ハイドンと『パルメニデスの有』
2025 JAN 20 16:16:20 pm by 東 賢太郎
ハイドンが40才で作曲した太陽四重奏曲Op.20を鑑賞したのは、2005年に買ったウルブリヒ弦楽四重奏団のCDで目覚めてからです。シューベルトやモーツァルトが亡くなった年をこえて完成されている作品にそうなってしまったのはなぜか。理由は3つあります。①ジャンルでカウントするので作品番号20が若書きに見えた➁曲名が意味不明(出版時の表紙に太陽の絵があっただけ)③シュトルム・ウント・ドラング期という解説が不勉強で意味不明。
ということで、要は「高級品」に見えず食わず嫌いしていたのです。そんな曲を長時間かけてきく意味を感じませんし、レコード屋でなけなしの金で何を買おうかとなって、並み居る高級品の中でそう思えない2枚組を選ぶことは50才になるまで一度もなかった、そういうことです。僕において高級とは希少性や値段の意味ではありません。英語ではluxury, premium, high-endなどですが、やっぱりどれでもない。高級の「級」は段階、「高」は比較で、それは受け取る人間が判定します。同じワインを飲んでどう思うかは十人十色で、皆さんが「赤い」と思っている色彩もそうであることがわかっています。つまり、判定している対象物は「あるがまま」で一個ですが、している人間が十人十色なのです。
この「ある」(有る)を突き詰めた思想家がパルメニデス(BC515/10〜450/45頃以降)です。大学で最も難解だった授業というと、哲学の井上忠先生による『パルメニデスの有』に関する講義をおいてありません。これが日本語と思えぬほどまったくわからない。ソクラテス以前の思想が理解できないショックは駒場のクラス全員が少なからず共有したのではないでしょうか。なんでこんなわけわからんものをと思いましたが、あれはたぶん思考訓練だったんですね。叙事詩の解釈が哲学になり、完全なものは球体をしているなんて宇宙的な命題が忽然と表明される。そういう講義は寝るんですが、先生の訥々とした話しでシュールな時間が流れ、打算なくそれに浸るのが教養だという贅沢感を噛みしめました。はっきりいって講義内容はほとんど理解しませんでしたが哲学は面白そうだという直感と、ギリシャ行きてえなあという夢が沸き起こりました。10年後に真夏のパルテノン神殿に立った時の心の底から噴き出す歓びは昨日のことのように覚えてます。
無知を悟り、これを端緒に哲学をかじり、「有るは認識」の理解に至ります。アリストテレスの『形而上学』につながること、言語が与える思考の呪縛は現代でも世界を支配しているという理解は生きる上で有益でした。感覚よりも理性(ロゴス)を優先する理性主義もロゴス=言語ですから明快に定義された言語によって進められるべきで、古代ギリシャの政治がそうだったし現代もディベートが基本でない国は西洋にありません。G7国だと自慢するならそれなしに民主主義などあり得ないわけで、言語で政策も語れない総理大臣が選ばれる日本とは何なのか、非常に示唆に富みます。ご興味ある方は先生の学位論文要旨をどうぞ。
http://gakui.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/gazo.cgi?no=213152
ワインはパーカーの点数が高ければ誰にもおいしいわけではないです。十人十色では収拾がつかないので多数派がいいね!と言うと「おいしい」というタグを貼るのです。それが「級」で、いいね!が六人より七人が上、これが「高」です。両方合わさって「高級」。レコード屋でなけなしの金で買う最低基準より上のクオリティの音楽。これが僕の「高級な音楽」の定義で、太陽四重奏曲は3つの誤解で「不合格」にしたという失敗例をお示ししました。クラシックといってもベートーベンすらまったく感動できない作品はあるし、人間だから性の合わない作曲家もあるし、そういう曲を僕がブログに書く意味がありません。「名曲名盤おすすめ」みたいな本がありますが、本になるほどたくさんのおすすめ曲がある人は「合格点のバーが低い」わけで、クラシックという嗜好品でそれとなると太陽の絵で楽譜を買う人向けということになりましょう。
LP、CDの音源を所有する楽曲のカードは家に約300枚あります。感動できない作品、性の合わない作曲家の作品もあるとはいえpetrucci等で楽譜も調べて耳と目で楽曲をそこそこ記憶しております。ここまで行くと消費した時間もそれなりで、本業には微塵も関係ないのに人生をかけてしまったホビーでした。それでもブログに残したいのは旅行記のようなものだからです。面白いという方がおられればそれはそれですが99%は自己満足です。元気ならば半分の150曲ぐらい、深く書きたいのはもう半分の7~80曲程度でしょうか。僕はプラトンのイデア論の信奉者ですから感動の根源は100%楽曲にあると考える主義で、つまらない曲だって何度も聴けばわかるという経験論は否定します。パルメニデスの説くとおり「無が有ることはない」のです。
演奏なしでは楽曲は認識できませんが、ストヴィンスキーが述べたとおり「鐘は突けば鳴る」で、正確にリアライズすれば感動できるように楽曲はできています。だから演奏はよほど酷くなければ良し。毎日ピアノに向かってシューベルトとラヴェルを弾きますが、そんなレベルでも感動。そうなるように音を組成する作業がコンポジション(「一緒に置く」「組み立てる」が原意)で、どっちも指が感じる「いい所に音を置いてるなあ・・」という匠の技への感動なのです。あらゆる芸術家の中で作曲家と建築家はエンジニアであるというのが僕の持論です。エンジニアは理系です。モーツァルトはひらめき型の天才ではありますが、ベースとなった能力は卓越したエンジニア的学習能力で、3才で精巧な大型プラモデルの設計図を読み解いてあっという間に組み立ててしまう類いの神童であり、それが魔笛やレクイエムを生んだわけではありませんが、それがなければあの高みまでは至らなかったでしょう。「可愛らしいロココのモーツァルト」的な表現は僕からは千年たっても出ません。あっても一時の装いで彼の作曲の本質に些かの関係もありません。
フランツ・ヨーゼフ・ハイドン(1732 – 1809)が18世紀後半にかけてシュトルム・ウント・ドラング期を生きた人であるのは事実です。絶対王政時代のバロック音楽(厳格なポリフォ二ー音楽)を脱した旋律+伴奏の「ギャラント様式」(ホモフォニー音楽)の装飾や走句を多用する明るく明快な音楽がフランスに現れますが、羽目をはずさない均整の取れた音楽であり、そうではなく、主観的、感情的スパイスを加えて気分の急激な変化や対立を盛り込もうという「多感様式」のホモフォニー音楽が北ドイツに現れます。これが同時期にドイツ文学に出現した概念を援用してシュトルム・ウント・ドラングとも呼ばれるものです。代表格とされる作曲家は大バッハの次男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-1788、以下C.P.E.バッハ)です。ウィーン少年合唱団員だったハイドンは音楽理論と作曲の体系的な訓練を受けておらず独学でしたが、名著で知られるフックスの『グラドゥス・アド・パルナッスム』の対位法と、後に重要な影響を受けたと認めるC.P.E.バッハの作品を研究したことが知られています。
独学をベースに古典派を形成して弦楽四重奏、交響曲で「父」の称号が与えられるハイドンのエンジニアリング能力も驚くべきですが、「音楽家は自分自身が感動しなければ、他人を感動させることはできない」と主張したC.P.E.バッハの影響下でソナタに短調楽章やフーガを入れるなど「多感様式」の特徴を取り入れた音楽を書いたのも事実です。問題はそれを1770年代後半の文学運動に対する語に当てはめて呼ぶかどうか、それに何か看過できぬ理由や鑑賞への利益があるかどうかというだけです。C.P.E.バッハの影響はモーツァルトにもあることから、私見は否定的です。明白な痕跡として、1753年作曲の6つのクラヴィーア・ソナタより第6番ヘ短調(Wq.63-6)の第1楽章をお聴きください。
ピアノ協奏曲第20番K.466第2楽章で激しい短調になる中間部に現れる印象的な和声進行が聴きとれます。ソナタに短調楽章やフーガを入れるばかりかC.P.E.バッハを1785年に引用までしてるのですから、外形的には「モーツァルトはシュトルム・ウント・ドラングの作曲家だ」と主張しても誤りではないですが、少なくともそうレッテルを張る人を知りませんから同じ外形のハイドンだけにそう主張する根拠もありません。モーツァルトはハイドンを模したとされますが、K.466の例はハイドン経由でなくC.P.E.バッハの直輸入です。
二人は親子ほどの年齢差があるという反論がありそうですが、彼にはハイドンより13才年上の図抜けて有能な父親というマネージャーがいたため著名作曲家の楽譜へのアクセス環境は劣らず、息子の学習能力はこれまた図抜けていたのです(父子で当たり前のように交わしていた他人の楽譜の品評が書簡集で確認できます)。ハイドンは温和な性格でモーツァルトと友好関係にあったことは、一緒に四重奏を演奏し、その勧めでフリーメ―ソンに入るなどから事実でしょう。しかし弟子にしたイグナス・プレイエルほどのメンターシップを見せるまでではなく(そこはレオポルドへの配慮かもしれませんが)、仲は良くとも能力が拮抗したエンジニア同士ですから、テスラとエジソンではありませんが、二人はC.P.E.バッハの様式の導入においてライバル関係にもあったと考えるのは不自然でないでしょう。
ハイドンは1768年~1773年頃にシュトルム・ウント・ドラング期とされる特徴をそなえた楽曲を多作します(交響曲第26~65番、太陽四重奏曲を含む)。それが12~18才のモーツァルトの研究対象となったことは間違いありませんが、なぜハイドンが舵を切ったかは諸説あります。最も信頼できるのは1776年の自伝にある以下の言葉です。
私は(エステルハージ侯爵の)承認を得て、オーケストラの楽長として、実験を行うことができた。つまり、何が効果を高め、何がそれを弱めるかを観察し、それによって改良し、付け加え、削除し、冒険することができた。
この発言、とりわけ「実験」(Experimenten)という言葉ほど、彼が(作曲家がと言ってもいい)エンジニアで理系の資質の人であるという僕の主張を裏付けるものはありません。こういう人の行動や事跡をあらゆる文系的な要素だけを取り出して解釈するのは、はっきり書きますが間違いです(僕もそういう人間なので)。彼はウィーン合唱団時代からC.P.E.バッハを研究して影響があったことを認めていますが、自分はさらに冒険したのだ、世間から孤立した私には、自分を疑わせたり、困らせたりする人が近くにいなかったので、私はオリジナルになることを余儀なくされた、と断言している孤高の人なのです。その意味で、モーツァルトも同様です。唯一ちがうのは、彼は大バッハ、その息子たち、ヘンデル、ハイドン以外の作曲家は父も含めて歯牙にもかけずオリジナルになったことです。後世の学者を含めた普通の人が想像する世の中の風潮、他愛ない流行、良好とされる人間関係、思慕の念の如きものを僕は一切排除してザッハリヒに物を見ます。才能が才能を知る。「あるもの(有/在、ト・エオン)はあり、あらぬもの(非有/不在、ト・メー・エオン)はあらぬ」(パルメニデス)。
ADHDだアスペルガー症候群だという病気
2025 JAN 4 19:19:23 pm by 東 賢太郎
机の両脇の盛大な本の山は何年もそのままです。ついに60代最後の大晦日だ、やるか、と一念奮起して大掃除していると底の方から買ったことも忘れてる一冊を発掘。めくってみるとこれがとても面白く、掃除を忘れます。日本マイクロソフト元社長の成毛眞氏の著書で、ご自身がADHD(注意欠如多動症)だという数々の体験を書かれており、さらに読み進むと「大掃除で出てきた本を読みふけって掃除を忘れる」とあって、なるほどと台所におりていき妻に見せると「だから言ってるじゃないの」と5秒でおわり。歯に衣着せぬ従妹にそう話すと「ケンちゃん、あなたはいいけどね、奥さんがいちばん大変なのよ」と説教され、そういえば本人には「私でなければあなた3回は離婚されてるわよ」と諭されてる。成毛氏も奥様は免疫ができていて助かると書いておられる。そう思ってこの本を5年前に買い、持ち帰ると忘れて山に埋もれてしまったものと思われます。
たしかに同書は「あるある」だらけで、例えば「忘れ物やなくし物」の常習犯で、高校で野球のネットの鉄柱を電車に忘れてきて過激派と思われつかまりかけたし、メガネは東京とロンドンと北京で計3つ紛失しており、傘の柄には娘に猫印をつけられてます。「机や部屋が汚い」のに物を置く時の1度の角度のズレには厳格。「興味のないことはすぐ飽きる」はそれ以前にいたしません。好いた惚れたと心の行間を読む純文学は退屈極まりなく学生時代に読みふけったのは推理小説と哲学書。「思い立ったら即行動」は顕著で、成毛氏の「妻も衝動買い」はご同慶のいたりです。「自分の話ばかりしてしまう」のは常。空気読まない。他人の言うこときかず、仕事で怒鳴っても翌日あっけらかん。会社で権力を持ってしまって助長された所もありますが、まあ元から持ってないとそうはなりませんね。しかし、発達障害はしっくりこず妻に「だって俺は言葉や数字は一番の子だったよ、しかも証券業やったんだよ証券業、対人関係で困る人なわけないだろ」といってます。
何が違うのか知りませんがアスペルガー症候群というのもあります。こっちの特徴を見ると「興味や活動の偏り」は大いにあり、「不器用、字が下手、器械運動だめ」もあり、「失敗することを極端に恐れる」は真逆なれど「ゲームに負ける、他人に誤りを指摘される」は嫌いで、だから独学に徹したかもしれません。「言葉を文字通り解釈する」、これはありますねえ、言葉は僕にとってそういうもんで英語の方がピタッときて心地よい場合がママあって京都言葉は異国語。注意深く吟味して発した言葉を相手が分かってなかったことが数秒後にわかるとそれだけでその話は打ち切ります。しかし「ルール化する」、「非言語コミュニケーションが不得意」、「臨機応変な対応が苦手」、「同じような動作を繰り返す」は全然ないですね。
こうしてちゃんと育って70にもなっちまうんだから何でもいいんですが、僕は 人生、特に成功とも失敗とも思ってません。成功者の成毛氏が「武器である」と積極評価されるのはコンプレックスになっている人に力を与えて良いことだと思いますが僕の場合は良かろうが悪かろうが personality なんだからどうしようもないんですね、僕のことが嫌いならそうですかで即おわりで、どう暖かく見守ってもらっても「みんなで仲良く」の日本社会では損です。だから生活に支障が出る方もおられるだろうし場合によっては救済も必要で、医学的に障害としないと行政が保護できないことは理解します。しかし医師でもない人が言いたがるのは、色覚障害もまさにそうで人間の悲しいサガというか、見ているこっちがこの人はそこまで恵まれてないのかと気の毒になる現象でもあります。もし言われて不安になっている方がおられれば一笑に付してくださいね。あなたが世界でオンリーワンの存在なことは神様が「そうだよ」と認めてくれますし、もしお会いすれば僕が自己肯定できるようにしてさしあげます。
その逆に、織田信長、アインシュタイン、モーツァルトも「それ」だったと騒ぐのはこれまた甚だしくインテリジェンスに欠けますね。モーツァルトがそれだったとしても、だからって名曲が書けるわけないでしょ。天才もいる資質なんだと言いたいなら犯罪者もいるかもしれません。つまり世の中のためには一文の価値もない駄説です。ワーグナーの楽劇のスコアを見たことのある方、あの分量は他人の楽譜を機械的に書き写してもそれで一生終わっちゃうぐらいで、つまりあんな質量とも人知を超えたアウトプットができる人たちはそんな些末な議論はブチ越えています。「でも、それADHD、アスペなんです」なんて軽いタッチで言えちゃう人は「あの芸能人、実は “アレ” だった!」みたいな下世話なネタ好きが本性で、悪いけどそっちのほうがよっぽど病気なんです。医者ではありませんが僕はベートーベンはパニック障害という稿を書きました。それは彼の特定の作品についての仮説であって作曲能力のことではなく、なぜそう思うかは帰納法的に経験的論拠を付してます。そう考えることで僕はエロイカやピアノソナタ第28番の凄さをより深く味わえる体験をしたので、そういう人も広い世界にはおられるだろうと信じるからです。
「極端に変わってる人こそ活躍できる時代がやってきた」と本の帯にありますが、日本は万人に同質性が求められるからそれは大多数と同義で、それがぜんぶ活躍してハッピーだったなんてことは人類史上一度もありません。活躍した人は実はみんな異質でしたが歴史が同質的に描いてるだけです。時代にも人種にも関わらず図抜けて活躍する人は0.1%もいないので大多数の普通の人の目には「極端に変わってる人」に見えるだけのことであり、今も昔も、たぶん石器時代でも、そういう人が権力も資産も握って子孫繁栄もするのが人間社会の根源的な姿だから活躍したにきまってます。だから「極端に変わってる人」だからこそ活躍できる根源と程遠い社会などできるわけないし誰も望んでないし、常識的だけど能力は図抜けてる人がいちばん安全で有利であることは今後も変わらないでしょう。実につまらない結論ですが。
学校で学んだことでなお残っているもの (3)
2024 DEC 29 9:09:30 am by 東 賢太郎
どうして鉄の匂いが好きなんだろう?
