年代の国内は資産バブルがはじけ、野放図な担保金融が逆スパイラルとなって信用破綻連鎖となり上場企業が軒並み倒産しかねないという未曽有の事態だった。長銀、山一が破綻し、橋本内閣は膨大な不良債権処理で実質債務超過の銀行を統合すべく独禁法改正で戦前の純粋持株会社(ホールディングカンパニー)を復活させ、グラス・スティーガル法に基づく銀行・証券の垣根は事実上消えた。この大蔵省(当時)の動きを僕はドイツ、スイス時代に3度来欧された田淵義久前社長から直に聞いて知っていた。1992~2000年という業界受難の時期に海外にいなければ事態の巨視的な視点もなく、7年後に銀行側に移る決断をすることはなかったかもしれないと複雑な気分でもある。野村を裏切る気はなかったが必要とされておらず、必要としてくれたところに行っただけだが。

独禁法改正は金融界のみならず経済界全般に大きな影響をもたらすことになる。ホールディングカンパニーという新たな上位レイヤーにより不良債権処理はもちろん異業種のグループ化、経営責任や信用リスクの分離、財務・人事の分離、M&Aによる合従連衡、営業譲渡、ノンコア切り出し(カーブアウト)など特定部門の利害にとらわれない戦略的決定ができるメリットがあった。ただ、その米国流の制度は資本と経営の分離を組織化したメリットと引き換えに、現場と経営が近い日本的経営の強みを削ぐデメリットもあったことは指摘されるべきだ。ここで日本に仕込まれたのが「株主資本主義」だ。投資家は資本効率を求め、毎期の配当を求める。企業は長期に育てた戦略子会社であれ、目先が不採算であればホールディングカンパニーにより切り捨てられ、口をあけて待っている米系に飲み込まれる素地ができてしまった。

さらに、資本家ではないのだから支配者ではないホールディングカンパニーが、日本的人事風土の中に置かれることにより、配属される役職員の上下関係の色に容易に染まってしまった。現場と離れてニュートラルな判断を可能にする本来のメリットが、現場を知らない者が全社的経営判断を司る場という神棚に祭り上がり、そこのトップが全グループのCEOで、そこへの配属される者がエリートと見做され、必然的に人事・社内政治の達人と学校秀才の巣窟となって現場とは完全に乖離してしまう。これは明治憲法下で陸海軍の最高統帥機関となったあの「大本営」とそっくりで、統帥権のある天皇を資本家(株主総会)に置きかえたに等しい。

このホールディングカンパニーに米国ネオコンが資本を入れ、あるいは経営コンサルをし、それを通して指示、ルールに従わせるためのstrong manとして機能させた。そうすれば日本を代表する大企業グループを簡単に買収したり、民営化させたり、内部からコントロールすることが可能になる。strong manは英国の植民地支配の図式における現地の統治を委ねる現地人の怪力男の意味で、終戦後のCIAによる岸信介(自民党)、正力松太郎(読売新聞)がそれ。ゼレンスキー(ウクライナ)、ネタニエフ(イスラエル)もそれだ。strongの形容は稚拙に見えるが米国とディールして貢献するとThank you for strong support ! なんてくる。お前は俺の怪力男だ、頼むぜと誉めており、評価してカネもくれる。標的の大企業グループにそれを配し、宿主の脳を操る寄生生物のようにコントロールするわけである。構造改革でホールディングカンパニーを「脳」に仕立てれば一ヶ所に寄生すればいいから支配ツールとして最適だった。

かくして、支配される側から見れば、ホールディングカンパニーという箱は仕事は全くできないが社内政治だけうまい人事屋にとって米国ルール(株主資本主義など)を振りかざせば時流に合ったもっともらしい支配権と権威を得られる格好の装置となる。仕事の業績、人望、リーダーシップなど微塵もなく、バブル処理の空気に乗って過去を否定する者、つまり旧来基準における仕事のできない者がわざわざ選ばれるのは、元々出世しそうもない奴の方がコントロールが容易だからだ。人事権を振り回すだけがそういう悲しい者の唯一の権力のよりどころだから、今度はそれに取り入る特技のあるヨイショ野郎が大量にはびこるようになる。寄生虫の寄生虫みたいなものだ。そいつもまた悲しいほど無能なのだが次期社長になって同じことが連綿と続く。現場のまともで仕事ができる者たちはあほらしくてやる気が失せ、リーダーも士気を失って排除され、日本企業を確実に内側から弱体化する巧妙な時限装置がそうして仕掛けられ、作動を始めたのである。各社に激増したそういう無能な社長がどれだけ平成時代の大企業を没落させて米国資本の餌食になってきたか、サラリーマンだった方はお心当たりがあるのではないだろうか。

