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カテゴリー: ______クラシック以外

クラシック徒然草-津軽海峡冬景色の秘密-

2015 NOV 5 1:01:48 am by 東 賢太郎

石川さゆりさんのファンではありますが、天城越えも名曲ではありますが、それはそれとして、津軽海峡冬景色という曲にはどうにも僕を惹きつけるものがあります。それは何なんだろう?

やっとわかりました。やっぱりあああ、あ~~~なんですね。

たぶんあああは地声、あ~~~は裏声でしょう。この段差。すごく男心をくすぐるのです。音名で言えばミファミ、ド~~~です。ミからドへの6度のジャンプ。しかも声の色まで変わる。ここにこの曲の勝負どころ、頂点があると思うのです。

この6度ジャンプ。どっかできいたことがあるぞ。え~~と・・・

ありました。これです。

tristan

おわかりでしょうか?ワーグナーのトリスタンとイゾルデの冒頭です。ラファ~~ミはチェロが弾きますがラファは6度ジャンプです。この音程、ちょっと悲痛な感じがするのは僕だけでしょうか。チェロのラは解放弦でファでクレッシェンドして緊張感ある音に色が変わります。ppで聴こえるか聴こえないかでそっと入って、音程と音色で聴衆の耳をそばだたせる。非常に印象的な幕開けです。

この6度跳躍って、すごいインパクトがあって耳に残るというか、こびりつくのです。きのうショスタコーヴィチの15番を聴いたと書きましたが、あの第4楽章にワーグナーの引用が出てきて、ジークフリートの葬送行進曲のあとですが、まさにこのトリスタンの最初の4音が鳴ります。どきっとします。

津軽海峡が三木たかしさんの作曲なのはまったく知りませんでしたが、彼は「つぐない」の作曲家でもあったのでびっくりです。

クラシック徒然草-テレサ・テン「つぐない」はブラームス交響曲4番である-

クラシック徒然草-「つぐない」はモーツァルトでもあった-

津軽海峡のフシはこれまた似たものがクラシックにあります。

tugaru

シューベルトの「白鳥の歌」からの4曲目二短調「セレナーデ」です。たいていの人が知っている音楽の授業でおなじみのメロディーでしょう。

楽譜はチェロ用にト短調になってるので津軽海峡と同じイ短調で書きますと、出だしの「上野発の夜行列車」ミミミミファミララララシラが「秘めやかに( 闇をぬう) 」ミファミラ~ミ、「静けさは~果てもなし」ミファミド~~ミに「あああ、あ~~」のミファミド~~と全く同じ音素材とリズムで6度跳躍が現れます。

もうひとつ、和声です。

「わ~たし~も~ひとり~~、れんらく~せんにのり~」 にはDm6、Am、F、B7、E7susu4、E7というコードがついてますが、バスがfからhに増4度上がって「せんに」のB7、これはドッペル・ドミナントといいます。ドミナントのドミナントです。

実に劇的、激情的でロマンティックな効果がありますが、これの元祖はベートーベンだと思っています。上記ブログに書いたモーツァルトの20番のカデンツァがそう。そして、あまり指摘されませんがエロイカにも出てきます。

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第2楽章の冒頭、5小節目のf#です。この音符、なくてもいいんです。というより、凡庸な人は入れないでしょう、バスのgと長7度の不協和音になるんで。実際の音は鳴りませんが、ベートーベンの耳にはD7のドッペルドミナントが聞こえていたわけで、そのソプラノだけをひっそりと鳴らした。凡夫と天才の差はこういうところにあります。

「つぐない」もそうですが三木さんの和声はこういう隠し味に満ちていて、何度聴いても飽きないのだと思います。クラシックがクラシックたるゆえんをおさえている。津軽海峡冬景色をピアノで弾くのは快感です、なんたってよくできたクラシックですから。

 

 
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石川さゆり 津軽海峡冬景色(今月のテーマ・英国)

2015 OCT 31 23:23:50 pm by 東 賢太郎

なぜこれが「英国」なのかというと、ノムラ・ロンドン勤務の頃にさかのぼりますが、株式営業課の大先輩Aさんのオハコでありまして、カラオケでだんだん「お前らも全員でやるぞ~!」となってきて、酔っぱらい十何人が振付けいりで熱唱して夜中におひらきというパターンが定着したなんてことがあったからです。