そう考えだしたのは小学校のクラスにそういう子はひとりもいなかったからです。みんなと姿かたちが違うというのはありましたが、鉄についてはもう劇的にメガトン級に違うわけで、そういう人たちと何をして遊べばいいのかわからずなかなか仲間にはいれませんでした。
沸点1535°の「鉄の匂い」を知る人はあまりいないでしょう。嗅いだのは小田急線が登戸から和泉多摩川駅に向けて速度を落とす下り坂でブレーキ(鉄)と車輪(鉄)がキイキイ悲鳴を上げて擦りあい、摩擦熱で溶解した部分が台車から夜陰に向けてオレンジ色の花火のごとく散りばめられた時です。細かなものは鉄粉となり錆びて線路の砂利を赤く染めます(これは火星の色ですね)。何台も通るのをしぶとく待ち受けていると時に大きめのがポトンと踏切の線路わきに落ちます。ここぞとばかりそれを拾って箱に入れた時にのみ匂いは仄かに感知できるのです。楕円形で薄い煎餅ぐらいの大きさで淵は指が切れるぐらい鋭いイガイガがあり、表面は艶やかな銀色です。光があたると虹色に輝くのが美しく、誇らしげに親に見せたらお前何やってんだと大変な騒ぎになりました。この鋳鉄制輪子による踏面ブレーキが廃止されて機会は消滅しましたが、電車の車輪と線路にどうしようもない衝動的関心をもっており、将来の夢は鉄道会社に入って保線の仕事について毎日線路を調べることでした。
鼻血が出たときの血が同じ匂いであることに気づいたのはのちになってです。父から酸素を運ぶヘモグロビンは鉄を含んでおり、血は鉄の赤色素で赤いと教わりましたが、さらに中学ぐらいになって、重金属元素Fe=鉄は地球上では生成されないことを知ったのは青天の霹靂でした。ということは、恒星が一生の最後に超新星爆発し、宇宙空間にばらまかれた鉄で我々の身体はできているということを意味するからです。いま振り返ると、その思考方法はいっぱしに論理的です。それは思いついたものではなく間違いなく教わったものでしたが、残念ながら学校ではなく推理小説(特にヴァン・ダインとエラリー・クイーン)からでした。そこから以下のことが推理されてきます。我々は両親から生まれましたが、元素としての母体は宇宙の誕生(137億年前)から地球の誕生(46億年前)までに死んだ恒星の残骸です。鉄は地球の最大の素材でもあって総重量の約30%も占めます。人類が誕生したのはおよそ500万年前のアフリカですが、地球はその時点ですでに45億9500万年も存在しており、鉄を供給した恒星(一般に何億年も生きる)の一生は少なくとも1ラウンド終わってます。地球の時間のおしりのたった0.1%しか生きてない我々の存在は本当に1ラウンド目なのでしょうか?
そんなのはSFネタだと笑う人は少なくともエラリー・クイーンのたてる大胆な推論と論理的な解決に快感を覚えたことのない人でしょう。では、火星の大気にはキセノン129という人工的な核分裂によってのみ発生する同位体が含まれており、自然に存在するウランの0.72パーセントしかないウラン235の放射線量が多い地域も2か所あるという事実をどう説明するのでしょう?人工的な核分裂というなら何者かが火星で核爆発をおこしていなくてはなりません。宇宙規模では隣の庭のような火星でそれがおき、現人類は誰も知らないのはなぜでしょう?その何者かが核によって絶滅した可能性を否定するにはその痕跡がないことを示す必要がありますが、悪魔の証明は困難です。NASAは沈黙しますが火星移住に実現可能性を示す明確な根拠がなければイーロン・マスクは計画しないでしょう。彼は斯界の最先端の科学者たちからヒアリングした結果としてこの世界が仮想空間でない確率は「数10億分の1」と語り、「シミュレーション仮説」(我々はコンピューター・シミュレーションの中で生きているとする説)の信奉者であることを明らかにしています。僕は科学者に話は聞いてませんが直感的なその信奉者です。なぜなら、未だ謎である「 “物質” と “生命体”との接合点」の問題を解く必要がなくなり、なにより、シンプルにイメージできます。何事も真実はシンプルだと思っているからです。
イーロン・マスクが正しいならば、地球上の生命は昔の理科の教科書にあったオパーリン説のように雷で誕生したのでもどこかの惑星や彗星から飛来したのでもなく、シミュレーション・プログラムを書いた者、すなわち創造主(または神、またはAI)の “作品” なのであり、そうである確率は(数10億-1)/ 数10億だからほぼ100%です。火星を舞台にしていた前のラウンド(ゲームソフト)は飽きられて “核戦争ボタン” によってデリートされ(リアルなゲームなのでちゃんとキセノン129とウラン235が発生)、新しいラウンドが今度は地球を舞台に始まっている。我々人類はスーパーマリオの登場人物のような80億個のキャラクターであって、ゲーム内の世界(我々が観測できている宇宙)は認識していますが、我々に認識できない場所からスクリーンで見ている者が我々のすべての行為、行動を操作しています。そんな馬鹿なと思われましょうが、その仮説と矛盾しない結果が1983年に米国の脳科学者ベンジャミン・リベットが行った実験により得られています。人間は何らかの行為をする0.5秒前に脳が筋肉に電気信号を送る準備をし、0.35秒前に行為をする意図に気づき、0.15秒前に行為をしようと思い、0.05秒前に行為を指示する電気信号が脳から筋肉に送られ、0時点で行為が起きることが実証されたからです。つまり、我々は自らの自由意志でその行為をしたと思っていますが、実はそうではありません。皆さんがスーパーマリオで遊ぶときマリオを動かそうとリモコンボタンを押しますが、押すのが常に先ですからマリオの意思決定を測定すればリベット実験の結果が得られます。
この実験を自由意志の否定と解釈するなら哲学者には大問題です。「人間は考える葦である」(パスカル)なる思想は自由意志の存在が人間の究極のよりどころと仮定して成り立ちます。人類史上もっとも疑り深かったと僕が考えている人物はフランス人のルネ・デカルト(1596 – 1650)であります。彼は見えているもの全部を積極的に疑いまくって、最後に残ったものだけを真実と認めました。そのひとつが「我思う、ゆえに我あり」です。「我」が誰かに「思わせられている」なら「我あり」は否定されます。すなわち、絶対普遍の論理的帰結として、自分は存在しないことになってしまう。哲学が素晴らしいのはこういうところで、数学だとX=1が解答としてそれそのものは何の意味も持ちませんが「我思う、ゆえに我あり」は誰もがわかることです。僕は哲学書を読み込む訓練をしておらず浅学の誤解があるかもしれませんが、命題はロジカルなのでわかってしまう。問題はそこに至る論拠ですが、デカルトは心(精神)と体(延長)は別物としながら両者は相互作用があると心身合一の次元を認めて矛盾します。数学だとここでアウトですが定義領域が数字より広い言語を素材とするのでそうならないのが違いという理解をしています。
現代人にとって大事なのは彼が導いた解答の正誤ではなく、論理こそ神の真理に至る唯一の道という方法論への絶対的な帰依です。これなくしてその後の科学の発展はなく、彼が考案したx軸、y軸の「デカルト座標」なくして我々が中学で学ぶ数学はなく、演繹法という論理が導く結論に対しては権力者がどんな大声で怒鳴ろうが脅そうが、静かにQ.E.D.(証明終了)である。これは帰依というより思想なのではないかという疑問はとても深いもので僕に語る資格はありませんが、少なくともそれなくして数学の問題は絶対に解けません。解けなくても生きてはいけますが、こと知識人である条件としてはその方法論への絶対的な帰依の有無は人間と猿の境界線のようなものです。
当時の人類でこの重みを知る人はほぼ皆無で、重みは教会で聖書や賛美歌にきく神の言葉だけにありました。そこで語る神官の頭に往々にして宿っている混濁、誤謬、邪念などが混入し真理には程遠い。よって神まで存在証明Q.E.D.の対象としたデカルトの「疑わしいものは排除」する精神は現代流にいうなら「文系的なもの」は真理の追及には無意味として除去であり、超理系的な彼は歴史学・文献学なども哲学界の先人の業績も一顧だにしていません。批判されましたがそれは論理というものが論理的でない人間には妙に見え、それに帰依した人物をまだ見たことがなかったということでしょう。
僕はデカルトの哲学は論理を「美しい」と感じる「美学」の裏返しと想像しています。ここだけは論理でなく、きれいな景色を美しいと感じ、そうでないなら感じないという何らエモーションのない空気のようなもので、いわゆるアプリオリな性質です。僕も受験勉強で論理(数学)が美しいと感じた瞬間があり、そこから思想も音楽の聴き方も変わった気がするので共感します。生きる知恵としては演繹のみを認めるデカルトよりフランシス・ベーコンのイギリス経験論がしっくりきますが(つまり非論理派だらけの人間界を論理だけで泳ぐのは困難と悟った)、それは多分に英国で6年厳しいビジネスをした経験からと思われます。父方は物理学者ふくむ理系寄りであって僕自身文系的なものはさっぱり興味なく、星を眺めた末に見えているものは信用ならないとなった自分はアプリオリにはデカルト派と思われますから、ベーコン派に転じたそのこと自体が「人間はアプリオリには決まらない」とする経験論を身をもって証明しています。
17世紀のヨーロッパを概観してみると、フランスはルイ14世の絶頂期でプロテスタントが弾圧され、イタリアではガリレオが地動説で宗教裁判にかけられたように、王侯、貴族、カソリック教会という “保守利権” の牙城でした。それは科学、数学、論理学なんぞとは程遠い “ド文系世界”であり、そこにルネサンスでエッジを得て進化しつつあった “理系の波” が押し寄せた結果、絶対王政、宗教、科学のバランスに変革が起き、市民革命への萌芽が生じた世紀です。1648年にパスカルの原理、1655年にホイヘンスが土星の衛星タイタンを発見、1684年にライプニッツが微積分学を発表、英国では1687年にニュートンが万有引力の法則を発表するなど科学に大きな楔を打ち込むほどの進展があり、音楽でも神の摂理を数学的な美で解き明かしたJ.S.バッハがドイツに現れます。バッハを単にキリスト教音楽と理解しているとわかりませんが、彼はルター派の教会音楽家で、ビジネス的妥協があったカソリック仕様のロ短調ミサ曲以外はプロテスタントの礼拝のためだけに書いた “理系の波” 派の人です。
こうした「理性」を輝かしいと思わない反知性主義の人と僕は根源的に交わりようがありません。ちなみに猫は猫の世界の理性があります。1億年も前から生存のために磨きぬいてきた畏敬に値するものだから、懸命にビジネス界で生存してきた僕は猫とはぎりぎりのフロントにおいて大いに共感しあえるのです。面白いのはそれを持ってない猫は見たことがありませんが人間はたくさんいるということですね。銀のスプーンをくわえて生まれただけという王侯、貴族にも知的な人はいましたが、その典型のカテゴリーと認識されました。そういう一族が権力を握り続ければヨイショするだけの三流人材が取り巻きとして栄えてしまい、集団としての人類は頭から腐ります。百年後にフランスで革命が起きて王族は罪もなく殲滅されたのは気の毒でしたが、絶対王政、宗教、科学のバランスが変革した帰結です。シミュレーション仮説からは人類を滅ぼさないためゲームの管理者が制御ボタンを押したのではないかと思います。管理者は人類を超える科学の所有者ですから人類を繫栄させるなら自分に近い資質を重視するでしょう。つまり「理性」を「輝かしい」と感じるルネサンス的人間を選別したのではないか。滅ぼされたブルボン、ハプスブルグ、ロマノフ王朝は文化を残してくれましたが民衆はそれで飯を食えません。全員を幸福にできるのは科学の進歩です。今後もそれしかありませんし火星移住もその内です。
僕は学校で法律と経済学はやりましたが、物理・化学も哲学も音楽も門外漢の独学です。それらをまとめてリベラル・アーツといえばもっともらしいですが下手の横好きともいえ、関心という尺度なら圧倒的に後者であり、無関心な前者で飯を食っています。どうしてこうなったんだろうとアプリオリの自分、コンピューターならディファクトのOSに関心をいだき先祖のルーツを調べましたが、それを考えるのは自分のOSでしかなく、先祖がどうあろうと答えは鉄の匂いが好きだった自分の中だけにありというなんでもない結論に至りました。「我思う、ゆえに我あり」です。この言葉を学校で教わってもわからないのは、わかるはずのないものを知識として教えてしまう学校の勉強でOSがバージョンアップすることはまずないからと思われます。僕のそれがフル稼働したのは明らかに20才あたりです。バージョンアップすることはついぞなく、下降の一途で今に至ってるのに今の方が賢いと思える。うまく書けてるんですね。
ソナー・メンバーズ・クラブのHPは http://sonarmc.com/wordpress/ をクリックして下さい。
学校で学んだことでなお残っているもの(1)
2024 DEC 26 0:00:15 am by 東 賢太郎
今月の6日、お気づきだった方も多いでしょうが東京でも空の真上(天頂)近くに月がありました。地球が公転面から23度傾いていて月はさらに±5度傾いてるので北緯28度まで、つまり沖縄あたりまで天頂の月が見られますね。これに気がついたのは香港に住んで「太陽が天頂にある」光景を生まれて初めて見て感動してからです。東京は北緯36度だから太陽は夏至でも天頂から13度下方までしか来ませんが、月は8度まで来るのでかなりてっぺんに近い。
