Sonar Members Club No.1

カテゴリー: 旅行

今年は映画を作る

2020 JAN 1 9:09:48 am by 東 賢太郎

屋久島は二度目である。仕事だが、11月に奥出雲に行ったのと関係がある。

奥出雲風土記(2度目訪問の背景)

そこに書いた「僕にとって人生をかけることになるであろう某プロジェクト」とは、映画を作ることだ。映画館に掛かる、90分の青春ドラマだ。

理由はない。映画はテレビと同じぐらい見ないし興味もない。なんとなく成り行きでそういうことになり、やっているうちに不思議と道具立てが揃い、これは俺がやるべきことだろうという気がしてきた。それだけだ。

屋久島はミクロネシアとそっくりだ。そんなことを言おうものなら絶句されて会話が途切れるだけだから誰にも言わない。奥出雲もおんなじ。といって、もののけ姫ぐらいしか通じないだろう。おおいにスピリチュアルなことだ。

年末の屋久島はおすすめだよゴーンさん。自然はいいなあ、くだらないウソつかないし金にまみれてないし、ここに住んでもいい。白谷雲水峡で撮った2枚の写真は60才になる前と65才になる前だ。

60才になる前

65才になる前

自然もずいぶん変わってるなあ。

1才のノイ

5才のノイ

そしてノイは変わらず上をむいてる。すばらしい。いい猫だね。

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我が家の真上を行った巨大台風19号

2019 OCT 13 2:02:07 am by 東 賢太郎

過去最大の台風といってもピンとこなかった。我が家は南西方向が崖の高台に建っているから風はもろに受けてしまう。ついこの前のも大型だったが、あれは暴風雨が夜中であり、家族は眠れなかったらしいが僕は来たのも知らずに朝まで熟睡だった。

しかし今回の19号は二日も前に巨人・阪神のCSの中止が発表されており、ドーム球場なのによほど強力なんだろうということで一応の心構えはあった。世田谷区から防災警報が放送マイクで何度も何度も物々しい口調で流れ、スマホ情報で台風を眺めてみるとなるほどでっかい。東は仙台あたりから西は愛媛あたりまでの図体ではないか、こんなのはたしかに見たことない。アメリカで巨大ハリケーンとして勝手に名前はついてるし、娘にはブラジルの友達から安否を心配するメールが入っている。なんか地球規模の化け物みたいだぞ。

そうこうするうち、こいつはずいぶんゆっくりと北上してきて、午後7時にとうとう伊豆半島に上陸した。なにもわざわざそこまでキレイに伊豆を狙わなくてもいいだろうというほど見事にドンピシャだ。まずいね、ウチの辺も雨脚が強まってきているぞ。心配になってきてそこからの進路予想図を見てみると、伊豆からいい塩梅にスライス気味にカーブしていて、「目」はどうも我が家のあたりを直撃しそうである。直撃も初だが、そいつが過去最大だなんて・・・。

「その時」は午後10時に来た。我が家のほぼ上空にこいつは悠然とやってきた。伊豆南端からちょうど3時間で意外に速いではないか。その30分前から窓という窓に吹きつけるかつてない暴風のピューピュー、ゴーゴーいう音と、バリバリと全開の高圧シャワーのような強烈な雨音の宣戦布告がフォルティッシモで始まっていた。話し声も聞こえなくなってくる。ガラスは二重だし壁も頑丈だから大丈夫と思っていたが、窓や壁の心配をするまえに家ごと持っていかれるかというド迫力だ。それが1時間も続くとさすがに怖さを覚える。といって何ができるわけでもなく、家族5人とネコ3匹で耐えていたらだんだん音はフェードアウトになっていった。

そうしたら午後11時ぐらいになって「多摩川の水位が上がって、ついに氾濫した」という聞き捨てならないニュースが出た。箱根の降水量が日本一になったようで、ここからは川の氾濫が危険だ。一難去ってまた一難。サイレンを鳴らしながらパトカー、消防車が何台も通る。場所は二子玉川らしい。あそこはあり得るなと無事をいのる。我が家は離れてるし30メートルの高台だからと高をくくっていたら、そこでいきなり停電に見舞われた。ここから家中がやおら災害モードになる。真っ暗になって歩くのも不如意になってしまうと人間は何もできなくなることを悟る。しかし妻子は懐中電灯とスマホで家中を照らして手際よくブレーカーを落とし、復旧時期が不明だから冷蔵庫の生ものを片付けてしまおうという機関決定がが僕ぬきで下されていた。昔からそうであるが、こういう時に家長はからっきし役に立たない。階段でころげ落ちないようにへっぴり腰で手すりを伝い、義務で平らげた生ものは一番どうでもいいヨーグルトであった。

