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カテゴリー: 読書録

クライン孝子さんの訃報を知って

2023 APR 29 15:15:40 pm by 東 賢太郎

クライン孝子さんにお会いしたのはフランクフルトにいた1993年のことだ。3回ほど夕食をご一緒した。こちらは70名のノムラ・ドイツ現法のトップに昇格したばかりの弱冠38才。(若さ✖地位) の値でいうなら人生最高のトップギアに入っていた。当時のドイツというとベルリンの壁崩壊そして東西統一という未曽有の事態のごたごたで国情は騒然、そこで経営の責任を負ったのだから未知の危険でいっぱいだった。しかし若さに勝るものはない。これって百年後の世界史の教科書に太字で載ること確実だなと意気揚々、経営もビジネスの怖さも何もわかっていない初心者マークのドライバーにすぎなかった。

どういう経緯でそうなったか記憶にない。とにかく孝子さんのお名前も著書も知らずに会食という段取りになった。仕事に直接の関係はない。ドイツの日本人社会で著名人であり、見聞を広めろという意味で誰かがセットしてくれたのだろう。実は気が重かった。僕は知識人の年上女性と聞いただけで苦手意識がある。何といってもドイツだ。気難しい方でドイツ語もできないでよくやってるわねなんて感じだったら早々に退散しようと身構えていた。ところが、あにはからんや、実に明るくやさしく気さくな方だったのである。聡明な知識人ということはすぐ分かったが、キンキンして冷たいインテリではなく人間味にあふれている。こういう人は男女を問わず奥が深いことは必定の理である。すぐに魅かれてしまい、きわめて初歩的な質問をしてもなんでも答えて下さり、しかも物言いがストレートなのでわかりやすいときている。ドイツ語漬けの日々で悶々としていた僕にとって後光がさして見えたものだ。

2度目の会食は自分からお願いしたと思う。仕事に慣れてもきており、だんだん舌も滑らかになり、「日本人とドイツ人」「日独の戦後復興政策の巧拙」「アメリカと欧州の背後にある権力構造」「日本国憲法」などについて議論させていただいた記憶がある。そこで教えてもらった話の数々は忘れたくとも忘れようがない衝撃的なものだ。昨今の日本メディアや言論界の、チャラくてうわべだけで反吐が出る人工甘味料みたいなものではない。口ばかりの人とは根っこから人品骨柄が違うからだ。自分で見ないと気がすまないとおっしゃるのはご性格なのだ。地に足のついたジャーナリストという生き方には共感があり、自分もこんな仕事があり得たかもという気持すら懐いた。だから孝子さんは当然のこととして「また聞き」の話はされない。「欧州ペンクラブってのがあるの。50人ぐらいで全員男性、全員ユダヤ系なのよ、すごいでしょ。主人がメンバーでね、必ずついていくのね、するとだんだん私も仲間に入れてもらっちゃってね、だからいま唯一の女性会員なのよ。で、女だから皆さん警戒しないでしょ、いろいろ深いこと教えてくれちゃうのよ」とお茶目に笑われ、「ローマクラブがあってね、ヨーロッパの大事なことは実はみんなそこで決まってる。ドイツの処分もイスラエルの建国もそこで決まったのよ、だからドイツは許されてるの」なんてことが次々に出てくる。それにひきかえニッポンは、という主題の数々のご著書、言論はそれが通奏低音となっているのだ。

生々しい話の一部はここに書いた。僕が世界情勢を見るうえで今でも考え方の骨格になっているし、この4年後に僕も自分の足でダボス会議に参加してみて、ジャーナリスト的な意味でも追認している。

私見”ディープステート”の正体

いま振り返ると実に感慨深い。ひとことで丸めれば、ドイツの政治はプライドの捨て方まで戦略的でしたたか。役者もしたたか。かたや日本は策すらなく役者もおぼこくて下手くそ。ワールドクラスの上級者の域に達した政治家は安倍晋三だけだったというのが確固たる事実だ。その証拠にだからこそ狙われたのであり、岸田首相は鉄のパンツの女みたいに永遠不滅かつ盤石の安心安全であり、だからこその国難であることを知識人はみな知っているにもかかわらず誰も何も言わず何もおきないという重層的な国難に日本国は陥っているのである。誰が救えるんだろうという問いの前に誰がなっても何もおきないという悲しい確信しか浮かんでこない。この悲哀は救い難く、僕はもはや政治を論じる気にさえならない。有権者の10%の得票で当選するなんて選挙は「鰯の頭も信心から」の詐欺師の宗教みたいなものであり、クルマに喩えるなら、我が国で大事にしてる民主主義などパンクを通り越してもはや大破し、廃車寸前であるとしか言いようもない。こんなくだらないものの滑った転んだをああだこうだ放映して飯を食ってる草野球の実況中継みたいな輩が業界と化して膨大に生息しているのは異形ですらある。いっそ、超一流の男であり外国人がひれ伏して黙る天下の大谷翔平さんが引退したら総理をお願いしたらいい。よほどシンプルに低コストで国民的信心が得られるのではないか。

そして3度目の、孝子さんとの最後の会食でのことを以下に書く。ありがたかったなと思うのは民間人だったことだ。あれから時がたってもうドイツの経営は手の内に入っており、特段の事情もなかった。もろもろ諸事のお話がしたかったので会食をお願いしたが、野村證券の株主も上司もそんな会食は趣味か遊びだろうなんてことは言わない。官僚は接待じゃないのかと痛くもない腹を探れられる。政治家も自腹ですなんて気を遣う。この自由度こそ民間の経営ポストの特権であろう。古来より人間、深い話を腹を割ってするのにそうした気のおけない会食の場は不可欠なのだ。証券業という仕事のおかげでものすごく若い頃からこういう場で人生の達人たちから本音の話を伺い、僕がどれほど人間として成長させていただいたかわからない。

この日、お酒もたっぷり入った僕は日本の国家プランにつき自説をぶった。とにかく気持ちよくしゃべらせてくれる。そうなると2時間でも3時間でもしゃべる。アメリカの留学体験、ロンドンでの勤務体験からこのままじゃ日本は駄目だ潰されるとああだこうだを延々と説き、酔っぱらいがくだを巻いたみたいだったろう。海外から長年日本を眺めるに、とてつもなくだらしない、主権国家とは言い難い、サンフランシスコ条約調印はなんだったのかみたいなことになる。だから教育、徳育はこうやれ、政治家かくあるべしから当然軍備の話もしたはずだ。青くさい書生論だったに相違ないが、本音をぶつけてみたかった。

孝子さんがそれになんとおっしゃったかは覚えがない。あまり反論も論評もなかったかもしれない。とにかく飽かずにじっくり目を見て真顔で聞いて下さった。普通の女性ならあくびの十回もするところだ。なんて素晴らしい。うんうん、そうだねみたいな感じが端々にあり、人生でこんなにウマが合う人に会ったのは初めてだという手ごたえだけが強く残った。そうしたら帰り際に、ひとこと、こう言われた。

「東さん、ワタシと共著で本を書かない?」

何ということだったろう。人生最大の悔いの一つはこれをお受けする勇気がなかったことだ。悲しいほど気が小さい。何度も拙稿に書いてきたが、サラリーマンになるなんてのは僕にとっては人生最低の消去法的選択だ、他に能がないからこんなものをやってると思っていた。それがちょっと良いポストを与えられると地位にしがみついてる自分がいたわけだ。妻帯者は留学させない決まりだった。選ばれてから結婚しますと言い出して人事部にルールを変えさせた攻めの自分はもういなかった。それどころかこんな奴がいるから日本は駄目だとさっき力説していた、お前がそれではないか。でも、もうできない。あの頃のキレはもう僕にはない。ブログを書きだしたのはいいジジイである57才だ。絶頂期の38才で何をぶち上げて孝子さんがそう思ってくれたのかは闇の中だ。それだけでも残したかったと切に思う。

海外から日本を見ていると右に寄る。そこが共通だったのだろうが、西部邁さんに近いというのもそうだ。歯がゆい日本かくあるべし。最高のインテリジェンスをもってしてもこの国は変わらん、もうあかん。そう思われたのだろうか。右翼でも何でもない。野球場で起立して「星条旗」を歌うアメリカ人と同じ、当たり前の愛国者ではないか。もういちど、孝子さんとは議論したかった。属国の日本。当時の何倍も、否、それを旗幟鮮明にしてしまうことにさえ恥も外聞も感じないのに一流国だといえてしまう意味不明の精神構造になり果てた今の日本を。かつては経済一流政治三流だったが経済も三流に向けて地盤沈下する我が国を。

いつかどこかでお会いできるだろうと甘く考えているうちに30年もたってしまった。僕は何をしてたんだろう。そしてきのう、この水島総氏のyoutubeチャンネルで悲しい知らせを知った。2週間ほど前に来日されてこんなにお元気だったのに・・・。

クライン孝子さん、多くの時間を下さって、たくさんのことを教えて下さって、感謝に堪えません。ほんとうにありがとうございます。教えは今も僕の中で脈々と生きていて、血肉となっています。心よりご冥福をお祈りします。

 

(追記)

さっき台所に行ったら本稿を見た家内が「クラインさん亡くなったのね、ドイツの家に彼女から電話があったのよ、お宅のご主人、選挙に立候補しないかしらって」と教えてくれた。知らなかった。そういう人生があっても面白かったかな。

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『レコード芸術』休刊のお知らせに思う

2023 APR 4 16:16:50 pm by 東 賢太郎

昨日、このニュースを知った。

『レコード芸術』休刊のお知らせ

当誌には高校時代から長年お世話になり、海外でも取り寄せて愛読していたので複雑な気分である。

ただ、証券マンの目にこの日が来るのは予見されていた。雑誌文化の衰退はもう誰にも止めようがない。ジャンルを問わず雑誌のほとんどは赤字と聞いて久しく、週刊朝日が5月末で休刊というニュースでこれから何が起きてもおかしくないという事態に至っていたからだ。ネットと動画に押されて文字を読む文化が顕著に後退し、新聞も部数が激減しているマクロ現象の一環だ。

次に、これは各所で私見を述べてきたが、クラシック受容文化の変質である。帰国したのにレコ芸を通しで買わなくなったのはいつからか調べると、2010年からだった。僕が愛好した評論家は硬派の大木正興氏だが、氏亡き後は文学者の格調を最後まで失わなかった吉田秀和氏(2012年没)、好悪直言型で演奏家目線の宇野功芳氏(2016年没)が逝去されたことをもって文化の変質は不可逆的と感じた。

2014年に書いたこの稿をさっき読み返してみたが、今日これを書いてもいい。

僕のクラシックのブログについて(訪問者25万に思う)

 

つまり、書いてあることは9年前からすでに起きていたわけであり、それがレコ芸という雑誌に局所的に現れたといってそれで止まるわけでもない。この流れは世界のクラシック音楽界を揺り動かし、日本の音楽産業から音大のあり方にいたるすべてを飲み込みつつある津波だからである。

3週間前に偶然だがレコ芸のことを書いていた。

ポジショントークやる奴は例外なくクズ

音楽評論誌の「立ち位置」については若い頃から考えがあったからだが、それほど僕の中では音楽を通じて社会を深く観察、考察するテキストになった重みのある雑誌である。これが消えるということは我が国のインテリゲンチャがこれから本格的に、雪崩をうって消滅してゆき、受験やクイズ番組には強いがぺらぺらに皮相的で利己的、我田引水的である疑似インテリが蔓延る社会をまぎれもなく予見していると言わざるを得ない。文化は世相を映す鏡なのである。

ではどうしたらよいのか。政治家でも教師でもない僕には何の力もない。老兵は消え去るのみだからもう関係もない。そんな酷い社会になっても家族、社員、友人たちはうまく生きていけるよう心掛け、見守るしかないだろう。

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ロス・マクドナルド 「さむけ」

2023 FEB 7 12:12:50 pm by 東 賢太郎

ロス・マクドナルド(1915 – 1983)はアメリカのハードボイルド小説の大家レイモンド・チャンドラー(1888 – 1959)、ダシール・ハメット(1894 – 1961)の後継者とされる。チャンドラーはヴァン・ダインと同期、ハメットはアガサ・クリスティの4才下であり、マクドナルドはエラリー・クイーン両名より10才、ディクスン・カーより9才若い。本格派の開祖は「スタイルズ荘の怪事件」を書いたクリスティと思うので英国産、ハードボイルドは米国産で1920年代から始まる。同じミステリーといっても楽しませ方のフィールドは全く異なるので私見では別物である。

マクドナルドが「さむけ(The Chill)」を自作のベストとしているのは知っていたが、なかなか手にする機会がなく今回初めて読んだ。入りの「つかみ」は快い。情景が浮かびすいすい読み進められるが、だんだん人物が増え、「登場人物」にない人物まで意味ありげに描かれるとやや集中力が落ちたのが正直なところだ。一人称ゆえ探偵リュウ・アーチャーという人間が印象に焼きつき、心理、情景の描写が手が込んでいる(この点の素晴らしさは特筆に値する)分だけ彼はエッジが効いた知性を持ちクールな男に描かれる。フィリップ・マーロウのように熱くなったり無闇に乱闘に巻き込まれたりにはならないのである。だから読者は賢明である彼の見立てを信用するだろう。その分だけ容易にミスリードされてしまうことになるわけだ。結末の1章の絶大なインパクト、犯人の意外性はそれによるところが大きいが、その頂点に至るべく重厚な伏線を張ってきたのだ。筆者に存分に引きづり回された挙句に精緻に作りこまれた驚愕をもって横っ面を殴られるみたいな驚きである。ベストに推すだけあるなと唸ってページを閉じた。

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ドビッシーの「海」は雅楽である

2022 NOV 3 16:16:51 pm by 東 賢太郎

僕がドビッシーの「海」が好きなことは何度も書きました。この音楽がはじまると目の前に海がほんとうにある感じがして、そこに広大な空間と宇宙的な質量を感じ、時とともに微風がさざ波をたて、眩い陽が目をくらまし、波しぶきが砕け散り、風があおって水面がうねり、夕陽に雲がかかって遠く海面に影が差す、そうした様々な出来事をリアルな遠近感をもって感じます。聞こえている音は意識からは消えていて、そういう光景を現実に見たときに僕が感じるある感情だけが残るのです。ひとことで言うなら、とても四次元体験的です。それはどこの浜辺で見た海でもなく、心に蓄積しているイメージかイルージョンかもしれません。それを「海」のスコアがどう喚起してるのか?それはそちら側でなく僕の側に理由があるわけです。

チェリビダッケが語っていたこと

「海」をなんらかのモノで表わそうというなら、つるつるして色鮮やかな素材を折り曲げて組み合わせた抽象的なオブジェというところです。こういう質感を伴った「感じ」をクオリアと呼ぶそうです。茂木健一郎氏によると、脳内のニューロン活動に伴う「随伴現象」で、我々が認識しているのは脳内のそれだそうです。そういえばチェリビダッケがそれに似た概念なんでしょうか epiphenomena という言葉を使ってました。

カーチス音楽院でのことです。舞台のピアノをポンと鳴らし「これは音だ。音楽ではない。音楽ならば epiphenomena (随伴現象)がある。演奏のテンポはそこの情報量で決まる」と。「それが多いと聴衆の脳は理解に時間がかかるのでテンポは楽譜の指示より遅くすべきだ。しかし随伴現象はマイクに入らないので録音を聞いてもその意図は伝わらない。だから私は録音はしない」と。

この講義から40年。以来、コンサートに行きますと、演奏前に随伴現象に影響するもの、たとえば、会場の構造、残響、座席の位置、天気、湿気、客の入りと質、オケの状態や鳴り具合から自分の体調まで気にするようになりました。家でレコードやCDを楽しむ場合、自分の部屋の状態はあまり変わらないので、そこで良い演奏に聞こえるのが良い演奏だという宗旨になりました。

シュトゥットガルト放送響による「海」Mov1の練習風景の録音があります。彼は冒頭の低音から立ち上がる響きを何度も修正し、歌声や口笛まで交えて随伴現象を確認しながら演奏を作るさまは創造的発見に満ちています。しかし、そうして作り上げたものも、当日に客が入ると変わるのです。

ミュンヘン・フィルの「海」です。

この録音会場の随伴現象は不明ですが、練習で時間をかけた所は概してテンポが遅く、情報量は多いかなという風に意図が見えてきます。彼はこっちの脳の処理速度を気にしてますが、彼のその判断の是非も含めて聴いていると飽きません。ちなみに、僕は職業がら「言葉」で仕事をします。言葉は吐けば終わりでなく理解されないと商売になりません。同じことをやってると思います。

まさしくそういうことなのですが、本稿をご理解いただくには楽譜の引用がどうしても必要です。そこで、12個ある引用譜のそれぞれを「音」で聴いていただくために、このビデオの演奏における該当箇所を「何分何秒」という形でお示ししておきます。

1905年のドビッシー

ドビッシーは仕事部屋に北斎の「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」を飾っていました(写真)。1889年、1890年に開かれたパリ万博の日本展示館で雅楽の笙(しょう)の楽譜を見て驚きその和声を研究したと書かれたサイトがあります(出典未確認)。そして15年たった1905年に「『海』管弦楽のための3つの交響的素描」という当時としてはプログレッシブな作品を発表するのです。作曲の動機として北斎や雅楽が影響したという説はありますが本人の言及はありません。

当時のフランスの作曲家はワーグナーの影響を受けながら、従来の技法に行き詰まっていました。文学、美術など時代の諸芸術の潮流にアンテナが高かったドビッシーが万博で知ったインドネシアのガムラン音楽をよりどころに道を切り拓こうとしたことは通説です。生演奏を聞き、言及もした記録があるからです。ラヴェルの jazzの影響は音の引用で議論の余地なしですが、ドビッシーは抽象化した語法として用いる人でした。もとより創作の元ネタを明かす芸術家は稀で、ラヴェルの方が珍しいのです。ですからドビッシーにおけるガムラン以外の東洋音楽の影響は想像の域を出ませんが、なかったと言い切る論拠もありません。