政治はどうか。経済だけは一流であった日本はバブルの後始末で無為の10年を浪費したとはいえ企業の底力が衰えたわけではなく、政治次第で復活の余地はまだ十分あった。ところが、もとより三流で社会党連立政権まで出現させた政治は頼りになるどころか経済にも増してダッチロールの末に米国の支配下に入り、政治家でないから想像にはなるが、首相官邸がまさしく企業におけるホールディングカンパニーと化したと仮定すると説明力のある展開を見せた。米国が都合の良い総理をコントロールして支配する策略がほぼ定着した、つまり、現在もまったくその延長線上である “ジャパン・ハンドリング” の原型は平成の初頭から橋本政権あたりにかけて、恐らく民主党のクリントン政権(1993~2001年)時代に成立したと思われる。日本国は頭のてっぺんからヨイショ野郎の巣窟と化してめめしく弱っちくなり、じっくり30年かけて茹でガエルにされることで普通の国になり下がったのである。これが政財界を蝕んだ「失われた30年」の正体だ。

9月2日の稿に、こう書いた。

(バイデン政権の支持がバックボーンである)岸田総理は米国のためにいい仕事をすればするほど日本国民のためにはならず、したがって、事の必然として政権支持率が下がる(注・時間と共に、予定調和的に、そうなっていることにどなたもお気づきだろう)。(中略)国民に何を言われようとバイデンからの評価は上がるのだから岸田政権は安泰だ。極論すれば支持率0%になっても選挙まではもつから、総理が再選を諦めれば怖いものはない。あと1年であらん限りの利権を固めれば人生の帳尻は十分すぎるほど合うだろう。

この稿は想像で書いたが、ほぼ事実であるように思える。なぜなら、その後2か月間に反証が何一つ出てこないからだ。

さらに想像をたくましくしよう。こんなものかもしれない。

世界の覇権国アメリカを維持するコストは膨大だ。「温暖化、SDGs? おい、お前馬鹿か?そんなもんじゃ目先のキャッシュ回らねえぞ。いくら赤字だと思ってんだボケ。もっと劇薬打てよ」。「了解しました。しょうがねえな、また戦争やれや。犬猿の仲の国や革命軍そそのかして仕掛けさせろ、そいつらにカネ貸して恩きせて武器を売れ、薬もワクチンもだ」。

まあこんなもんだろう。

予算上限にきてる米国はもう金は出ない。ウクライナもイスラエルも座礁し、ネオコンの覇権保持がかかる大統領選挙まであと1年。なりふり構わず不正選挙でも何でもやるっきゃない。日本には国民感情などお構いなしでLGBT法案みたいな噴飯物を押しつけてくる。「ちょっと待て、こんなの強引に国会通したら支持率暴落だぞ、へたしたら保守新党ができて自民は左翼扱いされちまうぞ」。「総理、お忘れですか、大丈夫なんです、ほら、伝家の宝刀を通したじゃないですか、ワタシの力で。LGBTの “T” ですよ!「ワタシ女性よ」でおっさんが女風呂オッケーなんです。世の中は言ったもん勝ちになったんです。だから『ワタシこそ保守よ』っていいまくります!」。

「おお、そうか、素晴らしく高度な理論だ!さすが弁護士の稲田くんだな、バイデンさんのお手伝いをすることが我が政権の生命維持装置だからな、もちろん君は将来の総理候補だって言っとくよ」。やれやれ、たまんないよ、長くやりたいんだけどね、長引けば長引くほど支持率ばんばん下がるだけじゃないか。木原くんの秘策で減税やってやるのに「減税クソメガネ」になってるじゃないか。いったいどうなってんだこの国は。

総裁選は来年9月だ、このまんま座して死を待つのも阿保らしい、自爆覚悟で解散するか。でも、どっちであれ、来年9月までに俺の政権が終わると劣勢のバイデンはまずいよな、次の総理が増税もウクライナ支援もいたしません!なんて言ったら絶対怒るよな。みんな40議席も減る選挙なんてまっぴらだ。俺の再選を握ってくれたら増税メガネはひきうけるぞ。こっちも続投でバイデンも勝って長期政権は確定だ、俺の十八番の人事戦略をくり出せば支持率なんかまた上がるよ。

その人事戦略で任命したんだろあいつ、名前も忘れたよ、税金滞納して4回も差し押さえ食ってるあれ、よりによって財務副大臣?こいつが俺から税金取ってるわけ?税金でメシ食ってんだろ、こいつ?なんか泥棒に追い銭してる気分になってくるわな、俺がいくら払ってると思ってんだよ、ふざけんな。こんなの任命しちゃう総理もね、もうちょっと頭のいい人にしてくんないかね。世界最強だった日本企業をぼろぼろにしたホールディングカンパニーとおんなじじゃないかこの政権は。