さらに、それが当時ロンドン社長であられたT副社長のお目に留まることとなり、鶴の一声でロンドン社歌にまで昇格してしまったという大変な曲なのです。

先輩の振り付けは、このビデオがもっと派手になったものでございました。デビューの年の石川さゆりさん、昭和52年(1977年)、19才でしょうか。

素晴らしい曲です。「ゆき~のなか~」がB7(ドッペル・ドミナント)という効果的な和音になるうえ、「の」がd#でなくdの不協和音で長調に短調がぶつかるなんてビートルズですね(サージェント・ペパーズ)。

こちらがオリジナルのレコードのようです。安いですね、600円です。同年1月1日発売。エンディングはフェードアウト。

このTVテイクは何年のものでしょうか。エンディングがちがいます。

僕はこのテイクを最高傑作に認定させていただきます。「さ~よなら、あなた」の情感はオリジナルより円熟味がまし、「あああ、あ~~」の「あ~~」(c)と「津軽海峡」の「い」(最高音d)が裏声になりますが、前者のヴィヴラートの奥深い色香!後者の絶妙のピッチ!もう名人芸と絶賛するしかございません。他の歌手さんのビデオもありますが、これをコピーできている人は皆無です。裏声にしないせいでしょうか、イ短調を半音下げている人もいます。

プロ中のプロであるのは、3回出る「ふ~ゆげ~しき~」の「し」(g#)を、1回目は高めにとって終止感をあえて希薄にし、3回目はしっかりg#にとってドミナントをだして、これでおしまいという盤石の終結感で曲を閉じることですね。ヴァイオリンやチェロの大家がかくし味でやることを自然にやっている。ピッチが良いからできるのであって、天才的な歌であり素人がカラオケでまねできる域には到底ございません。

石川さゆりさんの声質は極上の弦楽器、ピッチに対する感性の良さはユリア・フィッシャー並み。世界中のどこへ出しても一流。この歌は日本リートの名曲であり、海外でも広く聴いていただきたいと思います。

 
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癒しの声、アニタ・ベーカー

2015 OCT 31 0:00:20 am by 東 賢太郎

ペットロスというのがありますが、これからしばらく野球ロスの日々となります。感情移入して観てると疲れるし贔屓が負けるとストレスにもなるんですが、取りあげられてしまうと今度は虚無感におそわれます。

そうしたら、昔よく接待に使ってた赤坂のクラブから「閉店のごあいさつ」なんてのが来てたりして、さらにロス感がつのります。どうもこの季節は苦手です。

毎年この空白は音楽が埋めてくれるのですが、今週は仕事の心労もあってどうもクラシックは重たい。こういうときはだいたいスコッチで酔っぱらって歌を聴きます。きまって女性シンガーですね。男の声というのはどうも和まないのです。

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ところが酒棚にスコッチがない。うまくいかんもんです。そうしたら奥の方からどこで買ったんだか紅星二鍋頭酒なる中国の安酒が出てきて、56度ある白酒(パイチュウ)ですね、香港時代によく飲んだんでこれを一杯やったらぐっときました。こりゃあ疲れが飛びますわ。

こういうときの女性シンガーといって、僕はどちらかというと黒人の低めのアルトが好みで、今日はこれがしっくりです。なんでコーリャンの酒とアニタ・ベーカーなんだ?さっぱりわけがわかりませんが、もう完全に酔ってますんで・・・。

 

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ドリーブ 歌劇 「ラクメ(Lakme)」

 

 

 

 

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歌舞伎とオペラ

2015 SEP 28 12:12:41 pm by 東 賢太郎

歌舞伎とオペラ。このところ偶然たてつづけに観ることになりましたが、違和感がないのが意外です。

僕の場合、オペラというものはあくまでクラシック音楽の延長でレコード屋に行くと同じ売り場にオペラもあるなと、そんな入り方ですからまず耳だけで聴くもの、音楽ありきの存在だったんですね。劇という側面からオペラに関心を持ったことはありません。

そもそも、その劇や芝居はからっきし圏外でした。無縁だったかというとそうでもなく、成城学園初等科では「劇」や「舞踊」という時間がありました。担任の先生が脚本家で、お嬢さんが同じクラスだった芥川也寸志さんが音楽を書いてくださったり、黒沢明さんのお嬢さんや三船敏郎さんのご子息もおられたりで、学校劇は観たり創作したりが空気みたいにある環境だったし思えば舞台も出ました。