2つの仮説

したがって、ここに “ある余地” が生まれてきます。英国の推理小説『時の娘』の方法を適用することです。この題名はTruth, the daughter of Time(真理は「時」の娘であり、権威の娘ではない)に由来しており、筆者ジョセフィン・テイは歴史解釈の新たな余地を推理によって掘り起こしましたが、僕はある仮説を立てることでそれをしてみようと思うのです。以下、海でなく「海」と書いた場合は「『海』管弦楽のための3つの交響的素描」を意味します。

ドビッシーはオペラ「ペレアスとメリザンド」(1902)の成功でワーグナーを超えたとされ、新音楽の教祖的存在となってレジオン・ドヌール勲章を受勲します。そこで楽壇ではペレアス流の新作への期待が高まりましたが、二番煎じを嫌う彼は「それをするぐらいならパイナップルの栽培でもするさ」と仲間への書簡で述べ、作曲のディメンションを更に広げる技法を希求していたのです。そこで以下の2つの仮説が出てきます。

「毎日のように見ていた『神奈川沖浪裏』のビジョンが彼の心にざわめきをおこしていた」というのが仮説1です。ドビッシーは「海」の作曲を始めた翌年に、銀行家の夫人エンマ・バルダックと不倫の逃避行に出て、イギリス海峡にあるジャージー島、ドーヴァー海峡に面したディエップで2か月を過ごしパリに戻ります。どうしても必要だったペレアスとの決別にエンマと海が関与しました。そこで見た海が北斎と同期し、記憶や文学の海を呼び覚まして楽想を得たのです。

さらに、「万博の日本館で聴いた『雅楽の音階』はもうひとつのざわめきとなっていた」というのが仮説2です。音階(モード)による作曲はすでに彼の技法の根幹だったことはペレアスはもとより「海」の作曲中に書いたピアノ曲「喜びの島」における全音音階、リディア音階の使用で明白です。そこに新たに加わった東洋の響きの音階が海の楽想と共振し、誰も知らない異界の音に満ちた「海」の着想が生まれたと推理します。

波と音階

波をドビッシーはそれらしい「波音型」にします。

これはワグナーのライトモチーフと同じで何ら新しさはありません。海のイメージを表象的に喚起するものはこれだけで、初演当時の批評は「海の音も景色も匂いもない」と冷淡でした。現代ですら「海の情景を描写した音楽」「北斎の浮世絵にヒントを得た印象派音楽」のような解説がプログラムにのったりして驚きますが、どちらも誤りであるばかりかドビッシーが心血注いだ斬新性に気づいてもいない表明にすぎません。

では何が斬新なのか?音階による非三和音的な音響世界が全曲を支配することです。その点で誰の後継者でもなく、ドビッシーが用法の扉を開いた全音音階の使用を “移調の限られた” というルールで拡張してさらに独自の世界を築いたメシアンという後継者が出ています。その着想が進化可能性を秘めた “原理的” なものだったからです。原理でない新しさは新奇ではあっても革命にはなりません。

響きの個性やイディオムというものは、由来がアメリカ黒人音楽だろうがジャワ島の民族音楽だろうが「何々風」というオーナメント(装飾)の新奇さであり、原理にあまりこだわらないラヴェルは「ジャズ風」なイディオムをそのように取り入れています。しかしフーガや十二音技法のような作曲法の原理である場合、「フーガ風」や「十二音風」というものはナンセンスなのです。

ライトモチーフにすぎず斬新さの核心ではない「波音型」が何に由来していようとドビッシーは構いません。だからスコアの表紙は北斎にします。しかし、原理の由来は斬新さの由来でもあります。ガムランは素材自体が斬新でしたが、浮世絵がすでに認知された日本の音階を借りてきましたといって斬新との評価が得られるとは思えません。だから多くの書簡や著述を残しているのに「海」については多くを語っておらず、創作の核心部分は秘められたままになっているのです。

つまり、言葉の語弊を顧みず書きますが、由来を秘匿して雅楽から盗んだ。その証拠が「海」のスコアに見つかるはずだ。そう考えてやってみました。すると、それがあったばかりか、楽器や管弦楽の響きもコピーされているという3つ目の仮説に行き当たったのです。

3つ目の仮説

「海」でなにより僕の耳に残るのは “タラーーーーー” という2度音程の音型です。これは長年の謎でした。子供のころ、自転車で行商にくる豆腐屋さんがラッパで吹いてたあれです。パックのように変幻自在、神出鬼没で何ら構造的、有機的な役割は負っていない2つの音を「主題」と呼ぶのはなんぼなんでも無理です。「海」は交響的(symphoniques)とタイトルにあるようにドビッシーは交響曲が念頭にあり、「主題」にふさわしいものを各楽章に置いています。それが主役であるなら「狂言回し」のようなものですが、どういうわけか僕の中では主役より存在感がある。これが謎だったのですが、ある日、偶然にyoutubeで雅楽を聴いていて “それ” に気がついたのです。

“タラーーーーー” はドビッシーの耳に焼きついた篳篥(ひちりき)の音の epiphenomena(残像)ではないか

篳篥(ひちりき)

これが仮説3です。くり返しますがドビッシーが雅楽を聴いた言及はありません。しかし、「海」のスコアには日本の雅楽の五音音階を引用したと思われる箇所が2つあり、それも「陰旋法」「陽旋法」というペアの2つですから「他人の空似」である確率は低いと思います。ということは、ドビッシーはそれらを聴いたか楽譜を見たかですが、雅楽の記譜法を知らないと音を想像することは困難なので「聴いた」と考えるのが自然ではないでしょうか。

篳篥の音は一度聞けば忘れません。しかも、アインザッツ(演奏始めの瞬間)の、長2度下の前打音から速いグリッサンドで主音に到達する “タラーーーーー” はいかなる西洋楽器にもない音です。やはり見たことがなかった北斎の「大波」と同じほどドビッシーの心に刺さったとして不思議でなく、「海」作曲中に脳裏にまつわりついて、全楽章に登場してるのです。

このビデオは雅楽の代表作「平調 越殿楽」です。2分49秒から入る篳篥のユニゾンが “タラーーーーー” です。皆さんの耳でお確かめください。

また、彼が笙の和音の楽譜に衝撃を受けて研究したならばこのような合奏体を聴き、「海」に取り入れておかしくありません。そう聞こえる箇所があるのです。Mov1コーダ直前のここです。篳篥は縦笛です。管の上部に差し込んだ葦(あし)の茎に息を吹き込むダブルリード楽器であって、オーボエと同じ種族です。オーボエ族のイングリッシュホルンを8分割した弦が伴奏しますが、これが笙のように聞こえます。

(楽譜1)(ビデオの11分23秒)

では篳篥のタラ――――は「海」のどこに聞こえるのでしょう? 最初のお目見えは曲頭すぐにチェロで出てきます。ビデオの1分20秒の所をクリックしてください。

(楽譜2)(1分20秒)

 

ドビッシーはこれを今度は親類のオーボエに吹かせます(Mov1第6小節)。

(楽譜3)(1分46秒)

 

「海」のそこいらじゅうにある “タラーーーーー”

作曲の腕の見せ所にも使います。全オーケストラが沈黙し、四分割したチェロセクションでがらっと場面の変わるここはまさに「狂言回し」です。斬新だったのでしょう、ストラヴィンスキーが「春の祭典」で金管で模倣しています。

(楽譜4)(8分28秒)

 

Mov1の壮麗なコーダではトランペット、ホルンが最強奏でそれを吹きます。ここでは楽章を閉じる大事な役目を与えられています。ホルンのパートをご覧ください。

(楽譜5)(12分23秒)

 

木管、弦の細かい波しぶきのような動きに音価を合わせ、Mov2ではタラーーーーーの「タ」が前打音になってホルンに頻出します。ここでは全管弦楽の律動をせき止め、ホルン(楽譜6)と木管が ff でタラーーーーーを吹きます。ここまでタラは上向きでしたが、ここで初めて下降型が登場し、Mov3の最後は下降になります。

(楽譜6)(18分57秒)

 

Mov3では、弦が執拗にくりかえす波の音型にのってホルンが “タラータラー” と嵐のように凶暴に吼えます(ここも「春の祭典」に遺伝)。

(楽譜7)(26分04秒)

それを静めていくコルネットの弱奏(27分06)秒もそれです。次にヴィオラがこれの下降形を出します(32分02秒)。これに第2Vnが加わり(32分08秒)、金管パートの有無でスコアの版が分かれる8小節に木管とチェロが  強奏します(32分30秒)。次いで変ニ長調の全奏ではピッコロが上昇形を吹きますがこのあたりは幻想交響曲のMov5コーダの狂乱を想起させます。全曲の大団円(楽譜8)では下降形が金管によって最強奏で吹かれ全曲を閉じます。ホールに轟き渡るコルネットのパートをご覧ください。

(楽譜8)(34分02秒)

かように “タラーーーーー” のすべての可能性を試して全楽章に登場させますが、主題はMov1第12小節のハ短調の旋律がMov3にも現れ、Mov2は第9小節の全音音階の旋律など複数あり、Mov3は練習番号46が主役です。この曲の解説にはどれも「循環形式」と書かれていますが、全楽章に縦横無尽に循環しているのは主題でないタラ――――だけで主題はそうではありません。

船と富士山を消したわけ

以上でお分かりと思います。 “タラーーーーー”  は枢要な場面で鳴り響き、まるで運命交響曲の タタタター のように「海」のアイコンとなっているのです。2音の分子のようなものというべきでしょう。つまり交響的作品を構築するための抽象化されたミニマルかつインパクトある素材を和楽器から偶然に見つけてしまったのであり、その効果は素人の聴衆ばかりかプロであるストラヴィンスキーが真似るほど顕著でもあり、ひそかに快哉を叫んだに違いありません。

彼が「海」について多くを語らずその由来を隠したのは音階が原理だからと述べましたが、原理ではないタラ――――のほうも出現こそ散発的ですがアイコンたりうる頻度であり、しかも可塑性ゆえに構造に関わる骨格に組み込まれています。それが篳篥の音に由来することは黙すれば隠せますが、雅楽に関わったこと自体を秘匿するに越したことはない。北斎を所有してることは世間に知られており、浮世絵としてのそれがいまさら先進的な題材ではあり得ないことも既知のことです。そこで「大波」だけをクローズアップして見せ、波音型の由来を自ら進んで公開してしまい、「その変容を時系列で描くモダンで抽象的なアートを仕上げたのだ」と主張すれば「日本」は切り落とされ、雅楽に想像が及ぶことはないだろうと考えた。だから、日本に紐づけされないように船と富士山はどうしても消す必要があったのだというのが僕の推理です。現にこの作品はそう解釈するのが世界の常識となっており、雅楽に由来するなどと言った人はいません。作戦は成功したのです。

葛飾北斎「神奈川沖浪裏」

 

Debussy “LA MER” 表紙

 

では次に音階(モード)との関連を物証(楽譜)から検証します。

Claude Achille Debussy (1862 – 1918)

まず初めに、なぜ彼がそこまで隠す必要があったかという背景の説明が要るでしょう。「海」作曲の頃のパリのジャポニズム(日本趣味)は絵本まで出る大衆文化になっていました。その発端は嘉永年間(19世紀半ば)にペリーの黒船来航から西洋の商船が日本に押し寄せて浮世絵などを持ち帰ったことで、世紀後半には絵画、版画を中心にブームを巻き起こし、保守派代表でそういうことを最もしそうにないサン・サーンスまでが浮世絵を題材とするオペラを1871年に発表しています。「海」作曲中のドビッシーは愛人と逃避行中の身であって、妻が自殺未遂事件を起こして世間からバッシングまで受けるという人生最大のピンチに陥っていました。ペレアスの成功で時代の寵児に祭りあがっていた彼はその期待の延長線上である「プログレッシブ路線」で成功しないと名誉を失いかねない危険な状況にあったのです。だからそんな境遇でも短期間に集中して「海」を完成した。その命運をかけた作品が手垢のついたジャポニズムというわけにはいかなかったのです。

四次元的体系の正体

では次に、 “タラーーーーー”  がどうして切り札になるほどのインパクトがあったのかを分析してみましょう。最も重要なのは「なぜ音程が2度なのか?」ということです。篳篥の前打音「タ」と主音「ラー」がそう聞こえることもありますが、より構造的な理由があります。 雅楽の楽律構成は順八逆六といい、一つの音から上に8番目の音(完全5度上)、逆六とは十二律で一つの音から下に6番目(完全4度下)の音を求めることになり、ピタゴラス音階と原理的には同じです。つまり純正な5度と4度の音程は得られるが、3度と6度は純正にならないのです。だから5度と4度と、その差である2度が多用されることになります。「平調 越殿楽」の主旋律がまさにそれです。

では「海」はどうか?Mov1の冒頭、ニ長調から変二長調になって現れる主題(楽譜9の赤枠)をご覧いただきましょう。これは雅楽の「陽旋法」から取った4つの音だけでできています。2度下がり、その4度下でまた2度下がる。そして、それの5度下で平行して同じ旋律が重なる。つまり、5度と4度と2度で主題ができています。主題(右手)だけ弾くと調性感が希薄で非西洋的な響きがします。雅楽と同じ素材なのだから至極当然です。そしてそれはパリの人間に耳慣れない「先進性」がどうしても必要だったドビッシーには願ったりかなったりの可塑性、進化可能性を備えた素材でした。

(楽譜9)(3分43秒)

このように「雅楽の旋法」に基づく部分は三和音の長調・短調の和声が自然の倍音の動きとしては付けにくく、無機的であると同時に水平方向に運動するエネルギーを感じさせます。それに対して、この例では伴奏(左手)に和音がつきますが、ド・レ・ミ・ソ・ラの密集和音(この書法は「ペトルーシュカ」に遺伝)であり、バスが変ニ長調を確立するので和声的な感じがします。こちらは垂直方向の重力に向かうエネルギーを感じさせます。この縦横の二次元の運動に、6パートで分奏される弦、ハープ、ホルン、木管が舞台上に遠近感をもって分散して定位し、三次元空間の運動となる。これに時間が加わって四次元のイメージが完成します。いまの耳で聞いても新しいものでであり、「海」に僕が唯一無二と感じるものの正体でした。チェリビダッケはこの部分に綿密な練習を施しています。

なお、ド・レ・ミ・ソ・ラの音列は「ヨナ抜き音階」と称され、日本を含む東洋音楽に頻出しますが、新世界交響曲のMov2のようなスラブ音楽にもありますから本稿の論旨としての日本伝統音楽(雅楽)にはカウントいたしません。

 

「雅楽の旋法」に基づく証拠部分

雅楽の5音音階の1つが「陰旋法」です。これです。

(楽譜10)

「平調 越殿楽」の篳篥の旋律はこの楽譜を短3度高く移調したものを素材にしています。では「海」はどうでしょう?Mov1が変二長調になる直前にそれがあります。わかりやすいフルートの楽譜をご覧ください(下)。楽譜7の音階を半音高くしたものですが、第2音を欠いており調性が曖昧にされています。それがレなら「陰旋法」、ミ♭なら「陽旋法」ということになります。

(楽譜11)(2分16秒)

ややマニアックなことになりますが、「海」のスコアには謎があります。Mov1の冒頭の部分です。ソにずっと臨時記号の#が付くのになぜドビッシーが曲頭の調性を#3つではなく2つに書いたか?その不経済をもってしても譲れない大事なものは何かということです。バスは「シ」ですがロ短調の部分はなく、バスが「レ」となってしばしニ長調になる部分(第17~22小節)に照準を合わせたと考えるしかありません。なぜそこが大事だったか?この5小節はティンパニが「レ」のトレモロを打っており、直後に現れる楽譜2の音列に加えるとド#- -ファ#-ソ#-シ -ド#の「陰旋法」になるのです。同時には鳴ってませんが残像があってその暗い翳りの暗喩になっています。

次は雅楽の5音音階の1つ「陽旋法」です。➀「ドレ」➁「ファソ」③「シ♭ド」の2度間隔ペアが4度の間隔で並びます。

(楽譜12)

「海」はどうでしょう? Mov2を締めくくる夢幻的なハープ、フルート、グロッケンはこの楽譜を半音高くしたものです。

(楽譜13)(21分01秒)

 

もうひとつ、これは雅楽の音ではないので本稿の論旨から外れますが、Mov2にハープで出てくる全音音階はMov2の「異界性」を象徴します。ちなみにこれはメシアンの「移調の限られた旋法」の第1番です。

(楽譜14)(14分20秒)

完全5度を欠いているので、これを聴くと人は心がざわつき、不安な epiphenomena を見ます。どこか知らない所へ迷いこんでしまったような・・・。

うまく使った例がこれですね。冒頭の音です。8才でしたが怖いなあと思ってました、それでアトムが頼もしく見えるんですね。

 

伝統的和声音楽へ回帰して「海」は終わる

一方、「海」には三和音による和声的(非旋法的)部分があります。その最たる例がMov1のコーダです(楽譜5)。直前の魔界(楽譜1)の長いトンネルを抜け出してホルンが牧歌的に響く(楽譜15)への移行はストラヴィンスキー「火の鳥」のフィナーレへのそれと印象が酷似しています(調性も変ト長調と嬰ヘ長調で実質同じ)。本稿は期せずして、三大バレエを書くにあたってストラヴィンスキーが「海」から多大な影響を受けていたことを明らかにもしています。

(楽譜15)(10分55秒)

この神々しいコラール風の楽想はMov3で2度再現し、最後の最後に至って感動の大団円への橋渡しをするのです。和声進行は、コードネームで書くと G♭、C♭7-9、G♭、D、E/d♭、D、E、G♭ 、C♭7-9、D♭~です。これはペレアス世界への回帰です。だから当時のパリが評価したのはこれではありません。ここから異界に飛んだ先進性が評価され、その異界を構成したのはコードネームで書けない音階(旋法)だったのです。トリスタンとイゾルデを研究したドビッシーは和声の終焉を悟りタテの論理よりヨコの論理に未来を見ます。それが音階(旋法)でしたが全音音階はペレアスで使っており先進性になりません。だからドビッシーは新しい音階を探していた。それが雅楽だったと考えるのはエキサイティングなことです。