そんなドタバタをしり目にネコたちは平然としたものだ。世田谷区の防災警報が「レベル5です、避難してください、命の安全を第一にしてください」になったときまっさきに心配したのは、ネコを連れていけないかだ。「避難所はダメらしいよ」「どうしてだ、犬は」「犬もだめ」「じゃあインコはどうだ」と禅問答になっているのを横目に我関せずと寝そべったままだ。最悪クルマに積んで逃げるんだろうなあなどと考えていたが幸い避難するには至らず、大箱のヨーグルトをがんばってフィニッシュしたと同時に停電は15分ぐらいでおさまった。そうしたら、やおらクロが僕の膝に飛び乗ってきた。普段は家長はただの踏み台であって、そこからいい匂いのする食べ物が並ぶちゃぶ台に乗り移ろうという魂胆のクロなのだが、この日はそうしない。ピューピューバリバリが怖かったんだろう。

11時半で外はすっかり静かになった。雨も風もなし。玄関から出てみると湿った外気がそこでひと騒動あった物々しさを残しているが、塵ひとつない自然の香りに満ちていて胸いっぱい吸い込むと新鮮な気持ちになる。前の道へ出ると人っ子一人いない。完全な静寂。それにしても凄まじいエネルギーだった。あれで発電、蓄電できたら原発いらんだろう。台風はミクロネシアあたりで生まれるからマリアナ海溝で産卵するウナギみたいなもんだ、台風の赤ん坊なら核爆弾を打ち込めば日本に来ないよう進路を変えられるんじゃないか?いろいろ馬鹿なことを考えながら戻ってきて、2台の車を見たらこれが洗車したみたいにピカピカに光ってるではないか。

古来より日本人は台風を仕方ないものとして甘受してきた。清冽な水、豊かな作物、みんなそのおかげであって、いろいろ厄災はあったけど神様はお恵みだってくれてるじゃないかと長いものには巻かれ、つにには争い事まで「ここはひとつ水に流して」なんてノーサイドのきっかけにまでなってしまった。とても疲れた一日であったが、過去最大のモンスターに耐えられたんだからもう何が来ても大丈夫。水に流そう。これを古来より台風一過という。

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「野村ロンドン会」直島旅行

2019 JUN 3 1:01:06 am by 東 賢太郎

人のつながりは不思議なもので、同じ教室や職場で長く時を共にしたというだけで自然に深まるわけではない。その共有した時が普段よりも格段に濃いものでなくてはならず、切っても切れない仲というのはそうおいそれと出来るものではない。僕の場合、人生で最も濃密な時間というとロンドンの営業課で過ごした6年間だが、完全な戦場だったからそこでの同僚は先輩も後輩もなく「戦友」以外の何物でもない。英語で仲間というとcompanyだが、こんなのは薄い。戦友はcomradeといい、命がけで同じ使命を達成する者たちである。血判状の同志に近い。

「野村ロンドン会」はcomradeだけがメンバーである。集まるとするとcompanyなら同窓会かゴルフ程度だろうが、血判状の濃さであるから旅行になる。毎年一度は必ずやる。ひとりは先日トランプ大統領とホワイトハウスのオーバル・ルームで会談した時の人だし、もうひとりは某大企業の話題の総会マターでマスコミが追う時の人だ。それなのに声がかかると瀬戸内海の直島に気やすく全員集合してしまう。これぞ血の濃さだ。お互い仕事で実力を知り尽くしているから深いリスペクトがあって気がおけない。世間的にはそうそう口のきける面々ではないのだから外部から信じられないだろうが、まったく気を使う必要のない何でも言える関係であって、この2日間、心底リフレッシュ、リラックスさせていただいた。

新幹線で岡山まで行き、JR宇野線で宇野港へ。もうここから外国人が多く、直島の観光客は半数以上が欧米人だったんじゃないか?船は約20分で直島に着く。ベネッセハウスに滞在させていただいたが数々のおもてなしを頂戴し心よりの感謝あるのみ。土日で直島、犬島、豊島をクルーズしてアートミュージアムをすべて堪能させていただいた至福の時であった。

個々のアートについて文字で説明することは困難だし、まだ素晴らしい余韻が残っている中でそうしたくもない。とにかく、ウォルター・デ・マリア、ジェームズ・タレル、李禹煥、安藤忠雄、内藤礼らの一級品の現代アート、建築物が島の地形、風土と見事に溶け合った総合造形芸術アイランドである。

たまたま、犬島では建築家の妹島和世さんに彼女の作品の中でお会いした。建築家のノーベル賞であるプリツカー賞の受賞者だ(cchttp://妹島和世 – Wikipedia)。気さくに話せる方で、デザインされた店でホッピーのビール割りで乾いたのどを潤した。