ところが「音楽」の時間といっしょで、大嫌いだったんです。女のやるものと思いこんでたんですね、じゃあどうして女のやるものがいけないのかというとそこがよくわからないのですが、母が大好きでしたが親父は下に見ていたのでしょう。昭和30年代というとまだ終戦から10年ちょっとの世の中で敗戦国の男には複雑なものがあったと思います。

ところがその親父も洋モノの音楽は好きでレコードがたくさんあり、どうもそれだけじゃないですね。世の東西ということよりも、歌ったり踊ったりは芸事であって男の立身出世に関係ないというのがあった。だから勉強していれば機嫌が良かったし、野球をやるのは(それだって立派な洋モノなんですが)軍隊の教練ぐらいに思ってたでしょうが、音楽など遊興であって聞くだけのもの、音大に入りたいなんていえば大反対だったでしょう。

そうこうして音楽については呪縛の氷がだんだん解凍されて、特にベンチャーズが音楽は男がやるもんだというところをビシッと見せてくれて、持って産まれたテーストに正直に従ってここまで生きてきました。しかし劇、舞踊のほうは女の芸事という厚い氷に閉ざされたままだったのです。

こういう男がクラシック好きになると、劇、舞踊でもあるオペラというのは色モノなんです。特に三国同盟を真っ先に脱落したイタリアを親父は完全に「蔑視」していて僕もイタ公と呼んでたし、さらにまずいことに痴情にかまけた色恋沙汰ストーリーが多くて色モノ性が倍加され、イタリアオペラは僕の頭の中で最下等のどうでもいいものでした。

モーツァルト、ワーグナーもややそちらよりに見ていたしベートーベンがたった1つとはいえオペラを書いたというのは堕落に感じていたし、書かなかったブラームス、ブルックナーはさすがだ、偉いなと思ってました。イタリアものについてはラ・ボエームがなかったら今でもそうだったでしょう。

こういう男が歌舞伎を観るというのはだから定義矛盾である。女の芸事を男がやる、音楽もないというだけでもうオペラ未満であり、接する気もしないものでした。

その気が変わったのは、早野さん阿曾さんに呼んでもらってご出演の劇を観て面白かったこと、そして京都宮川町でまさに女の芸事の粋を観て世界観がコペルニクス的に逆転したからです。持って産まれたテーストに正直に従うべきものが、ここにもあった。そういうものをこのトシになって見つけられたのは僥倖であり感謝するしかありません。

オペラと歌舞伎は対比してみたいものがいろいろありそうで楽しみです。僕のオペラのレパートリーは偏りがあるし歌舞伎はまだゼロですが、共通するのは劇ということでいままでとは別な角度からオペラを見る楽しみもありそうです。特に世界であれだけ人気のあるヴェルディですが、音楽として興味がないのはわかったことですが劇という魅力はまったく見落としていたかもしれず、もういちど努力してみようかなという気になりつつあります。

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宵越しの金をもたねぇのが江戸っ子ってもんで、、、

 

 

 

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京都の南座で中村獅童・尾上松也を観る(改訂済)

2015 SEP 19 3:03:33 am by 東 賢太郎

kabuki2minamiza_201509fflいま京都南座で新作歌舞伎「あらしのよるに」を観てきました。思ったよりずっと楽しかった。

中村獅童、尾上松也、中村梅枝、中村萬太郎。

童話が歌舞伎になってしまう。圧倒されました。終演後にしげ森さんのおかげで楽屋に入れていただきました。獅童さん、松也さん、梅枝さん、熱演でお疲れのところでしたがお会いして話せて勉強になりました。

歌舞伎は決して古いもんじゃない、今を生きているものと思います。「あらしのよるに」もいずれ古典になっていくのでしょう。

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初めて歌舞伎を観る

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テイラー・スウィフトを聴く

2015 JUL 28 1:01:43 am by 東 賢太郎

いま一番きをつけているのが、頭をやわらかくしておくことです。体は断食にはじまって10kmも走れるようになって若返ったようにも思いますが、頭の方はむずかしい。

そこで暇をみてはこういうものを聴いています。

テイラー・スウィフトは2010年のグラミー賞で4冠を達成、最新アルバム『1989』が、過去11年間に全米で最も速く500万枚のセールスを達成したアルバムになるなど、いま世界で最も売れてる米国のシンガーソングライター、カントリー歌手であります。