「海」を聴いた感動というのは非常にユニークです。多くのロマン派交響楽は苦悩から歓喜へ一直線に向かっていく感情を喚起します。だから運命や第九をきき終わると元気が出て、頑張ろうという気になります。ところが「海」はちがう。ほっとするのです。ダイビングで暗い海中に潜って、無事に丘にあがったときの感じです。若い頃、Mov2を聴くとお化けが跋扈する幻想交響曲のMov5を連想していました。そこから帰還したほっとした感情は、「5度、4度、2度が支配する不安からの開放」、「伝統的な三和音世界への回帰」の喜びです。

「時の娘」流儀で推理はしましたが、真相はドビッシーにきくしかありません。ただ、そのおかげで「海」のスコアについていろいろなことを知り、いまあるのはドビッシーへのリスペクトだけです。好きだからできたことです。好きなことを好きなだけできる、僕にとってこんな幸せはありません。

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チャンドラー「長いお別れ」(1953)

2022 OCT 14 12:12:08 pm by 東 賢太郎

Raymond Chandler(1888 – 1959)

レイモンド・チャンドラーの「長いお別れ」(The Long Goodbye)の主人公、私立探偵フィリップ・マーロウはひょんなことで知り合ったならず者テリー・レノックスに好感を懐く。べろべろに酔って連れの女に見捨てられた彼に興味がわき、こいつ憎めない、酌み交わしてみようかという気になったということであって、損得とか追従とかあさましいものが入る余地はない関係だ。このカネも巧言令色も排した生き様の男が主人公という所が本作の胆であり、本稿の主題でもある。

昨今、「男らしさ」が死語になりつつある極東の我が国で、寂しい思いをされている男性女性諸氏は多いと察する。僕はその一人だ。ジェンダーは大いに結構だし、女性が活躍できる社会になることを娘を二人持つ僕は心から願う。しかし、そのことによって男の美学が両立できなくなるという理屈などどこにもないのである。今回はそのことを、僕が愛するこの小説を例に考えてみたい。

本作は、ある日、レノックスがマーロウを訪ね、富豪の妻が殺されたので容疑をかけられるから逃亡したいと銃を片手に訴えることで動き出す。マーロウは話を聞き無実だという心象を得て彼を車で送って逃がしてやり、そのことで自分が警察に捕まって3日も拘留される。ギャングにレノックスの仲間と思われ脅されもする。しかし何があろうと頑として彼を守る。すると警察からレノックスはメキシコで死んだと告げられ、遅れて死者から手紙と5千ドル札の礼金が彼あてに送られてくる。手紙は宛名を欠いており、グッドバイで終わっていた。

ロバート・アルトマン監督が映画化した「ロング・グッドバイ」は物語を1973年当時に置き換え、エンディング部分はびっくりのアレンジを施して、コアなチャンドラーファンから評判がよろしくない。彼のマーロウは徹底して冷徹で勝手放題の独身男であるのはいいが、猫が帰ってこないと心配で、フラットの隣りで裸で踊るあばずれ女どもには心優しいが色香には目もくれない。こういうタッチは原作にはなくアルトマンが新たに構築した世界観なのだが、書き替えられた結末は、そんなマーロウの男ぶりからすれば「かくあらねば」なのである。エリオット・グールドの演じたマーロウのキャラは逆にそう作りこまれている。きのう映画を久しぶりに見て納得した。こじゃれたロスの市街やマリブの美しいビーチをカンバスに描かれるアルトマンのマーロウだ。小説より先にこっちを見れば、そういうものかと納得してしまうクオリティがある。それはそれで目くじら立てることもなかろうというのが僕の印象だ。

マーロウの男ぶりは、しかし、原文で読まないとチャンドラーの思いついたアイデアがどういうものだったかということがわからない。というか、どうしてこれがハードボイルドなのか、そもそも “ハードボイルド” とは何か、更には、タイトルがなぜ「The Long Goodbye」になったのかだってわからない。

原作のマーロウは人を殺したこともあるしアウトローすれすれのことも辞さない、喧嘩に強く、逃げないし、曲げないし、買われない男だ。これだけだと西部劇からよくあるタフなアメリカンヒーローだが、それで収まらないのは、あからさまで皮肉なツイストの効いた怜悧な目線があるからだ。すべての人物を赤裸々に、見透かしたように、彼流儀で容赦なく裁断し、冷えてないビターのようにほろ苦い。これはおそらくチャンドラー自身が原文に2度ほど使っている形容詞である ”sarcastic” な男だからであって、マーロウは彼自身の投影なのだと思う。この目線があるから、終結で、ギャングのメンディみたな下衆の暴力を振るわず卑しい下賤を唾棄して失せる。この格好よさをアルトマンはハリウッド風情にしてしまったという批判は当たっているだろうが、痛快さは増している。

目線はチャンドラーの「文体」が負っている。映像でそれを醸し出すのは難しいのだ。すなわち、問題のレノックスの手紙が拝啓、敬具の形式を踏んでないことがThe Long Goodbyeの秘かな主題呈示であるように、本作は1人称で書かれた「マーロウの目線」を踏んだ、つまりそんな sarcastic な男が彼流の定義で crazy  や drunken と断じた何をしでかすか知れない男女が、人を殺したり自殺しておかしくない狂った本性で読者の理性をごちゃごちゃにしてしまうことでミステリーの様相を呈している文学であって、これを映画化することにはそもそもの無理があるのだ。何が近いと言って、ご異論もあろうが、「吾輩は猫である」の人間版と思えば僕が何を言いたいか把握しやすいと思う。アルトマンの彼流の解決は、オットー・クレンペラーがメンデルスゾーンの第3交響曲のエンディングをやむなく書き直したことを思い出させる。

本作は日本語訳があるが、できれば原文をお読みいただきたい。音楽鑑賞だって、できる人は楽譜をあたった方がいいが、本作の英語にそんな難儀さはなく、あっけらかんとした中学生レベルだからだ。皆さん大学受験で何を言ってるか訳の分からない現代国語やそれの英語版である英文解釈に頭を悩ませた経験がおありだろう。誰だったか、自分の作品が入試に採用された小説家が設問に答えられなかったという笑い話があるが、その不毛な作業がへどがでるほど嫌いだった僕にとってこの英文を読むのは快感だ。チャンドラーの知性から推測するに、というより、あえてこの文体で書こうというのが知性そのものだが、そうしないと描けなかったマーロウという人物像が1953年頃の米国で受容されると踏んだわけであり、それがハメットの産んだ流れだったのだろう。音楽好きならわかってもらえるだろうが、プロコフィエフが古典交響曲を書きたくなった知的試みにとても似ていると僕は思う。

チャンドラーは「文学的」な文学をあざ笑うがごとく、誤解の余地が微塵もない、つまり入試問題を作るというそれはそれで大変な難題に困った先生方が絶対に選ばない見事に実用的な文章で素晴らしい文学を仕上げた。これがハードボイルドなのであり、源流は私見ではジェームズ・M・ケインの「郵便配達は二度ベルを鳴らす」(1934)にある。ギャング、ヤクザものがそう呼ばれると誤解している人も多いが、確かに題材として素の人間丸出しのクライムノベルが適してはいるが、1人称で犯罪なくしてその味を出すことに成功している夏目漱石も、マーロウに負けぬ己の主観で押し通した清少納言も僕の中では同じタッチの作家であり、だからこそ僕はそうした作品群を愛し、優れた音楽作品と同様のこととして何度読んでも飽きもせず、こうしてそういうタッチに色濃く影響されたブログを書き連ねる羽目になっている。

御用とお急ぎでない方はyoutubeに本作の朗読がある。これは福音だ。聞いてみたが、語りが実にうまい。2時間45分があっという間だった。平易だが切れ味鋭い。マーロウでなくこの文体こそ半熟のじゅるじゅるを排した固ゆで卵であり、この簡素さと潔さは江戸っ子である僕の感性にびんびん響く。子供時分から文をそんな風に書いており、益々そう書きたくなる。この文体であってこそマーロウの「男らしさ」がきーんと冷えた吟醸酒のように冴え冴えと舌を喜ばせるというものだ。男らしい奴。レノックスとお決まりのバーでジン&ライム。これが良かったのだ。悪事は知り尽くし、何が来ても微動だにせず、気に入った奴のために喧嘩もし、生きる金は稼ぐが買収も巧言令色も効かない奴。こういう奴の築く人間関係は友情なんていう甘ちょろい言葉では代弁できない。こんな男が日本にはついぞいなくなった。

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清少納言へのラブレター

2022 SEP 10 18:18:21 pm by 東 賢太郎

前の稿に書いたが、最近、「枕草子」を通読した。なぜそういう気になったかというと、安倍元総理の暗殺事件で、彼の「戦後七十年談話」を思い出したからだ。僕は愛する両親の生まれた国を当たり前に愛する日本人である。談話は至極共感したし、これを総理として公言するに相応の覚悟を決めたはずだと、彼の器の大きさを評価した。したことに是としないものもあるが、万能の人間はいない。そのような部分があることを針小棒大に批判し、自国を当たり前に愛する者を「右翼」と呼び、それはおかしいだろうとする発議を「陰謀論」と切り捨てることがまかり通るようになった情けない世相を僕は大いに危惧する。

この危惧は、しかし、2020年の米国大統領選の時にすでに発していたことは、この稿を先ほど読み返して確信した次第だ。

バイデンが隠しトランプが暴き出す秘密

僕は今もこの選挙は八百長と思っている。「ウソ」をついておいて、「これをウソだと言う奴はウソつきだ」にすり替える手法がある。➀証拠はない ➁隠滅の証拠もない ③よってウソつきは君である、という攻めの三段論法である。次いで、そのウソを「百回言えば真実となる」とすべくメディアがたれ流し、大衆に擦りこむ。バレそうになると「そういうことが行われた証拠はない」を➀として、再度論法を作動させ、洗脳済みの大衆に「君が言っているのは陰謀論である」と言わせるのである。これは商売ならマーケティング、政治ならプロパガンダと呼ばれる。

こうやって1年、2年と世界はだんだん目が慣れ、あのおじいちゃんを大統領と思うようになった。そして、いよいよ化けの皮が剥がれかかって替えもないままに中間選挙の11月が迫り来た。日増しにトランプが脅威に映り始め、だからFBIがフロリダの別荘にガサ入れしたりしているのだろう。以下はまったくの憶測だが、トランプは➀➁をつかんでいたが、裁判所までグルでトラップしようと狙っているのを知り手を引いたと思う。すると代わりに議会襲撃事件をでっちあげられ、作戦どおり「無法者」にされる。オズワルドが現れやすくなる。SNS封鎖などかわいいもの、この脅しは強烈だ。その半年後に安倍氏もなんやかんやで悪人仕立ての動きがあったが、辞任理由は身の安全だったんじゃないか。

内閣総理大臣経験者の襲撃による死亡は二・二六事件の高橋是清、斎藤実以来という重大事件であるのに、本件はwikipediaに早々に「安倍晋三銃撃事件」と「評価の固定化」がなされ(海外はすべてassassination、即ち「暗殺」である)いつの間にか統一教会問題にすり替わっている。「銃撃事件」は平成からこれまでに4件発生しているが、被害者が死亡した例はひとつもなく、軽微に見せる印象操作だろう。銃創、弾道、弾数の物理的矛盾の説明を奈良県警はしないが、そうではなくできないのだろう。まるで国を挙げて「早くなかったことにしたい」だ。これはいったい何なんだろう?裏で物凄いものが蠢いている思いに背筋が寒くなるばかりなのだが皆さんはいかがだろう。

経験しないとお分かりになりにくいかもしれないが、海外で10年以上も生活すると「美しい国、日本」が身に染みる。だから、僕は益々自由人にはなったけれども、同時にナショナリストにもなって帰ってきた。移民で国がない、自国を愛せない人をたくさん見て、日本人に生まれた幸せをかみしめたからだ。もう何年ぶりになるのかも忘れるほど以前に読んだ「枕草子」を読み返すことになったことは前稿に書いた。なぜそうしたかというと、古典の中でかつて最もストレートに心に刺さり、現代の日本人も変わらぬ千年前の美意識に感動した本であり、日本民族であることの誇りを感じさせてもらったからだ。それを守ってくれる政治家が日本国には絶対に必要だし、それを選ぶ有権者の我々が日本国の誇りを忘れてしまう体たらくでは国家の存続すら危ういと思った。それを僕自身が読んでもいないのでは、お話にもならないからである。

18世紀ごろの人口はロンドン80万、パリ50万に対して100万いた江戸は世界一の都市であったとされる。海外で僕はこれをアピールして日本の宣伝に努めたが、文化度は人口だけで決まるわけではないという気持も同時にあった。手前味噌の感じが払拭できなかったのである。しかし、江戸時代の800年も前から日本文化が世界に冠たるものであったことは、実にシンプルであって、「枕草子」と「源氏物語」を示せば Q.E.D.(証明終わり)なのだ。相手がインテリであるほど反論がない。 同時代の西洋や中国がどんな悲惨な状況であったか皆が知っているので、見事に納得されるからお試しになればいい。

それはそうなのだが、しかし、日本人の誇りというのはそんなに肩ひじ張ったものじゃない、もっと身近で、誰でもわかりやすいものなんじゃないかという気がしてきたのだ。それを教えてくれたのが「枕草子」だったというのだから話がちょっとややこしい。「これが千年前に書かれたんだ、どうだ凄い文明国だろう」も正しいことは正しいのだが、それは進化論という西洋の鋳型に当てはめた理屈である。「別に俺たちそんなの自慢する気もないよ、鋳型自体がどうでもいいからね、それよりね、悪いけどこれ、英語にならないんだ、日本語じゃないとね、千年前から俺たち同じ言葉を喋っていてね、そのまんま『いいね』ってわかり合えるんだ」。ナショナリストになったというのは、こういうことじゃないのか。

こういうものは「日本人の心の共有財産」だ。例えば食事を「いただきます」といって始め、「ごちそうさま」で終える。お辞儀をする。軽い会釈が無言の挨拶になる。家で靴を脱ぐ。元旦の「あけましておめでとう」で清新な気分になる。神社で手水舎で手と口を清め、拝殿で手を合わせると心が洗われた気分がする。こうした行為は作法として外国人にも英語で伝えることはできるが、気分までご指導はできない。ところが日本人なら子供でも当たり前のようにわかるのだ。そのどれもしない外国に住んで初めて、僕はそれが素晴らしいことだと気がついた。いつどうやって身についたんだろう?父祖が千年も大事にしてきたことだからといわれれば確かにそうなのだが、親にそうやって教わったわけでもない。思うに、それは「日本語」だろう。日本語を母国語として育てば「軽い会釈」のように自然と身についてしまうようなものではないか。

三保の松原が世界遺産の認定で、富士山を入れるが三保は除外するとなってひともめあった話があった。抗議するとドイツの代表団が絶賛してくれて通ったそうだ。あれで行きつけの鮨屋を思い出した。「ウチのことはお客さんが知ってるんで」で、ミシュランお断りである。この一言をきかせてあげたいと思ったからだ。なんでわけもわかってない西洋人の判定なんかを気にするんだろう。こうやって浮世絵は欧米に買い漁られてしまったのだ、馬鹿じゃないのと思う。それから三保の松原に行く機会があったが、別に広重を知らなくたって、あの美しさは日本人なら誰でもわかる。世界なんたら遺産に認定してもらわないと観光客が来ないという地元の発想はこれも日本的なるものの代表選手なのだが、清少納言さんなら「卑しきもの」に入れるだろう。金で買えるモンドセレクションとおんなじ感覚ならば鮨屋みたいに突っぱねたほうがよっぽど評価されるよっていうことで。

日本語を母国語として育ったからわかるものは、日本語のわからない外国人には理解できない。だから評価してもらう必要などさらさらない。

春は曙

この3文字で、さっき書いたすべての「父祖が千年も大事にしてきたこと」と同じものがぱっと閃かないだろうか?