妹島和世氏の作品

インパクトある作品が多かったが、これは時のたつのを忘れた。

豊島美術館(内藤礼・西沢立衛)

ベネッセハウスは大変にクオリティが高い。まるで地中海のホテルにいるようでサービスも食事も部屋も景色も最高であって、このグレードでの値段となるとリーゾナブルとしか言いようがない。外国人で常に予約が一杯なのは当然。行かれたことのない方には激賞しておきたい。

 

(野村ロンドンについてはこちらを)

僕にとってロンドン?戦場ですね

 

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T社長、ありがとうございました

2017 OCT 11 20:20:10 pm by 東 賢太郎

昨日、お世話になったT社長の訃報に接して心底がっくりきている。もっともっと聞いていただきたいことやご一緒にやってみたいことがあった。心からご冥福をお祈りします。

58歳にもなって出会った方々の中で、社長ほどインパクトのある方は断じてひとりもいない。僕のような者のアイデアを真面目に取り合ってくださるのも極めて稀だが、そういう異次元の理解力を持った凄い人とそんな年齢になって会えるということも奇跡に思える。

日本人なら誰もが知る大企業を立ち上げた立志伝中の方で社長ほど人の心をつかむ達人もいないだろう。発想はいつも驚くほど豊かで既成概念にまったくとらわれがなく、それがビジネスになる段階に至ると逆に手堅かった。商売の極意はこういうものかと実地で学ばせていただいた。

初めてお会いしたのはミクロネシアだ。強烈な3日間だった。まことに数奇なご縁でありお互いに未知の場所だから印象に残るあれこれがあって、ちょっとした会話、食事にいたるまでがまるで昨日のようにリアルだ。僭越なことだが、たったそれだけの短い間に、性格は違っても気質が合う方だと感じ入ってしまった。

ミクロネシア連邦ポンペイ島の初日

故郷の奥出雲にご一緒させていただいた時は、普通あり得ない体験を忘れないようにと戻ってすぐブログに書き留めた。それをお知らせしたわけではないのにいつの間にか細かくお読みになっていて、あれだけたくさんのことを覚えてこんなに描写できる人はいないと各所で話題にされて恐縮した。そういう角度から僕を評価してくださった人は人生で社長だけだ。ほめられたということよりもそれが物凄く嬉しく、この方は普通じゃないと確信した。

奥出雲訪問記

顧問を拝命することになった箱根での株主総会が3年前。吟遊という素晴らしい温泉旅館だった。お役に立つことができたかというと、まったくの力不足だったことは否めない。社長は大変な読書家で顧問に頼るどころか足元にも及ばぬほど無尽蔵に知恵がわいてくる方であり、僕はむしろ人間学の雑誌をとっていただいたり蔵書をたくさん貸していただいたりと、逆に顧問していただく側だった。人間を磨けということだったのだろう、その一冊一冊にその時々の熱い会話と情がこもっていて忘れることができない。

箱根吟遊と旧吉田茂邸にて

綱町の三井倶楽部での株主総会はほんの2年前のことだった。

綱町三井倶楽部にて

人が逝くとはもう二度と会えないということだ。しかし社長とは一対一で普通ではない長い時間を社長室で過ごさせて頂いた。信じていただけないだろうが丸12時間に及ぶこともあった。だから、こういうことがあれば多分こうおっしゃるだろうということが想像できるようになっている。それは僕のかけがえのない心の財産となっており、今となれば人生の貴重な最後の時間を頂戴していたということなのだ。

あれほどお元気で頭脳明晰であられても来るものは来る。人生歩いていけば順番でやがて誰にも来る。だから悔いのないだけのことをしておこうと思う。社長に頂いた財産は使わなくてはいけないし、使うならばそれはこの会社さんの幸福のために使う。僕は社長に教わった通り、人の道を行きたいと思っているからだ。

社長、欲をいえばお互い20年若い時に出会いたかったですね、きっと物凄いことができたでしょうね。必ずやり遂げてご報告いたしますのでゆっくりとお休みください。本当にありがとうございました。

 

 

 

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プロコフィエフ ピアノ協奏曲第3番 ハ長調 作品26

2017 AUG 1 1:01:39 am by 東 賢太郎

このコンチェルトのレコードを初めて買ったのは1974年だから浪人中、思えばもう43年も前の話だ。ワイセンベルク、小澤にパリ管という当時としてフレッシュな組合せだった。まだモーツァルトもベートーベンもよく知らず、僕のクラシックはストラヴィンスキー、バルトークで始まっていたから、この曲もその流れで気に入っていた。今は2番の方が好きだが。