と、知ったようなことを書きますが、実は仕事関係者からついこのまえ教えてもらっただけですが・・・。

なんといってもこのyoutubeのアクセス数が2億7千万!25才で年収が82百万ドル(=約100億円)となると、サッカーのクリスティアーノ・ロナウド(30)の79百万ドルをしのぎ、同世代の英雄であるヤンキースの田中将大(26)の23百万ドルの3.5倍、テニスの錦織圭(25)の19.5百万ドルの4.2倍です。

娘と同じぐらいのトシですが、資本主義社会の一員としてこの数字にはひれ伏すしかございません。

彼女を聴く(というか勉強するですね)のは、株式市場に居る者は世の中で一番売れているものに接してないとだめというタテマエが少し、彼女が猫柄のシャツを着るほど猫好きというのがかなり、しかし一番おおきいのは彼女が来日したとき会える4人しかいない日本人のひとりと仕事するからなのです。

これは彼らとグローバルブランドを作ろうぜという法外な野望があって、彼はアップルやユニバーサルに認められ作曲も歌手のマネジメントもやってグラミー賞もとっている世界人。34で若い。僕はそんな世界はかけらもわからんがカネ勘定ぐらいはできそうということでお誘いいただいたものです。光栄なことです。

しかしマドンナもレディガガも今や世界を席巻するのは女性という趨勢ですね。すべてが僕にとって新しい。これで頭の方も少しは若返るかな。

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歌謡曲の耳コピ

2015 MAR 31 2:02:05 am by 東 賢太郎

1987年、例のブラックマンデーは大変でした。当時ロンドン勤務だったのですが株の暴落で毎日夜中まで会社に残って端末をたたき、夜中にお客さんまでそれを見に我々のオフィスに現れました。そのころ夢中になっていたのがブラームスで、いまも聴くとあの緊迫した空気を思い出します。

それだけだと聴くのが辛くなったでしょうが、幸いなことにそんなさなかに長女が生まれました。初めての子でありお産に立ち会ったこともあり、これは仕事の憂さなど吹き飛ばす大事件でありました。だからブラームスというと断然そっちの方の思い出になってくれ、今も幸せな気分に満たしてくれるのです。

とにかくそれから毎日のようにブラームスを家でかけてましたから彼女は自然に覚えてしまい、やっぱりそれからよく聴いていたベートーベン、バッハも好きになったようです。僕も赤子のころ親父が耳元でかけていたSPレコードでこうなりましたが。

昨日はTVで昭和歌謡曲特集を見ていたらいろいろ懐かしく、ワインで酔っぱらってピアノで片っ端から弾いて、長女とネコを呼んで「津軽海峡冬景色」と「つぐない」と「ブラームスの4番」、ね、おんなじでしょと納得してもらう。ブラームス好きだから、実は似ているそっちもいいと思うんですね。指揮者の朝比奈隆氏がブラームスはセンチメンタルで多情多感で大衆小説、メロドラマ的な要素があると語っていますがまったく同感です。

ピアノは彼女にとうていかないませんが、こういう耳コピはまだ親父の方が一日の長があるんです。知っている曲だったらまず楽譜なしでOKが何才までもつか、できなくなったらボケたっていうことです。娘に会社を追い出される親父もいるんで威厳は示しておかねばなりませんが、つぐないも教えちゃったしだんだん負けるでしょうか。

しかし昭和にはいい曲がたくさんありましたね。ピンキーはまだいい声だったし精霊流しだっていい日旅立ちだって、ああやってあらためて聴くといい。最近のは飛んだり跳ねたりで忙しくて音楽はいまひとつかもしれませんね。

 

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プーランク 即興曲第15番「エディット・ピアフを賛えて」

2015 MAR 12 0:00:57 am by 東 賢太郎

生涯独身だったパリジャン、プーランクのダンディズムは男としていつも格好いいなと思います。彼はドイツロマン派が嫌いでモーツァルトとフランス古典音楽を愛した。僕はゲルマンの重い陰鬱で粘着質な気質よりラテンの軽くて透明で移り気な精神が好きなので、プーランクの音楽に魅かれます。

彼がシャンソンというキャバレーの雰囲気をもった大衆の歌と接点を持っていたのもいいですね。音楽が宗教の厳粛さも表せるなら遊びでもあるという姿勢であって、この飛翔するような精神の自由さは本当に人生にゆとりを持って臨めた人だけに許される境地のように感じます。