西洋にギリシャ、ローマ、イスラムの文献というものはあるが、中世暗黒時代で文化は断絶しており、まして現代の基準でも秀逸なアートといえる次元で、感情の機微や息づかいまで肌に触れるが如く伝わる繊細な言語で「心」を伝えてくれる形式の文学というものがそもそもない。それが日本にあるというのは世界の奇跡のようなもので、これが世界無形文化財の筆頭でないならユネスコなんてものは存在価値すら疑うべきである。後述するが、それは天皇、朝廷の存在に依っている。皇室がいかにありがたいものかを思い知る。他国にそれはないのだから自明といえば自明で、この格差を書くこと自体が差別というかお気の毒であって、「卑しきもの」にされそうだからもうやめておこう。

僕に文学を論じる資格がないことはわかっている。恥ずかしながら、通して読んだのは今回が初めてで、しかも読んだのは現代語訳であるから読破したとはいえない。ただ、あたかも初めてドイツで「ニーベルングの指輪」を4晩かけて聴き通した際に感じたずっしりとした重みのようなものが今回の読後感にあり、僭越ではあるが、自分の座標軸の中で、自分の言語で位置づけてみたくなった。それには同書の訳者・校訂者である島内裕子氏からお知恵を拝借できたことが大きかった。さほどに氏が解説で主張されていることは新鮮だ。「枕草子」の時代は随筆という概念がないのだから《三大古典随筆》のひとつとするのではなく、「枕草子」と「徒然草」は『散文集』とした方が適切ではないか(「方丈記」は両者と異質なので)というものだ。広くアートとして俯瞰するなら、そうした括りは一般に技法、作法に準拠したもので(括る有意性があるかどうかは兎も角)、「古典」は言葉の定義自体が曖昧であるし、「三大」に主意があるなら音楽のドイツ三大Bと変わらず、そういうものと十二音技法を同じ知的空間で扱おうという者はいない。我が国の教育は、「枕草子」の名前は子供に暗記させて試験で点は取れるようにしても、価値を正当に評価して「読んでみたい」と思わせる本来の教育になってはいないのではないかと懸念するのだ。これをしていたら国はなくなってしまう。

では、氏のいう「散文集」とは何か。以下、同書解説から引用しておこう。

三十一文字の定型詩の集合である「和歌集」に対して、散文は書かれた内容によって、日記・紀行・物語・説話・軍記・評論など様々なジャンルがあり、一般に、ある作品はある一つのジャンルに分類されることによって、書棚であれ、心の中であれ、居場所を確保できる。それに対して「散文集」と聞いただけでは、輪郭さえも朧げで、内容のイメージが湧かないかもしれない。しかし、そのような文学常識から一旦離れ(中略)、「散文集」を「ひとりの人物が書き綴った、長短さまざまで、内容も多彩な、散文小品の集合体」と定義することによって、「散文集」こそが「和歌集」に対置可能な文学概念であり、文学全般を二分する、きわめて重要なスタイルであることが見えてくる。

素晴らしいと思うのは、氏の二分法が学会のセクト主義、すなわち業界人の伝統・しきたり・忖度・諂い・前例主義のごとき狭隘な視野から出た、読み手には一文の功徳もないポジショントークではなく、「枕草子」を楽しもうというユーザー側の立場から発露したものだと思われる点であり、それが文学全般を二分する学術的な意味あいまで持つならこんなに良いことはない。ここで氏は「連続読み」によって通読してこそ、「枕草子」が生成してゆく時間を、作者である清少納言と共有できる。その体験が、「枕草子」を読むことにほかならない、としているので、実際のそれをして、体験してみることが必須だと考えた次第だ。それは以下のくだりで明らかになっていた。

「散文集」は、物語のように明確な筋立てがないので、頁をめくって、面白そうな所をあちこち気ままに読んでも、差し支えはなさそうだが、やはり書物としてひとまとまりのものとなって伝来してきた以上、最初から最後まですべての部分に目を通すことが重要で、「連続読み」してこそ、その作品の魅力も深みも実感できる。「枕草子」を読むということは、散文を書く行為がもたらす自由の実体を、しかとこの目で見届けることであって、そこにこの作品を読む楽しみもある。ページを繰るごとに眼前に広がる景色は、新鮮な空気に満ち、花の香りや草の匂い、雨の湿り気。風の強弱までも、さまざまに描き分けている。清少納言は自分が書きたいことを、自分の言葉で、散文として書き綴った。このことが何より大切である。

読書にいちいち方法論があるとは思わなかったが、僕はこのたびのトライでその重みを味わわせていただき、心からの同感に立ち至った。同書解説の「『枕草子』の諸本と内容分類」によると写本は複数あり、章段の数や配列が異なるらしい。詳しいことは措くしかないが、以下に書くことは「島内現代語版」を通読した僕の感想ということになる。とはいえ、これを読むことは利点があって、原文に注釈を付すスタイルの本ではとぎれとぎれになる通読のテンポが、あたかも執筆当時の宮廷の読者になったかのような軽やかさで得られる。時間もかからないから僕のようなビジネスマンでも気軽に入れる。枕草子には、純文学的というだけに留まらず、「時間のアート」とでもいうべき、まるで音楽のような楽しみが見え隠れしていることを僕は発見してしまった。予期せぬ新鮮な題材、切り替わり、短文の小気味よいリズム、めくるめく変転する場面や登場人物、決然とした帰結。まるでハイドンのアレグロのようなのである。そう、清少納言が『パリピ孔明』みたいに令和の世に来ちまったら、まっさきにコンサートに連れて行ってハイドンをきかせてあげたい。

清少納言の存命中、想像するに、この書はいわば、天皇の后(中宮)である藤原定子のサロンの空気のライブ中継であったろう。父である藤原道隆の死という不幸によって運命は下り坂となり、父の弟で新権力者となった藤原道長から定子はいじめにあった。周囲の雰囲気は暗くて当然である。しかし、彼女は定子の弱みを悟られるような不遇の気配を一切外に気取らせず、あたかも日々は明るく、権力や余裕があるかのような強気、自由闊達を雄弁に発信するニュース・キャスター役を務めた。そう考えれば、第182段「中宮に、初めて参りたる頃」の出現の意味が分かる。枕草子の巻頭に来ても良い初出仕の思い出がなぜ終盤にさしかかるここにあるのかは不可解とされてきたようだが、清少納言は日々の仕事をしながら、まるでブログを書くように「枕草子」を制作しているのだ。サロンを取り巻く政治の雲行きの影響下で、無意識に書きたいタイトルが左右されることは、仕事をしながらブログを書く僕にとって日常茶飯事、「あるある」のひとつだ。文字数の多い同段は(定子の段はいつもその傾向があるが)、戦っている自分がただの女房ではなく、いかに中宮様ご一家の寵愛を受ける格別の身であるかを、我が身を滅ぼさんと企図する対抗勢力に示威する意図をもってここにあえて置かれたものに思えてならない。これに「ドヤ顔が不愉快」(第183段)、「地位ほど結構なものはない」(第184段)が続くのだからこの推理には結構自信がある(注:この2つは筆者の意訳)。

更に言うなら、僕自身も、そういうことを31年にわたるサラリーマン宮仕えを生き抜く過程で経験しており、「おらおら、私が誰かわかってんの?」が真意である第182段を読ませてしまうとこちらの窮状を察するわけだから、実は敵を利するだけになるということまで心配してしまう。全体の4分の3の道のりの時点で、もう彼女は実は盤石でないように見える。それを悟って、千々に乱れた心をおさめようと、「風」に投影したのが第185段「風は」(第185段)、「秋の台風が過ぎた翌朝は」(第186段)である。この2段を原文で読めば、乱れていたからこそ研ぎ澄まされた感覚の凄みが文字をはみだして横溢しているかのようで、読むこちらの心までざわつかせる。なんと人間くさい。島内裕子氏はこの2段を「枕草子」の中でも屈指の名場面とされている。その通りと思うし、さらに僕流にいわせていただくなら、この心象風景は、ドビッシーの「西風の見たもの」(Préludes 1 “Ce qu’a vu le vent d’ouest” )でなくて何だろうと思う。

そして、何より衝撃的なのは、最後の最後、第325段に至って、様相が一変することだ。われわれは唐突な「終結宣言」を突きつけられるのである。前段「見苦しき物」で平素と変わらずの舌鋒で鋭く人物批判を展開していた人がなぜ、というやりきれない残念さと心の不協和音を残して、枕草子はひっそりと幕を閉じる。この寂寥感は意図されたものか、後日の編纂過程において偶発したものか、正確な所はわからないのかもしれないが、いずれにせよ来るものが不意にやって来たという居心地の悪さは払拭できない。この終末の微かにシニカルでほろ苦い味をどこかで僕は知っているが、それが何だったを何時間も記憶から引き出せず、ついさっきにやっと思いあたって留飲を下げた。交響曲の開始とは誰も思わないグロッケンシュピールの「ミ」の音で始まり、打楽器だけが無機質なリズムを刻んで交響曲の終わりとは誰も思わないやり方で虚空に消えていくショスタコーヴィチの交響曲第15番だ。

著作物というものは、いかなる時代・形態・ジャンルのものであれ、書き手のモチベーションと読み手の需要があって初めて成立し、両者の多寡に応じて書物ならば「発行部数」が、ネット上の作品ならば「ページビュー(PV)」という数値が確定する。このメカニズムは経済学における需要曲線・供給曲線の交点で、市場における商品の価格と数量が決まるのと同じと考えてよいと思う。また、ネットの特性を加味し「PVは新作の投入数、頻度が高いほど需要が喚起されて増える」とどこかで聞いたことがあるが真偽は知らない(経験からは、そうかもしれないと思う)。清少納言は最終段で「他人に読まれたくなかった」と本音を隠して見せるが、定子を守ることで活躍の場を開拓し、自らの居場所も安泰にしようとするモチベーションがあったことは人間のありさまとして至極当然なことだと僕は思う。その動機は彼女の筆のすさびの端々に見え隠れするのだが、僕は「人としてなんと健全なことか」と思うのである。そうして彼女の白紙はどんどん文字で埋まり、その行為が「枕草子」への需要を自ら喚起、増幅していったと考えるのは自然だろう。

もうひとつ考えたことは、いくら聡明とはいえ、いち女房の身でこれほど自由闊達に、公達まで登場させて歯に衣着せぬ奔放な書きぶりを披露できたのは一条天皇の寵愛を最後まで受けていた定子あってだろうということだ。定子の人生は激動どころの騒ぎではない。道長と後継争いで激突した兄伊周のスキャンダル、没落して出家、そして復帰はしたが、対抗馬として娘・彰子を同格の中宮とした道長から受けた壮絶ないじめ。早世した定子は今なら死因が疑われたかと思うほどだ。いわば共作のようなものではないか。最終段の結尾で「評価されるはずのない私の書いた本が素晴らしいと評価されてしまった」と本音と卑下を交えてみせているのは、権力の後ろ盾をなくしたことで襲ってくるものを覚悟のことで、「自分の心の中まで覗きこまれ、あれこれ論評されたりするのはひとえにこの本が他人の目に触れたからであり、そのことだけが口惜しい」と綴ってラストの一文を終えている。しかし本音で口惜しいのは、そのことではなく、定子の死と共に「枕草子なるコンセプト」はもはやこの世に存立できなくなったことではなかったのか。白紙が尽きたという体裁をもって「終結宣言」を取り繕うフィクションには彼女のプライドと悔し涙が滲んでいるように思えてならないが、もうそれを書く必要もなくなったのだ。清少納言がどんな動機で書いたにせよ、天皇、そしてその御所である朝廷という空間なくしてそれは成り立たなかっただろう。

一般のこととして、アートの評価に政治的事情は斟酌されにくく、時と共に忌避されるバイアスがあるように思う。何故かは不明だ。人類共通の心の運びだろうか、このことは西洋でも同じで、アドルフ・ヒトラーは政治家兼画家であったがそうはいわれないし、彼がフェルメールとベックリンを愛して収集し、ワーグナーをプロパガンダに用いたことはできれば歴史から消したいようなのが趨勢だ。ショスタコーヴィチに至ってはスターリンなくして交響曲の5番や10番はああはならなかったから、本人は不服だろうが消そうにも消せず、後世はそれもひっくるめて評価することになっていく(真贋論争まであった「ヴォルコフの証言」などを思い起こされたい)。枕草子は明らかに後者に近く、しかも千年もの時を経ているから存分にバイアスが働き、背景にあった藤原氏の壮絶な権力闘争とは無縁の精神世界として解釈が固定しているように思える。しかし、権力とは冷酷なものである。負けた側の筆者が去った後にどうして枕草子が残り、あるいは宮中では消されたが焚書は免れたか。彰子が定子の息子を引き取って育てたことで両人に対立はなかったとされるが、天皇の息子は世継ぎとしてどちらも大事なのだ、中宮(正妻)ひとりとなったあかつきで、それは必然のことだろう。僕はリアリストなのでバイアス・フリーに読み解きたい。

宮仕えを辞めた後の清少納言の悲哀に心を寄せようにも、その後の足取りは不明であり、没落し、耳をそむけたくなるようなくだりが『古事談』に記されている。女の才はかえって不幸を招くという中世的な思想が影響したとの説があるが、現代ですらジェンダーは連綿と社会問題になっている。女性は名前すらない千年前の世にこれだけのことを成し遂げた清少納言に、僕はいち社会人として心からの畏敬の念を懐く。10才ほど若くてまだ女房業では足元にも及ばなかった紫式部が、腹いせだったのか政治的意図があったのか、なくもがなの悪口を2つ日記に書き残して女を下げているが、それほど清少納言は際立っていたわけだろう。最晩年は阿波国で過ごしたと伝承もあるがすべては闇の中であり、没年も墓所も不明だ。

ところがだ。千年の時を経るうちに、その書が国民的人気を得てしまうのである。世の中わからないというが、何事であれ、作者が放置しておいてこれほどプラス方向の想定外がおきることはそうざらにはない。新作投入はもうなかったのだから、その理由はひとつしかない。枕草子には、当時の誰にも見えてない、巨大な「潜在需要」があったのである。

定子の死後、それが朝廷の外に流布して写本が作られていくのが拡散のスタートだ。そのころ、不遇だった定子の身の上は宮中で知らぬものはなかったはずで、権勢を誇る道長の陰でシンパがたくさんいたことは想像に難くない。枕草子を守り、保存し、外部に流布させる動機を持った者は多くいたのではないか。浅野内匠頭のそれがいたようにだ。しかし、それは忠臣蔵という人口に膾炙する「物語」になって膨大な数のシンパを得たのであって、本来可哀想だった赤穂藩に同情が寄せられてのことではない。枕草子はそうした復讐譚の物語付きで流布したわけでもなく、やはり文学としての卓越性があってこその流布だったと思う。庶民の目にまでふれるようになったのは、江戸時代になって木版印刷によって出版されてからだ。注釈書の刊行も盛んになって王朝文学への理解が進み、「春曙抄」は江戸時代に最も尊重され、多くの人々がこれによって「枕草子」を読んだ。「春は曙、やうやう白くなりゆく山際すこしあかりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」のインパクトは絶大だったのだ。この点について、国文学者・藤本宗利氏のとても興味深い説を見つけた。

「季節-時刻」の表現(春は曙など)は、当時古今集に見られる「春-花-朝」のような通念的連環に従いつつ、和歌的伝統に慣れ親しんだ読者の美意識の硬直性への挑戦として中間項である風物を省いた斬新なものである。

江戸時代初期に刊行された、古活字版

この説はまさしく「技法」に光をあてており、ワールドワイドなアートの進化論の地平に同作を位置づける試みと思う。斬新な技法に乗って、まさしく「美意識の革命」が行われたのだ。清少納言が意識して成したことではないかもしれないが、彼女の性格に起因するであろう文体の簡潔さ、ストレートな物言い、心地良いテンポのようなものが結果としてそれをもたらしている。単なる「朝」ではなく、「曙」として時刻の概念にスポットライトをあてたのはモネが「ルーアンの大聖堂をモティーフに制作した連作」でしたことであり、ドビッシーが交響詩「海」でしたことだ。かように、「春曙抄」の幕開けは非常に印象派風であり、「枕草子」執筆の冒頭にこれをぶつけて度肝を抜こうというのは、「春の祭典」の甲高いバスーンのハ音にこめたストラヴィンスキーの計略に共振しよう。

「枕草子」が国民的作品になるのは、単に面白いからでも、女性が書いたからでもない、一流のアートだからである。このたびの通読チャレンジでそう確信した。一般の読者にとって、著者がどこの何者かも、王朝の貴人たちの服装の品定めも、宮中の儀礼のあれこれも気苦労も、もっと言ってしまえば、春が曙だろうが夕暮れだろうが、ひとつも重要でない。読者が愛でたのは、独断と偏見であろうが何だろうが、決然と看破して判定を下してびくともしない清少納言の自由な精神のありさま、しなやかさ、潔さであろう。

皆さん、高校生に帰って、もういちど真っ白な気持ちで読んでみよう。

 

 

美しい。なんて美しい日本語なんだろう。西洋も中国も、いろんな所へ行かせてもらい、いろんな素敵な人とお会いして、すばらしい時間を過ごさせていただいた。でもこれを読むと、じーんときてしまうのだ。

そんな気持ちを国文学者・萩谷朴氏が、名文で代弁してくれる。

「次から次へと繰り出される連想の糸筋によって、各個の章段内部においても、類想・随想・回想の区別なく、豊富な素材が、天馬空をゆくが如き自在な表現によって、縦横に綾なされている」

「長い物」や「決めごと」に巻かれて生きる日本人にとってそれは、渇いたのどを潤す冷えたビールのように爽やかであったのだと思う。彼女が旧来の和歌が重んじる春夏秋冬、花鳥風月の価値観(決めごと)から外れたところに見出して、「いとをかし」と称賛して見せてくれた「新しい美」の目くるめく数々に楽しみを見出したのだ。たとえ退屈で鬱屈する時があったとしても、日々の現実世界に倦んでいない言葉を読めばそれを一掃する力が得られたのは、彼女が素のままで鎧を一切まとわず、感じたままを述べられる人間性の持ち主だからだ。人間が人間であるのは誰かを人間らしいと思ったときで、その時、その人も人間らしいのだ。彼女はそういう人間として愛されたのだと僕は思う。千年前のそれが文字を通して、文学として現代人に伝わる。日本人であるのは、なんて素晴らしいことだろう。

 

 

 

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来月でいよいよSMCは10周年

2022 SEP 8 0:00:51 am by 東 賢太郎

新聞で唯一つ読んできた日経新聞の購読をこのたび打ち切ることにした。オンラインにしたわけでもない。もう業務にもプライベートにも不要である。これは僕にとって社会に出て四十余年、毎日やってきたことをやめるという意味ではちょっとした決断だが、心の声がそうしろというのにはいつも従う取り決めがある。もともと新聞は見出しだけで凡そ内容は察しがついてしまって久しいから、株価に影響がありそうなのだけ読んでいた。ところが、それがそもそもなくなったことに気がついたのだ。これは日経のせいではないが、何であれ、無用なものにお金を払わないのはポリシーである。

あれから全面的に報道がおかしい。5・15事件に匹敵する暗殺事件のことである。この国の反応、こんなものでいいのか?殺人事件で何より大事なのは物証である。漏れ聞こえてきているが、銃弾の数があわない。心臓の銃創で奈良県立医大と奈良県警の解剖所見がちがう。同様のことは伊藤博文の遺体でもあったが、安倍氏の遺体は早々に荼毘に付された。国会はシャーロック・ホームズを呼んできたらどうだろう。野党は国葬反対がだめなら経費が高い、マスコミは統一教会のオンパレだ(僕はぜんぜんどうでもいい)。この方たちは日本国にとって、いったい何なのだろう?警察庁は奈良県警の警備に不備がありましたで首をすげ替えて終わり。東京にミサイルぶち込まれてもこんなもんじゃないか心配になってきた。