月の傍らにはひときわ明るい木星があり、その左下にこれも目立つ火星があったりとその節はとても界隈がにぎやかでした。子供のころは暗くなるとひとり団地の広場に出て、ワクワクしながら寒空を眺めてました。北東の中空にカペラ、レグルス、アルデバラン、カストル、ポルックス、プロキオンなど一等星がめじろおしです。プロキオン、シリウスと冬空の大三角形を形成するところにベテルギウスがあってここが見事にきれいな形をしたオリオン座です。お正月に伊豆の天城高原ロッジで眺めた天空のこの辺りのゴージャスな景色は忘れません。
さように初めはうっとり眺めていただけですが、だんだん想像が逞しくなります。買ってもらった天文の本によると太陽は地球の109倍もでっかい。伊豆まで車で何時間もかかったのに世界地図だと1ミリもない。109倍の意味がわかって仰天します。ベテルギウスはたしか太陽の1000倍ぐらいと書いてありました。じゃあそれを太陽の所に置くとどう見えるか?見えないんですね、火星までのみこまれて。そんなでっかい物体がどうして「点」なのか不思議でした。
いっぽうでオリオン座の右下の一等星リゲルの大きさは昭和30年代の当時はわかっておらず、ブルーのスペクトルから温度は恒星の限界の1万2千度とだけありました。さっき調べると大きさは太陽の50倍、出ている光は8万倍ですから老人星のベテルギウスとは別物の屈強な若者星です。でも同じぐらいの「点」に見えてます。「全天恒星図」と「天文ガイド」で調べると恒星に同じものはないのですが、みんな同じ「点」に見えます。面積がある太陽は、地球の1/4の大きさしかない月と同じぐらいに見えますが、それは月が太陽の400倍近くにあるからです。
それを知ったことは自分の人格形成に大きな影響があったといって過言でありません。見えているものは信用ならないと感じ、とっても疑り深い少年になったからです。それが性格と化してそのまんま「シミュレーション仮説」の信奉に至り、見えているものは全部が仮想現実(=誰かが作ったウソ)であるという確信と共に生きているのだから影響どころではありません。
そういう子は学校で「協調性がない」と見られます。でも、自分をそう見ているオトナを見て僕は信用ならないと感じてたわけです。そんなある日、当時いた3匹の猫たちにエサをあげると、好物の煮干しなのにしばしクンクン匂いを嗅いでから満を持して食べます。何度やってもそう。僕にもエサにも信用などないよという感じで、その都度その儀式をやってOKしないと拒否です。それを見てウチの猫はどの人間より信用できる、そうあらねばならないと思いました。
学校は太陽や月の大きさは教えてくれます。覚えないと試験に落ちますが、天文学者にならない人にとってそれ以外にその知識が役立つのはくだらないクイズ番組ぐらいのもんです。それを知ってる君は合格!なんて無意味なことをやってる学校のほうがそもそも信用できんのです。アインシュタインはこういってます。
学校で学んだことを一切忘れてしまった時に、なお残っているものが教育だ。
もしそうだとすると、一切忘れてしまった僕に残ってるのは「疑り深い少年」になってよかったという安堵感ぐらいですね。疑うためにはまず自分で考える必要があるのでそういう癖がつきましたし。でもそれはアインシュタインでなく猫に習ったわけですね。
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ロマネ・コンティな休日
2024 OCT 17 23:23:56 pm by 東 賢太郎
遅くおきたのか二度寝だったのかは覚えがないが、先だっての休日の昼ごろだ。どっちでもいいのだが僕は日記をつけていてそんなことも気になったりする。台所におりていくと、次女が来ていてカレーあるよという。じゃあ少しもらうかなと淵が広いお気に入りの皿を食器棚からとりだした。ご飯をよそう。ここまではいい。この先が問題なのだ。スープカレーが好みなので鍋からおたまでかけるとき、どうしてもポタっとしずくが垂れてしまう。純白の皿の淵に点々がつく。きたない。食べ物は見た目が大事で、せっかくのカレーがだいなしになるのだ。
これが嫌でいつもやってもらうが、この日は家内がいない。仕方なく、細心の注意を払い、積み木くずしのてっぺんにのっけるみたいにそうっとおたまをもっていったが、くそっ、どういうわけなんだろう、おたまの裏側にあったらしいのが垂れてしまった。
ここで条件反射的に出た負け惜しみは自分でもちょっと意外だった。
「こういうのはね、清少納言さんなら ”すさまじきもの” に入れるんだよ」
「ものづくし」と呼ぶ部分のことである。枕草子にぴったりのシーンがあり、何かをこぼしてあれまあと嘆いたんだろう、「物うちこぼしたる心地、いとあさまし」と思いっきり書いている。しかし僕は驚いたりがっかりしたり嘆かわしいと思ったわけではない(それが「あさまし」の意味」だ)。食卓にふさわしくないきたない点々がついてせっかくのカレーが不味く見えてどっちらけなのだから「あさまし」でなく「すさまじ」だろうととっさに判断したわけだ。
女史のやや斜に構え分類好きな精神を自分も持っているからだろうか、枕草子は大好きで繰り返し読んでおり、けっこう覚えてしまっている。彼女が何を思ったかもあるが、そうくるかと心のはじけ方が面白くてたまらないのだ。「すさまじ」は興ざめだの意味であり、頭のいい彼女はそう感じた物事をたくさんおぼえている。それを矢つぎ早にアレグロのテンポでたたみかけられると音楽的な快感を覚えるのだ。文学として異例であり、僕の嗜好にストレートに効いてくる。
ところが、「すさまじきもの」の段にある 「昼に吠える犬」 と 「贈り物が添えられていない手紙」 のあいだの共通項がどうも読み解けない。もしかしてそれはいまも世間のそこかしこにあるもの、すなわち女性の柔らかな感性のようなもので結ばれているのではないかと思った。そこでネット検索をしていた矢先、清川 妙さん(1921 – 2014)のこれを見つけて目から鱗が落ちた。
第八回 すさまじきもの – うつくしきもの枕草子 : ジャパンナレッジ (japanknowledge.com)
不調和からおこる興ざめな感じ、しらけておもしろくない感じ、それが「すさまじ」である。夜を守ってあやしい人に吠えかかるべき犬が昼に吠える、願望という心の容れものに、成就という中身は入らず、からっぽのままで、心は寒い。「除目に官得ぬ人の家」のくだり全部には、清女の父、清原元輔の姿があると思う。幼い日から、彼女は父の失意の姿をその目でまざまざと見て、周囲の人々のありようも心に刻みこんだのであろう。ここの描写は精緻をきわめ、人々の息づかいも聞こえるほどの臨場感がある。清女は自分の体験をぐっと濃く投影して、ときには涙ぐみながら、この部分を書いたと思う。
そうだったのか。清川さんの解説文が、これまた清女の文のように平明でぐいぐい心に迫る。文書はすべからく漢文体だった平安時代の宮中の男性にこの細やかな描写ができるだろうか。もしも現代に文字がなく、書き言葉は英語だったと空想をたくましくしてほしい。無理だろう。男が繊細でなかったわけではなく、公の場で文(ふみ)にしたためたり他人に読ませたり後世に書き残したりする媒体が異国語である制約は重かったと思うのだ。
ところが平仮名という表音文字が発明され、口語をそのまま音化できるようになった。枕草子と源氏物語の作者が女性であったのは平仮名が女文字だからだが、それが単一の理由ではない。百年も前に紀貫之が土佐日記を書いているからだ。語り手を女性に仮託した誰もが知る「男もすなる日記といふものを」の出だしは、「日記」は男が漢文で書く公的記録だけれど女がまねして仮名で書くんだから容赦してねという形態、フィクションを装って平仮名の利点をフル活用するためだった。
かような筆者と語り手を分離する手法はサスペンスでは常套手段だ。アガサ・クリスティが利用して世間をあっといわせた某著名作品があるが、千年も前にそれをした貫之の優れて知的な創造は日本の誇りであってもっと世界に知られていい。女性への仮託の本音は日記への仮託である。日記は本来広く他人に見せるものではないから冒頭から矛盾しているのだが、和歌の枕詞、掛詞と同様に読者と想定した貴族ならわかってくれる仕掛け、言語遊戯だよという宣言であり、大人の読者はにんまりとしてそう合点して読んだ。20歳ごろから日記を書いてそれがいまブログになっている僕も貫之の気持ちがわからないでもない。
彼は愛娘をなくした慟哭や、帰京をはやる思いなど心の襞まで書きたかったのだ。そのために仮名文字の利用こそが重要だった。「古今和歌集」の選者であるエリートが裃(かみしも)脱いで自由に羽ばたいたそれは、ハイドンに擬すという立て付けでそれをしたプロコフィエフの古典交響曲のように軽やかだ。ただ、男の悲しさを感じてしまうのだが、地位も名誉も家族もある貫之は裃を脱ぐにも格式と品位と教養を漂わせる必要があったのだろう、全部は脱ぎきれないもどかしさがあるようにも感じる。
後世に大ヒットしたのが革命的なレトリックを生んだ土佐日記でなく両女史の作品であったのは男として些か残念ではある。彼女らは初めから裃など着ておらず、藤原氏の権勢のもと、権力者の庇護さえ得ていればあっけらかんと貴族の裏話、スキャンダル、人事、色恋沙汰を開陳できてしまった。いつの世も週刊誌ネタは最強のコンテンツだ。しかし週刊誌が古典になったためしはない。それをエッジの利いた女性の目でえぐり出して時にシニカルに時にやさしく描いて見せた清少納言、ネタに尾ひれをつけるどころかワーグナーばりの壮大なフィクションにしてモデルの人物を想像させた紫式部。稀有な才能あってのことだ。
女性だから書けたということについては別な要素もぬぐい難く存在する。口語の駆使ということになれば圧倒的に女性の独壇場であるという事実が存在するのであって、たとえば家内とけんかになると、あなたはあの時もああだったこうだったと、何十年も前のことであるどころか、あったことも忘れてる大昔のいさかい事までを立て板に水の如くまくしたてられ、勝つみこみというものはまるでないのである。女性は手数も多いが、実は分類だって得意だったのだ。
3時ごろになって従妹夫婦がやってきた。ワインがわかる人たちだ。うちは酒飲みがおらず、そうでもないとあけられないのが3本あってずっと気になっていた。テーブルに並べてさあどれにする?ときくと従妹はロマネ・コンティ ・グラン・エシェゾー1989年を選んだ。そうか、これね、スイスで買って、いや買ってないな、きっともらいもんだよな、そっから香港もってって、そっから日本だからさ、空輸とはいえちょっと心配なんだよね、もうラベルがこんなだし、もし酢だったらシャトーブリオンのほうにしよう。そんなことをぶちぶちいいながらボヘミアングラスのデキャンタにトクトクそそぐ。おお、あの透き通ったルビー色だ、これだ、ひょっとしていけるかもしれない。
液体を口にふくむ。従妹が下した宣告は清女さんみたいに冷徹だった。
「ケンちゃん、残念だけどこれアウトね」
娘が追い打ちをかける。
「お父さん、これ世が世ならネットで66万円よ」
そうかそうか、まあいいんだそんなもん。この日2度目の負け惜しみだ。しかしこっちは「すさまじ」でなく「あさまし」であろう。
それからひとしきり家でわいわいやり、夜になってみんなで近くのイタメシ屋に行って散々酔っぱらった。「あのロマネはね、フルトヴェングラーの第九なんだよな」。この日3度目の負け惜しみは我ながらうまいことを言ったもんだと悦にいったが、宴はたけなわ、誰もきいてない。まあいつもこんなもんだ、清女さんならにんまりしてくれると思うんだが。
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あなたの年代の男がいちばん危ないの
2024 AUG 28 0:00:25 am by 東 賢太郎
最近、夕食後に2~3キロ走っている。9~10時あたりだとそう暑くもなく、なにより暗くて人通りがなく、昼間の俗事を忘れて空っぽになれる。坂道が多いので汗をかく。時に全力疾走も入れてみたりするが心肺ともに問題なく、俺はまだまだいけると自信がわいてくる。
ところが昨日、その自信を粉々にする事件があった。多摩川台公園下まで何事もなく走り、公園脇の坂を登ろうか、それとも川辺の歩道に降りようかと迷った。べつにどっちでもいいのだが、たまたま伊藤貫さんのyoutubeを見ていたら西部邁さんと仲が良かったと語っていた。両氏とも思想的に割合近くて僕は敬意をもっており、西部さんが自裁されたのがそのあたりであったのでなんとなく手を合わせていこうという気持ちになった。
そこで、多摩堤通りの信号を横切って、3,4メートルの高さの堤防から川辺に下る土を削った階段を降りた。足元は暗い。数段を下ると思ったより急勾配であり、足が疲れてるせいかけっこう勢いがついてしまった。まずいと思ったがもう止まらず、前方は草むらでよく見えず、やむなく、この辺で地面だろうとぴょんと飛んだら全然そうでない。つまづいて前のめりになって砂利道に叩きつけられ、ぶざまにひっくり返ってズルズルと体側で路面をこすってやっと静止した。
要するに、半ズボンでヘッドスライディングしたわけで、左足の脛(すね)と左ひじを盛大に擦りむいた。電灯に照らすと血まみれ泥だらけである。電話して車で来てもらい、家内に応急処置をしてもらったが、まだずきずき痛い。おかしいなと田園調布病院に電話しておしかけ、「遅くにすいません、みっともないこって」と頭をかくと、若い医師とふたりの看護師さんがやさしく対応してくれ、ピンセットで線状の傷口にめりこんでいた小石を除去し、消毒ガーゼを貼ってぐるぐる巻きにし、念のためにと破傷風のワクチンまで打ってくれた。コロナのときの聖路加もそうだったが、日本の医療は実に安心だ。