このハ短調の15番「エディット・ピアフを賛えて」は即興曲集の最後の一つでとても有名ですが、この小品をもってプーランクの代表作というのは憚られます。むしろその耳触りの良さは、何かの意図を抱いてあえてそうしたのだろうと考えるべき性質のものを秘めている、どこか陰のある作品のように思うのです。

最後に心地よくハ長調におさまりそうな気分がふらふらと短調と交差して、結局最後のコードはハ短調に戻ってしまう・・・このメランコリックな心の揺れが何かを暗示しているようです。子供でも弾けて一見してオシャレ感がある。ピアノの発表会で好まれそうな曲想なのですが、このエンディングまでちゃんともっていけるかな?これはオトナの音楽ですからね。

以下に僕の想像を交えてご紹介するエピソードが真相かどうか?皆さんにご判断はゆだねますが、クラシック愛好家界を二分する「耳の娯楽派」の鼓膜を心地よく慰撫してくれると同時に、「考古学派」の知的好奇心をもかきたてる謎に満ちた名曲と思います。

彼が好きだったシャンソン歌手、エディット・ピアフ(1915-63)はフランスで今も愛されている歌い手の一人であり、国民的象徴という意味では日本ならばさしずめ美空ひばりというところでしょうか。ちなみに、誰もが知っている「愛の讃歌」はこういう歌でした。

プーランクがピアフと会った記録はないそうです。両人ともジャン・コクトーと極めて親しかったのに不思議なことです。ただ、プーランクはピアフの歌を愛していました。1950年にニューヨークに行ったおりに、プーランクは彼女がこの歌をラジオ・ショーで歌うのを聞きました。「バラ色の人生」です。彼は日記に「プログラムの中で、官能的な歌はこれだけだった」と記しています。

ピアフが恋人のマルセル・セルダンを飛行機事故で失ったのはその前年の1949年です。そして1958年にプーランクは「人間の声」を書きました。ジャン・コクトーの原作によるこのモノオペラ(一人歌劇)は別れた恋人に電話で自殺をほのめかす女を主人公としますが、プーランクはそこで書いた悲しいワルツが「あまりにピアフだ・・・」と気に病んだそうです。ピアフはパリにいたセルダンに「はやくニューヨークに来て!」と電話した。船をキャンセルしたセルダンは、それであの飛行機に乗ったのでした。

今回お聴きいただくプーランクの「15の即興曲集」の第15番「エディット・ピアフを賛えて」(Hommage à Edith Piaf)はそのワルツと同様に、ピアフの得意だった有名なシャンソン「枯葉」(Les feuilles mortes)と似たメロディを持つのです。

ところが、オマージュといってもこの即興曲が書かれた1959年にはピアフはまだ生きていたのですから不思議です。何があったんでしょう?

「人間の声」を書いて “would be too Piaf” と言った彼の心には何かが横たわっていたのでしょう。「官能的な歌はこれだけだった」というプーランクの日記。「セルダンが死んで、ピアフも死んでしまったのです」という親友の言葉。なんともせつないものが「エディット・ピアフを賛えて」にはこめられているような気がしてなりません。

お聴き下さい。これはプーランク唯一の弟子だったガブリエル・タッキーノの演奏です。

こちらはパスカル・ロジェ。実に素晴らしいタッチです。プーランクは最も好きな作曲家5人にショパンを入れていますが、それを思わせる曲でもあります。

 

PS.

1963年1月30日にプーランクは亡くなった。同じ年の10月10日にピアフがリヴィエラで癌で亡くなると、数時間後にコクトーはその知らせを聞いて「何ということだ」と言いながら寝室へ入りそのまま心臓発作で息を引き取った。

 

(こちらへどうぞ)

プーランク大好き

プーランク オルガン、弦楽とティンパニのための協奏曲 ト短調

クラシック徒然草ーフランス好きにおすすめー

 

 

 

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荒井由美 「14番目の月」

2015 JAN 3 7:07:30 am by 東 賢太郎

この2年、都合がつかなくて大学のクラス会を失礼している。年賀状はめんどうだが、こういうときにいいなと思った。最近どうも駒場が懐かしくてしかたない。たまたま乗った井の頭線をふらっと降りて構内をぶらぶら歩いてみたが、夢みたいに楽しい日々だったことを思い出した。とにかく若かったから。