この異様さの原点は、しかし、我々日本国民にある。大勢が気にすると気にする。しないとしない。だから報道されないと、しない。何がFACTかは気にしない。なぜなら、正しいかどうかより大勢が言ってるかどうの方が日本国では大事だ。だから、気にしてしまったものが後でウソでも誰も怒らない。みんなで騙されたからだ。

僕が去年、コロナを完全に無視した菅総理の東京オリンピック強行にブログで大反対したのをご記憶だろうか。やられてしまった怒りで、アスリートには申し訳ないが、中身のことはこっちも完全無視した。そして「IOCのエセ貴族を筆頭にした税金タカリ屋の祭典だ」と書いた。誰も何も騒がなかったが、いま、本当にそうだったことが検察の手によって次々に明らかになっている。これが本来の司法というものだ。しかし、悲しいことに、こうして報道されてお茶の間の話題にのぼると、初めて国民はけしからんと騒ぐのだ。「行列を見たら並ぶ」のはロシア人といわれるが、どうしてどうして、日本人がいちばん病気だ。行列のわけを知って、なんだこんなのに並んでたのか、ああ損したと思わないからだ。

なぜか?最大の理由と考えられるのは、並ばないと変な人と思われるからだ。美化する者はこれを「協調性」と呼び、しない者は「同調圧力」と呼ぶが、要はおんなじものである。いずれであれ、「自分が損してでも変な人にならない方が得」という方がよっぽど国際的に変な人なのだ。そうなってしまうことを社会心理学では「スパイト行動」(spite behavior)という。スパイトはin spite of~のそれで、「悪意」「いじわる」の意味だ。日本人はその傾向が強いとする様々な研究がある(http://経済実験におけるスパイト行動)。つまり、日本の美徳である「協調性」は実は行列に並ばない人を排除するスパイト行動によって支えられていて、「いじめ」というのは「変な人」を見せしめにする私刑行為で、それを補強していると考えてしまうほどだ。「長い物には巻かれろ」という日本的香り満点の箴言の正体はそれである。

ちなみに「協調性」は英語でcooperativeness、collaborativenessだが、16年英語世界にいて聞いたためしがない。「私は何でも誰とでも協調できます」ということだが、「いい人」は飲み友達にはいいかもしれないがビジネスではあまり役に立たないのと同様、入社面接で強調してもそれで合格するとは思えないから言わない方がいいだろう。英語は「cooperationが必要な時に無用の対立をするほど人間は尖ってません」ぐらいのニュアンスであり、そんなの当たり前だろで、むしろ付和雷同のほうを疑われる。協調が売りの人は、自分に何もないからそれを売るのであって、中国では求める方が異常だ。つまり「彼は協調性があるね」がいつも誉め言葉であるのは日本だけだ。これが「行列に並ぶ人」であり「長い物には巻かれる」人である。並ばない人、巻かれない人であるinventor(発明家)、innovator(革新者)、entrepreneur(起業家)、investor(投資家)には生まれつき向いてない人の方が日本社会では評価が高いのである。

ドイツにはシャーデンフロイデ(Schadenfreude)という言葉がある。意味は「他人の不幸は蜜の味」そのものだ。ところが英語にその単語はなく、ドイツ語をそのまま使ってる。需要がないと言葉はできないから、ドイツ人の方がそのケがあるのである。従って、全体主義化しやすい点では日本人と似ているわけだが、自分が損してでもというほど気合が入ったものではないと思う(ドイツ人はケチだ)。かたや日本では幼稚園から「みんな仲良く」だ。仲良くしない子は先生に叱られるのを見て「並ばなくては」「巻かれなくては」と育ち、長じては自分が風紀委員になって取り締まってもいいという人も出る(コロナの自粛警察が例だ)。かように日本人は特異な国民であって、特攻隊という発想をした大本営の動機は「肉を切らせて骨を断つ」でも「ジハード」でもなく、俺が死ぬんだからお前も死んでくれという「スパイト行動」につけこんだものじゃないかとすら思えてくる。学者の研究が間違いでないならば、日本人はことさらに他人の幸福をねたみ、身銭を切ってでも足を引っ張り、自分が損するなら他人はもっと損して欲しいと願う悲しい民族性があることは、認めたくあろうがなかろうがFACTであり、ここで「不愉快だ」と無視を決め込む人は、典型的に協調性だけで生きてきた人だろう。

民族性に文句をつけても何も起きないのは承知だが、だから「日本国は本質的に成長しにくい国だ」ということは知っておいた方がいい。例えば経済面での話をすれば、起業は「行列に並ばない人」がするものだ。並んでる側に大きな利益があるはずない。もしあるなら並ばせてる人も並んだ方が楽で安全に利益が得られるからだ。したがって、それを得んとする起業家は「並ばせる人」になるしかない。並ばないのだからイジメられる。それを覚悟した、日本における少数民族なのである。しかし、初めは誰しも意気軒昂だが、「変な人だね」のいじめにさらされ、9割が5年以内に力尽きてしまう。「行列に並ぶ人」はそれ見たことか(ざまあみろ)となる。「寄らば大樹の陰」のスローガンのもとでみんな仲良く「安心・安全」と「小さな幸せ」を分け合って我慢するのが日本国民の鉄則なのだ。従わなかった者が失敗するのは天罰であって当然、だから「ざま(様)を見ろ」(See how you look like.)と嘲るわけだ。こんな国で誰がリスクをとってイノベーションなどおこすものか。「日本国は本質的に成長しにくい国だ」はテッパンなのである。

昭和の高度成長は朝鮮戦争の特需であって、成長のエンジンであるイノベーションがもたらしたわけではない。特需はバブルをおこしてやがて去り、平成時代に元の木阿弥になった。そこから景気は「凪」のまま、デフレの病に陥って今に至る。民主党政権下で病膏肓に入り日本は死にかかったが、第2次安倍政権が超金融緩和政策のカンフル剤を打って救った。それを継いだ菅政権がどんな経済政策をしようとしたか僕はさっぱりわからない。さらにそれを継いだ岸田政権は、新自由主義はいかん、あれは失敗だった、だから「新しい資本主義」に転換すると言い出した。だいぶ前にそんな記事を日経新聞で読んで、何度読んでもわけがわからなかったことだけ鮮明に覚えている。

ブログに書きもしなかったのは、イノベーションもおきない日本が新自由主義だって?自民党の内紛と不動産屋の利権でやった郵政民営化をサッチャリズムと呼ぶぐらいお笑いだろで終わったからだ。ミュージカルをオペラだと思ってる類の自称西洋通の人たちの華麗なる世界であって、僕には無縁で異様でさえある。いまここで書くのは、イノベーターも起業家も「変な人」で足を引っ張られて海水のミジンコぐらい生息できない国で、新しかろうが古かろうが資本主義をやっても限界だ、「新しい社会主義」をやろうが本音なんだろうと思ったからだ。そこで、それらしく国家が推進して小学生にまで「株を買いましょう」とやってる。このひとたち、ホントに大丈夫なんだろうか。

株を買って資産倍増を目指すのは大いに結構だが、大樹だったはずの名門企業も外資に身売りするか、その救いもなく倒れて根っこをむき出してしまう異変がおきだした昨今である。すると、政府のお薦めでその株を買った人も、寄らば大樹の陰で勤めていた人達も、資産は倍増どころか半減するかもしれないことはどう論じられたんだろう。誰がその責任をとるんだろう。ところが、実は大丈夫なのだ。もしそうなっても、それでもなお、「こんな大企業が潰れたんだから仕方ないよね」と傷をなめあう同志が大勢なものだから「おお、私は長い物に巻かれている」という新たな安堵感が出てきて、行列に並んで損したとは思わないユートピアのような優しい世界がやがて現出するだろう。これがイルージョン(幻視)に満ち満ちた日本的幸福の典型的な姿である。

いま、日本丸は国ごとタイタニックみたいにそういう船になりつつあり、どうやって国民に快適なイルージョンを与えて衝突の苦痛を癒してあげようかという思いやり深い政治家、官僚が懸命に働いているのである。それ作りのプロフェッショナルである電通という会社もある。世が世なら、東京オリンピックもそのだしになって、税金の中抜きや賄賂で私腹を肥やしてた者たちも、それがバレるどころか国民の賛辞を欲しいままにするはずだったのだ。いいじゃないか、みんなで落ちる所まで落ちれば、貧乏バンザイ、韓国に抜かれたってこっちには富士山も温泉もあるからさ、なんてのがそのうち出てくるだろう。

僕が行列に並ばない人なことはこれまで読んで下さった人はご存じだ。その僕が尊敬する人が世にひとりだけいる。清少納言だ。なぜか?絶対に並ばないからである。いち女房の身でなぜそれができたか?ボスのサロンが守ったからだ。最高権力者である藤原氏が後ろ盾の一条天皇、その奥方である中宮・藤原定子という庇護者の威光で、「変な人だ」の風圧がシャットアウトされ、たった8年間ではあったが言いたい放題の「枕草子」執筆ができたのである。ボスが亡くなってサロンが消えるとその言論空間も露と消えたが、そこで生まれた作品は後の世でも大切に守られた。とりわけ「春は曙・・」は江戸時代の庶民に大人気となり、現代人まですっきり痛快にしてくれる。1000年の歴史にほんの一瞬だけあった「いじめフリー」「スパイトフリー」の特殊空間において彼女の天賦の才が全開になったというレアな化学反応から生まれたこの作品は、冬の天空でひときわ明るいシリウスのような輝きを放っている。

その空間は定子のあとを襲った藤原彰子のサロンにもあったことは、女房を引き継いだ10年後輩の紫式部が「源氏物語」を生んだことで示されている。どっちも日本が誇る大傑作であるが、個人的な趣味で言わせてもらえば、長編不倫小説よりも簡潔な箴言集の方が性に合う。「枕草子」は小説という虚構ではなく、ノンフィクションでもないが、筆者の赤裸々な独断と偏見の開陳ではあり、その言うことのいちいちの是非の無粋な詮索は刎ねつけるほどに筆のタッチが強くて鮮烈である。これを男に書けといわれても無理だと思う。男はそこまで「猫的」に社会から超然と、自由にしなやかにはなれない動物である。吉田兼好や鴨長明がいくら俗名を捨て、出家しようと神官になろうと、社会との「犬的」な関係はゼロにはならない。しかし、女性だからできたことが、彼女の亡き後、どんどん女性だからできないことになってしまった。だから模倣者も後継者も現れようがなかったのである。

彼女は「春夏秋冬」や「**なるもの」への「プライベートな感性のリアクション」を枕草子に刻印することで、隠し立てのない自分自身を写しだし、325枚の見事な「自画像」を残した。ファンである僕は、彼女が何を「徒然なるもの」と断じようと楽しい。もし夏は曙であったとしてもぜんぜん構わない。物事のイデアとしての哲学的存在、性質を論じてるのではないからだ(それは男の仕事だ)。万事が彼女の目に映ったものであり、その限りにおいて「存在(sein)」しているものの活写である。

何事も有無を言わさず「をかし」「愛し」「はしたなし」と一言でばっさり評価してしまう彼女は、人物として、「ちんけな小物」であってはならない。そんな人の言い草に興味を持つ者はないのは、誰かさんがインスタで毎食の写真をアップしても誰も見ないのと同じことだ。自信満々だが自然や子供には細やかで優しい目をそそぎ、きっぷが良くて度量も大きく、しかし時として女性らしいもろさで嫉妬や怨み節も開陳してしまう。僕らはその描写を愛しているようで、実は、彼女の感性、人となりを愛してるのである。日本国の悲しいスパイト空間に閉じ込められて、長い物に巻かれ、自分を押し殺し、へりくだり、空気を読んだりで我慢に我慢を重ね、自分が不幸だから他人にはもっと不幸になってもらいたいと一途に願って居酒屋で「あのバカ部長が」とくだをまく人々のジャンヌ・ダルクになっても不思議ではないだろう。

ちょうこくしつ座銀河(NGC 253)

こちらも負けじと好き勝手を書き綴ってきたが、来月でいよいよそれが10年になる。なぜ時間をかけてそんなことをしたかというと、僕の「自画像」を1000年後の子孫に残してあげたら彼らはきっと楽しいだろう、それだけである。タイムカプセルにして非公開でもよかったが、同じ考えの方がおられれば宇宙船に同乗していただいてもいいなと思ってSMCという乗り物を作った。

ひとりぐらい、西暦3022年になって、まるで僕が清少納言さんを想像したみたいに僕のことをブログにでも書いてくれるかもしれないと思うと、それもまた楽しい。この楽しさというのは、僕が物心ついて最初の関心事であった天文学に発している。写真の銀河(NGC253)(撮影日:2020/10/20)は地球から1040光年の距離にある。つまりこの銀河が西暦980年の時の姿をいま僕らは見ているのだが、この画像の光が出たとき、清少納言さんは14才である。

「同時」って何だと不思議にならないだろうか?アメリカに電話して、1秒遅れて声が聞こえるイメージだ。声の主と本人とは1秒の間に1150万個の細胞が入れ替わってる別人だ。500光年先にあるオリオン座ベテルギウスあたりに鏡を置いて、いま僕が手をふれば、未来の子孫は鏡に映ったそれが見える。細胞入れかわりどころか、僕のお墓は1000年たってる。先日「枕草子」を通読して、清少納言がそこに生きていて語りかけている感じがしたのはそういうことだろう。

人が生きているかどうかは肉体の生存の問題ではない。その人のことを考える人がいれば、そこで生きているということだ。ブログを書いてそれを毎日1000人の人が読んでくれれば、僕はもうこの世にいなくても1000人の僕が毎日アラジンのランプから現れて、あたかも生きてるみたいなことになる。今は生きてるが、何もしなければいつもひとりぼっちだ。だから書いてきてよかったと思うが、しかし、仕事や健康と相談すれば、どこかでやめないといけないだろうとも思う。

書きたいことの8割がたはもう残した。息子は製本しようかといってくれている。日経新聞の購読をやめたことは、というより、やめるような情勢になってきたということは、僕の中では不可避的にいろいろな判断を強いられることになるだろう。あくまでも、僕は死ぬまで事業家でありたいからだ。世の中も変だが株式市場はもっと変であり、為替もしかりで144円をつけて30%もの劇的円安を的中させたのは万々歳だが、ここからは未知数が増えるから五里霧中だ。そんな先でもなく、いずれ想定外のことが起きるだろう。残念ながら仕事のことは開陳できないが、その時はその時だと腹をくくるしかない。

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99.9%の人には言わないこと

2022 SEP 5 19:19:08 pm by 東 賢太郎

学園祭の天文学科でわくわくしながらお話を聞いた。「これの名前わかるひと」とクイズがあって、「アンドロメダ大星雲!」と図鑑どおり答えたらお兄さんがびっくりして(7才だったんで)、「ボク、これをあげよう」と星雲メシエ83の展示写真をくださった。よし、ここの一員になろうと思った。なれたらこの話は尾ひれがついたろうがなれなかった。

帰りに父が望遠鏡を買うかときいたが、いらないと言った。恒星はパロマ山の大望遠鏡で見ても「点」だからだ。土星の環とか月食とか、太陽系のチマチマしたそういうのは興味ない子だった。最近、ときどきテラスで本を読みながら、夕暮れになって、雲の中の太陽が “目視” できるときがある。「やばい、恒星があんなにでかい!」。これ、99.9%の人には、言わない。頭おかしいと思われる。あれ触ってみたい、メスで切り取って成分を調べたいなんて思ってることは、あの日のお兄さんなら分かってくれるかなと思う。

恒星写真といえばいまやハッブルという時代だ。しかし個人的には、あのときの思い出があるから日本を代表する望遠鏡を応援したい。それが2つある。ハワイ島の「すばる望遠鏡」とチリの「アルマ望遠鏡」だ。

「すばる」は世界最大級の8.2メートル口径を誇る。オリオン座の三ツ星の下にあるオリオン星雲はすばるで見るとこうなってる。

オリオン星雲

次は電波望遠鏡「アルマ」の画像。

おうし座HL星まわりの塵の円盤

なんか危ない感じがする。これは450光年先に確かに存在する。この世かあの世かもう分からないが、宇宙船の窓からこんなのが見えたらぞっとする。

きれいなのもある。この写真など、額に入れれば白壁に似合うおしゃれなモダン・アートだ。これは460光年。

おうし座DH星

きれいというならマリンブルーだ。ダイビングしてそれを美しいと思ったが、あれは先祖が海にいたころの記憶だろうか。では空はどうなんだろう。460光年かなたの景色を先祖はどこで見たんだろう?