楽しみだった週末の温泉は問答無用で没になった。家族は大騒ぎになり、箱根で一緒の予定だった従妹に電話して謝ると、旦那も何日か前に階段で落ちたらしい。「ね、ケンちゃんわかる?あなたの年代の男がいちばん危ないの、そうやってみんな過信して病院行きになるんだから」と懇々と説教された。
それはそれでありがたかった。僕は何事も前向きにしかとらない。能天気でも楽天家でもないが、とにかく後向きにはとらない。だからこの怪我もきっと良い予兆であるか、あるいは、凶事を避けられた、守られたんだと思えてしまう。医師が「骨は大丈夫ですか」と心配した傷だ、あの勢いで頭を打ってたら死んだかもしれないが、死んでないんだから良かったと思える。そうでない人も、この性格は無理してでも作るべきだ。なぜなら、本当に人生で得をするからだ。僕には思い出したくないたくさんの禍々しい失敗や不遇や凶事があった。しかし、後になってみると、実は、それがなければあのラッキーはなかったじゃないかということが非常に多いのだ。なぜかは知らない。たぶん、そういう風に生きていると勝手にそうなる。それがはた目にはツキがあるね、持ってるねということになる。
多くの国の多くの外国人と働き、どういう人たちかを知っている。断言するが、彼らを基準としてみれば日本人の9割は心配性であり、はっきり書くと、ビジネスの世界においてそれはうつ病や心神耗弱に近い。大きなリスクに対してなら結構だが、ちまちまとくだらないことに気をもんだり批判を気にする空気に負けて「石橋をたたいて渡らない」なんて寂しいことになってる。国中が国民的にそうであり、本来あまり気をもまなくていい国家がプライマリーバランスをたてに金を使わないと民間は委縮して失われた30年などとクソくだらない小言を垂れてる。その間に先端技術や半導体で世界に大きく後れをとってしまっても他人事のようにやばいと思わない民間の「石橋わたらない根性」というものは、棒で突っついても飛ばない死にかけのカラスみたいなもんで、こっちを誰も批判しないことの方も、世界の目線からすると病気である。株や土地を中国人が買い占めて怪しからんと騒ぐのが保守だなんてわけのわからんことを言ってる。経済安保とそれは全然違う。死にかけの獲物は簡単に捕獲できるからジャングルでは食われるのが当たり前であって、それが嫌なら彼らは江戸時代に戻って鎖国しろと主張すべきである。
食われんようにちゃんと経営して株価を上げろが世界の常識だ。実体価値より値段の高い株など犬も食わぬ。ビジネスのビの字も分かってない連中が馬鹿の一つ覚えみたいに財務省、日銀が悪いって、自由主義国家で役所が頑張って経済を成長させるべきだなどと言う議論は、国が女性の少子化担当大臣を任命すれば子供がたくさん生まれるというおバカな議論といい勝負だ。人間は平等にできていて、青い鳥は誰にも同じだけ飛んで来る。心配性の人は確実にぜんぶ取り逃がす。前向きな人は十回来れば九回は逃がしても一回ぐらいはつかまえる。人も国も、成功者になるかどうかはそれで決まると言ってまったく過言ではない。ユニクロの柳井さんが著書「一勝九敗」でおっしゃるのはそういうことだ。少数精鋭で経営しろとも語ってる。その通りだ。多数の馬鹿の空気と合議制でやってればいずれ全部のカラスが外資に食われる。
「あなたの年代の男がいちばん危ないの、みんな過信して病院行きになるんだから」。そうだけどビジネスマンに過信は大事なんだ。だって取れると思わないと鳥は取れない。危険だから取らなくていいと細く長く生きる人生と、取りに行ってすっころんで早死にするかもしれない人生なら、僕は後者を選ぶ。ただ、みんなに迷惑をかけないように、暗い階段を走るのだけはやめよう。
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何十年ぶりかの「新世界」との再会
2024 AUG 26 0:00:20 am by 東 賢太郎
気晴らしが必要で、ピアノ室にこもってあれこれ譜面をとりだした。すると、こんなのを買っていたのかという新世界交響曲の二手版があった。この曲、興味が失せて何十年にもなっていて、クラシック音楽は飽きがこないよと言いつつ実はくると諦めた何曲かのうちだった。
ところがだ。ざっと通してみると、これはこれでいい曲ではないかと思えてきた。完全に覚えたのは高1で、コロムビアから出ていたアンチェル盤(左)を買って夢中になった。さきほど聴きなおしたが、まったくもって素晴らしいの一言。数年前にサントリーホールで聴いたチェコ・フィルはこの味を失っていたが、こんなに木管やホルンが土臭くローカル色満点の音がしていたのだ。
とはいえ田舎風なわけではなく、アンサンブルは抜群の洗練ぶりでティンパニは雄弁。トゥッティは筋肉質であり、花を添える管楽器のピッチの良さたるや特筆ものだ。背景でそっと鳴っているだけなのに木管群の pp のハモリの美しさに耳が吸い寄せられ、金管はアメリカの楽団のようにばりばり突き出ずに ff でも全体に溶け込む。録音は年代なりの古さはあるが、見事なルドルフィヌムのホールトーンの中で残響が空間にふゎっと広がり、楽器音のタンギングの触感まで克明に拾っていて鑑賞には何ら支障なし。以上は共産時代の東欧のオーケストラ一般の特色でもあるが(ロシアは別種)、ドレスデン・シュターツカペッレ、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管と並んでチェコ・フィルハーモニーはAAAクラスであり、それでも各個の際立った味が濃厚にあって個人的には甲乙つけ難い。そのハイレベルな選択の中においてでも、アンチェル盤は「新世界はこういうものだ」と断言して反論はどこからも来ないだろう。
つまり優雅と機能美が高い次元で調和したのがこの新世界の魅力なのだが、僕はどういう風の吹き回しか一回目の東京五輪を小学生の時に見てびっくりした体操のチャスラフスカ、あの金メダルをとってチェコの花といわれた女性の演技を思い出している(これが録音されたのは1961年だからその3年前だ)。花であり鋼(はがね)でもある。女性が強そうだというのはソ連も東独もそうで共産国のイメージとなったが、共産主義をやめたら普通の女性になったように思う。オーケストラも1990年を境に以前の音が消えた。顕著だったのがソヴィエトで、レニングラード・フィルはムラヴィンスキーが亡くなって名前も ST.ペテルブルグ・フィルになって、以来あんな怜悧な音は一切きけなくなった。
チェコ・フィルの常任指揮者はターリヒ、クーベリックから68年までアンチェルで、次いでノイマンが89年まで率いた。その伝統が93年にドイツ人のアルブレヒトになって途切れたのは大変に驚いた。彼は読響で聴いて良い指揮者と思ったが、それと伝統は違う。新世界で例をあげたらきりがないが、例えば、Mov2のいわゆる「家路」の「まどいせん」の処が和声を替えて3回出てくるが、僕は1度目が大好きであり、なつかしくてやさしい弦の包容力はアンチェルが最高だ。こういうものは表情づけとか思い入れの表現とかではなくシンプルに音のブレンド具合の問題で、誰がやっても音だけは鳴るのだが、京料理の板長が特に気合を入れてる風情でもないがちょっとした塩加減、昆布、鰹節の出汁の塩梅で旨味が俄然引き立つようなものであり、外国人シェフに即まかせられるようなものではなかろう。
ついでに書くが、マニアックな方には一つだけ指摘しておきたい。Mov4第1主題のティンパニは、スコアはE、H(ミとシ)だがコントラバスとチューバに引っ張られて後者がG(ソ)に聞こえ、耳がそう覚えてしまったことだ。Hを叩いていると思うが何度きいてもわからない。もしGでやったらそれはそれでいいんじゃないかと思わないでもなく、ままあるのだが一度疑問が生じてしまうと他の演奏を聴くたびにここが気になってしまう。まあこれは余計なことだ。
チェリビダッケに移る。新世界を振っていることは2017年に野村君がコメントをくれて知った(ドヴォルザーク「新世界」のテンポ)。録音嫌いで有名な指揮者で、メジャーレーベルに録音がないから彼の新世界はこのyoutubeのミュンヘン・フィルハーモニーの1991年のライブ演奏しか良い状態のものがない。全演奏を記録したサイトによると、ドヴォルザークはアンコールピースのスラブ舞曲等を除くとチェロ協奏曲と交響曲第7、9番(新世界)しか振っておらず、中でも9番は1945年から最晩年まで長期にわたってレパートリーになっている。8番がないのは不思議だが、彼は新世界にこだわっていたようだ。
7年前はそこまで認識してなかったが、このたび、まず、自分で弾いて思うところがあった。次いでフルトヴェングラーの著書「音楽を語る」を味読していろいろ知った影響があった。彼の言葉は重い。重すぎて初読の時はわかっていなかった。チェリビダッケのカーチス音楽院の講義もしかりで、10代の学生に語ったので言葉はやさしかったが20代だった僕はよくわかっておらず、フルトヴェングラーの大人向けの言葉で得心した。それは先日8月4日にこれを脱稿する契機になった(フルトヴェングラーとチェリビダッケ)。
ということで、アンチェル=「新世界はこういうもの」のアンチテーゼを見つけてしまった。ドヴォルザークはこの遅いテンポを意図しておらずAllegro con fuocoと記した。しかし、理性がいくら否定しても、作曲家も許容したかもしれないと思わされてしまうものをチェリビダッケの演奏は秘めている。このたび、心から楽しみ、2度きいた。アンチェルを覚えた人はヘッドホンで、良い音で、じっくり耳を傾けてみてほしい。フルトヴェングラーは同曲を振った記録はあるが録音せず、悲愴交響曲は録音はしたが悲劇の表現としてベートーベンに劣るとし、スラヴ音楽を高く評価しない言葉を残した。ドイツを不倶戴天の敵として殺し合いをしてきたロシア側のルサンチマンがちらりとのぞくが(プーチンがNATOの裏に見ているものもそれだ)、ルーマニア人のチェリビダッケにそれはなくむしろフルトヴェングラーが手を出さない空白地帯の両作品で強い自己主張ができた。
チェリビダッケの晩年のテンポは物議をかもしたが、これをきくと(あのブルックナーも)、ミュンヘン・フィルの本拠地ガスタイクの残響が関係あった可能性をどうしても指摘したくなる。Mov4曲頭。シ➡ド(二分休符)、シ➡ド(二分休符)。緊張をはらんだユニゾンの短2度の残響が空間を舞うのにご注目いただきたい。B(B-dur)の音列が上昇して、そのままトニックのホ短調になると予測させておいて、最後にぽんと、まったく不意を突いて想定外のE♭(Es-Dur)に停止する。誰もがあれっ?となるその一瞬の間。残響。ドヴォルザークは意図をもって次の小節の頭に四分休符を書き、「不意」のインパクトを聴衆にしかと刻印したかったと思う。ちなみに彼はMov1の第2主題、提示部ではフルートの1番に吹かせたのを再現部では2番に吹かせたり、ほんのひと節だけピッコロに持ち替えさせたり、細かい人である。
そして、チェリビダッケも細かい人である。ガスタイクの残響だと恐らく速いテンポの楽句は音がかぶる。テュッティの和声は濁る。それを回避し、かつ、ドヴォルザークの休符の意図を盛り込むとすればこのテンポになろう。そう考えれば理屈は通り、現に講義ではピアノに向い、2つの音の間隔を例にチェリビダッケは「曲に絶対のテンポはない、その場の音の響きによる」という趣旨の発言をした(フルトヴェングラーも同じことを述べている)。彼は、当然、聴き手にも細かく聞いてもらうことを想定している。残響のよく聞こえない装置や、ましてパソコンなどで聞けば「間延びしたテンポ」になる。それは聴き手のせいではなく、わかる設定になっていないのである。
チェリビダッケはこのテンポで、そうでなければ語れないことをたくさん語っている。即物的にいえば情報量が多い。そして、彼はそれを饒舌に散発的に提示はせず、意味深く感知させ、二重の意味で他の人にはない、まさしく “新世界” を見せてくれる。彼は「新奇なこと」をやろうとしたのでもボケたのでもない。描き出した情報はひとつの無駄もなく、いちいち懐かしい欧州の田園風景に包まれている心象風景を喚起することに貢献をさせ、ホールで耳を澄ませている人たちが「ああ、いいなあ」と微笑む麗しい空気を醸し出すことに専念している。これこそが、彼が講義で主張したこと、すなわち、「音楽は聴衆の心に生じたepiphenomena (随伴現象)」だということを如実に示している。演奏はそれを発生させる行為であり、演奏のテンポはそこの情報量で決まるとも言っている。音が鳴ってから聴衆の脳にそれが発生するまで間がある。だからテンポはそれに十分なものである必要があり、ホールの残響も情報の大事な一部なのである。
ドヴォルザークは米国で3年間ニューヨーク音楽院のディレクターを務め、ニューヨーク・フィルハーモニックから委嘱を受けてこれを書いた。先住民達の歌、黒人霊歌に興味を持って「両者は実質的に同じでありスコットランドの音楽と著しく類似している」「私は、この国の将来の音楽は、いわゆる黒人のメロディーに基づいている必要があると確信しています。これらは、米国で発展する真面目で独創的な作曲の学校の基礎となることができます。これらの美しく多様なテーマは、土壌の産物です。それらは米国の民謡であり、貴国の作曲家はそれらに目を向けなければなりません」と述べた。これも興味深い。彼はブラームスを師、先人と仰いでおり、ここにもドイツに対するスラヴのルサンチマンがあったかもしれないが、新興国のアメリカからは師と仰がれる関係だった。ハンガリー舞曲集を範としてスラヴ舞曲集を書いた彼は同じフレームワークにアメリカ音楽を積極的に取り入れることで師にとっての空白地帯で強い自己主張ができた点で先述の両指揮者の関係と相似したものがないだろうか(実際にブラームスはチェロ協奏曲には素直に羨望を吐露している)。