あの頃よくきいていたポップスが荒井由美だ。一見僕のような体育会硬派には向かない女の子の歌であったが、彼女のメロディーラインとコード進行のすばらしさは天才としかいいようがない。全部きいたわけでないし松任谷になってからのはあまり知らないが、それでもユーミン・ファンであることを僕は何のためらいもなく宣言したい。

41EK979J5DL僕が好きを通りこして神聖視している曲はアルバム「14番目の月」の最初にはいっている「さざ波」である。ハ長調。和声的に特に変わったことは起きないが、なにせこのハ長調というのがドミソシレと7度、9度入りである。いや主部はきれいなドミソは出てこず7と9の濁りを含んだ曖昧なカラーで染まっている。これがサビでCm,Fm,B♭,E♭と清明な三和音になるといっとき晴れた冬空のようになるが、再び7の和音が戻って来てE♭7,A♭maj7,Fm7と空は曇りはじめ、曖昧なD♭maj7から一気に増4度下のGsus4+7に落っこちて原調(Cmaj7+9)に帰ると、元の曖昧模糊の霧の世界に戻る。 

本人のはないのでカバー。

                                        

秋の光にきらめきながら

指のすきまを逃げてくさざなみ

二人で行った演奏会が

始まる前の弦の響きのよう

 

演奏会が始まる前の模糊としたチューニングの弦の響き!そこににポエジーを感じるというのはなかなか男の感性では難しいなと思って聴いていた記憶がある。彼女はまだ鳴っていない音楽を聴いている。それが7と9の和音のぼんやり霧がかかった世界と絶妙にコラボしているように思う。

バックのドラムス(Mike Baird)、ベース( Leland Sklar)も見事であり、クラシックな味を添えるヴァイオリンとコーラスのセンスも非常にいい。しかしなんといってもこのピアノ・パートを書いたのが勝利である。何度きいても飽きることがなく真のクラシックのレベルにある音楽だ。器楽的な歌だが乾いた声が曲想にあっており、この曲はピアノで弾くと最高に楽しい。

もう一つだけ挙げれば5曲目の「中央フリーウエイ」である。「さざ波」もそうだが、こちらも歌詞のポエティックな雰囲気を見事にとらえた曲想になっている。初めて聴いたとき冒頭のコード進行にいきなり驚いた。

中央フリーウェイ~とFmaj7で始まる。この和音がしばらく鳴り7thのわくわく感が提示されるが、すぐにdim(減三和音)が2度も入って不安、どきどき感もまじえたフレーズがCdim,D7,Gm7,C#dim,C7とくるくる変わるコードに乗り、あれよあれよという間にFm7!と同名短調に来てしまう。この和音がまたしばらく鳴るが、早くもふたりは遠い世界に来てしまったねという感じが和音であらわされる!すごい。まさに流星になったみたいだ。

このめまぐるしいコードの変転。夜のしじまの中央高速を走り抜ける車の窓を競馬場がビール工場がどんどん現れ消えていく感じそのものでもある。それをコードプログレッションで描いてしまうというのは実に斬新、天才的だ。バックのオーケストレーションも歌詞のムードを絶妙に醸し出しており一級品の水準である。

一般論になるが、彼女のコードと転調は創意にあふれているが複雑な組成の音はない。メロディーラインは五音音階風だったり日本人の感性にフィットしている。バタ臭さのなさと洋風のオシャレなソフィスティケーション。このミックスはチャイコフスキーの第1ピアノ協奏曲のテーマの秘密だ(同曲ブログ参照)。それが音楽面での彼女の人気の秘密。こういう発想ができる、相当ピアノがうまいんだろうなと思う。

ところで娘が歌を書きたいというのでこのアルバムとハイファイセットのCDを与えた。「耳コピーで全曲ピアノで正確に弾くこと」といって。事を成すにはまず先人に学べだ。彼女らはショパンのバラードぐらいは弾ける。でも自分の曲を書くのに楽譜はない。お父さんは後者の「メモランダム」の和音がコピーできない頼むねといってある。

 

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米国放浪記(2)

 

 