第1楽章冒頭、クラリネットの寂しげなメロディー(右)がひっそりと鳴りだすと、なぜか僕の脳裏には人気(ひとけ)のないお寺のお堂が浮かんできて、弦がしっとりとかぶると朝焼けの霧がさ~っと広がる。

そこにいきなりハ長調で弦が走り出し、ピアノが見栄を切るように闖入し、妖術のようにぱっと変ホ短調に姿を変える。まったく俗なことだが、上海で観た雑技団で、男が女の姿を布で隠しさっとそれをのけると瞬時に着ている服がかわっている、あれがいつも頭をよぎる。合いの手でぴぴーっと耳をつんざくフルートの高音は龍笛を連想させる。

第2楽章の冒頭(変奏主題、右)の鄙びた風情も、妙に半音が絡んで西洋風を装おうが、僕は東洋を感じる。

これが5回変奏される様はまさに歌舞伎の七変化だが、第4変奏(右)の不気味さなど先日観た能の土蜘蛛の妖怪さながらだ。

第3楽章の冒頭、ファゴットによる第1主題(上)は誠に日本的であり、作曲家が滞在中に聞いた「越後獅子」であろうとする著名な説があるが、西洋で無視されているから俗説とされるのが通例である。

そんなことはない。彼は1918年にロシア革命を逃れて米国亡命したが、モスクワからシベリア鉄道を経由して5月30日に敦賀に上陸し8月2日に離日するまで2か月も日本に滞在した。奈良では奈良ホテルに泊まり横浜、軽井沢、箱根も楽しみ、京都には1週間もいてお茶屋遊びもした。大正7年のこと、珍しい西洋人の若者だ、さぞ芸妓さん舞妓さんにもてただろうと考えるのが大人の常識というものである。現代の日本人だって初めて連れて行けばびっくりする。多感な27才が何の感化も受けなかったとする方が不思議であって、彼の脳内で起きた可能性のあることをどうしてそうすげなく否定できよう。西洋人の学者は可哀そうにお茶屋も知らんのだなあと同情するばかりだ。

第3楽章、西洋的でラフマニノフのような第2主題に差しはさまれるこのピアノのシンプルな主題も半音階で西洋風にデフォルメされてはいるが、僕は日本庭園の石庭のような枯淡を底流に感じる。

以上思いつく例を挙げてみたが、私見ではこの協奏曲は書きかけだった「白鍵四重奏曲」が下敷きとなった日本狂詩曲という色彩があるのであり、それが顕わに露呈するのをプロコフィエフの趣味と知性が忌避してショパン、ラフマニノフの浪漫性と自己が語法としつつあったモダニズムを塗してソナタ形式の西洋を装ったものだ。バルトークがハンガリー民謡をクラシックに仕立てたのと近似するが、彼は日本の謡曲に愛情があったとは思えずメモリー、素材に過ぎないという違いはある。

むしろ近代の日本人作曲家がどうしてこういう曲を書けなかったのか?こんな見事なサンプルがあるのに。西洋で無視されているから俗説だという日本人の誇りのかけらもない姿勢と同じで、クラシック音楽界は救いがたい西洋コンプレックスが支配していると感じる。民謡を使った人はいるが、するとシャープのガラパゴス・ケータイのツッパリみたいに過度に開き直って土俗に浸ってしまう。それがモーツァルトやブラームスと同じ演奏会にのる期待はまずないだろう。

スコアで面白いところはたくさんあるが書いたらきりがない。第1楽章の第2主題の裏にカスタネットが入る。第75小節は5連符が書いてあるが、これを失敗しているケースが意外に多い。アルゲリッチ・アバド盤のベルリン・フィル(6発)、ユジャ・ワンのアムステルダム・コンセルトヘボウ管(6発)、ポリーニのトリノ放送響(4発)とよりどりみどりだ。これは5発でこそキマルという感覚は見事に演奏しているクライバーン・ヘンドル盤をお聴きいただき味わってほしい。どうでもいいと思われるかもしれないが僕はこういうことが非常に気になるたちで、アバドはスタジオ録音なのにプロとして実にいい加減と思う。これは古来より名盤とされ、文句をつけた評論家もいないと思う。

第1楽章の展開部に、左手が白鍵、右手が黒鍵で三和音を半音階で急速に駆け登っていく印象的なパッセージが3度現れるが、これはショパンの第1協奏曲のやはり第1楽章展開部、練習番号13の天才的な書法を想起させる。プロコフィエフはピアノの名手でもあり、前述した日本滞在中に日比谷公会堂でリサイタルを開いており、自作だけでは聴衆が理解できないだろうということでショパンのバラード第3番を弾いている。