類似点が五音音階にあることは通説だが、「アメリカで聞き知った旋律を引用した」とする説は本人が明確に否定した。しかし、このことは少し考えればわかるのだ。作曲は高度に知的な作業である。そうでない人もいるがその作品は残らないという形でちゃんと歴史が審判する。ブラームス、コダーイ、バルトークの場合は民謡を意図的に素材とする作業と認識されるがドヴォルザークの場合はそれを意図した渡米ではないから、真実はどうあれアドホック(ad hoc、行き当たりの)に見られる。彼は既に勲章も名誉学位も得た大家であったが高給を提示されて音楽的に未開の国に来てしまったことに認知的不協和があったと思われ、その地で重要な最晩年の3年も費やせば自分史の締めくくりのシグナチャーピースになる交響曲、協奏曲を書くことは必要であり、それを残そうと身を削っていたはずだ。来てしまったゆえに妻の姉(自身の最愛だった人)の最期を見送れなかった罪の意識がチェロ協奏曲のコーダに彼女の好きだった歌曲の引用をわざわざ書き加えるという形になっている。
つまり、知的な人の「引用」とはそういうものだ。それが現世の特別な人への秘められた暗号だったり、後世へのダイイングメッセージのような意図がいずれ分かるという特殊な場合でない限り、常に試験で満点を狙っている人にカンニングを指摘するようなものだ。だから、その説というものは、はいそうですと本人が認めるはずもないことぐらいもわからない、要するに非常に知的でない人たちが発したものであるか、ドヴォルザークの招聘元だったサーバー夫人なる人物が夢見ていた、アメリカにおける国民楽派的なスタイルの音楽の確立が成功したと歴史に刻みたい人たちの言説かと推察せざるを得ない。ドヴォルザークにとっても、プラハ音楽院の給料の25倍ももらえる仕事なのだから、何らかの貢献の痕跡は残す必要があっただろう。
そういう仮定の下で、彼がアメリカの素材とスコットランドの音楽に「実質的に同じ」要素を見つけ、ハプスブルグの支配下でスラヴ舞曲集を書いた彼の民族意識はその素材に何分かの愛情をこめることを可能とし、教える立場にあった自らが国民学派的米国音楽の範にすべしと意図したのが新世界の作曲動機のひとつとするのが私見だ。音階は和音をつくり、根源的な効果、即ち、なぜ長調が明るく短調が暗いのかという神様しか理由を知らない効果と同等の物を含む。日本でスコットランド民謡が「蛍の光」になったからといって両民族に交流や類似点が多かったわけではないが、五音音階を「いいなあ」と思う感性はたまたま両者にあった。ドヴォルザークとアメリカのケースはそれであり、そこに郷愁も加わった。日本民謡を引用して交響曲を書くスコットランドの作曲家がいても構わないが、ドヴォルザークはそういう人ではなかったということだ。
米国で書いた弦楽四重奏曲第12番にもそれはあり、僕は五音音階丸出しの主題が非常に苦手で、実はこの曲を終わりまで聞いたことが一度もない。「アメリカ」というニックネームで著名だしコンサートにもよくかかるが、だめなものはだめで、3小節目のソーラドラからしていきなりいけない。ところが、チェロ協奏曲もMov1のあの朗々と歌う第2主題だって裸だとソーミーレドラドーソーの土俗的な五音音階丸出しなのに、ぞっこんに惚れているという大きな矛盾があるのだ。なぜかというと、単純だがここはこれ以外は絶対にありえないと断言したくなる極上のハーモニーがついていて、これが大作曲家は歴史に数多あれど、こればっかりは後にも先にもドヴォルザークにしか聞いたことのない真に天才的なものであって、始まると「高貴であるのに人懐っこい」という、もうどうしようもない魅力に圧倒されてしまうのだ。「私が屑籠に捨てた楽譜から交響曲が書ける」とブラームスが彼一流のシニシズムで褒めたドヴォルザークの才能ここにありという好例である。
では新世界はどうか。両端のソナタ楽章の外郭はホルン、トランペットが勇壮に吹きティンパニがリズムを絞めるという交響曲らしいもので、第2楽章と真ん中の緩やかな部分に五音音階が出てくる。僕は両端は好きだが真ん中に弦楽四重奏曲第12番と同様のリアクションがあり、だんだん縁遠くなってしまっていた。それを目覚めさせてくれたのがチェリビダッケだ。彼は五音音階のもっている暖かさ、人懐っこさは人類一般のものと抽象化し、ドヴォルザークはそこに民族意識だけではなく大西洋の向こうからの望郷の念もこめて作曲しており、もとより故郷や父母を思慕する気持ちというものは文化、人種を問わず、世界中の人の心を打つものと見立て、あえてチェコ色を排し、どこの国の人も「いいなあ」と思うバージョンをやってのけた。新世界は作曲された瞬間からインターナショナルな音楽だったが、ボヘミア情緒が濃厚である交響曲第8番はそれができなかったのではないかと考える。
それでは最後に、チェリビダッケの新世界の楽章を追ってみよう。Mov1第2主題の入りの涙が出るほどのやさしさ。コーダのティンパニ強奏は父性的な峻厳さと宇宙につながる立体感で背筋が伸び、この演奏がなよなよ美しいだけのものと一線を画すことを予感させる。Mov2冒頭の金管合奏。前稿を思い出していただきたい、トロンボーンの学生3人を立たせて歌わせた、そういう人でないとこんな音は出ない。「まどいせん」はアンチェルに匹敵するのを初めて見つけた。中間部のオーボエ。この遅さだと普通はだれるが弦合奏に移るとにわかに濃厚になるのは驚く。飽きて退屈だったここのスコアにこんな秘密の音楽が隠れていたのか。フルートの鳥。緻密なリズム、見事な対位法の綾。上品の極みのトランペット。カルテット。なんと素晴らしい弦!なぜ「止まる」のか僕はわかってなかった。これは息継ぎの間なのだ。人と自然。ゆっくり流れる極上の時間である。
Mov3は粗野なだけと思っていたが、普通は弦とティンパニしか聞こえない部分が木管の百花繚乱である。僕にとって半ば故郷であるドイツ、スイスの5月を思い出す。そして、きりっと彫琢されているのにずしっと腰が重いリズムのインパクトは並の指揮者とは全くの別物。その威力が全開になるのがMov4 だ。ホルンとトランペットの吹くこの主題、体制に抵抗する軍楽に聞こえないこともないが、何度聞いても音楽として格好良い。それにかまけてスポーティに駆け抜ける演奏が多い。チェリビダッケはそうしない。これだけ鳴らしてこの残響で音が混濁しない。結尾は通常はすいすい流れる水平面の音楽にティンパニが渾身の力で最後の審判の如き垂直の楔を打ち込む。勿論テンポはさらに落ちる。そして終局のホルンソロではほぼ止まりそうなところまで落ちる。そこに弦がユニゾンで第1主題を強く、レガートで再現し、くっきりと起承転結をつけて曲を閉じるのである。何十年ぶりかの新世界との再会だった。
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三島の「憂国」と「トリスタン」の関係
2024 JUL 28 0:00:50 am by 東 賢太郎
次女が来たので寿司でも行くかと玉川高島屋に寄った。高校に上がった時にこのデパートができてね、田舎の河原で玉電の操車場だったこのあたりが一気に開けてニコタマになったんだ。鶴川からおばあちゃん運転の車で家族で食事に来てね、おじいちゃんに入学祝いに買ってもらったのがあのギターなんだよ。しっかりした楽器でね、今でもいい音が鳴るだろ。
こういうことはつとめて言っておかないと消えてしまう懸念がある。寿司屋の階にロイズという英国のアンティーク店があり、帰りにふらっと入ってみる。イタリアのランプや書棚など、あれとあれね、いくつかここで衝動買いしてるだろ、でも基本はお父さんはアメリカのドレクセル・ヘリテイジ派なんだ、書斎の革張りの両袖デスクもランプも、どっしりしたの20年も使ってるでしょ。
そう言いながらこのアメリカとイタリアにまたがる根本的に矛盾したテーストが何かというと、生来のものなのか、16年の西洋暮らしの結果なのかはとんと区別がつかなくなっている自分に気づくのである。実際、自覚した答えには今もって至っていないが、おそらく生まれつき両方があり、本来は別々のものだが、長い人生であれこれ見ているうちに互いの対立が解けてこうなったのだろうと想像は及ぶ。それを静的な融合と見るか動的な発展と見るか、はたまたそんなものは言葉の遊びでどっちでもいいじゃないかと思考を停止してしまうかだが、それだとドイツ人の哲学は永遠にわからない。となるとベートーベンの音楽の感動がどこからやってくるかもわからないのである。
さように自分が何かと考えると、三島由紀夫の「詩が一番、次が戯曲で、小説は告白に向かない、嘘だから」を思い出す。この言葉は啓示的だ。そのいずれによっても告白する能力がない僕の場合、告白が表せるのは批評(critic)においてだ。その技巧ではなく精神を言っているが、これは自分を自分たらしめた最も根源的な力であろう。しかも、最も辛辣な批評の対象は常に自分であって情け容赦ないから、学業も運動も趣味も独学(self-teaching)が最も効率的だったのだ。しかしteacherである自分が元来アメリカ派なのかイタリア派なのか迷うといけない。そのteacherを劣悪であると批評する自分が現れるからだ。だから、僕においては、言葉の遊びでどっちでもいいじゃないかと思考を停止することはあり得ず、やむなく弁証法的な人間として生きてくる面倒な羽目に陥っており、そのかわりそれは動的な発展であり進化であると無理やり思っているふしがある。
詩が一番。これは賛同する。40年近く前になるが、高台の上に聳えるアテネのパルテノン神殿に初めて登って、太いエンタシスの柱廊の間をぬって8月の強い陽ざしを浴びた刹那、西脇順三郎が昭和8年に発表したシュルレアリスム詩集「Ambarvalia」冒頭の著名な「天気」という詩、
(覆された宝石)のやうな朝
何人か戸口にて誰かとさゝやく
それは神の生誕の日。
がまったく不意に電気のように脳裏を走ったのを思い出す。高校の教科書にあったこれが好きだった。覆された宝石はジョン・キーツの「like an upturn’d gem」からとったと西脇が認めているらしく、それでも()で括ってぎゅっと閉じた空間の鮮烈は眼に焼きつく。ひっくり返された宝石箱、誰かも何語かも知れぬ言葉のざわめき、色と光と音の渾沌と無秩序が「それは神の生誕の日」の句によって “なにやら聖なるもの” に瞬時に一変する万華鏡の如し。回して覗くとオブジェがぴたりと静止し、あたかも何万年も前からそういう造形美が絶対の権威をもってこの世に普遍的に存在していたではないかの如くふるまう、それを言語で成し遂げているのは見事でしかない。神といいながら宗教の陰はまるでない(少なくとも高校時代にはそう読んだ)。それは無宗教とされて誰からも異存の出ない日本という風土の中でのふわふわした神なのだが、キリスト教徒やイスラム教徒はそうは読まないだろう。それでいいのだ、彼らは日本語でこの詩を読まないから。
作者はこれを「ギリシヤ的抒情詩」と呼んだが、確かにアテネのちょっと埃っぽい乾いた空気に似つかわしいのだが、僕にはすぐれて叙事的に思える。であるゆえに、この詩の創造過程に万が一にも多少の噓の要素があったとしても、できあがって独り歩きを始めた詩に噓はないと確信できるのだ。
フルトヴェングラーは語る。バッハは単一主題の作曲家である。悲劇的な主題を創造したがそれは叙事的であり、曲中でシェークスピアの人物の如く変化する主題を初めて使ったのはハイドン、進化させたのはベートーベンとしている(「音楽を語る」52頁)。そこでは二つの主題が互いに感じあい、啓発しあって二項対立の弁証法的発展を遂げ、曲はそうした “部分” から “全体” が形成される。これはドラマティックな方法ではあるが、ドラマ(悲劇)による悲惨な結末がもたらす、即ちアリストテレスのいう「悲劇的浄化」ほどの効果は純音楽からは得られないから悲劇的結末を持つ「トリスタン」「神々の黄昏」のような音楽作品は “楽劇” である必要があると説くのである。
これは音楽は言葉に従属すべきでないと述べたモーツァルトの思想とは正反対であって、長らく彼を至高の存在として信奉してきた僕には些かショッキングな言説であった。だが矛盾はないのだ。なぜならワーグナーの楽劇という思想は彼でなくベートーベンから生まれたからである。単一主題の作曲家といってもバッハの曲ではあらゆる発展の可能性が主題自身に含まれており、フーガの場合のように対旋律を置いているときでさえもすべてが同じ広がりの流れで示され、断固とした徹底さをもって予定された道を進んでいく。ベートーベンにそれはなく、複数ある主題の対立と融合とから初めて曲が発展している、そして、そのように作られた第九交響曲の音楽にふさわしいシラーの詩を後から見つけてきたことで、モーツァルトから遊離もないのである。
明治25年生まれの芥川龍之介はクラシックのレコードを所有しており、それで幼時からストラヴィンスキーの火の鳥やペトルーシュカを聴いて育った三男の也寸志は作曲家になった。三島由紀夫は三代続けて東大法学部という家系でみな役人になったのだから文学者にあまり似つかわしくはない。彼はニューヨーク滞在歴はあるが留学はしておらず、にもかかわらず、録音が残るその英語は非常に達者だ。内外に関わらず言語というものに精通し、図抜けて回転が速く記憶力に秀でた知性の人が、自己の論理回路に子細な神経を通わせてこそ到達できるレベルだ。音楽については「触れてくる芸術」として嫌い、音楽愛好家はマゾヒストであるとまで言ったのでどこまで精通したのかは不明だがそうであって不思議はなく、少なくともトリスタンは愛好したとされている。