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ハイ・ファイ・セット 「メモランダム」

2014 DEC 27 0:00:01 am by 東 賢太郎

中学高校のころみんなオールナイトニッポンなんて深夜放送をきいていて洋楽、ポップスはこれが情報源みたいなものだった。僕は中学、高校は家が遠かったので朝が早くあまりきけなかった。だからポップスはいつも乗りおくれていて話題についていけない。オリビア・ニュートン・ジョンはジョンだから男だと思っていて、そういうのに詳しいのが自慢のシティボーイどもにばかにされた。

大学になって下宿させてもらった。法学部の講義というのは全部が大教室であり出席をとる課目がない。全員が勤勉という性善説で成り立っている大学なので僕のような怠け者がいることは想定がない。それをいいことにあしたの授業はまあいっかとなる。そうなると元来が夜行性である。借りを返そうとポップスを夜中に聴きまくって、だいたいのはあとからそこで覚えた。ビートルズの後期も実はそこで半ばクラシックとして聴いたので、ベンチャーズ世代ではあってもビートルズ世代というのはおこがましい。

hfs1どこでどう知ったか記憶にないが、夜中にきいたであろうグループにハイ・ファイ・セットがある。フォークの赤い鳥というのがあり、これは問題外で全然興味なし。そのメンバーだったとは信じ難いほど洗練されたヴォーカル・アンサンブルが気に入った。ただ、ビートルズといっしょで「世代」という感じでないからアルバムをきいたわけでなく、ハイファイブレンド1・2というベストアルバムを買っただけだ。

hfs2当時なけなしの小遣いでクラシックをさしおいて2枚も買ったのだからよほど気に入ったのだろう。先日それを録音して下宿に持ち込んだカセットをきいていたら、もう40年も前なのにきっちり覚えている。それにしてもいい、これは。女性はともかく男性2人は特にうまいわけではない。ところがハーモニーはピタリと純正調に決まる。それも、その和声がなんともオシャレである。

こういう音を作るのは非常に耳とセンスを問われると思う。「フェアウエル・パーティー 」「スカイレストラン」、この和声進行はまことにハイセンスである。「 スウィング」のコーラスの2度音程を含む密集和音での進行の音程の良さなど、今ならこのままアメリカへもっていって通用しそうだ。ガキの音楽がJ-popみたいになっているが、当時のは大人がじっくり聴けるものだったのだ。

「真夜中の面影」、そう、これは当時はまっていたっけ。僕的にはちょっと音があぶないカウンターテナー・ソロで頼りなくはじまる。ところがだ。あれはほんの数分前のことなのに~のコーラス、歌詞!はやく~の女声が入るとがらっと和音も音色もがらりと変わり見事なバックコーラスが!ここで完全にノックアウト、脱帽である。作曲者をみると山本俊彦、最初のソロだが、彼は今年の3月に亡くなったことを知る。なんということだ・・・。

もうひとつ、書きたい。この曲、メモランダム。ハイ・ファイ・セットのバックコーラスの和声の洗練度はカーペンターズぐらいしか対抗するものが浮かばない。

このメロディーはクラシックになる。フォークのおにいちゃんや凡庸な音大生が書ける代物ではない。今夜も呼んでいるあなた~の裏、全音で上がるマイナー7、こりゃすごい。

これも山本俊彦と思ったら違う。滝沢洋一というアーティストだ。ぜんぜん知らない。そうしたらyoutubeに彼の自作自演があった。

あまりに曲として完成度が高いからだろう、ハイ・ファイ・セットのカバーは伴奏のアレンジはともかくほぼ原曲だ。ユーミンのはかなり音もテンポもいっじてるのに!

こういう曲を作れる人はクラシックの教育を受けているんだろうか?それはイコール、ピアノだ。アメリカのシンガーソングライターはピアノが弾けそうだが日本はよく知らない。でもレノン・マッカートニーみたいにむしろギターじゃないとできない曲想もある。こんな作品ができればやりかたなんか二の次だ。

滝沢洋一は売れなくてアルバム1枚で亡くなったらしい。売れなかった?なんてことだ。クラシック世界の人は認めないだろうが僕はこういう曲はわけのわからないゲンダイ音楽などよりずっと価値があると思う。いや、僕が思わなくたってきっと聴きつづけられる。ということはコンクールが終わったらめったに演奏されない現代曲よりこっちが「クラシック」になる日が来るのだ。

おふたりとも団塊の世代、熱かった世代だ。音楽にも人生にも恋愛にもうるさくて熱い、いい時代でした。ご冥福をお祈りします。

 

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マッコイ・タイナー「Fly With the Wind」

 

 

 

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