人体解剖図も7才あたりで好きだった。「腑分け」だ。レオナルド・ダ・ヴィンチは筋肉と骨だったが僕は肝臓で、たくさんの肝臓が渋谷の交差点をぷかぷか浮いてるダリみたいな絵が見えた。

楽譜も解剖図だ。一青窈の「ハナミズキ」(ホ長調)のサビでE₇ 挿入は「ロング・アンド・ワインディングロード」、E,  D#m₇-₅, G#₇, C#m₇は「イエスタデイ」に見える。なんだ、ビートルズだった。

「弦チェレ」の第3楽章は宇宙空間にゼンマイ(植物の)が浮んでいると日記に書いた。ライナーのレコードだ。チェレスタがぱらぱらと雪を降らす。

兼好法師というと素敵であって、宇宙的だ。この世に変わらぬものはなく、すべては幻で仮の姿に過ぎないなんて、ショーペンハウエルと双璧である。

うちの猫も素敵だ。芸もなにもしない。いるだけでありがたられ、エサが出る。ときどき、見おろされて、宇宙最強の生物じゃないかと思う。

ちなみに、漱石にあれを書かせたのは黒猫だ。人なつっこさで異色の威力を放つ最強の部族。彼は書いたつもりだろうが、気がついてない。

アインシュタインも金魚鉢の金魚。光速は宇宙劇場を上映してるコンピューターのメーカーが決めた限界。CDの限界が「第九の入る72分」みたいなもん。

でも、こういうことは99.9%の人には、言わない。

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日本は「飛ばないカラス」(若者への警鐘)

2022 JUL 28 20:20:56 pm by 東 賢太郎

いま写真の本を読みかけている。若い方、昭和史はあまり学校が教えないだろうから詳しくないかも知れないが、昭和11年2月26日未明に帝国陸軍青年将校による武装クーデターが発生し、首相、蔵相、内大臣らを襲撃、高橋是清、斎藤実、渡辺錠太郎ら現職の政府要人を殺害し、永田町、霞が関一帯を占拠したが鎮圧された事件だ。単発の騒動ではなく、昭和7年には海軍将校による犬養毅首相射殺事件(五・一五事件)がおきていた。かくなる軍部の内部抗争の力学が影響した国家最悪の事態として、300万人が亡くなる太平洋戦争突入が決まってしまうのである。この事件を教訓として学んで欲しい。

青年将校たちが「君側の奸」と呼んで襲撃した要人たちと比べると、いまの権力者は信念も国家観もない日和見だらけで、終始一貫している唯一のことは親米親中を問わず自分の既得権益ファーストの売国奴ということだ。彼らが話す言葉は我々の業界でいう「ポジショントーク」で、ある株をたんまり持っていて売りたいので「いい株だから買いですよ」と専門家面してもっともらしい理屈をこねるのである。バレたって「いい株だから私持ってるんです。それが何か?」で逃げられる。コロナや戦争でテレビに出てるコメンテーターの言葉もそれだ。真理を話すのが目的ではない、そんなの誰もわかってないし俺だってわかんないよ、でも自分は「専門家」って紹介されてるしこんなのでギャラくれるし、また呼んでもらえるようにテレビ局に都合の良い話をもっともらしくしておこう。ギャラはもっともらしさに支払われるという点において、薄っぺらな政治家の選挙演説と同工異曲である。真理はどうでもいいのである。僕とは真逆の精神の人達だ。

こういう連中がいくら演技しようが、職業上、もっと高度なプロ対プロのポジショントークを駆使しながら日々戦っている我々はすぐわかる。そいつのココロを読んだ瞬間にもう聞かない。プロの麻雀大会でツミコミがあってもやられる方が悪いで済むが、それを素人に仕掛けてはいけない。これは法律でなく職業倫理なのだ。それを素人にすることを職業としている方々とは悪いが人種が違うとしか申し上げようがない。昨今における、ただでさえ軽かった政治家の、羽毛どころかホコリの千分の一もない軽い言葉。「巧言令色、鮮し仁」なんてあまりにもったいなく、言われても理解できない者も多かろうし揶揄する気もおきない。国語の崩壊。それは国家の危機のバロメーターだと見抜いた三島由紀夫のような鋭利で腹のある男はもういない。世が世なら二・二六の現代版があったろう。昨年の東京五輪の意味不明の強行あたりから僕はそんなことを漠然と考え始めていた。しかし、もうおきないのだ。それが美しい日本の姿であり、成熟した日本国民の誇りなのだという声があちこちから聞こえる。そうだろうか。美しいのは富士山をはじめとする国土だけで、日本人は江戸時代からの伝統芸で外国人には到底まねのできない「長い物には巻かれろ」で生きる人が多数派から大多数に躍進しただけだ。長い物の能力は凄まじく劣化し、巻かれるほうはぬるま湯でもいい湯だねと思える国民的耐久力が進化した。その裏で、かつては隆々としていた覇気も上昇意欲も退化。飛ばないカラスみたいにみじめに凋落した二流国になろうとしているのではないだろうか。

認知症で記憶がなくなる直前に母に祖母のmaiden name(旧姓)を聞いてよかった。気丈な祖母は駆け落ち婚だから多くを語らなかったが、それが「まさき」と知ってすべてが始まる。ミトコンドリアゲノムは母系遺伝だから僕はそれでいうなら佐賀の真崎くんである。二・二六事件の不名誉な批判が我が事と思えてきたのはそれからだ。父からは台湾軍司令官だよと聞きどこかで騎乗の軍服写真を見た記憶があるが、それは本来が関東軍司令官であるところ政争の故あって飛ばされていたのだった。同書は極東国際軍事裁判における「真崎は二・二六事件の被害者であり、或はスケープゴートされたるものにして、該事件の関係者には非ざりしなり」(ロビンソン検事、不起訴にした)という立場であり、嬉しい書に初めて出会った。

クーデターをおこした皇道派は昭和天皇が正統性を否定して統制派に敗れたと教科書ではなっている。皇道派は天皇親政の下での国家改造を目指す荒木貞夫陸軍大臣と真崎甚三郎陸軍大将の派閥だが、陸軍には人事全権を握る皇道派しかなく、統制派などというものはなかった。様々なアンチが結集し永田鉄山(後に真崎を更迭したかどで暗殺される)を派閥の長として対抗した閥がそう呼ばれるようになっただけだ。真崎は若手将校たちに格別の人望があり、君側の奸を排した後の総理大臣に推挙されたが、なっていれば東条英機の運命をたどってA級戦犯となり巣鴨で処刑されていたから東条のご遺族には申し訳ないが幸運ともいえる。こういう諸々のことから彼の人となりを想像するに権力者の割には人間的でどこか憎からずというものを感じる。

さて二・二六事件あたりの世相に目を向けよう。大不況により企業倒産が相次ぎ、失業者は増加し、農村は貧困に喘ぎ疲弊していた。かたや大財閥などの富裕層は富を蓄積して格差が広がり社会不安が増大したというものだった。近未来を髣髴させる。青年将校たちは地方出身者が多く、娘を売る農村の惨状に悲憤慷慨し、権力中枢に巣食う勝ち組の売国奴どもを誅し、天皇親政の下での国家改造(昭和維新)をめざそうとしたのだった。真崎が主犯であるとする統制派は彼を政治的に抹殺すべく二・二六を利用したのであり、政治を犯罪要件として吟味したロビンソン検事が看破したとおりと信じる。将校たちの天皇親政への畏敬、国富偏在への危機感、国家観は当時のパラダイム下では不当なものではないが、真崎に頼り天皇に直訴してもらうしか実行手段はなかった。そうではなくクーデターへの道を進んだことの是非はここではおくが、命を賭して信念を貫く若者たちの愛国心には僕は日本人として感動を禁じ得ない。彼らに真崎が言ったと伝わる「お前たちの心はヨオックわかっとる、ヨォッークわかっとる」は僕もよくわかる。

僕がブログ読者として意識しているのは6割ほどを占める44才以下だ。そこには子供の世代である25~34才が20%、孫でもおかしくない18~24才も20%おられる。かたやこちらは67才で、白髪でメタボ腹の前期高齢者で、なんだかんだで書くことは昔を懐かしむだけ、己の成功を自慢吹聴しまくり、失敗の方は都合よく忘れてしまっているという不愉快なジジイである。65才以上の同世代読者が10%ぐらいというのは、パソコンができないか視力の問題か、さもなくば近親憎悪だろうと考えている。僕が世代のギャップを超えて孫、子の代と通じ合うものがあるとすれば、それはもう奇跡と呼ぶしかない。拙文はアニメ感覚で読めるものでなく、日本語が不如意な人は読まないだろうし、読める人はおそらく記憶力は良く、文章は画像より脳に定着しにくいが一旦すると消えにくいのだ。自分も若き年代に読んだ物はいまも心に残っており、一部は僕の美学にまでなって性格にとりこまれている。

ブログに影響されたという人が出てきたら人生で成功して欲しい。いや、首根っこをつかまえてでも成功させてあげたい。僕がものを学んだ時代、アメリカで教育を受けた時代、そして海外で仕事した時代の西欧の社会思想は、新自由主義、ネオリベラリズムへまっしぐら派(シカゴ学派、サッチャリズムetc)とソーシャリズム派(中道左派、欧州の社会自由主義政党の台頭)がクリアに分岐しつつあった。僕はリベラリストであるから個人の自由や市場原理を重視し政府の介入を最小限にする前者に共鳴し、サッチャリズムがリアルタイムで展開される英国で6年過ごした体感も寄与した。ネオリベラリズムは拡大してグローバリズムともされ、いま世界に所得の不平等をもたらした弱肉強食的な思想として蛇蝎の如く嫌われるが、ではケインジアンの大きな政府が介入したとして、所得格差は多少縮まるかもしれないが、経済全体がうまくいかなければ分配原資が減って国民全員が貧しくなる、これはどうするんだというと有効な答えはどこからも出てこない。コロナ禍救済策でやむなく出現した「大きな政府」の一環である中央銀行のバラマキが少なくとも株式市場を救ってはくれた。それは僕の事業にはプラスだったが、それで大きな政府が恒常化するドクトリンを信奉しようなどという軽さは僕には微塵もない。「ボクも貧乏キミも貧乏、それでいいじゃないか、みんなで辛さを分かち合おう」というのが猫の餌食になる飛ばないカラスだ。政治家や役人が経済政策、予知能力に長けた全能の賢人である可能性は限りなくゼロであることを歴史的賢人たちが世界史から学び取ったからこそ、万能ではないが人間よりはましな市場にまかせようとするのである。彼らより賢くない政府に任せるとどうして幸せになれるのか誰か論理的にご教示願いたい。

弱肉強食はいけないというのは「うちの息子が泣いて帰ってきたから運動会で順位をつけるのはやめてください」「これは虐待です。息子の人権を認めなさい」というモンスターな母親の理屈だ。それで社会を動かそうというのはひとつの考え方ではあるが、息子さんは幸福にはなるが国民は不幸になるなら採用すべきではない。弱肉強食は競争という社会に自然にあるものの誇張表現にすぎない。全員が平等なはずの共産主義国ですら政権で良いポストを得る激烈な競争がある。いかなる国家、経済体制でもヒトが2人いれば必ずある。だからそれに勝ちぬく力をつけることは、人類普遍の一般論として、良い人生を送るための必修科目なのである。学んで得と思うか否かは自由だが学んで何の損があろう。で、ここはジジイの自慢を思いっきりさせてもらうが、僕は誰にも習っていない自分であみだした方法で受験、仕事、出世、運用、蓄財、野球、ゴルフの競争をそれなりに勝ち抜いてきた。つもりや自負ではない、誰にも文句を言われない程度には事実である。だから我が方法の価値は客観性をもった証明ができ、それはカネをとって教えられる。何故しないかというと、そういうことはカネがない人の仕事だからだ。ない人は成功してないからない。どうしてその人の本や講義で成功できるのかわかる人がいたらご教示願いたい。僕はカネがあるからそんなことをする必要はない。だから全部ブログに書いているのである。

ブログの会、ソナー・メンバーズ・クラブは今年の10月で満10歳になる。総閲覧数はすでに1050万を超えた。物・量、存在感ともそれなりのものに育ったのは読者の皆様のおかげである。

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

先見思考なき大学も企業も潰れる時代になる

2022 APR 28 9:09:08 am by 東 賢太郎

(1)日本からは出てこない男

Elon Reeve Musk

イーロン・マスク氏がツイッター社の買収で世界の話題をさらっている。彼の資産は3,020億ドル(約38兆円)と世界一でトヨタの株式時価総額より多い。テスラ社の時価総額がではない、彼の個人の保有資産がだ。一代で作った資産額がその者の価値を示すという考え方の是非を言っても宗教論争になるだけなので、ここでは「それを否定はしないのが自由主義だ」という原則論に立つ。日本国もそうだと習ったように思うので、その見地から本稿を書く。

マスク氏の目下の関心はEV(電気自動車)ではない。宇宙旅行を実現するベンチャー企業立ち上げでもない。聞くところによると「火星に都市を造ること」である。こういうことを公言すると日本では真面目に精神状態を危惧されるが、僕は大真面目だろうと思っている。彼がペンシルべニア大学で物理と経済の学位を取った1995年はというと、さすがのアメリカであってもEVや宇宙旅行の事業化はホラ話という時代だったと思う。そう思わない男がいたからテスラ、スペースXがある。

トーマス・エジソンのライバルだった天才発明家ニコラ・テスラを社名にしたのは敬意からという。テスラ氏はオーストリアから、マスク氏は南アから渡米した。アメリカという国家にはそうして世界の英知を集めてあらゆる新機軸の培養器になる魅惑的な空気があり、僕はそれを留学して初めて嗅いだ。エジソン、テスラが今もいて不思議でなく、マスクがテスラになりたいとホラ話風情を吹いても奇異でも何でもない。真面目に取り合って琴線に響けば出資して夢の実現に手を貸してくれる大富豪のエンジェル投資家がいくらもいる。では彼が日本人だったらどうか?1995年当時、EV、宇宙旅行はドラえもんのネタにあったね程度の扱い、エンジェルを見つけるなど東京で野生の象を探すようなものだったろう。

 

(2)forward-thinker(先見思考型人間)とはなにか

僕が1997年のダヴォス会議に出席したことは書いた。まだ社内でメールを使い始めて1、2年、携帯電話はレンガの大きさの時代である。ここでまだ若かったマイクロソフトのビル・ゲイツ、インテルのアンドリュー・グローヴらの講演を聞き、彼らの生のforward-thinking(先見思考)に触れて電気のように感じるものがあった。それを忘れる前に書いておかなくてはと思いたったのがこのブログである。

重かったビル・ゲイツの言葉

いま本稿のために読み返してみて、おしまいにマスク氏を登場させていたことを忘れていたことに気がついた。彼はまだ大卒2年目でその時のダヴォス会議の出席者でもなく、2018年になって単にforward-thinker(先見思考型人間)の系譜の先に現れた新しい人物として思いついただけで、そういえば偶然にテスラという車に興味があって買ってみて、その先見性に大いに感心したことが契機だった。

僕は発明家ではないが、日本人としてはどうしても群れから浮いてしまう「その手の人間」である。世にない新奇なものが大好きだ。新しくて面白ければホラ話だって真面目に聞く。しかし、みんなが飛びついて「大流行」なんて手垢がつくともう興味ない。4年前にそれを書いたということはやっぱりねであり、ハタチそこそこの分際で投資の世界に飛び込む決断をしたのも先見思考だったのだと自己肯定する、そういう性格なのだ。そうでないと先の事なんて自信が持てないから新奇なことはできない。とすると自分自身が手垢のついた人間に堕落してしまう。それだけは死んでも許し難いのである。

 

(3)来年のことを言うと鬼が笑う国

アメリカで教育を受けてから日本の教育をふりかえってみて実感したのは、両者の最大の違いは日本が著しく非先見思考型(現状追認型)だということだ。来年のことを言うと鬼が笑う。アメリカは10年先のことを言わないと鬼が笑うのである。元来が未知へのアドベンチャーという性質を持つ科学という領域がそれを象徴する。アメリカが主導したSETI(電波望遠鏡による地球外生命体探査計画)は第2ステージに入り、直径500mの世界最大の電波望遠鏡「天眼(FAST)」を有する中国が参加している。いるかどうかもわからない宇宙人がいつ返事をくれるかなど誰がわかろう。百年、千年先かもしれない。そんなものを真面目に論じたら鬼に食い殺されそうなのが日本という国だ。まして国がカネをかけるなど発想の出ようもない。現にスパコン予算ぐらいのことで騒動がおき、戦争のさなかのいま、国民の命を守る防衛予算GDP比2%すら物議をかもす国だ。もしも志ある科学者が「宇宙人を探します」とSETI参加予算案を国会で通そうとするなら、まずそのためにSETIなみの巨大プロジェクトを組む必要があるだろう。

そんな根深い足かせがどうしてできてしまったのだろう?注目すべきは、そんなものは中国にはないことだ。漢字や律令制や仏教や論語のように大陸から伝来したものではなくとってもニッポン的なものだということは特筆に余りある。ということは大陸の影響が半端でなかった奈良時代までそれはなく、名実ともに独立国となった平安時代以降にできたということになる。なにしろ「先見思考」を鬼まで持ちだして諺の同調圧力で否定してしまおうというのだから凄まじいではないか。理屈よりも情緒を重んじる日本人だ。屁理屈で「来年」なんか考える暇があれば田植えに行けと戒めるのはわかる。しかし21世紀にそれをしていると国は滅びるのだ。ではどうしたら変われるんだろう?本気で変えようと思うなら、きちっとした方法論に則る必要がある。まず、ニッポン的なものの生成過程を分析する。そして、その良さを損なわぬよう注意を払いつつ21世紀にフィットするよう修正することだ。それをリバースエンジニアリング(逆行工学)というが、第二次大戦で英米が不倒の難敵と恐れたゼロ戦を捕獲し分解してそれを行ったように科学的に有用な方法とされる。

それをやってみよう。この根深い足かせは千年もかけて培養されたのだから分析の端緒は歴史の解明にある。次に、それは思考バイアスだから生まれた国の文化の影響を受け、その伝播は言語と教育を通じてであることを知る必要がある。日本語という言語についてはすでに論じた(添付)のでそちらをご参照いただくとして、本稿では教育を論じることになる。日本語は変えられないが教育なら可能だから重要だ。ちなみに、「カネもうけはけしからん」、「人生の目標でない」という主張は、かくいう僕も大学卒業まではどちらかというとそちら派であり、そこまで変えるとニッポン的な徳育や美徳まで浸食するデメリットがあると思う。そこをチューニングしつつ新たな21世紀型教育を成型することは可能だ。それは最後に述べる。

なぜそうすべきか?これからの日本はそうしないと滅びると真剣に考えるからだ。鎖国して自給自足していた島国が開国を迫られ、加工貿易で国富を増やして資源を輸入し外患から国を守る。国民にはそれに適した教育を施す。これが「明治モデル」だ。4つの大きな戦争があったが、4つ目で国土が灰燼と帰しながら奇跡の回復を遂げたのはそのモデルが優れていたからだ。しかし、1990年から世界環境は急変する。円高定着と中国台頭で、今度は「加工貿易で国富を増やす」モデルが灰燼と帰したからである。しかもこれは非可逆的であり、奇跡の回復は絶対にない。したがって新たに「国民にはそれに適した教育を施す」必要があったのだ。ところが我が国の政治も企業経営も教育も、あたかも第二次大戦中に国民が神風の再来を持ち望んだ如く、30年も無作為のまま「奇跡の回復」を信じたかのように見える。それが平成の暗黒期だが、「平成」に意味はなく、以上のことが偶然に昭和天皇の崩御の直後から起きたというだけだ。