なぜだろう。トリスタンとイゾルデは運命においては敵同士という二項対立であり、それが媚薬で惹かれあって生々流転の宿命をたどり、最後は二人ともに死を迎える。ドラマとしてはロメオとジュリエット同様に紛れもない悲劇なのだが、音楽がカルメンやボエームのように短調の悲痛な響きによってこれは悲劇だと告知することは一切ない。それどころか、先に逝ったトリスタンの傍らでイゾルデは長調である「愛の死(Isoldes Libestot)」を朗々と歌い上げ、至高の喜び!(hoechste Lust!)の言葉で全曲を感動的に締めくり、トリスタンに重なるように倒れ、息を引き取るのである。すなわち、生と死という二項対立が愛(Liebe)によって「悲劇的浄化」を遂げ、苦痛が喜びに変容し、二人は永遠の合一を許されたのである。
永遠の合一。この楽劇の揺るぎないテーマはそれである。歌劇場で客席について息をひそめるや、暗闇からうっすらと漏れきこえる前奏曲(Vorspiel)は、まさに艶めかしい ”濡れ場” の描写だ。それはこの楽劇が叙情的(lyrical)なお伽噺ではなく、すぐれて叙事的(narrative)であり、それまでの歌劇のいかなる観念にも属さぬという断固たる宣誓だ。演劇でいうならシラーを唯物論化したブレヒトを予見するものであり、映画なら冒頭の濡れ場が「愛の死」のクライマックスで聴衆の意識下でフラッシュバック (flashback) する現代性すら暗示する。その写実性が作曲時に進行中だったマティルデ・ヴェーゼンドンクとの不倫に由来するのは言うまでもないが、それを写実にできぬ抑圧から、既存の音楽のいかなる観念にも属さぬ「解決しない和声」という、これまた現代性を纏わせた。
これがヒントになったかどうか、定かなことは知らぬが、三島が二・二六事件を舞台に書いた「憂国」の青年将校武山信二と麗子はトリスタンとイゾルデであり、その含意は「潮騒」の久保新治と宮田初江いう無垢な男女がダフニスとクロエである寓意とは様相が大いに異なる。自身が監督、信二役で映画化した「憂国」はむしろ乃木希典将軍夫妻を思わせるのだが、将軍は明治天皇を追っての殉死、信二夫妻は賊軍にされた友への忠義の自決であり、今の世では不条理に感じるのはどちらも妻が後を追ったことだ。庶民はともかく国を背負う軍人にとって殉死も忠義も夫婦一体が道理の時代だったのだが、それにしても気の毒と思う。まして西洋人女性のイゾルデにそれはあるはずもなかったのに、やはり後を追っている。こちらは殉死でも忠義でもなく「愛」の死が彼女を動かした道理だったのであり、それがトリスタンが苦痛のない顔をして逝ったわけであり、二人が永遠の合一という至高の喜びへ至るプロセスだというドラマなのだ。「潮騒」にもダフニスとクロエにも命をも賭す道理というものはないが、憂国とトリスタンには彼我の差はあれど道理の支配という共通項は認められるのである。
三島は団藤重光教授による刑事訴訟法講義の「徹底した論理の進行」に魅惑されたという。わかる気がする。その文体は一見きらびやかで豊穣に見え、英語と同様に非常にうまいと思うわけだが、根っこに無駄と卑俗を嫌悪する東大法学部生っぽいものを感じる。あの学校の古色蒼然たる法文1号館25番教室は当時も今も同じであり、彼はどうしても等身大の平岡公威(きみたけ)氏と思ってしまう。虚弱でいじめられ、運動は苦手で兵役審査も並以下であり、強いコンプレックスのあった肉体を鍛錬で改造し、あらまほしき屈強の「三島由紀夫」という人物を演じた役者だったのではないかと。彼は蓋しイゾルデよりもっと死ぬ必要はなかったが、名優たりえぬ限界を悟ったことへの切々たる自己批評(critic)精神とノブレス・オブリージュ(noblesse oblige)を原動力とした自負心から、彼だけにとっての道理があったのではないか。そこで渾身の筆で自ら書き下ろした三島由紀夫主演の台本。その最後のページに至って、もはや愛と死は肉体から遊離して快楽も恐怖もなく客体化されており、そこにはただ「切腹」という文字だけが書いてあったのではないかと思えてならない。
もし彼が生きていたら、腐臭漂うと描写してすら陳腐に陥るほど劣化すさまじい、とてつもない場末で上映されている西部劇にも悖る安手の “劇場” と化した現在の暗憺たる世界の様相をどう描いたのだろう。間違いなく何者かの策略で撃ち殺され亡き者になっていたはずのドナルド・トランプ氏が、何の手違いか奇跡のごとく魔の手を逃れ、あれは神のご加護だったのだとされる。そうであって一向に構わないが、西脇順三郎が描いた、あたかも何万年も前からそういう造形美が絶対の権威をもってこの世に普遍的に存在していたと思わせてくれるような神の光臨、それを目のあたりにする奇跡というものを描けて賛美された時代はもう戻ってきそうもない。
いま地球は一神教であるグローバル教によって空が赤く、血の色に染め上げられている。それが昔ながらのブルーだと嘘の布教をする腐敗したメディアが巧妙にヴィジュアルに訴求する画像を撒き散らし、世界のテレビ受像機、スマホ、パソコンの類いを日々覗いている何十億人の者たちはその洗脳戦略によって空はいまだ青いと信じさせられており、その残像に脳を支配されている。誰かが耐えきれず「空は赤いぞ」と言えば「王様の耳はロバの耳」になってその者がyoutube等のオンラインメディアで私的に主催する番組が強制的にバン(閉鎖)されたりするのである。これが顕在化した契機は2020年のアメリカ大統領選におけるトランプ候補の言論封殺であった。政治とメディアがグルになった超法規的な言論統制が公然と行われたことからも、あの選挙がいかに操作されたものだったかが類推されよう。オンラインでの商売をするGAFAが必然とする越境ビジネスで各国の税務当局と徴税権を争った訴訟を想起されたい。これはB29が高射砲の届かぬ高度での飛行能力を得ることで安全に楽々と原爆を投下できたようなものだ。グローバル教の本質は各国の刑法も刑事訴訟法も裁けぬ強姦である。AIが越境洗脳の基幹ツールであり、生成AI半導体を牛耳るエヌビディアがあっという間に3兆ドルと世界一の株式時価総額(日本のGDPの8割)に躍り出たのはそのためだ。団藤重光教授の刑事訴訟法講義に啓発された三島はこれをどう評しただろう。かような指摘が陰謀論でなく確たる事実であると語れるのは、僕がグローバル教の総本山のひとつである米国のビジネススクールで骨の髄まで教育されているからなのだ。だから、経済的なことばかりを言えば、僕はフィラデルフィア、ニューヨークに根を張るその流派の思想に何の違和感もなく唱和、融和でき、現にそれが運用益をあげるという現世享楽的なエピキュリアンな結末を長らく享受している。日本の運命は商売には関係なく、独語でいい言葉があるがザッハリヒ(sachlich、事務的、即物的)に行動すれば食うのに何も困らない。
しかし僕は金もうけのためにこの世に生を受けた人間ではない。そこで「生来のものなのか、16年の西洋暮らしの結果なのかはとんと区別がつかなくなっている自分」という冒頭に提示した批評が内でむくむくと頭をもたげるのだ。渋沢栄一と袂を分かって伊藤ら長州のクーデターに組した先祖、天皇を奉じて陸軍で国を護ろうとした先祖、誰かは知らぬが京都の公卿だった先祖、そうした自分に脈々と流れる血は畢竟だれも争えないものなのであり、家康につながる父方祖母の濃い影響下で幼時をすごした三島の意識下の精神と共鳴はありそうにないと感じる。断固たる反一神教なら徳川時代の鎖国に戻るしかなく、むしろ国を滅ぼす。外務省がやってるふりを装おう賢明な妥協を探る努力は解がないのだから永遠に成就しない「アキレスと亀」であって、いっぽうで、学問習得の履歴からして賢明ですらない現在の政治家がグローバル教の手先になって進める世界同質化は国の滅亡を加速する。異質を堂々と宣言して共存による存在価値を世界に認めてもらうのが唯一の道であり、それを進めるベースは直接にせよ間接にせよ核保有しかない。非核三原則修正で米国の原潜を買うか、少なくとも借りれば必要条件は満たすからトランプとディールに持ち込むべきであり、9月の自民党総裁選はその交渉能力と腹のある人が選ばれないと国の存亡に関わる。くだらない政局でポストを回すなら紛れもない国賊としてまず自民党が潰されるべきである。
これまで何度も、メディアが撒き散す画像が虚偽であり、その戦略の源泉は共産主義に発し、ロシア革命を成功させたがソ連という国を滅ぼし、ギー・ドゥボールが卓越した著書「スペクタクルの社会」に活写したそれそのものであり、米国大統領、日本国首相は紙人形より軽いパペットでよく、むしろ神輿は軽めが好都合でさえあることを書いてきた。バイデンが賞味期限切れだ。「あたしがクビならうちのカミさんでいかがですか」とコロンボ刑事ならジョークを飛ばしそうだが、まじめな顔で “劇場” がバイデン夫人、オバマ夫人が民主党候補と世界に流すともっともらしいスペクタクルに化ける。そうなったかどうかではなく、それを現象として観察すべきなのだ。東京都知事ごときはうちのカミさんどころか “ゆるキャラ” でよく、すでにメディアの祭り上げで知名度だけはポケモン並みである小池氏においては、教養と知性の欠如が露見してしまう選挙期間中の露出や討論など有害無益と判断されたのだろう。いや、ひょっとすると、ワタクシ小池百合子は一神教の教祖様と市区町村長に強く請われて出馬してるんです、あんたら賤民の支持率なんて岸田さんと一緒で0%でよござんす、それより妙なことをおっしゃると「王様の耳はロバの耳」で厳罰に処されますわよ、青い空を赤と言ったりできないのが日本の常識ですわよね2年前の7月8日からオホホ、という新演出のスペクタクルを都民は見せられたやもしれぬ。うむむ、なんという奇っ怪、面妖な。
欧州各国では葦が「王様の耳はロバの耳」とつぶやき出して政権のバランスが激変してきている。イランでは王様が嫌がる政権が誕生した。トランプになれば・・・そう願うが敵もさるものだ。何といっても、4年前、僕も目撃した歴史的放送事故があった。テレビだったかオンライン番組だったか、バイデンが「我々は過去に類のない大規模な投票偽装の仕組みを既に用意している!」と力こぶをこめ、当選に自信のほどをぶちあげてしまったのだ。TPOを誤解してたんだね、気の毒だねと認知症が全米にバレた。そのバイデンを本当に当選させてしまった奇術師の如き連中だ、今回はどんな出し物が登場するか知れたものではない。そうなればなったで一市民は無力である。株も為替も動くから僕は経済的なことに徹してポジションを最適化するだけだ。「王様の耳はロバの耳」。日本の多くの葦たちが唱和するしか日本を救う道はない。かっぱらいと万引きと、どっちが罪が軽いですかというお笑いイベントになってしまった都知事選、本来なら投票率は激減だったはずがアップさせた石丸氏の健闘は一服の清涼剤ではあった(僕も投票した)。
「トリスタンとイゾルデ」に戻ろう。この音楽については既稿に譲るが、ここでは「憂国」に即して前奏曲と愛の死につき、これがセクシャルな観点で女性には申し分けないが想像を逞しくしてもらうしかないものであることにもう一度触れよう。ブラームスやブルックナーのような奥手な男にこういう皮膚感覚とマグマに満ちた音楽は書けないのである。ワーグナーはイケメンでもマッチョでもないが女性にもてた、これがなぜか、これは逆に男には不明だが、くどいほど雄弁で押しが強い大変なフェロモンのある男だったのだろう。
前奏曲のピアノ・リダクションで、音量が1小節目の ff から2小節目のmeno f(あまり強くなく)にふっと落ち、第1,2ヴァイオリンの波打つような上昇音型が交差する部分だ。ここで官能のスイッチが切り替わる。そして徐々に、延々と、フィニッシュの極点(ff)に向けて激していく。
ここの曲想の質的な変化に非常に官能的に反応しているのがカラヤン/BPOだ。こういう感覚的な読みができるのがこの人の強みで、人気は決して伊達ではない。それを5年前にはこんな婉曲な方法で書いた自分もまだまだであった。
menofでホルン(f)をやや抑えて、弦の音色を柔らかく変化させ絶妙の味を醸し出しているのが7か月後に世を去ることになるフルトヴェングラー/BPOの1954年4月27日のDG盤(前奏曲と愛の死)だ。この部分から身も世もないほど激して一直線に昇りつめるのではなく(それは楽譜から明らかに誤りだ)、潮の満ち干のごとく押しては引き、内側から渦を巻いてぐんぐん熱を帯び、秘められた論理構造に添って目くるめく高みに労せずして達していくという大人の音楽が聴ける。コンサートのライブであり愛の死に歌がないのが残念だが、頂点に至っての命がけのテンポ伸縮を聴けばそんな不満は吹っ飛んでしまう。もうフルトヴェングラーの秘芸とでも形容するしか言葉が見つからないトレジャーだ。
クナッパーツブッシュ盤はウィーン・フィルとの王道の横綱相撲で、黄泉の国から立ち上がるようにひっそり始まる曲頭のチェロの a音などぞくぞくものだ。ただ楽譜2小節目のmenofはほぼ無視で音色も変えず、ひたすらぐいぐい高揚してしまうのは大いに欲求不満に陥る。しかしこの演奏、愛の死に至ると様相は一変するからここに書かざるを得ない。一世を風靡したビルギット・二ルソンは贅沢な御託を垂れれば立派すぎて死の暗示に幾分欠ける(その点はライブで聴いたレナータ・スコットとヒルデガルト・ベーレンスが忘れられない)。だが、ないものねだりはよそう。圧倒的な歌唱はもう泣く子も黙るしかなく、指揮と歌が一体となって頂点に血を吹いたように燃えるこれを聴かずしてワーグナーを語らないでくれ、こんな成仏ができるなら「悲劇的浄化」もなにもいらない。音楽は麻薬だ。トリスタンとイゾルデは彼の芸術の最高峰であり、全曲完成後に「リヒャルト、お前は悪魔の申し子だ!」と叫んだワーグナーも、これを聴いて自分の中に棲む魔物に気づいたんじゃないか。三島がそれを見てしまった演奏は誰のだったんだろう?