ここまで政治家が腐ると、国会という場は、「やってます」の迫真の演技が売りの役者衆による歌舞伎座みたいなものになる。「実は前からそうだったのがバレましたね、まあ我が国はずっと米国の準州みたいなもんだったんですが、このたびは改めてそれを自認したまでなんです」。「閣僚が賃上げ分を自主返納って、どうせ口だけだろ?」「口だけも何も台本ですからね、読んでるだけだろってご批判されましてもですね」「買春やるわ、収賄やるわ、秘書殴るわ、税金払わんわ」「ええ、たしかに、おっしゃるとおりでございます。ただ、かたき役って申しましてね、悪人が登場しないと舞台が盛りあがりませんもんでね、えっ、世襲議員はいかん?いやいや世襲は当然でございましょう、歌舞伎なんですから」。

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公務員を就職先に選んだ東大経済学部生は9人

2023 NOV 3 17:17:21 pm by 東 賢太郎

「今年夏、東大が3月に卒業した学生の進路を公表すると、省庁の幹部に驚きが走った」「公務員を就職先に選んだ東大経済学部生が9人しかいなかった」「東大生のキャリア官僚離れは深刻だ」(朝日新聞デジタル、2023年10月7日)

コロナ前だが映画製作で東大生の子にきいたところ、官僚は最初の10年の下働きが無駄で、頑張って30才になるとスキルなしだから辞められなくなって、その割にリターンは読めない(政治家に嫌われてパーはリスク高すぎ)と言っていた。人気は理系は起業、文系はコンサルとファンドだそうだ。

この考え方は私学の人とそう変わらなくなっているのではないか。国立大だから国にというステレオタイプは消えつつあるんじゃないかという気がしてきた。国の方が民間より上だという空気が昔は大いにあったが個人的には何やら気張ってて田舎くさいなと思ってたし、父は国家派だったが母は商人派で、僕はその点は母方だった。

ジャック・アタリは近著で「11世紀から現在に至るまでの時代は商人が地政学、政治、価値観を支配する『商秩序』の時代であった」と書いている。我が国でも中世の国司は荘園を侵略し簒奪する側だったが、貨幣経済の浸透とともに商人が台頭を始めると楽市楽座で彼らを保護して領地に経済力を貯え、南蛮貿易で鉄砲をそろえて戦さを勝ち抜いた信長のような商人共生型近代国家スキームの武将が現れる。天性の商人だった秀吉は信長の中央集権的重商主義を進めたが、それを貧富の差が出ない地方分権的農本主義に180度転換した家康のスローガンが士農工商である。「士」(武士)が官僚であり、いまも日本人に根強い「官>民」という思想はそれをルーツとしている。

アタリという学者はディープステート(DS)のスポークスマンであり、DSは国家ではなく国家をまたぐから国際金融資本と呼ばれる商人(資本家)である。農本主義の士農工商とは天地真逆であり、両者が融和するはずがない。現在、岸田政権は米国の背後にいるDS(民主党左派)寄りであり中国共産党もDSに親和的であることから自民党保守は分裂的であり、そのどちらにも反駁する真の保守を標榜する新党に出現の余地を与えた。同党は日本で反DS的主張を展開する宿命ゆえ農本主義的に思える。現代の黒船DSを士農工商政策で制圧できるはずがなく、鎖国をめざすわけでもなかろうから本音は不明だ。当世の東大生はそうした空気を察知しているのではないかというのが私見である。

東大卒が減ってもプラクティショナー資質の優れた人はいるので採用を工夫すれば官僚の質が下がるとも思わない。東大法学部のようにドメスティックな学問専攻の人を中心に据えるのは士農工商由来の方針であり、DS服従に甘んじるならそれでいいが、DSに正面対峙して最善の選択が求められるGDP3~4位の国家としては危険だろう。心は日本人だがDSエリートを英語で論破できる資質の人こそ増やすべきだ(東大生はそういう訓練はされていない)。政治家も同様で、そういう官僚を使えるかという選別基準になれば親の七光りだけの議員は自然に国会から消えていくだろう。

しかし政治家のF先生の話を聞くと銀行は国会議員には金を貸してくれませんよというからそれも大変な職業なのだ。奥さんは心配だろう。僕は1億5千万借りたがサラリーマンだったからで今はもう無理である。人の仕事の価値は金で決まるわけでないが好きなことをやるには金が要る。DS業界ど真ん中でやってきた僕は仕事も趣味も満足できたからこのジョブを生んでくれたDSに感謝しなくてはいけないが、ではLGBT法案賛成かといえば大反対で怒っている。つまり政治信条と人生が一致せず、どっちか取れといわれれば人生なのだ。僕は政治家には向いてない。

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