プロコフィエフがパリ時代に交友を持ったプーランクの有名な「ピアノと管楽器のための六重奏曲」は、第1楽章の終わりの方、練習番号15のあたりの雰囲気がプロコのPC3番の第2楽章第4変奏にそっくりである。影響を与えた作曲家はあまり思い浮かばないが、プーランクは筆頭格といってよいだろう。その唯一の弟子のピアニスト、ガブリエル・タッキーノはプロコフィエフも得意とし、PCは全曲の録音を残している。

 

ニコライ・ペトロフ / ネーメ・ヤルヴィ / チェコ・スロバキア放送交響楽団

youtubeで発見、1975年5月22日 スメタナホールとあるがピアノに関する限りすばらしい名演で非常に印象に残った。LP時代にプロコのPソナタはペトロフのメロディア盤がベストとされ僕もそう思う。剛腕のイメージで確かにそれが売りだが、強い打鍵は発音の良さと表裏一体と化して格段に上等であり、タッチの種類が意外に豊富である。オケも木管の音程が良く、ソロの彫の深さに同調して華を添えている。第2楽章のソロで深い呼吸から出るフレージングと立体感は他のピアニストから一度も聴いたことがない。スポーティに弾く者が多く、それでも聞きごたえがしてしまう曲ではあるが、ペトロフの深い表現にはホンモノを見てしまう。

 

ウイリアム・カぺル / アンタール・ドラティ / ダラス交響楽団

オケは下手で上記のカスタネットなど勘弁してほしいが、これは31才で飛行機事故で亡くなった天才ウイリアム・カぺルを聴く録音。天馬空を行くが如し。

 

ユジャ・ワン / ダニエル・ガッティ / アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団

上記の6発の演奏だが、どうせ誰もわからんと客をなめたものかもしれない。ユジャ・ワンのビデオはもうひとつ、アバド/ルツェルン祝祭管があってそっちも6発であり、アバドは確信犯かもしれない。こういう恣意的なスコア改悪は強く反対したいが、そっちの客はひどいもんで拍手の気のなさは熱演したワンが可哀そうになる。有名音楽祭に着飾って来るような客はほぼ音楽なんてわかってない、なめられて仕方ないというものだ。日比谷のプロコフィエフみたいにショパンでも弾いたほうがルツェルンはお似合いだったかな。

こっち(コンセルトヘボウ)の客はましだ。ワンちゃん、そういうお客相手でプロコフィエフだしこれじゃいかんと思ったのだろうかスカートが短い。ここまで短くすることもないと思うが、ともあれ見事な演奏だ。この人は近現代ものにもいい感性があってミーハー相手のポップスばっかりやる手合いと違う。

 

プロコフィエフ 交響曲第3番ハ短調 作品44

 

 

 

 

 

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ジャガー・ルクルトのレベルソ

2016 DEC 23 0:00:26 am by 東 賢太郎

ロンドンの金融街シティをサヴィル・ロウの老舗仕立て屋ギーヴズ&ホークスのスーツを着てチャーチを履いて闊歩するともう気分はにわか紳士だ。まったく柄にもない、今思うと田舎の成り上がりもんで恥じ入るばかりなのだが、服装の流れで自然とウォッチが欲しくなった。留学を終えて赴任したばかりの二十代だ、給料なんて二束三文である。そもそも米国ではマックも食えなかったのにチェロを大人買いしてなけなしの貯金は使い果たしていた。

シティのはずれにあった宝石屋マッピン・アンド・ウエッブは入るだけで敷居が高かった。おそるおそるのぞくと、お目当てのそれは凛と涼しげな風情でケースの中から柔らかい高貴な光を放っていた。僕はその姿をコヴェント・ガーデンで見た魔笛のプログラムにブロンド美女と一緒に写っていたおしゃれなアドで知ったのだ。絵にかいたような一目惚れである。1985年のことだ。

jaegerそれはジャガー・ルクルトのレベルソなるリバーシブルのウォッチであった。このメーカーはスイスのル・サンティエに16世紀に逃げてきたユグノー教徒末裔のルクルトがパリで海軍の時計を製造していたジャガーと創始した最高級の時計メーカーで、400の特許を持っている。二人のイニシャルが合わさったロゴ(左)が見えない正三角形を成す造形センスが象徴するようにデザインも抜群にいいのだが、それよりもなぜ僕として数あるスイスのブランド時計屋で最高級と評したくなるかというとメカと補修に対する偏執狂的なまでのこだわりが感性に合うからだ。

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例えば右はアトモスという置時計だが動力は何もいらない。はるか後にスイスで入手した際に「1日の気温差が1度以上あれば動きます」というので「じゃあ南極でも動きますか」ときいたら「ええ、凍らなければ」だ。「で、何年動きますか」「200年」ときてそれ以上質問が浮かばなくなった。あれからとりあえず20年だが、たしかに問題なく動いている。マニアックな名器だ。