円高定着と中国台頭。これは誰の目にもvisible(可視的)だが、日本にとって不幸なことに、もうひとつの世界環境の急変がinvisible(不可視的)かつ劇的な衝撃力をもってひっそりと進行していた。通信のデジタル化である。情報伝達、処理、保存が天文学的に厖大化、高速化、複合化し、人間社会のあらゆる側面を根底から変革した。表向きはインターネット、携帯電話、SNSの普及など大衆社会の利便性改革の体裁をとっていたが、それはテレビに色がついたり扇風機がエアコンになるのとは訳が違う。大元が軍事技術の転用であり、国家的インテリジェンスに関り、暗号資産として通貨を代用するまでに至るのだから文字や蒸気機関の発明に匹敵する世界史上の大技術革命であったのだ。日本にとって不幸だったのはそれが英語世界で起こり、加速度的に進行してしまったことだ。「閉じた日本語世界」で実質的にいまだ鎖国している日本では「ネット社会化」というポップ現象と見え、インテリも企業もそうしたものと捉え、俺はパソコンはできんがねと威張っているうちに気がつけばガラパゴス化という名誉の孤立に至ってしまった。モノづくりの国ニッポンの威信をかけてシャープ株式会社がその名も「ガラパゴス」とつっぱったタブレット端末で失敗した2010年あたりで白旗が明白になり、そのシャープはついに台湾企業に買われてその子会社になってしまったのは皆さんの記憶に新しいだろう。

その時点で昭和天皇崩御から20年だ。その頃から急速に普及するスマートフォンの世界OSシェアはアンドロイド(グーグル)、 iOS(アップル)、機種シェアはアップル、サムスン電子が握り、日本勢などまったくもって「お呼びでない」。「鬼が笑う」などと笑っているとこんな惨状が待ちうけているのである。マーケットシェアは必ずしも利益シェアではない、頑張れば回復だってできるよという論者もおられよう。そうかもしれないが、しかし、そうした数値や可能性を含んで決まる株式時価総額はそうはいかない。イーロン・マスク氏がテスラ社を起業したのは昭和天皇崩御から約10年の2003年だ。その株式時価総額はいま120兆円でトヨタの3.3倍だ。まだハタチにもなってない同業の新興企業に世界のトヨタが一足飛びで追い越されたという事実は、株式市場というバクチ場で相場師があおってつけた値段の産物ではない。どんな角度から誰が「科学」しようとも、つまるところは経営者の思考回路の差が為せる業とする以外に解釈のすべがないものである。トヨタは最後の砦、日本の本丸であった。それが陥落したということは、「他は推して知るべし」なのである。

そこで日本企業は平成時代から没落を始め、「その原因が**だ」ともっともらしく論じて本を売ることが陳腐な流行にすらなっている。しかし、前述のように、この現象を偶然にリンクしただけの平成時代として切り取って論じてもあまり意味はない。そういう一時のエンターテインメントを提供するのではなく、子孫の生存を真面目に懸念する科学的視点を持った人ならば、そうなった歴史的原因があるのではないか、そして、そうであるならばリバースエンジニアリングなくして真相は解明できないのではないかと考えるのがこれから論じる先見思考なるものの姿ではないかと考える。僕はビジネスマンで歴史家ではなく史書を遍くあたる時間もないが、むしろそうでない故に時代を超えて全体を俯瞰できる視座はある。そこから観た景色として、日本国の非先見思考というのは平成どころか「平安時代」からあると考えている。非先見思考が科学、ロジックを忌避して感情、情緒を優先することに起因していることと、平安時代に世界に類のない和歌、小説、日記、説話の文学が出現したことは、どちらも平安貴族文化、思考形態にルーツを持つ共通の現象であり、現代日本人の精神構造に深く影響しているというのが僕の観察だ。10世紀の西洋にだって先見思考が普及していた証拠はないが、彼らにはそれがあったギリシャ・ローマという父祖があり、それがルネッサンスを経て現代西洋人の精神構造になったというのとパラレルの現象だと考えている。

日本で「鬼が笑う」と先見思考を止めてしまう動力すら働いていた背景には、何らかの宗教的戒めや日々の勤労の奨励という現実的なものもあるかもしれないが、同時にそうしたことは「をかし」の文学である枕草子の精神からすれば「をかしくあらず」(優美、理知的でない)であるとする美的感覚が潜み、その欠如を話者も笑うニュアンスがあるように感じられてならない。悪いと言っているのでなく、来年のことなどわかるはずがない、そんなことを真顔で言うあなたは優美でも理知的でもないねとマウントを取っている感じがするのである。ところが、そう書いてここで僕は立ち止まる。だってそう感じること自体が「平安時代的」なのであり、こうして、僕のようなそれを忌避したいタイプの日本人でさえその影響から逃れられていない証拠を提示してしまっているからだ。その根深さが伺われるのではないだろうか。

なにせ「来年のことなどわかるはずがない」とは「科学の否定」に他ならず、僕の人生観と真っ向から対立する。にも関わらず、僕は枕草子の愛読者で感性は平安時代と親和的だというアンビバレントな自画像の居心地悪さは、きっと多くの日本人が無意識に感じておられると想像している。ひいては、「理屈、理論、原理なんで面倒くさくて冷たくて堅苦しいったらないわね。そんなこと口にする男は大っ嫌いよ、フフフ」なんて清少納言女史の美意識そのままの現代女性から僕のような男はからっきしもてず、それでは困るので「だよね、人生、理屈じゃないさ」なんて飲み屋でカッコつけたりして滑稽に生きているのである。かように、実にこのバイアスを取り払うのは大変なことなのだ。しかし、そうしなければ我々の末代の子孫が、どう転ぶかわからない新たな地政学の中で先見思考に頼りながら道を切り開いていくすべが見えてこないのではないかと危惧してもいる。国ごとシャープの運命をたどるのではないかと。その産物が本稿なのだ。

そこでここから話はいったん歴史にそれて長文が更に長くなるが、リバースエンジニアリングであるのでご辛抱いただきたい。

 

(2)非先見思考の歴史

a.「第1の断絶」まで

奈良時代までは大陸(中国、朝鮮半島)がくしゃみをすれば風邪をひく強い緊張関係が我が国を支配していたことを知るのがすべての第一歩だ。思考のメディアである言語ひとつをとっても、史書は全て漢文(中国語)であり、話し言葉を書き取った「万葉仮名」も中国語の借用であり、日本列島に先住していた何者かがそれを「話して」いたことは確かだろうが、彼らは文字がなかったのでそうしたのだからそれを史書に書いた人達と同じ人達ではなく、先住者が留学(遣隋使)して持ち帰ったとされるが第2回遣隋使(607年)で中国人官吏(裴世清)が小野妹子とともに来日したように両者が混合してバイリンガル文化が創生されたと考えるべき時代が前・奈良時代(飛鳥時代)だ。遣隋使は隨が帝国であることを知っており、何よりそこへ行って中国語で会話しているのだから、ここで先住者と書いている者たちが大陸から完全隔離された人達であったはずがない(その理屈で国粋主義を辿っていけば人類の発祥地は日本になってしまう)。先住者はいて独自の文字なし言語を話してはいたが、大陸と混血し、中国語ができる人達が支配者として史書を書き、中国の都長安を模した都を平城京としてそこからを後世は「奈良時代」と呼ぶ。

とすると、

仏教伝来、蘇我氏の治世、聖徳太子の摂政、法隆寺建立、遣隋使の派遣開始、大化の改新(乙巳の変)、白村江の戦い、壬申の乱、 天智朝、天武・持統朝、大宝律令の撰定、藤原京遷都、和同開珎の発行、万葉集の作歌(初期)、古事記の原本編纂

はみな前・奈良時代、すなわち「大陸との混血のさなか」の出来事であったといういささかショッキングな結論になるが、もしそう思われるなら明治政府が国体の正統化のために強調した「皇統の万世一系論」にバイアスのかかった明治モデル日本史を信じておられると思う。宗教としてそれを信奉するのは自由だが、事実ありきの科学的姿勢でリバースエンジニアリングに臨む者としては排除せざるを得ない。

これに続く奈良時代は女帝である元明天皇によって始まるが、何かガバナンスに断絶があったかというとそうではなく、単に平城京(奈良)に遷都し、後世の歴史との整合性から首都の都市名を冠しただけで実体は変わらない。日本を「中華」とする帝国構造や東大寺の大仏建造が中国の最先端インテリジェンスとテクノロジーなくしてはできないことからも、大陸からの人の流入、混血は加速したはずだと考えるしかない。藤原氏の台頭、弓削道鏡事件など、我々はこの時代には王家の権力が浮遊し混濁し、混沌とした印象を懐くしかないのだが、それは流入加速の理由が白村江の戦いの敗戦にあるからで、1945年の米国の例を引くまでもなく敗戦国を戦勝国が支配するのは世界の常識だ。すなわち、663年から日本は唐の占領下にあったのである。GHQもしかりだが、占領軍は撤退するまでの歴史を編纂などしない。天災、天然痘、反乱に怯えて出家してしまった聖武天皇が唐のエリートや高僧・鑑真を率いて東大寺盧舎那仏建立を成し遂げたとは俄かに信じ難く、それは唐人GHQが植民地の唐化のために行ったものをそういうことにしただけだ。我々が習っているのは彼らではなく浮遊、混沌に追い込まれたサイドラインの王家が書いた歴史なのだ。それが後に正史となるのは混血で唐人の視点が合金の如く同一化して日本人なるものが形成されていったために、それがもはや合金には見えなくなってしまったからだ。

奈良時代の10年目に編纂された日本書紀には日本(倭)の古記録の他、百済の系譜に連なる諸記録や中国の史書の記述が混入するが、実はそれは混入ではなく合金化で、背後には政治的目的から日本国を既存のものと塗固すると同時に、王族が混血したことで父祖の民族の神話や歴史が自然に合体、融合したためでもあった。歴史学者・久米邦武(1839~1931)が『上宮(じょうぐう)太子実録』(1905年刊)のなかで、「飛鳥・奈良時代に中国に渡った僧侶が、当時、西域(さいいき)をへて中国にまで伝わっていたキリスト教のことを知り、聖書のイエス伝を太子伝に付会したと考えるのは決して荒唐無稽なことではない」と述べているように、聖徳太子の誕生を未知の王族の子が馬屋で誕生した逸話になぞらえた蓋然性が高いとするなら、大陸の王族との混血の事情なしにそれを国史に記す動機を探すのは困難だろう。現に、上皇陛下は2001年に韓国について「桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると続日本紀に記されている」と発言されて混血が事実であることを認めておられるが、むしろ当時の列島と半島には別々な国家という概念がなかったからのご発言であり、「混血」と記すのは後世のバイアスだとお断りするのが真相に忠実なスタンスであろう。

ちなみに歴代8人いた女性天皇のうち6人がこの「流入、混血期」に現れているのは興味深い。これもご参考だが、8年前に訪れた天皇家の菩提寺である泉涌寺の奥の間に掲げられた系図で、びっくりするものを拝見した。それはここに書いてある。

はんなり、まったり京都-泉涌寺編-

以上のことから、「奈良時代までの我が国が独立国家だったか」というと甚だ心もとないと考えざるを得ない。もとより国家なる概念など当時はないからその問いは発する意味がないとすることもできる。その前提に立ちつつ、あえて国家という鋳型を用いてみるなら、権力(ヘゲモニー)を握った者がその地に従来からあった「国家のようなもの」を自らが新たに統治する正統性を確立したことを、それを脅かす者に向けて「独立国家だ」と主張しているに過ぎない。これはたまさかいま起きているウクライナとロシアの関係を想起させる。コサックである前者は厳密にはロシア人ではないが、長期にわたって混血しており、ソ連という同じ屋根の下だった時代もあり、いまはユダヤ系大統領を頂いて民族とはやや乖離したガバナンスを守るべく戦っている(ちなみに「早く降伏しろ」などと言った馬鹿な政治家がいるが、ガバナンスを譲れば敗戦国は人民に至るまで殲滅されても内政干渉できない。無知蒙昧にもほどがある)。

桓武天皇が京都に都をおいてから外憂が緩和され平安の時代となり、史上初めて現代の我々が日本国と意識している国体のようなもの(そんなものは当時はなかったが)ができた。これは名実ともに我が国が独立国家になった日本史上最重要の事件であるが教科書にはそう書かれていない。その原動力は国内ではなく唐の滅亡という外的要因にあったからだが、天皇の万世一系による国体という史観からそうは書けず、仮定の話だが、もしいまロシアが倒れてウクライナが無事であったらゼレンスキーは史書にそうは書かないだろうということだ。しかし「平安時代」が現代日本の始祖だった特殊性は名称にひっそり刻印されている。日本の時代は権力の所在地によって飛鳥、奈良、鎌倉、室町、安土桃山、江戸と呼ばれるのに平安と明治は京都時代、東京時代とは呼ばないのは、その2か所でヘゲモニーの断絶があったからだ。「国家のようなもの」が「国家」になったのが「第1の断絶」であり、平安の時代という陰の認識は大陸からの独立を象徴している。このことが日本人(当時の列島に住んでいた人々)に与えた安堵感、希望は1945年の終戦を迎えた我々の両親世代のそれになぞらえてもそれほど的外れではないだろう。

つまり、その事大性をよく理解しなくては桓武天皇が詔によって新都を「平安京」と命名した意味がわからない。外国の軍勢に攻め滅ぼされたり大化の改新のようにクーデターを起こされたりがない天智天皇系の世になったということだ。つまり、中国でも朝鮮でも日本という国が意識され、日本語が確定し、女性用の仮名文字までできた。それらのことは支配者の空間である朝廷でおき、天皇を中心とした貴族が心の平安を享受し、恋愛を楽しみ、遊ぶ余裕が生まれていた。明日の命の心配がない。朝廷内にいても敵、刺客からの防御を考える時代が終わった安寧。そうでなければ女官がそれらを題材にした小説を書こうなどという文化が生まれるはずがない。つまり、源氏物語が書かれるのと軌を一にして、朝廷では先憂後楽のための先見思考の必要性は薄れていったのである。その貴族の精神風土が日記、説話、紀行文に記述され、後世に伝わる。我々が「平安時代」と認識する原典はそれだけだ。後世が日本文化の成立とそれらを結びつけ、慈しみ、心地良いと思う感性はその過程において非先見思考をもって心の平安、やさしさ、おだやかさとし、そうである人を良しとする日本的精神風土としてじっくりと醸成されてきたのである。このニュアンスは今でも「京ことば」の柔らかな響きとして感じることができる。

b.「第2の断絶」まで

その新たな政権のヘゲモニーは源平の台頭から征夷大将軍(武士)が握るという変質を経ながらも徳川幕府が滅ぶまで続いた。そこで東京時代とは呼べない「第2の断絶」がやってきたのであり、陰の認識はそれを隠しきれずに明治維新、明治時代と呼ぶことにしたのである。司馬遼太郎は鋭敏な嗅覚でその刷新の思考の先進性が断絶前のヘゲモニーと異質なことを嗅ぎ取り、それが推進力となって成し遂げた白人の国への戦勝に至る昂揚を「坂の上の雲」に記した。僕はこの小説が好きだが、司馬がその昂揚はもはや過日のものと昭和後期に回顧した淡い寂寥を何倍にもしてこの部分を書かなくてはいけないのは本旨ではなく、さらに論考を進めるためである。

唐が滅び平安の世になって外憂は去り、源平が出現すると列島内部でのヘゲモニーの奪い合いが700年近く続く。明治に至るまでの武士政権がそれである。安土桃山時代だけを戦国時代とするのはミスリーディングであり、ずっとそうだったのである。なぜならそれは平安京で創造され連綿と継承されてきた非先見思考的な平面のレジーム上のせめぎ合い、同じ盤上のゲームの「武家バージョン」であり、源氏、足利、徳川と政権は変わっても鎌倉幕府・室町幕府・江戸幕府という朝廷を頂点とした「征夷大将軍の名によるガバナンス」で、なんら質的な断絶はないからだ(初代将軍の坂上 田村麻呂が桓武天皇の忠臣であったことがそれを雄弁に物語っていよう)。その唯一の例外が、征夷大将軍にならなかった織田信長である。彼は中国の古典を好んで範とし、新奇なものを好み、宣教師から西欧の知識を学んでリアリスティックな世界観を形成して現状追認の延長線上に敷衍できる天皇、朝廷の枠組みを超越した「天下布武」のヘゲモニー構築をモチベーションとした。すなわち、日本史上類まれなる先見思考型リーダーだったのである。彼の戦法は奇襲とされるが、小よく大を制すための合理性が非先見思考をする大方の日本人にそう見えるだけだ。源氏、足利、徳川にそれはなく、朝廷の官位である関白になった秀吉も、型破りには見えるが彼らと同じ盤上のゲーマーにすぎない。