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小池都知事の英語力を判定する
2024 APR 20 1:01:49 am by 東 賢太郎
英語がうまい人を「ぺらぺら」という。この語は漱石が「坊ちゃん」に使っているから古い。ぺらでもべらでも構わないが、要するに何を言っているのかわからないものの擬態語だから犬のわんわんに等しい。猫と会話できるなら「あの人、猫語にゃーにゃーだよ」という感じだ。我々は誰しも日本語ぺらぺらだがそれ以上でも以下でもないように、外国語もぺらぺらだからその国の大学を卒業できるわけではない。
政治家に必要な英語力なるものは、相手を動かすための複合的なパワーである点でビジネス英語に似るだろう。その観点からすると、動画で見る小池都知事の英語はうまい。政治家の中なら偏差値70だろう。発音のそれっぽさという点でも余裕で使いこなしているという点でも間合い・抑揚という点でも、ネイティブと相当な時間を費やさなければこうはならないと断言できる。しかし、とすると不思議なのだ。なぜカイロ・アメリカン大学からカイロ大学に転校したのだろう。学問的意図かというとそうも思えない。前者は米系私立大学で英語だから頑張れば卒業できたかもしれないし、そうしていれば何の問題もなかったわけだ。両校の違いを知る日本人は多くないだろうから、もし箔をつける目的だったならあまりリスクリターンの良くない選択だったように思える。
とすると「女帝」にある以下の仮説がより説得力を増す。中曽根総理とコネのあった父親が現地でそれを使い、エジプト政界有力者が “面倒を見よう” となった。軍政下だから大学は従うため、有力者のお墨つきを得れば「卒業」でも「首席」でも大学は否定しない。よって日本で自信をもってそう発表した。お墨だけだから卒業年月日はない。したがって、それのある名簿に載らない。卒業証明書も出しようがない。しかし有力者の決定を覆せないカイロ大は卒業していないとは言わない。よって、消去法的に、「カイロ大を卒業している」のだ。
だから2020年に日本で「嘘だ」と騒ぎになっても証明書は出なかった(よって「困ってるのよ」となり、今の偽装工作問題になっている)。2022年に小池氏はカイロ大学を公務として訪問し歓迎されているが、喉から手が出るほど欲しいはずの卒業証明書をなぜもらってきていないのかもそれなら説明がつく。押しても引いても出なかったのならカイロ大は政治に配慮しつつも学府の矜持は守ったことになる。小池氏が声明文を自作したとしても大学は自らが書いたとは言わず、エジプト国家(大使館)が裏書するだけだ。しかし大学も偽物だとは言わないのだから、「卒業がなかった」という証明は物証からは難しいのではないか。
この有力者の後継者が現在の有力者で、小池氏が日本国でODA等に関わる権力を握ることはエジプト政府にとって格好のポジションだから、私文書偽造罪で裁判になれば2020年のお手盛り声明を大学もが追認して救い、しかし卒業証明書は出さないまま小池氏の弱みを握る政略に出る可能性は否定できない。となると、法律違反であろうがなかろうが、それ以前に、小池氏が政治家でいることは日本国のリスクであるという主張には反論が難しくなる。岸田氏がアメリカ盲従なら、小池氏はエジプトのそれになるかもしれないという疑念は否定できなくなるからである。
この事態をまねいた種は小池氏が自らまいたものだから自分で除去するしかない。ただ、マスメディアにも責任がある。エジプト留学帰りだ、要人のアテンドもしてる、きっとアラビア語は堪能なのだろう。ここで彼らは「ぺらぺら」だけで海外の大学を首席卒業できると本気で信じたか、疑いはもちつつも商売として祭り上げたか、いずれにせよ彼女をキャスターに起用するなどして囃したて、様々なストーリーをまつりあげ、その国民的人気に乗じて政治家が群がってくることで『小池百合子というキャラクター』を国民の脳裏に植え付けることに成功したのである。それは小池百合子その人ではない。彼女に似てはいるが画面上だけに存在するバーチャルなイメージである点、ボーカロイドの初音ミクや、そらジローや、チコちゃんや、ひこにゃんや、くまもんや、つば九郎のようなものだと考えた方がわかりやすい。
小池氏を揶揄するわけではない。その現象はフランスのマルクス主義理論家、哲学者、映画監督であったギー・ドゥボールが看破した「スペクタクル」であるといっている。ここで詳述しないが、彼の著書によれば「社会」はマスメディアが生成して拡散するイメージ(表象)が支配し、イメージの集合体としてではなく、それが媒介する人と人との関係のことをいうようになる(もちろん政治もだ)。発刊は1967年だが半世紀を経て世界はまさにその通りの様相を呈している。トランプ大統領の出現はその象徴であり、小池百合子のキャラ化もその素地に根を張っている。だから彼女は選挙に圧倒的に強く、楽勝で東京都知事になり、キャラ化したら醜怪なだけの自民党議連のお歴々をぶっ飛ばせたのである。
もっと具体的に書こう。昭和のころ、銀幕のスターたちは映画館でしか顔を見ないにせよ、ファンには生身の人間として認識されていた。サユリストの間では吉永小百合はトイレに行かないという伝説があり、そう信じたいファンが多そうだなというフィーリングの伝播は “さもありなん” だという婉曲な形態でもって、彼女は半ばキャラクター化されてはいた。しかし、それがどうあろうと、昭和の世の中においては吉永小百合は早稲田大卒の女性であった。かたや初音ミクはというと、女性のようだが年齢も出身地も不詳であり、学歴はあるかないか誰も知らない。しかしファンにはどうでもいい。キャラクターとはそうした性質のものであり、それでも人気があって人が集まるのだから銀幕スターと何が違うのかということになり、社会も政治もイメージによってドライブされていくのである。それが「スペクタクルの社会」というものだ。我々はすでにその中に住んでいるのである。
つまり、これを世相の移り変わりであるとして、小池百合子は時代の申し子なのだで終わってはいけない。ドゥボールの「スペクタクル」は今も社会構造を根底から変えつつあるムーヴメントである。人気=権力であるという接合点を媒介して、日本の政界は芸能界と “同質化” した。参議院に芸能人やスポーツ選手が数合わせでいたのとは根本的に異なる、遺伝子交換に類するともいえるおぞましき交配現象がおきている。このままいけば、キャラで釣られる低学歴層が多数派になって国を動かし、とんでもないポピュリズム政権が誕生して独裁者が日本を破滅させかねないし、民主主義の手続きを経ながら日本を共産主義国家にすることだって可能だろう。
いま、大手メディアは報じないがネットメディアが取り上げている小池氏の学歴詐称疑惑を見るにつけ、僕はちょうど10年前に社会を騒然とさせたもうひとつの「キャラクター」を思い出している。それは、内容こそ違えども、「外国に渡って外国の利害に知ってか知らずか関わってしまい、日本を舞台として日本において利用されたと思われる女性」に関わるものであった。これが当時の稿である。
小保方さんはハーバード大学に留学した女性科学者であり、安倍内閣の「女性が輝く社会づくり」キャンペーンの花形であり、電通やマスメディアによって割烹着を着せられてテレビに登場し、「STAP細胞はあります」と世界を驚かせる論文をNature誌に発表した。日本人女性初のノーベル賞か!と報じられて世間の耳目を集め、あっという間に国民的キャラクターにまつりあがったのである。ここが小池氏のデビューと重なる。
当時、僕の関心は、セルシード社の株価がNature誌掲載と同時に急騰した裏にあると感じた不正取引(らしきもの)を調査することにあり、専門外のSTAP細胞に関心はなかった。ところが、しばらくして、小保方氏の論文にデータ改竄が見つかり、ハーバード留学も単なる数か月の短期ステイであり、密室での実験の結果STAP細胞は再現できないことが、これまた大々的に報道された。
科学の姦計と証券市場の姦計。実は「その両者が日米にまたがった同一犯の仕業である可能性がある」と指摘したのが上掲ブログと一連の補遺だ。胴元は米国だからだろう、本件を当局は捜査しなかった(と認識している)が、その帳尻は魔女狩りの如き小保方さん叩きによって合わされたかに見える。とすれば彼女は科学者としての心得の是非はともかく、巨悪に利用されて贖罪させられた犠牲者であるとも考えられる。同稿は毎日数万回ペースで読まれて多くの方の知るところとなり、不審なファイナンスが中止になるなど、天下の公器である証券市場が詐欺師に悪用されるのを抑止する一助にはなったと自負するが、後味はけっして良くはなかった。
小池氏が現況をどう打開するのかはわからないが、違法性があるとするならそれが立証されるか否かの可能性は既述のように思え、畢竟、最後の審判は有権者にゆだねられるのではないだろうか。僕は小保方氏の科学者としての心得についてだけは厳しく批判した。嘘となりすましの横行は国の幹を腐らせ、日本をますます衰退させるだろうが、真実・真理をひたすら追求するはずの科学者がそれに淫する図を見せられて心底衝撃を受けたからだ。政治は必ずしも真実・真理に基づいて行われるものではなく、国家の安泰と国民の幸福を得るための方策が何かは自国だけの都合で決まるわけでもないが、憲法が定める国民の多数決だけで常に最適解が出てくるわけでもない。それを導く叡智があり、その実行力を有し、正義に忠実な人が望まれる。国民はそれを審判するだろう。
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シューベルト ピアノ・ソナタ第4番イ短調
2024 JAN 13 23:23:04 pm by 東 賢太郎
「知識人の生態」はお読みの方も多いと思うが面白い書だ。西部邁氏はそれを①インテレクチュアル(真正知識人、村はずれの狂人)➁インテリジェント(似非知識人、勘定者)③インテリゲンチャ(政治活動家、口説の徒)に分類する。そして「人は金を儲けるとか、栄誉を得るとか、社会の風波のなかで自己を主張するとかいうような種々様々な目論見をもって知識人であるのではない。人は自分自身のために、自分自身にもかかわらず、自分自身に反してどう拒みようもなく知識人なのだ」とオルテガを引用し、「真の知識人への傾きは、知識そのものを超越せんとする知識を求めることにほかならぬ」と説いている。想像になるが、西部氏ほどの方がああした最期を選ばれるほど救いようのない日本への絶望というものは、知識人が➁の馬鹿ばっかりになってしまい、元からそればかりである権力者に輪をかけている現状への歯止めになりようがなくなった①への絶望ではなかったかと考える。まったくの同感であり、それこそ本来は西部氏が日本を救えた極めて少数の本物のインテレクチュアルであったことを示している。氏がそれを断念して自ら世を去ってから6年が過ぎた。ご懸念されたことは面妖で腐臭がただようほど如実になっている。日本人は平均収入がシンガポール人の半分もない貧乏人になり下がり、政治は沈む船の一等船室を争う君側の奸だらけ。被災した能登は40億円、ウクライナには10兆円も出す総理大臣がアメリカに国賓待遇で呼ばれて悦に入る。京都の人の「先の戦」は応仁の乱だがこれは内乱だ。国家の危機となると唐に占領された白村江の戦までさかのぼる。いま、日本国は奈良時代以来、最大の国家的危機にある。
自分の生活は➁の集団の中で、自分もいっぱしの➁であることによって贖われてきた。西部氏はそれを知識を切り売りする売春婦とされるが、やってる張本人として断言しよう。これまた、まったくその通りだ。それでも資本主義社会において家族、仲間、猫を守る方便としては甘んじるしかなかった。だから、本来はショーペンハウエル派で “浮き世” にあまり関心がなく、孤独だろうが村はずれの狂人であろうが①でいたい自分という人間はどこかで「精神の均衡」を整えるしかない。長年クラシック音楽にのめりこんで過ごしてきたのはそれもあったかと自己省察を与えてくれる書でもあった。僕は歌を歌ったり楽器を演奏するなどして他人に聞いてもらおうという自己顕示の衝動はまったくない。天文学者か医者になりたかったのは恒星の物理や人体の組成を研究したいサイエンティスト的衝動があったからで、神学には向いていたかもしれないがあまねく人為性の物事に関心はない。人為で唯一の例外が音楽だったのは、研究しても僕の能力では不可知のものがそこにあり、宇宙や人体の神秘に通じることを悟ったからだ。こういう生き方において➁や③というものは、それになることはおろか接するのもおよそ時間の無駄であり、こと音楽鑑賞においても①である以外に居場所はない。
今年の正月は日本国を大きな事件が襲った。疲れた。そういう時になにくれとなくピアノに座る。譜面台にあったシューベルト「4つの即興曲D899」第1番ハ短調を弾いた。といってもたどたどしい。上手な人に弾いてもらうほうがいいにきまってるが、鑑賞が目的ではない。そこにはピアニストという彼、彼女が介在してしまう。人間だからどんな名人であれ主義主張や感性が合うとは限らないのだ。いっぽう、音楽を紡ぎ出さずにはいられなかったシューベルトには「そうしなくてはおれない何か」があったと僕は信じている。ただただ自分自身のためにどう拒みようもなく書いたがそれが何かは語っていない。それを僕は知りたい。直接本人に訊ねるしかないではないか。