さて初めて足を踏み入れたマッピン・アンド・ウエッブで柄にもない大人買いをしたのはレベルソのピンクゴールドだ(下がその表と裏)。ポンドが250円のころで円ベースで70万ぐらいだった。昨今この時計はそこらじゅうで有名になってしまって面白くない。ことに芸能人に人気らしく嵐の誰それもご愛用らしいが、当時は誰も知らず飲み屋で裏返してみせると瞬間芸にはなった。同じころに東独August Förster社製のアップライト・ピアノも買ったもんだから家計は火の車だったろう。こういうことで好き放題やって家内には面倒をかけっぱなしであったが、こうやって常に背伸びをして生きてきたから背はちゃんと伸びたんだということにして許してもらっている。

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レベルソは僕の人生で背伸びの第一歩であったから特に思い出深い。掘ってもらったイニシャルのKAは息子も同じだから与える。まあしかしこんなのは序の口で、その後ポルシェより高いオーディオ、箱根のでかい地面を経て家の建築へとつづく。誤解を避けたいが余資があったことなどない。いつも買ってしまってからどうしようと焦り、その最たる家はデフレのさなかに年収**年分の大借金を背負うというファイナンス専攻のMBAにあるまじき事態を伴った。この性格は何があろうと変えられないからあのままサラリーマンしてたら即死だったと思うとぞっとする。物体として買いたいものはもうない。次はたぶん会社かなという新年を迎えそうだ。

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あれからもう一年か・・・

2016 AUG 11 16:16:30 pm by 東 賢太郎

去年は今頃九州にいて、中村兄といっしょでした。それについて、これしか書いてなかったのは怠慢でした。

嬉野温泉スパイ事件の謎

1年遅れですがこの続編を書きましょう。

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レンタカーで8月10日に嬉野温泉を出発します。まずは割合に近い有田焼の有田に寄って柿右衛門の窯元で焼き物を見た。土産でもと思って焼き物センターのようなところへ行ったが、中国人ばかりでした。

 

 

 

 

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お昼は駅前のこんな食堂で名物のチャンポンを。猛暑に似合わないけどおいしかったですね。食堂のあんまり映りが良くないTVでは甲子園で岡山学芸館と鳥羽がやっていて(12時試合開始)、まだ序盤であった。野球のことはどういうわけか良く覚えているのです。

 

ここから車を飛ばして吉野ケ里遺跡へ行きました。

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およそ700m四方、広大な平地です。佐賀のこの辺から福岡にかけての平野は稲作文明が大陸から初めて入った場所です。食い物が豊富になければ王権は保てませんからね、直感的には邪馬台国は九州にあったように思えます。

 

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紀元前5世紀ごろ(弥生時代)からの集落ということですが、中国は孔子の時代ですね。ローマだってやっと王政が共和制になるあたりです。ユーラシア大陸と日本列島の関係は、ローマ以前の欧州大陸とブリタニア島のようなものだったでしょう。英国がそうだったように、現代の日本人につながるDNAが各所から文明と共に移入してきた、そのひとつの痕跡なのかなと思って見ておりました。

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出土品にはこんな奇っ怪なものが。こういうわけわかんないのはみな祭祀品とされてしまうが、歯車に見えますね。こりゃあ日本古来という感じがしませんや。

 

 

大変楽しかったが半端でなく暑かった。菅笠みたいな被り物で陽を遮りながら中村兄とふーふーいいながら敷地を一周したのです。

そこから福岡まで一気に北上し、夜は中島さんのご案内で呼子のイカ、五島のサバをメインに塩もつ鍋というメニュ―とあいなりました。

翌日、すなわち去年の今日は午前中に大宰府へお参りです。博物館でボランティアの方に歴史を詳しく教わり、なかなか勉強になりました。昼は中島さんも合流され、いい1日でした。

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そしてその夜、忘れもしない、ヤフオクドームで柳田のサヨナラホームランに遭遇。この辺の顛末は中島さんのこの記事になってます(東さん、中村さん&中島in博多)。

翌日、中村兄は帰京、僕は一人で京都に出向くのです。そこからこれが始まることになりました。

安土城跡の強力な気にあたる

このとき長浜で買ってきた鮒ずし一尾を忘れていて、先日冷蔵庫で発見(高いのにもったいないことだ)。真空パックしてあるし保存食だしというので食べてみたが、ぱさぱさでした。1年は早いがやっぱり長くもあるんだ。

 

On  the 第1回・山の日

(なんだそれ?休みなんて知らなかったぞ)

 

 

 

 

