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縁故主義とオンデマンド社会

2023 FEB 14 10:10:06 am by 東 賢太郎

縁故主義のことをネポティズム(nepotism)という。親の七光り、縁者びいきというやつだ。直訳すれば「甥っ子主義」「姪っ子主義」で、悪いニュアンスばかりに使われるが、一概に悪いかというとそうでもない場合はある。信頼できる腹心が周囲にいることはトップになると助かるし話も速い。仕事が効率的になるなら組織にとって悪くないから息子が秘書でもネポティズムといわれないこともあろう。

ただし、それは論功行賞が公平な場合に限ることは三国志の故事である『泣いて馬謖を斬る』が示している。諸葛孔明は命令に背いて戦に負けた愛弟子を処刑した。守ったものは「軍律」だ。それが有能な部下より大事という見せしめであり、だから孔明自身も軍律に服して三階級降格の罰を受けている。評価が公平だから家来は死に物狂いで戦い、孔明は名を成した。後世にバカ殿による論功行賞の失敗がたくさん起きたから、この史実が戒めの諺となって1800年間も語り継がれてきたのではなかろうか。

すなわち、「論功行賞が不公平」=「軍律はありません」という表明なのだ。ということは殿を縛る軍律などましておやあるはずなく、論功行賞は殿の好き嫌いで、好かれれば何でもやり放題になり、人間の汚い本性が出て自分に甘く、縁者に甘く、七光りの馬鹿息子が何の苦労もせず跡を継ぐ。この腐臭ただよう事態にネポティズム認定の鉄槌が下るのだ。だからキリスト様は「縁故などというものは正しい信仰の敵」と言い放ち、信仰組織が世襲制によっていつしか自分の子供ばかりを偏愛する者たちの巣窟のようになってしまうからカソリックの聖職者は結婚したり跡継ぎの子供を作る事は認められていないのである。宗教を引きあいに出す気はないが、人間の本性と組織の関係を鋭く射抜いた例ではあろう。

昨今の我が国において経済は一向に成長しないが、ネポティズムだけは順調に芽を伸ばしているように思える。真面目に汗水たらして働かないと給料は増えないが、国民から搾り取った税金をむさぼるのに労働はいらない。いるのは仲間の数なのだ。そこで「愛(う)いだけでオッケー」の集団が生まれる。数が欲しいのだから縁故すらいらず、「愛い奴」であれば実績も能力も知力も不問というユルユル集団であって、厳密にはネポティズムですらない。そこでこれをクローニー(crony、気のおけない仲間)と呼んだりもする。まあ要するに、多数決=権力である資本主義に “寄生” することだけを目的とした松食い虫の群れみたいなものである。この連中が繁殖して樹液を吸えば、いうまでもなく松は枯れる。

真面目に頑張って戦果をあげる者は実績も能力も知力もある。馬鹿の出世に不満だから反旗を翻すしかなく、必然的にボスには「愛くない奴」になって排除される。「愛い」だけが取り柄の集団にとってはざまあみろブラボーであり、ボスも歓声を浴びて地位安泰になり、全能感にひたってますます道を誤る。軍であればさように有能な武将たちがやる気をなくせばボスも命はないが、近代国家は法が統治する一種のマシーンであるから、この無能集団がコックピットに入ってハイジャックしても飛行機はとりあえずは落ちないのである。だから無能な武将ばかりになってもしばらくは安泰で、自分の寝首を掻かない者で周囲を固め、任期中だけは落ちるなよで済ます者が百出する。我が国の「平成の大失速」、「失われた30年」はこうしてもたらされたのだ。

おぬしも悪よのう

その集団が権力を持つと指導原理は「愛い奴よのう」から「おぬしも悪よのう」に軽いタッチで変異する。縁故など元からどうでもいい。税金にたかる利権という樹液を吸うだけを絆とした松食い虫の大群になり、ボスが後ろ盾で守ってくれるから談合、中抜きやりたい放題。更に図体は太る。ボスの一族はそのコロニーの女王蜂みたいになって疑似皇族的な世襲貴族となる。これが我が国の現状だ。政治家というファミリービジネスは世代を超えて税金にたかるが、自分の相続は「票田」だから税金は払わない。資産は世襲で目減りせずに女王蜂は何代でも生きのび、得体のしれぬ宗教まで動員してますます数を増やす。幹のど真ん中に “寄生” しているのだから駆除は大変に困難なのである。

ネポティズムは一歩間違えばこうした悪を生む有力な原因にはなるが、くりかえすが一概に悪いかというとそうではなく、国であれ企業であれ全体の利益のために効率的な場合はある。一族経営の企業がその例だ。見ず知らずの株主に無用の批判を受けたりハイジャックされたりするぐらいなら上場は見送って堂々とネポティズムで行こうという高収益企業はいくらもある。それが悪なら会社は潰れるはずだが多くがうまくいっているのだから、一般論で悪だというのは左翼が階級闘争とごっちゃにして騙そうとしている証拠で全くの見当違いである。

ネット社会にそれがどれだけ耐性があるかは未知数だ。ネポティズムは組織が盤石で無能でも勤まるポストがあることが大前提だが、仮にあっても周囲が離反すればワークしない世の中になりつつあり、やがて来るオンデマンド社会ではポストに好適な人材はポストが決めることになる。たとえば管弦楽団で第1フルートが定年になる。日本的感覚では第2奏者が昇格しそうだがそうではない。第2奏者が第1の息子であっても関係ない。第1の公開オーディションをするのだ。オンデマンド社会ではこれがそこかしこで起きる。少なくとも高年俸のポストは業界関係なくそうなる。第1は第1の格の人が吹かないと楽員の賛同が得られないし、楽団ごと質が落ちて全員が失業する可能性があるからだ。

つまりオンデマンド社会はネポティズムと相性が悪い。おそらく後者は衰退していくだろう。政治家が息子を秘書にしても、彼が有能であって公平に評価されれば構わないが、そのことは父親でなくネットを通して国民全員が審査することになり、無能がバレれば私刑と呼ばれようが何だろうが袋叩きにする。今のところは大手メディアが「報じない」という情報操作をして守っているが、そんなことをするメディアは食えなくなって先に消える。公人だとネットで炎上すれば有名税だねざまあみろで終わり。書き込みは末代に残る恥辱となる。これが良いことかどうかは言論の自由を規制するかどうかの問題であり、法的に処理することは中世的ガバナンスのまかり通る国家でなければおそらく困難だろう。とすると公人となって国のために活躍して勲章をもらうことのリスク・リターンのバランスは変容するだろう。ネポティズムの評価同様に一概に2世3世議員がいかんということはないが、現状は無能なのがたくさんいる。日本という国が盤石でそれでも勤まるポストだったからだ。松が元気な時代はもう終わっている。

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