シューベルトが4つの即興曲D899を書いたのは病気で命を絶たれる前の年、1827年だ。死因は水銀の中毒が引き起こした神経症とされるがそれは当時のパラダイムにおける病名で、現代では腸チフス説、水銀中毒説、梅毒説がある。梅毒に罹ったことは確実のようであり、水銀は当時はその治療薬として処方されていた。それが最先端医療だった時代の記録から真相は量りようがないが、大元の原因は第3期に至って症状が軽重をくり返していた梅毒であり、最期に腸チフス(のようなもの)を併発したのではないか。
神経症とされたほど変調のあったシューベルトの精神状態がどう作品に投影されたかは興味深い。同じく梅毒説が確定しているロベルト・シューマンは交響曲第2番、チェロ協奏曲において、作曲の構造上にまでは及んでいないが、僕の感性では曲想に明らかに変性があり、病が理性の領域まで至ったと思われる痕跡が垣間見えて心が痛む。作品番号を付すことが控えられたヴァイオリン協奏曲でそれはついに構造にまで至る。彼は梅毒後期の精神障害に至って死んだと思う。シューベルトにそうしたことが起きていないのは僅かな救いに思えるが、D899第1番ハ短調の曲頭のハ短調から変イ長調のテーマになって目まぐるしくおこる調性の変転は、彼の個性ではあるがそれもあるかもしれないと感じた。あくまで弾いてみてのことだ。これはソナタの第2主題ではない。調性の旅路が変イ長調に戻って不意に現れる天上界の浮遊みたいな8小節にいたっては、これを第3主題と呼ぶかどうか不毛なことを悩む前にソナタと見るのをやめようとなる。本人もそう思ったので呼ばなかったのではないかと思うが、そんなものを捨ててもこれを書かざるを得なかったところにシューベルトの心の真実がある。以前にも述べたが、これはぞっとするほど、天使が妖艶に化けたかのように異様に美しい。何の前触れもなく不意にぽっかり現れて陶然とさせるが、弾いてみると、右手の4つにたいして、左手は6つで、これは僕には「魔王」の右手のアレに聞こえる。悪魔が潜んでいる。
こういうものはもしかしてショパンにインスピレーションを与え、同じ調のワルツ第9番のような曲、やはり漫然と弾けばなんでもないが、アルフレッド・コルトーがやったやり方、彼以外はひとりもやらないしできもしない風な弾き方をされると初めてそうかもしれないと気づくのだ。しかしショパンは一見散文的にみえるがそこまで逸脱はしない理の通った感性の男で、シューベルトでは予想もつかない霊的な現れ方のものをひとつの書法として個性にしてしまった。D899第1番の2つ目のテーマは、気紛れじみているが絶妙に置かれた伴奏音の導きによる色、明度、光彩のうつろい、グラデーションであって、それに添ってあるときは悲嘆に胸を絞めつけられ、あるときは諦めで沈静し、あるときは希望を見て安堵の歓喜を歌い、あるときは絶望に恐れおののいて絶叫するといった人間の弱くて脆いものが赤裸々に投影されてゆく。背景では冬の旅、魔王、ドン・ジョバンニ、運命が通奏低音のように蠢いている。こういう音楽を書いた人間はかつて地球上に存在した何百億人の人類でも彼しかいないのだから、その根源が病気であれ生来の性格であれ、それがシューベルトなのである。実働15年ほどで1000曲もの作品を書き音楽史にこれほどの大きな足跡を残したのに、与えられた人生はモーツァルトより4年短く享年は31才だった。
では31才のベートーベンは何をしていたか?聴覚が減衰してゆく端緒期にあり、運命の暗い淵を予見して自殺まで考えることになるが、それでもジュリエッタ・グイチアルディという女性に恋して月光ソナタを書いていた。後世は彼を不毛の恋多き男として描くのがステレオタイプとなっており、たしかに多情と思われるエピソードは目立つ。ただ、それはモーツァルトの劣情を殊更に面白がるのと同様に彼らの音楽創造の根源を理解するのに何ら重要でない。男は一皮むけばみなそんなものだからである。大作曲家の肖像画は聖人君子のようだが、そういう理解は絵本で笑っていたヒグマと友達になれると信じるようにうぶなものだ。女性、フェミニストにはご理解を賜りたいが、ベートーベンの多情は逃げようのない病魔からの逃避でもあったと思う。女性に好かれようとふられようと難聴はじわじわ進行して彼を恐れおののかせ、何であれそこから逃れるための夢中になれる時間は大事だったのである。
いっぽう、シューベルトには失恋した幼なじみテレーゼ以外に浮いた話がほとんどなく、身体的コンプレックスもあり女性にモテなかったようだが、それがあっても十分にモテたモーツァルトがいた。当時の寿命や医療環境を鑑みても35才で急死したモーツァルトの短命感は否めず多くの疑念、憶測を呼んだわけだが、31才のシューベルトの死にはそれもない。彼がモーツァルトほど著名でなかったせいはあるが、梅毒罹患という事実はサークル内外で周知だったと考えれば辻褄が合う。気の毒でしかない。ロベルト・コッホによって細菌が病原体であることが証明される半世紀も前であり、何に呪われているのか知らなかった彼は自分の体に日々おこる得体の知れぬ変調に悪魔の所業を見たようにおびえたに相違ない。この一点においてはベートーベンは先達の巨人であるばかりでなく同胞でもあり、音楽をもって病に打ち勝った英雄は思慕と尊敬の対象になったろう。だから彼は先人のスコアに学び、演奏という一過性の行為以上に作曲という時を忘れる高次の思索的行為に没頭していったと思われる。シューベルティアーデは友人たちが用意したハレの場でそればかりが有名になっているが、彼の内面をわかる者はない。病とは孤独なものだが死はもっとそうだ。彼は常にピアノに向かって作曲することでおぞましい現実から意識をそらすことができたのだ。健康であり、ハレの場で楽しいばかりの人生だったなら彼にとって喜ばしいことだった。しかし、後世に生まれた我々は珠玉の如き作品群を耳にできなかっただろう。
以上はあながち空想でもない。僕は54才にして水疱瘡にかかった経験がある。40度の発熱と共に体中に発疹がびっしりと現れて顔面まで痣だらけになった。自分に起きてしまったことは理解したし薬ももらったが、あまりの姿に鏡の前でぞっとした。もしあのままだったら今の人生はなく、その恐怖が後にパニック障害の原因となったかもしれないが、それも含めて我が運命だったと了解するしかない。ただいえることは、多くの人が語っているようにこの「内なる悪魔」は恐いということだ。説明してもわかってもらえないからさらに孤独に追い込まれもする。それから逃げるためきつい仕事をしているのかと問われても絶対に違うとは言い切れない。現に、結果論として、怠惰な僕が会社を14年存続させてきたし、カミングアウトした長嶋一茂氏は空手のチャンピオンにまでなられた。命にかかわる病ではないから長い目で見れば「おかげ様で」になるかもしれないという意味で運命であり、もはや人生の一部になっていると考えるしかない。
話をベートーベンに移そう。僕は彼の性格のあれこれや行動の一部はパニック障害に由来したかそれを誘発したと考えており、交響曲第5番のような闇から光へという性質の音楽創造には「おかげ様」の寄与があったと信じている。経験者として語らせていただくなら、作曲家の聴覚喪失という想像を絶するストレスがそれをもたらさないほうがよっぽど不思議であり、20世紀にそれが病気として分類されるまでは「性格」とされ、天才なのだからさもありなんとされてきただけだろう。レッスンで意に添わない弾き方をする弟子の肩に噛みついても「癇癪持ち」と記録されてきたわけだが、2百年前の人類はそれが普通だったという証拠もなさそうである。そのような症状の発現を彼の完全主義、コーヒー(カフェイン)依存が助長し、毎日昼に1リットルのワインを飲むというアルコール依存に陥ることとなったが、それでも作曲家を続けられたのだから誰も病気とは思っていない。たぶん、それは誤りだ。なぜなら作曲に没頭すること自体が最高の薬だからである。専門家のご見解はいかがだろうか。
そんなことが彼らの音楽創造の根源を理解するのに重要かという議論はあろうが僕は肯定派である。助平という男性一般の性質をモーツァルトが発揮しても何の特殊性もないが、これは特殊であって精神の産物である音楽の創造過程に影響なしと言い切る根拠はない。かような考察を巡らす精神こそ西部邁氏が「知識そのものを超越せんとする知識を求めることにほかならぬ」と看破したもの、すなわち “インテレクチュアル” な人間の実相である。拙稿の読者はみなそれであろうし、そうあろうと思う若者は学べばいい。そこでご紹介したいのがアンドラーシュ・シフが20年前にウィグモア・ホールで行ったベートーベン・ レクチャー・リサイタルのビデオだ。僕のような聴き手、すなわち、作曲家の遺伝、学歴、職歴、性格はもちろん経済状況、恋愛歴、病歴までもが創造の根源に関与したはずだという観点から楽曲を知りたい者にとってシフのレクチャーは価値がある。彼は譜面を音化するだけの達人ではなく、なぜベートーベンがその音をそこに置いたかを膨大なレパートリーの記憶から知的に考察し哲学する音楽の “インテレクチュアル” だからだ。
弾いた人しか知り得ないものが多々あることがよくわかる。音楽を語る、評論するという行為は文さえ書ければ小学生でもできるが、例えばスポーツにも経験者でなければわからないことがある。「ホームランの感触は?」という質問は答えようがない。やった人は知ってるが硬式球は芯を食うと「無感触」なのだ。そう答えるわけにもいかず困った選手は「最高で~す!」と絶叫、スタンドがワーッとわく。これは素人界だけで成立する一種の芸、出し物である。これと変わらない出し物でバッジを維持できる国会議員という芸人。裏金で全員逮捕だ!でスタンドを沸かせるだけの地検特捜部。無知な素人をだますだけの日本国劇場が末期に近づいていることを見抜いた西部氏の慧眼には敬服するしかない。クラシック界でも楽譜も読めない評論家がホームランの感触の類を素人に語る芸が商業的に成立していた時期があったが、レコ芸とともに消えた。シフがいうところのサイエンティストである僕には何の関係もない。そのシフのレクチャーだ。英語だがとても分かりやすい。
第27番ホ短調作品90をお聞きいただきたい。
26番と27番の間には5年の中断があると語っている。弟カールの死にまつわる家庭問題と借金、結婚への望みが絶たれたことによる失意のストレスで補聴器を使っても会話困難になるほど難聴が悪化していたスランプ期だ。1813年、イギリス軍がフランス軍に勝利したことで書かれた「ウエリントンの勝利」は時流と昂揚に乗って欧州各地を演奏して回って稼ごうという西部氏いわく➁(勘定者)の活動であったが、それと精神の均衡を得るための①の活動であったと思われるピアノソナタを翌1814年に着手した。満を持した新作27番は速度表示等をドイツ語表記にし2楽章に凝縮した書法による創意と革新にあふれた作品となり、本作を後世は「ベートーベン後期の入り口の作品」と評することになる。その年に17才だったシューベルトは、作曲の先生サリエリに「君の作品はハイドン、モーツァルトの真似ばかりだな」とこきおろされて悩んでいたのであり、27番に注目しなかったはずがない。
27番の第1楽章はこう始まる。
(楽譜1)
シューベルトにはこれと同じリズム、同じ fとp の対話でいきなり主題から始まる曲があるのをご存じだろうか。ピアノ・ソナタ第4番イ短調 D 537だ。これが出だしである。
(楽譜2)
さらに27番を見てみよう。第2楽章はこう始まる。
(楽譜3)
なんという喜々とした、歌に満ちた素晴らしい音楽だろう!シフは「巷ではベートーベンは歌が書けないというが、誤りを認めねばならないだろう。これはまるでシューベルトだ。ベートーベンが先だけどね(笑)」と語っている。まったく同感だ。僕は楽譜3が好きでよく弾いているが、そのたびにアレに似ているなと感じる。旋律など外形がではない、雰囲気、気分、スピリット がである。
それがシューベルトのピアノ・ソナタ第20番の第4楽章だ。これだ。
(楽譜4)
20番はシューベルトが亡くなる直前、1828年に書かれた白鳥の歌だ。ところが、この第4楽章はある若書きのアレンジであることが知られている。
ここで再びソナタ第4番が出てくる。その第2楽章なのだ。これだ。
(楽譜5)
野原を一歩一歩ふみしめて散歩するようで、20番とずいぶんイメージは違う。しかし明らかに楽譜4と5は同じ旋律である。しかもこちらはホ長調でありベートーベン27番と同じだ(20番ではイ長調になっている)。
つまり、シューベルトはベートーベン27番を研究し、そこからのインスピレーションでソナタ4番を書いた可能性がある。27番は1814年、4番は1817年と作曲時期も平仄が合っている。ちなみに楽譜1、2は「ウエリントンの勝利」第1部の最後、フランス軍撤退のテーマだ(短調にアレンジされたマールボロ行進曲)。
1817年!ここで重要な指摘をしたい。シューベルトの人生を破滅に追い込んだ忌まわしい過ちのことだ。その年、彼はエステルハージ候のハンガリーの別荘に招かれ令嬢たちの音楽教師をして素晴らしい時を送っていた。フリーランスとして初めて報酬をもらい、ペピという29才の女中と関係してしまった。そこで梅毒をもらったのである。1818年の出来事だ。
自分はもう生きられないだろう。万感の想いをこめて書いたであろうピアノ・ソナタ第20番。それを締めくくる楽章で10年前の、まだ健康で歓喜に満ちていた日々を回想した。彼の心に去来したものは知れないが、そこには罪も恨みも後悔もない。聞こえるのはただただ素晴らしい歌だけだ。
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