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陛下の生前退位報道とミクロネシア

2016 JUL 15 1:01:29 am by 東 賢太郎

ミクロネシア連邦(Federated States of Micronesia 略称:FSM)の首都パリキールに行っておりました。昨日帰国して北緯7度の同国より東京が暑いのには閉口しましたが、涼しげなそうめんを食すとやっぱり日本はいいなと思ったりするのです。

僕のビジネスは多国籍で、証券の発行体まで含めるとすでに6か国に関わっております。自分が駐在した香港、ドイツ、スイスはそこに入っておらないので可能性があり、これからは西アジアの国も候補になってくるという塩梅です。ICONtvにいたっては視聴者は全世界ですから、自分は日本にいますがそれは両親がいて日本食があって温泉があってプロ野球が観られるという以外には積極的な理由はないのかもという気もしてきます。16年も海外で暮らすとそういう感覚になります。愛国心とは別のことです。

今回の出張はこういうものでした。

ミクロネシア連邦のジョージ副大統領と会談

このほか、堀江良一特命全権大使にもお時間をいただきました。同国への僕の関心は日本国の歴史への関心と畏敬であり、教科書や日教組がまじめに教えない太平洋戦史であり、10数年前に鹿児島の知覧を訪問して以来深く心に残った何ものかです。海外生活を通して外国の良いところもたくさん知ることになりましたが、その何十倍も「俺は日本人だ」というアイデンティティーと誇りを深めて帰ってきたのは行く前からは想像できないことでした。

今日報道された陛下の生前退位ですが、驚き、感慨を覚えるとともに、昨年4月の悲願であられたパラオご訪問を成し遂げられたこともあるかと愚考する次第です。出発にあたって東京国際空港で述べられたお言葉にこうありました。

終戦の前年には,これらの地域で激しい戦闘が行われ,幾つもの島で日本軍が玉砕しました。この度訪れるペリリュー島もその一つで,この戦いにおいて日本軍は約1万人,米軍は約1,700人の戦死者を出しています。太平洋に浮かぶ美しい島々で,このような悲しい歴史があったことを,私どもは決して忘れてはならないと思います。

ペリリュー島はパラオ中心部から南に50キロも離れており、大人数が乗れる飛行機が離着陸できる空港がなく、船で行き来するには片道1時間以上かかるため海上保安庁の巡視船「あきつしま」に両陛下お二人が宿泊し、船に搭載されたヘリコプターでペリリュー島に向かうルートで訪問が実現したそうです。ご病身で貴賓室も何もない熱帯の船上でご宿泊とは異例なことで、これがいかに覚悟がいることかは南洋の島に行けばわかります。

これがその時のニュースです。

150409-16daitouryounadoその時の晩餐会の写真で、左のお二人がミクロネシア連邦モリ大統領夫妻です。パラオに招かれてミクロネシア連邦にも同様のお言葉とお気持ちが述べられたということです。同国でもパラオと同様の激戦があったことはこれまで何度も書かせていただきました。

 

この大戦が無謀であったことは論を待たないし二度と過ちを犯してはならないことは誰の目にも明白ですが、だからといって犠牲になった方々を忘れてよいわけではありません。ミクロネシアには沈船をはじめ戦跡が多数あり、巻き添えになったにもかかわらず島民の方々が日本を嫌うことも批判することもなく今も親日的です。陛下のパラオ訪問にはミクロネシア三国のそうした事情へのお気持ちもあったと察するものです。

今回もそうですが、ミクロネシア連邦の政府閣僚にそういう話題を投げると、わからない人もいるが呼応する人もいます。全員が親日などというバラ色の話ではないが、アジア周辺でそうではない国が多い中で僕は台湾と同じく大切にしたいものを感じるのです。ここに残ったものはナショナル・トレジャリーとして大事にするのが英霊への礼であり、ご赴任して1か月の堀江全権大使閣下には、放置されて荒れている山本五十六邸のことも申し上げておきました。

海外事業を中心にすえるので実務としてワークしさえすれば投資の本拠はどこでもよいのですが、いまさらニューヨーク、ロンドンというのも粋でなくコストも高い。ならば大事に思ったミクロネシア連邦の首都パリキールにおいて幾ばくか税金も落としてあげ、それで我が国のナショナル・トレジャリーを保全などしてもらいたいという強い気持ちです。管理、保全するのは同国だからですが、しかし民間でできるのはそこまでで、大使を通じて国ができることも多々あろうかと思います。現に中国はカネをばらまいて政府の心をつかんでいる様子が大いに感じられ、レストランには去年は聞こえなかった中国語が飛び交っていました。陛下のパラオご訪問は、そういう流れへの危惧のご表明でもあったのではないでしょうか。

今回はジョージ副大統領とローレンス財務大臣にお会いし、そういう気持ちで同国に投資をしている会社として政府の動きに不満があることを僕流にストレートにお伝えすることになりました。朝の役人との会議で僕が「場合によってはカネをひき上げる」と言ったもので緊迫しましたが、最後には国会対応も含めてしっかりやるという副大統領のお約束があったのでとりあえず安心はしました。

最後に、これから同国にての活動を社員としてお手伝いいただきたいということをSMCにお入りになった市原さんにお願いしたところ即ご快諾いただきました。23年の滞在経験は大変心強く思いますし、初めてお会いしたばかりですがすぐそういう関係ができたご縁というものを強く感じます。

 

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箱根のおすすめカフェ(Garden Railway Cafe in Hakone!)