つまり、信長の不慮の死をもって平安から江戸までの間は同じ非先見思考的な平面のレジームが続いてしまったのであり、地球的規模で考えればそのニッポン的閉鎖空間はなにも徳川280年の鎖国のせいばかりではない。平安時代の始めから明治維新まで1000年ものあいだ日本は精神的に鎖国していたのである。それを破壊して明治維新にもちこんだのは薩長土肥の下級士族だった。彼らは下級であるゆえに既存のレジームは自分の出世には確実に結びつかない無用のアンシャンレジームと見ており、阿片戦争を見て「このままじゃ日本国もやばい」と踏んだことになって美化されているが(もちろんそれもあったが)、むしろフランス革命におけるブルジョアジーに近い位置にあったと僕は考えている。つまり国家の窮状を奇貨としてゲームチェンジャーになる好機ともとらえた。だから阿片戦争での恐れるべき敵、元凶であるはずの阿片売人(英国)を取り込んでバックファイナンス、武器供与を引き出し幕府を倒したのである。先見思考力があったからにほかならない。

c.「第3の断絶」まで

言いたいことは我が国には平安時代から先見思考がなかったことだ。そうであったのに、いま、にわかにそれの欠落が問題と指摘せざるを得ないことになっている。それは地球上の経済、社会活動に革命的な変革が起きたからであり、それは我が国ではたまたま平成時代に当たっていたことは既述した。では具体的に何があったのか。世界のあらゆる物事がデジタル化、IT化し、AIが人間社会を侵食しはじめ、人類の思考回路までデジタルの影響下で変質したのである。さらに追い打ちをかけるように、人間同士の接触を避けたコロナ環境下でリモートの有用性、利便性が認識され、大都会への一極集中はナンセンスという思考が生まれつつある。経済活動も金融も医療も企業の本社機能も分散化(decentralize)され、地理的に政治権力と乖離して成り立つと社会が認識するようになり、そう遠くない先に、目には見えない機能的、非物質的な形で東京時代は終焉を迎えるだろう。

どういうことかというと、リモートワークが常態化して出張もリアル会議もリアル営業も不要になった会社が温暖化を避けて東京本社を札幌に移し、幹部も社員も家賃の安い故郷の地方都市に個人で分散し、サーバーは宇宙に置き、給与は自社コインで銀行を経ずに支払い、社員の健康診断や医療はリモートでロボットが行い、人事・財務・経理・総務・法務・コンプラはAIででき、よって中間管理職の仕事は消える。経費は劇的に減り社員の自由時間は増え、地方都市で東京の給与がもらえるから誰も文句はない。このグローバル版もできる。高い地価や家賃を払って東京に機能を集中すると株主総会で叩かれることが外的推進力になる。役所はなじまないなどと言ってると人が来なくなるから取り入れざるを得なくなり、東京の役目はdecentralizeされ居住人口は半減する。これが「第3の断絶」で私見では2050年ごろにそうなる。どこに分散移住し機能をどう効率的にストラクチャーするかが企業価値に重大な影響を及ぼし株価も左右する。先見思考できない経営者はまったくアウトであり、政治家もしかりである。

そんなさなかにデジタル庁を設立しますと、30年前に先見思考できなかったどころか30年たって10周遅れぐらいになっても気がついていないことを世界に発信する我が国とはいったいなんなのだろう?デジタル庁の助けが必要なのは国民より政府だろう。日本語でスマホを使ってラインやSNSをやる程度がIT化だと思っている政治家、役所、マスコミのITリテラシーの「貧度」は英語力のそれと高い相関係数があるという観察には僕は自信がある。官僚は東大卒だから世間からは英語ができると思われていようが、それは読み書きだけの話であって、聞く話すはとてもだめでそれこそ話にならない。その英語と同じぐらいITにおいてアメリカはおろか中国、台湾、韓国、ひょっとすると北朝鮮にも置き去りにされているはずである。

テスラがトヨタを抜いた理由は何も自動車業界のディファクト争いの勝ち負けにあったばかりではない、国民的にデジタル思考がなく、30年の暗黒時代を無為無策で過ごした上に20年前から勃発したデジタル革命にも完全に乗り遅れた象徴でもある。それをほとんどの日本人が気づいていない。なぜか?そう報じるべきマスコミこそ英語もITも劇的に音痴な業界で、自分ができないことを報道しろと期待する方がのっけから無理なのである。なぜそんなことになっているかというと、政治、役所、マスコミは三つ巴であって、その思考回路は「明治モデル」のままだからだ。明治時代は英語の「聞く話す」は通訳の仕事で、だからそれを養成する外語大がある。キャリア官僚は自分が英語を使わなくてもいい。同様にアートは芸大だがいまだに国立西洋美術館がある。「西洋」を冠しているうちは「明治モデル」(=鹿鳴館)の思考回路ですべてが回っている証拠である。ここまで書けば結論は予測できるだろう。英語とITは彼らの意識の中では自分がやるものではない。「通訳にやらせろ」の明治モデルだから、ITの必要性だって同じ思考回路で処理されており、政治、役所、マスコミのリテラシーが高いはずないのである。

ではなぜ明治モデルから脱却できないのか?答えは簡単である。そう教育されないからだ。なぜされないかというと、教育者が明治モデルによって再生産されるからである。このことに関しては前述のように、「カネもうけはけしからん」、「人生の目標でない」と、かくいう僕も大学卒業まではどちらかというとそちら派であったという事実を噛みしめるしかない。「そちら派」が明治モデルの優等生であり、僕は劣等生だから「どちらかというと」程度で済んでいて、「通訳が」でなく自分で英語を操り、「そちら派」と対極の世界に身を投じた。そのおかげで頭の中で宗教革命が起こり、先見思考型人間に生まれ変わることができた。そして実に幸運なタイミングでやってきたデジタル化という世界史上の大技術革命が金融で第二次革命を起こす「暗号資産(コイン)」なるものに思い切り投資しているという現在がある。指摘しておくが、暗号資産は世界の決済、貯蓄の仕組みに大革命を起こす。これは最早どの国家も止められないから米中は通貨主権、KYCなど表向きは懸念を表明しながら実は取り込みにかかっている。こういうことは大学の先生に聞いても知らないわけで、それと一体である政府はなおさらそうで、日本は金融という生命線で起きている仮想通貨競争でも先進国の中ですでに断トツのビリである。しかし、僕だってそうなってしまう空気は想像することぐらいはできる、なぜなら明治モデルど真ん中の大学にいたからであり、留学もせず学校の先生になっていたら疑問もなく明治モデルで学生を教え、いまごろ「世の中カネじゃない」というブログを書いていたろう。

 

(3)非先見思考は付加価値(おカネ)を生まない時代になる

ここでやっと教育の話になる。先日の日経新聞に「私大、4分の1が慢性赤字」という記事が出たが、文科省はこれに対しどんな策を講じるのだろう。その答えも読者はもうご賢察だろう。そう、明治モデルの優等生として教育された文科省の役人も非先見思考型であり、慢性赤字の原因がそこにあるのだからそれはどう贔屓目に考えても解決せず、人口の減少と軌を一にして大学は数が減るという結末になるだろう。器だけ足したり引いたりしても中身は変わらないからだ。もともと学生が先見思考できるアメリカでは大学は彼らを惹きつけるためにビジネス界と表裏一体で人が行き来しており、学生はもちろん教授がベンチャーを起業しているなど日常茶飯事だ(ノーベル物理学賞の中村修二先生もそう)。それができない干からびた学問を武士は食わねど高楊枝みたいな先生が教える大学に高い学費を払って学生が集まるとすれば、それは学問ではなく宗教と呼ぶべきであろう。大学の権威で学生が来ると思っているのが明治モデルの特徴だが、日本でも優秀な学生はもうそれでは自己実現どころか食えないことを見ぬいており、権威の権化であるキャリア官僚ですら志願者が減っている。どこからこのままで大学が生き残れるという結論が導かれるのだろう。

非先見思考型(現状追認型)教育は何が悪い?と言う明治モデル優等生の人にはシンプルな質問をしよう。

明るくない現状を学んでどうしてカネが稼げるのだろう?

カネ?それは学問の目ざすべきものではないだろう。すべての学問は意味があるから存在しているし、少数ではあっても学ぶ人がいて欲しいとも思う。しかし、人間は霞を食って生きられるわけではない。無欲の人だけが公職につくわけでもない。ここで言うカネは生命維持をあがなう最低限のライフラインではなく、努力して勉強して良い教育を求めるのは良い暮らし、良い人生、プライドのためだろうという文脈において、それらを満足できるレベルであがなうための資金調達という意味で僕は「カネを稼ぐ」という表現を使っている。それを得たいと思うのは、多くの人にとって、自然なことだろう。そして、強い国は少数の学者でなく、多くの人が作って支えるのだ。もう一度だけくりかえす。「加工貿易で国富を増やす」モデルは灰燼と帰し、これは非可逆的であり、奇跡の回復は絶対にない。したがって加工貿易時代の現状追認型ビジネスモデルが利益成長を生むことはもうない。ということはそれに適した明治モデルの教育で全優を取ってもそれに費やす時間と努力に値する報酬はもはや得られず、優秀な学生ほど先見思考型教育を求める時代にすでに突入していることを意味する。

では、その報酬を得るためにはどこで何を学べばいいのか?この問いに、ビル・ゲイツは四半世紀も前のダヴォス会議で明確に答えている(ご興味あれば上掲ブログに書いてある)。1997年は平成9年だからまだ世界史上の大技術革命が起こる前であり、先見思考型のゲイツはそれを的確に予測していたということであり、それができるから事業に成功して大金持ちになったのであり、その時点で日本が国を挙げてそれに耳を貸していればまだ光明を失わない余地はあった。若者が夢のない国とこぼすようなことはなかった。ビル・ゲイツがそこまで先見性ある人物であることを当時は誰も知らなかっただろう。僕もそうだった。ただ、同じ1955年生まれの彼の言葉にいささか刺激を受け、同行されたK常務と「そうなるかも、ならないと日本はやばいかも」と未来ビジョンを延々と語り合ったのは覚えている。

そういうこととは無縁である明治モデル教育を受けて社会に出た平成時代卒業生がもう50代になって企業の中枢にいる。そんな企業が世界で勝てないのは自明の理なのをご賢察いただけようか。ベンチャーもお寒い。数はあるにはあるがNASDAQでユニコーン(時価総額10億ドル)になれそうなのは見たことがない。アイデアに光るものはあってもグローバルに経営する視点がない。要は英語力もないし無国籍ビジネスという思考ベースもない。そんなことでユニコーンになれるほど世界のコンペは甘くないのである。そもそも自分でベンチャーを起業して大企業に数百億円で売却できる中村先生のような教授がひとりもいないのに学生はそれができるようになる秘法でも日本の大学にはあるのだろうか?そんなものがあるはずないことは世界のビジネス界の常識だ。そしてそれを知らないのが日本の大学の特色なのである。だからソナーは海外の会社ばかりに投資してるのだ。国賊なのではない、ないものは買いようがないのである。

というわけで、学生は将来なにで飯を食おうか考える。おおいに迷う。男子は食えなければ結婚すらできない時代だから一種のライフラインのレベルの話でもあって、迷って当然だと書いてもそう反論はなかろう。私大の志願者が減っているのは少子化のせいとするのは陳腐な言い訳だ。そんなのは始まって久しいからだ。そうではない喫緊の理由があるはずであり、それはその大学を卒業しても将来飯が食えないと受験生が判断しているということに他ならないのである。それでも受験してくれる現状追認型の学生は労働力(フォロワー)としては必要だが、そもそもビジネスにならないことに詳しくてリーダーになれる国は世界のどこにもない。教養が大事などと言ってる余裕はない企業もそういう採用をするようになるだろう。

 

(4)forward-thinker(先見思考型人間)になる方法

ではキーとなるforward-thinking(先見思考)とはなにか、それを説明しよう。シンプルに言えば「明日世界がどうなっているか考える」ことだ。そんなこと誰が分かる?そう思うのが典型的日本人だ。分からない。だから考えない。何か起きてしまうかもしれない。その場合は起きてからじっくり調査しよう。その結果を見てみんなで考えればいい。そして待つんだ、台風一過を!

皆さん、この10年に起きた事を思い出されればいい、福島原発事故、各所で起きた豪雨・土砂災害、そして何より政府のコロナ対策。みんなそれだ。行き当たりばったりで、起きてから右往左往する。国民向けには「専門家」なるあまり専門知識があるとも思えない面々がテレビでああでもないこうでもないと井戸端会議をやる。いずれにせよ、それで何も解決しないのだからその知識や蘊蓄を知っても何にもならない。

先見思考の人にとってテレビ番組で役に立つものはない。なぜなら報道は「過去~現状」を伝えるだけで、明日の話は天気予報だけだ。リーダーになったりカネを稼がせてくれるのは明日を洞察するインテリジェンスであるが、それはかけらもない。非先見思考型教育はそれに非常に近いものなのだ。どうしてそうなっているかというと、ここにも根深い理由がある。明日の洞察は「ドタ勘」でするわけではない。論理的根拠に基づいた「仮説」を立ててするのである。格好をつけてそれを「モデル化」などと呼ぶことがあるが名前はどうでもいい、大事なのは、論理的根拠を探すにはある程度の数学が必要ということだ。線形代数だベクトルだ微積だ確率論だ、はたまたそのどれが必須だというのではない、そういうものをじっくりやった人だけが持っていて、話すとお互いに「やった人だね」とわかる数学的思考力が必須なのだ。

 

(5)平安時代の教育はやめろ

そう思って若い人のために、2017年にこのブログを書いた。

理系の増員なくして日本は滅ぶ

ズバリ言うが数学なき文系という超日本的なジャンル分けは学生のためにならないからやめろという趣旨である。”文系” とはいかにも平安時代的な、清少納言の「理屈、理論、原理なんで面倒くさくて冷たくて堅苦しいこと口にする男は大っ嫌いよ」的な精神風土に親和性のあるコンセプトだ。文系科目が不要というわけではない。理屈、理論、原理を理解し、それを根拠に推論するベーシックな回路を頭に構築しないと「明日世界がどうなっているか考える」ことなどできるはずがないと当たり前のことを言っているだけだ。どういう経緯かは知らないが、早稲田の政経学部が2021年の入試から数学を必修科目にしたと聞く。受験者は減るだろうから英断と思うが、この時代に「教育の品質」を守るためには必然の策だろう。マル経、近経を教えることは今どきは非先見思考型ですらなく、「何時代の学問か?」というのが世界史の設問になるだろう。北京大学の子に聞いたらマル経はありますが哲学科ですねと笑われた。僕がいかに学問する価値、教養の涵養が重要と説いてきたかは以前からの読者の皆さんはご存じだが、しかし、何経済学であろうと結構だが、目下の激しい円安をモデル化によって先見できるエコノミクスとできないエコノミクスを並べられれば、学生はどちらを履修したいと望むだろうか?ということではないか。

そういう観点から断言するが、高校数学もできない学生がそもそもエコノミクスをやるなんてアメリカのトップスクールではジョークだ。数学は計算問題を解くのがうまいへたを決する科目ではなく(僕はヘタだ。そういうのはパソコンやソロバン名人にまかせたい)、論理的思考に強い弱いを決定的にする、つまり人生航路の有利不利に大きく関わる学科である。なぜなら、くりかえすが、未来予測はモデル化という数学的思考が必須だからである。これからの時代はそれが価値を生み出す。それが当たるか外れるが問題なのではない、そういうアタマがないとそもそも社内会議にすらついていけない世の中になるのである。現状追認科目を丸暗記だけしてロジックに弱い人は、AIに真っ先に淘汰されるか、下請け作業をするだけの人材になる。そこからテスラは生まれないだろうし、そうした教育であれば高校までで十分可能であり、大学でやる必要さえないと思う。

 

(6)GAFA創業者たちの教訓

もう少し若い人に分かりやすく書こう。今流に言うなら、求められるのはどんなタイプの人か?インフルエンサー、キュレーター、クリエーターの3種類だ。それがforward-thinkerに近いと考えていい。いくらでも情報があるネットで他人と同じようなことを言っても面白くも何ともなく、フォロワーの数は増えない。同様に事業だって、人と同じようなことをやっても成功しないからだ。すなわち現状追認型はすべからくダメなのである。イーロン・マスクはまさに3種類どれもに当てはまる資質の人物であり、仮にyoutuberになれば世界中の若者が熱狂するだろう。そうなった場合の膨大な数のフォロワーがテスラの顧客であり株主だという感じで把握すればいいから別に難しいことではない。ただ、単なるyoutuberとGAFAの創業者たちが違うのは、彼らは異口同音にこれからの経営者が学ぶべき学問は数学と哲学だと数年前のダヴォス会議で述べていることだ。その両方がforward-thinking(先見思考)にとって必須科目であり、その十分な修得こそがリーダー(経営者)の条件だと言い換えればおおまかな想像がつくのではないだろうか。そして、会社において、どんなにクイズや雑学に強かろうと、計算が速かろうと、おべっかがうまかろうと、これからそれができない人がなれるのはフォロワー(一般社員)だけである。

GAFA創業者はみな米国の大学で学んでいる。元々forward-thinkerだった彼らが学びたいという教育を施せる教授がそこにはいたからだろうし、ゲイツのハーバード、マスクのスタンフォード退学はそうではなかったからだろう。そうなれば大学の評判まで落ちるから米国の大学教授はPublish or Perish(論文を書け、さもなくば辞めろ)という熾烈な環境で競争させられ、学期が終わると(僕もしたが)、学校は学生に「この先生はいかがでしたか?」と人気投票させる。サボる先生に容赦はない。しかし日本の大学教授にそんな試練はない。そのぬるま湯ゆえに「先見思考のカルチャーがない、教育者がいない、人材が育たない」を放置し続け、世界のビジネス環境が激変しているにもかかわらず現状追認型から一向に変化の兆しがないまま30年たってしまったというのが日本沈没の、表に出ないバックヤードだったのである。ビジネスとして赤字の私大が続出する時代にこれから突入していくのは物の道理だろう。

forward-thinkerが新たな需要・産業・商品を生み、ベンチャーを起業しまたは既存企業を経営しなければ経済は成長しない。主役は企業以外にない。これは日本を除く世界の常識で、あえて書くのも馬鹿らしい。明治時代ではあるまいし政府や役所が成長政策のペーパーを何百枚書いても、自分のカネでリスクを取ってそれをしてくれる人がいなければ何も起きない。だからこれからの大学は優秀な役人ばかりではなく先見思考型の企業家の育成に寄与する教育を求められる。ということはそこで教える教授陣が論理思考に強いforward-thinkerでなくてはそもそも話にも何にもならないのである。これからは大学を志望するのでなく、あの先生に習いたいからそこを受験するという時代に確実になるだろう。

 

(ご参考)

ドルが急騰!(日銀が指し値オペ予告)

株式道場-未来を原理思考しない日本人-

日本は「反知性主義」によって戦争に負けた

ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。

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