2015 DEC 14 17:17:57 pm by 東 賢太郎

箱根美術館を出て向かったのは、息子おすすめの「ガーデンレイルウェイ・カフェ」でした。その名のとおり、庭園鉄道を走らせるカフェです。場所は仙国原(富士屋ホテルゴルフコースの近く)ですぐわかります。

鉄道研究会の息子にはかなわないが僕も子供のころはOゲージを集めて熱中してましたから遺伝かな。ただ娘は興味なく男女差はあるでしょうね、どっちがいいわるいではなく、やはり違うと思います。逆に僕らはお人形やおままごとにはかけらも興味ないですからね。

だから一般に母親は男の子に手を焼くんじゃないでしょうか。なんでこんなのに一生懸命になるのって。わが母もたぶんそうでしたが、ほぼ毎日家中に線路を敷きつめて足の踏み場もなくなってましたが自由放任でした。ありがたかったです。

小雨だったので休業かとおもいましたがカフェはやってらして、ふたりのオタクの訪問を歓迎していただき、模型の方もご主人のご厚意で走らせていただくことになりました。ゲージはG(人が乗れない模型では最大)でレールは約150mあるので迫力あります。屋外でこの巨大ジオラマはなかなかない、非常に貴重であります。 運転もさせてくれますから子供は喜ぶでしょう。grc

ご主人は東京で模型店を営まれていたそうですが300坪の土地を手に入れて夢をかなえられた、うらやましいかぎりです。テレビでも放映されていますし、ここまでできるなら移住する価値ありますね。

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メンテは非常に大変だそうですがその「土木工事」も楽しみのうちですね、好きな人には。僕ならむしろそれがやりたい。だって実際の地面を走るのがたまらない快感です。くまなく見て回り、線路を細かく検分して、至福の時を過ごさせていただきました。

昼食にいただいたピザ(マルゲリータとイノシシ肉)は美味でした。猪ピザは珍しいがおすすめです。いくらでもいるそうで、そういえば昨日旅館の庭にもでっかいのがいましたっけ。雉(キジ)肉もあるそうです。箱根はキジもたくさんいます(何度も立派なのを見ました)。

grc3これが当カフェの地図とビデオです。強力おすすめであります。

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(こちらへどうぞ)

今年の箱根駅伝に思う(5区の神学論争)

クラシック徒然草-僕がクラシックが好きなわけ-

原鉄道模型博物館(Splendid Hara Railway Museum in Yokohama)

 

 

 

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箱根の奥座敷にて

2015 DEC 13 20:20:08 pm by 東 賢太郎

冬の箱根は大好きな所の一つです。

親父も僕も土地を買ったほどで、大涌谷の警報レベルが下がりほっとしています。今回は息子と二人で強羅の桐谷に一泊でした。ここのにごり湯はよろしいですね。同じ白濁でも芦の湯とはやや趣の異なったものです。心身とも癒されますよ。

強羅で気にいっているのは箱根美術館です。なんといってもMOA美術館の岡田茂吉が造った庭が見事なのです。

hakone5ここは紅葉が有名ですが、僕は色がわからないのであまりこだわりがなく、むしろ冬の枯れた風情を好みます。きょうは小雨だったのがまた幸いでした。

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この高低差、巨岩、清流、滝、木々、苔むした小山・・・

茶室「真和亭」でいただくお茶は格別、ここのマロンの菓子は非常に上品です。この風景はシベリウスが似合う。行きの車中はずっと2番と5番でした。

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美術館の焼き物コレクションは味があります。窓から山水画のような景色が。岡田が世田谷の上野毛(現・五島美術館敷地)に住んだ住居「富士見亭」もあります。僕もそこの景色が好きで住んでおり、またこの箱根も抗いがたい魅力を感じてしまいます。

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息子としばし我を忘れてぼーっとしてました。

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これを肴に露天風呂など、極楽です。箱根の奥座敷の一日でした。

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(こちらへどうぞ)

箱根吟遊と旧吉田茂邸にて

 

 

 

 

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